音を愛す君へ   作:tanuu

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第百十九音 卒業写真

 チチチと鳴る目覚ましに目を覚ました。ふぅと息を吐き、カーテンを開ける。まだ少し寒いものの、すっかり暖かになった日差しが差し込んでくる。三月のこの日が遂に来てしまった。視線をずらし、壁を見る。フォトフレームには卒業旅行の写真が貼ってあった。水族館やらスペイン村やら、ついでに伊勢神宮やら周ったのを思い出す。ついこの前のことのようだ。

 

 寝間着を脱いで、制服に着替える。普段通りの動き。それでもどこか気分はいつもと違う。浮かれている訳でも、悲しいわけでもない。ただ、どこか普段と違う感じがあった。カレンダーを見れば、赤い字で卒業式と書かれていた。今日、私は三年間の生活に終止符を打つ。

 

 部屋を出て、キッチンへと向かう。特段普段と行動は変えない。それで良いと思っている。その方が自分らしいと思うから。私の出る卒業式はこれで三回目だ。一回目は大学。二回目は中学。そして今回。最初はまったくもって楽しい気分ではなかった。二回目はそこまで思い入れが無かった。だが今回は違う。少なくとも初回の時よりは楽しいだろうし、二回目よりも悲しいだろう。正しく卒業できるような気がして、どこか安心している自分がいた。

 

「おはようございます」

 

 今日は珍しく早くに目を覚ました雫さんが調理中の私に挨拶してくる。普段は結構適当な格好だが、今日はしっかり髪や顔をセットし始めていた。彼女は今日、私の両親の代わりに出席してくれる。叔父夫婦の参加は断った。私の三年間を身近で見ていた家族、というより保護者は叔父ではないのだから。卒業式という晴れ舞台を見て欲しい大人は、彼女だけである。

 

「おはよう」

「今日は9時で良いのですよね? 保護者入場は」

「そうなってますね」

 

 寝ぼけ眼で妹も起きてくる。彼女は今日、私を見送る側だ。演奏席で吹部は演奏する事になっている。それは去年同様のことだった。今日は精一杯見送ると昨日言っていたのを思い出す。見送られる側なのは、少し気恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 少しだけ早く家を出た。何となく、そうしたい気分になったから。妹よりも早く、朝の学校にいたい気分になったのだ。私は特段学校が好きという訳ではない。嫌いでも無いけれど、好き! と答えられるほどではない。けれど曲がりなりにも三年間過ごした場所には思い入れがある。それに、何となくではあるけれど彼女もそこにいるような気がした。

 

 朝の通学路を歩くと、見つけた。黒いポニーテールが道の途中にあるガードレールに腰掛けながら揺れている。普段の待ち合わせ場所。今日は時間も決めていなかったけれど、運命のなせる技なのか、普通に邂逅できた。

 

「おはよ」

 

 希美は一瞬びっくりしたような雰囲気を醸し出した。私の顔を見て目を丸くした後、ニコっと笑う。

 

「あ、やっぱりちょっと早く出たくなるよね~」

「何となく、だけどな。それに、希美もいる気がした」

「私も、そんな気がしてた。早く行けば、いるんじゃないかなぁって」

 

 合図は無いけれど、どちらが声をかけるでもなく私たちは学校へと向かって歩き始める。時間はたっぷりある。練習時間を確保するために競歩気味になっていた日々も、遠い昔のよう。今はゆっくり歩くことが出来る。

 

「今日は、ご両親が?」

「うん。張り切ってくると思うよ」

「そりゃ一人娘の晴れ舞台だ。胸張ってくるよ。ウチも相当気合入ってる」

「絶対話題になるよ。どこの家のお母さんだー!? って」

「喜びそうだな。私からしたら少し恥ずかしいけれど」

 

 たわいもない話をしながら歩いていく。この道のりを、この服を着て歩くのも今日が最後だろう。時間は過ぎてしまう。あっという間に、気付かぬうちに。

 

「お、二人とも」

 

 曲がり角の反対側から夏紀が手を振っている。寝不足なようで、ひっきりなしに彼女は欠伸をしていた。

 

「邪魔しちゃったかな?」

「全然」

 

 希美は同意を求めるように私に視線を送ってくる。もちろん邪魔な訳もない。速攻で頷き返した。少しだけ安心したような目をした後、夏紀はもう一度欠伸をした。それが終わった後には、その目の色はもうない。

 

「眠い?」

「めっちゃ眠い。走るベッドがあったら、そのまま学校に送ってもらいたいレベル」

「昨日の夜、何してたの?」

「なんにも。気付いたらもう真夜中だった」

「うわぉ怪奇現象」

「自分でも恐ろしいなぁって。もう少し有意義に時間を使えばよかった」

「ボーっとするのも、有意義じゃない?」

 

 昨日の夜はひたすらピアノの練習をしていた。卒業生の歌。その伴奏は私だ。指揮は希美。去年と全く同じコンビで、今年は送られる側として舞台に上がる。

 

「大人になると、ぼーっと出来る時間も減るものだし」

「うっわ最悪じゃん、それ」

「私もボーっとしてたいけどなぁ。でも音楽はやりたいし。結局働くんだろうけど」

「大人かぁ」

「不安?」

「というより、想像できない」

 

 希美の疑問に夏紀は答えた。どこかその目は遠くを見ている。私だけは無縁の悩みだった。結局、どの大学に入ってもそれで将来が決まる訳じゃあない。どんな進路を生きているのか。それは分からないだろう。もしかしたら今の自分では想像できない未来を歩いているかもしれないのだ。

 

「みぞれはプロになれそうとかはすぐに分かるんだけど」

「あー、人の事は分かるよねぇ」

「でしょ?」

 

 夏紀は希美の同意を得て、ふふんと鼻を鳴らす。確かに、自分の将来よりも何となく人の予想は出来る気がする。まぁそれもその通りにならないことの方が多いけれど。でもそれはそれで面白い。人生なんて、十人十色だ。最後にハッピーエンドなら、それで良いと思う。

 

「あ、」

 

 不意に夏紀が前方を指さした。少し離れたところに、北宇治の制服を着た二人組の姿がある。優子とみぞれであるのは髪や背格好からすぐわかった。いったい何をしているのか、人波に逆らうように二人はいる。

 

「アイツ、もう泣いてる」

 

 呆れたような、それでいてどこか微笑むような声で夏紀はつぶやいた。優子のことであるのはすぐわかる。アイツ、と彼女が呼ぶのは一人しかいない。彼女は気付いていないかもしれないけれど、特別な呼び名だった。

 

「突撃しよ」

 

 夏紀はそう言うと走り出した。唐突に走り出したその背中を唖然とした顔で私たちは眺める。だがここで呆然としている訳にもいかない。顔を見合わせて小走りで走り出した。

 

 先ほどの夏紀の証言は正しかったようで、優子の目は真っ赤に腫らしている。私も目は良いはずなのだが、さっきの位置からでは全く見えなかった。三年間の腐れ縁がなせる技なのか。それにしても、泣くのは流石に早い。いつも通りの口論が始まり、今日も今日とて平常運転であることにどこか安堵する。変わってしまうのはいつだって怖い。楽しくもあるけれど、前のままでも良かったと思う心はどこかにあるのだ。

 

「みぞれ、さっき優子と何の話してたの?」

「大事な話」

「へぇ? 気になるなぁ」

「内緒。……でも優子に負けた」

「負けた? 勝負でもしてたの?」

「うん。でも優子が負けた方が勝ちって」

「なんじゃそりゃ」

 

 希美は頭をひねっている。みぞれはどこか得意げだった。優子とみぞれ。その接点は思っている以上に多くて、長い。彼女たちだけが、全てを体験していた。南中での三年間。悔しさで終わった中学生活。苦しみ抜いた一年生。そして滝先生に振り回された二年生。最後まであがき続けた三年生。六年分の思い出を全て持っているのはこの二人だけ。

 

 私は中学時代と一年生の思い出が半分ほどない。夏紀は中学時代が無い。希美は一年生の後半と二年生の前半が無い。だからあの二人にしか分からないことなのだろう。辛いことも、苦しいことも全部味わってきた。私たちでは入れない聖域。誰にだって存在する。その人たちだけしか知らない領域。

 

 私だって、希美と私との時間はそうだった。向こうがそう思ってくれていると良いけれど、と思う。辛さや悲しさなんて、知らない人には分からない。だけれどそれで良い。知らないなら、これから一緒に知って行けばいいのだから。これからの人生の辛いこと、悲しいこと、そして嬉しいこと、楽しいこと。そんな色々を。

 

 後ろではいつもの口論がまだ続いている。優子が夏紀に手紙のような何かを渡していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「卒業生、入場」

 

 そんなアナウンスが体育館の中から響いて、重たい金属のドアが開けられる。ザっと空気が流れる風が吹く。その中から大きな拍手が鳴り始める。威風堂々。吹奏楽部の奏でる演奏音に合わせて、私は静かに行進をした。演奏はキレがあり、同時にあくまでも卒業生を主体とするようにわき役に徹している。その完成度は落ちていない。人数が減ったとて、実力は落ちていない。それは卒部会で分かっていたが、改めて知ることとなった。

 

 席について諸々終わると、すぐに卒業証書が授与される。姿勢を正してその時を待った。時々知り合いが壇上に上がるとニヤッとする。普段そんな感じじゃない人がピシッとしているのは面白いように感じられる。自分の番が来て、壇上へ上がった。

 

「桜地凛音」

「はい」

 

 呼ばれた名前に返事を返す。名前を呼んだのは結局三年間一緒だった担任。希美とも一緒だった。私たちのことを何となくわかっていて、踏み込んでは来ないけれど見放している訳でもない距離感がありがたい人だった。進路のことや希美の事など何だかんだで世話になっている人。寄せ書きにはしっかりメッセージを書いたし、後で個人的にお礼を言うつもりだ。

 

 校長から証書を受け取りお辞儀をする。くるりと九十度身体を回転させ全体を見た。遠くに雫さんがビデオカメラを回している。周りの父兄が随分と若い保護者だと思っているであろうことを想像し、愉快な気分になる。けれどニヤつくわけにはいかない。ゆっくりと壇を下り、粛々と席に座った。

 

 どんどんと名前が呼ばれていく。その度に嗚咽だったり、いろんな感情のこもった何かが聞こえてくる。去年、私は先輩を見て何を思ったのだったか。この制服に袖を通すのも今日が最後だ。若さの象徴、青春の灯のような存在である制服。これを着ていると私たちは高校生でいられた。けれどそれも今日で終わり。

 

 式次第は進んで、校長の挨拶、PTA会長の挨拶、送辞と答辞。それが終われば卒業生の歌がやってくる。

 

「卒業の歌、卒業生、起立」

 

 ザっと三年生が立ち上がる。その中、整然と並べられた椅子とその前に立つ生徒の間を通って私は体育館の側面へと出る。反対側では希美が壇上に上がるべく同じようなことをしているだろう。

 

 私の役目であるピアノは吹奏楽部の奏者たちのいる椅子のすぐそばにある。向こうからはこちらの顔が丸見えだろう。去年と同じコンビで今年は送られる側か。朝も同じようなことを思った気がするけれど、また思ってしまう。やはり私も感傷的になっているのだと分かった。思考が少し、とりとめのないものになっている。

 

 私は極力後輩たちを見ないようにして席の前に立つ。見たら泣いてしまいそうだったから。

 

「指揮、傘木希美。伴奏、桜地凛音です」

 

 紹介の後に一礼して、私は席に座る。楽譜を広げて、鍵盤の上に指を置いた。ピアノの隙間から彼女の顔が見える。チラリとこちらを見て、彼女は頷いた。私も頷き返す。そして彼女はその腕を振った。

 

 曲は「大地讃頌」。卒業式の定番中の定番。最近では歌われなくなりつつあるそうだけれど、我が校では伝統的に続いていた。ピアノには嬉しいことにソロで弾く部分まである。弾ければカッコいい、ミスるとダサい。そんな曲。とは言えこれでも音楽家。もっと難しい曲だって弾いてきた。ちゃんと練習はしている。

 

「母なる大地の 懐に」

 

 歌声が体育館に響き渡る。こういう時の合唱は感動的だ。もっと上手い合唱なんて山ほどある。けれどこの時だけ。この瞬間だけにしか味わえないものが確かにあるのだ。

 

 卒業式はその人が三年間何をやって来たかによって大きく変わるだろう。退屈なものなのか、それとも感動できるものなのか。厳かな歌は体育館を満たしている。吹奏楽部の面々はどうなのだろうか。彼らはずっと努力して、頑張った。一年生の時は色々あったのは事実。けれどそれでも二年生以降では誰よりも引っ張ってきた。だからきっと、彼らには感動する資格も泣く資格も、十分にあるはず。

 

 感傷の中、曲はクライマックスに突入する。最後のクレッシェンドと共に希美が手を降ろし、同時に私も鍵盤から手を離す。ピタリと全ての音が止まり、体育館は人の呼吸音と鼻をすする音以外聞こえない静寂で占められる。私は席を立ち、希美と共に一礼する。大きな拍手が在校生と保護者の席から聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 教室に戻れば、最後のHRである。教室には既に泣いている女子もいる。希美はまだ泣かないで踏ん張っているようだけれど、少しだけ目元が潤んでいる。号泣していた中学生時代からすると少し大人になったのかもしれない。中学時代は本当にすごかった。どこからそんなに涙が出るのかと思うほど、泣いていた。でも今ならその気持ちも分かる。別れというのは思い出の濃さに比例して辛くなっていくのだから。

 

 斜に構えて泣かないことは誰にでも出来る。けれど、私はこういうところでちゃんと泣けるような、そんな真っ直ぐなところが好きだった。心の底から、打算無く彼女は泣ける。そういう精神性にも私は惹かれたのだ。

 

 隣の席に彼女は座っている。今年一年、彼女とはずっと隣の席だった。何回か席替えもあったのだが、それでもどういう強運か、私たちは隣の席だった。これは運命のいたずらとかなのだろうか。それともただの強運なのか。私にとってはラッキーなことであった。

 

「ゴメン、今だから言うけどさ」

「うん」

「私、席替えの時頼みこんで変えてもらってたんだよね」

「……マジ?」

「あ、勿論無理やりとかじゃないよ? ウチのクラスのくじ引きいつも男子からじゃん? だからそこら辺を上手くアレコレして……ね。というか、クラスの女子はみんな分かってて、むしろ協力してくれてたし」

「えぇ……そうだったのか」

 

 知らないのは私だけだったらしい。それでいつも席替えのくじを引いた後、誰かに何番だったのかを聞かれ、聞いてきた人は大きめの声でそれを読み上げていたのか。すっかり罠の中にいたらしい。恐ろしい子。だが、良く考えてみればこの隣同士なのは二年生の後半に遡る。

 

「それは私の隣になりたかったって事?」

「ま、まぁそうだね。改めて言われると中々恥ずかしいけど」

「二年生の時からそうだったの?」

「うん。どうせ気付いてないだろうなぁと思ってたけど」

 

 何なら希美が私のことを好きなことは告白するまで知らなかった。というか分からなかった。良く恋愛小説で明らかに気があるの分かるだろうと思う事が多かったけれど、実際体験すればわかる。確かに相手の気持ちは分からん。行動で察するのも難しい。そんなつもりが無い可能性だってあったのだ。

 

 つまり、希美は結構前から私のことが好きで、私は三年生頃からそれを自覚して、しばらく両想いなのに告らない状況が続き、私が最終的にそれをぶち壊したという事になる。そう考えてくると、告白までの色々なシーンが違った意味に見えてきて今更恥ずかしくなったり。まさか卒業式の日に私たちの恋愛事情の前日潭というか友達以上恋人未満だった頃の関係を知る事になるとは思わなかった。

 

「恥ずかしいね……」

「こっちもだよ」

 

 二人して顔を赤くしている。周りの視線は妙に生暖かい。凄い特色のあるクラスでは無かったけれど結構温かいクラスではあったように今振り返れば思える。修学旅行とかも楽しかった。私からすれば初めての経験だったのでその補正もあるだろうけれど。そして、扉を開けてそのクラスの雰囲気を作っていた立役者が入ってくる。その目は既に赤かった。

 

「えー皆。まずは卒業おめでとう。こうしてクラス全員、誰一人欠けることなく卒業できたことを嬉しく思っている。先生から伝えたいことは、実はほとんどない。それくらい、皆立派になった。それは見た目とかじゃなくて、中身の部分だ。人として皆は何倍にも成長している。最後に先生から伝えるとすれば、これからの人生色々あると思う。人は一人じゃ生きていけない。だから他人とかかわる。でもその過程できっと色々あるよな。でもそこで言葉を尽くそう。言っても分からないと諦めるな。逆に、言わなくても分かると甘えるな。言った方が良い。それがきっと、後悔しない生き方になるはずだ」

 

 最後の方はもう涙声になっている。

 

「いつか大人になって、苦しい事があったらいつでも学校に来てくれ。俺に出来ることなんて大した事は無いけれど、誰にも話せない事があるなら聞くぞ。だから一人で抱え込まないように。それが言いたいことだ。卒業、おめでとう!」

 

 先生はそう言うと大きく手を叩いた。この担任に三年間担当されていたのは私の運の良さかもしれない。私の変な状況にも家庭環境にも理解を示してくれた。立ち入って欲しくないところには触れず、しっかりやる事はやってくれている。お世話になったと言っても言い過ぎじゃないだろう。私が部活で普通ではない立場にいるのをしっかりと学校側が認めるように働きかけてくれていたのも知っている。

 

 先生に寄せ書きを渡し、記念写真を撮って、ホームルームは終わる。卒業アルバムは既に数日前に配られているから、白紙のページに色々書き込むのは済んでいた。家にある卒アルのページはもう何も書けないくらいになっている。希美も似たような感じだった。私も私でいろんなところに書き込んだけれど、中にはサイン色紙を持ってきた生徒までいてびっくりしてしまった。将来絶対有名人になるから、その時自慢するらしい。苦笑しながら相手の名前入りでちゃんと書いておいた。それが十数人分だったので些か大変だったけれど。

 

「俺たち金貯めて、大学の間に一回ドイツ行くから待ってろよ」

「お前の家がホテルな」

 

 この気のいい友人二人と学校生活を送るのも今日が最後だった。思えば、私が腐っている間もそういう事を気にしないで付き合ってくれていたのは、私の精神に大きな影響を与えていたのだ。終わってから気付くというのも、何とも鈍感な話だった。

 

「待ってる。また飯でも行こう」

「おう」

「傘木さんと仲良くやれよ」

「お前らもな」

 

 話している内容は最後まで大した話じゃない。それでも、そういう大したこと無さが我々らしかった。二人と別れて、廊下を歩く担任を呼び止める。最後にお礼をしっかり言いたかった。

 

「先生」

「おお、桜地か」

「これまで、ありがとうございました。色々とご迷惑をおかけしてしまいましたが……私は先生に三年間担当してもらえて幸運だったと思っています」

「いやぁ、俺もあんまり助けにはなれなかったとは思うが、それでもそう言ってくれるのは嬉しいな。滝先生とか松本先生にも挨拶はしたか?」

「いえ、まだこれからです」

「そうか。しっかりしとけよ」

「はい」

「そうそう。傘木とはどうだ?」

「上手くやってます。おかげ様ですね」

 

 先生はニヤッと笑って私の肩を何回か叩く。

 

「結婚式は呼べよ」

「是非とも、招待させていただきます」

「楽しみにしてるからな」

 

 そう言うと先生は他の生徒のところへと向かっていく。その後ろ姿に黙って頭を下げた。先生の後ろで黙礼する私に、先生は振り返らずに手をひらひらと振る。部活の仲間、担任、クラスメイト。改めて自分は良い環境にいたのだと思わされる。高校生活を忘れる事は無いだろう。それは部活もそうだけれど、こうしていた日々もきっと輝く青春として残るはずだ。

 

 どうして大人が青春時代を尊ぶのか。その一端を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 吹奏楽部員は中庭に集められている。そこにはティッシュで顔を覆った松本先生と、微笑ましい様子で私たちを見つめている滝先生もいる。吹奏楽部の部員は他の生徒と違って融通が利く。その分こうして特別に見送りが出来る。他の在校生は今頃教室だろう。これは演奏をする部員たちへの特権のようなものでもあった。

 

 トランペットパートも在校生の全員が見送りに来てくれる。優子と、私と、滝野と、加部。この四人が送られる側だ。送る側は高坂さんを筆頭に勢ぞろいしてる。

 

「卒業、おめでとうございます」

 

 高坂さんが私にそう言って手渡したのはワイヤー製の小さな鳥籠。普通の鳥籠としては使えないだろうインテリア用の銀色をした籠だった。その中には白を基調としたスイートピーのプリザーブドフラワーが入っている。そしてその花の上には青い鳥のフィギュア。例年は寄せ書きとかだけなのだけれど、今年は凄く凝っていた。

 

「コンクールの自由曲にちなんで、在校生で選びました」

「ありがとう」

 

 私は礼を言って受け取る。隣では優子が号泣している。加部も泣いている。滝野も目頭を押さえていた。遠くでは妹や他のパートの子に囲まれて希美が泣いている。みぞれは後輩の方が泣いていた。あそこは何ともそれらしい。夏紀は泣いてはいないものの、優しい顔で後輩から受け取っている。優子が後輩から声をかけられ、それでますます涙を増している。

 

「本当に、ありがとうございました。これまでずっと、私たちを指導してくださって」

「私もいい経験になった」

「私は、特別になりたかった。でもそうなれなかった。ソロも勝ち取れて、でも上には上がいる。そして挑もうにも先生はオーディションを受けない。そうでなくても本当は分かっていました。まだ私じゃ勝てないって。でも負けっぱなしも悔しいので追いつけるかなと走ってきました。……最後まで勝てなかったですけど」

「そうか。私を目標にしてくれたのは、勝ちたいと思ってくれたのは嬉しい。絶対視なんかしないで、コイツもいつか私が抜かしてやるって思うのは大事なことだね。君には色々教えてきたけれど……ちゃんと渡すものは渡さないと」

 

 私はこの日のために用意しておいた物を渡す。

 

「これは……?」

「お返しだ。まぁ大したものではないけれど。物品としてはただのキーホルダーだ。パートの全員分用意してあるんだよ。とは言え、デザインも同じでは面白くない。だから、それぞれへのメッセージも内包したデザインにしているつもりだ」

 

 吉沢さんには白い胡蝶蘭、小日向さんには雪割草など、それぞれに合ったもの、伝えたいメッセージなどを込めたものを選んだつもりだ。探すのに随分と手間がかかったし、中にはオーダーしたモノもあるけれど、最終的にはこの日までに何とかそろえることが出来てよかったと思う。

 

「これは……バラ、ですか?」

「そう。青いバラ。昔は不可能の象徴とされていた。だから花言葉は「不可能」だった。けれど今は違う。それが何なのかは」

「夢、叶う」

「知ってるかぁ~。確かに君なら知ってるかもなぁとは思ったけど。そう。今の花言葉は「夢叶う」。私の言いたいことはそれだけ。君の夢は必ず叶う。今すぐではないだろうし、これからもっと時間はかかるもしれないけれど、君ならやれるはずだ。頑張れとは言わない。だから、負けるなよ。他の誰でも無い、自分自身に」

「……はいッ!」

 

 高坂さんは少しだけ下を向く。その目からは涙が零れ落ちていた。彼女が泣いているところは何回か見たけれど、こんな嗚咽を上げながら大号泣しているのはほぼほぼ初見の経験だ。

 

「あー! 先輩が麗奈ちゃん泣かせてる!」

「いや、違う、違うから!誤解を招くような言い方をしないで! ちょ、聞いてるのか吉沢さん!」

「聞いてまーす!」

「君もしっかりやるんだよ、次のパーリー」

「まっかせて下さい。麗奈ちゃんに足りない分、しっかりカバーしてみせます!」

 

 周りの揶揄うような声に若干焦りながら応える。彼女たちも本気じゃない。高坂さんが大きく声をあげて泣いているなんて場面が珍しいから、少し皆動揺しているようだった。私も泣いてくれるような先輩になれたのなら良かったと思っている。

 

「高坂さん」

「はい」

 

 上げた彼女の顔は目が真っ赤だった。

 

「もうしょうがないなぁ。そんな泣きはらしてたら、この後の指導に差し障りが出ちゃう」

「すみません」

 

 声は半分濁点が入ってる。それに小さく笑って、私は彼女の前に手を出した。

 

「手、出して」

「こう、ですか?」

「そう」

 

 私は頷いて、カチャリと彼女の掌の中に持っていたモノを置く。彼女は赤い目で私が置いたモノを見ていた。銀色のチェーンと十字架。これまでの大会を私と共に見守り続けたロザリオ。世界一の奏者にして、私の永遠の目標が遺した品物だ。

 

「これ、は……」

「世界で一番トランペットが上手かったヤツの遺したモノだ。お守り代わりに持っておくと良い。ただし、あげたわけじゃない。名古屋で返しに来なさい」

「分かり、ました。必ず、金を取ります!」

「あぁ。待ってる」

 

 差し出した手を、彼女は恐る恐る握った。その目には覚悟の色が見える。私たちは確かな決意と共に、握手を交わしたのだった。私を春の日、停滞の日々から連れ出したあの燃え滾るような情熱の炎。それはまだ彼女の目の中に灯っている。その火が消えない限り、きっと大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 パートの違う後輩たちからも口々に言葉を告げられ、中々に揉まれた。様子を見て少しだけ脱出して先生方の方へ向かう。松本先生は号泣していてあんまり言葉になっていなかったようだが、それでも頑張って来いと背中を押された。この人は表に立つことは少なかったけれど、その厳しさの裏には生徒への愛情が存在している。二年生の担任だけれど、先生の人気ランキングでは三年生の先生を差し置いてダントツ一位だった。厳しいだけじゃない。そして理不尽な厳しさではない。そこに魅力があると思っている。

 

 滝先生が引っ張る部活を空中分解せずに支えられたのは副顧問でもあった松本先生の仕事も大きかったように思う。何だかんだで要所要所に主柱としていたのだ。そして肝心の滝先生は今日は些か柔和な表情で佇んでいる。とは言えそこまで特別な雰囲気は出していない。変わらないその姿を見て少し脱力しながら、声をかけた。

 

「先生」

「あぁ、桜地君。あなたには後で声をかけようと思っていました。二年間、お疲れ様でした。そして、ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことが出来たのであれば、幸いです」

「私はご存じのようにまださして教師として、顧問として経験がある訳ではありません。それに甘えるつもりはありませんが、それでも至らないところは多かったと思います。そこを表に裏に随分と助けてもらいました。来年度からの部活動の運営が不安になってしまうくらい、多くを助けてもらったと思っています」

「大丈夫ですよ。私の後輩は優秀揃いですから。来年こそ、必ず全国金を。そうして北宇治の夢を叶えましょう。そうすることで北宇治は次の段階に初めて進める。私はそう思っています」

「期待に沿えるよう、努力しましょう。あなたたちの、そして去年の卒業生たちの夢も背負っていますから。その重さには時々驚くこともありますが」

「それは先生が背負わないといけないものですからね。私たちには背負えないものです。正直、最初はとんでもない人間の片棒を担いでしまったと思いました。けれど結果良ければすべて良しではないですが、私は先生の誘いに乗ってよかったと思います。あのまま音楽への情熱も何もかも失ったままではどうなっていたのか。想像も出来ませんから。だから今は胸を張って言えます。先生が、北宇治の顧問でよかった」

「私が思うに、あなたは私が誘わなくてもきっと音楽の道に戻っていたのだと思います。私が知る桜地凛音という人物は、そういう人間であると個人的な主観ではありますが、そう思っています。けれど私が将来の偉大な音楽家に情熱の火を灯す一助となれたのであれば、教師冥利に尽きることです」

 

 先生はどこか嬉しそうな顔でそう言う。私たちの関係は奇妙だった。部活では指導者同士。けれど生徒と教師でもある。だがどこか根底のところで我々は音楽に生きる者だった。だからこそ底の方ではわかり合っている部分もあったのではないだろうか。そして滝昇という人物は一回りも二回りも年下の人物の話にも耳を傾けられるところがあった。だからこそ、私は彼を信頼して助けることにしたのだから。

 

「お礼を言っても言い切れませんが、最後に一つだけ、聞かせて欲しい事があります」

「何でしょうか」

「桜地君が一昨年の全国大会の後、皆さんに聞いていたことを、私はあなたに聞きたいのです。あの時、私は思いました。苦しいこと、辛いことも沢山あり、私も厳しい指導をしないといけない。それが全国へ行くために必要なことです。けれど最後には笑えないといけない。部活動でこの高校生活の貴重な時間を使った結果が笑顔であることが大事なのだと。ですので、あなたに代わり私が問います。この吹奏楽部での生活は楽しかったですか?」

 

 それは唐突な問いだった。確かに私は一昨年の全国大会。銅賞で終わったその大会の最後に聞いた。楽しかったのかと。それは音楽というものをやる以上必要な問いだった。音楽は苦しみながら最後まで苦しんで終わるものではないと思っている。最後には楽しさやうれしさ、感動が無いといけない。苦しいだけ、辛いだけではあまりにも報われないし、それは音を楽しむ事ではないと思っているからだ。

 

 無論、これは理想論。プロの世界ではそうでないことも多いだろう。けれどここは部活動。青春時代を使うのだからこそ、最後は笑えるようでありたかった。努力したことが、頑張ったことが楽しかったと言えるようにしたかった。それが私の密かな目標。そして、今私はその目標を自分自身がどうだったかと問われている。だが答えは考えるまでもない。

 

「勿論。最高に楽しかったです」

「それは何よりです」

 

 先生はそう言うと、しっかりと微笑んだ。

 

「ではまた会いましょう。今度は生徒としてではなく、年若き友人として、そして尊敬しあう指導者同士として。それでは、また会う日まで」

「えぇ、また会う日まで」

 

 我々は固く手を握る。二年間の契約は、遂に今日を以て終了した。先生と生徒として始まったこの関係は終わりを迎え、明日からはまた別の関係性になる。今年の夏、もし合宿に参加出来たら先生は私のことを桜地先生と呼ぶのだろうか。それは少し恥ずかしくもあるけれど、同時に楽しみでもあった。

 

 

 

 

 

 

 校門の近くは多くの保護者で賑わっている。卒業証書授与式の看板の前などで思い思いに写真を撮っていた。

 

「うわ、凄い人。入学式の時もこんなにいたっけ?」

「いや、卒業式だから多分入学式よりも来てるんだと思う。やっぱり、卒業は特別な感じがあるからね」

 

 そんなことを話しながら希美と自分たちの家族を探している。妹は希美の卒業に涙した後教室へ帰って行った。普通に卒業した後も会えると思うのだが、そこら辺の区切りはやっぱりあるのだろう。会おうと思えばいつでも会えると言っても、毎日顔を合わせていた時とは違う。あの音楽室で演奏する事はもうないのだ。

 

「あ、いたいた」

 

 希美が大きく手を振り始める。その視線の先には、この前会ったばかりの彼女の両親がいる。向こうもこちらに気付いたようでゆっくりと近づいてきた。不意にトントンと肩を叩かれる。振り返れば私の従姉が立っていた。普段とは違いしっかりとした格好で来ている。周りの保護者が皆中年の人ばかりなので一応二十代の存在はかなり目立っていた。

 

「探しましたよ。凄い人でちょっと酔ってしまいそうです」

「卒業式なんてどこもこんなものじゃないですか?」

「私はスタスタと家に帰る勢でしたので。それはともかく……あちらが先方のご両親ですか?」

「はい、希美のご両親です」

 

 希美と何かを話していたお父さんがこちらへ近づいてくる。

 

「卒業おめでとう」

「ご丁寧にありがとうございます」

「そちらは……」

 

 希美の両親には私の家の事は話してある。親はいなく、雫さんが私たちの保護者代わりであることも。だからそういう風に紹介することも出来た。私の保護者ですとも、従姉ですともいえる。けれどなんだかそれは他人行儀な気がした。そんな壁のある間柄ではない。私が私としてここに通えたのも、しっかりとした保護者がいるからに他ならない。

 

 部活を辞めた時も、何も言わないでいてくれたのはありがたかった。あの時ずけずけと踏み込まれていたら、きっと今のような関係では無かったと思う。もっと前に、私たちの将来を守ってくれもした。アレが無ければ、きっと今に至る物語は始まらなかっただろう。だから、言葉を探した。もっと上手く、綺麗に紹介できる言葉を。そしてそれは案外すぐに思いつく。

 

「前にもお話したとは思いますが、私の……私の姉です」

 

 後ろから息を呑む声がした。希美のお父さんは私たちの顔を見比べた後、何かに気付いたようで少し口角を上げる。少しだけ砕けた雰囲気になって彼は会釈をした。

 

「私が希美の父です。進路のことなどでお世話になったようで。更には今春からもっとご迷惑をかけてしまいますが、もしよろしければ、これからも見てあげて下さると助かります」

「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 お互いにペコペコと腰を折っている。完全に雰囲気は両家顔合わせみたいな感じであった。卒業式の中でここだけお見合いみたいになっている。

 

「よろしければ、お写真お撮りしましょうか? 娘さんと、ご両親で」

「良いんですか?」

「勿論です」

「ではお言葉に甘えて」

 

 希美のお父さんは雫さんにカメラを渡す。そのまま希美だけの写真や家族揃っての写真をパシャパシャと撮っていた。さっきまでは泣いていた希美もすっかり笑顔になり、少しまだ目元は赤いものの綺麗にフレームの中に納まっていた。

 

 その後は交代で私の写真も撮ってくれることになる。単体のものと雫さんとセットのもの。卒業式の時にちゃんとこうして写真を撮るのも意外と初めてかもしれない。中学時代はそんな感じじゃなかった。それ以前は言わずもがな。いつの日か、私はこうして撮られる側、祝われる側じゃなくて祝う側になるのかもしれない。そうなれると良いと思えた。

 

 写真を撮り終わる。家で言うべきだろうと思ったけれど、やはり今言った方が良いのかもしれない。そう思ってカメラの中の小さな液晶画面を感慨深い顔で見つめている彼女の方を向いた。

 

「雫さん。今までありがとうございました」

 

 彼女はびっくりしたようにこちらを見て、少しだけ戸惑ったような顔をする。その後、笑おうとして失敗したのか、ちょっと歪んだ顔のまま泣き始めてしまった。私は今日、何回人を泣かせればいいのだろうか。

 

「はい……こちらこそ……無事に卒業まで見守る事が出来ました。これで、天国のお二人にも恩返しが出来たと思います」

「そんなもう終わりみたいなこと言わないで。別に今日でお別れじゃないんですよ、私たちは」

「はい。でも……」

 

 そこまで言うと感極まったように彼女はハンカチで顔を覆いながら泣き始める。私たちの面倒を見てくれていたのは、美大に転校すると叔父夫婦に告げて絶縁を食らい、マンションも追い出されたときに拾った私の両親への恩返しがあったのは知っている。例え動機がそういうものであったとしても私は感謝している。

 

 だからありがとうなのだ。私の姉のような存在としていてくれたことへの感謝。普段は全然ダメダメな感じがするけれど、だからこそ気負った大人にならなくてもいいと気付かせてくれたように思う。昔は、大学時代はそう思っていたけれど、両親が死に、妹を前にして私が大人にならないといけないと思っていた。それを取り除こうと頑張ってくれていたのも知っている。私だけだったらきっと、どこかで潰れていただろう。

 

 雫さんは泣いたままダウンしてしまい、希美のお母さんに慰められている。慰められているという言い方は不適切な気もするけれど、様相を見る限りそんな感じだった。

 

「お父さん、ちょっと泣いてたってさ。お母さんが教えてくれた」

 

 希美は少しニヤッとしながら言う。厳格そうな顔の彼女の父が泣いている姿は想像しにくかったけれど、同時に多分真実なのだろうと思っている。彼は何よりも娘を大事にしている。それはよくわかっているつもりだった。

 

「おーい! そこの二人!」

 

 遠くから優子が手を振っている。奥にはみぞれもくっついていた。夏紀はみぞれの隣で何かを話している。彼女たちは写真撮影が終わったらしい。もしくはしない派の親なのか。

 

「夏紀がどーしても写真撮りたいって言うからさ。やらない?」

「良いねぇ。やろうやろう」

「私、そんなこと言ってないんですけど」

「はぁ? 言ってたじゃないの。寂し~みたいに」

「捏造しないでくれるとありがたいなぁ」

「捏造じゃありません~」

 

 優子と夏紀はこんなときでもこんな感じだ。

 

「撮りたいって言ってたのは、本当」

「ちょ、みぞれ」

「ほら!」

 

 みぞれの思わぬ裏切りに夏紀は仰天した顔になっている。優子は勝ち誇ったように笑い、希美は相変わらずと苦笑気味。雰囲気を察してくれたのか、他の家族が看板前を空けてくれる。ペコペコお礼をしながら彼女たちは整列した。カメラマンは希美のお父さんが務めている。

 

「ほら、アンタもぼさっとしてないで」

「いや、私は」

「五人セットで北宇治吹奏楽部幹部でしょ! 部長命令よ」

「もう部長じゃないでしょうに……。だけどまぁ、そこまで言うなら仰せのままに」

 

 結局優子に押し切られ、横列に並ぶ。中央が優子。右隣が夏紀でその更に隣がみぞれ。反対側の左隣には希美。そしてその隣が私だった。撮るとの合図があり、思い思いの顔を作る。私はどういう顔をするか、少し迷った。それでもやっぱり笑うことにした。この北宇治での三年間はきっと、そういう顔で締めくくるのが良いと思うから。私の三年間はハッピーエンドで終わる。なら、それに相応しい笑顔をしないと。口角を上げる。目の前でフラッシュの光が輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くよー!」

 

 玄関の方から妹の声が聞こえる。今日は外にご飯を食べに行こうという話になっていた。今日は夕飯作りはお休み。というか、私がいなくなった後大丈夫なのだろうか。妹の負担が増えないかが不安だ。希美の頼むわけにもいかない。どうにかしておこうと、頭の中にメモする。

 

 貰ったフォトフレームの中には、さっき希美から送られてきた五人で写っている写真が貼ってある。家庭用のプリンターで早速印刷して、貼ろうと思ったのだ。そこの中には楽しそうな高校生が五人写っている。証書の入った筒を持ちながらめいめいに笑っている。

 

 自信に満ち溢れた堂々とした笑みで優子は真ん中にいる。その隣にはそんな優子の顔を見て少し苦笑するように、それでいてどこかクールに夏紀が笑っている。夏紀の横ではみぞれが満面の笑みだった。彼女が写真写りが良いのは珍しい。希美は綺麗に、それでいて朗らかに笑っている。快活な笑みは、まさしく私が好きになったそれだった。そして最後に私は……自分の笑顔を自分で評するのも妙な感じだけれど、上手く笑っているんじゃないかと思う。あの時考えたことをそのまま出せたような顔だった。

 

 ゆっくりと指でその写真をなぞる。綺麗な思い出、苦しい思い出。全てが蘇るような気がする。彼女たちは私の青春の象徴のように思えた。何かがある時、必ず誰かが近くにいた。輝いている、煌めく一ページ。一ページでは収まらないような気もする、そんな思い出。

 

 隣には去年一昨年の部活の集合写真。その隣には、高坂さんとのツーショットがある。中庭で撮ったものだった。彼女の目はよくよく見るとウサギのように赤い。他にも部員と撮ったものがたくさん。吹奏楽部は私の高校生活のすべてだったのかもしれない。けれど、そこに戻る事は無い。指導は出来ても、部員ではなくなる。合奏することも、制服を着たまま指揮棒を振ることもないだろう。無性に寂しい。だからそれを振り払うように私は口を動かした。

 

「さようなら青春。さようなら、北宇治。さようなら。そして……ありがとう!」

 

 写真を見つめる私の顔はきっと笑っているのだろう。写真の中の私たちがそうであるように。なぞっていた指を降ろして、部屋を出る。妹と雫さんが待っている。

 

 

 

 

 

 

 北宇治高校、三年、桜地凛音。私は今日、三年間の学び舎から卒業した。

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