音を愛す君へ   作:tanuu

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第十五音 くだらないもの

「で、どう。曲の印象は」

 

 少し暗い教室で、いつも通り放課後の個人レッスンが行われている。あんなことがあった直後にやるのは凄く気が進まなかったが、それでもそれはそれ、これはこれと割り切るしかない。結局、先輩の件は部長に後を託すしかない。どういう結果になるのかは、彼女の報告待ちだ。

 

「ダイナミックですけど……失敗したら、目も当てられないことになりそうです」

「ま、それはどれでもそうだろうけど……正解だね。これはそういう曲だ。そして、我らがトランペットは見せ場が多い。その代わり、その分だけ責任も重大になってくる」

 

 先生はこのパートを北宇治の主力戦力の一つとして見ている。だからこそ、曲選びにもそれは反映されている。

 

「自由曲のソロもそうだし、当然課題曲にだってトランペットは重要だ。そして、このソロで君がオーディションに受かる事が出来れば、それは君自身の大きな成長に繋がるだろう」

「はい」

「明日以降だけれど、少し練習の形態を変えようと思う。お手本を用意するから、目の前でそれを聞いて、自分の演奏と比較しながらフィードバックしていく作業にするつもりだ」

「それって、つまり……」

「そういう事。すなわち、私は今晩でこのソロの部分を完璧にしてこないといけないという訳だ。はっきり言えばかなり苦行だけれど、まぁしょうがない。どの道お手本はパート全体の前でもやるつもりだったし、遅かれ早かれやる事にはなっていたから」

「ありがとうございます!」

 

 高坂さんは珍しくかなり大きい声で深々とお辞儀をする。これまで幾つも課題を出して指導を行っては来たけれど、それはあくまで彼女がずっと吹いているだけだった。私が実際に楽器を使って演奏したことはない。という訳で初めての試みではあるが、見て聞いて学ぶ方式を採用することにした。

 

 実際これでどれだけ効果があるのかは不明なところもある。しかし学ぶところがゼロであるとは思わない。何かしら参考にする所があって、彼女がそれを吸収してくれたなら御の字だ。

 

「そしてだ。勉強と同じで何事も目標を段階を持って作成することが重要になる。大きな目標、中くらいの目標、小さな目標というようにね。という事で、今から君にはそれを設定してもらう。どうかな? 何か思いつく?」

「小さな目標はまずは一通り完璧に吹けるようにする事で、中くらいはオーディションに合格して、ソロもやる事です。大きな目標は……全国大会に出る事、でしょうか」

「大きいのはそれでもいいけれど、私のお勧めは少し違う」

「では、どういう物がいいのでしょうか」

「今回やる二曲に関しては、私より上手くなることだ」

 

 高坂さんの顔は戸惑ったような、どうしたらいいのか分からないような顔をしている。

 

「でも、それは流石に……」

「出来ない、と? 君の口からそれが出てくるとは思わなかった。けれどしり込みすることはない。日本の吹奏楽はレベルが高い。かなりの時間を割いて練習しているのだから当然ではあるのだけれど、そのレベルは強豪校ともなればコンクールの曲ならばプロに匹敵すると言われるレベルだ。そして君は超高校級の奏者だと思っている。なら、いけるはずだと思うけどね」

 

 別に無理難題を押し付けている気は無い。今すぐにという話ではなくて、この曲を演奏していく間に実力をつけてやがては、とそういう話だ。北宇治がどこまで進めるかは分からないが、関西までだとしても夏の終わり。奇跡的に全国なら初冬まで。それだけ時間がある。つぎ込んだ時間は相当なものになるだろう。

 

 部活動としてやっている時間だけでも相当だが、家に防音室がある彼女は自主練を家でもやるだろうから、それも合わせればとんでもない時間になると思っている。そしてその間私は別に吹くわけじゃない。何故なら奏者じゃないから。当然彼女と私に素の実力差があっても、今回の二曲に関してなら上回ることだって出来るはずだ。

 

「この曲に関しては私の方が上手い。そう言えるようになること。全部において上回れっていう訳じゃない。今回の課題曲と自由曲だけでも超えてみなさい。そうすることが、君が『特別』に進んでいくための大事な歩みになるはずだ」

 

 そしてそういう風に自信を付けて実力を付けた奏者が来年、再来年と技術面において北宇治の中核を担ってくれればこれに越したことはない。来年はともかく、再来年は既に卒業してしまう。私の役割を継承してくれる人材は出来ればいて欲しい。それが彼女であれば、嬉しいことだ。吹奏楽部の未来のために、彼女は欠かせない。

 

「どうだろう。勿論、どうしても無理って言うなら君の言う目標でも……」 

「いえ、やります。出来ます!」

 

 食い気味に彼女は答えた。少し臆病になっていた瞳の色は、もう既に無い。闘志を燃やして、絶対に達成してやるという意思が溢れていた。トランペット奏者は二種類に分かれると思っている。穏やかでいて芯の強い人と、気が強く負けず嫌いな人。私や吉川は後者だし、中世古先輩や笠野先輩などは前者だ。高坂さんは間違いなく後者だろう。穏やかさは……申し訳ないけどそんなに感じない。

 

「よし。君の出来ると言った言葉を私は忘れないから。今年度の終わりにその成果を見せて欲しい」

「はい!」

「よろしい。じゃあこの話はこの辺にして、早速本題に入って行こう。今日は課題曲の方からやっていくわけだけど……」

 

 譜面を広げながら話を続けていく。私はあくまで奏者であり、指導者には向いていないと思っていた。けれどやってみると案外すんなり出来るものである。去年加部に教えていたのが、ここに来て生きているのかもしれない。あの時間も、無駄ではなかったのだと思うと少し安堵した。

 

 私がここにいる意味があるのか。その答えは出ないけれど、少なくとも私の存在が高坂さんの役に立っているのなら、多少なりとも意味はあると肯定できそうな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 楽器を片付け、頭を下げて高坂さんは帰っていく。いつも個人レッスンの後はこの調子だ。尊敬されているのか、怖がられているのか。頑なに最敬礼をしてから帰っていく。もっと軽い調子でも構わないと言ってはいるのだけれど、譲れない部分があるらしい。

 

 同期の吉沢さんなんて、「ありがとうございます~」と間延びした感じでお礼を言ってくる。尊敬されてないわけじゃないと思うのだが、どことなくのんびりと軽い。ガチガチに緊張されるのも困るので、どっちかというとそういうテンションで来られた方が楽なのだ。

 

 音楽室にも誰も残っていないことを確認し、真っ暗になった校舎内を歩いていく。梅雨が近いと言っても日の入りはまだ早い。真夏になれば、この時間でもまだ多少明るいかもしれないけれど、今はもう真っ暗だ。夜の学校はそこまで好きじゃない。なんとなく、人のいていい場所じゃないような気がする。

 

 怖い、という訳じゃないけれど、生きとし生ける物の活動する場所じゃないような異質感を放っている。普段大勢人がいて、その営みを送っているからこそのギャップなのかもしれない。職員室には大勢先生が残っている。この時間まで仕事なのだろう。お疲れ様ですとしか言いようがない。鍵を返して、先生の下に報告へ行った。いつも通り、全体練習での問題点や改善された点、個々人の実力の変化について書いたノートなどを提出する目的がある。

 

「先生、終わりました」

「お疲れ様でした。今日は、どうでしたか」

「まだ最初の段階ですから、曲を掴むのに苦労している印象です。とは言え、出来る人はもう出来ていますね。具体的には田中先輩や高坂さん、川島さんなどは」

「なるほど。やはり、北宇治高校にはポテンシャルがありますね。最初からある程度は分かっていました。この部活に足りないのは、練習時間と意識。それさえあれば改善は可能だと。強豪校にも引けを取らない奏者が何人も眠ったままだった。それはもどかしいものでしたが、徐々に力を付けて本来の実力を発揮しているように思います」

「それが分かっていて、私を引き入れたと」

「はい。最初桜地君は人は簡単には変われないと、故に全国に行くのは厳しいと言いましたね」

「ええ。前者に関しては、意外とそうでもないと分かり複雑な気分ですが」

「私はそうは思っていませんでした。逆に言えば、人さえ変えられればどうにかなるのではないかと、そう思ったのです。あなたもそれは分かっていたのではないでしょうか?」

「……さぁ、どうでしょうか。私自身でも、答えは出ません」

 

 上手い奏者がいるのは分かっていた。けれどエースだけいても上には行けない。だから無理だと断じた。だが結果はこれだ。全体のレベルまで上がりつつある。空気を変える。それの力を改めて思い知っている。そして、教師という立場の人間が動くことで、こんなにも変えられるのかという現実を見て改めて過去に対する悔いを加速させる。

 

 あの時、もし昔の顧問が果断に動いていたら。あの時もし、松本先生を頼っていたら。きっと違う結末になったのではないか。後悔しかできない。きっとこんなマイナスな感情に囚われるのは、今日の出来事があったから。人の人生を狂わせてでも、この部に留めおこうとした私の行いへの自己嫌悪からだろう。

 

「そういえば、私からも一つあなたに報告することがありました」

「何でしょうか。大会関連ですか? それともオーディション?」

「どちらとも関連していると言えば関連しています。サックスの三年生、斎藤さんに関してです。知っていますよね?」

「はい、それは勿論です」

「先ほど本人から電話がありました。受験勉強が忙しく、ハードなスケジュールに対応できる自信が無い。だからオーディションは辞退させて欲しいと。その代わり、B編成の方で音頭を取りつつサックスの一年生などを指導する役目を担わせて欲しいという話でした」

 

 張りつめていた糸が切れたような感覚がして、私は糸の無いマリオネット人形のように、滝先生の隣の椅子に座り込んだ。使用者が既に帰っていてよかった。

 

「桜地君、大丈夫ですか?」

「え、えぇ、なんとか。それにしても……そうですか」

 

 流石部長。よくやってくれた。本当に良かった。何であれ、これで私の描いていたプランになってくれた。彼女は優秀であり、人間的にも好かれている。基本温厚で冷静な人だ。それ故に物事をよく見てくれる。B編成には貴重な指導役になってくれるだろうし、サックスパートの安寧にもつながる。

 

 それに見逃せない情報を部長は言っていた。彼女は黄前さんや塚本君の知り合いだという。旧知の中、いわゆる幼馴染なのだろう。そういう存在が退部したら与える動揺は少なからずあるはず。そうなると数日間かもしれないが演奏にムラが出る。そんな状態が少ない時間でも存在していることは全体練習の妨げだし、本人の実力向上の妨げにもなる。

 

 また、部長だって動揺するだろう。自身の友人で同じパートの仲間がいなくなったことに関して無感動であることなどありえない。中世古先輩だって同じだ。田中先輩は……まぁそれで演奏がブレたりはしないだろうけれど。

 

 今年の北宇治。そして未来の北宇治にとってベストかどうかは分からないが、ベターな結果になったはずである。尤も、私がその先輩から恐らく半永久的に嫌われるという結末を添えてではあるが……私個人の問題なら些細なことだろう。

 

「元々は退部を考えていた、という話でしたが……思い留まったのはあなたの影響ですか?」

「さぁ、分かりません。部長が頑張ってくれたんだと思います」

「小笠原さんが……。確かに、彼女は同じパートでしたね」

「ですからきっと、部長が何とかしてくれたんですよ。私がしたのはまぁ、その前座です」

「……そうですか。あなたがどういう事をしたのか、私には分かりません。ですが少なくとも私はこういう結果になって良かったと思います。無論、部活動に参加するしないは生徒本人の権利ではあります。ですが、出来れば最後まで参加して、そして何か一つでも、意味があったと、成長したと自分で思えるものを掴みとって欲しいと、私は思っています」

 

 思えば、最初に先生はそんなことを言っていた。私自身も、参加することで指導者としての経験という成長を得られるのではないかとも。この人は有言実行している。生徒の自主性にだって、しっかり任せている。まるで先生が好き勝手に方針を決定しているようにも見えるが、それは間違いだ。

 

 恐らく、部員がしっかり話し合って何らかの結論を持ってくれば先生はそれを尊重しただろう。全国を目指さないという選択をしっかり自分の意志で皆が行ったなら、それを守ったはずだ。けれど現在まで特段何らかの自主的行動は見受けられない。だからこそ先生は己の道を突き進んでいるのだろう。

 

「そういう意味で、私は斎藤さんが残るという選択肢を取ってくれたことを嬉しく思っています。三年の進学クラスの先生には睨まれてしまいましたが……。特に気にはしていませんけどね」

「いや、多少は気にした方が良いと思いますよ……そういうのは……」

「善処します。それに、電話口の声でしたが、彼女の声はどこかスッキリしたような声でした。あなたがどう思うかは推測するしか出来ませんが、少なくとも意味はあったと、そう思っています」

 

 意味があった? 私に行動に? 確かになんの意味も無いとは思っていない。けれどきっと、心を動かしたのは私より部長の方なんじゃないだろうか。私は所詮、引っ掻き回しただけ。傷をえぐって、増やして、そして癒す役目を部長に投げた。傷ついた時に寄り添ってくれる人に、人は心を開く。それが元々関係値が高い相手ならなおの事。そしてその説得を受け入れやすくなる。部長がそんな事気付いているとは思わないけれど。

 

「だと、良いのですが。それでは失礼します。また明日」

「はい。さようなら」

 

 頭を下げて職員室を後にする。この結果がどういう結末を招くのか、私にはまだ分からない。けれど無駄にしてはいけない。折角先輩は残ると言ってくれた。それを最大限有効活用しないといけない。そして、最後卒業する前に残って良かったと言ってもらえるようにしないといけないのだ。それが傷つけたことに対する、私が出来るせめてもの償いなのだろう。

 

 

 

 

 

 家に帰れば廊下に灯りが点いている。洗濯機が回る音がした。今日は中学校で体育があったらしいので、その体操服があるから早めに回しているのだろう。手を洗いながら、ぼんやりとその機械音を聞いていた。

 

 夕食は、朝早起きしてある程度は作ってある。残りを仕上げて、後は適当にすればそれっぽいものは出来上がる。何も完璧に作る必要はない。と言うかそんなことをしていては身が持たない。世の中のお母さんには頭が下がる思いだ。同時にもういない自分の母親にも。

 

 この家の面倒くさいところはダイニングから呼びかけても部屋にいたりすると届かないところだ。おかげさまで長い廊下を歩いて部屋にいかないといけない。今日は雫さんが東京で個展をやっているとかでいない。なので妹と二人だ。妹の部屋は私の部屋から少し離れた場所にある。扉を叩いても返事が無い。断ったうえで開けても誰もいないので、防音室だと見当がついた。

 

 案の定、防音室のドアの隙間から灯りが漏れている。一応ノックしてから扉を開けた。

 

「ご飯出来たぞ」

「はい、今行きます」

 

 妹はフルートをケースの中にしまうと、灯りを消した。特に会話の無いまま私たちは廊下を歩く。薄暗い廊下には小さな電球が点々とあるだけ。この古いだけが取り柄の屋敷は改装して作られたのが明治年間のせいなのか、電気系統が少ないのが悩みだ。昔はこの廊下が怖くて、あまり歩きたくなかったのを思い出す。

 

「南中は、どうだ」

「みんな頑張ってる。今年こそ、全国で金取るために」

「そうか。課題曲は?」

「天空の旅」

「なるほど」

 

 北宇治とは違う選択肢を選んだようだ。当然と言えば当然ではあるが、もし同じ『プロヴァンスの風』だった場合、妹経由で南中の指導を上手く取り入れられた可能性もある。南中は強豪校だ。一昨年が府大会で銀と振るわなかったものの、去年は関西まで登っている。今年はさらにその上を目指しているんだそうだ。

 

 去年までは同じ顧問だったが、今年から長岡京市より強豪中学の顧問だった先生が赴任したようで、指導方針も変化しているらしい。何か盗める技術があればドンドン盗んでいきたいところだ。

 

「北宇治は?」

「プロヴァンス」

「あぁ、あれ……。私はあんまり、あの転調好きじゃなくて」

「ま、それは人それぞれだ。天空ならフルートソロがあるけど、あれは?」

「いつも通りオーディション。でも、絶対私が吹く。大会のフルートソロは、絶対に譲らない。私が希美先輩の夢を叶える」

 

 フルートのエースで、部長で、ソロを吹く。そして金を目指す。妹の歩んでいる道は、確実に二年前の部長と同じものだ。あの背中をいつまでも追い続けているのだろう。

 

 両親が死んで、自暴自棄になったまま部屋に閉じこもり、家族にすら心を開こうとしなかったあの時の妹を救い上げたのは、もう一度音楽の道に戻したのが、他ならぬ()()だったから。だからこそまだ走ることを止めていない。二年前、府大会銀で終わってしまった、崇敬するべき先輩の叶わなかった夢を、自分の手で。後を継いだという意識がその強い言葉を生んでいるのだろう。

 

 その気持ちはよく分かった。関係ない人にはくだらないと思われるかもしれない。大会に出れるならそれでいいじゃないかと。でもそうじゃないのだ。音符に命を預けて、楽器に魂を込めて、舞台という戦場で戦っているからこそ分かる。譲れない思いは、絶対にあるのだ。

 

「無理だけはしないようにな」 

「分かってる。兄さんにもそっくりそのまま返すけど」

「耳が痛いな。けど、困ったことがあればいつでも何とかするから」

「……ありがとう」

 

 その言葉が出るまでの小さな沈黙の意味は考えないようにした。妹に好かれていないのは分かっている。四年間も家にほとんど帰らないまま留学していた兄なんて、正直好きになれる要素は無いだろう。そのせいで家に関する負担や面倒な親戚の心無い声は妹に降り注がれてしまった。

 

 そして葬儀の際に淡々と進め、その後は自分の大好きだった先輩を見殺しにして、今のうのうとその部活を全国へ連れて行こうとしている。そんな人間を好きになれるはずがない。弁明したいことは沢山あるが、どれも言い訳にしか聞こえないだろう。

 

 家族に嫌われるのは辛いけれど、それでも妹が健康に、不自由なく暮らせているならばそれでいい。もし、もし仮に私に音楽を捨てろと迫るなら、それを受け入れるだろう。それくらいしか、私にできる事は無いのだ。

 

 ダイニングに戻ると電話が鳴り響く。先に食べているように言って、黒電話を取った。いい加減新しい普通の電話に変えたいのだが、そんなお金が無駄に思えてしまって、未だに古い黒電話が置いてある。昔家に来た友人には「昭和?」と聞かれた。

 

「もしもし」

「琴音です」

 

 電話の向こうからは年老いた声。ゲッ、という感情を抱く。今すぐがちゃんと切ってしまいたいが、そうすると今度は家にまで押しかけてくる可能性がある。

 

「何ですか」

「凛音さんですね」

「そうですけど」

 

 自分の声が剣呑になって来るのを感じる。相手は自分の父方の祖母だ。無駄に血縁の多い桜地家のまとめ役を担っている。そして私はこの人と仲が悪かった。昔からどうも性格が合わない。厳格で面倒な存在と思っていた。それに、この人は私の音楽活動をあまり快く思っていない。結果を出しているから渋々認めているようなものだ。

 

「聞きましたよ、また道楽に励んでいるようですね」

「何のことでしょうか? さっぱり分かりませんが」

「部活動ですよ。誤魔化したところで無駄です」

「部活を道楽とは、また随分と思想がお強いですね」

「無論、プロフェッショナルに近しい部活動があることは認めます。けれどあなたの高校はそうではないでしょう。そもそも、あなたに高校に通う必要はないはずです。高校生活自体が道楽のようなものなのに、それに加えて更なる享楽に興じている暇など無いはずですが」

「……」

「結果を出していない上に、一度辞めた場所に戻るなど首尾一貫していないにもほどがあります。桜地家の人間として、そのような行動は相応しくありません。それに昨年の演奏は何ですか。雑音のようなものばかり。正直苦痛でしかありません。あんな場所にいること自体が、品位に関わると……」

 

 その後も延々と説教めいた口調が続く。この人はずっとそうだ。自分が正しいと思っている。ある意味では私と同じ穴の狢だ。自分が正しいと思うことをしている。そのためには手段を選ぼうとしない。だからこそ嫌になる。自分を映す鏡を見ているようで。同族嫌悪とはこういう事なのかもしれない。

 

「今年から顧問が変わりました。今は一生懸命皆演奏に励んでいます」

「それがどうしました。所詮、大して変化はしないでしょう。あなたを有しているのは宝の持ち腐れです。良いですか、あなたが今の力を手に入れられているのは、当家の財力に余裕があったからというのは分かっていますね」

「はいはい」

「ならば、それを返す義務があるはずです。力ある者がそれを行使しないで遊び惚けているのは罪です。正しく、輝くべき場所で輝きなさい。それは北宇治高等学校ではないはず。くだらないことをしているくだらない集団に……」

「うるさい」

「何ですって?」

「うるさいって言ったんですよ。耳まで遠くなったんですか、お婆様」

 

 確かに私が輝ける場所ではないだろう。それは事実だ。いまだに私に対する反感を持っている部員も存在している。一々揉めて、それをまた何とか操縦して、少しずつ前に進むしかない。面倒くさい集団だ。それは間違いない。

 

 だとしても、彼らも必死に生きている。今だって必死に練習している。斎藤先輩の言うようにのうのうとしているのだろう。私だって現金な人間たちだと思っている。だとしても、そうだとしても、くだらないと一蹴されていいような人達じゃない。

 

 下手くそだったのは事実だ。遊び惚けていた人たちがいたのも事実だ。けれど中にはまともな人もいた。頑張ろうとしている人もいた。優しくあろうとしている人がいる。あそこをくだらないとまとめて言うのは、その全てを否定することだ。先生を、部長を、中世古先輩たちを、吉川やみぞれを、高坂さんや吉沢さんのような一年生を、そして志半ばでそれを諦めさせられた希美を。それを許せるはずなど無かった。

 

 何も知らない外野の癖に、何も分からない人の癖に。あそこを演奏技術以外で否定できるのは、あそこにいる人だけだ。先生の真剣な瞳を知っている。高坂さんの中に灯る情熱を知っている。それなのに、くだらないなんて、言えるはずがない。演奏を聴いて楽しそうにしていた初心者の子。上手くなったことに少しだけでも喜んでいる先輩。前を向こうとしている同期。それこそが、真に価値のある音楽じゃないのか。私は、私のプライドにかけて、私が教えている彼らをくだらないなんて言わせない。

 

「北宇治が結果が無い。だからくだらないと言ったんでしょう。分かりましたよ。えぇ、分かりましたとも。結果を出せばいいのでしょう?」

「出来るものなら」

「そうしたら取り消しますか、くだらないと言ったことを」

「えぇ」

「じゃあやってやろうじゃないか。ここで宣言してやる。私がプライドにかけて彼らを全国に連れて行く。この代で、この年でだ。吹奏楽に詳しくなくても全国大会がどういう物かくらいは分かるでしょう。全国で四千近い高校が加盟している連盟が主催している大会です。音楽界の甲子園だ。これに出します。北宇治を、今年! くだらないなんて言わせない演奏を聴かせてやる。だからそれを、遠くなった耳ほじって待ってろ!」

 

 ガチャンと電話を叩きつける。相当頭にきていた。思わずスラングが飛び出しそうになったが、耐えただけまだ頑張った方だと思う。妹はポカンとした顔で私を見ていた。箸を持ったままなせいで随分と間抜けな姿になっている。同級生には見せられない顔だろう。

 

 今日一日、かなりストレスが溜まっていたのでこんなことをしてしまった。今になって自分の発言を思い出すと汗が出てくる。

 

「とんでもない事言ってしまった……」

「全国って本気?」

「少なくとも先生は本気で今年連れて行くつもりだ。私は今年は無理だ、今の一年が三年生になった時に初めて出れるだろうと思ってた。けど、たった今気が変わった。何としてでも全国に連れて行く。これは私のエゴだけれど……あの婆さん、絶対後悔させてやる」

「そ、そう……」

 

 ちょっと引いた感じで妹は言葉を濁したまま食事を進める。苛立ちは収まらないけれど、取り敢えずご飯を食べることにした。ちょっと冷めていたのが余計に苛立ちを促進させる。レンジで温めなおしながら、朝の占いで蟹座が最下位だったことを思い出す。取り敢えず、自分を慰めるためにそのせいにすることにした。

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