音を愛す君へ   作:tanuu

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第ⅩⅩⅩ音 勘

 先生が目の前で話をしている。先ほどの顛末の末に、部長は先生を呼ぶことを選択した。それは自己解決は不可能という宣言であり、また同時に妥当な行動であると私は思っている。私自身は自分の結果、そしてオーディションの結果に納得しているし、特段不満はない。ただ、そうでは無い人もいるというだけで。それを押さえつけたとて、何も良いことはないと学んだ。それを学べただけでも、中学時代には意味があったと思っている。

 

 先生の説明に、皆が納得できたのかは分からない。もしかしたら、まだ燻っているモノはあるのかもしれない。それでも火種は少しは落ち着いただろう。ブラックボックスだった部分が白昼の下に晒されて、見えなかった部分が少しは見えるようになって。それは不信感で覆われた空間には効果的であるように思える。私の希望的観測で無いのならば、この部の空気は重たいながらも軋みつつまた動き始めたように感じた。それが幻でも祈りでもなく、事実であることを私は願っている。

 

「今、私たちは先生に説明してもらいました。これが正しい事なのか、私にはよく分かりません。もしかしたら、わざわざこんな事をして頂かないといけないのは、私たちの弱さが原因なのかもしれません。他の学校がどうしているのかも、私たちは全く知りません。ですが、これで少なくとも、答えは出たはずです。皆の心の中に、この前のオーディションの件で色々な感情があったことは、しっかりと受け取りました。そしてそれを幹部が上手く汲み取れなかったこと、自分達のことだけに掛かりきりになって本当に見ないといけないことに目を配れていなかったことも。でも、私たちは今、少なくとも全員がどこかで疑問に思っていたことの答えを得ることが出来たはずです。それが自分の納得できるものだったかは分かりません。ですが、答えっていつでも自分が納得できるものというわけではないと思います」

 

 部長は立ち上がって、話している。ここで謝る選択を彼女はしなかった。それは良いと思う。彼女だけ謝ってもしょうがない。特にオーディション三回制度を決めた責任は、三人が背負わないといけないものだ。副部長が同意したとて、高坂先輩がこの空気の中で謝るとは思えない。三人で揃って頭を下げられる状況になるまで、一度見送ったのだと思う。それは正しい選択だ。

 

 先ほどは少し言い過ぎた部分もあった。けれど、間違っていたとは思えない。ずっと言わないでいた私の本音を、多少は言えたのだから。最後の感情論は余計だった気もするけれど、冷静に見れば高坂先輩に多少は同情する声も生まれるだろうから、そう考えれば必要だったかもしれない。正論だけでは苦しすぎる。

 

 私は高坂先輩を批判し、非難したけれど彼女が嫌いなわけじゃない。潰れて欲しいわけでも、諦めて欲しいわけでも無い。ただ、自分の過ちを認めて欲しいだけなのだ。自分が切り捨てようとしたものにも意思があって、想いがあって、そして夢や希望があって。路傍の花だって咲こうとしているのなら、それを摘み取る権利がどうして彼女にあるのだろうか。そして彼女が切り捨てようとした存在は、兄さんや優子先輩が必死になって守ろうとした存在で。だからこそ、許せなかった。

 

 部長失格。本当に言葉通りに言ったのかは分からないが、少なくともそう言った趣旨の事を高坂先輩は部長に言ったのだろう。失格と言えるほど、立派な人間ではないというのに。それに、そんな事を言われないといけない存在ではないと思っている。部長は仕事をしている。義務を果たせていない部分があったのは事実だけれど、それでも停滞することを拒んだ。今はそれで十分ではないだろうか。

 

「今日、この場限りで終わりにしましょう。オーディションに関して、何か言うのは。どうしても言いたいことがあるなら、私か先生に言ってください。それ以外の場所では、どんなことであれ、決して言わないようにしてください。それは独り言だろうと、友達同士であろうと、周りに人がいるいないに関係なくです。納得できなくても、理解できる回答を貰いました。なら、次に私たちがやるべきことは、あと数えるほどしかない時間を大事に過ごして、その先にある関西大会に挑むことだけのはずです。そこに向かって練習するだけのはずです。そして関西大会を突破して、もう一回チャンスを作りましょう。悔しい想いをした人が、それを晴らせるかもしれない機会をもう一回作りましょう!」

「「「はい!」」」

 

 状況をよりポジティブな方向へ。これは大事な事だと思う。部を前に進めるために、今は全体の目を前に向けないといけない。なので声掛けとしては正解だろうけれど……それで全てが丸く収まるわけではない。

 

 練習終わりに視線を送れば、トランペットの席に高坂先輩の姿はない。どこかへ走り去っていく背中が、音楽室の扉の窓から見えた。小さくため息を吐く。あれは間違いなく私のせいであるのだから。間違っていたとは思わない。けれど、間違っていないというのは正しい事であるとも限らない。それが現実だった。現に、私に向ける視線は様々だ。反発や畏怖の目線も感じる。高坂先輩を支持する派閥からすれば、私は敵だろう。逆に感謝や驚きの視線もあった。今の状況に苦しんでいた人からすれば、どんな手段であれ状況を変化させた私は感謝するべき存在なのだろう。

 

 分かってはいる。私の味方ばかりではない。けれど、全部が敵なわけでも無い。ならば、やり様はある。

 

「部長」

「桜地さん……」

 

 部長に話しかけた私に、音楽室の中の視線が注がれている。表立って凝視している人はいないけれど、会話をしながら、楽譜を見ながら、確実に多くの部員の視線が私たちに向けられていた。それは理解して、今私は話しかけている。秘密裏に話したいなら、いくらでも方法はあった。けれどそれでは、意味がないのだから。

 

「先ほどは申し訳ありませんでした。出過ぎたことを申し上げまして、反省しています」

「いや、あの、う~ん……むしろ、私は感謝しないといけないんだと思う。このままじゃダメだと思ってたけど、前に進む最後の一歩が中々踏み出せなかったから。その背中を押してくれたのは間違いなく桜地さんだったよ」

「しかしながら、私のせいでいらざる対立を招いたのも事実です。現に高坂先輩がこのまま指揮をするのは難しくなってしまいました。音楽面においても、部の指導という面においても。ですので、こちらをお預けします」

 

 私は鞄から一通の封筒を渡した。その表に黒い筆で書かれた文字に、部長は目を大きく見開く。

 

「高坂先輩はこの部の目標を達成するために必ず必要な存在です。確かに私は先ほど高坂先輩を痛罵しましたが……しかし高坂先輩が嫌いなわけでも、辞めて欲しいわけでもありません。ただ、自分の行動に非があったと認めて欲しいだけです。そこは、ご理解ください」

「分かってるよ。桜地さんが私情でああいうことを言ったりする子じゃないって言うのは。ただ、それとコレとがイマイチ繋がらないんだけど……」

「私の存在が高坂先輩の指導や十全での演奏に邪魔になるのならば、いつでもそれを受理してくださって結構です。そういう意味で、お預けしました。混乱の引き金を引き、先輩相手に食って掛かった愚か者には、相応しい罰だと思いますので。無論私とて辞めたいわけではありませんのでこのまま置いていただけるのならば嬉しい事だと思っています。しかし、自分の存在が組織の、ひいてはその目標達成のために有効な手段・人材の阻害になっているならば、身を引くことを厭うつもりはありません」

 

 私が部長に渡したのは退部届だ。別に今すぐ辞めるつもりはない。高坂先輩が今後どういう態度で行動をするのかは未知数なところが多い。だから、場合によっては無かったことに出来るかもしれない。けれどもし、私が存在していることで全国大会金賞に最も有効なピースが喪失してしまうならば、それは看過できない事態だ。部長や多くの先輩・同期・後輩の夢を壊すことになってしまう。

 

 私の代わりは幾らでもいる。フルートのソロは現に沙里先輩がいるし、メンバーそのものだって香奈さんにやってもらえばいい。二年生の学年リーダーは久石さんがいる。ドラムメジャー補佐は鈴木美玲さん辺りにやってもらえばいい。私である必要性はない。部長や高坂先輩とは違って。

 

 そしてこれは同時に政治的な動きでもある。高坂先輩を支持する人たちが次なる不満を抱えた層にならないために、私を処分して彼らの留飲を下げることが出来るならば、その結果良い結末を迎えられるのならば、それに越したことはないだろう。現に、私は公衆の面前でこれを渡している。その政治的な意味は大きい。動乱の責任を取る意思を多くの前に示すことは、自分の身を守る事にも繋がる。

 

 それに、部長は容易に私を切れない。私を支持する層もいる。フルートパートはこれを行使することに反対してくれるだろう。そうなれば大問題だし、同時に部長の理想も崩れてしまう。だから、余程のことがない限りは使用されないカードではある。なので、私からすれば自分の身を守りつつ責任を取る意思は示せ、部としてはいざという時は行使してもらって混乱を鎮静化させ私に責任を取らせることが出来る道具になる。どう転んでも、誰も損はしない仕組みのはずだ。

 

「今すぐにここを去れと仰るならばそれでも構いません。元よりその覚悟はとうに出来ています」

「覚悟って、そんな……」

「私は幹部ではありませんが、少なくとも二年生のまとめ役をやらせて頂いている身であり、本来は公衆の面前で高坂先輩を非難するのではなく擁護しなくてはいけない補佐役でした。また、昨今の高坂先輩の行動に関しては、補佐役としてしっかり向き合ってこなかった私にも責任があります。多少なりとも責任を負う立場である以上、いつでも腹を切る覚悟は出来ています。そういう風に、教え育てられてきました」

 

 高貴さは義務を強制する。豊かさは、責任を求める。人より恵まれた生活をしていると、私は思っている。その代償は、いざという時の責任にあるのだ。そうでなくては、上に立つ資格はない。それがどんな小さな組織、どんな存在が作り上げる集団であったとしても。社会においてほぼほぼ最上級の責任の取り方が自身の進退を賭けることだ。だから私もそうした。それだけの事でしかない。

 

「ですので、部長は部長が本当に必要だと思った時に、こちらを受理してください。それまではお預けしておきます。先ほど申し上げたように、私は部長を支持しています。ですから、これは最上級の支持表明であると思ってください。私の進退をお預けすることは、その証明以外の何物でもないと、私は考えています」

 

 その人の気分でいつでも辞めさせることが出来るカードを預けることで、私が個々の政策はどうあれ全体として部長を支持していることを大きく広めることは出来たと思う。周囲にアピールすることで、私を担いで部長を蹴落とそうとする不埒な輩が出てくることを防止することにも繋がると考えていた。現に、音楽室の中の空気は唖然としたという感情で溢れているように思える。

 

「どうぞ、お納めください」

「それは……」

「はいはい、そこまでにしましょう」

 

 横からスッと現れた手が、部長の手に収められていた私の退部届を取り上げた。両目の上で切り揃えられた左右対称のボブヘアが揺れる。猫のような仕草をした彼女に私は多分険しい視線を送った。ここで彼女が乱入してくることは正直想定外だったのだ。

 

「何か御用でしょうか、久石さん。お目に入っていなかったのならば申し訳ないですが、今私は部長と大事な話をしている最中でして。大変恐縮ですが、後にして頂けると助かります」

「嫌です」

「は?」

「聞こえなかったんですか~? 嫌です。というか、私も二人の会話は一言一句聞いてましたから。その上でこうしてるんです」

「何のために」

「久美子先輩が困っていらしたので、お助けしようかと」

「そうですか。行動理由は理解しましたが、まずは私と部長の話を終えてからにして頂いても? あと、私の退部届を返してください」

 

 丁寧な口調で私たちは睨み合っている。部長はどうしたら良いのかと思いながら私たちを見ている様子だった。止め方に迷っているらしい。私の先輩である沙里先輩たちフルート組は黙って見守るようだ。元々見守っていて欲しいと頼んでいたので、ここでも手を出さないでいてくれる。それはありがたいけれど、今は少しだけこの面倒な相手をどこかへ連れ去って欲しかった。

 

 頼みの綱とも言うべき兄さんは、秋子先輩と共に静観を決め込んでいる。先ほどは高坂先輩を追いかけようとしていたけれど、秋子先輩に制止されていた。秋子先輩は秋子先輩で思うところがあるのだろう。だからこそ、敢えて兄さんを止めた。それは良いのだけれど、助けてはくれないらしい。つまり、私はイマイチ真意の読めない久石さんとここでやり合わないといけないのだ。何なら高坂先輩よりもやりにくい。

 

「揉めた責任取って退部届を預けるって、政治家か社長の真似ですか?」

「何か問題でも?」

「いえ、こんなことに身を賭けるほど、安っぽいのかと思いまして」

「何が言いたいんですか」

「桜地家のお嬢様の身柄って結構お安いんだなぁと、そういう事です」

「……侮辱ですか? 喧嘩なら買いますよ、表でやりましょうか。申し訳ないですけど、殴りかかるならそちらからでお願いします。私からやると捕まるので」

「やりませんよ、居合の達人相手にまだ死にたくありません。あなたの生まれが少々特殊なのは理解してますけど、あなたがそれに染まらないといけない理由なんてこれっぽっちも無いと思いますけど? それとも、桜地家ってそんな意味不明な事教えてるんですか? 時代錯誤ってご存知です? まぁそれは良いとして、こんなくだらないことで自分の進退を賭けるなんて、バカバカしいって言いたいんです」

 

 彼女は、彼女が私に相対する時にしては珍しい口調と声音でそう言った。その猫のような形をした目が私を小馬鹿にしたような色を含んでいる。けれどそれはどこか演技っぽさもあるように思えた。私を散々罵倒してくる意味がよく分からない。桜地家を罵られた時に「いいぞ、もっと言え」と兄さんが呟いていたのを視界の端でとらえながら、私は言葉を放つ。

 

「どういう……」

「普段は察しが良いのに、混乱してるんですか? 何回も言ってますけど、そのままですよそのまま。今回の件は、誰が悪いか考えれば一目瞭然じゃないですか。先生と、先輩たち、とくに高坂先輩に責任があった。オーディション三回制度決定の話じゃなくて、部内の空気の話の方です。説明しないで黙ったまま、去年とは全然違う価値基準で動いている先生と、それを妄信するだけで締め付けしかしない高坂先輩。正直、私はあなたと対立する意見を言っていることが多いですけど、今回ばかりはあなたが正論だと思ってます。特に、久美子先輩が部長失格なんて言われる筋合いはない。あの人、一丁前に傷ついた顔をしていましたけど、一番傷ついたのは支えてくれるはずだったドラムメジャーにそれを言われた久美子先輩のはずです」

「奏ちゃん、私は良いから……」

「良くないです。久美子先輩が良くても、私はよくない! 久美子先輩をあんな風に言われて黙ってるなんて出来ません。これで黙ってるくらいなら、今後一生喋れなくなっても構わないので今声を大にして言います」

 

 その目の中には確かな怒りの炎が灯っていた。静止しようとした部長を振り切るその声には、激怒の感情が籠っている。珍しいと思ったくらいには、彼女がここまで感情を大きく出して、しかも怒っている姿は見たことがない。彼女にとってすれば、部長は非常に重たく大事な存在だったはずだ。それこそ、私にとっての希美先輩のように。そんな人をあんな風に言われて黙っている方が難しいかもしれない。知らなかったならまだしも、知ってしまったなら。

 

 もし私が希美先輩をあんな風に言われたら、一生許すことは無いだろう。例え言われた本人が許したとしても七代先まで祟ってやるはずだ。恩には七代先まで報いよ、仇は七代経るとも必ず晴らせ。そういう風な家訓が、ウチには存在していた。ともあれ、久石さんは高坂先輩を絶対に許さないモードに突入していた。

 

 音楽室の面々も、そう言えばという顔になっている。私にマイナスな感情を向けていた高坂先輩を支持する人たちですら思い出して顔をしかめている。あの発言だけは本当に言ってはいけない事だったのだ。部長に対する感情に個人差はあるけれど、支持していない人はいない。それこそ真由先輩ですら支持はしている。現に、高坂先輩の発言に真由先輩は悲しそうな顔をしていた。決して良い対応をしてもらえていなくても、そんな風に言われる筋合いはないと真由先輩も思ったのだろう。

 

 部長がどうしてあそこでバラしたのかは分からない。勢いで言ってしまったのか、或いは別の思惑があったのか。そうなのだとしたら、それは多分一回抱えているモノを全部明らかにして、全てをフラットにしようとしたからだろうか。或いは、進もうとする自分を妨害してきた高坂先輩への、意趣返しだったのかもしれない。

 

「ともかく! 悪いのがどっちかと言われればどう考えても部長失格なんてふざけたことを言った高坂先輩です。あの人は、久美子先輩だけじゃない、夏紀先輩や優子先輩たちまで馬鹿にしている。それなのに、なんであなたが勝手に責任を取ろうと思ってるんですか?」

「例え非があったとしても、高坂先輩は部に必要な存在です」

「それは認めますけど、あなたが引責辞任しないといけない理由にはならないのでは? 混乱の引き金になったのは事実だとしても、どっちにしてもいつかは爆発していた。もしかしたらもっと悪い形でだったかもしれない。私はむしろこの程度で済んで良かったとすら思っています。それはあなたの罪ではなく功績でしょう。仮に高坂先輩があなたの存在を嫌がったとしても、もしどちらか天秤にかけるならあなたを取るべきです。そんなワガママ、通していいはずがない」

「ですが」

「そもそも、本当に久美子先輩を支持しているのなら、こんなものを渡して久美子先輩を困らせる必要もないはずです。自分だけ悲劇の存在になるおつもりで? 勝手に英雄気取りは止めてくださいね。あなたは社長でも政治家でも、ましてや幹部でもないただの女子高生でしょう。それともただの自己満足なんですか?」

「そういうわけでは……」

「なら、こんなものは必要ないはずです」

 

 そう言うなり、久石さんは思いっきり私の退部届を破り割いた。そのままカツカツと音楽室のゴミ箱へ歩いていき、その中に叩き入れる。唖然としたままの私に、彼女は鼻を鳴らす。

 

「仮にあなたが進退を賭けないといけない場があるとしても、それはここではないし、こんな事ではないはずです。自分を安売りしない方が良いんじゃないですか?」

「……」

「今回は私が一本取りましたね。どんなもんだいという感じです。お高くとまった顔よりも、今の顔や高坂先輩相手に怒鳴っている時の方がずっとマシですよ」

 

 言いたい事だけ言って、彼女はさっさと音楽室を後にする。残された部長はしばらくあっけに取られていたようだけれど、少ししてもとに戻った。

 

「と、取り敢えず奏ちゃんがどうしたにしても、私にはアレを受け取れなかったよ。私は、桜地さんの進退を私の一存で決められるほどの存在じゃないし、仮に出来たとしてもしちゃダメだと思ってるから。信頼は嬉しいけど、もし信頼してくれているのなら、これからも私たちを助けて欲しい」

「……分かりました。唐突に色々と、ご迷惑をおかけしました」

「いいよ、別に。元はと言えば、桜地さんの忠告をしっかり聞いておかなかった上に、勝手に制度を決めた私に原因があるんだし」

 

 久石さんがどうして突然割って入ったのかは結局よく分からない。困惑していた部長を助けようとしていたのか、それとも何か他に思惑があったのか。それは最後まで不明だったけれど、あのまま部長に渡してしまうよりは良い結末になったのかもしれない。そういう意味では、彼女に助けられたのも事実だ。それに、彼女に言い返すことが出来なくなっていた時点で、私の負けだったと言える。

 

 この一連の政治劇は、見ていた観衆の目にどう映ったのだろう。私の本来の目的とは違うけれど、多少なりとも私がやりこめられていたので、その点は良かったかもしれない。ただし、高坂先輩に関する状況は悪化した。これから高坂先輩を公然と支持するのは憚られるのだろう。なにせ、部として許容してはいけない暴言が放たれたのだから。

 

 どういう経緯で放たれたのかは分からない。けれど、部長の今の行動を見る限り、内心はどうか不明であったとしても失格の烙印を押されないといけないような存在とは到底思えない。それが多くの部員の共通見解のはずだ。

 

 高坂先輩がオーディション関連と自身の指導に関して間違いがあったことに対して頭を下げ、部長への発言を撤回しない限りこの状況は解決しない。むしろ時間が経つほどに悪化するだろう。そうなってしまえば、私の予想よりも悪い事態、つまり高坂先輩がパブリックエネミーと化してしまうことに繋がるかもしれない。それは避けたい。

 

 そして、この話はここで終わらないのだ。

 

「当事者同士で解決できるならば、首を突っ込まない方が良いとは理解しているんだけれど、どうしてもこれだけは聞いておかないといけないので、ごめんなさい。それで……部長失格って、何?」

 

 冷たい目をした兄さんが、そう部長に問いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういう……」

 

 間もなくB編成の指導が始まるという時間だけれど、音楽準備室で部長は兄さんに事の経緯を説明していた。一応私も知っておいた方が良いという事で、事情を一緒に聞いている。しかし、部長の主観が入っているとは言え、こればっかりはどう考えても高坂先輩に非があるとしか思えない。

 

 部長は広い視点で、部全体の事を考えての発案だった。しかし、有効な対策を何も出さないばかりか非難する態度は全くもって視野が狭いとしか言いようがない。一奏者としてはそれで良いのかもしれないが、幹部としてはむしろ向こうの方が失格。私はそう思ってしまう。高坂先輩に抱いていた多少の罪悪感が消えていく音がした。

 

「部長を支えるのがドラムメジャーの仕事だって、そういう説明をしたはずなんですがね。指導のやり方は最悪個性ですが、こればかりはどうにも……。期待した私が悪かった、か」

 

 私はギョッとして兄さんを見つめる。兄さんはあまり人に期待していない。だからこそ、あまり良い想定をしていないので最悪の事態を防げたりもする。ただし、それはこういう事態に際した時にさっさと見捨ててしまうという悪癖であるとも言える。冷たい目をしながら遠くを見ている姿は、高坂先輩に見切りを付けようとしているように見えた。

 

 ただ、どこかで高坂先輩にまだ期待しているのだろう。ギリギリで迷っているようにも思える。もし、数年前までだったら一瞬で見捨てられていただろうから、こんな風になったのは希美先輩や他の多くの人のおかげだろう。だからこそ、多少なりとも他人に期待してくれるようになったのだと思う。

 

「桜地先輩」

「はい、何でしょうか黄前さん」

「この問題は、私と麗奈でどうにかします。だから先輩は何もしないで、黙っていてください」

「なるほど。しかし、良いのですか? 教え子の不始末は指導者の責任です。いざとなれば、私がどうにかするつもりではありましたが」

「良いんです。多分、それが麗奈にとっても私にとっても良いと思うので。あんな風に言われたことに傷つかなかったと言えばウソになりますけど、でも私は間違ったことは言っていないし、言うべきことはしっかり伝えられたと思っています。言わないと、分からないこともあると思うので」

「それは……その通りですね」

「だから、私は麗奈がそれに向き合ってくれると信じて、待ちます」

「彼女が向き合えると思いますか?」

「はい」

「その根拠は?」

「部長として、何より麗奈と三年間やってきた親友としての、勘です」

「勘、なるほど勘、勘ね……」

 

 何度か勘、という言葉を繰り返した後、兄さんは小さく笑った。何がそんなに響いたのかはよく分からないけれど、兄さんの中で結論が出たのならば取り敢えず一安心だと思う。兄さんは部長のお願いを聞くことにしたのだと、雰囲気で分かる。この件で何か手出しをすることは無いだろう。秋子先輩は多分、一回悩む時間が無いといけないからという厳しい目線で高坂先輩を追わなかった。部長は投げかけた言葉と向き合ってくれるはずという優しさから高坂先輩を待っている。どちらも相手を想いながら、その答えを待っていた。高坂先輩も相当恵まれていると、今更ながら思わされる。

 

「では、その勘を信じるとしましょう」

「はい、お願いします」

「えぇ、他ならぬ部長の頼みとあれば、喜んで。彼女もそろそろ、夢から覚めないといけないでしょうし、丁度良い機会だったのかもしれません。あのまま大学に行くよりは、余程良い。キミも、ちゃんと黄前さんを支えなさい。さっきは久石さんがやってくれたけど、もし彼女が動かなかったら流石に止めようと思ってたから」

「……ごめんなさい」

「手のかかる妹でしょうけれど、嘘は言っていませんので、どうか信じて使ってあげて下さい」

「は、はい」

「よろしくお願いします」

 

 兄さんはそう言うと、準備室のドアに手をかける。これからB編成の指導に向かうのだろう。そしてドアを開けようとして、思い出したように振り返った。

 

「そうだ、黄前さん」

「はい」

「私は様々な部長を見て来ました。良い部長とは何か、その答えは大変難しく、未だに正解には辿り着けていません。或いは正解など無いのかもしれませんね。ただ、そうなるための条件はあると思っています。それは、自分を貫ける事だと、私は思います」

「自分を、貫く……」

「随分前に、聞いたような気がしますが敢えてもう一度問いましょう。あなたはどこの誰ですか?」

「私は、北宇治高校吹奏楽部部長の、黄前久美子です」

「では、その理想は?」

「私の、私の理想は……みんなが北宇治を好きになってもらえるような部活を作れたら、良いなと……いえ、みんなが北宇治を、そして自分を好きになれる部活を作る事です」

「そうですか。では、それを貫きなさい。その理想がどういう経緯で生まれたものであれ、それを叶える過程でどういう道を辿ったにせよ、貫き通せば、それは本物です。あなたの理想とその道行に祝福のあらんことを」

 

 私にとって兄さんは、どこまで行っても兄さんだ。指導者であったとしても、世界的な奏者であったとしても。だから正直、尊敬する先輩とか先生と言っている人の感情にあまり共感できていない部分があった。理解はしていても、共感はしていなかった。けれど、今なら何となく分かる気がする。確かに、これは前を歩く光なのだろう。

 

 私は、兄さんは昔私を助けてくれた一件から変わってしまったと思っていた。けれど、存外そうでもないのかもしれない。やり方とか、性格とかが変わっても、根本にあるモノは変化していない。さしたる根拠があるわけではないけれど、そう思った。敢えて論拠を言うのだとすれば、妹としての勘、なのかもしれない。

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