大学受験というものは、国公立まで伸びなければ早いと二月の中頃で終わってしまう。特に私立専願の生徒はその傾向が強かった。三年生は例外を除いては皆受験勉強に必死になっている。それはそうだろう。高校生にとっては受験や大学が将来の全てを決定すると思えるのだろうから。世界はそんなに狭くないし、まだまだこれからな部分もあると大人や一足先に社会に出ている身としては思うけれど、そんなの成功してるから言える言葉に過ぎないと言われればそれまでだ。何せ、日本はまだまだ学歴社会なのである。
にも拘らずというか、吹奏楽部の三年生は例外が多い。そもそも幹部陣からして二人が既に大学を決めている。いわゆる推薦受験だ。これに該当するのが優子と夏紀。残りの二人である希美とみぞれの内、後者は音大推薦を勝ち取っているので残りは希美だけである。彼女だけが、割と真っ当に受験をしていた。しかし、志望校の受験はすべて終え後は結果待ち。それ以外の学校は受かっているので行先は確保している状態だった。私は当然大学ではなく就職先である。
他の吹部三年の進路も大分情報が入って来る。滝野は地元の私立大学、加部は同じく地元の公立大学だ。後藤は東京の専門学校に受かったし、医学部受験で泣きそうになっていた岩田も何とか私立の医学部には受かったと聞いている。その他にも概ね進路を確保していると、滝先生経由で情報が入ってきている。喜ばしい報告だった。滝野の合格を喜んでいたのは、妹の滝野さんや先生方よりもウチの妹かもしれない。彼氏が暇になったのは喜ばしいことなのだろう。
私の今の心配事は、果たして貯金はどれくらいできるのかということだ。副業は本業に支障が出ないならばOKという、欧米あるあるという感じであったが、そんな余裕があるのかも現状ハッキリとは分からない。流石に吹部の頃よりは忙しくないと信じている。あんな生活はやりたくない。身体を壊してしまうだろう。ともかく、将来の資金を考えておかないといけないので、お金はあるに越した事は無かった。
「メッチャドキドキする」
希美はそればかりを繰り返していた。彼女に渡したお守りは上手く仕事をしてくれたのか、しっかりと試験は受けられ、五体満足で帰還してくれている。私の奥底にあるトラウマが、試験を無事に受けられることが肝要なのだと叫んでいたのだ。帰って来てくれた。それだけで嬉しさを感じている自分がいる。
試験はもうない。だから彼女は、代名詞としてではなく関係性の方の
雪の降る街。外を見ればグレーの空に白い雪がちらついている。今日も相変わらず寒い。その寒さを何とか暖房で紛らわせているが、なにせ元が断熱材……? そんなものはない、というような木造建築。寒さは身に染みる。床暖房などという贅沢品は生憎存在していない。絶対将来リホームしてやると毎年思い、毎年果たせずにいた。
「ま、なるようにしかならないよ」
「むー、他人事だと思って」
「そんな事は無いけど、ソワソワするのは本人だけで十分。私も結構ドキドキしていることに変わりはないし。でも二人してアワアワしてるとなんか余計に心拍数が加速しそうだから、こうしてるんだよ」
「……もし、受かってなかったらどうしよう」
「最後までそんな事考えない。受かる気しかしないぜ! みたいなノリで行くんだよ。私は昔そうした」
「鬼メンタルの人にしかそんなのはできませ~ん!」
彼女はケラケラと笑いながらそう言った。案外余裕はあるらしい。こればかりは私にはどうにもできない。祈るしかないのが現実だった。時計の長針は文字盤の11を過ぎた。後300秒ほどの後に、運命が定まる。これまでやって来たことを考えれば受かるはずだとは思っている。しかし、それは私の希望的観測に過ぎないのかもしれない。だけれど私の横でソワソワと指を絡めては解いている彼女の顔が曇って欲しくはなかった。
私は彼女を曇らせた。それは事実だ。変えられない事実。遠い昔でありながら、私のとってすれば昨日の出来事のように思い起こされる。優しさだけではいけないと思っていたあの頃の自分を殴りたい。あそこでもっと違う選択肢はあったのではないか。今でもそう思う。結果良ければすべてよし。これも真実ではあろうけれども、私は彼女を泣かせたかったわけではないのだ。
だからこそ、もう二度と、少なくとも私が原因で彼女を泣かせまいと誓った。長考をしているうちに長針はかっきり12を指し示す。パソコン上の時計も12:00という表示になる。彼女は震える手でパソコンを操作した。一つ一つ丁寧に受験番号を打ち込んでいる。合否発表確認のボタンの上でカーソルが止まった。
彼女は無言で深呼吸をする。そして、クリックした。
合格。おめでとうございます。この文字が簡素に画面に表示される。何とも呆気ないというか、無機質なページだった。けれどそこにあるのは彼女の努力の成果。他のごまんといる受験生を上回った証。少し古い言い方になるのかもしれないが、大輪の桜だった。
「あ、え、う、受かった。受かった!」
現実を飲み込んだ彼女は大きく目を見開いて私を見た。その目元には涙が浮かんでいる。私たちは手を握り合いながら合格の幸福を分かち合っていた。彼女の顔を見ていると、夏以降必死に努力してきた彼女とそれに付き合った思い出が呼び起こされる。同時に、それ以前の思い出も。思わず彼女を抱き締める。
「ありがとう! ありがとう!!」
私の胸元で涙を流しながら、曇った声で彼女は言った。私も貰い泣きしてしまう。我が事のように嬉しかった。自分がオーディション受かったときも大学に受かったときも泣きはしなかった。だというのに今私は彼女の合格で大泣きしている。自分のことよりも、ずっとずっと嬉しかったのだ。
家のリビング。そこにあるソファで抱き合いながら泣いている奇妙な十八歳二人組の姿がそこにあった。
「いつまでも泣いている場合じゃないじゃんか!」
五分か十分かした後、私はハッとしたように声を上げる。目が真っ赤でウサギみたいになった希美は上目遣いで私の胸元から顔を上げた。今の姿勢はソファで私が下敷きになりながら彼女が上に乗っかって泣いていたので非常に色々アレなのだが、それよりも大事な事がある。
「家族に連絡!」
「あ、しなきゃ」
希美は私の上から降りるといそいそと携帯を取り出し、廊下に出て電話をかけ始める。家族、そして学校。最後に友人。そういった存在にお礼を言ったり報告するのは当然のことでもあった。
パソコンの画面には変わらず合格の文字がある。受験番号は何度見ても合っていた。もっとかっこいい感じにしろよ、と大学に冗談っぽく心の中に言ってみる。どうもハイになってるみたいだ。鼻歌でも歌いたい気分だった。ご飯は食べていくと言っていたので、ちょっと豪華めの昼ご飯にしよう。そう考えて献立を思案する。
「終わったよ」
「学校とかにも言った?」
「うん。先生も喜んでた。後、優子と夏紀とみぞれにも言ったよ。おめでとうってさ。嬉しいね」
エへへと彼女は照れるようにして笑いながら言う。称賛は自信を持って受け取るべきものだった。彼女は褒められるに値する努力を行っていたのだから。それも、長い事ずっと。
「涼音ちゃんにも連絡したよ。流石にLINEだけど。速攻で既読付いた」
「まだ授業中なのに……。何してんだろ、あの子は」
「まぁまぁ。スタンプのおめでとうが止まらないんだけどね」
「ホントに何してんの?」
この後、我が妹は人生初の授業中にスマホを隠れて触るという行為を行い、自己嫌悪に陥った挙句自己申告しようとしたらしい。久石さんに全力で止められたようだが。最近大分はっちゃけられる友達が出来たようだ。
「まぁともかく……おめでとう。これで晴れて春から音大生だ」
「だね。……卒業かぁ」
「しないと音大行けないよ? もう一回三年生やる?」
「凛音も一緒なら……」
「考えるな考えるな。その前提だと私も留年じゃん。勘弁して」
「あはは」
彼女はひとしきり笑った後私に向き直る。背をピンと張って、真っすぐ私を見据えている。キリっとした顔は大分凛々しく見えて、普段とは違うカッコ良い感じの顔が見れた。この雰囲気の彼女も好きだ。
「これまで、ご指導ご鞭撻ありがとうございました」
そう言うと彼女は深々と頭を下げる。しっかりとケジメを付けるという意味と、勿論感謝の意味も込めて彼女は私へ礼を言ったのだろうと思う。彼女はここで余計な含みをするような人じゃない。
「こちらこそ、ありがとう。いい生徒だった。後でお嬢にも連絡しといてね。気にしてたから」
「分かってる。それと、これからは人生の方で末永くお願いします」
「こちらこそ」
「……」
「……」
「あれ、今のって……」
「お父様とお母様に挨拶をした方が良いか? 式場と指輪はちょっとまだ資金が……」
「ち、違うの! プロポーズとかそういうのじゃなくて~」
「え、何、末永くしたくないの? 悲しいなぁ。私はそのつもりだったのに」
「もう、揶揄わないでよ」
頬をぷくっとしながら彼女は言う。不意にその膨らみを押してみたい衝動にかられるが、押すと多分大変な事になりそうなのでやめておいた。
「結婚はまだ先としても」
「ふひゅぅ」
良くわからない声が彼女の口から洩れた。さっきまでの凛々しい顔はどこへやら、赤くなったまま目が泳いでいる。大丈夫だろうか。
「自分の好きな人をこういう素晴らしい人に育ててくれた人に一回会ってみたいと思うのは当然でしょ? お礼というかの意味も込めて挨拶したいし。できれば気に入ってもらえたらその後の色々が楽になったりするだろうから」
「そ、そうなんだ。素晴らしい人……えへぇ」
「ご両親はどんな感じ?」
「お母さんは普通の人だよ? まぁ明るい系かなぁ。話しやすいとは思うけど。お父さんは……真面目系。堅実思考なタイプだと思ってる」
「芸術系はあんまり好印象じゃないかな?」
「どうだろう。でも、凛音の場合はもうちゃんと就職先あるから大丈夫じゃないかな? なんか言ったら……」
「大丈夫大丈夫。その時は私がしっかり話をするから。大事にここまで育ててきた娘をよくわからん奴には任せられないってのは私も分かるし。私だって涼音をどこの馬の骨とも知らない奴には任せたくない」
「滝野君は良いの?」
「……及第点ではある。悔しいけど」
事実、彼は私ではどうにも出来なかった部分を補ってくれた。そこには非常に感謝しているのだ。ただ、あまり認めたくないだけで。世の中の父親の気持ちは何となくわかる気がしていた。
「よし!ご両親のこともちょっと分かったし、合格したし。今日のお昼は少し良いものにしましょう!」
「いえ~い!」
「じゃ、ちょっと手伝って」
「はいはーい」
彼女は慣れた手つきで冷蔵庫を開ける。お昼を食べたらどの道学校へちゃんと報告に行くつもりであったので彼女の服は制服だ。私も練習を見に行かないといけない。高坂さんの指導が存在しているのだ。学ランは動きにくいからあまり着ない主義なので、私はシャツだけ。希美は茶色いセーラーを着ている。冬になると外に出る際はコートを着ているので、今は少し脱いだ格好だった。
制服の上にエプロン。個人的には大変映える取り合わせに思える。希美だからこそそう思うのだというのは勿論あるが。妹がそうしていても特に何も思わないし、他の子でもそうだろう。彼女だからこそ、私の心は揺さぶられるのだ。ありていに言えば……あ~好きと言った感じ。語彙力がどっかへ行っているが、仕方ない。男子なんてこんなものなのだ。
あれこれと話ながら手を進めていく。日常的な非日常。この矛盾しているようで矛盾していない空間が私は好きだった。この温かさが、冬の寒さも気にならないほど暖かく思えるのだから。
「……入りづらい。私のお昼ご飯は……買ってきましょうか。愛を主食に生きてる若い子の邪魔はできませんからね……」
雫さんが玄関をこっそりと出ていき、コンビニの袋を片手に帰還したところで二人して存在をすっかり忘れていたことを平謝りすることになるのだが、それはまた別の話。
希美から電話がかかってきたのは休憩時間中だった。卒業するまで練習には付き合うと宣言している以上、下級生が普通に学校に来て普通に部活をやっている日は私も登校しないといけない。尤も、授業は無いので午後だけの参加になるのだが。
段々と高坂さんの指導も様にはなってきた。とは言え、今まで奏者だったところをいきなり指導者をやれと言われたにしては、という前置きがまだ存在している。両者には求められている能力が違う。しかし、両方経験することが音楽的に活かせないかというとそんな事もない。両方を経験することで、彼女自身に更なる成長をしてもらうことも大事な事だった。練習が一段落し、後輩の相談に乗っていた時に電話がかかってくる。断りを入れて廊下に出て応答した。
「何かあった?」
「日本からいなくなるのっていつだっけ」
「4月の一週目の予定」
「あ、良かった~。バンド観に行かない?」
「……バンド?」
彼女にそういう趣味があるとは知らなかった。どちらかというとそういうのは夏紀の専売特許だと思っていた節がある。
「誰の?」
「菫がさ、カフェ貸し切りでバンドやるから、お客さん集めてるんだって」
「あー、チケットノルマ?」
「そうそう、そんな感じ。1500円で卒業記念イベント。どうかな?」
「まぁ行くのは良いけどさ。ただ……私が行っても大丈夫なの?」
「全然良いってさ」
「そっか。じゃあまぁ、喜んで行かせてもらうよ」
「分かった。菫にも伝えておくね」
「あぁ、頼んだ」
楽しそうな声色で電話は切れた。菫と言われて一瞬だけ戸惑ったが、すぐに名前が分かった。若井菫。元サックス奏者で……南中出身。昔辞めた部員の一人だった。吹奏楽部を辞めてからはインストバンドを組んでいたのは知っている。具体的に何をしているのかまでは詳しく知らなかったけれど、カフェを貸し切れるくらいには活動をしていたみたいだ。
彼女らと私の関係は複雑だ。希美と彼女たちは割と普通にやれている部分もあった。しかし私はそういう訳にはいかない。希美と疎遠だったのもあるし、それ以外にも色々理由がある。私はあの時、当時の顧問を嘲笑う彼女たちに内心辟易していた。希美はそれには加わらなかったし、優子は消極的だった。盛り上がっていたのは別の生徒たちだった。
彼女たちは私に何かを期待していたのをよく覚えている。改革派の旗頭として何かをしてくれるんじゃないかと。けれど私は何もしなかった。確かに三年生は嫌いだった。面倒だし、うざったいし、性格が悪い。けれど顧問はそこまで嫌いでもなかったのだ。あの人にはあの人なりの信念があったのだろうとは思っていたから。賛同はしないが、それでも自分たちの方が上手く行くという意見には賛同できない部分があった。その傲慢さを鼻で笑ったのは、私の記憶に鮮明に焼き付いている。知りもしないだろう、全体を指揮する大変さを。そう思い、だからこそ私は改革派の旗頭にはならなかった。話も愚痴も聞いたが、動きはしなかった。そしていつしか、改革派の先導者は希美になっていたのだ。
辞めるときに大喧嘩したが、その前にも少し言い争いになっていた。どうせ今年も大会は銅賞だ。夏の初めにいなくなる存在なのだから待てばいいのだと。あの時私に話してくれたのは、彼女なりの誠意だったのかもしれない。私をこの部活へ引きずり込んだことへの。
ふぅ、と小さく息を吐く。向こうがどう思っているのかは分からない。もしかしたら私は裏切り者なのかもしれない。話すこともほとんどなかった。クラスも違ったし、二年生以降は部活で大忙しだった。もう向こうの中では終わった事なのか、それとも希美の前だから喜んで了承したことにしたのか。だが、どちらだったとしてもこのままではいけないとは思った。
卒業した後になろうとも、この国を発つ前にやり残した最後の課題をするべきなのかもしれない。あの時の宿題が、今になって目の前を明滅している。まるで夏休み最終日にやっていなかった宿題を発見してしまった小学生のような気持ちだと思った。人生なんて、どちらを選んでも後悔するもの。もう戻れないのだとしたら前を向くしかないのだから。
「それで、予定より早く来てくれと言って私を呼んだと」
場所は老舗の喫茶店。女子会と称して四人で集まるという話は聞いていた。希美とみぞれの合格祝いだそうだ。私は呼ばれていたのだが、生憎遅れての参加をせざるを得なかった。もちろん、友人は大事だ。祝う気持ちもある。けれど部活も大事なのだ。
吹奏楽部の方は来年度に向けての最後の調整に入っている。春休みも色々とあるようだが、それも含めての調整だった。高坂さんを一定のレベル以上に仕上げるというミッションはほぼ達成されている。しかしまだ不安がないといえば嘘になる。なのでちょっと遅れて参加するつもりだった。
けれど、希美から「たすけて~」という情けない声が聞こえてきたので、一体何事かと思い、少し早めに抜け出して駆けつけてみたのだが。そこにはお腹を丸くした四人とまだまだ残っているパフェらしきものが存在していた。それを見た瞬間に事態を察する。
私が来る予定なのを良いことに、ジャンボパフェ(大食い用、お値段脅威の五万円)を頼んだのだろう。止めておけと前に言ったのに……と若干呆れつつも席に座る。向こうのほうに見えた男子大学生らしきグループが女性陣に囲まれている私に嫉妬というか唖然というかの目線を向けている。安心して欲しい。私は別に浮気者でもハーレム野郎でもない。私が恋愛面で好きなのはたった一人である。
「ごめんね~」
「君らはさぁ……。まぁ良いけど」
希美からスプーンを借り、パフェの残骸と格闘を始める。それぞれで皿に取り分けていたようだけれど、限界が来たみたいだ。まだ半分くらい残っている。これは運動しないといけないなぁと思いながら、口に運び続ける。資本主義の暴力みたいな甘い味がした。アメリカで食べたお菓子を思い出す。だからアメリカは苦手なんだ。
「何日に行くの?」
「4月の5日とか」
「意外と遅いのね」
「結構ギリギリまで引き延ばした。卒業旅行は行きたい」
優子の問いに答える。口の中が甘ったるいので、珈琲を注文した。
「と言うか行き先は決まった? 今年の幹事誰?」
「伊勢志摩が良いじゃないかっていう話になってる。幹事は未定」
「伊勢志摩か……スペイン村? あそこ空いてるよ。それはともかく、早めに予約しないと埋まると思うけど、ホテル。この時期なんて行きたい奴で溢れてるから。学生にしろ、そうでないにしろ」
「分かってるわよ。でもみんなまだ忙しいし」
「頑張れ部長殿」
「元ね、元」
優子は大変そうだ。卒業旅行云々に加えて、例のライブでも演奏するらしい。そっちの練習でも忙しそうにしていた。何だか受験が終わっても一番バタバタしているように見える。なお、私は幹事をやっている場合じゃない。限界まで高坂さんを鍛えたかった。
「ソロコン関西どうだった?」
昨日行われたソロコン関西大会の結果は、中々良いモノだった。
「最高。高坂さん全国二度目だよ」
「やっぱ凄いわね、高坂」
「何とウチの妹も全国でーす!」
あ、シスコンが騒いでるという目で四人が見てくる。
「何ですか、その目は。快挙でしょ快挙。流石ウチの妹だよね」
「まぁ結果は素晴らしいと思うけどね? ただテンションが明らかにおかしいから」
夏紀はちょっと引き気味の声で言う。この結果は非常に喜ぶべきモノだった。高坂さんは二度目の全国大会で今度こそトップを狙いに行っている。川島さんや高久さん、井上さんもしっかり金賞を勝ち取って帰ってきている。垂れ幕が何本も学校の正面の目立つところに垂れ下がっていた。教頭先生もほくほく顔である。
涼音は高坂さんに負けないと張り切っていた。それはもちろん出るなら勝ちたいという想いもあるだろうけれど、DMを行う高坂さんに意見できるように実績を積みたいという想いも感じる。DMへの一極集中を避けたいようだ。
話はいつの間にか恋愛事情の話になっている。女子の話はいつもコロコロと移り変わっていくので大変だ。まだ終わらないパフェに入っていたコーヒーゼリーの山が私が話に付いて行くのを阻害する。アイスだけ先に食べられたせいで味がいまいちしない。
「好きな人なんて、いつか自然とできるよ」
「うっわ、流石は希美さん。言う事が違いますわ」
「そういう夏紀だってそこそこモテてるのに」
「部活が忙しすぎて恋愛どころじゃない」
「忙しさも吹き飛ぶものだよ、恋って」
「なんか負けた感じが凄いんだけど」
ガクッと肩を落とした夏紀はコイツをどうにかしろとピンクのオーラを出し始めた希美の方を目で示しつつ、私にアイコンタクトを取ってくる。私は負けじと目の前の甘味を指さした。途端に目を逸らされた。
「部活のせいで男子といても刺激が足りない気がする」
したり顔の優子に夏紀はウエハースを口に突っ込んだ。私のウエハースが奪われ、より味のバラエティーが減っていく。巨大な砂糖の塊は何とか底が見え始めてきた。
「付き合ったことないくせに」
「いつでも出来るから!」
「アンタみたいなのに付き合えるのはそうそういないでしょ。性格がほら、アレだし」
「アレって何よ、アレって!」
バンバンと優子は机を叩く。男子からの人気は結構あるのだ。先輩後輩同学年を問わず、告白はかなりされていたように思う。しかし身近にいる男子、特に吹奏楽部の男子で告る人間はいなかった。性格が悪いとは言わないが、苛烈というかハッキリとモノを言うタイプなのでそこが苦手という男子もいるのだろう。私はあまり悪いとは思わないが。
「私はみぞれの方が心配だ」
「私?」
「そう。飲み会とか気を付けるんだぞ? 世の中は悪い奴があふれているからな」
イマイチ想像できないようで、彼女は首をかしげる。彼女が恋愛している様子はいまいちピンとこない部分もあるが、好きになる存在は多いだろう。そして、おそらく彼女はそれを受け入れない可能性が高いようにも思えた。美人である自覚のない存在は一番危ない。自分が可愛いと分かっている人は自衛をしているのだが、そうでないと危険も多かった。
「ダメだぞ、前後不覚になるほど飲んだり、飲み物残った状態でお手洗い行ったりとかしたら」
「?」
「ちょっと、変な事教えないでよ」
「そうそう」
「いやいや、男の中にはクズ野郎もいるんだって。海外だと多いんだぞ。私もリアルで遭遇しかけたことあるんだから」
住んでいた下宿先は一階にバー兼レストランみたいな店があった。そこで時々手伝ったり無償で演奏をする代わりに家賃をまけて貰っていたのだ。そういう場所では色々ある。日本も海外も、酒のトラブルは絶えない。
「そこはキチンと私たちで守るから。ね?」
「いや、そこは希美がまず頑張るのよ? 同じ大学なんだから」
「勿論そうだけどさ」
「でもいざ本当にみぞれに彼氏が出来たら寝込むかも」
真面目そうな顔で真面目とはあまり言えない話を優子はする。同意するように残りの二人が頷いた。みぞれ本人は当惑した顔をしているので、なぜ寝込むのかがいまいち分かっていない感じがある。私は寝込みはしないだろうが、驚嘆する気はした。パフェはやっと下のシリアルにたどり着いた。あと少しである。
「みぞれはデートとかしてみたい?」
「デートじゃないけど行きたい場所はある」
これ、と彼女が出したのは遊園地のパンフレットだった。どこかで見た事があるなぁと思い、家の中に割引券が存在していたのを思い出す。親の知人が送ってくれたものだった。両親は既に鬼籍に入っているが、変わらず私とも付き合いを続けてくれている人は多い。そんな中の一人からだった。
「遊園地か、意外ね」
「でも良いんじゃない? 確か今の時期はイルミネーションもしてたし」
「まだギリギリ二月だから空いてるしね」
「みぞれはなんで遊園地に行きたいの?」
「楽しそうだから」
「素晴らしい理由ね。今すぐ行きましょう。明日にでも」
「張り切りすぎ」
鼻息の荒い優子を一瞥し、夏紀はテーブルに肘をつく。
「私は明後日ならいいよ」
希美の返答にみぞれは器用に目だけを輝かせている。
「そこの遊園地なら割引券持ってるから、四人で行ってきたら良いんじゃない? 丁度券は四枚だし。貰い物だけど使い道がなくってさ」
「家族と行かなくて良いの? もしくは希美とか」
「妹は彼氏とUSJ行くからいらないってさ。希美は別のがあるから。私はこの後しばらく毎日登校だし、たまには女子会で楽しんでくるといいと思うけど?」
「ありがたく頂戴します」
「あとで希美に渡しておくから」
遊園地は偶数で行った方が良い。これはある種の鉄則だ。これを破ると結構面倒な事になる。
「ありがとう」
みぞれはぺこりと頭を下げる。薄い唇に微かな笑みが浮かんでいる。
「喜んでいただけて何より。代わりと言っては何だけど、思い出話でも聞かせて。写真でも可」
「分かった」
やっとパフェは全部なくなった。私のお腹の中で渦巻いているだろう。舌は珈琲でも消しきれない甘さが残っていた。
みぞれはこの後家族でご飯らしい。パフェをあんまり食べなかったのはそのせいかと悟った。元々彼女は食が細い方だ。私と希美は打ち合わせをするという優子と夏紀を店に置き、みぞれとも別れて家路についていた。少しずつ陽が沈むのも遅くなっていき、段々と春へと近づいているのが分かる。気温はまだまだ冬そのものだけれど、自然は確かに前へ進み始めていた。
「私が国を出る前、暇?」
「予定はまだ空いてるよ」
「そっか。さっき遊園地の話の時に別のがあるって言ったでしょ? それなんだけどさ」
「どっか行く? どこでも付き合うよ」
「えっとだね。そんなに遊園地とか水族館みたいな楽しいスポットがあるのかと言われれば無いんだけど……温泉、行かない? 城崎温泉。遠縁の親戚がやってるところなんだけど、ちょっと色々あって部屋一つ空いてるみたいなんだよね。温泉地に行って面白いかと言われれば微妙かもだけど」
「私は一緒ならどこでも楽しいと思うから、全然いいよ。あ、でも親に話はしないと」
「その件も含めてご挨拶しないとな……」
年頃の娘を男と同じ部屋に泊まらせたいかと言われればノーと言う方が多いだろう。その辺はちゃんとしておきたい。とは言え、今はそれよりも二人で出かけられることの方が嬉しく思えた。ここを発てば、しばらくは会えない。夏に戻ってこれるかも、ちゃんとは分からない。
彼女とつないだ手を握り締めた。今この時だけでも、近くに居られるように。今もこうして向けてくれているこの笑顔を、その吐息がかかる距離で見つめられるように。