音を愛す君へ   作:tanuu

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第百二十四音 勝ち方

 秀塔大附属の指導を引き受けたとはいえ、まだ学校は普通にある時期だ。それ故に、指導は午後練が中心になる。朝練の指導をしても良いけれど、部員が学校生活を送っている数時間の間私がどうするのかという問題が発生してしまう。北宇治時代は学生だったので授業を受けていたのだが、今はそう言う訳にもいかない。教員免許を持っていないので授業をするわけにもいかない。という事で、平日の指導は午後からだった。

 

 公立の北宇治は京都府内からしか来ない上に学区制があるので、家が遠くてもその距離は限られている。一方私立の秀塔大附属は縛りが無いので、遠い人だと一時間半近くかけて登校している。今までは八時半HR開始のところ、早い人だと六時半ごろから「自主」練を始めていたらしい。自主という事になっているが、実態がどうなのかは推して知るべしという感じである。

 

 これではいかんと思い、自主練の状態の改善を行った。六時半ではなく早くても七時半からという風に変更させ、走り込みなどは廃止。朝練ではとにかく基礎練習を行って、自分の演奏における基礎力を高めていく練習をするようにした。取り敢えず強制なのは何も良い事が無い。家が遠いけれどそれでも部活に来ようとしている熱意の方を採用するべきだと考えている。そういう部員が十分に休息をとって、十全な状態で参加してくれるのは歓迎するべき事だった。

 

 なので午前中は割と暇であった。指導案は既にある程度出来ている。昨日の練習で個々人の特性や実力、演奏の癖なども大分見えてきた。性格は部長からの申し送りで大体把握している。

 

「おはよう……」

 

 朝のニュースがラジオから流れてきている。眠そうな顔で妹はよろよろと起きてきた。食卓の椅子に座っても、半分意識が朦朧としているようだった。昔から寝起きが凄く悪いのが妹の特性なので、こんな様子なのは慣れている。髪の毛もまだ整っていないし、服も半分適当になっている。学校では完璧お嬢様な子も、家ではこんな感じなのだ。ギャップを知っている身としては、学校での姿は大分面白くもある。

 

 私がいない間に朝ご飯を作ってくれていた希美は、今は寝ている。私がいる間は私がやることにしていた。数ヶ月の間台所は希美の城だったので、私の頃より大分ファンシーでお洒落な感じになっている。便利な台所用品も追加されていた。

 

「おはよう。大丈夫? 寝てるか?」

「寝てるよ……最低六時間は」

 

 時計は六時少し過ぎを指している。妹は普段から七時までには学校に着くようにしていた。私が学生だった頃はその三十分前には着いていたと記憶している。なにせ、みぞれがいるので早めに行かないといけなかったのだ。

 

「テスト前は大変だね、高校生は」

「自分もつい数か月前までそうだったのに……」

「もう違うから」

「他人事だと思って」

 

 文句を言いながら、食パンと目玉焼きを食べている。毎回ほぼ全てのテストで百点を取っているのは、夜と授業中にしっかり努力しているからなのだろう。ピンと背筋を伸ばして授業を受けている姿を、三年生最後の自由登校期間に廊下の窓から見ていた。私は留年しなければそれで良かったので、正直成績はそこまで関心事項では無かった。

 

「私は英語と世界史しか出来ないから。理系はさっぱり」

「兄さん中学で数学の基礎やってないからね」

「痛いところを突いてくるなぁ」

「まぁ文系出来てるならそれで良いと思うけどね。英語出来るの、圧倒的にアドバンテージだし。暇なら優子先輩と夏紀先輩助けてあげたら? 第二外国語で困ってたよ」

「二外? 何取ったの?」

「ドイツ語」

「ぬあぁ、あれほどやめとけって言ったのに」

 

 ドイツ語はゲルマン系言語だから英語に近いんだし楽でしょ? という意見はよく見るけれど、全然そんな事無いと思う。まぁ似てはいるけれど、文法が正直面倒くさい。単語は割と読みやすい方だけれど。真面目に言語系を目指しているんじゃないのなら、韓国語か中国語にしておけばいいと思う。一番難しいのはロシア語とアラビア語なので、それよりはマシだと思うけれど。

 

「中韓にしておけって言ったんだけどね、簡単なんだから」

「それ、二人とも言ってた。兄さんがやってたから出来るかなぁと思ったんだってさ」

「身一つで外国に住むことになったら嫌でも出来るようになるよ。一応母さんに教えて貰ってはいたけどさ」

 

 私たちの母親は清良から東京大学文学部第三類ドイツ語ドイツ文学専修課程に進学していた。元々言語系に進みたかったらしい。清良は別に進学校ではないので、相当努力したのだろう。卒業後は父親と結婚して関西へ移住し、その後京大の院に入り、翻訳家をしていた。大学で第二外国語の講師もしていたと思う。その縁もあって私はドイツの音大に行くことになった。フランスとかロシアを選ばなかったのはここら辺に要因がある。

 

「大学はもうすぐ期末テストか。しょうがない、ちょっと手伝うこと無いか聞いてみる」

「そうしてあげて」

「レポート地獄で死んでるのかな。出す側としては読むのも大変なんだけどね」

「じゃあ出さなきゃいいのに」

「出さないと成績評価できないでしょ」

「それもそっか。うん? でも音大の授業って大半が実技じゃないの? 希美先輩の履修要綱みたら、実技コースの人の授業大半がそうだったけど」

「実技の授業だけじゃなくって、それ以外にもやる羽目になってるの。日本の音楽に関するアレコレとかね」

 

 実技の授業とどっちが楽かは教授によって意見が異なる。私は実技が面倒なので、こっちの方が楽ではある。実技は評価が面倒なのだ。どっちにしても採点する側は大変だし、責任もある。生徒の人生を左右しかねない部分を握っているので、適当にやるわけにはいかない。大学生時代に思っていた教授への文句の大半を今自分が向けられる側になっている。

 

「ごちそうさま」

「はい、どうも。目覚めた?」 

「多少は」 

 

 皿を洗いながら話している。ラジオの内容は今日の天気の話題にシフトしていた。

 

「登校して何してるの? 去年は自分の練習だったけど」

「今は自分の練習より後輩とかB編成の練習を見てることが多いかな。自分の練習はパート練とか家でも出来るし。基本的に朝と夕方の自主練の時間はずっと誰かの練習を見てる」

 

 高坂さんの補佐をしているとは言っていたけれど、随分と仕事量は多いようだ。出来るからしている、が妹の性質であり性格であるのはよく理解しているつもりだ。要するにだ、逆に言えば純粋にやりたくてやっている、とはまた少し違う部分がある。自分の目的とかがあり、それのために必要な手段を取っているという形式になるだろう。だから、優しいとか言われるといつも微妙な顔をしていた。

 

「と言うか高坂さんは? 仕事してる?」

「してるよ、結構。金管の練習はちょくちょく朝とか夜に見てるし、全体の練習計画とか考えてるから。それに絶対的エースとして負けられないだろうし、自分の練習も相当やらないといけないから。サボってるわけじゃなくって、単純に仕事量が多いだけで手が回ってないところを私が補佐する感じだから」

「なら良いけど……」

「誰も彼も兄さんみたいに出来るわけじゃないし。ただでさえ、高坂先輩は後ろから迫って来るおっかないライバルがいるんだし」

「おっかないか……?」

「兄さんには『絶対負けないよ』『うん、私もだよ』みたいな微笑ましいライバル関係に見えてるのかもしれないけど、傍から見てると必死に逃げ切ろうとしてる高坂先輩とドス構えて追っかけてる秋子先輩っていう修羅の世界だからね」

「その世界観だと私は何なのさ」

「二人の対立を上から見守ってる一番ヤバい黒幕」

「えぇ……」

 

 北宇治トランペットのダブルエースの鍔迫り合いはかなり拮抗しているらしい。高坂さんがリードしているのは経験と熱量の為せるところが大きいか。これでもし妹が補佐に入っていなかった場合、仕事に追われて練習量が減り、結果ソロを奪われるということもあり得たかもしれない。二人とも随分と成長したというのはよくよく理解しているつもりだけれど、私の想像より上を行っている部分があるのだろう。それは素直に嬉しい事だった。

 

 逆にこの二人が消えた来年以降の北宇治トランペットパートがどうなるのか、不安は残る。小日向さんに期待が集中しないように他三人もレベルアップさせていたつもりだが、実際どこまでやれるのかは分からない。一つ言えるのは、多分今の二人よりは確実に下だろうということだった。

 

 来年のことは何も分からない。私が北宇治の指導を受けるのも、来年までだろう。妹がいなくなれば、タダで指導をする理由はない。もし今年成果を出した場合、秀塔大附属はまた来年以降も私を雇用したいと申し出てくる可能性はあるし、それを拒む理由は無かった。鬼が笑うというけれど、考えずにはいられない。ともあれ別に一人でなんとかしないといけないわけではないし、何とかなるとは思っているのだけれど。

 

 そんな事を考えている間に妹は制服に着替え、髪を整えて、ピシッとした姿になっている。外行きの装いは清楚系お嬢様そのもの。これが私の同期や後輩男子たちに人気だった理由だろう。遠巻きに憧れているだけだった同級生や先輩を出し抜いて(?)、滝野が掻っ攫っていたわけだが。まさにフライングゲット。……使い方は正しいのだろうか。

 

「それじゃ、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

「ちゃんと午前中は希美先輩と一緒にいてあげてね」

「余計な事言ってないで早く行きなさい」

「はーい」

 

 希美先輩大好き人間は彼女が幸せでいてくれることに相当強い願望を持っているように思える。そのせいか、こういうことをちょくちょく言ってくる。別に恋愛経験が豊富なわけではないはずだし、仕入れてくる知識はほとんど恋愛小説からのはずなので、ただの耳年増とも言えるのだけれど。言われなくてもそうするので、杞憂である。ここ数日は露骨に機嫌が良い彼女を見送って、私は家に戻った。もう同じ学び舎に通うことはないと考えると、それが少し寂しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後になると大阪に移動して指導が始まる。五十五人に減った音楽室は広々としている。北宇治は五十五人になってもそれなりに狭いのだけれど、流石私立というべきか教室の面積も大きかった。部屋の壁も音を吸収する素材になっている。布団を貼って誤魔化していた北宇治の涙ぐましい努力が思い出される。教育環境における資本の力を実感した。

 

「では、練習を始めます」

「「「お願いします!」」」

 

 大きな声での挨拶が返って来る。どうしても吹部は体育会系の空気感が強い。ここも例に漏れないようだ。

 

「昨日はオーディションと課題曲を行いましたので、本日は自由曲をメインにしていきます。既に何度も全体で練習をしていると思いますが、それはあくまでもフルバージョンだったはずです。そういう風に部長にお願いしていましたので」

 

 去年編曲した『リズと青い鳥』しかり、元々コンクールのために作られていない曲がほとんどだ。その場合は編曲をしないといけない。どこをどういう風に弄るのかは、編曲者の解釈や腕によって左右される。ここでポイントになるのは、今回指導している人と作曲者が同じであるという事。どちらも私なのだから、好き勝手にしていい。著作権もガン無視できるし、ソロという指定になっていても場合によっては変えても構わないのだ。

 

 そこで、秀塔大附属のコンクール専用カスタマイズが出来るように、編曲したバージョンを演奏するのは私が来てからにするよう要請しておいた。それまではフルバージョンを演奏できるように練習してくれていたようだ。私の作った曲である『我が第二の故郷に告ぐ』は五楽章で構成されているが、全部演奏すると三十分以上かかる。それはオーケストラ用も吹奏楽用も変わらない。

 

「ひとまず、皆さん用にカスタマイズした編曲をお配りします。B編成の子たちには、後で先生から配って頂きます。配られたらまだ見ないで置いておいてください。先に説明する事項がありますので」

 

 そう告げてプリントを回す。昨日のうちに顧問の先生方に楽譜データを送って、コピーをしてもらっていた。なにせ103人と先生方の分なので相当量がある。学校でコピーしないと、私が破産してしまうだろう。

 

「さて、第五楽章まであるわけですが、その背景は既に聞いていますか? 学生指揮、どうです?」

「はい、既に北条先生から曲のあらましをお聞きしています。桜地先生が作曲コンクールに提出した解説の和訳版ですが」

「なるほど、では各楽章ごとの解説も出来ますか?」

「出来ます」

「お願いします」

「分かりました。まず第一楽章は『琥珀の地』で有史以前のハンブルクの街を示しています。続く第二楽章は『大海原へ』で、ハンザ同盟の中心都市として中世のヨーロッパで覇権を築いた発展の歴史を描いています。第三楽章では『自由の街』ということで、帝国直属の地として引き続き自由を謳歌し続けた同市の様子を示しています。第四楽章は『軍靴』で、ドイツ統一戦争や二度の世界大戦の惨禍を描き、最後の第五楽章『思い出』で先生ご自身の経験を基にメロディーを形成しています。それぞれの時代ごとに、当時一世を風靡した音楽の潮流や印象深い曲を使用しているのも特徴で、例えば第四楽章ではドイツ国歌のメロディーを一部に取り入れています」

「どうもありがとう。非常に良い説明でした。私は、何も言うことが無くなってしまいましたね。今の解説がこの曲の構成に関する部分で重要なほぼ全てです」

 

 答えてくれた学生指揮者は表情をあまり変えずに座っている。どうもかなりクールな子のようだ。学生指揮とは要するにドラムメジャーみたいなものなのだろう。音楽面での練習の音頭を執っていると聞いている。名前は三鷹凛。フルートのパートリーダーも務めている。音楽に関する知識も豊富だとは聞いていたけれど、ここまですらすらと答えてくれるとは正直予想外ではあった。自分の曲に興味関心を持ってくれるというのは、作曲者としては嬉しい。

 

「では、ここからが重要なところです。先ほど配った編曲の楽譜を見てください」

 

 楽譜をパラパラとめくっていくと、部員たちの表情が怪訝そうな顔になっていく。それもそうだろう。先ほどまで三鷹さんが解説してくれた第一から第四楽章までが登場していないからだ。その楽譜は今まで練習してきたフルスコアで言えば第五楽章だけのものになっていた。この判断に、疑問を隠せないと言った風貌の生徒が多い。

 

「見てすぐにお気付きの方も多くいるとは思いますが、今回は第五楽章に重点を置きます。逆に言えば、他の楽章はカットしました」

「質問、よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「ありがとうございます。意図を説明して頂きたく思います。私はこの曲は第一から第四までにある街の歴史やそこに生きた人々の想いを背景にしながら、ハンブルクという一つの街が形成してきた物語を伝え、その最後に桜地先生ご自身が街の持つ物語の一つとなり、同時に街が桜地先生ご自身の人生における物語において『第二の故郷』となる過程を描いたものと解釈しています」

「凄いですね、あなた。今すぐ音楽ライターに就職してください。私よりよく理解してますよ、この曲のこと」

「ありがとうございます。話を戻しますと、だからこそ第一から第四楽章までも第五楽章を形成する上で欠かせないと考えていました。この曲は、桜地先生という人物が歩んできた道のりに他なりません。それを告げるためのバックボーンを消してしまっては、曲の魅力は半減ではないでしょうか」

「意図を説明してほしい、という質問は予想していましたが、ここまでしっかりと曲と向き合っての質問が来るとは思っていませんでした。流石、秀塔大附属ですね。今、私は感動しています」

 

 こんなに熱量を持って言われるとは思わなかった。強豪で学生指揮をやっているのはその熱意と知識から来る部分が大きいのかもしれない。学生指揮やドラムメジャーは他人の演奏を注意することも多いので、人一倍上手い事と強いメンタルが求められる。だから北宇治では高坂さんが務めていた。と言うかここまでで感じたのは私に対する温度差があるという事。多分副部長の武田さんなどは私に懐疑的なのだろう。逆に学生指揮の三鷹さんなどは私に対して非常に好意的だ。部長はニュートラルな感じがある。

 

「私が第五楽章だけをピックアップした理由。それは一言で言えば普遍性です」

 

 私は音楽室の黒板にチョークで文字を書く。普遍性、と大きく書かれたそれを部員は戸惑いつつ見つめていた。

 

「普遍性、つまりはすべての物事に通じる性質。ここでは全ての人に通じる、くらいの意味合いにしておきましょう。これが無いからこの曲は作曲コンクールで銀賞止まりだったわけですがそれはともかく。先ほど三鷹さんが大変素晴らしい解説をしてくださったように、この曲は私自身の個人的経験に依拠するところが多い作品になっています。選んでくださったのは私としても素直に嬉しいですが、この曲が皆さんの演奏に、ひいては大会の演奏に合致するかは疑問符の浮かぶところでした。だって、ハンブルク行ったことある人ほぼいないでしょう? ベルリンは皆さん修学旅行で行かれた方もいますが、ドイツは地域ごとに全く違いますので、あまり参考にはなりません」

 

 元々が連邦国家なのも相まって、ドイツは地域ごとの特色が強く出ている。ハンブルクは北方の港町であり、ドイツ第二の都市として経済的な要素が強い。また、ブレーメンと同じ自由都市として現在まで存続していることを誇ってもいる。中世期のベルリンなど辺境の片田舎に過ぎない。同時期のハンブルクは海運を支配する街だった。この空気感は実際に行って比較しないと分からないだろう。

 

「皆さんにとってこの曲で演奏されている要素の大半は、身近ではない場所の物語なのです。ですからそこに感情移入しろと言っても難しいでしょうし、それをしてもらうのは大会でなくても良いと私は考えました。大会とは、極論客をいかに喜ばせたかです。それには当然技術や表現も関わって来る。審査員だってお客と同じですから、言ってしまえばよい演奏かどうかの評価点は一般の客とあまり変わりません。多少専門性が入るかどうかだと私は考えています。ですから、お客に訴えかけるには何よりも皆さんがこの曲に強い思い入れを持っていることが大事だと、そういう判断をしました」

「それが、第五楽章ってこと?」

「そういう事です」

 

 誰かが発した声に私は頷く。『リズと青い鳥』が上に行けた理由を考えた時、これが要因なのではないかと思いついた。あの演奏が人々を感動させたのは、演奏者たちの想いと曲がリンクしていたからだ。第三楽章はもちろん希美とみぞれの感情が大事だったはずだ。そして私が重要視した第四楽章は不安定な未来に不安を抱きながら、それでも目指すモノのために大海原へ、大空へと進んでいく姿を描いた。それは将来像に不安と期待を抱きつつ前に進んでいく、高校生だけが出せる青い演奏であったと確信している。だからこそ、その迸るエネルギーと感情、決してプラスな想いだけではないけれどそれでも生きていくという人生の在り方。そこに客の感動があったのではないかと考えた。

 

「第五楽章は『思い出』と銘打っています。曲調は穏やかさと温かさを重視しました。日常の雑踏と変わらない日々、その中にある確かな思い出。良い事も悪い事も包み込んで、明日の朝日を浴びるという具合で曲を終えています。ここならば、皆さんにも共感してもらえるのではないでしょうか。別にハンブルクである必要はありません。皆さんの中で、第二の故郷と思えるような場所があればそれをイメージしてもらえればいいのです。そこでの思い出、そこでの物語、それを演奏するのです。思い出せなければご両親に聞いてみたり、写真を見て振り返ったりしてください。昔住んでいた場所、旅行した場所、祖父母の家、何でも構いません」

「あの、私、自分の家も祖父母の家もみんな都会なんですけど……」

「都会が故郷になれないと、いつ誰が決めましたか? 郊外の家、新興住宅地、中心部のタワマン……何でも構いません。そこでの思い出や思い入れがあればいいのです。一緒に出掛けた場所の記憶、遊んだ場所、眺めた景色、そういう記憶です。極論行ったことが無くても構いません。勝手に第二の故郷だと思っている場所でも、架空の街でも良いのです」

「アニメの聖地とかでも良いんですか?」

「もちろんです。あなたにとってその作品が非常に人生にとって重要であり、苦しい時や悲しい時の支えになったり、喜びや出会いを提供してくれたという思い出があるなら、それでも構いません。ちなみに、差し支えなければどこです?」

「沼津です」

「なるほど。私も『Snow halation』は好きですよ」

 

 聖地でも良いのか? と尋ねた男子部員は嬉しそうな顔をしている。意外に思われることもあるのだが、アニソンやボーカロイドだって立派な音楽だ。クラシックはただでさえこの音楽大氾濫時代に票田を奪われている。オタクと呼ばれる層はアプローチ次第では興味を示してくれることもあるので、しっかり研究している。『エヴァンゲリオン』で『第九』が使われたりがその良い例だろう。どうすれば売れるのか、どうすれば人気を得られるのか。マーケティングを研究しないジャンルに未来はない。

 

「行ったことの無い街の知らない景色を演奏するよりも、こちらの方がよほど皆さんにとって演奏しやすいはずです。演奏の主体はあくまで皆さんであり、私ではありません。私の曲は皆さんが全国大会を目指すためのツールに過ぎません。それに引っ張られて表現が上手くいかないようでは、作曲者として合わせる顔がありませんので。良いですか、最初に申し上げた通り、私は皆さんに雇用されています。演奏の主体も、部活の主体もあくまで皆さんです。皆さんが上に行くことを望んだから、私はここにいてこういう指導をしています。それを忘れないでください。私のために皆さんがいるのではありません。皆さんのために私がいるのです」

 

 私の好きなように演奏させることは出来る。けれどそれは私の操り人形に過ぎない。そんな演奏に、そんな部活に何の意味があるのだろうか。もし仮にそれで全国大会に行けたとして、彼らは部活に何かしらの意義を見出せるのだろうか。振り返った時に、空虚な思い出だけが残っていてはつまらない。

 

 あの時演奏したあの曲は凄い良かった。思い出に残った。全力で自分を表現できた。そういう風に思って欲しい。音楽は本来自己表現のための存在だし、何より生徒のために部活があるのだ。部活のために生徒がいるわけではない。勝たせるために私はここにいる。けれど、勝ち方にだって拘るべきなのだ。それを私は北宇治で学んでいた。

 

「こういう意図があり、私は第五楽章を演奏してもらうことにしました。課題曲Ⅰは愉快で軽快な曲ですので、その課題曲との差別化も狙うことが出来ますし、そういう意味でもメリットがありましたので。ソロもそれに合わせた人員を選んでいます。さて、大体意図は説明しましたが、何か質問はありますか?」

「はい」

「では、部長さんどうぞ」

「あの……先生の意図は分かりました。でも、皆でそれぞれ違う思い出を演奏してたらバラバラになってしまいませんか?」

 

 不安そうな顔で彼女はこちらを見ていた。バラバラ。その言葉に込められたのは多分、曲のことだけではないだろう。私を呼ぶという課題は何とか全部員の合意を獲得できた。しかし、それでも温度差は存在している。後輩と先輩との間の温度差、同期同士の温度差、幹部内での温度差、パートごとの温度差。そういうモノが確かに存在しているのも事実だ。決して不和の種が無いわけではないし、私に見えないところで部長たちが奔走している部分も大きいだろう。だからこそ、バラバラという言葉に込められた意味はかなり重い。彼女の表情から、私はそう読み取った。この手の読みが外れたことは、あまりない。

 

「なるほど、確かにその懸念はもっともです。では逆に考えましょう。集団がバラバラになる時、それはどういう時でしょうか?」

「えっと……みんなが好き勝手に違う事をしてる時、とかですか?」

「ですが、全員バラバラの行動をしているけれど一致団結している組織というのもありませんか? 与えられた役割が違う時は行動は違うけれど団結しているはずです」

「確かに……」

「私は組織がバラバラになるのは、目的意識が違う時だと考えています。目指すべき場所が違うから、意識に食い違いが起こる。そして組織は崩壊していく。無論、目的意識が同じでも手段があまりにも適切でない場合は崩壊する可能性がありますが……少なくとも同じところを目指している以上、多少方法論に差があってもそれは議論でどうにでも出来る部分でもあります。そしてこれを吹奏楽部にも当てはめればいい。この部活は全国大会を目指しています。それであれば、ゴールは同じ。バラバラの思い出を持ち寄った演奏でも、モザイクアートのように一枚の絵を描けるはずだと私は思っています」

 

 北宇治だってそうだった。意識には差があったし、思い入れにも差があった。例えば田中先輩は全国大会に最初から凄く興味があったわけではない。みぞれだってそうだろう。大会にかける思いや部活に参加する理由は人それぞれ。部活というのはそういう場だと思う。色んな背景、色んな人生を送って来た存在が、一つの目的を目指して集まる。だからこそ部によって特色が出るし、同じ学校でも年によって全く違う演奏が出来る。それは、目的を同じくした異なる個の集合体だからではないだろうか。

 

「人は、他人にはなれません。結局自分は自分です。どんな組織でも、どんな集団でも同じ。それでも辿る道が違うのは、同じ目的を持っているかどうかではないでしょうか? 皆さんが全国大会に行くという目的を持っているのならば、思い出が違くとも、最終的に調和した演奏になるはずです。それが部活であり、それが合奏の良いところ、面白いところであるはずだと私は考えます。どうですか、部長。ご納得いただけたでしょうか」

「分かり、ました。やってみないと分からない部分もありますけど、取り敢えずやってみます」

「それは良かった。高校の部活動では、個々人のイメージや想いよりも指揮者がどう演奏させたいかに引っ張られがちです。しかしそれでは皆さんが演奏している意味が無い。秀塔大附属は今年はこういうやり方で勝ちに行くのだと、見せつけましょう」

 

 指導者の独りよがりでもなく、部員たちの勝手気ままでもなく、指導者と部員の両方で作り上げるのが音楽だ。それを学べたのも、北宇治のおかげだろう。私たちは一人では上手くなれないし、一人では大会で上に行けないし、一人では良い演奏は出来ない。

 

「他に何か質問がありますか? 無いようでしたら、早速練習に移りましょうか。皆さんの中でしっかりイメージを固めてください。自分だけ良ければ演奏が良くなるわけではない事をくれぐれも忘れずに。先ほども言ったように、思い出のイメージが違くとも目的が同じならば良い演奏が出来ますが、逆に言えば自分が輝くことだけを目的としてしまえばこの前提が崩れます。そこをしっかり意識するように。演奏前の大前提です。それが守れれば、私を嫌おうが何をどう言おうが構いません。よろしいですね?」

「「「はい!」」」

「それでは始めます」

 

 指揮棒を構える。目の前の彼らにおけるこれまでの人生は、決して長いわけではない。それでも色々な記憶があるはずだ。喜び、楽しさ、嬉しさ、怒り、悲しみ、絶望。そんな多種多様な感情が人生の中にあったはずなのだ。そしてそんな感情渦巻く人生の中で、住んでいる場所ではないけれど、どこか落ち着く場所、思い出のある場所、自分にとってプラスな場所。そこへの想いを綴って欲しい。

 

 きっと大人になったら忘れてしまう何かが、高校生の彼らにしか出せない今だからこその煌めきがある。思い出の捉え方や感じ方は大人になったら変わってしまう。この時だからしか出せない音を出してくれるはずだ。私はそう信じていた。

 

 他の学校がどういう風に挑んでくるのかは分からない。最終的にはそんなのはどうでもいいとさえ言えるだろう。真のライバルは他校でも他者でもなく、自分なのだから。だから他校の挑み方なんて気にしない。私はこの子たちを、この勝ち方で上に連れていくと決めたのだから。




三鷹凛:秀塔大附属高校吹奏楽部フルートパートリーダー兼学生指揮者。三年生。深い学識と音楽に関する造詣を身に着けている。特にクラシック音楽や古典と呼ばれる音楽に関する事項に詳しい。その知識から当然ヨーロッパのクラシック界隈に関する情報も仕入れており、同世代でありながら世界一と呼ばれる奏者のことはかねてより尊敬の対象であった。それが例え、ライバル校栄達の立役者であったとしても。それ故に、桜地凛音招聘という部長の案にいの一番に賛成した三年生である。なお、憧れと同じ名前の字を使っているのは本人的に嬉しい出来事だった。今年の自由曲を提案した人物でもある。

クールな性格をしており、あまり人と積極的に話すタイプではない。いわゆる、腕が良いからパートリーダーをやっているタイプ。切れ長の目と涼し気な風貌は冷たい印象を与えがちではあるが、音楽に関する熱量は本物である。なので後輩の育成はしっかりやる。将来はクラシックの運営などを行ってみたいと思っているので、それらに関する知識を勉強中。総合すると冷静だが冷徹ではないという人物像をしている。名字は私が個人的に庭にしている三鷹市から。名前は人物イメージから選んだ。誕生日は5月2日。AB型。166㎝。好きな物はクラシック音楽(特にヨハン・シュトラウス)、レコード。苦手な物は最近の曲(流行りがよく分からないため)。特技はイントロクイズ。趣味は音楽鑑賞と飼っているウサギと遊ぶ。最近の悩みはCDが値上がりした。髪型は黒髪の長いポニーテール。
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