電話機能。それは今でもスマホに付随している機能である。しかし、実際のところこれを頻繁に利用している人はどれほどいるのだろうか。かつてガラケーだった頃はまだ利用されていた気がするが、体感的にあまり電話は使われなくなっている気がする。そんなスマホの電話が鳴った。11月のある日の昼休みの事である。
ちょっとゴメンと希美に言い、ベランダに出る。休み時間の喧騒も、窓を挟めばやや緩和されていた。
「はい、もしもし」
「あ、良かった。今お時間大丈夫ですか」
「ええ、はい。どうしましたか、平日のこんな時間に」
穏やかそうな初老の男性の声。相手の名前は知っていた。契約している出版社の担当。音楽系の雑誌に記事を書いたり、それ以外の雑誌なんかに短編を掲載してもらっている。元々は当座の資金を確保するために応募した賞で最優秀では無かったものの彼に目をつけて貰い、そこから色々あって今の私のれっきとした仕事になっている。
「実は少しお話しておきたいことがあります。まだ正式決定では無いようなんですが……北宇治高校に取材をしたいという動きがあります」
「取材? なんのですか?」
「テレビです。京都府の学校だと以前から立華高校が何度も取り上げられていました。大阪三強の学校もそうだったんですが、去年今年と見事な結果を出しているのし上がり方に魅せられたようで。龍聖と合わせて二大下克上校として取り上げたいという話です」
「それはもう企画になっているという事でしょうか」
「まだ発表はされてませんが、概ねその認識で正しいかと。会議は通ったようですので、恐らく近日中に連絡が行くかと思います。少々小耳に挟んだため一応念のためお伝えしようかと」
「分かりました。ご連絡ありがとうございます」
お礼を言って電話を切る。正直いつか来るだろうとは思っていた。吹奏楽という界隈は決して狭くない。世間の人気も高い。北宇治も注目されているのは知っていたし、どこかのタイミングで来るだろうとは予想出来ていた。正直メリットデメリットもそれぞれ結構存在している。
メリットとしては知名度の増加によって学校や保護者からの支援が得られやすくなったり、来年度に実力者が入学してくる確率も上がるかもしれない。まぁ公立なので立華のように引っ越してきました! みたいなのは少ないと思うが。デメリットとしては練習の邪魔になりかねない事だ。また、これを機に天狗になってしまう可能性もある。信用していない訳ではないが、新体制移行後の中では少し不安が残る。
いずれにしても、対応が必要だ。実力を世間的に認められているのは嬉しい事だが、少しだけため息を吐く。もしかしたら三年生も一度だけ集合かける必要があるかもしれない。しかし、個人的にはいい機会であるとも思っている。それに、もし三年生を呼ぶことが出来るならばやりたいこともある。
「なんの電話だった?」
「いや、ちょっとね……」
小首をかしげる希美に対して曖昧な笑いを浮かべる。ここで言うのは流石にリスクが大きすぎるだろう。まだ正式に受諾するかどうかの話もしていないのに変な噂だけ広まってもらっても困るのだ。スマホの画面に事情を書いて見せる。
「!? これホント?」
いきなり大声を出し始めたので慌てて彼女の口に人差し指を押し当てる。これでちょっと静かになってくれた。好奇の目を向けられるかもしれないと焦ったが、そんなことも無く周囲はいつも通りの話し声に満ちている。意外と人は他人に興味が無いのかもしれない。或いは、私たちのやり取りがもう普通の出来事になってしまっているせいで、注目されていないか。それはそれで構わないが、少し複雑な気分ではある。
「こういう風になるからあんまりまだ言いふらさないで」
コクコクと頷いているが目が輝いてワクワクしてる雰囲気満載の彼女の姿に、現役世代もこうなってしまわないか一抹の不安を覚えた。
「と、いう訳です。企画会議を通ったという事は恐らくほぼ確定と言っても良いでしょう。どうしますか?」
その日の放課後の職員室。先にさっさと先生方に伝えてしまった方が良いだろうとの判断の結果、こうして話し合いをしていた。先生方は教師なのでそっち方面の窓口はない。対外関係はこちらが担っていることも多かった。
「なるほど……光栄なことではありますが、正式に話が来た場合には生徒、特に部長などにはまず話をする必要があると思います。しかし弱りましたね。私はこういうのは初めてなもので。意識の範疇外にありました。松本先生はどうですか」
「私は受けたことがありますから多少は。滝先生のお父様が顧問をしていらした時代に何度か経験があります。決して悪い事ではありませんが、部活だけでなく一般生徒にもどこか浮ついた空気が流れていたため、職員室はキリキリしていた思い出があります。それに、今の時代生徒のプライバシー関連で保護者の許可も必要になるでしょう」
「そちらにも気を配らないといけませんね……。教頭先生や校長先生にも話を通す必要がありますし、放送されている時には見えていないものですが色々裏で動く必要がありそうです」
「その辺の細かいところは知ってる人に聞けば良いんじゃないでしょうか」
私の提案に考え込んでいた二人の目がこちらを向く。
「幸い京都府内にはいるじゃないですか。何度も密着取材を受けている学校が。立華の先生方にアドバイスを求めるのも悪くはないのでは?」
「それは良い考えかもしれません。なんにせよ、顧問である私は前面に出る必要がありますから。……父に話を聞いてみる事にします。経験者に聞いた方が良いこともあると思いますので」
「全ては正式に話が来てからになりますが、ポジティブに捉えてしまった方が良いかもしれません。先生方には色々折衝をお願いすることになるかもしれませんが、来年度のためを考えればむしろチャンスと言えるでしょうし、私も微力ながらお手伝いさせて頂きます」
先生方が頷いたのに一安心する。取材を好まない先生も多い。デメリットの方を重んじる先生も一定数存在しているからだ。その考え方は理解はできるが出来るうちに宣伝しておくことに悪い事は無いはずというのが私の信条である。仕事を選ばないタイプの人間だと自覚しているのでこういう商売人的発想になる。もしかしたら我が家の血に流れている商家の魂なのかもしれない。
次に話を通すべきは幹部だ。この三人に事情を説明する必要がある。その為に音楽準備室に呼び出した。話した反応は三者三様。ポカンとしている黄前さん。考え込んでいる高坂さん。目を白黒させている塚本君。その違いを観察しているのも面白かったが、それはそうと先に進む必要がある。
「驚いているかもしれないけれど、まぁ私はいつか来るとは思っていました。と言うのも、去年の時点でかなり話題にはなっていたので。ここ十数年府大会銅賞という結果しか出していないような高校がいきなりの全国進出。皆さん自身も凄い事だろうとは思っていたはずですが、恐らく皆さんの想像を遥かに超える規模で業界では話題でした。滝昇とは誰ぞ、どこの者だ、何をしたんだ! とね。それでもって今年の結果です。金でないのは悔しいですが……世間的には十分な成果だった訳ですね」
「つまり先生の仰り様だと、来るべき時が来たって事ですか」
「その通り。ま、強豪の宿命かもしれません。喜ぶと良いと思いますよ。全国区の局でしかも時間はゴールデンタイムですから」
「眩暈がしてきました……」
黄前さんは言葉通り目を回している。今までの人生でテレビに出たことなど無いのが普通だ。当然部長なのだからかなりしっかり映る事になるだろう。その負担たるや考えるに余りある。私は留学中に慣れてしまったけれど普通の高校生ではそうもいかないだろう。
「日時はこちらで選べるそうなので、ちゃんと選んでおきました。これなら画的にも良い物が撮れるだろうという判断です」
「この日って……デパート演奏会のリハ日ですか?」
デパート演奏は私が取って来た演奏依頼だった。京都市内のデパートの屋上で演奏をして欲しい、という依頼を受けている。日付は12月の23日。クリスマス商戦の真っ最中に人を集めるべくイベントをしたいという思惑だろう。百貨店はインターネットの発達とともに衰退を始めている。どこも必死だ。北宇治という無償労働力で人を呼べるなら、非常にコストパフォーマンスが良いと考えているのだろう。
とは言えこっちも演奏の機会と会場をタダで用意してもらえる。楽器運搬は向こうの負担だし、機会を最大限に利用する気満々だった。要するに、どちらもお互い利用し合いながら利益を得ようという話である。リハーサルはその二日前に体育館を貸切って行う。これならば翌日の12月24日に行われるアンサンブルコンテスト京都府大会ともバッティングしない。
「その通り。リズと青い鳥は人気なのでデパートでも演奏することにしましたね? 知名度は高いので、演奏シーンを映すには最適です。ですが、どうせなら最大戦力の北宇治を全国に見せたい。そこで提案なのですが、この日限定で三年生を呼び戻す、というのはどうでしょうか」
「特別演奏って事ですか? そうなると編成とかも弄らないといけない気がしますけど、その辺は……」
混乱状態の二人よりかはすぐに思考体制に入っている辺りはやはり高坂さんの優秀さを感じる。部長副部長も徐々に現実に戻ってきた。
「そこら辺は心配には及びません。コーナーの構成は結構時間を取ってくれているらしいのでリズと三日月の演奏も行けたらやろうと思っています。それプラスで練習風景や三人へのインタビュー、先生のコーナー合わせて20分くらいでしょうか? ナビゲーターは私が務めますので安心してください。留学時代に取った杵柄ですので。最後に演奏して〆が一番綺麗では無いかと考えています。編成に関しては大体は秋のコンサート用の編成を使う予定です。あれならAもBも関係なく吹けるはずですので。ソロは大会の固定。これでどうでしょう」
「受験もあるかと思いますが、大丈夫ですか?」
「声をかけてみないと何とも言えませんが、大半が飛んできそうな気がします。そこの調整は暇している元部長と元副部長がいますので、二人にお願いしようと考えています。当日の打ち合わせはまた今度しましょう。まずはこれを生徒に開示しないといけませんが……その前に一応聞いておきます。受けないという選択肢もありますがどうしますか?」
私の問いかけに三人は少しの間悩んだ。もちろん、受けたくない、練習の邪魔であると言うのならそれはそれで構わない。こちらの方針だ。文句を言わせたりはしない。しかしもし受けたいなら、それ相応にしっかり対応をする必要がある。下手なことをすると今の時代炎上しかねない。
「私は受けるべきだと思います。勿論不安要素もありますけど……北宇治の実力をはっきり示せるいい機会ですから」
「俺も賛成です。来年度の部員獲得にも役立つと思いますし」
「部長はどう思いますか?」
「私は……正直まだ実感湧いてないですけど、立華とかと同じ土俵に立てるなら、やる意味はあるんじゃないかなって思ってます」
「意欲的なようですね。先生からこの後保護者の方々への説明のプリントが渡されます。部員への説明は……どうしますか? 私がしましょうか?」
「あ、じゃあ、お願い…………」
そこまで言って黄前さんは口を閉じた。何かを考えているように見える。考える事は大事な事だ。急かすことなく待つ。きっと彼女は私の思った通りの答えを導き出してくれると思っているから。
「いえ、やっぱり私がやります」
「そうですか。それは頼もしいですね。では、よろしく頼みました」
「はい」
ここで私に丸投げするようなら少し個別面談するところだった。確かに私に投げてしまうのが楽だろう。今までずっと私がやってきた事だ。しかし、来年私はいない。その空間でこの仕事をやるのは部長だ。だからこそ楽な方向に流されず出来る事はやる。そういう精神が必要になってくる。彼女はしっかり成長している。自分で思っている以上に。先輩方が目をつけるはずだ。来年の展望に少し希望が持てててホッとした。
「それでですね、映像構成に関してですが、少し考えがありまして。今年一年間よく働いてくれたけれど目立つことの無い功労者にしっかりスポットライトを当てようと思います。すなわち、我らのマネージャーに」
「加部ちゃん先輩ですか?」
「そういう事です。折角の機会ですので、彼女にも日の当たる場所にいてもらおうかと。その上で提案なのですが……」
私は考えていた案を話す。これまで彼女に何か報いる機会は無いかと考えていた。しかし、中々機会というのは訪れない。だがここに丁度よく取材の話が舞い込んできた。お涙頂戴はそこまで好きではないけれど、それで日の当たる場所に持って行けるならばそれに越したことは無い。大したことをしてあげられなかった私の一番弟子に報いる機会がやって来たのだ。渡りに船以外に言葉が無い。
「私は良いと思います。でも、大丈夫なんですか? 向こうも簡単にウンと言ってくれるかは分かりませんし……」
「その辺は問題ありません。こちらも提案が受け入れられるように努力しますし……スポンサー降りると言えば、ね?」
「う、うわぁ……」
「何ですかその顔は。使えるものは何でも使うのが私の流儀です」
黄前さんはちょっと引くわぁという顔をしている。それに、どういう映像が受けやすいかはある程度理解しているつもりだ。恐らく断られることは無いだろう。上手く話しを運べれば、だが。そこら辺は割と自信があるので、任せてもらって構わないと思っている。
「先輩はどうされるんですか?」
「と、言うと? まぁ一応インタビューされたら答えはしますが、あくまでも主体は皆さんなので。普段通りに徹するつもりです」
これでも先生と一緒に二年間やって来た身だ。それ相応の話はする可能性があるが、肝心の演奏の際にどうするかは未定だった。
「だったら! 一つお願いがあります」
「お願い?」
「はい。一生のお願いです」
高坂さんが珍しく大きめの声を出して言う。彼女が何か自分の私欲を言うのは珍しい事だった。最初に先生になってくれ、と言われた時が印象深いけれど、それ以外にこんな激しくお願いを言うことは無かったように思う。ソロになりたいとかは私欲なのかもしれないけれど、そういう事以外でお願いとかをされるのは久しぶりではないだろうか。しかも一生のお願いなどとは。なかなか大袈裟なものだ。無理難題が来るのかと身構える。
「これは私とか秋子とか、一年生も、なんなら優子先輩とかからのものでもあるんですけど」
「それは壮大なお願いだね。出来る事だと良いけど」
「一緒に、演奏してください。これまでトランペットパートにいたのにずっと、大会メンバーにも加わることなく私たちを指導してくれました。パート全員がみんな同じ気持ちを持ってます。表では言いませんけど、特に優子先輩とかは。前に立っている姿を尊敬していますけど、最後にそういう場だからこそ、隣で吹いて欲しいです」
身構えたのが盛大な空振りで、思わず固まってしまった。そんなことをお願いされるなんて思ってもいなかったから。卒業式の時とかには演奏していたけれど、それはごく例外的。どんな大会でも演奏会でもお祭り系のイベントでも、私が共に演奏することは無かった。卒業式や入学式は手持ち無沙汰になってしまうため演奏に加わっていたに過ぎない。もちろん、先輩の卒業を祝いたいという気持ちも多分に存在していたが。
「なるほど……分かった。そこまで言うのなら一緒に演奏しようか。上手すぎる音に腰抜かして演奏停止しないように腕を磨いておくこと」
「はい。ありがとうございます」
深々と頭を下げると、彼女は残りの2人と共に部屋を後にした。
「……一生のお願いが一緒に演奏して欲しい、か」
席を立ち、窓を開ける。空は青く綺麗な雲が所々にかかっている。冬に半ば入りながらも秋の名残を残すように紅に染まる木々が、目に映る彩を刺激する。冥利に尽きる言葉だった。秋のどこか物寂しい空気に触れてか、胸がいっぱいになる。
「ありがとう……ありがとう……!」
何に対してかもはや分からない感謝を口にする。誰にも聞こえないだろう言葉が風に乗る。涼しい秋風が、濡れた頬を優しく撫でた。
北宇治高校吹奏楽部に正式はオファーが来たのはこの二日後。丁度、私が世界大会に向けた飛行機に搭乗するために空港で待機している頃だった。
「いよいよこの日が来ました。本日まで皆さんはよく練習してきたと思います。お客さんも多く集まっています。普段とは違う方式ですが、それに動じることなく素晴らしい演奏を披露してください」
「「「はい!」」」
先生の言葉に部員は大きく返事をする。今日は予定していた通りアンサンブルコンテストの代表選出を兼ねた演奏会を行う日だった。体育館は満員御礼の言葉通り、用意したパイプ椅子に空席は無い。それどころか立ち見のお客さんまで詰めかけていた。それに加え、欄干の上からは手の空いている先生方まで来ている。自分の職場で演奏会が見れるなら、ということで多くの先生が来ていた。中には教頭先生の姿も見える。
「祝・ウィーン国際器楽コンテスト第一位、吹奏楽部・桜地凛音」の文字が入った垂れ幕は、全国大会銀賞を祝する垂れ幕の横ではためいている。まだしばらく私はヨーロッパで君臨していられそうだ。尤も、枕を高くして眠れるほどではない。いつでも私を追い落とそうと実力者たちが牙を研いでいるのだから。油断大敵だ。慢心は一番の命取りになる。この成果を維持できるように努めないといけないのだ。
この演奏会が終われば、ソロコンテストの審査も行われる。あっちはあっちで大分白熱することが今から予想されているので、あの長時間の話し合いが今年もあるのかと思うと少し気が滅入っていた。しかし今は取り敢えず目の前のことに集中しないといけない。今回の演奏会における役割は、当然持っている投票権を使ってどこの編成が相応しいかの投票を行うこと。同時に、各員へのアドバイスなどを書くことだ。66人分書くので、これも中々に大変である。もう面倒なので、一回全部筆記体で書いて後でタイピングしようと思っていた。
第一編成の「ヴォルケーノ・タワー:7人の打楽器奏者のための」は「ヴォルケーノ・タワー」という架空の物語をテーマにした曲である。打楽器だけの編成であるため、他とは少し毛色の違う演奏になっていた。堺さん率いるチームは想像力を武器にこの曲に挑んでいる。よく部員をまとめているようで、乱れの無い叩き方は来年のパーカッションの安泰を思わせる。
第二編成は「精霊たちの踊り」だ。「オルフェオとエウリディーチェ」という歌劇の中に登場する楽曲になっていて、作曲者のグルックの代表曲でもある。儚く美しい旋律をクラリネット四重奏が奏でる。中間部に哀調を帯びた旋律は清楚で優雅な趣を呈していた。儚さは一歩間違えると弱々しいという印象を与えてしまうので、ここまで綺麗に吹きこなせているのは流石だろう。南中で妹を支えていた北山君を筆頭にいい音を出している。
第三編成は「『高貴なる葡萄酒を讃えて』より五楽章 フンダドーレ…そしてシャンペンをもう一本」。この曲は中高生に非常に人気が高い。アンサンブルコンテストでも定番の曲で、まさに多くの吹奏楽部員を酔わせていると言えよう。この編成は今年の大会に出ていないメンバーが吹いていていたが、それでもそれを感じさせない演奏をしている。遊んでいたわけでは無いというのを証明していた。この調子ならば、吹いている何人かは来年の大会も望みが大きいだろう。
第四編成は「月明かりの照らす3つの風景」。ストーリー性のある音楽をテーマにしている作曲家だけあって、この曲も非常にストーリー性がある。1楽章は月明かりの風景、2楽章ではその風景への感情、3楽章はその風景の中にある躍動的なものというイメージで作曲されている。とは言え、それはあくまでも作曲者のイメージ。どう味付けをするかは演奏者に託されていた。ジーグ風、サルタレッロ風の躍動的感溢れる主題が特徴の曲を、二年生フルートの三人が吹いている。希美と井上の薫陶を受けた世代だけあって、実に表現力豊かだ。今日は客席にいる希美も喜んでいるだろう。
第五編成は「金管七重奏のための”ティータイム”」。緩急の激しい曲で、急ー緩ー急という様相を呈している。急の部分は軽快でリズミカルな演奏になっているし、緩の部分は情感豊かに滑らかな演奏をしなくてはいけない。各パートに見せ場があるこの曲は、演奏者にとっては楽しい曲だろう。リズミカルさと歯切れの良さを持って演奏されており、練習量の多さを感じさせる。久石さんが呼びかけたチームだが、練習を引っ張っていたのは私の三番弟子こと吉沢さん。普段の量をやろうとして後輩たちを驚かせていた。その後ろに二年全国出場の経験は伊達ではないと、鈴木美玲さんも続いている。それでも軽快なトランペットは頭一つ抜けていた。
第六編成は「サクレクールの風」。フランスの首都花の都パリにはモンマルトルという最も高い丘があり、そこにあるサクレクール寺院の風をイメージして作曲された。サクレクール寺院は一次大戦時終結の年に完成し、フランスでは普仏戦争以来の対独復讐成功の象徴として愛された。私も訪れたことがあるが、私よりももっと偉大な芸術家たちの多くも足を運んでいる。全編を通して各楽器が鳴りやすい音域の曲であるため、演奏者たちもサックスの持っている一番いい音を出すべく努力していた。
第七編成は「革命家」。この曲の革命家が誰を指すかは諸説ある。一つはキューバ革命に代表される革命家チェ・ゲバラを指すという説。もう一つは作曲者であるアストル・ピアソラを指すという説。彼はアルゼンチンの作曲家・演奏家で最も有名なタンゴ音楽家であり、その二つ名はタンゴの革命家であった。熱く緊張感のある音楽世界が見事に再現されている。アルゼンチン音楽の雰囲気を残しつつ、エネルギッシュなクラリネットの演奏は聞くモノを酔わせるだろう。技術面で見れば、一番の演奏だった。私もここに票を投じる事になる。来年の主力は間違いなくクラリネットだろう。
第八編成は「『小組曲』より Ⅳ.バレエ」。作曲者は音楽をそこまで知らない人にも有名なフランス人にして、19世紀後半から20世紀初頭に最も影響力を持っていた音楽家ドビュッシー。元々はピアノ用に作成された曲であるという。バランスに細かな注意を要する曲であり、音の表現以外にも曲の方向性などもしっかり意識しないといけない。気難しいことで知られた作曲者らしい曲と言えるかもしれない。一年生で構成されていたメンバーだが、クラリネット主体だからかもしれないが、やはり上手い。来年の木管は期待できそうだ。
第九編成は「フロントライン~青春の響き~」。この曲はキャッチ―かつライトなカッコよさを求めて作曲されていた。映画音楽の一つであり、作曲者曰く、和風な曲を提案したら監督に全没を食らった後に作成されたらしい。歌物のような曲に仕上がっているという談の通り、AメロBメロサビのような構成になっている。全没を食らう悲しみは私も作曲業をしているからよく分かる。あれは結構辛い。小日向さん以外は二年生で構成されている。釜屋さんと加藤さんはどの程度成長したのかを見る機会でもあったが、あれならば問題なく来年の大会に出れるだろう。ソロコン勢の井上さんや高坂さんは言わずもがな、黄前さん塚本君の幹部コンビもいい味を出している。
第十編成は「6つのメヌエット」。作曲者はドイツが誇る三大音楽家の一人、ベートーヴェン。世界で最も有名な楽聖その人である。同名のタイトルでピアノ編曲版も存在しているが、今回はあまり演奏の機会の無い弦楽器版である。これを選択してくる辺りに、川島さんの知識量が伺えた。穏やかで温かみのある旋律は聞く者に安らぎを与える曲になっている。流石楽聖、ピカイチの作曲をコンバス師弟が見事に演奏していた。川島さんは来年も変わらず、部のエースとして君臨するだろう。月永君に残り一年でどこまで技術を伝授できるかは彼女の腕にかかっていた。
第十一編成は「3つの小品」。フランス人作曲家イベールによって書かれた洒脱なメロディーが特徴の曲である。流れるような演奏は、高い実力を要求されるのは間違いない。その旋律からは既成概念や様式に囚われない自由奔放な精神が感じ取れるだろう。第1楽章は力強いシンコペーションの主題を持つ序奏部に始まり、舞曲風の主題を何回も繰り返す。第2楽章はフルートとクラリネットが織りなす旋律の綾が美しい。第3楽章はスケルンツァンドと中間部、更に最後はコーダで踊るクラリネット・ソロによるワルツが特徴だ。剣崎さん中心に編成されたこともあり、練習も彼女が引っ張っていた。二年生唯一のパートリーダー。その手腕も期待できそうだ。
第十二編成は「6つのトリオ」。作曲者のライヒャはチェコ出身の作曲家、音楽理論家だ。今でも演奏される曲は管楽が中心になっている。ホルン三重奏であるこの曲は、ホルンの優しくのどかな音色が大きく押し出されている。秋の香りが漂う広大な光景を想起させるメロディーと音色は、この時期にピッタリかもしれない。ホルンの定番曲として有名なのも納得だ。リーダー格だった瞳さんはよく成長した部員の一人だと思う。ゴシップに精を出していた彼女も、今年はしっかり後輩の育成をしている。或いは、森本さんに教えられていたことを伝えたいという意思もあったのかもしれない。
第十三編成は「スペイン舞曲集より ガランテ、バレンシアーナ―ナ」。作者のグラナドスはカタルーニャ地方出身だ。奇しくも、昨年の課題曲であるプロヴァンスの風において最初のスペイン部分を担っている地域でもあった。バレンシアーナ―ナはロシアの作曲家セザール・キュイに捧げられた曲だ。リズム重視の曲は、合間に小さな旋律を挟みつつも、リズム中心で演奏されている。装飾は拍頭に置いて奏した方がスペイン的なリズムになりやすいとアドバイスしたが、それをしっかり守っていた。サックスの三重奏が異国情緒を奏でている。瀧川君も牧さんも鈴木君もいずれも実力者。来年の大会はサックスも堅実な奏者が揃っている。
第十四編成は「フラワー・クラウン」。タイトルは花の冠。幼い頃を思い出す人もいるであろう曲名だ。ヨーロッパでは永遠の幸福の象徴とされることもある。親しみやすく可愛らしいメロディーが特徴になっているこの選曲は多分優子の趣味だ。アレグロの部分は慈愛や幸福を、中間部は結婚行進曲のようなイメージを持って作曲されており、全体的に明るい印象を与える。編成は三年と一年という異色の編成になっている。引退したとはいえ、一度は全国まで行ったコンビがそうそう簡単に腕を落とすわけもなく、トランペットとユーフォは息ピッタリである。フルートもそれを理解しているようにスッと静かにそれでいて確かな演奏を行っていた。細野さんと籠手山さんは妹に随分と色々叩き込まれたらしい。どうせなら、ということらしいが、練習量は中々大したものだった。
なお、希美はこの「フラワー・クラウン」のフルートが好きらしく、妹が演奏するのをうらやんでいた。休憩がてらに吹いていたその演奏は高音を物ともしない美しさで、リズと青い鳥を吹いていた頃の輝きを全く失っていない。引退した先輩に負けていると思ったらしい妹は悔しさ満面の顔で練習していた。
かくして、各々の今持てる全力を込めた演奏が終了した。観客は皆満足という顔をしている。その後行われた投票は、部員も観客も楽しみながら行っていたように思う。そして、私の所にその結果が届けられた。
凄い数あるのだが、大事なのは部員の投票の方。編成の数字を書くだけの大したことはない投票の仕方だが、一応しっかりチェックはしないといけない。私が一通り確認し、松本先生に渡す。その後滝先生のチェックが行われ、三重の確認の末に集計作業が終了した。音楽室にいる部員たちは今か今かとその発表を待っている。こういう発表の係は松本先生の役目だった。
「皆、揃っているな。これより、アンサンブルコンテストの結果発表を行う。まずは部内投票のみだ。一般投票は数百枚を数えている。現在集計中なので、明日以降の発表となる。それでは第一位から」
「「「えぇ……」」」
「何だ? ゴホン! 第一位から発表していく。一位、第七編成の「革命家」。二位、第五編成の「金管七重奏のための”ティータイム”」。三位、第十三編成「スペイン舞曲集より ガランテ、バレンシアーナ―ナ」。以上が順位になる。よって第七編成のクラリネット四重奏、植田日和子、高野久恵、高久ちえり、松崎洋子の四名が府大会に代表として出場する。以上だ」
選ばれたメンバーは喜色満面といった具合だった。滝先生も言っていたが、来年度はクラリネットを主力に据えて構わないだろう。他にもウチのトランペットを筆頭に上手いパートは存在しているが、平均値が高いことではクラリネットの方に軍配が上がる。妹曰く、チーム平和主義を主張していた久石さんは今すぐにも地団駄を踏みそうなくらい悔しそうな顔をしている。なお、一般投票でも二位だったことでそれは一層加速されたそうだ。
何はともあれこれでアンサンブルコンテストの代表は決定し、今度は僅か五枠を巡りしのぎを削る、ソロコンテストの代表選考会が行われようとしていた。