音を愛す君へ   作:tanuu

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第百十六音 イルミネーション Viewpoint from 希美

 天気予報を確認すれば、今日は一日晴れの予報だった。遊びに行くには良い日だと思う。合格発表を見てから早数日。私の家は明らかにお祝いムードだった。普段は真面目なお父さんも、最近では緩んだ顔をしている。おじいちゃんやおばあちゃんからも凄いお祝いの電話を貰っている。受かった当人より喜んでいるのかもしれない。

 

 あの日家族に合格を伝えたら、自分のことのように喜んでくれた。早速入学に関する書類を出して、入学金を支払ってもらう。これで晴れて春から大学生になれる。分かっていたことではあるけれど、音大の学費は高い。それでもお父さんは出してくれた。

 

 これはありがたいことなんだと思う。他の家だったどうだろうか。進路を夢見ることも出来なかったんだと思う。私は、多くの人に支えられてここまで来た。多くの人に支えられて、夢を見た。感謝するしかない。そして叶えるためのスタートラインに立てたんだ。合格はスタートラインだ。ゴールじゃない。私の目指すゴールは、そこじゃなかった。

 

 夏に私の練習を見てくれたエリーゼさんにも連絡した。今はベルリンに戻っているらしい。大袈裟なくらい喜んでくれたので、ちょっと気恥ずかしい。繋がれた人の縁が、今の私を形作っているんだと、話しながら思った。

 

 今度の休み、家族はみんないるのかを確認した時はハッピームードだったお父さんの顔が若干固まったのは……見なかったことにしたい。会わせたい人がいるという言い方がよくなかったのか、それともそれ以外か。どっちにしても、ちゃんと紹介しないといけない。私たちの関係性もそうだし、彼がどういう人かも。そして、私が夢を見るのを支えてくれた存在であることも。しっかり伝えないといけないんだ。お世話になって、感謝しているからこそ、誠実でありたいから。ついでに言えば……居候もしたいなぁ、なんて。

 

 そんな事を考えながら、靴を履いて家を出る。今日の最低気温は三度。最高気温は十二度。降水確率ゼロパーセントの快晴。絶好の行楽日和だった。一昨日に決まった予定。今日は四人で遊園地に行く日だった。凛音はお休み。というより学校で今日も練習だそうだ。頑張っている人がいる中遊んでいるのは若干申し訳ないと思ったけれど、楽しまないのもそれはそれで申し訳ないと思うので今日は思いっきり遊ぶことにしている。

 

 家の前には青い車が止まっている。カッコいいデザインだけど、貼られている初心者マークが若干ノイズだった。

 

「おはよ~」

「おはよう。元気?」

「うん、元気。ごめんね? わざわざ」

「全然気にしないで。午前中は暇だし」

 

 彼がアクセルを踏んで、車がゆっくり動き出す。免許を取ってまだ数ヶ月なのに、運転は結構上手いと思う。毎日午前中に練習してるらしい。雫さんが隣で死ぬほどダメ出しをしてくると言っていた。そんな彼が今日は遊園地まで送ってくれる。帰りは自力だけど、行きだけでも座ってれば着くのは楽だった。途中でみぞれ達も回収してくれている。後ろの席に三人で座っていた。真ん中のみぞれが若干窮屈そうな以外は、割と快適そうにしている。

 

「アンタ、結構上手いわね」

「まぁ、慣れだから」

 

 優子は感心したように言っていた。車に揺られること数十分。オーディオからはずっとポルノグラフィティが流れている。遠くに遊園地の看板が道に掲げられているのが見えた。その誘導に従って、彼は道を曲がる。

 

「どこだ……あぁこっちか」

 

 そう言いながら、彼は入り口近くの路肩に止める。四人でお礼を言って、軽く手を振りながら元来た道を戻っていく車を見送った。

 

「みぞれ、大丈夫? 酔ってない?」

「全然大丈夫」

 

 優子の心配とは裏腹に、みぞれはむしろちょっと楽しそうだった。連れ立って遊園地のゲートをくぐると陽気な音楽がスピーカーから流れている。マスコットの着ぐるみが子供たちに風船を配っていた。漂うのはチュロスの香り。集合時間が朝の九時だったので夏紀は眠そうに目を擦っている。優子はお菓子の香りに食欲を刺激されていた。

 

 平日に私服で遊びに行くのは少し背徳感があった。けれどそれも楽しい。こういう時にしかできないことだと思う。平日に私服で遊ぶのは大学生なら出来るかもしれない。けれど、そこには高校生だけど、というスパイスは存在していない。この高校生という期間にだけ味わえる背徳感なのかもしれない。

 

 入り口で入手したパンフレットをめくる。どこもかしこも楽しそうに見える。昔から遊園地は好きだった。非日常的な世界観が何よりも楽しかった。今でもそう。メリーゴーランドや観覧車があって、ジェットコースターのレールが高くそびえている。それだけで面白い。

 

「どういうコースが良い? アトラクション重視か、ショー重視か、散策重視か」

「希美、張り切ってる」

 

 みぞれはふふ、と微笑みながら言った。後輩から送られたイヤーマフは似合っている。張り切るというものだ。これまで部活と受験のあれこれでこうして遊びに行く事などほとんどなかったのだから。

 

「この中で絶叫系が苦手なの、誰だっけ? 高所恐怖症はいる? 怖いの苦手な子がいたらお化け屋敷もパスした方が良いか」

 

 実は私もあんまり好きじゃない。無理ってほどじゃないけれど。この前懲りずにまたホラーに挑戦してしまった。けれど結果は敗北。途中で目をつむっていた。隣で見ていた凛音は全然普通そうな顔をしていたので、多分感性の違いなんだと思う。「まぁ、フィクションだし、映像音楽の参考になるよね!」と言われたときには心強いと思う反面、マジかと思ったけれど。

 

 ちょっと考えたけど、あの家に将来住むと考えると結構怖いかもしれない。昼間は気付かないけれど、桜地邸は古い家だからか電球が少ない。しかも蛍光灯とかじゃなくて廊下も豆電球みたいなのが照っている。夜の廊下はちょっと怖かった。まぁそのうち慣れていくのかもしれないけど。

 

「優子、ホラーはダメだっけ?」

「はぁ? 別に大丈夫ですけど」

「いや、今のは挑発じゃなくてただの確認」

「ってことは、いつもはやっぱり挑発なんでしょ」

「担当者が不在なのでわかりかねます」

「今ここに本人がいるんですけどぉ?」

 

 ポコリと優子が夏紀の背中を叩き、叩かれた夏紀は舌を出す。そんな平常運転のやり取りはどこか安心感すら覚えた。

 

「朝からそのテンションで持つ?」

「夏紀はお子ちゃまだから持たないかもね」

「その時は優子におんぶしてもらうから」

「しないわよ!」

 

 安心感はあるけれど、何も進まない。放っておけばそのうち止まるだろうと思ってみぞれを優先することにした。

 

「みぞれは乗りたいものある? メリーゴーランドとか、コーヒーカップとか」

「フリーフォール」

「え?」

 

 私も、言い争ってた二人も固まる。まさかのオーダー。一瞬聞き間違いかと思った。

 

「フリーフォールに乗りたい」

 

 みぞれの指差す先には、高い塔がそびえ立っていた。

 

 

 

 

 

 

「うきゃぁぁぁぁ!」

 

 悲鳴を上げながら私は落下していた。隣では優子が結構ガチトーンな絶叫をし、夏紀も悲鳴を上げている。当然私も。50メートルの高さから垂直に急降下。高所の景色まで楽しめる。とは言え、落ちる恐怖で景色どころじゃなかったけれど。重力と浮遊感のコントラストでおかしくなりそうになる。

 

「もう無理」 

 

 優子はへばっている。私も結構限界だった。声も枯れ始めている。

 

「そりゃ、空いてるからって五回も連続で乗ったらそうなるって」

 

 カラカラと夏紀は笑っている。みぞれの乗るたびに見せるキラキラした顔につい乗せられてそのまま何回も行くことになってしまった。普段あんまりわがままを言わないみぞれのお願いは何とか叶えたいなぁという気持ちになる。今回ばかりはそれをちょっとだけ後悔してしまった。

 

 みぞれは夏紀よりも一層けろりとしていて「もう乗らない?」と未練がましく見ている。何なら私たちの生気を吸い取って肌がツヤツヤしている気がする。前に喫茶店で話したみぞれの恋人問題を思い出した。みぞれと一緒に遊園地に行く人は大変そうだ。少なくともすぐに絶叫系をリタイアしない精神構造が求められる。後G耐性も。未来のみぞれの恋人の冥福を祈りつつ、私たちは一旦休憩に入る。

 

 しかもフリーフォールの前にはジェットコースターと急流すべりに三回ずつ乗っている。遊園地が空いているというのは嬉しいことのはずなのに、その悪影響があるなんて思いもしなかった。普段は混雑しているけれど平日の昼間。そうそうお客さんもいない。クールタイムなしの絶叫系連投は厳しかった。

 

「フリーフォールが真っ先に出るなんて意外だったなぁ。絶叫系、好き?」

「結構。乗りたいもの、調べておけって言われたから」

「誰に?」

「凛音」

「あー」

 

 それでパンフレットなど見ていないのに妙にアトラクションの位置を知っていたし、何があるのかも知っていたんだと合点がいく。同時に、車の中で彼に「練習指導頑張って」と言ったとき、「そっちもね」と震えた笑い声で言っていた理由が分かった。こうなるのをある程度予測していたんだろう。今頃大笑いしているに違いない。サプライズ感を出すために敢えて言わなかったんだ。みぞれがそうすることを望んだのかもしれない。

 

「ま、二人は休んでおきなよ。私がみぞれの相手するから」

「夏紀が?」

 

 優子が怪訝そうな顔をする。そう言えば、二年生の時も、今も二人はクラスメイトだ。二人きりの時もあっただろう。修学旅行とか。私の修学旅行の思い出なんてディズニーデートで占められている。

 

「もう一回乗る?」

 

 夏紀がフリーフォールを指差したけれど、みぞれは首を横に振った。

 

「次はコレが良い」

 

 みぞれがパンフレットの上に指を置く。その場所は観覧車を示していた。地上80メートルが売りの観覧車。園内の景色を一望! と銘打たれた宣伝文句と共にパンフレットには夜景の写真もあった。

 

「フリーフォールでも良いけど?」

「夏紀と乗りたい」

「おおう」

 

 少しうろたえたように夏紀は声を上げる。優子が冷やかすように鼻を鳴らした。言わんこっちゃないと言いたげな顔をしている。

 

「意地悪言わないの」

「うっ、また吐き気が」

「大人しく休んどこう。ちょっとしたら落ち着くでしょ」

 

 私は自分の膝の上にハンカチを乗せて優子に視線を送る。私に促された彼女は唇をへの字に曲げたままその上に頭を乗せた。私たちが大丈夫そうだと確認した夏紀は、みぞれの手を引いて観覧車の方へ向かう。距離は歩いて五分くらい。すぐにつくと思う。

 

 無人という訳でもないので、すぐに二人の姿は見えなくなった。はー、と優子が息を吐いた。

 

「大丈夫そう?」

「まぁ、何とかね」

「良かった」

 

 少しだけの沈黙。思えば、優子と二人きりというのは珍しかった。いつも夏紀やみぞれや凛音や、他の誰かがいた。二人きりになる機会が少なければ少ないほど、何を話せば良いのか分からない時がある。多くの人がいれば、すぐに色々出てくるのに、と思う。

 

「ねぇ」

「なに~?」

「みぞれのこと、どう思ってる?」

「友達、かな。大事な友達だよ」

「みぞれの事、好き?」

「好きだよ」

「ずっと?」

「うん。……そりゃあまぁ、ちょっと苦しくなってた時もあったけどね。でも嫌いになった事なんて一回もない。それは、自信を持って言えると思う。友達ってさ、ずっと好き同士って事、あんまりないんじゃないかなって思うんだよね。例えば優子と夏紀は友達でしょ?」

「まぁ……そうね。誠に遺憾ながら」

「素直じゃないなぁ。まぁそれはともかく、友達同士だけど本気でムカついたり、本気で喧嘩したりしてる。そういうものなんじゃないかなって。人が二人いて、それぞれ考え方も育った環境も違えば当然違うところがある。受け入れられなかったり、イラっとするところもあったりしてさ。でもそれでも一緒にいたいと思うから友達だと思う」

 

 優子の目が膝の上から私を見据えた。彼女の目はいつも真っすぐだ。真っすぐ前だけ見ている。だから時々置いてかれそうと思ってしまう事もある。そういう時は大体夏紀が引き留めている。なんだかんだでこの二人はセットなんじゃないかと思ったり。優子が行きすぎたときは夏紀が引き留める。夏紀が引きすぎたときは優子が前に引っ張る。そんな関係。でも言うと多分どっちも否定するから黙っておく。

 

「みぞれは多分……希美が好きな自分が嫌いだと思う」

「そう、なのかもね。私も嫌いだよ、自分。みぞれに嫉妬する自分はね。あんまり好きになれない。今までも、多分これからも」

 

 意外そうな顔をする。私が素直にみぞれに嫉妬していることを明かすのが驚きだったのかもしれない。そう言えば、優子も夏紀もあの夏の日のことを知らない。あれから変わったものと変わらなかったものが色々あって。でも少しは前に進めたと思っている。見ないようにしてきたものを見つめて、それでも進めた気がしている。

 

「私だってマイナスな感情くらい持ってるよ?」

「それは、分かってるけど」

「私は努力する。多分これからもずっとみぞれには追いつけないかもしれない。いつまで経っても後ろを追いかけるだけかも。嫉妬もするだろうし、良い感情だけを抱いているなんてことは無理かもしれない」

「……」

「でもさ、止まったらもう二度と追いつけないじゃん。差だけが開いていって、ずっと遠くへ行っちゃう。いつか私の前から消えてしまう。だから私は諦めないし、努力する。自分の嫉妬と戦う」

「強いのね」

「弱いよ。一人だったらね。でも……一人じゃないから」

「はぁーあ。結局アイツが全部持っていくのね。ま、私も人の事言えないけど。色々助けられてきたし」

「それ、向こうも同じような事言ってたよ」

「そうなの?」

「うん。私が今みたいなのは君たちのおかげな部分が大きいって」

「よく分かんないわね」

「昔はもっと尖ってたってさ」

 

 割と喧嘩っ早いし口は悪いし舐められたら叩くの精神で生きていたって笑っていた。そうしないと向こうでは生きていけなかったのかもしれない。昔呼ばれていた呼び名がサムライ凛音だったそうだ。割とストイックに、それでいて結構頑固で、舐められるのは嫌いみたいなところが由来だそう。今では全然想像もつかない姿。きっと、昔の彼と今の彼との間にあったいろんな出来事がそうさせた。

 

「片鱗は今でもあるわね。アイツ、人の望んでいることを分かって反対を言うじゃない?」

「そうだね~。でも、私はそれに救われたから」

 

 私はあの時、慰めが欲しかったのかもしれない。もしくは、道を示して欲しかったのかも。けれど彼はそうしなかった。慰めはしないし、むしろ私に自分自身の嫉妬心を見つめさせた。進路を選ばせた。私に敢えて苦しい道を選ばせた。

 

「でもさ、凛音も無敵じゃないからね。多分、人一倍苦しんでるし、悩んでる。それでも私たちのために動いてくれてる」

「そうね……。何がそうさせてるんだろ」

「それは分かんないなぁ。想像は出来るけど」

「そう?」

「何となくだけどね。多分、今のままが嫌って言うのが根本なんじゃないかな。人間関係とかじゃなくてね。停滞したくない、現状が良いと思いたくない。満足して、そのままそこにいるなんて嫌だ。そんな心持ちがあるのかも。あくまで想像だよ? でも、そんな気がする。例えばさ、皆に翼があるとするじゃん?」

「唐突な例えね……」

「あはは、でそうなったときに皆空を飛ぶかどうかで迷ってるとする。その時、皆が空を飛ぶのこそ至高!って言い始めたら多分地上を歩けって言うと思う。逆に誰も飛び立とうとしなかったら、その立派な羽は飾り物か? って言うと思う」

「ただの逆張りじゃない? それ」

「かもね。でもそのおかげで私たちは今ここにいる」

 

 現状に満足するな。これはいつも練習の時、皆に言っていた。止まったらもう後は下がるだけなんだと。だから時々止まってもいいけれど、そうしたら止まる前よりもっと頑張っていかないといけないと。今のままで良いのか。音楽的なことも、それ以外のことも。全ていつもそう問いかけてきた。それで良いと答えたら、それを否定することはしなかった。何でもかんでも逆を言っていたわけじゃなくて、考えさせたかったのかもしれない。

 

「考えさせたかったんだよ、多分。何も考えず今のままで良いって言うな。これが、一番伝えたかったメッセージだと思う」

 

 考えることはいつも要求していた。与えられた指示についても盲目的に従うんじゃなくて納得いかないなら考えて、訴えてみろと。面倒な人と思うかもしれない。けれど私はそういうところが好きだった。そういうところも、か。私は基本、前を向いて過ごしていたい。だから、そうやって前に進もうとして、色々考えているのは尊敬できた。

 

「やっぱりすごい奴よ、アイツは。私はずっと、そんな風に何かを考えてはいられない」

「私だって無理だよ。私は凡人だし。でも、凡人でも、誰かの特別にはなれるでしょ? だから私はそれで良いと思う。それにさ、結構凄いと思わない? 世界で羽ばたける天才奏者二人が特別視してるのが私って。全世界が特別だと思ってる人は、私を特別だと思ってくれる。優越感はすごいよね」

 

 少しだけ茶化すようにして言う。優子はフッと息を吐いて苦笑しながら軽く頷いた。

 

「……変わったわね、希美。もちろんいい意味で」

「そうかな。だと良いんだけど」

「頑張りなさいよ」

「うん。もちろん」

 

 おーい、と手を振りながらみぞれと夏紀が帰ってくる。優子も大分回復したみたいで、私の膝から頭を上げて起き上がる。みぞれは随分と上機嫌そうにしている。

 

「観覧車、楽しかった」

「みぞれが夜にまた四人で乗りたいってさ。六時からライトアップもあるみたいだし」

「ライトアップって言ってもしょぼいらしいけど」

「地元の遊園地にしては頑張ってる方でしょ」

 

 元気になった途端話し始める優子の隣に夏紀は座った。みぞれは私の隣。買ってきたチュロスは甘い味がした。

 

「で、次は何乗る?」

「メリーゴーランドとかどうよ」

「良いんじゃない。その後お化け屋敷」

「温度差エグイわね」

「まさか優子、怖いの?」

「はぁ? 怖くないんですけど」

「じゃあいいじゃん。お化け屋敷で」

「別に最初から嫌とは言ってませーん」

 

 ちょろい。こういう風に持っていくと、大体優子はいつも乗せられる。そして大体いつも大変な事になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと飲み物買ってくる。そう言って立ち上がると、私も行くと夏紀が続いた。みぞれの分も買っておくことにする。優子の分は夏紀が買ってくれるだろうから。

 

「観覧車の中で話したんだけどさ」

「うん」

「空を飛べたらどうするかって話」

「あ、そんな話してたの? なんかこっちも似たようなこと話してたんだけど」

「えーマジか」

 

 夏紀とみぞれが二人だとどんな話をするのか今まではよく知らなかったけれど、今知れた気がする。少しだけだけれど。きっと、私たちは長い事一緒にいるけれど知らない事の方が多い。でもこれからの人生長いんだし、知れるんじゃないかと思ってる。いつの日か、必ず。全部は無理だろうけれど、少しだけでも。

 

「希美はどうする?」

「なにが?」

「自分に翼があったら」

「どうするかなぁ」

 

 凛音がどうするかはさっき優子と話した。私はどうするんだろう。願わくば、彼と一緒にいたい。でも、そんな盲目的な理由で選ぶことを彼は望まないだろう。私が私自身で決めたことを尊重するはずだと思う。

 

「その時によるかも」

「あー、そういう感じ?」

「その時に自分が飛びたいと思うかどうかかなぁ。後、一人は怖いし」

「そう?」

「空って広いじゃん? だからなんでも吸い込んでいっちゃいそうだし、どこにいるのか分かんなくなりそう。だから、一人は嫌かも」

「じゃあ周りの状況とその時の心情と一緒に飛んでくれる人がいるかによるって事?」

「そうかも。なんか受動的な気もするけど、でも人生の決断ってそんなものかなぁって思う。周りの状況が違かったら。その時にいた人が違ったら。決断って変わるでしょ?」

「現実的だね」

「う~ん、そんなリアリストになったつもりはないんだけどなぁ。なんかそうなっちゃうね」

 

 多分さ、と夏紀は区切って言う。いつの間にか自販機の前に着いていた。炭酸か、お茶か、水か。学校の自販機よりも明らかに高い観光地価格みたいな値札と睨めっこする。女子高生にそこまで余裕はないのだ。

 

「希美はなんかこう、見てる場所が二つあるからじゃないかな」

「二つ?」

「そう。一つは今ここ。私たちといるその瞬間、その時間。高校生がもうすぐ終わろうとしている自分。もう一つはもっと先の将来。そしてその時、そこにいる自分。ついでに多分一緒にいる想定をしてるであろうヤツ」

「どうなんだろう。意識した事は無いかな」

「意識してたらむしろちょっと怖いまである。でも、だから多分空を飛ぶ? って聞かれたときに現実的な答えになるんだと思う。さっきの二つで言えば、後者の方の目線が働いてさ」

「そうなのかもね、分かんないけど。そういう夏紀は飛ぶ?」

「あぁ、どうだろう。私は飛べないかも。屋上から足をぶらぶらしてるだけ、みたいな」

「でも多分優子は飛ぶと思うよ? それで煽ってくる。『今時地上を歩くのとか、ダッサ』って」

「そう言われたらムカつくから飛ぶ」

「アハハ。じゃあ、夏紀は優子と一緒なら飛べるタイプだね」

 

 ハッとしたような顔でボタンに手を伸ばしたまま、夏紀はこちらを見てくる。私が言った言葉が意外だったのかそれとも触れられたくないところだったのか。

 

「でも私は良いと思うよ? そういう関係。私も何だかんだで凛音と一緒ならさっさと飛べそうだし。言うじゃん、比翼連理って。古文の時間にやったやつ。あれは恋愛の話だったけど、友達関係でもそう言う事ってあると思うんだよね」

「……かもね」

「そう言えばここ、バンジージャンプもあったなぁ」

「やらないからね」

「冗談冗談。それとも、優子と一緒に飛ぶ?」

「絶対嫌だ」

 

 ほうじ茶を押す。自分の分は緑茶にする。甘いものを食べた後に甘いものを飲む気にはなれない。

 

「優子の分、買ってあげてくれない?」

「あー大丈夫。あの子は水筒持ってきてるから」

「全部把握済みってワケだ。流石副部長」

「もう副部長じゃないけどね」

「部活の名残は中々抜けないけどね。身近にワーカーホリック気味に部活言ってる人がいると尚更。涼音ちゃんも部活だし」

「そういうのはあるかも」

「私は夏紀が副部長でよかったと思ってるよ」

「どうしたの、突然」

「いや、特に言った理由とかは無いけど。素直にそう思ってるよーって話。優子が部長でよかったと思ってるし、夏紀が副部長でよかったと思ってる。で、私は会計としてそれを支えられて良かったと思ってる」

 

 革ジャンを羽織りなおして夏紀は「あ、そう」と言いながらわざと顔を逸らした。私は嘘偽りなく、このメンバーで北宇治の幹部を出来てよかったと思っている。たくさんの思い出もある。良いことも、大変な事もあった。つらいことも、報われないことも。でも、それもこれもこの関係の中だからこそ、思えたことだと思う。

 

 もし、メンバーが違ったら、抱いている感情ももっと違うものだったかもしれない。もうすぐ全てが終わって区切りがつく時期だからこそ、私はそう思うのだ。

 

「そういや三月のイベントだけど手伝えることない?」

「手伝いって言ってもこっちは演奏するだけだし。希美はスタッフとして手伝うとか言ってなかった?」

「そっちじゃなくてさ、夏紀たちの演出の方。バンド幕使えるって、菫が言ってたよ」

「なにその話。聞いてないんだけど」

「菫に伝えていてって言われたんだけど、今思い出した」

「なんじゃそりゃ」

 

 バンド幕はステージの後ろに張る布を指す。バンド名とかを入れることが多いらしい。業者の発注は金欠女子高生にはきついだろうから、自作することになる。なので手伝えるか聞いたというわけだ。

 

「みぞれが手伝いたがってたし、私たちも手伝おうかなって」

「作るのめんどいし、幕無しでも良いでしょ」

「そんなこと言わないでさ、せっかくなんだから楽しもう? 高校生活最後のイベントだよ?」

「しっかたないなぁ」

 

 夏紀はどこか呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな声でそう言った。

 

「バンド名はどうするの?」

「まだ決まってない」

「二人っぽいのがいいかもねぇ。凛音もちょっとなら手伝ってくれるらしいし、その時聞いてみたら? バンド名の付け方」

 

 曖昧に夏紀は頷いた。もしかしたら、自分の中ではもう決まっているのかもしれない。まだ優子とかには言っていないだけで。それはそれで夏紀らしいと思える。

 

 この曖昧なモラトリアムのような期間はもうすぐ終わってしまう。それでもまだ続いているのだから、その間はそれを楽しみたい。大人になったらきっと、味わえない何かを、私たちはお金以外の何かを払ってもらっている。それが時間なのか、それ以外の何かなのかは分からないけど。

 

「大人になり過ぎない方が良い。そっちの方がきっと、楽しい」

 

 凛音の声が頭の中に響く。少しずつ日が暮れてきて、イルミネーションが点灯し始めた。誰もが一度は立ち止まってそれを眺める。今までもずっとあったけれど、気付かなかった。明かりが灯ると皆がそれに気付く。夏紀の言っていた「光ってもらえないと気付けないような存在がイルミネーションに騒いでいるのが好きじゃない」というのも少しだけ理解できる気がする。

 

 じゃあ、自分はどうなのか。はっきりとした答えは出ないけど、気付けるような人でありたいとは思う。視線の先では優子とみぞれがこちらに手を振っている。軽く振り返して、私はそちらに向かって歩いた。今はきっとそれだけで十分だから。

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