音を愛す君へ   作:tanuu

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第XⅣ音 伝授

「あの~、ちょっといいですか?」

 

 どこか遠慮がちな釜屋さんに声をかけられたのは、部長に話をした翌日の事だった。なるほど、行動が早いのは素晴らしいことだ。問題解決、特に人間関係における問題解決能力を買われて部長に就任したという私の見立ては、そう間違っていなかったらしい。恐らく、昨日のどこかで釜屋さんと直接対話したのだろう。その結果として、今の状況がある。しかし、気になる点があるとすれば、何故私と話をしたいのか、という事だ。

 

「えぇ、構いませんよ。どうしましたか?」

「もしかして、部長にお願いしてくれましたか? 私と話すようにって」

 

 私は彼女に対して曖昧に微笑む。自分の顔がどういう風に見られているのかくらいは理解している。そして、柔らかい表情でいる事にどういうメリットがあるのかという事も。変に威圧感を与えるのもよろしくないだろうと思い、私は意識して己の口角を上げる。

 

「そこまで直接的には言っていませんが、釜屋さんが何か悩みを抱えているようでしたので。微力ながらその解決になるかと思い、お節介かとは思いましたが部長に少しその旨をお伝えしました」

「そうだったんですね、それで……」

「逆に、どうして私であると?」

「相談したいことがあったのはホントなんで、いきなり部長から来てビックリしたんです。てっきり相談したい内容も分かってるのかなぁと思ったら、その話をしたら驚かれたので、もしかして誰かに言われて動いたのかなぁって。悩みの内容は分からないけど、取り敢えず話を聞いてみるかぁ、的な感じで。で、そう考えると桜地先輩くらいしか候補がいなかったんです。昨日、部長と二人で話してましたし」

「なるほど、よい推理です」

 

 思ったよりも優秀だ。私はそう思い、彼女の評価を上方修正する。彼女はおどけているようで、色々な物事をしっかり見ている。その観察眼は良いモノだ。きっと、未来の北宇治において大きな活躍をしてくれるだろう。

 

「差し支えなければ、どのような相談をしたのか聞いても構いませんか?」

「あー、まぁ……桜地先輩なら、大丈夫かな。一年生が部活ボイコットしちゃうかも……みたいなことを言いました」

「なるほど。私は義井さんに注目していましたが、それ以外にも不和の種は広がっていた、という事ですね」

「部長にも話したんですけど、別に全員がってわけじゃないんです。ただ、初心者の子とかプレッシャーというかストレスと言うかが強くって。ほら、高坂先輩、初心者でも同じくらいやれーって言うじゃないですか。私はそこまでじゃないですけど、人によってはそうじゃないですし。経験者にはむしろ好かれているんですけど」

「それはそれで分断の火種になっていると」

「そう言うことです」

「現状の先輩のフォローでは足りませんか?」

「それはホントにパート次第って感じがあります。いっぱいいっぱいなパートもあるみたいですし、三年生もいつも目が届くっていう訳じゃないと思いますし」

 

 過度なストレスやプレッシャーは良いパフォーマンスには繋がらない。勿論、ある程度のストレスがあるのは日常生活でも同じだろうし、上を目指すならば多少は許容しないといけない部分もある。問題は、その許容範囲は人によって全く違うということだ。なまじ高坂先輩は兄さんのレッスンを突破している。だからこそ、他人にも同じ限界を求める可能性は高かった。

 

 失敗を恐れ、足がすくみ、また失敗し、叱責され、より失敗を恐れるようになる。その負のループが始まろうとしているのかもしれない。

 

「それは上級生の責任です。一人の上級生として、謝罪させてください。申し訳ありませんでした」

「そんな、桜地先輩が悪いわけじゃないですし。まぁ誰が悪いって話でもないとは思うんですよね。高坂先輩だって、悪気があってやってるわけじゃないでしょうし……」

「とは言え、放置も出来ません。そこで、こちらでも何かできることは無いか、考えてみます。その上で、具体的に精神的に参っていそうな一年生を出来る限り教えて頂けますか? アプローチの方法は色々ありますが、人によっては諸々考えないといけないので、出来る範囲で構いませんが」

「あ、分かりました。LINE交換しても良いですか? 後で送ります」

「助かります」

 

 フルートパートは大丈夫だろうか、と彼女と連絡先を交換しながらも自省する。あの二人の後輩に、しっかり向き合えているのだろうか。私はあくまでも一部員に過ぎない。二年生の取りまとめはしているけれど、それでも幹部ではない。だから、一番しっかり向き合うべきは自分のパートの後輩たちだ。優先順位を履き違えてはいけない、と自分に改めて告げる。それを間違えれば、何も救えない。二兎を追う者は一兎をも得ずという。まずは、一つずつ、確実に。

 

「あと、サリーのこともありがとうございます。多分、色々動いてくれてたんですよね?」

「そこまでのことはしていませんが、気にしてはいるつもりです。関わりの多かった後輩ですし、その性格はよく知っていますから。彼女の性格では難儀な事も多いでしょうけれど、後輩が苦しむのを見たいとは思いませんから」

「やっぱり、サリーへのアプローチ上手いですね。別に悪口とかじゃないんですけど、こうやって直接話すようになるまで、なんであんなにサリーが先輩の事尊敬してるのかよく分からなかったんです。今はなるほどって感じですけど」

「私としても、彼女が折れかけている時でも辛うじて耐えていた理由を知ることが出来たのは僥倖でした。あなたの力が大きく働いていた部分もあるのでしょうね。無論、上石さんや針谷さんの力も」

 

 友人の力は、自分が思っている以上に大きいモノだったりする。だからこそ、失った時の損失はきっと、計り知れないのだろう。彼女たちの関係性を通して、兄さんが失ったモノの一端を垣間見た気がした。

 

「サリーはあの通りなんで、ぶっちゃけ面倒かもしれないですけど、でもお願いします。きっと、先輩の言う事なら素直に聞くと思いますし」

「えぇ。彼女の難儀な性格は、しかし善性故の美徳であるとも思っていますから。私にできることがあるならば、最善を尽くすのみです」

「ありがとうございます。すみません、お時間取らせてしまって」

「いえ、有意義な時間でした」

「最後に一個、良いですか?」

「どうぞ」

「桜地先輩は、どうしてそこまで色々してくれるんですか?」

 

 その問いは単純でありながら、答えるのが難しいモノだった。私の行動原理。それが何であるのか改めて考えてみると、難しい。色んな理由があって、それは一言で言い表すことが出来ないだろう。後輩に苦しんで欲しくないという想いもある。先輩から受け継いだ場所を守りたいという想いもある。自分が居心地の悪い環境にいたくないという打算もある。そういう風に育てられてきたからという言い訳もある。希美先輩のようになりたいという憧憬もある。純一先輩に褒めて欲しいという欲望もある。

 

 しかし、一言で答えるならば。そう考えた時に、私は一番相応しい台詞を知っていた。言った当人からはパクリと言われてしまうかもしれないけれど、私にとってはこう答えるのが一番正しい気がした。きっと、兄さんだって色んな感情をひっくるめてこの言葉にまとめたのだろう。

 

「それが、吹奏楽部のためですから」

 

 これがきっと嘘偽りのない、それでいて私の複雑な想いを全部まとめて一言にしてくれる言葉であるはずだ。そう、きっと自分の行動が吹奏楽部のためになると信じて、私は行動している。釜屋さんは、この言葉で納得してくれたようだ。

 

 けれど、その吹奏楽部は一体いつのモノを指しているのか。普通に考えれば、今の体制の吹奏楽部であるはず。でも私はどこかで、去年の幻影を追っているのかもしれない。何もかも満ち足りていた、あの時代を。この感覚を私は知っている。

 

 それは、希美先輩の幻想に囚われていた中学時代に味わったモノと同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンフェスの翌日からは本格的にコンクールの練習に入ります。合奏できるレベルまで、各自練習しておいてください」

「「「はい!」」」

 

 その日の放課後に配られた楽譜は、恐らく半年近く付き合うことになるであろう曲が記載されていた。課題曲は1番、江原大介作曲の『スケルツァンド』だ。スケルツァンドはイタリア語で軽快に、という意味を持つ音楽用語だった。楽譜の中に様々な掛け合いだったり、連携が必要になっている。この緻密な構成はサーカスを思わせる。増四度進行も数えきれないほどある。

 

 楽器のキャラクター性、ハーモニーの変化、楽器の重なりなどの仕掛け、散りばめられたアーティキュレーション。三分ほどの時間の中で、濃密な展開が繰り広げられている。一見分かりやすい曲想に騙されると痛い目を見る。そういう曲だろうと思う。しっかり吹ければ楽しいと思うが、人気という面ではどうだろうか。多分、今年の課題曲だと3~5辺りが多い気がするので、1を選んだ北宇治は多分少数派のはずだ。この戦略がどう作用するのか、今はまだ分からない。

 

 自由曲の方は戸川ヒデアキ作曲の『一年の詩〜吹奏楽のための』。四つの章から構成されており、それが春夏秋冬に対応している。それぞれの章にはタイトルも付けられており、強いメッセージ性を感じる。楽譜を指でなぞりながら、その全体の音を考えてみる。戸川ヒデアキは知らない名前だった。兄さんなら知っているかもしれないけれど、私は生憎と初耳。なので、その作曲家がどういう作品を作る人なのかはよく分からない。なので、今は楽譜を見てどういう曲なのかを想像するしかない。家に帰れば音源を聞けるので、そこで自分の想像と照らし合わせる必要があった。

 

 そしてこの曲はクラリネットから始まるのだけれど、そのすぐ後にフルートのソリがある。そして最後にもフルートのソロ。ここが恐らく、フルートパートにおける最大の見せ場だ。先生から、木管が信用されていることが如実に伝わって来る。でなくば、出だしと締めという曲におけるキーをどちらも木管が担う曲を選んだりはしないだろう。

 

 沙里先輩の手が固く握られたのが、視界の端にちらりと見えた。他のフルートパートの先輩や同期の席は私の座っている位置からでは見えないけれど、多分思っていることは同じだろう。特に先輩は今年が最後だ。最後の大会で、後輩の後塵を拝すのは御免蒙ると思うのは当然の事。つまり、私は追われる側になったのだ。傲慢と思われるかもしれないけれど、自分の実力を卑下するつもりはない。今のパートで一番上手いのは私だ。でも、去年の希美先輩ほど圧倒的じゃない。まだまだ薄氷の上に君臨しているに過ぎない。気を抜けば、あっという間だろう。

 

 中学時代から追うばかりだった。追われる側の気持ちというのはこういう事なのか。乾いた唇を小さく舐める。緊張もあるし、プレッシャーもある。けれど、負ける気は毛頭ない。奏者として希美先輩の跡を継ぐのは私だ。他の誰にも、譲りたくはない。追いかけるのは慣れているけれど、追われる感触を味わうのは考えてみれば初めてかもしれない。この緊張は、存外悪いモノでは無かった。

 

「他に、何かありますか?」

「あーえっと」

「こういうのはドラムメジャーの方が良いんじゃないのか、演奏の事だし」

 

 一瞬言葉に詰まった部長に、副部長が助け舟を出す。部長がその言葉に頷いたのを確認して、高坂先輩は前に出た。その一挙手一投足に、多くの視線が集まる。

 

「率直に言います。北宇治の演奏は上手い」

 

 唐突な言葉に、少しの困惑が広がった。それを意に介さず、先輩は言葉を続ける。

 

「だけど、上手いだけでは全国金は取れません。何故なら、上を目指す学校はどこも上手いからです。北宇治は一番を目指しましょう。今の自分で満足するんじゃなくて、さらに上を行く未来の自分を追いかけましょう。昨日の自分より、一時間前の自分より、一秒前の自分より上手くなり続けられるように。妥協しないで、積み重ねて、自分と戦い続けてください。そしてその果てに……全国金、取りに行きます!」

 

 その強い自信と決意を感じさせる言葉に、大きな拍手が起きる。普段は高坂先輩を怖がっている一年生であっても、この発言には奮起させられるモノもあったんじゃないかと思う。そういうオーラを、彼女は醸し出していた。この人に付いて行けば大丈夫、とそういう雰囲気を。

 

 手を叩きながらその瞳を見つめる。妥協しないで、自分と戦う。どこかで聞いたようなセリフだ。二年生の多くがそれをハッキリと覚えているとは思えない。けれど、多分どこか記憶の中で覚えがあるんじゃないだろうか。それを言った人物の姿と共に。高坂先輩は敢えて、言葉を真似たのだろう。その理由がポジティブなモノであることを祈った。

 

 そして、この一番を目指すという言葉と共に、練習は一層加速していくことになる。

 

 

 

 

 

 

 学校生活は部活だけで形成されているわけではない。むしろ、部活は大半の生徒にとって学校生活と同等、或いはそのおまけに存在しているモノのはずだ。部活のために学校にいる、という奇特な生徒が多いであろうという点でも、吹奏楽部は特異点なのかもしれない。進学クラスにいると、なおの事そう思う。進学クラスに吹部の部員が少ないのは、多分このクラスに所属している生徒の主目的が部活ではないからだと思う。その証拠に、他の部活の有力な部員も大抵はこのクラスにいない。ともすれば、私も異端という事になるのだろう。朝から勉学に励むクラスメイトを見ながら、ふとそんな事を思った。

 

「あれ、お涼のポニテ、結構レアじゃん?」

 

 顔を合わせて早々にそんな事を言ってくる揚羽にジト目を送りつつ、私は自分の席に着く。

 

「どうしたん? デート?」

「違います。マーチングの練習があるので」

「あぁ、サンフェスね。もうそういう時期かぁ」

 

 希美先輩や夏紀先輩のトレーニングマークとも言うべき髪型は、普段はあんまりしない。ストレートにしておくのが一番楽なのだ。結んだりするのは、それこそ大会の時や去年度にあったテレビの取材などの特別な時だけ。後、結ぶと単純に重い。

 

「そもそも、デートなんて全然出来てませんよ。毎日会えていた去年が懐かしい……。遠距離恋愛は辛いですね」

「それ、お兄さんに言うとすんごいイラっとされると思うよ?」

「だからあなたに言ってるんです」

「それもそっか」

「そうです」

「だからなんかストレス溜まってそうな顔してるんだね~」 

 

 彼女の何でもないかのように言った言葉は、私にとっては至極意外なモノだった。心外と言っても良いかもしれない。なにせ、自分ではそんな事あんまり考えてもいなかったからだ。

 

「そんなにですか?」

「うーん、ストレスって言うかなんて言うか。何か色々考えないといけないことが多くて疲れてるって感じ? 難しい顔してること増えたし」

「……」

「ダメだぞぉ、ちゃんと発散しないと。カラオケとか行く?」

「……良いですね。行きますか、たまには」

「そうこなくっちゃね」

 

 部活の子から指摘されないことを指摘されるのは、私が教室で気を抜いているからなのだろうか。それか彼女が単純に人間観察に秀でているのか。そのどちらでもあるような気がする。無邪気に過ごせていた時期はもうとっくの昔に過ぎ去った。季節は間もなく五月に進もうとしている。変わりゆく環境、人間関係、その他のままならない諸々の課題。そういうモノに振り回されている間に、少しずつストレスが溜まっていたのは事実に思える。

 

 今日の練習が終わった後少しくらい息抜きをしても構わないだろう。希美先輩もバイトなので、夕食も遅い日だ。だから、時間的な余裕はまだある。オーディションが終わった後になれば、もう遊んでいる余裕なんてないだろう。そう思っていると、教室の扉の向こうからゆるふわウェーブな黒髪が覗く。

 

「ごめんね~、涼音ちゃんいますか~」

「はい、いますよ」

「あ、良かったぁ。おはよう」

「はい、おはようございます」

「揚羽ちゃんも」

「おっは~」

 

 ほわっとしている、と男子から言われている彼女は、私の友人の一人だ。私はコミュニティーがそんなに広くないと自覚している。無論、話せる相手は多いけれど、凄く仲が良いと言える生徒はそこまでいない。揚羽やフルートパートの面々、南中組を除くと彼女や剣崎さん……後はまぁ、一応久石さんが挙がる。名前は滝野さやか。私の彼氏の妹だった。

 

 元々彼氏の妹という縁で知り合った間柄ではあるけれど、彼女は友達の多いタイプの生徒だったために、仲良くしてもらっている。尤も、多くの人が表面的に見ているよりは立ち回りが上手い子だとも思っている。勿論、悪い意味ではない。身内に見せる顔は普段とは違うが、それは私だって同じだ。兄さんとフルートパートの子たちと同じ態度で接したりはしない。どこでもそういうモノだと思う。

 

「二人のどっちか、数Ⅱの教科書持ってない? 一限で必要なんだけど忘れちゃって……」

「大丈夫ですよ。はい、どうぞ」

「わぁ、助かった、ありがとう!」

「いえ。二限で必要なので、終わったらすぐ返してくださいね」

「うん!」

「あ、ウチも無いわ。お涼、悪いけど二限は見せて」

「はいはい。また及川先生に怒られますよ?」

「いいよ別に、あの先生あんまり教えるの上手くないし」

「まぁ、それはそうですが」

「涼音ちゃん、しれっと結構辛辣だよね」

「事実ですから」

 

 我々の担任は授業がつまらない。それはある程度共通認識だった。まぁ、普通の公立高校なんてそんなものなのかもしれない。

 

「あ、そうだ。今日の放課後暇? ウチとお涼でカラオケ行こうと思ってるんだけど、一緒にどう?」

「いいの?」

「もちろんです。さやかさんも是非」

「なら、一緒させてもらうね」

「じゃ、部活終わったら集合でよろ!」

「うん。あ、もう教室戻らないと。涼音ちゃん、教科書ありがとね~」 

 

 手を振って教室に戻っていく彼女を、手を振りながら見送る。もし仮に、私と高坂先輩が対立したら、彼女はどっちの味方になるのだろうか。そんな事を、ぼんやりと考えてしまった。そんなものは状況次第だと言うのに。そもそも、対立なんてしなければ良いだけの話なのに。やはり、色々とストレスが溜まっているのだろう。だから、色んな物事を悲観的に捉えてしまう。

 

 さやかさんが出ていくのと入れ替わるように担任が教室に入って来た。また、こうして一日が始まっていく。それでも少し普段と違う行動をする予定がある、というのは清涼剤のようにも思えた。

 

 それが、現実逃避かもしれないという考えからは、目を背けつつ。

 

 

 

 

「このペットボトルから、あそこのペットボトルまで5メートルになるように計測しました。まずは、ここを8歩で歩いてもらいます」

 

 5メートルで8歩。通称ゴメハ、とも言われる歩き方のルールだ。一歩62.5センチ。この歩幅は慣れていない人には難しい。最終的には身体に覚えさせるしかないのだろう。

 

「その際にまずは自分の目線よりもやや上を見ながら歩いてください。普通に見ながらならば歩けると思いますが、大体の場合それは最初か最後で歩幅を調整しています。ですが、本番では下を向けません。ですので、まずは下を見ないで感覚を掴む訓練です。よろしいですね?」

「「はい!」」

「では、始めましょう。1、2、3、4、5、6、7、8!」 

 

 昼休みの中庭で、私は手を叩きながらカウントを行っていく作業を行っていた。目の前には疲れた顔をしながらも歩いている一年生が二人。全体練習やパート練習がある前に、なるべくできるようになっておきたい、という申し出があった。そのため、私がこうして練習に付き合っているのである。

 

 私たちの学校はマーチングが専門ではない。立華高校のようにマーチングに熱意を注いでいる学校ならば、吹奏楽部が中庭で行進を繰り広げているのも普通の光景なのだろうけれど、北宇治においてはこの時期にしか見られない景色だった。加えて言えば、サンフェス前であってもこうして自主練をしたいと申し出る一年生は決して多くない。この二人はやる気がある方だと思う。

 

「はいストップ。やはり、行き過ぎましたね。それで構いません。では今度は少し歩幅を小さめにしながら、下を見ながらで構いません、同じように8歩歩いてみましょう。この際に、歩幅は絶対に変えてはいけません。では行きますよ、1、2、3、4、5、6、7、8!」

 

 今度は少し足りなかったようだ。けれど、別にそれで構わない。何度も試行錯誤していくうちに、段々と感覚がつかめていくようになるはずだ。

 

「足りなかったという事は、どういうことですか? 水井さん」

「もう少し大きめに歩かないとダメってことです!」

「その通り。では先ほどと同じように、今度は歩幅を大きめにしてもう一度。先に言っておきますが、出来るようになるまで何回でも行いますので、そのつもりで」

 

 何度も繰り返しているうちに、大き過ぎたり小さすぎたりする歩幅が段々と揃ってきた。少しずつだけれど、自分の中で調整を繰り返しているうちに、最適な大きさを掴めるようになってくるのだ。

 

「良いでしょう。では、下を見ないで行きましょう。1、2、3、4、5、6、7、8! どうでしたか? 最初よりは断然しっかりと歩けているはずです。今のが本番でやるべき行動でした。大切なのは、自分が行き過ぎているのか、それとも足りないのか。それをしっかり個人レベルで理解することです。理論上、全員が均一に歩けていればぶつかったりズレたりはしません。今のでポイントは掴めたと思いますので、次は10回連続でやってみましょう。全部しっかりと出来るまで続けます。よろしいですか?」

「「はい!」」

「では、行きます」

 

 まだまだ粗削りなところはあるけれど、段々と揃うようになってきた。横から見ていても歩幅はほぼ均一になっている。他のパートがどういう練習方法を使っているのかは分からないけれど、取り敢えず自分のパートの後輩たちはしっかり揃っていると言える状況になってきただろう。高坂先輩に怒鳴られることはないはずだ。フルートパートがしっかり出来ていれば、他のパートのフォローに回る事も出来る。そうすれば、全体の実力向上に貢献できるはずだ。後は歩き方を調整できれば完璧だと思う。

 

「みんな、頑張ってるね」

「お疲れ様です」

「「お疲れ様です!」」

 

 十数回目の行進をしていると、購買帰りと思しき真由先輩が1階の渡り廊下から中庭にいる私たちに向かって声をかけてくる。にこやかに微笑んでいるその姿は出会った時とあまり変わらない。低音パートに馴染めているのだろうか、そうだったら良いのだけれど……と少し心配していただけに、表面上は大丈夫そうであることに安堵した。北宇治が好きだと言ってきてくれた人に、失望されてしまうのは本意ではない。

 

「三人は、マーチングの練習かな?」

「はい。二人の練習を私が見ています。そうだ、真由先輩。今お時間よろしいですか?」

「うん、大丈夫だよ」

「では、少し練習に付き合ってくださいませんか? 清良女子はマーチングでも全国金レベルだったと記憶しています。真由先輩もご出場なさっていたでしょうし、フォワードマーチの綺麗な歩き方のコツなどあれば教えて頂きたいのです。どうでしょうか……?」

「もちろん、大丈夫だよ!」

「ありがとうございます。二人とも、一回ストップしてください」

「「はい!」」

 

 清良女子は上手い子が入る学校ではあるけれど、もちろん新人教育はしているはずだ。一年生の時はそれを受けていて、二年生として指導したこともあるであろう真由先輩のノウハウはきっと役に立つと思う。少なくとも、私よりよっぽど詳しいだろう。

 

「よーし、じゃあ教えていくね。分からないことがあったら、すぐ聞いてくれて大丈夫だよ。まずは真っ直ぐ足を出してみて。次に地面に着地する時には膝がまっすぐ伸びている事を意識してね。そうしたら、前に出した足のかかとからつま先までなめらかに地面に触れるように。イメージはボールかな。足の裏がボールになったと思って曲線をイメージするの。そのイメージのまま重心を前に移動させて、つま先まで地面に触れたらかかとが上がってくるから、その流れで次の足を出していく。次の足を出すときは後ろの足で地面を蹴っ飛ばす感じ。どうかな?」

 

 私はなんとなく分かったけれど、一年生の二人は少し悩んでいるようだった。それを見た真由先輩はそれならと別のアプローチを始める。

 

「イメージしにくかったら、まずは片方の足を前に出てみて。そうしたら、前後に重心を移動させてゆらゆ~らってしてみてね。どう? 両足とも地面に付いてるけど、よくよく見てみたら地面に付いてる部分ってごく一部じゃないかな?」

「ホントだ……」

「確かに……」

「ボールもおんなじ。べたッと地面には付かないよね? その感じで前に進み続けるのが大事かな。後はさっきも言ったんだけど、しっかり後ろの足で地面を蹴っ飛ばしていくの。そうすると綺麗になると思うよ。伝わったかな?」

 

 一年生の二人は一気に色々な事が掴めたようで、目が輝いている。流石、マーチングも強豪校なだけはある。清良の技術は間違いなく有用なモノだった。なんなら、私も自分の練習と今後の指導に活かしたいと思っている。多分、言わないだけで真由先輩は沢山技術を持っていると思う。そしてそれを教えるのも上手い。その能力をもっと発揮してもらえれば、きっと上手くなる部員は多いんじゃないだろうか。

 

「ありがとうございます。とても参考になりました」

「そうかな? そうだったら嬉しい。綺麗に歩けると上半身がブレないから動きも綺麗だし、音も安定するし、使う体力が減ったり怪我もしにくくなったりするし、良い事が多いから」

「二人だけではなく、私も学びになりました。本当にありがとうございます」

「役に立てたなら良かったな。頑張ってね」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 丁寧に頭を下げる私たちに手を振って、真由先輩は教室に戻っていく。この僅かな時間だけれど、教えてもらったことは技術の向上に直結するだろう。特に一年生には。将来の北宇治がサンフェスに出る時に、彼女たちが今の教えを後輩に伝えていくこともできる。それくらいに価値のある内容だったと思う。やっぱり、彼女には部活に入ってもらって正解だった。ユーフォに関しても、針谷さんの良い教育係になってくれるだろう。それは、やはり未来の北宇治に繋がるのだと思う。

 

「さぁ、今の教えを忘れないうちに。歩き方と歩幅。今日の間に同時にクリアしてしまいましょう」

「「はい!」」

 

 昼休みの時間は残っている。まだまだやる気を見せている一年生二人を前に、私は手を叩き続けた。

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