音を愛す君へ   作:tanuu

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第Ⅺ音 再構築

 新入生を迎え、そのパート決めを済ませてもまだまだやることは残っている。むしろ、ここからが本番だと思っても良いかもしれない。全国金を目指すことは決まったけれど、そのためにはやらなくてはいけないことが無限に思えるほど存在している。しかし、何はともあれまずは人間関係の構築が大事になって来るだろう。

 

 新入生係をしている加藤先輩と剣崎さんが一年生たちに軽く最初の説明会を行っている間、二三年生は今後についての話を諸々している。サンライズフェスティバルに依頼演奏にと、意外と春も忙しいのだ。一年生を見送った私の横に、スーッとパートリーダーの沙里先輩が寄って来る。

 

「どう? 一年生ズは」

「何故私に?」

「涼音ちゃんの人間観察が一番正確かなぁと思って」

「なるほど……」

 

 今年パートに入ることになった二人の一年生に対する印象。どちらも、個人的には好印象だった。あくまでも私の主観である、と前置きをして自分の意見を述べる。

 

「吉田さんは生真面目、水井さんは穏やかという印象を受けました。前者は調先輩、後者は蕾美先輩にどことなく似ているかもしれません。バランスは悪くないと思います」

「そっか。じゃあ、何とかなりそうだね」

「はい、私もそう思います」

「それと……」

 

 沙里先輩は歯切れの悪い声を出す。決してポジティブな話ではないようだ。彼女は普段明るいタイプの先輩であるから、そんな声を出している姿は初めて見たかもしれない。

 

「今年は結構攻めてると思うんだよね」

「えぇ、大分」

「高坂さんとか凄いやる気だし」

「無理もない事かと。何せ、座っている場所が場所ですし、後ろから猛追してくる方もいらっしゃいますし」

「やっぱり絶対金は欲しいよね、桜地先輩の後を継いだって言うことだと」

「はい」

 

 北宇治の校則で、アクセサリーの類は基本あまり推奨されていない。女子の中にはそれを公然と無視している生徒も存在しているけれど、吹部の女子は真面目な子が多かった。その代表のような高坂先輩が、一個だけしている校則違反。それは銀色の小さな十字架を持ち歩いていることだと思う。

 

 卒業式の時に、兄さんから託された古い遺産。終ぞ勝てないまま世を去った、早世の天才が遺した品だと聞いている。それを託したという事の意味は、凄まじく重たいだろう。希美先輩とはまた別のベクトルでの大きな感情をお互いに持っているのがあそこの師弟関係だった。それは、他のパートである沙里先輩から見ても明らかなようだった。

 

「それでね、私たちも一年生のこと、出来る限り見てあげたいんだけど、もしかしたら今後難しくなっちゃうかもしれない。限界まで頑張ってはみるけど、でも厳しそうだったら頼ることがあると思う。その時は、お願いしてもいいかな」

「お任せください。ご期待に沿えるように努めます」

「ありがとう! ……情けない話だけど、客観的に見て私たち三年生よりも涼音ちゃんの方が上手いから」

 

 私が一番パート内で余裕がある。そういう事だろう。沙里先輩は申し訳なさそうな顔をしているけれど、私としては特に不快感はない。むしろ、非常に合理的な判断だと思う。三年生の三人は自分の練習を行って、最後の大会に万全の体制で挑む。未来の北宇治を担う人材は、パート内で一番実力がある人間が担う。そうすれば、上手くバランスが取れるはずだ。一番上手い人が教えた方が良い、というのは希美先輩がそうしていたことからも伺える。兄さんもトランペットパート内で加部先輩に対して同じことをしていた。

 

 自分が一番上手いと名乗るのは、先輩を差し置いている、不敬だと言われるかもしれない。だとしても、自分の能力を正しく把握するのは大事だと思っている。下手な謙遜は決して良いことではないと、これまでの人生で学んだ。

 

「情けなくなどありませんよ。私はお役に立てて嬉しく思っています」

「そう言ってくれたら嬉しいけど」

 

 変に取り繕ったりしないで、後輩にも頭を下げられるのは大事な才能だと思う。先輩にもプライドがあって、それは私の存在によって少なからず傷つけられているのかもしれない。でも、それを気にしないようにして私に頭を下げてくれた先輩の人間性に応えたいと思うのはおかしな話ではないと思う。頼られるのは嫌いではない。自分に頼られる資格があるのかは、分からないけれど。

 

 若干暗い顔をしている沙里先輩。このまま一年生の前に出すのは良くないだろうと思い、話を変えることにする。

 

「そう言えば、今年はやるんですかね、あの面談」

「あー、あれかぁ……」

 

 兄さんがかつて下級生に対して行っていた個別面談。私の世代と、沙里先輩の世代が受けたことがある人たちだ。それは恐らく一年生に対し自分への好印象を植え付けるための作戦だったのだろうけれど、実際に部活運営に一定の効果をもたらしていたのも事実だ。それに、指導をする上で最初に人間性や実力を把握するというのも効果的だと思う。

 

 とは言え、あれは非常に特殊な事例の中で行われていたことだ。人当たりが良い、ように振舞う事の出来る兄さんと、高坂先輩では人間性が異なっている。悪口ではないけれど、高坂先輩に面談は向いてないように思う。一年生が威圧されてしまうだろう。どちらかと言うと向いているのは、部長や副部長の方ではないだろうか。

 

「パーリー会議でも出たよ、その話」

「そうでしたか」

「うん。部長がやるってさ」

「それはまた……過労死なさらないとよろしいのですが」

「結構洒落にならないよね。去年の幹部、ビックリするくらい優秀だったんだなぁって今になって思う」

「まぁ、地獄を見てきた世代ですので……」

 

 優子先輩、夏紀先輩を筆頭に、去年の三年生は地獄を生き残った世代だ。兄さんはまたちょっとベクトルは違うけれど、どん底を知っている。そういう世代は強い。何より、メンタルが違う。

 

 黄前部長も頑張っているけれど、彼女は一人で抱え込みがちな気がするのは私の杞憂なのだろうか。今はまだ特に問題が起こっていないけれど、今後どうなるかは分からない。音楽面で自分を脅かす存在がいないのが、せめてもの幸運なのかもしれない。

 

「実力確認するのは良いと思いますが、今年の幹部は全員金管ですけど、大丈夫なのでしょうか」

「う~ん、まぁ多少は分かると思うけどね」

「木管は弱いですね、北宇治」

「数世代前からそうみたい。でも来年はやっと木管の復権かもよ?」

「その心は?」

「涼音ちゃんが次期幹部になってくれれば、剣崎さんと合わせて木管組が輝き始める……かも?」

「勘弁してくださいよ、もう……」

「ごめんね、ふふ」

 

 沙里先輩はあんまり悪いと思っていなそうな顔で笑っている。何とも釈然としないけれど、取り敢えず普段の雰囲気に戻ったように思えた。

 

「そう言えば、歓迎会もしないとね」

「今年は何を?」

「うーん、何も決まってない。三年三人で話しても、碌なアイデア出なくて」

「なるほど……でしたら、そちらもお任せください」

「何か思いついた?」

「いえ、さっぱり。ですが、我が家にはそういうのに非常に長けた方がいますので」

「あぁ、希美先輩」

「はい。もう我々ではどうしようもないですし、得意な方に頼りましょう」

「じゃあ、お願いして良い?」

「もちろんです」

 

 多分、いいアイデアを出してくれるだろう。教室どころか学年の中心にいるような人だ。揚羽曰く、ド陽キャとのこと。多分、歓迎会とかのイベント事のアイデアは無限にストックされているんじゃないだろうかと思う。最悪兄さんに頼ればそれなりの物は出してくれるだろう。一年生とは来年も付き合っていくことになる。そして、私たちの後を託す存在になる。だからこそ、この最初の一ヶ月にどういう関係性を築くのかが重要なのだ。

 

 

 

 

 

 

「ここが、フルートパートの練習教室になります。パート練習と言われたら、ここに集合してください」

 

 教壇に立って、沙里先輩が一年生に説明をしている。

 

「ここは普段、普通の教室として使われています。ですので、使い方には気を付けてください。ご厚意で貸して頂いているので、何か問題があるとフルートパートだけでは無くて、部活全体に教室を貸してくれなくなる可能性があります。最後に出る人は、カーテンや窓、電気やエアコンなどを必ず確認してください。ゴミが出たら必ずゴミ箱に入れて、その辺に落とさないように。後、机の中をいじったりしたら絶対にダメです。この辺は特に注意してください」

「「はい」」

 

 沙里先輩の顔は真剣だ。この辺は去年明確にルール化された部分になっている。去年、机がいじられているという苦情が入って、事実解明に奔走する羽目になった兄さんが疲れていたのをよく覚えている。結局あれは誤解で、机を移動させた際に落ちてしまったノートなどを適当に戻しただけだったのだが。運の悪い事に、そのクラスを受け持っている先生が端から疑ってかかっていたようで、優子先輩と一緒に大激怒していた。それは無事に解決したけれど、教訓として残ったものもあったという事だ。

 

「よしっ。じゃあ、堅苦しい話はこのくらいにして自己紹介に入りましょう! まず、私がパートリーダーの高橋沙里です。普段はピッコロを担当しています。何か困ったことがあったら、いつでも相談してください。フルートパートは見ての通り、凄い人数がいるパートという訳ではないので、仲良くやっていけたらなぁと思っています。よろしくね。じゃあ、次は芽衣子、よろしく」

「はーい。小田芽衣子です。今年は全国目指してビシビシ指導されると思いますけど、せめてパートの中では優しくやっていきたいなぁというのが今の想いです。一年生の二人はこの後楽器を選んでもらうと思うけど、楽器に語り掛けてみてください。多分、答えが返って来るはずです。その子と三年間仲良くしてみてください」

 

 芽衣子先輩はちょっと独特な感性をしている。一年生は強烈な個性をぶつけられてちょっと困惑していた。でも芽衣子先輩はまだ序の口だと思う。フルートパートの真の個性派は蕾美先輩だ。私よりもよっぽどお嬢様らしいとすら思える。深窓のご令嬢という感じがあるのだ。優しく、後輩に気を配ってくれる人でもある。

 

「中野蕾美です。フレンチトーストが好きです。数の子が苦手です。フルートパートは皆仲良くをモットーにしてますので、お互いに支え合って上手くなっていきましょう。と言っても、私の方が頼っちゃうことも多いかもしれないけど……とにかくよろしくお願いします」

 

 三年生の挨拶が終わる。三人はいずれも人間的に良い人ばかりだ。凄く気が強いと言うことも無いので、付き合いやすいと思う。技術的にも、高い水準を保っていた。三年生の世代は、兄さんと滝先生の黄金コンビがずっと見てきた世代でもある。だからこそ、一番上手い生徒が揃っている。恐らく、今年の三年でオーディションに落ちるという事はないだろう。それこそ、よほどのことが無い限りは。

 

「二年七組、桜地涼音です。二年の学年リーダーも担当しています。昨年度のソロコンでは審査員賞を頂きました。三年生のお三方ほど優しくはありませんが、吹奏楽部に入ったことを後悔させないよう努めて参ります。どうぞ、よろしくお願い致します」

「江藤香奈です。目指せ大会メンバーということで、今年は張り切っていきたいと思います。中学からずっとフルート一筋でやってきたので、ちょっとは教えられる事もあるかなという感じですので、よろしくお願いします。後、その……一応ふぐちゃんと呼ばれています」

「ふぐ?」

「……ふぐ」

 

 一年生二人が呟いている。去年、一緒に水族館に行った生物部の男子からふぐに似てると言われたことが由来になっていた。相手の男子からすれば多分誉め言葉だったのだろう。ワードセンスが致命的だっただけで、悪気はなかったと思う。とは言え、フグに似てると言われて喜ぶ女子はいないと思うけれど。

 

「ふぐ、食べてみたいなぁ。でも毒があるのかぁ」

「ちょっと、つみきちゃん?」

 

 つみきさんは、まさかの背後からの一突きに愕然とした表情を浮かべる香奈さんをスルーして、自分の自己紹介を始めた。こういう部分がマイペースと言われるゆえんだろう。空気が読めないという風に言うこともできるけれど、それもまた個性だ。それに、悪意があってやっているわけではない。

 

「山根つみきです。映画鑑賞が趣味で、好きな音楽も映画音楽が多いです。私も今年は大会に出たいなぁ、と思っています。みんな、仲間でライバルなので、一緒に頑張りましょう」

「最後に、平石成美でーす。私は高校から始めた初心者でしたけど、今ではそこそこ演奏できるようになったかなぁと思ってます。私みたいな初心者でもちゃんと活動できるので、経験者ならなおさら大丈夫! ということで、心配しないでね。これからよろしく!」

 

 自己紹介には個性が出る。何を言うのか、何を言わないのか。とっかかりを作るために趣味や好きな物を言う人もいるし、自分の信念を話す人もいる。そういう要素から少しずつ人となりを掴んで、最終的に関係を深めていくのに活用するのだ。まずは名前と顔を覚えてもらう。そこから、関係性は始まっていく。そして、ここまでは一年生が私たちを知るターンだった。次は、私たちが一年生を知るターンに入る。

 

「よ、吉田巧美です。去年、全国大会の映像でリズと青い鳥を見て、憧れてきました。あんな風なソロの演奏をしてみたいです。先輩たちに追い付けるように精一杯頑張っていきますから、よろしくお願いします!」

 

 真面目な感じ、と第一印象を持った私の勘は間違っていなかったらしい。まだまだ緊張しているけれど、そのうち慣れてくれるだろう。それにしても、卒業しても新しい子を惹きつけていくとは、希美先輩も罪な人だ。かく言う私も、似たような動機で南中吹部の門を叩いたので同じようなモノだけれど。確かに、あの演奏はフルート経験者なら一回は憧れる演奏だろう。無論私にとっても、永久に目指すべき頂きだった。

 

「水井陽向です。私は、去年放送してたテレビを見てきました。楽しそうな部活だなぁと思ったので、入部しようと思いました。経験者ですけど、中学時代はのんびりやってきたので、改めて練習していきます。よろしくお願いします」

 

 ゆったりぺこりと頭を下げる水井さんも、私の印象とそう大きく外れてはいない。おっとりしている話し方は、人に安心感を与えることができるだろう。技術に関してはまだ未知数なところがあるけれど、これから上手くなっていけばいいだけの話なので、そこはあまり問題にしていない。

 

「よ~し、みんな自己紹介ありがとう。そうしたら、ここからは練習についてです。もう聞いたかもしれないけど、もう一回念のため話しておきます。平日は18時、6月からは18時半までになります。休日は9時に練習開始だけど、たまに変わることもあります。その連絡は全体LINEやパートLINEなどで注意喚起されるので、見逃さないでください。自主練習は、授業ある日は朝の7時から朝の予鈴までです。休日も開始はそれくらいが多いかなぁ。夜はそれなりに遅くまで出来ますが、時と場合によるのでその都度確認してください。夏休みなんかは結構遅くまで残れます。自主練は強制ではないので、自分の事情と相談して行ってください」

 

 去年だと、みぞれ先輩が自主練の鬼だった。中学時代から始めた先輩だけれど、黙々と自主練を続けた結果あの優れた演奏技術を手に入れていた。みぞれ先輩は天才型というよりは、努力型の奏者だろう。その努力に才能というエッセンスが加わって爆発的な力を身に着けたのだと思う。努力できる天才が一番怖い。兄さんしかり、みぞれ先輩しかり。

 

 そのみぞれ先輩は朝の6時くらいから普通に学校にいたので、そのせいか兄さんも朝早く家を出て音楽室で練習するみぞれ先輩を見守り、時々アドバイスをしつつ仕事をしていた。滝先生との打ち合わせという目的もあり、家を出る時間はいつもかなり早かったのを覚えている。一回もそれを嫌がったのを見たことが無いので、本音はどうあれ苦痛というほどでは無かったのだと思う。私は朝は得意じゃないので、羨ましい話だった。

 

「最初に来た時は、職員室で鍵を貰ってください。まぁ、大体高坂さんとかがいるし、あんまり一番乗りってことも無いと思うけどね。帰りの時も同じで、最後になったら電気とエアコンを消して、鍵を閉めてから職員室で返してください。こっちもまぁ、誰かしら先輩がいると思うので、一人ってことはほとんどないと思うけど、念のためね」

 

 今年は兄さん主催、参加者二名の地獄のスパルタレッスンは開催されない。そのため、多分去年よりも生徒が全員学校を出る時間が早くなるだろう。あのレッスンが過酷なのは体験参加した金管の同期から聞いている。曰く、もう二度とやりたくないそう。求められているレベルが凄まじく高い上に、それに難なく答えていく高坂先輩と吉沢先輩の様相は、普段の練習の数倍の気迫があったそうだ。

 

「大事な説明はざっとこんなところかなぁ。何か質問ある? って言ってもまぁ、実際に活動してみないと分からない事も多いと思うけど。特に無いなら、次は楽器選びに行こっか」

 

 パチンとウインクする沙里先輩には、どことなく希美先輩と調先輩の気配を感じる。追いかけている者は、みんな同じなのかもしれない。終ぞ届かないままだった先輩たち。その背中を求めて走り続けているのだ。私も、パートの皆も、高坂先輩や黄前部長も。その日々がどういう結末を迎えるのかは分からないけれど、それを知るのは走り終わってからでも良いのかもしれない。まずは、全力で駆け抜けないといけないのだ。腕を振って、足を動かして、息を吐いて。そうした先に、きっと今とは違う景色があると信じて。

 

 楽器選びに向かう一年生のキラキラした目を見ながら、そんな事を思った。

 

 

 

 

「ただいま帰りました」

 

 玄関の扉をガラガラとスライドさせる。和風建築である我が家の玄関はスライド式だ。住んでいる人数に対して広すぎる玄関には、靴が数足だけ置いてある。今日は皆家にいるようで、雫さんと希美先輩の靴がある。板張りの廊下は、靴下を履いていても少し冷たい。手を洗ってから荷物を部屋に置いて、リビングに向かう。ドアの向こうからは良い匂いとラジオの音声が聞こえてきた。家に帰ったらご飯の香りとラジオの音がドアの向こうから聞こえるのは、両親がまだ生きていた頃の光景だった。どこか、懐かしさすら感じる。もうあの時間は遠い昔のように思えた。まだ、四年しか経っていないのに。

 

「おかえりー」

「はい、ただいま戻りました」

「もうちょっとしたらご飯だからね~」

 

 希美先輩のポニーテールがキッチンの中で揺れている。醤油や味噌の香りが漂っていて、学校で疲れた私の鼻腔を刺激した。ガスコンロの青い炎の上にフライパンを置きながら、菜箸を動かしている先輩の横顔は、何でもない日常の一コマなのに随分と様になっている。思わず携帯を取り出して、パシャリと写真を撮った。

 

「え? 何で今写真撮ったの?」

「なんとなく撮りたくなりました。兄さんに送ってあげようと思います。恨みに満ち溢れた返信が来ると思うので」

「ほどほどにね。あんまり煽ったら可哀想だし」

「はい」

 

 冗談はこれくらいにして、鞄の中から持ってきたお弁当の箱を洗い始める。料理が出来ないのはしょうがないとしても、洗い物くらいはできる。作ってもらっているのだから、それくらいは当然だった。

 

「お昼、ありがとうございました」

「量は大丈夫だった?」

「はい、これくらいで丁度よかったです。なんだかカラフルになっていて、ちょっと晴れやかな気分でした。友人もちょっとお弁当の雰囲気変わって可愛くなったと言っていました」

「そっかそっか、良かったぁ」

 

 ルンルンと楽しそうな声で答えている。私の拙い感想で喜んでもらえるのなら、こちらも嬉しい気分になる。いつしか兄さんよりも、先輩の方が上手になるんじゃないだろうかと密かに思っていた。自分のためにご飯を作っていなかった兄さんには、自分のためにご飯を作ってくれたというのは大分効果的なんじゃないだろうかと踏んでいた。それを知ってか知らずかは分からないけれど、希美先輩の料理練習はいつか兄さんに大きなクリーンヒットを出すと思う。

 

「そうだ、一つ相談したいことがあるんですけど、良いですか?」

「もちろん。どんなこと? 滝野君と喧嘩した?」

「いえ、それは大丈夫です。それでは無くて、部活の事です。後輩が来てくれたので歓迎会をしようと思っているのですが、どこで何をすればいいのか全員今一つ良いアイデアが無いままで。何かアドバイスを頂ければなぁと」

「なるほど、そういう系かぁ。うーん、何人くらい来てくれたの?」

「二人です」

「OK、それくらいだと……ホームパーティー的なのが良いかなぁ。例えば……クレープとか」

「クレープ、ですか」

「うん。基本的に生地焼けばいいだけだから、楽かなって。上に何を乗せるかは個人の好みに出来るから、甘ったるいのは苦手だったり得意じゃない果物があっても調整できるし。お洒落な感じもあるでしょ? サラダクレープもあるから、必ずしも甘くする必要も無いしね」

「流石です」

 

 こんなスッと出てくるとは思わなかった。確かに、色んな性格や食の好みがある中で、それらに大体対応できるメニューになっているだろう。女子しかいないパートなので、ウケも悪くないと思う。私自身も嫌いでは無いし、普通にクレープ生地くらいは作れる……はずだ。一緒に共同作業をするというのは親密度を上げる上でも良い効果があると思うし、得しかないアイデアだった。

 

「ありがとうございます、助かりました」

「どういたしまして。でも、どこでやるの?」

「そうですね……多分この家じゃないかなぁと思います。他の子の家がどうなのかは分かりませんけど、この家は部屋も無駄にありますし、一番都合が付きやすいですし」

「凛音に許可取らなくて大丈夫?」

「大丈夫です。今は私が家主扱いなので」

「それじゃあ、日にち決まったら教えてね。その日にバイト入れちゃうから」

「そんな、家にいてくださっても」

「でも、一年生の子は緊張しちゃうでしょ? 先輩だけじゃなくてよく分からない年上の大学生がいると。だからその日は現役の子たちだけで楽しめばいいよ。優子と夏紀も来ないように言っておくから」

 

 優子先輩や夏紀先輩は兄さんが旅立った後もちょくちょく顔を出してくれている。みぞれ先輩もだ。あの防音室は色んな機材が揃っているから、練習するのにはピッタリなのだろう。ギターやベースの練習場所を借りるとお金もかかる。ウチならば機材も場所代もタダだ。私や雫さんとしても、この数人で住むには広すぎる家に人の気配があるのは喜ばしいと思っている。なお、日によってはご飯を食べていく日もあるけれど、そういう日は食材を何かしら買ってきて作り手である希美先輩に渡すことになっているようだ。

 

「すみません……ありがとうございます」

「後、決まったら一緒に買い物行こうね」

「私だけでも大丈夫ですよ?」

「ホントに? じゃあ生クリームの場所とか分かる?」

「……よろしくお願いします」

 

 先輩は目を逸らした私をおかしそうに笑っている。私に生活力が無いのが露呈して、ガックリした。確かに、中学生になるまでマクドナルドにも行ったこと無かった身としては、スーパーの陳列なんてよく分からない。何ならセルフレジの使い方もよく分かっていない。単純に経験不足なだけだと思う。情けない話だった。自分が兄さんに甘やかされていたというのがよくよく分かってくる。

 

「でも、クレープかぁ懐かしいなぁ」

「何か、思い出があるんですか?」

「去年の文化祭の時に二人で食べたんだよね。私が味に迷ってたら、自分が片方買うからもう片方を買って半分にすればいいって言って、それで結局間接キスになっちゃって……。えっと、確かその時の写真が……ほらこれ」

 

 差し出された携帯には、兄さんと先輩が映っている。二人の自撮りで、どっちも手にクレープを持っている。それ自体は普通のツーショットなのだが、二人の顔の距離が凄く近いのが普通の写真とは全く違う雰囲気を醸し出している。甘い空気感と会話すら聞こえてきそうだ。

 

「この時、ちょっと綺麗なマニキュアで行ったんだけど、可愛いねって褒められて……」

「その話、長くなりますか?」

「うーん、三十分くらい?」

「……なるほど」

 

 多分同じ話がみぞれ先輩辺りにもされているのだろう。みぞれ先輩はどういう気持ちでこの話を聞かされたのだろうか。合掌したくなってきた。でも、よく考えてみれば先輩が惚気話をするというのは珍しいかもしれない。あんまりパートの中とかでは話さない印象を持っていた。部活と恋愛を切り離していたのだろう。ご飯を作ってもらっているお礼ではないけれど、今まで先輩が秘めていたであろう恋物語を聞くのも悪くないと思った。

 

「それで、兄さんはどうしたんですか?」

 

 私の問いに滔々と返って来る言葉の数々。遠い異国の空の下で、兄さんが盛大にくしゃみをしているのが聞こえた気がした。

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