音を愛す君へ   作:tanuu

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第百二十音 音楽狂

 吹奏楽部に男子は少ない。故に、その結束力はパートを超えて存在している部分がある。というのも、そもそも少数派の男子はまとまらないと女子に流されてしまうという部分が大きい。オーケストラとかだと関係ないのだが、吹奏楽部は女社会。物申すには大きな塊になる必要があった。

 

 だからこそ男子はまとまる傾向にある。学年やパートの垣根を超えて団結していることが多い。それは当代においてもそうだった。特に同じ学年の男子部員同士は仲良くなりやすい。それが三人しかいないのだったらなおのことだ。三年生世代の男子は私と滝野と後藤の三人しかいない。

 

「お前も東京かぁ……」

 

 卒業式の翌日。夏紀や優子のバンド演奏を数日後に控えたこの日、飯でも食おうという事で集まっていた。滝野が惜しむように言う。後藤は楽器のリペア師になるための専門学校に行くべく上京することが決まっていた。

 

「何をしょげた顔をしてるんだよ。今生の別れでも無いんだから」

「でもさぁ、寂しくなるよな。俺だけ京都に取り残されてるんだからさ」

 

 滝野はそう言いながらジュースを飲んだ。

 

「良いじゃないか。彼女がいるだろ」

 

 後藤は寂しそうな滝野を羨むような声でそう呟く。確かにそれはそうなのだ。コイツだけ京都に残るという事は恋人とも家族とも離れずにいることを指している。反面我々はバラバラになってしまう。

 

「本当にその通りだ。お前、高校生相手に責任取れない事するなよ。ベルリンから殴りに行くからな」

「しねぇよ!」

「ホントかぁ?」

「お前の前に俺の妹に殺される!」

「それもそうか」

 

 滝野の妹が滝野に釘を刺してくれるだろう。と、言いつつも私は何だかんだでこの男を信用していた。三年間共に過ごした友人という事もあるが、この男は肝心なところでヘタレる。だがそれは臆病というより優しい方が近い。彼女が出来る前、モテたいと呟くことはあったが特段だからと言って問題のある方向に拗らせる事は無かった。それに、自分の妹は変なヤツを選ぶほど馬鹿ではないと確信しているからこそ、逆算的に滝野を信用するにつながっていた。

 

「そういや後藤はどうなんだ、長瀬さんとは」

「どうって……そのまま付き合い続ける気だが」

「ってことは遠距離なんだよなぁ。大丈夫か? 色々と」

「俺は他の女子は考えられない」

「東京はすごいぞ~。実際修学旅行で行ったとき見ただろ?あそこは綺麗どころだらけだぜ」

「俺は浮気なんかしない。梨子もしないと信じてる」

「その言葉、忘れんなよ。俺もお前らにはちゃんと幸せになって欲しいし、なるべきだと思ってる」

 

 まなじりを上げた後藤に滝野は真剣な目で言う。確かに、滝野の言う事は一理も二理もあった。三年前、一年生の時。あの時は大変だった。希美の集団退部と連座して、長瀬にも被害が及んでいた。希美や夏紀などとも個人的に親しかった、というか多くの同学年の生徒と交流関係が多少なりともあった長瀬は低音の先輩に睨まれていた。

 

 最終的に後藤のフォローと田中先輩のアシストで事なきを得たが、それで相当につらい思いをしていたのは事実。そして守った後藤も決して無事ではいられなかった。そこが女社会の怖いところである。噂が飛び交ったりとまぁそれはそれは世紀末であったものの、私が爆弾をぶん投げて無理くり鎮静化させて去ったことでひと段落したと聞いている。

 

 あの時の後藤は確かに長瀬にとってのヒーローであったことだろう。私はそれにはなれなかった。希美は守られるには強かったし、それを望みはしなかった。というより守ろうとしても彼女は拒否しただろう。そういうところがあの時の希美にはあった。私は彼になれなかった。今でも時々夢に出てくる。喧嘩別れした時の顔が、今でも。それほど私にとっては大きなトラウマだった。

 

「ま、日本なら会えるさ。東京まで二時間。そう遠くはない時代だ。私なんて海外だぞ?」 

「傘木はどうなんだ、反応的には」

 

 後藤は聞いてくる。自分と同じような境遇にある私たちのことが知りたいのかもしれない。カップルは十人十色。あんまり参考にはならないと思うが、答えることにした。

 

「元々知っていたことではあるからなぁ。ただ、希美は本当に言いたいことを隠すときがあるし……もしかしたら行かないで欲しいと思っている、かもしれない。ただ頑張って来て! と言っているのも嘘じゃないとも思う。そんな器用な子じゃないから。……ま、私も同類か」

「お前は器用だろ」

「器用な奴はもっと上手くやるさ。部活のことも、希美のことも」

 

 滝野の茶化しにフーっと息を吐きながら答える。

 

「ま、なんにせよだ。後藤は長瀬さんとちゃんと距離を超えて繋がれ。桜地は傘木さんと今のうちにいちゃついておけ」

「なんだ急に説教臭い」

「俺はさ、一応お前らのこと尊敬してんだぜ」

 

 滝野の言葉に私と後藤は顔を見合わせた。思わぬ言葉だった。彼が尊敬しているのは既に卒業した二人のトランペットの先輩のことであると思っていたのだから。

 

「桜地には前にも言ったけどよ、一年生の時さ、俺はなんも出来なかった。傘木さんたちが頑張ってるのも知ってたし、長瀬さんとかが苦しんでるのも知ってた。でもなんも出来なかったんだ。加部みたいに初心者でも無い経験者なのに、俺は何もしないで自分が傷つかないようにしてた。だからお前らが眩しかった。長瀬さんを守ってる後藤がカッコよかったし、先輩相手に傘木さんを馬鹿にするなってすげえ剣幕で迫ってるのは……俺がそうなれなかった姿だった」

 

 滝野は下を向いて息を吐いた。ずっと考え続けていたのだろう。あの頃から、そして去年を経てもなお。そもそもあの時期のことを考えてない同窓生はいないだろう。私たちの世代は、吹奏楽部に残り続けた面子には、どこかしらに抱えているモノがある。わだかまりとも言えるし、後悔とも言える。消えないシミのようなもの。

 

 それは吹奏楽部が大きくなり、栄達していくほど大きくなっていく。あの時、残り続けた自分たちが、真面目にやろうと言えなかった自分たちが栄光を手に入れている。すっかり強豪校出身になっている。この事実は私たちの中で目を背けていた現実だった。

 

「だから尊敬してるんだぜ。後藤はそれから今までずっと長瀬さんを支え続けた。桜地は傘木さんの夢、叶えたんだろ? どっちも俺には出来ねぇと思ってた。でも今なら二人の気持ちもわかるわ。確かになんであれ大切な存在なら、守りたいし、その為なら何でもできるし頑張れるよな」

「結局惚気か。自分の妹との話を聞かされるのは些か微妙な気分だな」

「悪い悪い。でも尊敬してるのは事実だぜ。だから、あの子が悩んでいるみたいだったからつい口を出しちまった。後藤みたいに実直にはなれないし、桜地みたいにスマートでも無い。けど、二人みたいになれなくても俺にだって誰かを助けられるはずだってな。今までずっとそういうのから逃げてきたけど、今回は行こうと思った」

 

 無言のまま、後藤と私は顔を見合わせた。妹をどうにかしてくれたのは、結局彼だった。私はまた大したことも出来ないまま。その引け目も合って、だからこそ私は滝野に妹を任せることにした。父親も母親もいない今、彼女の未来を見守れるのは私ともう一人しかいない。その二人で滝野でも良い。むしろ彼の方が良いと結論付けた。

 

「なんかしみったれた上にこっ恥ずかしい話になったなぁ。悪い」

「いや、いいさ。お前の本心を聞けたのは良かった。なぁ?」

「ああ。俺もそう思う」

「だとさ。後藤が言うなら真実だろ。私はほら、たまに嘘も言うし?」

 

 なんだそれ、と滝野はカラカラと笑った。いつもの少し軽い感じに戻っている。このギャップもウチの妹には刺さったのかもしれない。あの子は真面目よりの人間だから、こうして気を抜ける存在は大事だと思う。

 

「……今の内に言っておくか。妹をよろしく頼む。あれでいて繊細で傷つきやすいところもある。そのくせ頑固な所もあって面倒なときもあるだろうが……頼む」

「……あんまり軽々しくは返事できねぇ。俺だって、まだまだしょうもないところがある。だから上手くやれないかもしれない。それでも、精一杯頑張ってはみるさ。俺なんかを好きになってくれた子なんだから」

「そうか。……ありがとう」

 

 私がいなくなった後のことを考えると不安は多いが、少しは頼れる奴がいる。それならば前のようなことにはならないと信じられた。まさか滝野を頼る事になるとは思わなかった。三年前の自分に、妹のことで滝野を頼るのだと言えば鼻で笑われただろう。彼と私はそこまで深い関係でも無かったし、そもそも彼と妹は面識も無かったのだから当然と言えば当然だが。

 

「お、飯来たぜ」

 

 どこか照れくさそうな顔をしていた滝野が話題を逸らす。目をやれば確かに注文した品が運ばれてきていた。グラスを片手に音頭を取る。元々今日はそれぞれの門出における壮行会のようなもの。本来の目的はこっちだ。酒ではないが、乾杯と行こう。数年後もこうして飲めるようにと願いながら。

 

「それでは我ら男子三人それぞれの門出を祝して乾杯」

「乾杯!」

「乾杯」

 

 三つのグラスがチンと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都の繁華街の街中を歩いていく。人通りの多い喧騒の町。背の低いビルが立ち並び、雑多な雰囲気を醸し出している。居酒屋や飲み屋、バーなどは今は昼間なのでひっそりと息をひそめている。これが夜になれば多くの人でごった返すのだろう。灯りの灯る前と後とで繁華街の様子は一変する。

 

 そんな飲食店や小さな店、暗い路地や細い道も多くある繁華街の中にお目当ての場所は存在していた。曰くカフェらしいのだが、地下に存在している。というか、これはカフェと称したライブハウスに近いだろう。日本は諸々の法律のためにライブハウス単体で営業するのは難しい。なのでこうして飲食店という事にしたり、一緒にやっていることも多い。その手の店なのだろう。

 

 知らされている住所はここであっている。普段よりかは少し気合の入れた格好で階段を下りた。今日はここで卒業ライブが行われる。十五時から十八時まで貸し切りだそうだ。そこに私たち卒業生の何人か、いずれにしても演者と何らかの関係性のある存在が呼ばれている。チケットノルマもあるのだろう。世知辛い話だ。

 

 カランと鳴るドアを開ければ窓は一切ない空間が広がっている。太陽光は無いけれど間接照明の多さで物々しい雰囲気ではない。打ちっぱなしのコンクリの壁には電飾が多く飾り付けられている。その光のために会場内はほんのり青色だ。アントワープブルー。それが優子と夏紀の今日歌う曲だそうだ。それにちなんで蒼く染めているのだろう。

 

 青。青春の青。春を象徴する色。幸福の象徴。そして、今年の吹奏楽部がそれに魂を注ぎ込んだリズと青い鳥のテーマカラーもまた青だった。青は私の周りに多く存在している。そしてその青い時間はもうすぐ終わろうとしている。悲しくもあり寂しくもある。だけれど大人になればきっとこの青い時間を思い出すことも出来るだろう。その時にやり方次第では、心は必ずこの時に戻ってこれるはずだと信じている。

 

「あ、こっちこっち!」

 

 感慨にふけっていれば希美の声がする。彼女は手伝いがあると言って先にここを訪れていた。私もやろうかと申し出たけれど、私が言い出したことだから!とやんわり断られてしまったのでこうしてのんびり後からやって来ている。みぞれもその口で、まだ来ていないようだけれどそのうちのんびりやって来るだろう。

 

「進んでる?」

「大体完成かな」

 

 そう言っている彼女の格好は黒のボウタイブラウスに同じく黒のハイウエストのパンツ。スッキリとしたシルエットになっていた。大人びているその姿はファッション雑誌の読者モデルにいてもおかしくないようなスタイルを誇っていた。率直に言えば美しい。可愛いというより、綺麗の方が似合っている装いだった。

 

「カフェ……というよりライブハウス?」

「そんな感じかなぁ。私も詳しくはないけど」

「懐かしい雰囲気がする」

「今日も出てみる? 飛び込みで」

「いやいや。今日の主役は決まってるから。私はその演奏を見たくて来ただけ。それに、ぼっちでやってもつまらないしさ」

 

 仲間がいないと演奏は面白くない。特にバンドはそうだ。演奏だけならギターと自分の声があれば出来る。けれどバンドというのは結局凸凹な存在がくっついで初めて形になる。私一人ではどうにもならない。キーボードが一人だけいてもダメなのだ。メンバー全員が揃って初めて私たちのバンドは形になる。……尤もベースは永久欠番だけれど。

 

「そっか。そうだよね」

 

 彼女は笑っている。けれどその声の中には少しだけ優しさが籠っているような気がした。私の心の中にある寂しさを見抜かれたのかもしれない。彼女はそういう優しさに長けている。私の隠したいことに限っていつも見抜かれてしまうのだ。それが彼女の特殊能力なのか、それとも私限定のものなのかは分からない。出来れば私限定であって欲しいと思う自分がいた。

 

「あ、そうだ。菫! 来てくれたよ~」

 

 奥の方から人影が出てくる。派手な白縁眼鏡は変わっていなかった。若井菫。私と同じ南中の出身であり、元サックスパート。そして吹奏楽部を退部してインストバンドを組むことをいの一番に提案した存在でもあった。私はもう、彼女に思う事は無い。他人をどうこう考えるよりも、自分について悔やんだ方が効果的だし、他人を変えるより自分が変わる方が楽なのも分かっているからだ。

 

 レチクルというバンドを組んでいることは聞いていた。ゴシック調の服を纏っている。青と黒を基調とした服はある程度の統一感を生み出していた。バンドのリーダーは彼女らしい。頭に添えられたミニハットには薄い網状のチュールがついている。

 

「桜地君……。来て、くれたんだ」

「お招きいただきましたのでこうして来ました。予定も空いていましたから。今日は良い演奏を待ってます」 

「……あのさ」

「はい」

 

 彼女は希美の方をチラリと見た。希美は何かを察したような顔でスッとどこかへ行く。まだ何か準備することが残っているのか、それとも気を遣われたのか。どちらかと言えば後者がメインである気がする。

 

「あの時は、ごめんなさい」

「……」

「動機が間違ってたとは、思いたくない。でも方法論が馬鹿だったのはその通りだと思う。あの時の私たちは、何も見えてなかった。ただ現状が嫌になっただけ。だから……」

「辞めたのは別に咎める気も、怒ってもいませんでした。それに、逃げたとも。どうするかは本人の自由。それに、音楽を楽しめないという意見には私も賛同していました。だからこそ、皆さんが辞めるときに止めなかっただけです」

「でも謝りたかった。私たちは、貴方に全部押し付けて、いなくなったから」

 

 全部押し付けて、というのはそうかもしれない。南中で残ったのは優子と夏紀と私とみぞれしかいなかった。希美が去った後の数日間はその状態だった。その中で一番ヘイトを買っていたのはまぁ私であるのは妥当なことだろう。前に後藤が話していた長瀬の件は時系列が集団退部の前だし、田中先輩が何とかした。既にこの頃の標的は私に移っている。自明の理だろう。局外中立は許されない。希美と親しかった私は同類と見なされた。まるで希美に吐けなかった鬱憤を私で晴らすように。

 

 だがそれを怒っているという訳ではない。後悔はしている。もう少しどうにかできたのではないかと。けれど今はもう去った人たちに対する憤りなどこれっぽっちも無かった。そんなの抱いてもしょうがないし、何より私は今幸福である。周り周って幸福なら、その過程で私が受けた痛みは報われていると言っていいはずだから。

 

 でも相手は謝っている。私が何でもないという態度をとっているのは相手にモヤモヤを残してしまうかもしれない。私は気まずさを感じていたが、相手はそれにプラスで罪悪感を抱いているのがわかる。なら、その罪悪感を私が悪者にならない程度に解消すればいい。

 

「まぁ、舐めたこと言ってるなこいつらとは思ってましたけど。先生よりうちらの方が指導できる……とかね?」

「うげッ! 黒歴史……若気の至り……」

「そう思えてるなら良いんじゃないですか?」

「やっぱ痛い事言ってんなぁって思ってた?」

「多少は。性格が終わっている三年生と、こっちはこっちで問題のあった一年生。あそこの空間にまともなのはほとんどいませんでしたから。私も含めてね。私も謝らないといけないかもしれません。私はあなたの、そして多くの嘆きを聞きながら、心の底でそれを聞いていないのと同じ扱いにしていた。私にもきっと出来ることはあったはずなのに。ですので私もごめんなさいですね」

「いや、こっちが謝ろうと思ってたのに調子狂うなぁ……。希美もこれにやられてるのか……」

 

 彼女はあちゃ~というような顔で頭を軽く掻いた。

 

「やっぱ見てる目線が違うわ」

「そんな事無いのですけどね」

「でも実際、桜地君は傷ついてなかった。私たちは少なからずあの人たちの行いや言動に傷ついてたけど、同じことをされても動じなかった。メンタル、というか精神年齢の違いってやつ?」

「さぁ。ただ、ドイツは、ヨーロッパは理想郷なんかじゃない。差別も偏見もまだまだ残っています。『帰れ東洋人』とか言われたときに『黙れ俺より下手糞な分際で!』と返せないと生きていけませんでしたから」

 

 そりゃ大変だ、と彼女は少し笑った。事実、口に出来無いようなことを言われることもある。日本だってそうだろう。外国人へと扱いはどこか物珍しいものを見るような目線だ。大なり小なりどこの国も偏見を持っている。差別もある。その中でも音楽は数少ないそれらを乗り越えて世界の共通言語となれる存在だと信じている。それは、私が外国にいたからこそ言える数少ないことの一つだと思っていた。

 

「確かにあの後色々あって、吹部もすっかりあの頃とは変わってしまいました。けれど……バンドで音楽を楽しめたのならそれでいいはずです。音楽を楽しむのが目的なら、手段は吹奏楽でなくても構わないはずですからね」

「そう言って貰えたなら、良かった」

「音楽に貴賤はありません。上手い下手はありますが。それでも相手に届くかどうか。それだけが全てです。どんな上手い演奏も、相手の心を動かせなければその人にとっては無意味です。だから手段は何でも良いのです。相手の心を動かして、自分の心も動かせる音を出せれば。音楽は楽しむもの。まず何よりも、自分が」

「吹奏楽部指導員の桜地先生のありがたいお言葉?」

「そんなものではないのですけれどね」

「ともかく、謝りたかったの。私の心残りはこれ。後は、演奏楽しんでよ」

「はい、是非とも」

 

 それじゃ、準備があるからと彼女は去って行く。タイミングを合わせたように希美がニュッと私の横に現れた。

 

「話出来た?」

「まぁ、少しは」

「菫は、というかレクチルのメンバーは大体凛音の事気にしてたから。みぞれとか優子とかは繋がりもあったけど、そうじゃなかったからさ。クラスも違ったし、機会も無いままズルズルとって感じだったし」

「希美は、話せた?」

「元々結構話してるよ?」

「そうじゃないなぁ。分かってて誤魔化してるだろ」

「さっすが、お見通し。……少しは出来たと思う。少なくとも、今まで何となくですませていたところには切り込めた気がする。どんな関係にこれからなるんだとしても、残っている何かがあるのは嫌だからさ」

「それなら良かった」

 

 私たちと彼女たちの間には大きな溝があった。吹奏楽部に戻った者、そうでなかった者。そこに貴賤も優劣もないけれど、越えられない何か溝のような壁のようなものがあるように思っていた。実際無いわけじゃないだろう。けれど思っていたよりはその壁は低く、溝は小さかった。壊せない壁は無い。かつて我が第二の祖国の中を隔てていた壁は、名もなき誰かのハンマーで壊された。なら、きっと出来ないことではないはずなのだ。

 

「ところで今回のチケットノルマは何枚だったの?」

「一人五枚だってさ」

「大分それより多いと思うけど、呼んだの」

 

 席の数を見る限り、観客は結構いるように思う。

 

「まぁね。大分張り切ったんだってさ」

 

 なぜか彼女は胸を張るようにして言う。そのうちの何枚かは彼女のツテかもしれない。というか、私もその口か。

 

「チケットノルマか……。私たちも初期の頃は大変だった」

「後期は?」

「私たち目当てで来る人で会場が埋まるくらいには人気でしたので。一応CDとかもあるんだよ」

「家に?」

「あると思うけど」

「何それ、初めて聞いた。聞かせて聞かせて」

「分かった分かった。そんなに興奮しないで。後で見せるから」

 

 目をキラキラさせた希美が私の方へ顔を近づけてくる。近い近い。顔が良い子が至近距離に来られるとおかしくなりそうになる。彼女であると分かっていてもそうなる。仕方ない。私だって男子なのだから。これでも大分理性的な方だと自負しているのだけれど、ホントに近いとそれもどうなるか分からない。

 

 カランコロンとドアが開く音がする。顔を向ければ希美と同じ格好にそろえてきたみぞれが立っている。髪の毛は珍しくポニーテールにしていた。いつもと同じデフォルトの顔な気がするけれど、そこその長い付き合いの私は分かる。多分希美も分かっている。あの顔は呆れている顔だ。

 

「……人前はどうかと思う」

 

――――誤解を解く必要が発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステージの上には照明が煌めいている。それに照らされるように、優子と夏紀は立っていた。前者は膝丈のヴィンテージ風ワンピース。後者はパンツスタイルのセットアップ。その爪にはここからでは見えないけれど綺麗なネイルが施されていたのをさっき見た。

 

 店内は程々に騒がしい。何となくいくつかのグループに分かれて演奏を待っていた。アンプに繋がれたギターのコードが見える。あの機材の扱いとかでも色々あったりするのだ。ぶっ壊して弁償する羽目になったりとか。そんなしょうもないことばかりが思い出される。

 

 テーブルの上の軽食をほおばりながらみぞれは見ている。希美は夏紀のウインクに笑っていた。どこかで口笛が鳴る。雰囲気もあるだろうけれど、ここには暗い空気はこれっぽっちも無かった。私は目を逸らさず今からあのステージで行われるであろうことを見ようとしている。その一瞬たりとも見逃さないように。この思い出を極彩色の記憶として残しておくために。

 

 優子がスタンドマイクに近付くとそれだけで会場は静まり返る。まるで部活の時に全体の前に立てば一瞬で静まったあの時のよう。板についていた部長感がここにも発揮されている。

 

「今回はオープニングアウトとして呼ばれました。レクチルのメンバーとは中学時代からの付き合いで色々あったけど……こうしてまた同じ場所で同じように音楽が出来ることが滅茶苦茶嬉しいです」

 

 会場からは自然と拍手が巻き起こる。私の手も乾いた破裂音を奏でていた。「呼んでくれてありがとう!」と待機中のメンバーに優子が声をかけるとその拍手は大きくなる。彼女の言葉に含まれた意味に対して、会場が湿る前に夏紀はギターヘッド側に向かって弦をピックで擦り上げた。けたたましい音が響く。

 

「御託はいいから、今日は死ぬ気で楽しもうぜ!」

 

 叫んだ夏紀に歓声が飛ぶ。口笛が鳴り、拍手は更に大きくなる。盛り上がる会場。鳴りやまない歓声。この喧騒は、自分が身を置いた場所。郷愁に囚われている私は、舞台上の二人に在りし日の幻影を重ねる。みんな前に進もうとしている。その中でまだ、私だけが過去から離れられていないのかもしれない。その過去は、一年生の時では無くて、それよりもずっと前の……。

 

 終わらない思考を切り裂くように、その声は響いた。

 

「さよなら、アントワープブルー!」

 

 ピックが弦をかき鳴らす。それは静かに。けれど確かに。アントワープブルーに別れを告げる。それはこのバンド名を思いついた夏紀なりの青春へのメッセージなのかもしれない。ロックな調子が始まり、どこか陰鬱でそれでいて感性に刺さりそうな歌詞が紡がれていく。その力強い声はしっかりと前を向いていた。

 

 叩きのめすような、叫ぶような歌が響いている。会場のボルテージはどんどんと高まっている。そしてそれは私も。私はきっと、こういう喧騒と興奮の中にいるのが好きで、それ以上にそれを作りたかった。だからこそ演奏していたし、これからもしていくのだろう。

 

 だからこそ羨ましいとすら思ってしまう。ここにいる観客を引き付けて、魅了して、虜にしているあの二人が羨ましい。私もそうしたい。そうやって、全てを手に入れてしまいたい。そんな欲望が鎌首をもたげる。私たちのバンドがもう一回完全に元通りになる事は無い。失ったものは帰って来ない。思い出の中にだけ、あの完璧はある。

 

 けれど。けれどだ。折角旧友と合う上に同じ職場なのだ。もう一回キーボードを引っ張り出すのもいいかもしれない。音楽をしている私が好きだと()()は言った。隣にチラリと視線をやる。赤い頬をしながら楽しそうに前を見つめている希美がいる。その瞳はキラキラと輝ている。昔、それこそ初めて会ったに近い頃。私の演奏を聴いていた時もそんな顔をしていたような気がする。きっと、希美も音楽をしている私が好きだと言ってくれるはずだ。それ以外も好きでいてい欲しいけれど。

 

 友人たちは大学卒業の時、待っていると言っていた。あの時は何をなのか分からなかったけれど、それはきっとこの事に気付くことだったのだろう。弔いは、私が音を愛し奏で続けることなのだという事に気付くのを彼らは待っていた。

 

 随分と遠回りをしたものだ。口角を上げて前を見る。どこか清々しい気分になっている自分がいた。さっきまで右目は歌い続ける彼女たちを見ていた。左目は過去の自分たちを見ていた。一度目を閉じる。開いたときには、もう昔の自分はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い演奏だった。熱に浮かされて私も演奏したくなるくらいには、良い演奏だったと思う」

 

 打ち上げはそのままカフェを貸し切って行われた。希美がハンバーガーを軽く押し潰しながら食べている。随分とアメリカンな食べ方だなぁと思いながら、私はポテトをつまみつつ言う。感想は早いうちに、素直に。それがバンド系の演奏において大事なことだと思っている。その場の感性こそが、こういう音楽を鍛えていく。みぞれは黙々とカニカマを取り除いていた。何だか面白い。

 

「そう言えば、卒アル持ってきたんだよね」

 

 希美はそう言いながら鞄からアルバムを取り出す。何で持ってきたのかはよく分からないけれど、多分何となくな気がする。そんな感じなことが多いから。周りの食いつきは思ったよりいい。こういう事をやらせたら希美の右に出る者はいないだろう。彼女は場の盛り上げた方を熟知している。

 

「私、卒アル委員でさ。ここのページとかやってた」

 

 ごついシルバーの指輪をはめたまま、若井さんはアルバムの後半を指さす。写真をコラージュしたページには吹奏楽部の写真がある。部内の同学年の子だけで撮った奴もあるし、活動中の写真も何枚かある。噂だけれど、部活の活躍が多いほど写真の枚数も増えるらしい。その証拠に他部よりも明らかに枚数が多いのだ。私が写っているのもある。どこでいつ撮られたのか、指揮棒持ちながら全体の指導をしている時の横顔が存在している。

 

「賞状持っている優子、カッコいいね」

「部長だから」

 

 良く分からない答えを優子は返す。その持っている賞状が決して望んでいた色ではないことを知っているのはあの時あそこにいた人だけ。全国に出れているから十分、というのは何も知らないから言えることだと思っている。全国に出るのは通過点だった。私たちはその上で金を取りたかった。それでも優子も夏紀も胸を張って立っている。

 

「後、皆にとったアンケート。これも大変で……」

 

 愚痴を言うようにして若井さんの指が躊躇いなくページをめくる。そこら辺はまだ見ていなかった。後でゆっくり見ようと思っていて、忙しい日々の中で忘れていたのだ。随分前に行われていたアンケートを思い出す。

 

「松本先生が人気だったんだよね」

「絶対滝先生だと思ったんだけどなぁ」

「滝先生は二番目だね。絶対吹部のネガキャンだって」

「え~そんなことある?」

 

 自分たちの担任は四位という微妙な位置にいる。表彰台には入ってない。けれど決して下位じゃない。それくらいがあの人だった。何となく似合っている気がする。私のようにあの担任のクラスだった生徒は同じように思っていると思う。まぁこれくらいが妥当だよね、と。それは決して貶している訳では無くて、誇らしくそう思っているのだ。他所から見た評価などそんなもので良いと、そんな風に。

 

 幾つもの質問が並んでいる。Q5、高校生活の忘れられない思い出。A、良いことなら告られた事。悪いことなら喧嘩した事。Q6、あなたが一番好きな先生。A、担任。尊敬なら滝先生と松本先生で良いだろう。Q7、将来きっと大物になると思う人物。A、鎧塚みぞれ。確かこんな風に答えた気がする。そもそも答えたかも覚えていない。答えるならこんな風だろうと今脳内で勝手に思っているだけだ。

 

 Q12、あなたが友達に抱いている印象。これは難しい質問だ。十人十色と言わざるを得ない。優子は猪突猛進な所が多いけれど真っすぐだ。夏紀は自己評価が低いけれど優しい。みぞれは視野が狭いけれど芯はある。他にもたくさんの人のものが思い浮かぶ。そんな中、次の質問が目に入る。果たして自分はそれに何と答えたのだったか。

 

 Q13、あなたの自分自身への印象は? 今この時これに回答するべきならば何と書くべきだろうか。ワイワイと盛り上がる中、私はそれを考えていた。答えは案外すぐに見つかる。

 

 

 

 

 桜地凛音は音楽に狂っている。

 

――――――――とは言えそれが、私が好いて周りが好いてくれているであろう姿だ。

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