音を愛す君へ   作:tanuu

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第ⅩⅩ音 オー・プリティ・ウーマン

 段々と夏の熱気が足音を立てながら迫って来る五月の土曜日の昼下がり。地面から立ち上る湯気が揺らめき始めるこの日に、私たちはサンライズフェスティバル前最後の練習を行っていた。高坂先輩の持つメジャーバトンが宙を舞った。かつては優子先輩が持っていたモノであり、このままいけば私が持つことになるモノだ。

 

 日差しを反射してキラキラと輝くそれを合図に、パーカッションがリズムを刻み始める。まずは右足、そして左足。前後の重心、足の下ろし方と離し方、そして姿勢。マーチング強豪の出身である真由先輩は技術を惜しみなく伝授してくれている。来年高坂先輩の跡を継ぐ可能性が高くなった今、その技術や知識は私にとってますます重要度を増していた。無論、部全体のレベルアップのためにも。

 

 一年生の動きは大分良くなってきたように思う。少なくとも、最初の頃に比べれば見違えるような進化だ。これならば期待に沿える演奏が行えるのではないだろうか。北宇治は二年連続で全国に行っている。座奏とマーチングはまた別物なのだが、それをしっかり理解している観客ばかりではない。求められている水準は間違いなく高かった。演技はともかく、演奏は立華を超えることが内外から求められている。

 

「はい、それでは今日の練習は終わりです。明日の本番も頑張っていきましょう。お疲れ様でした」

「「「お疲れ様でした!」」」

 

 今日は前日という事で、まだ日は高いけれど早めに練習を切り上げている。疲労を持ち越して本番で大きなミスをしては元も子もない。休息もまた、良い演奏のためには必要な事だった。それを一番唱えていた兄さんが一番ぶっ倒れる寸前まで働いていたので何の説得力も無かったが。部活終わりに普通に出かけてた兄さんと希美先輩は体力お化けだと思う。

 

「陽向さん、足がしっかり揃うようになりましたね。中々最後の方まで課題として残ってはいましたが、綺麗になりました。後は本番で気を抜かないように。普段通りにやっていれば問題ありませんので」

「は、はい。ありがとうございます」

「巧美さんも以前に比べて呼吸が続くようになっています。本番は更に暑い可能性もありますが、今の状態ならば十分に対応できると思いますよ」

「はいっ!」

 

 後輩二人を技術面で指導するのも私の務めだった。余裕のある人間が少しずつ面倒を見ていく。それが今年のフルートパートでの方針だった。特定の指導員を付けるのもアリではあるが、それだと負担が集中してしまう。なるべく上級生同士で様子を見ながら、方針を統一しつつ教えていくことになっている。とは言え、必然余裕のある人間は固定されてくる。私や沙里先輩がその筆頭だった。そのため私と沙里先輩で見ていることが多い。

 

「涼音ちゃーん、かえろー」

「はい、ただいまー」

 

 すっかり疲れた顔の成美さんが呼んでいる。どこのパートも本番前だということで気合は入っているものの、疲れ顔が多いのも事実だった。オーディションの曲も既に配られている。私たち二三年生は特に大会へかける思いが大きい。そのため、みんなサンライズフェスティバルに注力しつつもしっかりオーディションへの準備もしている。そのせいか、疲れている人も多かった。

 

「では、行きましょうか。成美さんが干からびてしまう前に」

「「はい!」」

 

 一年生二人を引き連れて、暑さでへばっている同期の下へ歩いていく。開いた携帯には通知が来ていた。高校入学を機に買い替えたスマホには、いつしか大量の写真が入っている。中学時代とは大違いだった。

 

「揚羽から? 何でしょうか……あぁ、こないだの……」

「揚羽さんって、時々お話に出てますよね。どんな方なんですか?」

「私の友人です。この子ですよ」

 

 送られて来たのはこの前出かけた時の写真だった。あまり当世の女子高生が行きそうな場所を知らない私を連れ出してくれるので、彼女と出かける体験は結構新鮮な事が多かった。高校生になるまでスターバックスにも行ったことが無かったのは、誰にも言わないで内緒にしている。

 

 揚羽に興味を持った陽向さんに、私は写真を見せる。

 

「わっ、ギャル……」

「ホントだ」

 

 横から覗き込んだ巧美さんも驚いたような顔をしている。脱色した髪に長い爪と派手な色のマニキュア、そしてファッションも俗にいうイケイケな感じの子のスタイルなんだろう。私はそこまで詳しくないけれど、雑誌に載っているような装いだった。北宇治では相当目立つタイプだろう。私とは真反対とよく言われる。写真の中の私は、恥ずかしそうにピースをしていた。

 

「意外でしたか?」

「ちょっぴり」

「ですよね。よく言われます。でも彼女、こう見えて進学クラスで二番目に成績が良いんですよ」

「「えぇっ!」」

「人は見た目によらないモノですからね。どんな子なのかは接してみないと分からないことも、結構あるものです。まぁ彼女が見た目で損をしているのは否定しませんが、それも個性ですので」

 

 恥ずかしながらあまりお化粧品の類にも詳しくなかったけれど、希美先輩と彼女が色々教えてくれたおかげで助かっている。兄さんに聞くわけにもいかないし、雫さんも詳しいわけじゃない。おかげさまでデートの際は役に立っていた。ちなみに、希美先輩と揚羽はそれなりに面識がある。クラスの中心にいるタイプ同士、何かしら通じ合うモノもあったのかもしれない。

 

「確かに涼音先輩の彼氏さんも凄くイケメンってわけじゃないですし……。あ、すみません、そういうんじゃなくて……!」

「いえ、気にしてませんよ。それに、そういう評判の方が悪い虫がつかなくて良いじゃないですか。大学なんて悪い虫の宝庫ですので。ライバルは増やしたくないでしょう?」

「は、はぁ……」

「それとも、私たちの馴れ初めでも聞きたいですか?」

「いえ、結構です」

「おや、それは残念」

 

 巧美さんの真顔の否定に少し残念な気分になりながら、私たちは炎天下のグラウンドを歩いていく。今日はこのままパートの同期で帰宅して、途中にある最近できたアイス屋さんで補給してから解散することになっていた。運動したんだし体重は気にしなくてOKの理論を押し通す成美さんに押し切られての形である。

 

「だからって、一々声に出して言わなくてもいいだろ!」

 

 テントの方から大きな声が聞こえてくる。声の主がこんな大きな声量を発するのは随分異常事態だった。周囲にいた人も何事かと一瞬様子を伺う。一年生二人もビクッとしたように声の方向を見ていた。声の主は同期のコントラバス担当の月永君。相手は低音の針谷さんだった。目を細めて事態の推移を見つめた。川島先輩がやって来たのでもう大丈夫だと判断して、後輩を誘導する。あそこは直属の先輩に任せておいた方がいい。

 

「あれ、大丈夫なんでしょうか……」

「月永先輩ってあんなに大きな声出すんだ……」

「大丈夫です。あそこは川島先輩に任せておきましょう。さぁ、私たちはこちらへ」

 

 月永君は川島先輩くらいとしか話しているところを見ない。男子部員同士の交流はあるようだけれど、私は男子の交流までは把握していなかった。北山君とかに聞けば何かしら出てくるかもしれないが、下手に介入しない方が良いだろうと判断する。介入するにも情報も関係値も少なすぎる。

 

 兄さんは交流していたようだし、何かしら知っていた節がある。でなければ、兄さんが練習時以外に下の名前で呼んでいる事の説明がつかない。けれど、その理由を誰にも教えることなく卒業していった。きっと個人情報だからだろう。ともあれ、そんな案件に後輩もいる中関わるのはリスクだった。これはきっと、とてもデリケートな問題だろうから。

 

 成美さんたちと合流し、制服に着替えてそのまま帰宅の途につく。途中で先輩や後輩と別れて、家路を進んでいた。時計は三時半を指している。間食には丁度良い時間。動いたせいでいつもよりも腹の虫が大きく動いていた。

 

「やっぱりさぁ、あれなんかあるんじゃない?」 

「何かって?」

「それは……何かよ」

 

 成美さんは大きな口へゴマアイスを放り込みながら話していた。なんか、の具体例を問う香奈さんをスプーンで指しながら、話を続けている。こういう時マイペースなつみきさんはあまり話には入らないで食べていることが多い。一応聞いてはいるとの本人の言であるけれど、時々聞いてないこともある。まぁ、聞かなくても支障のない事を話していることが多いが。

 

「月永って言ったらねぇ。でもその辺はやっぱり経験者組の方が詳しいんじゃない?」

「あぁ、月永源一郎?」

「そそ。こないだテレビでもやってたし、有名なんでしょ?」

「有名ですよ」

「ほらぁ」

 

 私の相槌に、我が意を得たりとばかりに成美さんは身を乗り出す。こういう時、話を回すのは大体彼女であることが多かった。高校から始めた組である成美さんは、吹部の世界にはそこまで詳しくない。かく言う私も詳しいと大言壮語できるほどではないけれど、人並みには知識があるつもりだった。

 

「月永源一郎。名門明静工科高等学校を全国金常連に仕立て上げた名指導者にして、昨年度は無名の龍聖学園を同じく全国金に押し上げました。関西大会を勝ち残ったのは、北宇治以外彼の教え子たちです」

「龍聖かぁ、去年凄かったもんね……」

「サクセスストーリーって言って話題になってたし」

「そう言えば月永君って龍聖から来たって聞いたなぁ」

 

 つみきさんが急に情報をぶち込んでくるので、三人とも少しビックリしてしまった。確かに、彼がどういう経緯でここに来たのかは、他のパートである以上あまり知らない。

 

「じゃあ、なんで北宇治に?」

「うーん」

「色々あったんじゃないですか、月永なんてあまり多くはない名字ですから。これで鈴木とか田中のように多くいる名字であったなら、目立たなかったかもしれませんが……」

 

 珍しい名字であることが必ずしも良い事とは限らない。こういう時に親族関係が露呈しやすくなってしまうというデメリットも存在していた。

 

「まぁ、それを言っちゃうと桜地もあんまりいないけどね」

「私も、自分の親族以外の桜地に会った事ありませんよ」

 

 桜地姓は決して多くない。私の知る限り、もう一族以外はほとんど残っていないんじゃないだろうか。これから増えていくかどうかは兄さんと私と雫さんが子孫を残せるかどうかにかかっている。一番可能性が高いのは兄さんだろう。次点で私だ。

 

「月永君と月永源一郎氏がどのようなご関係なのかは存じ上げませんが、あまり触れない方が良いかもしれませんね。少なくとも学校では」

「そっかなぁ。有名人の親戚とか、私だったら絶対自慢してるけど」

「分かるかも」

「隣の芝生は青く見えるものですから」

 

 月永君は食べ方が綺麗だし、所作も丁寧な事が多い。あれはしっかり教育されたご家庭の出なのだと思う。そうでないと中々出来ない動きをしている。向こうがこちらの家をどう思っているのかは知らないが、多分向こうも私の所作を見れば気付くことがあるんじゃないだろうか。出来る者同士は認識できるだろうし。

 

 ともあれ、話の内容を自分の方へスライドさせる。ここで月永君について話してもあまり良い結果にはならないと思う。それに、有名指導者の関係者であるという情報は吹奏楽部という空間において決して良い方向に作用しない。圧倒的な実力を持っていた高坂先輩ですら、これ関連でダメージを受けたことがある。コネだのなんだのと言われるのは誰だって心外だろうけれど、周りがそれを理解してくれるとは限らない。

 

「意外と気苦労も絶えないものです。自分について語られる時に、二言目には偉大な親族の名が出るのは、あまり楽しくないでしょう?」

「うげ、確かに嫌かも……」

「何年もそういう事が続けば嫌にもなります。人は生き方は選べても、生まれは選べませんから」

「涼音ちゃんも、そう思ってるの?」

「そうですね……」

 

 つみきさんの質問の答えに、少し躊躇する。確かに、私もそう思っている面はある。産まれ出づる家がもう少し違う家だったら、いらぬ苦労を背負うことも無かったのだろうと思ったこともある。複雑で屈折した感情を、私は抱えていた。きっと兄さんや雫さん、果ては親族みんながどこかしらで思ったことはあるだろう。生まれを選べたら、と。

 

「確かに、選べないモノではありましたが……何かしらの機会があって、選べる権利を与えられたとしても、私は同じ家に生まれてくると思います。失ったモノも、背負わないといけなかったことも、辛い事や苦しい事も沢山ありましたが、それ以上に良いモノに出会えた人生でしたので。それに、この家に生まれて来なければ、フルートをやる事も無く、皆さんともこうしてお話できていないでしょうから」

「涼音ちゃん……!」

 

 感激したような顔で抱き着く成美さんと香奈さん。この時期にやられると暑苦しい。そんな様子をつみきさんは微笑ましそうに見ている。見ていないで助けて欲しい。

 

 千年の名族、血塗られた歴史、犠牲の上にある繁栄。その重さは時折自分にどっしりとのしかかる。それでも私は恵まれている。その重荷を直接背負うのは兄さんの仕事になった。それに、両親や希美先輩たちのように周りの人にも恵まれた。人生が結果論なのだとしたら、生まれ落ちたこの家のせいで蒙ったマイナスのモノよりも、得られたプラスのモノの方がきっと多いはずだ。それはすなわち、幸せという事だろう。

 

 偉大な兄の妹として生きる事は楽な事ではない。桜地凛音の名は私に付きまとうだろう。けれど私はそれを拒むつもりはない。色んなことがあったけれど、私は兄さんの妹で良かったと思っている。

 

 それに、桜地家は基本非常に面倒だが、恋愛自由という数少ない利点もあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 サンライズフェスティバル当日は例年でも稀にみる晴天だった。太陽公園の駐車場は、参加者の楽器を運ぶトラックでごった返している。立ち並んだ出店や練り歩く人々で活気づく公園は大きな熱を孕んでいる。色とりどりの衣装に身を包んだ高校生が闊歩する様は、まるでどこかのテーマパークのようでもあった。

 

 自分の楽器ケースを提げながら、太陽の照らす下を歩いていく。私たちの出番まではそれなりに時間がある。集合時間までどう過ごすのかは個人の自由だった。大体は指定された場所に集まって音出しをしたりしている。そして今私もそこを目指して歩いていた。

 

「おーい!」

 

 後ろから聞こえた声に振り返れば、手を振っている人がいる。その姿が誰なのかはすぐに分かった。心臓の鼓動が早くなる。暑さとは関係なく、私の頬が紅潮していくのが伝わる。

 

「純一さん!」

「ごめん、本番前に」

「全然大丈夫ですよ。それより来てくださったんですね、嬉しいです。今日は、おひとりで?」

「いや、親と一緒に。さやかの晴れ舞台を撮影するんだ~って張り切っててさ。どっかあの辺に……あ、いた。おーい、こっち!」

 

 手を振っている向こうには、一組の男女。滝野家のご両親の姿があった。遠くからこちらへ歩いて来る二人に、私は頭を下げる。息子の彼女で娘の友達である私の存在は、相当早くから滝野家の中で周知されていたらしい。なんだかんだで顔を合わせたのは今年の三月くらいの話になってしまうのだが、大層歓迎して頂いたのをよく覚えている。

 

「あらぁ、涼音ちゃんじゃないの。こんにちは」

「ご無沙汰しております。本日はお暑い中ありがとうございます」

「いえいえ、楽しみにしてたのよ。ねぇ」

 

 お母様の言葉に、お父様が頷いている。その手にはビデオカメラがあった。既に準備は万端のようだった。

 

「今度また遊びに来て頂戴ね。いつでも待ってるから」

「ありがとうございます」

「あぁ、でも私みたいなおばさんがいてもお邪魔かしらねぇ、ごめんなさい」

「いえ、そのような事は。むしろお話ししたい事も沢山ありますから」

「本当にウチの息子には勿体ない……。何かあったらすぐ言ってちょうだいね」

「おい」

 

 お母様の言葉に、純一さんは突っ込んでいる。家族仲が良好なのはさやかさんの普段の言動などを見ていればすぐに分かる。温かみのある家庭は、私の憧れる姿だった。両親と子供が良好な関係を保っている、そんな家庭を作れたならどれほど良いだろうか。とは言え、私自身が親になってる姿というのはあまり想像できなかった。

 

「そう言えば、さやかは?」

「今はあちらの方にいますよ」

「あぁ、待機場所か。それじゃあ後で合流した方が良いかな」

「恐らくは」

「オッケー。そろそろ時間じゃない? 俺たちは沿道に移動するから、頑張って」

「はい、頑張ります」

 

 ご両親を連れて移動しようとした純一さんの足がお母様に踏まれる。

 

「そんな事務的な事だけ言って終わりにしないの。女の子がおめかしして立ってるのに出てくる言葉がそれは無いでしょう? 私たちは先行ってるから、若い人同士はもう少しお話してなさいな。まったく、誰に似たのか……。じゃあ、私たちは行くわね。涼音ちゃんも頑張って」

「はい!」

 

 お母様はお父様を引っ張って人ごみの中に消えていく。純一さんは何とも言えない表情でそれを見送りながら、頬を搔いていた。

 

「ごめん、うるさかったでしょ」 

「いえ、素敵なご家族だと思いますよ。むしろ羨ましいくらいです」

 

 私の両親も生きていたならこうして演奏を聞きに来てくれたのだろう。もういなくなってから数年になる。それでも時々思ってしまうのだ。生きていたなら、もしあの事故が無かったならばと。彼氏が出来たら紹介してね、楽しみにしてるからとお母さんは言っていた。それを聞いたお父さんは嫌そうな顔をしていたような気がする。娘と恋バナしたいなんて変わった母親だとは思うし、あの時はそんな事考えてもいなかったけれど、出来なくなってしまうとやってみたかったという想いが募る。

 

「涼音ちゃんはさやかとはタイプが違うからさ、もう一人娘が出来たみたいってはしゃいでるんだよなぁ。その代わりに俺の人権が失われていくんだけどね」

「ふふ、光栄なお話です」

「そういや、高坂の補佐に入ったって? 大変だろ、結構厳しいから。俺もどう思われてたのかよく分からんし」

「高坂先輩はちゃんと諸先輩方の事は尊敬していたと思いますよ」

「だと良いんだけど」

 

 高坂先輩は一度心を開くと結構ずぶずぶとハマっていくタイプだと思う。一回対立した優子先輩に関してはもう大好きの域に半分入っていたんじゃないだろうか。少なくとも、私はそう思っている。高坂先輩と優子先輩は去年も時々揉めていることがあったけれど、基本的には高坂先輩側が忠犬みたいな感じになっていた。優子先輩の自己評価はともかく、高坂先輩は優子先輩のことを尊敬していたんじゃないだろうか。

 

 それに、純一さんもパートリーダーとしてしっかり仕事をしていた。去年のトランペットパートは部長、新入生指導係からのマネージャー、パートリーダー、指導員の四人が三年生だった。全員何かしらで忙しなく動き回っていたのを知らない同期や先輩はいないだろう。高坂先輩は自分の出来る事はもっともっとと人に要求するが、自分が出来ないことを出来る人には敬意を払っている。去年の三年生四人は全員、高坂先輩には難しい事をやっていた。

 

「まぁ俺に何が出来るか分からないけど、アイツに託されたからな。それに、大したことはしてあげられないけど、ほら、彼氏だし。傘木さんとかと同じで、いつでも助けになるから。困ったこととかあったら相談してくれ。話だけなら、幾らでも聞ける」

「ありがとうございます。では、一つ質問を。私の衣装はどうですか?」

「も、もちろん似合ってる」

「う~ん、もうちょっとください」

「可愛い!」

「もうちょっとあると嬉しいなぁ」

「マジ美人!」

「最後にもう一個」

「会場で一番綺麗!」

「公衆の面前で言われるのは結構恥ずかしいですね」

「涼音ちゃんが言わせたんじゃんか……」

「ふふ、そうでしたね。ごめんなさい。じゃあ、私はそろそろ行きます。よそ見してちゃダメですからね」

 

 最後にそう言って、私は軽くウインクしてから待機場所へ向かう。ちょっとやりすぎたかもしれないと、さっきまでの会話を振り返って思った。なにせ、私の鼓動の音がうるさいくらいになっている。他の学校の演奏が良く聞こえないくらい、ドクドクという音が頭の中で鳴り響いていた。写真を既に送っていたとはいえ、面と向かって褒められると大分気分が良い。それに、私の衣装の感想を言う時のあの照れ混じりの顔は、結構可愛かった。

 

 恋や愛にうつつを抜かすなんてと言われてしまうかもしれない。けれど、感情なんてそう簡単に抑え込めるモノではないと思う。だから、兄さんは告白したのだろう。まだ指導者とその教える対象という関係性は残ったままだったけれど止められなかったから。兄さんと希美先輩がくっつくことには一定数のリスクもあった。それを承知で、それでも行ったのはきっと抑えられない感情に従ったから。

 

 私もそう。全国大会の前夜に告白なんて正直今考えれば非常識にもほどがあると思う。けれど、抑えられなかった。私の胸を動かす感情を、迸る熱量を。私の祖母はお見合い話や婚約話、一族の反対を無視して二十も上の祖父にアタックし続けた。お父さんは大学内で高嶺の花だったお母さんと付き合うために頑張ったという。止められない愛や恋に身を委ねてしまうのは、私の家の性なのだろうか。

 

 「思へども なほぞあやしき 逢ふことの なかりし昔 いかでへつらむ」と村上天皇はかつて詠んだ。その気持ちは痛いほどによく分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 パレードは順調に進んでいる。もう間もなく北宇治の出番がやってこようとしていた。

 

「立華は今年も目立ってるね~」

「龍聖、流石男子校って感じ」

「洛秋も気合入れてるじゃん」

「栄京はいっつも衣装は可愛いよね、演奏はまぁ普通だけど」

 

 あちらこちらで話し声が聞こえる。他校の様子を見る機会は、大会以外だとあまりない。だからこそこの機会というのは中々貴重なモノだった。ここで他校の様子を知っておく、というのも指導陣がこのフェスティバルに参加している理由なのかもしれない。

 

 今は栄京大学附属高等学院の演奏中だった。私の一族の経営している学校の附属高校ではあるけれど、吹部はそこまで強くない。と言うより、万年府大会銀賞だった。理事長が兄さんと私が北宇治に進学したことを少し恨んでいると聞いている。どうやら自分の学校の吹部を強化してほしかったようだ。

 

「他校のことが気になるのはわかるけど、こっちに集中して」

 

 パン、と高坂先輩の手が叩かれると、会話は止まり部員の意識は一つに集中する。

 

「先生方から、お願いします」

「では、私から」

 

 滝先生が前に出る。先生も今年が三回目。一年目・二年目との違いは兄さんが隣にいるかどうかくらいだろう。それが先生の中でどの程度の大きさになっているのかは分からないけれど。

 

「例年と違い、今年はコンクールの練習が同時進行でありましたので皆さん大変だったと思います。放課後にはいつも、皆さんの演奏を聴いていましたが、今年の演奏レベルは例年より一段と高くなっているように感じます。ドラムメジャーの厳しい指導の賜物でしょうか」

 

 全くもってその通りだと思う。

 

「このサンライズフェスティバルは地元の方が多く集まるイベントです。普段から皆さんの活動を応援してくださっている保護者の方や近隣の方も足を運んでくださっています。これまでの練習の成果を、今日の舞台に思い切りぶつけましょう」

「最後まで手を抜かずしっかりやれ。観客席で聴いているからな」

「「「はい!」」」

 

 待機列のボルテージが高まっている。やって来る本番、人によっては慣れっこであり、人によっては今回が初めての舞台だろう。どんな人であっても、本番の舞台は緊張するものだし、この高揚感は何度経験しようと変わらず訪れるものであると思う。

 

「じゃあ部長」

「ええっと、それではご唱和ください」

 

 部長が拳を構える。

 

「北宇治ファイトー!」

「「「オー!」」」

 

 部長の掛け声に合わせて、一斉に拳を天に突き上げる。遠くからは『双頭の鷲の旗の下に』が聞こえてくる。作曲者のワーグナーは兄さんのお気に入りだったと、ふとそんな事を思い出した。遠い空の下に私たちの演奏が届いていることを願う。

 

 いよいよ間もなく北宇治の番になってきた。列の先頭では高坂先輩が凛とした姿勢で立っている。近くにいる一年生二人は少し硬くなっていた。無理もない話だろう。強豪校としてこういうイベントに参加するのは二人とも初めてなのだから。

 

「深呼吸してください」

 

 二人にだけ聞こえるように小さな声で囁きかける。

 

「周りのことなんか気にしないで、ただ自分の為すべきをすればいいのです。あなたたちは大丈夫。私が保証しますよ。それとも、私の事は信じられませんか?」

 

 二人は首を横に振った。ちょっとずつ呼吸も落ち着いているし、身体の様子もガチガチではなくなった。これならばきっと大丈夫だろう。

 

「さぁ、胸張っていきましょう」

「「はい」」

 

 ピーっとホイッスルの甲高い音が鳴り響いた。高坂先輩のバトンが宙を舞い、行進が始まる。スネアドラムがリズムを刻み、金管楽器が音を重ね、最後に木管がそれに乗る。陽気なメロディーは自然と歩を進めさせる。身体に染みついた歩幅で前に進んでいく。視界の端ではフラッグが華麗に回転していた。北宇治は最早、押しも押されぬ強豪校。小学生たちの輝くような視線、中学生たちの憧憬を込めた眼差しが私たちの行進に注がれている。きっと、希美先輩を見ていたかつての私もあのような感じだったのだろう。あの中に、未来の北宇治を担う人材がいるのかもしれない。

 

 澄み渡った空の下、私の銀色のフルートは光り輝いている。その煌めきに導かれるように、私は一歩一歩前に進んでいった。これまでの何もかもも、これからへの大きな不安も、そんな全てがかき消されているような錯覚に陥る。他の何も気にならない、今この瞬間だけが全て。そんな風に演奏できる本番が、私は好きなのだ。

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