音を愛す君へ   作:tanuu

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第ⅩⅥ音 一歩

 サンライズフェスティバルまでの残り日程はどんどんと少なくなっていた。それは同時にこの厳しい練習環境が加速していき、部員の、特に一年生のストレスが上昇していくことを示してもいる。練習に苦慮する一年生、余裕があるとは必ずしも言い難い三年生、間に立たされつつ立場を模索している二年生。いずれも毎日の日々の中で小さな不満を抱え、それでも活動時間を過ごしている。

 

 空き教室の椅子に座りながら虚空を眺めている部長が、その不満の行き先の一つであるのは明々白々と言って過言ではないと思う。今の今まで後輩からの相談、という名の愚痴を聞かされていたであろう彼女の視線はぼんやりと教室の天井を彷徨っていた。その様を入り口から見て、声をかけるべきか悩んだがかけることにした。報告するべきことがあったからだ。

 

「お疲れ様です」

「んんっ! お疲れ様」

 

 私の存在を確認すると、部長は慌てたように視線をこちらに向けて姿勢を正す。そんな風にかしこまる事も無いと思うのだけれど、多分どこかで遠慮があるのだろう。元々、そこまで関係性が深い相手でも無かったのだから仕方ないようにも思う。彼女が部長になって、新体制が始まった。あの頃はまだ兄さんがいたけれど、新政権発足と同時に最も人数を抱えている二年生の取りまとめをすることになった時点で、ある程度の関わりが生まれるのは必定だった。とは言え、どこか壁があるようにも感じる。それは、彼女が持っている先輩としてのプライドなのか、それとも。

 

「また、お話でしたか」

「うん、まぁね。それを聞くのも、私の仕事だし」

「部長のお話を聞いてくださる方がいらっしゃると良いのですが」

 

 私の言葉に、困ったような視線を向けられる。困惑、というよりはそんな事考えてなかったとも言うべき視線と言えるかもしれない。部長の下に多くの不満がやってきている。それは仕方のない事なのかもしれない。部の長であり、そういう能力を期待されての人事差配だということは自他ともに認めるところだろう。

 

 けれど、組織の長というのは孤独なモノだ。誰かの不満や悩みを解消するために東奔西走粉骨砕身しようとも、己を安らげてくれる存在はあまり多くない。責任は求められるが、無給である以上リターンも無い。多くの部員が部長を信頼して、部長を頼る。それは構わない。けれど、部長が困った時や相談したい時は? それが出来る相手がいないと、私の二の舞になってしまうだろう。

 

 私と部長はそう関係性が深いわけでもない。友達でもないし、沙里先輩たちと同じような関係性ではないだろう。けれど、決して不幸になって欲しいわけでもないし苦しんで欲しいわけでもない。この北宇治高校吹奏楽部という空間において私たちだけが、強豪部活の長という孤独を分かち合える存在だった。

 

「副部長がいらっしゃるので大丈夫かもしれませんね。差し出がましいことを言いました」

「ううん、心配してくれたんだよね? ありがとう」

「いえ、お礼を言われるほどのことでは。ただ……人の悩みを聞き続けるというのも、ストレスが溜まるモノでしょうから」

 

 部長はこの部の要石だ。彼女がいなければ、部はきっと上手く回らない。少なくとも、高坂先輩のストッパーが消滅してしまう。そうなってしまった場合、私は伝家の宝刀をドイツから引きずり出して来るしかなくなってしまうだろう。それはきっと幸福な事ではないはずだ。高坂先輩にとっても、部活にとっても。

 

「お疲れとは思いますが、ご報告よろしいでしょうか」

「うん、大丈夫」

「ありがとうございます。先日の一件以来、それとなく働きかけを行っています。一年生や二年生の間で存在していた意識の差は少しずつ無くしていくしかないかと。草の根運動、という事ですね。久石さんや剣崎さんにも協力を仰ぎ、地道に誘導していく方針で動いています。二年生としては少なくともそういう雰囲気を作り、後輩の負担にならないように努めたい、というのが私の現在の考えです」

「あれから、何かありそう?」

「あそこまでのことは特には。部長がパートリーダー会議で釘を刺してくださったおかげか、三年の先輩方も気を配っておられますのでしばらくは大丈夫かと思います。具体的には、オーディションまでは」

「そっか……。それならまぁ、ひとまずはって感じかな」

「私はそう判断します」

 

 盗み聞きというあまり良くない手段とは言え、一連の流れを聞いてしまった以上乗り掛かった舟から降りるというのも筋違いと思い、こうして行動してきた。自分一人では限界があるため、学年で影響力のある久石さん達に頼る事にはなったけれど、そこは大きく問題ではないだろう。部長の役に立てるとあれば、久石さんは大きく力を発揮してくれるはずだ。

 

「ストレスを完全に取り除くことは出来ません。部長にしろ私にしろ、一人の人間が出来る事には限界があります。そう重く捉えすぎない方がよろしいかと。でないと、自負で潰れてしまいますから」

「そうだね……でも、出来る限りのことはしたいから。麗奈もレベル上げのために一生懸命頑張ってるわけだし、それをストップしろ~とは言えないしね」

「……」

 

 部長の言葉に私は返事をしなかった。喉元まで出かかった言葉を呑み込む必要があったから。頑張ってるなら、どんなやり方でも許されるのですか? 私は今、こうして悩みの渦中にいる部長に向かって問いかけようとした。

 

 努力しているなら、頑張っているなら、一生懸命なら、どんなやり方でもどんな言い方でもどんな振る舞いでも許されるのだろうか。批判することは、改善を求めることは、問題を指摘することは許されないのだろうか。高坂先輩が一生懸命な事も頑張っている事も認めるし、それを否定する気は全くない。けれどそれは、肯定する事とはイコールではないはずだ。

 

 努力しているから許されるのなら、中学時代の私の行いすらも素晴らしいモノになってしまう。批判するべきではなく、改善する必要などなく、止める必要など無かった行為という定義をされてしまう。人によってはそう思うのかもしれないし、事情を知らない高坂先輩などはそう思っている節もある。けれど、私はそうは思えないし、思いたくも無かった。

 

 愚かだった自分を肯定されているようで、無性に腹立たしかった。鏡で自分の愚かさをこれでもかと突き付けられているような、そんな気分。

 

 でもそれを部長に言っても意味が無い。これは私が向き合わないといけないことだ。高坂先輩は確かに厳しく、それがストレッサーになっている部員がいることは否定しないが、まだそれだけだ。言ってしまえば強豪校ではある程度許容されるべき範囲にあると思う。ならば、まだ何もするべきじゃない。それは高坂先輩が私と同じような道に進んでしまうような存在であると、思いたくないだけなのかもしれない。

 

「高坂先輩の努力が報われるように、当日精一杯演奏しないといけませんね」

「そうだね」

 

 うんうん、と頷く部長に対し、私は誤魔化したように微笑む。当たり障りのない言葉を告げられたことに、心の中で安堵の声を漏らしながら。

 

 

 

 

 

 

 

「教習所っていくらくらいします?」

「最近の相場は三十万弱ってところじゃないかと思います」

「ですよねぇ……うーん、三十か……」

「合宿免許だともう少しお安いかもしれませんね」

「でも合宿だと結構がっつり日にちが必要じゃないですよね? あんまり長期に時間が取れる日が無くって。夏休みとかに間に合わせたいんですよ」

「そうなるとやはり通いの方がいいでしょうね。とは言え学生に二十万三十万は大きいですからね。分かりますよ」

 

 洗面所で話す雫さんと希美先輩の話声が、お風呂の曇りガラス越しに聞こえてくる。雫さんは私の制服なんかを洗濯機から取り出してハンガーにかけている。希美先輩はドライヤーでゆるゆると髪を乾かしていた。

 

「半額だけでもご両親に出してもらうというのは?」

「ちょっと今度相談してみます」

「しかし、この時期ですか。普通は春休みか夏休みに行く方が多いですが」

「凛音が夏に戻って来るらしいんですけど、その時にまたどっか旅行とか行きたいねって話してて。横にずっと座って任せっきりっていうのもどうかな~と思ったんです」

「なるほどそうでしたか。まぁ凛音君は何も思わなそうですが」

「それは思ったんですけど、私が嫌だなぁって。流石に取り立てはちょっと厳しいですけど、じゃあせめて来年くらいまでにはしっかり運転できるようになっておきたくて」

 

 兄さんは良い彼女を持ったなぁとぼんやりと思った。純一先輩も通ってはいるらしい。お義母さんから初心者マーク外れるまで私を乗せるなときつく言われたと聞いている。

 

「あぁ……」

 

 疲れ切ったOLのような声が漏れる。お風呂の中で足と腕を伸ばしながら、私は一日の疲れを取っていた。オレンジ色の照明が浴室を照らしている。一人で入るには大きすぎる浴槽は、こういう疲れた時に身体を休めることが出来るという意味では最適だった。水道代から目を背けるならば。

 

 湯気がぼんやりと天井に昇っていく。天井にある水滴がぽちゃんと湯船に落ちた。その音を聞きながら、今後のことを考えてしまう。どうも、私は何も考えずにボーっとするというのが不得手みたいだ。どうしても何かしら考えてしまう。仕方ないと諦めて四十二度の水の中で思索を始めた。

 

 高坂先輩が厳しいのは幾つか理由があると思う。それは単純なモノから複雑なモノまで、決して一言でコレ! と断言できるものではない。とは言えその一つにキャパシティーがギリギリであるという理由は間違いなく存在している。元々人数が多すぎるのだ。それをドラムメジャー一人で管理しようなど難しいどころの話ではないと思う。

 

 追いかけている相手が相手なだけに、それを指摘しても素直に受け入れはしないだろうけれど、現状を続けてもじり貧になるだけだ。いずれ、高坂先輩の限界が来る。精神的なモノが先か、肉体的なモノが先か、或いは同時にか。それはまだ分からないけれど、兄さんと同じような事をしようとしても十中八九上手く行かないだろう。事情も条件も経験値も違うのに方法だけ真似たって上手く行くはずがない。取り敢えず外資系のやり方を導入してみて失敗した企業みたいになってしまう。

 

 キャパシティーオーバーの解決のための方策は二つ。一つ目は仕事量を減らす事。しかしこれは難しいし、本人が受け入れないだろう。二つ目は補佐役を付ける事。相談相手、分業相手と言い換えてもいいかもしれない。これは高坂先輩自身も受け入れるはずだ。何せ、自分から私に対して提案してきたのだし。断ってしまった私がこんな事をいう資格は無いと承知の上ではあるけれど、高坂先輩には補佐役が必要であると思う。私よりももっと、優秀かつ人格者な。

 

 候補は何人かいた。例えばコントラバスの川島先輩。彼女は人格でも音楽技術でも問題が無い。とは言え、月永君の指導もあるだろうし低音パート関連の仕事もあるだろう。全体を見ている余裕はないと思う。他の先輩たちも同様の理由で除外されていく。後輩にそれが出来るほどとびぬけた存在は今のところいない。強いて言えばチューバの鈴木美玲さんくらいか。けれど彼女には経験値が足りないし、高坂先輩への憧憬が強すぎるきらいがある。

 

 そこまで考えて、一人だけ暇な人がいた。後輩への指導くらいしか現状部内で役目を背負っていない人。そしてその人は部内で後輩にはある程度慕われているものの、まだまだ距離がある状況だ。一年生はともかく、二三年は特に。ここで運営に関わってもらうことでお互いに一体感を創出することが出来れば、双方にとって良いのではないだろうか。その人物は現在低音パートにいる。部長との連絡も取りやすい。その名は黒江真由。清良の技術を背負ってやってきた、期待の新星だった。

 

 部の運営に参画させるのには引け目があるけれど、真由先輩だって三年生。その辺は分かっているだろう。というより、このコミュニティに入ることを覚悟の上でここまでやって来たんだと思う。転勤族という話だし、既に出来上がっている人間関係の中に入っていくのがどういう事かはよくよく理解しているはず。それでも北宇治吹部に来たいと思ってくれた相手を、むしろお客様扱いする方が失礼なのではないだろうか。積極的に巻き込んで頼っていくことこそ、仲間として扱っているとは言えないだろうか。

 

 我ながら詭弁のようではあるけれど、ある程度筋は通っていると思う。悪くないアイデアではないだろうか。真由先輩なら人格的にも技術的にも問題は無い。高坂先輩に対しても意見を言うことが出来るだろう。あの人はたおやかで穏やかではあるけれど、しっかりと強い信念を持っているタイプだと思う。高坂先輩が間違ってると思ったら間違っていると指摘できるだろう。同じ兄さんのファン(?)というところも共通点だ。

 

 これを本当に提案するとして、誰にするべきか。まず真由先輩本人には筋を通さないといけない。寝耳に水では驚かせてしまう。高坂先輩本人はダメだ。彼女はプライドが高い。兄さんは出来ていたのに、自分一人ではできないと思われていると解釈されると拗れる。それは面倒だし、そもそもお前がやれよと言われた場合、正直に断る理由を言うと角が立つ。部長もなるべく避けた方が良いだろう。高坂先輩との関係性を特別視している部長は、その場所を真由先輩に取られると考えてしまうかもしれない。そうなると話が拗れるかもしれない。だからなるべく第三者を仲介に入れるのが良いだろう。

 

 となると、残るのは一人しかいない。高坂先輩と部長の両方にも顔がきいて、先生にも話を通しやすい存在となれば、副部長の塚本先輩だ。彼に話を通して幹部会で提案してもらい、同時に私が真由先輩に話を通すという筋道を辿れば、当座の高坂先輩のキャパシティー問題は一定の解決を見せるんじゃないだろうか。同時に、真由先輩の部内での立場も。

 

「取り敢えず、提案するだけしてみますか」

 

 すっかり熱く火照ってしまった。パシンと両頬を軽く叩くと、水滴が飛び散った。浴室の鏡には自分が映っている。その表情は、湯気で曇っていてよく見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に考えて提案をしようと思っていたその日、問題は発生した。それが発覚したのはパート練習の時間に突然部長が訪ねてきたことによってだった。

 

「突然ごめんね、桜地さんいるかな?」

「部長? いるけど……涼音ちゃん、呼んでる」

「ただいま参ります」

 

 少しこわばった表情に、あぁきっと何か問題があったなと察する。しかもこの感じからある程度問題の種類は予測できた。訝しむパートメンバーの視線を感じながら、私たちは廊下に出た。

 

「どうしましたか」

「サリーちゃんの事、知ってる?」

「えぇ、今日はお休みをいただくと先ほど。軽い体調不良だそうです。お大事にしてくださいと返信しましたが、それが何か」

 

 休むこと自体はおかしなことではない。体調不良を押して無理に参加した結果、周りに風邪を移したり本番出れなくなってしまう事の方がよほど大問題だ。ちょっとでもおかしいな、と思ったら薬を飲むなどで自衛しつつ思い切って休んでしまう。そうすることが回り廻って本人や周囲のためになると私は思っていた。

 

 中学時代はそういう指示をしていたので、それを踏襲しているだけにも思える。まさか部長が軽い風邪くらいなら来いというようなことを言うはずはないだろう。

 

「サリーちゃんだけじゃなくて、低音の三人もお休みしてて、それで梨々花ちゃんが心配してて」

「風邪が連鎖した、或いはお見舞いに行きたいという事では?」

「それなら良いんだけど、梨々花ちゃんは辞めちゃうんじゃないかって……」

 

 義井さんのことは北山君にも頼んでいたけれど、彼から特にそういう報告は受けていない。彼が直属の後輩のことを見落としているとはあまり思えなかった。だから休むという事を聞かされてもお大事に、としか思わなかった。

 

 とは言え、剣崎さんの杞憂と一蹴するには材料は揃いすぎている。部長の尽力や微力ながら私のアプローチなどで少しは改善出来た部分があったにしても、一年生は依然その実力故に高坂先輩からの厳しい指導を受けることが多い。その度に彼女が見せていたまるで自分が殴られたかのような、そんな痛みを感じさせる顔を思い出す。思えば、南中時代も時折そんな顔を見せていた。私が顧問とやり合っている時も、確か。

 

 けれど南中時代はそれでも辞めたりなどは……と考えて気付く。条件が違うという事に。南中時代には無かったモノ、それは自分の幼馴染。高坂先輩の指導対象に針谷さんなどは時折なっていた。ただでさえ悪く言えば自意識過剰な彼女が、幼馴染に関してとなれば受けるダメージが大きくなるのは想像に難くない。或いは、問題の多かった南中顧問に比して高坂先輩には正しい部分が多いからか。

 

 なんにせよ、考えすぎと笑い飛ばすにはこれまでの経過が問題だった。

 

「剣崎さんは何故そのように?」

「ハッキリとは言ってなかったけど……そんな雰囲気があったって」

「……なるほど」

「それで私と葉月ちゃんと梨々花ちゃんの三人で様子を見に行こうって話になってるんだけど……」

「失礼、部長も行かれるのですか? ここは素直に一年生係の二人に任せてしまった方が良いのではないかと思いますが……。直接組織の長が一部員の様子を確認に行くのは些か軽挙ではありませんか? まずは一年生係が存在している以上、それを上手く活用して、それでも難しければ部長が動く番ではないでしょうか。少なくとも、昨年であればいきなり優子先輩や夏紀先輩が動き出すという事にはなっていない事案だと思います。退部届を出されたわけでもありませんし」

「私は……あんまりそうは思わないかな。ちょっとでも不安だったり、トラブルとか困ったことを抱えている子がいるなら出来る限り力になりたいし。それに、すずめちゃんから相談を受けてたのに何も出来なかった、なんてことにはなりたくないから」

 

 部長の優しさは決して悪いモノではない。でも、他にも困っている子はいるだろう。見えない苦しみを抱えている子はいるかもしれない。私や部長が知らないだけで、剣崎さんの所にはそういう相談も来ているはずだ。部長だけが窓口という訳でもない。家まで押し掛けるには時期尚早にも思えるし、他の子でも同じようにしますか? という意地悪い質問を思いついてしまった。

 

「部長のお考えは理解しました。生意気な事を言ってしまい申し訳ありません。話の腰を折ってしまいましたね、それで私もどうか、というお話でしょうか?」

「うん、そういう感じかな。桜地さんは中学から一緒だし、サリーちゃんも尊敬してるみたいだから、色々話してくれやすいかなと思って」

 

 同時に万が一辞めたいと言われた際に説得もやりやすい人物だから、というのも言わないだけで多分含まれているのだろう。今年の部長はそういうことを考えないタイプではない。

 

「……私は行かない方が良いと思います」

「どうしてか、聞いても良い?」

「私は恐らく、義井さんの求めていることは言えないでしょう。自分の為すべきを為せ、努力は誰かに見られているとか必要とされているとかそう言ったこととは無関係に変わらずやらなくてはいけない、感謝されたいなど甘えるな、と言ったようなことしか言えない可能性が高いと、そう思っています。今の彼女に必要なのは、これまでの行いを肯定してくれる人でしょう。厳しい言葉をかけるしか出来ない存在は、逆効果でしょうから」

 

 彼女は基本的に真面目な人間だ。真面目で、優等生気質である。けれど承認欲求がその背景には存在している。無論、それは誰でも大なり小なり持っているモノではあると思う。けれど、彼女は普段真面目な分その反動が大きい。承認欲求という言葉が不適切なら、努力が報われたいと願っている、と言い換えても良いだろう。感謝されたい、ありがとうと言われたい。それが行動理由の裏に貼り付いている。

 

 悪いとは言わないし、直せとも言えない。けれど、前にも思ったけれど、現実世界はそう上手くは出来ていない。感謝されることは自分の想定よりもずっと少ない。人はいつしか施しを当然と思ってしまう生き物だ。

 

 差し伸べ手に述べられる言葉が謝意であるとは限らないし、自分ではない存在の在り方に対して責任を感じすぎるのは不遜だ。中学の間で少しはそれを学んで欲しいと思っていたけれど……やはり人はそう簡単に変化しない。良きにしろ悪きにしろ。それは私も、人の子とは言えないかもしれないが。

 

「ですので、行かれるのならばお三方でお願いします」

「……分かったよ。桜地さんがしっかり考えてくれるっていうのは分かったし、理由も理解できた」

「私ではお役に立てず申し訳ありません。そんな中お願いするのは心苦しくはありますが……私の後輩をよろしくお願い致します」

 

 私は部長に対して深々と頭を下げる。私は部長が行くべきではないし、先ずは一年生係の二人に様子を見てきてもらうのが一番良いと思っている。或いは幼馴染三人から働きかけるか。いずれにしても、いきなり部長が乗り込むのは時期尚早だと考えてはいる。まだ退部云々の話になったわけでもない。けれど、部長が行くというのならそれに強く抗弁したりしない。学生の組織でも長は長だ。上がやると決めたなら、従うしかない。

 

 適材適所を考えれば私ではなく部長の方が今回の案件は向いている。それでも、後輩に大したことが出来なかったという自責の念はある。だからこそ、部長に託した。自分よりも、良い解決に向かって導いてくれると信じて。

 

「さっきも言ったけど、私は桜地さんの考えを尊重する。でも、もし少しでもサリーちゃんのことが気になるなら、私は行った方が良いと思う。確かに、厳しい言葉かもしれないけど、それも多分サリーちゃんには必要なんじゃないかな。私は優しいことは言えるけど、厳しいことは言えないからさ。桜地さんはいつもしっかり色んなこと考えて、理論的に理由を立てて行動してるんだと思う。けど、後輩の事が気になるんだったら細かい理由とか理屈とか飛び越えて行動しても良いんじゃないかな。私にそんなに深く頭下げるくらいなら、なおのこと」 

 

 理由? 困ってたり悩んでたりする後輩がいたら助けになりたいって思うのは当然だよ、とかつて私の憧れ(希美先輩)は言った。部屋の隅でうずくまって、暗闇の中に逃げていた私に手を差し伸べながら。あの時、希美先輩は私みたいにごちゃごちゃ考えていたのだろうか。

 

 多分、その答えは否だ。ただ、自分の為すべきだと思ったことを、やりたいと思ったことを真っ直ぐに、一直線にやった。それだけだと、きっと誇るでもなく言うのだろう。あの日私を照らした太陽は、今日も変わらず私の中で燦然と輝いている。その輝きと同じような存在にはなれない。だとしてももし、何か少しでも出来ることがあるのならば。適材適所だなんだと逃げていないで向き合うべきなのかもしれない。

 

「……分かりました。そういうことでしたら、ご一緒させてください」

「そっか。ありがとう。サリーちゃんのことは、私たちよりもずっと詳しいだろうから、一緒に来てくれるのは心強いよ」

「お役に立てるよう最善を尽くします。住所はご存知ですか?」

「うん、この神社だよね?」

「はい」

 

 部長の見せたスマホの画面には赤いピンの描かれたマップが表示されている。義井さんの実家は私の家のある地区では由緒ある神社だ。私の家からは歩いて二十五分ほどで着く。同じ学区ではあるけれど、少し遠い。地区の神社なので当然桜地家も氏子をしている。両親が亡くなってからは表立って活動はしていないけれど、お祭りの際などにはしっかりお金を納めていたはずだ。それも毎年結構な額を。

 

「もし万が一危なそうだったらストップかけるから、安心してね」

「お願いします」

 

 私は希美先輩のように無我夢中で行動できない。後輩の事一つとってもそうだ。結局部長に説得されて動き出している緩慢な人間だ。けれど、そんな風になれるよう努力することは出来る。フルートパートの教室に入った部長は沙里先輩に私を連れていくことを話していた。

 

 頼りない部分もある。危なっかしいところも、手放しでは褒められない部分も、それはどうなんだろうと思う部分も。それでも兄さんたちがこの人を部長に選んだ理由がなんとなく分かった気がする。

 

 きっと、走り出せる人なんだろう。自分の求めているモノ、自分のするべき事、もっと言えばしたいことのために。きっかけはどうあれ、きっとこの人はその一歩を踏み出して、そして走り出せる。だから、選ばれた。だから、部長になった。

 

 けれど抜けている部分もある。そういう部分は部員たちが支えていけばいいはずだ。取り敢えずこの一年、この人が腹を括って挑むならついて行こうと、そう思った。

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