音を愛す君へ   作:tanuu

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10thイベント最高でした。


第ⅩⅦ音 懊悩の中に

 京阪黄檗駅から西に向かって歩いた先、宇治川の近くに義井さんの神社はある。家から一番近い神社という事もあって、昔はたまに訪れていた。大体はお正月や夏休みのようなイベント事がある時期だけだったけれど、馴染み深い場所ではある。宇治にも寺社仏閣は多いけれど、個人的には世界遺産になっているようなところよりも愛着はあった。

 

 黄檗駅から南西に行くと私の家があり、北西に行くと彼女の神社がある、という位置関係になっていた。その神社へ向かう道を、私たちは歩いている。結局部長の説得に半ば絆されるような形で、私は義井さんのところへ向かうことになっていた。説得に折れたのは事実だけれど、それを決めたのは自分自身なので特に文句があるわけではない。そういう説得上手なところが買われて部長をやっているのだろう。私にも欲しい能力だった。

 

「まさか家が神社とは」 

 

 遠くに見えてきた鳥居を見て、加藤先輩は物珍しそうな声を出す。寺社仏閣の多い京都では凄く大きな場所はともかくとして、街に密着している小規模な寺社はこうして住職や宮司が一緒に住んでいることも多い。普段は別の生業に従事していて、依頼された時に祈禱や冠婚葬祭を取り扱うという生活をしている人も多い。こういう仕事は成り手が不足しているらしいので、新しいあり方という事なのだろう。

 

 そういう街ではあるけれど、意外と友人関係を探してもそういう家に生まれたという人は多くない。一人いるかいないかという具合だ。なので、加藤先輩の珍し気な声も納得できる。うっすらと苔の生した石灯籠の上には青々と茂る木があった。住宅街の中であるけれど、そこだけ空気感が違うのは神社という聖域・神域が為せる技なのかもしれない。神は信じていないけれど、領域が持つ力というのが何かしら存在しているというのは否定しきれないところだった。

 

「ムクロジの木ですねー。秋には実がなるんですよ」

 

 木を指差しながら剣崎さんが言う。

 

「へー、りりりん詳しいね」

「いえー、同じ木がおばあちゃんちにあって~。昔から鬼を払うっていう言い伝えがあるみたいですよ。それ以外は全然知らないです。お寺とかにはよくあるイメージですけどね~」

「ムクロジは無患子と書いて昔から漢方に使われていましたからね。そういうところから転じたのかもしれません」

「おー、流石博識~」

 

 剣崎さんが緩い袖でぱちぱちと拍手をする。そこまでのことではないかもしれないけれど、褒められて悪い気にはならない。剣崎さんは人を褒めるのが上手いのかもしれないと、ふと思った。褒めるというのは案外難しい。人によっては舐められていると思うかもしれないからだ。

 

「この実、石鹸の材料や羽根つきの玉にも使われているんですよ」

「あ、そう言えば小学校の頃に何かやったことあるかも。石鹸作ろうみたいなの」

「ありましたねぇ~そんなのも~」

 

 唐突に始まった木の談義をのんびりと聞いていた部長が小さく声を漏らす。その視線の先には赤白の巫女服を着て箒を持ち境内を掃除している針谷さんと上石さんの姿があった。

 

「あ……」

「ぶ、部長……」

 

 二人はまるでいたずらが見つかってしまった子供のように、バツが悪いという顔をした。義井さんはともかく、この二人は別に体調等に異常は無いらしい。

 

「あれ、ここってサリーちゃんの家じゃないの?」

「あぁいえ、サリーの家です。私たち昔からよくここでお手伝いしてて……」

「へ~、てか巫女服」

「可愛ぃ~」

「え、じゃあサリーちゃんもここにいるってことだよね!」

 

 ゆるゆるとした雰囲気の二人に比して、やや強い口調で部長は針谷さんに詰め寄った。

 

「はい、奥で休んでます」

「え! そんなに悪いの、サリーちゃん!?」

「ひぇ、す、すみません……」

「久美子」

「あぁ、いや、そんなつもりは……無かったんだけど……」

 

 犯人の居場所を掴んだ刑事さながらの気迫で迫るものだから、一年生二人は委縮しておびえながら後ろへと後ずさっていく。加藤先輩の呆れたような声が無ければ、今頃もっと自白パートだったかもしれない。後ずさった二人は、あまり視線をこちらに合わせようとはしなかった。何か隠したいこと、あまり見せない方が良いことがある、というのが見て取れる。

 

「ごめんね……」

「あ、いえ……」

「実はね、サリーちゃんが急に体調不良でお休みするって連絡を貰ったから、少し心配で。それで、ちょっと様子を見るというかお見舞いというか、ともかくそういう感じで来てみたの。案内、してもらえるかな?」

「……分かりました」

 

 二人は少しだけ顔を見合わせて、針谷さんが観念したように頷いた。私は義井さんがどこに住んでいるのかは知っているけれど、敢えて口は挟まないようにしていた。親友兼幼馴染の二人が強く拒絶するなら、今回はやめた方がいい案件なので帰るように話を誘導しようと思っていたからだ。けれど、二人は招き入れるという決断をした。それはつまり、まだ諸々具体的な話には進んでいないという事でもある。

 

「「「「お邪魔します」」」」

 

 案内された彼女の家の玄関で、私たちは声を揃えて告げた。少しばかり待っているように言われて、二人は部屋の中に入っていく。二、三会話が聞こえた後、招き入れられた。

 

 部屋の中央にはその存在感をこれでもかと主張する大きなピアノ。個人の部屋に置いてあるのは非常に珍しいのか、部長を含めて三者三様に声を挙げている。私も彼女の部屋の中に入るのは初めてだったので、少し驚いた。

 

 部屋にはウサギのぬいぐるみや星形のクッション、水玉模様の掛け布団などファンシーという言葉が似合うモノが多く存在している。可愛いモノが好きだと、いつか語っていたのを思い出した。その言葉の通りの部屋と言える。机の上には教科書に混じって幾つか教本と、音大についての冊子。彼女の目指している進路がなんとなくうかがえた。

 

「部長……涼音先輩も!?」

「押しかけちゃってごめんね」

「こちら、お見舞いの品です。後で冷蔵庫にでも入れておいてください」

 

 持ってきたビニール袋を横にいた釜屋さんに渡しておく。中には取り敢えず私が良く行くケーキ屋のプリンを入れてきた。どうせ他の一年生三人も一緒だろうと思って人数分入れてある。使いもしないのに兄さんが渡して来るお小遣いの使い道が久しぶりに出来た瞬間だった。

 

「いえ、むしろすみません、心配かけてしまって」

 

 義井さんはベッドから起き上がってこちらに頭を下げる。部長が来たこともそうだけれど、私が来たことにもビックリしているようだった。確かに、私は直接お見舞いなどした事無いので、その驚きは当然かもしれない。いつもご家族にお見舞いの品を渡すだけでさっさと帰っていた。

 

「なんだ、ホントに体調悪かったんだね、大丈夫?」

「私は大丈夫って言ったんですけど、すずめがみんなで一緒に帰った方が良いって」

 

 加藤先輩の言った通り、義井さんの体調が今一つだったのは多分本当だ。けれどそれは純粋に疲労や病原からくるものではなく、恐らく精神的なモノが大きな部分を占めているのだろう。それを理解しているからこそ、釜屋さんは彼女を一人にしないようにと他の二人も誘って共に帰ることにした。それを知らせなかったのは、そうすれば異常を感じた誰かしらが来てくれるから。

 

「一人で帰るのは危ないですからね。そういう事ならば、ご両親に連絡した方が良かったとは思いますが」

「サリーのご両親、今ちょっと出かけてるので。もうすぐ戻るとは思うんですけど」

 

 あはは~と目を泳がせながら釜屋さんは言う。分かってはいたけど無視して帰ったという事だろう。

 

「なるほど。義井さん、そういう時は次から言ってくださいね。迎えを寄こすように言いますので」

「そんな、申し訳ないです」

「あなたが倒れるより余程良いですから」

 

 そんな感激したような顔で見られると困ってしまう。ならそういう事言わなきゃいいのに、と言う揚羽の顔が頭の中に浮かんだ。

 

「せめて葉月先輩には言っておくべきでしたね。猛省です」

 

 釜屋さんがおどけたように言う。

 

「まぁ、誰にだって体調悪いときはあるし、友達が心配で休むって言うなら仕方ないよ。ね、りりりん」

「そうですねぇ。友情に免じて今回はお咎めなしですけど、次に同じことしたら麗奈先輩に怒られちゃいますからね。ずる休みは禁止ですよー」

「うわ、そう言えば高坂先輩のこと忘れてた……」

「そこは私が適当にそれっぽいことを言っておきましたので、ご安心を」

「メッチャ感謝です!」

 

 なんで一年が一気に四人もいなくなったうえに部長と加藤先輩と剣崎さんと私までいなくなるのかと訝しんでいた高坂先輩だが、適当にその辺は口八丁手八丁で誤魔化しておいた。それっぽいことをそれっぽく言うのは得意である。あんまり褒められた特技ではないれど。

 

「明日からは大丈夫そう?」

「はい。もう熱も下がりましたし、ただの風邪だと思うので」

「なんか~取り越し苦労でしたね~」

「もう、さっちゃんがメッチャ心配してたんだからね。同時に休むなんて事件事件だーって」

「えぇ! そんな事になってるんですか!?」

「あぁ~~いやいや、大丈夫大丈夫! 問題ないよ」

 

 加藤先輩の言葉に焦ったように反応する義井さんを宥めるべく、部長が間に割って入る。問題ない、という言葉を聞いても彼女は安心したような顔を見せなかった。その視線は少し下を向いている。揺れている瞳の奥にある感情が安堵の類ではないことはすぐに分かった。

 

 部長がチラリとこちらを見る。私はそれに小さく頷いた。そして二人で釜屋さんに視線を送る。彼女もまた、小さく頷いた。ここで言いたいことは大体全部伝わっている。これで解決お大事に! とはならないという事だ。

 

「サリーちゃん。少しだけ話、させてくれないかな。私とサリーちゃんの二人で」

 

 そう言われた義井さんは迷ったような顔で一瞬こちらを見る。私がそうしなさいという視線を送ると、彼女は少しの沈黙の後、小さく頷いた。彼女との関係性は確かに部長寄り私の方が長い。けれど、やはり今かけるべき言葉は私の言葉ではないだろう。

 

「悪いけど、みんな外で待っててくれる?」

「部長が言うなら仕方ないね。みんなも行こう」

 

 剣崎さんは迷いなく加藤先輩の後ろに続いていく。一年生たちは逡巡していたけれど、義井さんが促したので観念したようにして部屋を出た。

 

「義井さん、最後に一つだけ。自分で自分を認めることが出来ない人は、いつまで経っても満たされないままだと思いますよ。あなたがもし本当にあの道を選ぶのだとしたら、特に。誰かに認められたいと思う欲求は留まることなく、いつかあなたを呑み込んでしまうかもしれません。誰かに認めて欲しいなら、まずは自分で自分を肯定することからスタートしなくては」

 

 あの道、と言いながら私の視線を彼女の机の上の冊子にスライドさせる。具体的な事は言ってないけれど、それで彼女は私の指しているモノが何なのかは分かったらしい。

 

「では部長、後はお任せします」

「うん」

 

 私は取り敢えず言うべきと思ったことを言って、後事を部長に託した。それが正しい事なのか分からない。もしかしたら、私もしっかり残るべきだったのかもしれない。けれど多分、今義井さんに必要なのは部長だ。もう部長ですらない、過ちだらけの過去の女よりも、今しっかりと部活を率いるべく奮闘している人物の方だ。私はそう思った。

 

 自分の背中なんて追いかけて欲しくない。黄前部長は完璧な存在ではないけれど、少なくとも良い部長であろうと努力はしている。呪いに縛られながら、空想のモデルケースを追いかけていた自分よりも、あちらの背中を追いかけた方がきっと彼女のためになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「どうして残らなかったんですか?」

 

 ワイワイと騒いでいる加藤先輩たちを横目に、釜屋さんは問いかけてきた。先ほどまでその輪の中にいたとは思えないくらい、その声は冷静だった。

 

「部長がそれをお望みでしたので」

「またまたぁ。高坂先輩を適当に煙にまける人が部長を説得できないわけないじゃないですか」

「部長の方が説得という意味では手強いですよ。高坂先輩は尖ってる部分は尖ってますが、それ以外は弱い部分も多いので。相手にするのなら楽な方です」

「えぇ、そうかなぁ」

「そうですよ。高坂先輩はキツイ物言いをしますが逆に言えばあれに負けない精神性があるなら負けはしないでしょう」

「なるほどぉ。って騙されないですよ。私のことも煙にまこうとしてましたね?」

「何のことでしょうか。さっぱり分かりませんね」

 

 前に話した時も思ったけれど、やはりこの子は敏い。道化のように振舞う時も、それは場を和ませたり空気を改善するためだったりする。

 

「そもそも、四人一度に休むことで部長を動かそうとしたあなたに色々言われる筋合いはないと思いますよ」

「うげ、バレてる」

「バレないと思いましたか?」

「部長は気付いて無さそうでしたから」

「そこは経験ですよ、経験」

 

 あちゃーという顔をしている彼女の、その仕草のどこまでが演技でどこまでが素なのか。私にはそこまでは判別できない。或いは、どちらかだけという事も無いのかもしれない。半分は素で半分は演技。人間は案外、白黒つけられないものだ。

 

「まぁ……答えても良いですよ。どうして残らなかったのか、と言えば簡単な事です。部長の方が、彼女のためになると思ったから。これ以外にはありません」

「まぁ確かに、部長はそういうの上手そうですけど」

「それに、いい加減義井さんも私に抱いている幻想を捨てて貰わないと。私のことを慕ってくれているのは嬉しいことですが、このままでは万が一部長と私が対立軸になった際に煩悶の末に壊れてしまいそうですし、高坂先輩と対立した時もいらぬ心労を負ってしまいそうなので」

「やっぱり桜地先輩は面白い方ですね」

「そうですか? つまらない女だと思いますが」

「面白いですよ。普通の二年生は部長とかドラムメジャーと対立するかもとか思いませんもん」

「……」

 

 確かに言われてみればその通りかもしれない。これはもう、染みついている性分と言ってしまっても良いのではないだろうか。味方よりもそうではない存在の方が多い前提で行動してしまう。先読みとか危機管理と言えば聞こえはいいが、要するに人を信頼していないだけだ。部長と対立することは今のところあまり考えられない。高坂先輩については……未知数と思うことにしておく。

 

「部長、大丈夫ですかね」

「大丈夫じゃないですか? 義井さんの求めているモノが分かれば、恐らくは。彼女の優しさは美徳でもありますが、欠点でもありますね。自分の人生における選択は、どういう理由や要因で選んだものであれ、自分にしか責任を取れません。辞めないようにと引き留めたとて、辞めてしまう人もいる。そうしないと決めたのは結局のところ自分の責任。ですから、彼女が責任を感じることなど無いというのに」

 

 言葉を尽くしても、引き留められないこともある。だから、兄さんと希美先輩は一度喧嘩別れしてしまったのだろう。世の中には確かに自分の力ではどうにも選べない選択肢だって存在する。選ぶ権利が自分にあるとも限らない。けれど、部活の進退に限って言えばどうするのかを決めるのは自分だ。その決断に至るまでの過程に義井さんは存在していたのかもしれないが、その決断の責任まで義井さんが取る必要はない。

 

「まぁ、そうなんですけど、そういう風に考えないのがサリーの良いところですから。それに……」

「それに?」

「今の言葉、なんだか自分自身へ向けて言ってるみたいでしたね」

「……そうかもしれませんね」

 

 人の上に立つ者であれ、他者を導く者であれと育てられてきた。人の上に立つ者とは、人を動かす存在であり、人に動かされる存在ではないと。その代わりにいざという時は決断に全責任を負うものであるとも。それが原因なのかは分からないけれど、自分で言ったようには振舞えていないのが自分自身の偽りなき姿だった。

 

「二人とも~写真撮ろ~」

「今行きまーす」

 

 剣崎さんの呼びかけに、釜屋さんは元気の応える。その姿に少し目を細め、私も剣崎さんのところへ向かうことにした。

 

「まぁ何にしても、桜地先輩が来てくれてサリーも喜んでると思いますよ。先輩がどう思ってるにせよ、なんだかんだ言ってもサリーにとって先輩はトクベツでしょうからね。先輩はごちゃごちゃ言いますけど、結局やってることは優しい事ばっかりですし」

「ごちゃごちゃとは失敬な。それに、優しさなどではないです。そうしなくてはいけないという、義務感のようなものですから」

「受け取った側が優しいと思ったんならそれで良いんですよ。少なくとも、サリーにとっては」

「……」

「あぁ、あとプリンごちでーす」

「……えぇ、お口に合えばいいんですが」

「あのお見舞い全員分買ってきてくれたのも、そうするべきだったからですか?」

「どうでしょう、あなたたちがいるだろうとは思っていましたので、そうするのが当然だと思ったと言いますか、あまり意識していませんでしたね」

「そういうトコですよ。ほら行きましょう。りりりん先輩が怒っちゃいます」

 

 何がそういうトコなのかはよく分からないまま、私はされるがままに釜屋さんに腕を引かれる。剣崎さんの撮った写真の中にいる私は、少し戸惑ったような表情を浮かべている。けれど、その顔はそこまで不自然でもないように見えた。

 

 

 

 

 

 部長と義井さんのお話は思ったよりは短く終わった。玄関まで見送りに来た義井さんの顔色は、先ほどよりも大分よくなっている。その時点で、私や釜屋さんでなくても上手くまとまったのだという事を察せられただろう。また明日、と告げて私たち先輩組は神社を後にする。

 

「何話したの?」 

「大したことじゃないよ」

 

 その割には少し疲れたような声音をしている。誰かの考えを誘導したり、別の方向に向かせるために説得するというのは、往々にして骨が折れる作業だ。それでもしっかりやりきってくれたので、義井さんも大分救われただろう。やはり、私がいる意味はそこまで無かったように思う。取り敢えず無事であると確認出来て良かった、と言うのを今日の収穫にしておくことにした。

 

「サリーちゃんは部に必要な子ですしね」

「そりゃあ、もちろん」

「んふふ、久美子先輩って才能ある子好きですよね」

「え」

「あ、なんか分かる」

「ですよね~」

 

 加藤先輩と剣崎さんの言葉に部長は曖昧な微笑みを浮かべる。そこに込められた感情は、自分に与えられた評価にそこまで納得できていないというモノかもしれない。

 

「ねぇ、そう思わない~?」

「確かに、そうかもしれませんね」

「やっぱりね~」

 

 私の同意に対して、剣崎さんはカーディガンの袖で口元を覆いながら目を細めた。

 

「人にはそれぞれ好きなタイプと嫌いなタイプがありますからね。兄さんだってそういうのありましたし」

「そう?」

「ありましたよ。部長は気に入られてましたね。確実に。後は高坂先輩とか加藤先輩もそうですね。吉沢先輩もですけど」

「えぇ、私も?」

 

 部長と加藤先輩はその自覚はないようだった。身内の視点から見れば分かりやすいのだけれど、外部から見ればよく分からないらしい。そこら辺をしっかり見えないようにしているのだから、兄さんの職務に対する態度は非常に良いモノだと言えるだろう。なにせ、恋人にすら指導中は厳しい指摘をぶつけてくるのだから。付き合ってる彼女だしちょっとくらい緩くなるのかなと思った部員の予想は見事に大外れしていた去年を思い出す。

 

「グイグイ来る人や、立場とか学年に関係なく行動力のある人は好ましいと思われていたと思いますよ。だから部長指名に賛同して、ドラムメジャーにして、パートリーダーを任せて、新入生指導を託した」

「そう言えば、あなたにしかこの仕事は出来ないって言われたっけ」

「ほら、信頼されてるでしょう?」

 

 かけるべき相手に、かけるべき言葉を。その振り分けは考え抜いてのモノなのか、天性の感なのかは分からないけれど、私から見た兄さんは適材適所が上手い。じゃないと、まだ一年生で関係値もそこまでだった高坂先輩と吉沢先輩を三年生になった時にどういう立場に置くかを咄嗟に考えついたりしない。よしんば考えついても、その通りになったりしない。そういう事を考える度に、まだまだ敵わないなぁと思わされる。

 

「あぁ、そう言えば、桜地さんにサリーちゃんから伝言だよ」

「伝言?」

「うん。ありがとうございますだって」

「大したことはしていませんが。実際、ほとんど部長がどうにかしてくださったわけですし」

「うーん、まぁそういう訳でもないんだけど……ま、いいかな。後、サリーって呼んで欲しいみたいだよ」

「それも、伝言して欲しいと?」

「ううん。でも、そんな感じのことをちょっと言ってたから」

 

 人のことを下の名前で呼ぶのには慣れてない。役職付きとか先輩とかならあるけれど、呼び捨てにしている人はほとんどいない。北宇治では揚羽くらいなものだろう。昔からこういう感じなので、もう半分習慣みたいなものだった。あだ名で呼ぶのはもっと慣れてない。

 

 義井さんは、さん付けでも良いのだろうか。それならまぁ、明日から実行できると思う。暫くは意識していないと抜けてしまいそうだけれど。

 

「分かりました。そうしてみます」

「うん、それが良いよ」

「この後はどうします? 学校に戻りますか?」

「うーん、私は一回学校に戻るけど……」

「じゃあ、私も付き合うよ」

「そう? なら私と葉月ちゃんの二人は戻るけど、二年生の二人はもう遅いしそのまま解散でいいかな」

「はーい」

「了解です」

 

 解散で良いとは言われたものの、ではさようならというのも些か性急に過ぎるというか、ドライすぎるようにも感じた。なので駅の近くまで三人を見送って、そのまま反転して自宅に戻る道を歩いていく。五月の夕暮れの奥では、夜の紫が既に空を染めていた。後ろの方からチリンチリンと自転車のベルの音がする。振り返ると、おーい、と手を振りながら自転車を漕いでいる希美先輩の姿があった。

 

「今帰り?」

「はい、ちょうど」

「あれ、でも随分早いね。今日はもうちょっと遅いと思ってたんだけど。後、駅の前で久美子ちゃんたちに会ったよ。もしかして何かこっちの方に用事だった?」

「ちょっと体調不良で休んでいる子のお見舞いに」

「四人も?」

「まぁ、はい」

「なるほどね」

 

 何かあったんだなぁというのは何となく察してくれたみたいだ。希美先輩も部長仲間という意味では私や今の黄前部長と同じかもしれない。だからかは分からないけれど、こういう部分は皆まで言わずとも伝わることが多かった。

 

 先輩はいつも通りのポニーテールを風に揺らしている。パステルカラーの自転車の前輪籠にはパンパンのマイバックが入っている。お買い物に行ってきた帰りに、丁度私たちに出会ったという事はすぐに分かる。そう言えば、今朝そんなようなことを言っていたと思い出した。

 

「じゃあ一緒に帰ろっか」

 

 そう言うなりスッとサドルから降りると、私の歩く速度に合わせて自転車を押し始める。こういう何気ない事をスマートにこなしてしまうからこそ、先輩は人気が高いんじゃないだろうか。

 

「今日の夜ご飯何ですか?」

「お、気になる? 今日はね……」

 

 ゴソゴソとマイバックの中を探した先輩は、一つの塊を取り出す。深い緑色の皮とオレンジ色と黄色の混ざった内側。半分にカットされたそれは、カボチャだった。

 

「後は豚バラが安かったから、これにみりんか醤油かなぁ。インゲンもあったからあれも混ぜちゃおうと思って」

「ヨシッ」

「涼音ちゃんカボチャ好きだもんね」

「はい。大好きです。やったー、良い事ありました」

「そんなに喜んでくれるなら、作り甲斐があるなぁ」

 

 そう言いながらふんふんと鼻歌を歌いつつ楽しそうに希美先輩は歩いている。炊事だけお願いしますと言って先輩との同居が始まって一ヶ月は既に経過した。元々私のしょうもない料理とは月とすっぽんだった希美先輩の料理スキルは日に日に上達している。私も雫さんも、先輩がいなくなったらどうしようと思ってしまうほどには。

 

「そう言えば、サンフェスの日どうする? お弁当いる?」

「いえ、その場で何か適当に食べてきますので」

「そう言えばそうだったね。まだ一年しか経ってないのに、もう随分前のことみたい。部活、楽しい?」

「うーーん、楽しいか楽しくないかで言えば、まぁ、楽しい……かな?」

「そっかそっか。まぁ楽しい事ばっかりじゃないからね……。でも、トータルで楽しかったなぁって思えると良いね」

「はい」

 

 希美先輩が言うと含蓄があるというか、重みがある。部活に楽しい思い出も胸糞悪くなるような思い出も、両方持っているからこそ、その言葉には聞く者の胸に刺さる確かな響きがあった。

 

「サンフェスの日、優子たちが空いてるらしいから、夜どう?」

「大歓迎です」

「よーしじゃあ鉄板焼きとかにしようかなぁ。材料調達してこないとね」

 

 優子先輩たち三人も時々うちの家を訪れていた。全員一緒の時もあるし、誰か一人だけの時もある。メインで使っていた使用者が欧州へ旅立った後、少し使用頻度の減った防音室をよく使っている。音大顔負けの防音室と音響機器がある家はそうそう無いだろうから、使いたくなる気持ちもよく分かる。私としても、家に昔みたいに活気が出てくるので、先輩たちの来訪は歓迎していた。

 

 夜ご飯を一緒に食べていくことも何回かあった。大体何かしら食材を持って来るので、ガヤガヤ言いながらキッチンで作ってる。優子先輩と夏紀先輩が揃うとやかましいくらいだ。でもその騒がしさは、昔の、まだみんな元気で家にいた頃を思い出して懐かしい気分になる。

 

 部活での日々は目まぐるしく変化して、考えないといけないことも多い。けれどその中でも、私の日常にはこういう小さな幸せも、確かに存在しているのだった。




あくまで大体ですが、桜地邸は実際には京大宇治キャンパスと駐屯地がある付近に存在している設定にしています。
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