音を愛す君へ   作:tanuu

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第ⅩⅩⅩⅨ音 響け! ユーフォニアム

「吉沢秋子さん。あなたが、ソリです」

 

 その言葉が兄さんの口から発せられた。その細長い指先には、間違いなく秋子先輩が立っている。ホールの中に衝撃が走った。あの二人が同列であることを認識している部員は多かった。けれど、それでもこれまではずっと勝ち続けていたのは高坂先輩の方だった。だからこそ、同格と言ってもやっぱり今回も……という風に考えていた人はきっとそれなりにいたのだろう。それを浅はかな考えとは言えない。

 

 私だって、どちらが勝つのかなんて分かりはしなかったのだから。というか、何故秋子先輩が勝ったのかすら何となくでしか分からない。兄さんたちには明確な根拠があるのだろうけれど、凡人たちには理解できない領域だった。

 

 壇上の秋子先輩は喜びの歓声を上げるでも、感極まった涙を流すも出なく、口を真一文字に結んでいた。積年のライバルに勝ったにしてはあまりにも固い反応だと思う。けれど、その瞳を見て納得した。勝ったことは確かに喜ばしいけれど、それはつまり自分が全国金を賭けて名古屋の大舞台で演奏することを意味する。オーディションはあくまでも通過点。大事なのは、本番で結果を出す事。それを理解しているからこそ、秋子先輩にとってこれは新しい始まりであり、高坂先輩から託された重責なのだろう。

 

「あなたがソリとして、名古屋にその音色を全国へ届ける。よろしいですね?」

「はい」

「より精進するように。さて、両名問題ないならば、ただちにユーフォの方の審査に移りますがどうしますか。あなたが号泣するくらいの時間はありますよ」

 

 それが誰に向けての言葉なのかは、すぐに理解できた。高坂先輩に向けられた、割と酷い言葉に何人かの部員は目を見開く。けれど高坂先輩はそれを意に介していないようだった。

 

「いえ、大丈夫です」

「本当に?」

「はい。かつて、私と競ってくれた多くの先輩方や後輩たち、そして何より彼女がそうしてくれたように、私は勝者の努力と栄光を称え手を叩くのみです」

「よろしい。この舞台でそれが出来るなら、あなたは一流になる資格を持っている」

 

 兄さんの口調は淡々としている。それでもその目は爛々と輝いていた。まるで、望んだ全てを手に入れた子供のように。教え子の成長を二人分目の前にした歓喜、トランペット奏者として魂をかけた演奏を聴けた悦楽、そして勝ち逃げされた同志を得た欣快。そういう感情が見て取れる。やっぱりちょっとどこかネジが外れているような気がするが、プロというのはそういうモノなのかもしれない。

 

 高坂先輩の目は遠目でも分かるくらいには結構赤い。必死に涙をこらえているのだろう。抑えきれない悔しさはあるはずだ。それでも彼女は静かに秋子先輩の手を取った。握られた二人の手には、きっと我々では分からない重みがある。

 

「後は、よろしく」

「任せて」

 

 後事を託す言葉だけを言うと、高坂先輩は静かに壇上から降りた。そして、席に座る。その表情は私からでは伺えない。きっと、壇上にいる秋子先輩にしか見えていないのだろう。それで良いと思った。それは多分、あの二人だけが知っていればいい事だろうから。あんなバチバチの関係性は中々大変そうだけれど、あんなにも競い合える相手がいるのは、少し羨ましいかもしれない。仲間でライバル。まさにそういうに相応しい関係性だった。

 

 嗚咽の声も、涙の音も聞こえない。高坂先輩はしっかりと次のユーフォのオーディションに向けて前を向いている。私だったら堪えきれないだろうと思う。最後のオーディション、三年間の全てを出し切る場所で、ライバルに最初の敗北を喫するなんて。それでも高坂先輩は泣かなかった。それは、今まで自分に負けても前を向き続けてきた秋子先輩への敬意ゆえの行動だったのかもしれない。

 

「では先生。トランペットの方は準備が出来ました。ユーフォニアムの二人に移動してもらってください」

「……」

「先生?」

 

 兄さんの言葉に、先生は夢から覚めたような顔になる。あの二人が奏でる音の魔法にかけられていた乙女が目覚めたような、そんな顔。先生もまた、かつてはプロを志したのかもしれない。だからこそ、分かってしまったのだろうか。あの二人の築き上げた世界が。或いは、そうなれなかった自分のなりたかった姿をあの二人に見たのだろうか。

 

「えぇ、分かりました。黄前さんと黒江さんはお願いします」

 

 二人は静かに立ち上がって、舞台袖に消えていく。そうすることで、パーテーションの中に移動する際どちらが一番でどちらが二番なのか分からなくするようになっていた。私たちが準備をしている間、あの二人は別室で待機していた。二人だけでどういう会話をしたのか、私たちは知らない。それが実りあるものであることを、祈るしか出来ないのだ。

 

「準備が出来次第、ユーフォニアムのソリオーディションを行います。一番、二番と吹いてもらい、その後部員の皆さんには投票を行ってもらいます。しかし、皆さんは偶数名ですので、事前にお話しした通り……桜地先生にも投票をして頂きます」

「……」

 

 兄さんは静かに目を閉じた。それは多分、兄さんの望んでいる事ではなかったのだろう。部員の事は部員で。それが兄さんの理想だ。けれど、こうなってしまったらば仕方ないと腹を括っているのだと思う。一番公平に審査できる耳を持っているという事実、そして兄さんへの技術と、人ではなく技術で選ぶだろうというこの二点に対する部員からの圧倒的な信頼。それがこの場にある種部外者を持ち込んでも許される空気を創り出していた。

 

 松本先生がOKのサインを出している。舞台の準備は整ったようだ。

 

「準備が出来たようですので、吉沢さんはお好きなタイミングで始めてください」

「はい」

 

 秋子先輩にとっても自分の相方を決める大事な時間だ。彼女がソリをやるのはこれが初めてなので、相方がいるというのもよく言えば新鮮であり、悪く言えば勝手がまだ掴み切れていないところはあると思う。それでもこの場を担う大事な存在としてやり遂げる気概が溢れ出ていた。

 

「では、一番の方からお願いします」

 

 秋子先輩が楽器に口をつけ、そして先ほどと寸分違わぬ演奏が迸る。朗々と歌い上げるようなその演奏に合わせて、ユーフォニアムの音が流れ始めた。それを聞いて、あぁ真由先輩だと思う。その寄り添うような音色、その穏やかさを感じさせる吹き方。月光の如くと言うのが相応しい演奏は、静かに、しかし確かに聴く者の心を打つ。

 

 秋子先輩が夜空に輝く一等星だとすれば、それに寄り添う月のように真由先輩は奏でている。けれどそれは関西大会とは少し違った。関西大会では完全に高坂先輩に合わせるように演奏していたけれど、ここでは少し彼女自身の演奏になっている気がする。自分の気持ち、想い、覚悟、そしてその裏にある悲嘆や後悔。そう言った苦しさもない交ぜになっている。歓喜と、沈痛。後悔と、期待。矛盾するように、臆病なまでに、それでも恐る恐る手を伸ばそうとしている姿は、彼女自身の姿と重なった。

 

 苦しみの中を藻掻きながら、何もかもを吐き出しつつそれでも進むのが秋子先輩の演奏なのだとしたら、その苦しみを背負えはしないけれど寄り添うだけは出来ると言っているように感じる。誰かのために嘆ける優しさを持ちながら、それでも自分の望みである全国で吹くという事を諦めきれない頑固さ。矛盾しているのは間違いない。けれど、それこそが人間という存在なのだろうか。

 

 或いは彼女は、やっと心の底から自分のために、自分の願いや幸せのために演奏したのかもしれない。それが例え、誰かを傷つける結果になったとしても、それを覚悟の上で。

 

「では二番の方、お願いします」

 

 真由先輩の演奏は終わった。小さくざわめく会場を他所に、先生は次へ進める。秋子先輩は引き続き全く表情を変えないまま、マウスピースに口をつける。彼女はどちらがどちらなのか理解しているのだろう。それでも、表情を変えない。それが自分の役目だと知っているから。

 

 前回が真由先輩なのだからして、当然こちらは部長だ。彼女も三年間、兄さんの下で教わってきた生徒だ。決して真由先輩にだって引けを取らない。そしてその演奏は間違いなく上手かった。ユーフォニアムとはかくあるべしと言わんばかりのサウンドは、まさにその楽器が持っている最大の魅力であるまろやかな低音となっている。

 

 その演奏は、誰かに問い続けるようだった。それは彼女のこれまでの人生だったのかもしれない。そして、今私たちに、なにより自分自身にしている事なのかもしれない。その道は正しいのか、それで本当に良いのか。自分は何をしたくてここにいるのか。何故、努力をするのか。人生に存在する無数の問いに対して、きっとこのままじゃいけないと行動して、考えて、悩んで、そして手を差し伸べた。それが黄前久美子という人物の三年間。そんな風に聞こえる。素直に、真っ直ぐに、自分の心を曝け出して。そうしたいからそうすると言わんばかりに音は続く。

 

 真由先輩が自身が三年間歩み続けた末の望みを謳っているのだとしたら、彼女は自分の三年間の歩みを振り返った心を謳っている。彼女は誰の背中を見上げてきたのだろう。誰の足跡を追いかけ続けてきたのだろう。そしてその末に、どこにたどり着いたのだろう。或いはまだ、長い旅の途中なのかもしれない。何を信じ、何を憂い、何を求め、何をきっかけに、彼女は走り出したのだろうか。

 

 何もかも、ハッキリとは分からない。それでも一つだけ確かなのは、彼女の音は確かにこの場の多くの心に響いているという事だった。

 

「ありがとうございました。お二人は前へ」

 

 いつの間にか演奏は終わり、先生の言葉で二人は前に進み出る。

 

「どちらも、素晴らしい演奏でした。ですが、ソリは一名しか吹くことが出来ません。では……これより選出に入ります。一番がソリに相応しいと思った人は、挙手を」

 

 私はどちらに手を挙げるべきなのか。部長も真由先輩も、いずれも演奏は全く問題など無かった。むしろ、素晴らしいと思える。秋子先輩との組み合わせも悪くない。どちらが名古屋で吹いても、結果は変わらないと思える。どちらも最良。それ故に、この問いは非常に難しいモノだった。

 

 選ぶのは、こんなにも苦しい事だったのか。顔は見る事の出来ない兄さんの心情がやっと今になって全部ちゃんと分かった気がする。分かった気にはなっていたけれど、実際にその立場につくと分かる。これは、とても苦しい。もちろん私だけの票で全てが決定するわけではないけれど、それでも選ばないといけない重圧は確かに存在している。だから、公開オーディションは禁忌だったのだ。

 

 部長のことはその職責を知っている人間として、尊敬はしている。真由先輩の事は、これまで一年間久石さんと同程度かそれ以上には関係の深い間柄だったと思っている。それでももしどちらか一人を選ばないといけないならば。

 

 私は静かに一番に手を挙げた。真由先輩の望みは全国大会の会場で私と共に演奏する事。そしてそのためには、このオーディションは避けては通れない。この部の出場に伴うオーディションとは、ソリのオーディションを受ける事と同義なのだから。そしてその望みを抱くに至ったきっかけは、自惚れなどではなく私なのだろう。だとしたら、私にはその背中を押した人間として、真由先輩を推す義務がある。

 

 最初は松本先生に紹介されただけだった。彼女の部活生活が実りあるものになるよう手伝うだけのつもりだった。兄さんたちが作った部活を好きだと言ってくれた、彼女のために。私は、あの言葉が嬉しかったのだ。私の好きなモノを、同じように好きだと言ってくれたことが。

 

 それに、単純に好きだったのだ。彼女の演奏が、音色が、自己矛盾を知りつつもそれでも足掻いてしまうその心根が。選ぶ理由なんて、それで良いのだろう。きっと久石さんも、そうやって選ぶのだろうから。

 

 壇上の秋子先輩も、静かに一番に手を挙げた。一年生にやや多い気がするけれど、実際のところどうなのかは集計係を買って出た上石さんにしか分からない。

 

「ありがとうございます。続いて、二番と思った人は挙手を」 

 

 多くの人が挙手していく。こちらは心なしか三年生が多いような気がした。やはり、三年生ともなるとどちらが演奏しているのかなんてすぐ分かるだろう。どちらを選んだとてという事ならば、より付き合いの長い部長を選ぶ。それだって別に間違いなわけではない。どちらが相応しいかを選べと言われた。それは上手さだけで判断しろ、という事では無いのだから。

 

 後ろの方から確認する限り、塚本先輩や川島先輩、剣崎さんなどは二番に手を挙げている。当然、久石さんも。逆に釜屋先輩や義井さん、加藤先輩などが一番に手を挙げていた。全部員数92名、そこに兄さんを加えて93名。その手が数えられていく。

 

「2、4、6……あれ?」

「どうしましたか」

「一番が46、二番が45で、二人足りません」

 

 上石さんが数え間違えていない限り、全員挙手したならそうはならないはずだ。或いは、誰か挙手できていないのかもしれない。今のところ、真由先輩が勝っていた。けれど、その二票が二番なら、部長の勝利となる。

 

「数え間違いはありませんか?」

「いや、合ってます」

 

 先生の言葉を遮るように、兄さんが静かに口を開いた。

 

「部員の皆さんだけの投票で決まるなら、私が投票する必要はないと思っていたので、最後に手を挙げようと考えていました。部員の皆さんだけで決まるのが、一番良い形ですから。ですがこういう結果になった以上、私も投票しないといけないでしょう。ですがその前に、最後に投票していない人は、今すぐに決断できますか」

 

 しかし誰も手を挙げない。兄さんは小さくため息を吐いた。

 

「では、仕方ありませんね。上石さん、私は二番で」

「は、はい……」

 

 兄さんの選択肢により、一番と二番は同数になってしまった。兄さんなら、どちらが誰なのかくらい分かっているだろう。それなのに、どうしてこんな選択をしたのか。その答えが分からず、私は眉を顰める。多くの部員もその意図を掴みかねていた。けれど、そんな周囲の声などまるで気にしないように、兄さんは前に歩き出す。

 

「なるほど、確かにこれはどちらも甲乙つけがたい。どちらでも、良い演奏になる事でしょう。それぞれに特色や想いがあって、そして精一杯の演奏をしている。これに結論を出すのは難儀な事ですし、本来はそれも無粋な事なのかもしれませんね。ですから、答えを出せない気持ちもよく分かります。しかし、出さなくてはいけない。それがこの場にいる全員に課せられた義務なのですから」

 

 そしてそう言うと、一人の生徒の隣で立ち止まった。そこで私は思い出す。そうだ、もう一人いる。投票出来ていない生徒が、もう一人。

 

「君が選べ」

 

 兄さんが立ち止まったのは、微動だにしないまま前を向いている高坂先輩。先ほど自らを燃やし尽くした戦いに敗れた彼女の隣に立ち止まり、兄さんは残酷なまでに告げる。

 

「君が、選ぶんだ」

 

 誰かが息を呑んだ。これまでドラムメジャーとして果敢に指揮を執り続け、上手い事こそを正義としてきた彼女に突き付けたのは、どちらが上手いかを決めろと言う選択だった。それは今まで兄さんがしてきたことであり、そして高坂先輩が受けてきたこと。壇上の秋子先輩は静かにジッと高坂先輩を見つめている。この苦しい選択を突き付けられた彼女の決断を見守るように。

 

 なんと残酷な事だろう。兄さんは、選ぶ痛みを高坂先輩に教えようとしている。高坂先輩は二年前、ここで誰かの夢を自分の手で壊す痛みを知った。そして先ほど、敗北する痛みを知った。ここまで考えてぞっとする。兄さんは、かつて自分が被った痛みを高坂先輩に味わわせようとしている。今彼女に突き付けたのは、自分の手で選ぶ痛み。今まで高坂先輩が知らなかった種類の苦しみだ。

 

 兄さんは、本気で高坂先輩を後継者にしようとしているのだろう。だからこそ、自分が知っている痛みを全て感じさせようとしている。そうすることで、その痛みを知ることで、彼女がより高みへと昇っていくだろうと信じて。なぜならば、かつて自分もそうやって痛みを知りながら上へと昇って行ったのだから。同じ道を辿る事が必要だと、きっと兄さんは考えたのだ。

 

 ギロチン台の紐を引かせる役目を、かつては兄さんが担った。それを今、この場所で、この構図で、高坂先輩に再演させようとしている。その痛みは、かつてのオーディションでは感じなくて良かった痛み。そして、かつて彼女が夢を壊したその先輩と、今や高坂先輩は同じ年になっていた。答えは一つだけしか選べない。私は選んだ、お前はどうする。兄さんの目は、静かに、しかし確かに高坂先輩に問いかけ続ける。お前には、答えを出す義務があるはずだと。残酷に、冷酷に、その中に期待を込めて。

 

 或いは、彼女が最初からどちらかに手を挙げていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。けれど彼女は迷った。そして、兄さんはそれを許さなかった。自分の音楽に、信じるモノに嘘を吐くのか、それとも信じた世界を、想いを貫くのか。兄さんは試している。師匠として、先達として、上にいる者として。

 

 彼女が自らの手で壊した夢は、確かに贖いを求めた。そして彼女の夢は秋子先輩の手で壊され、最後には己の手で、決断を下さないといけない。かつては逃れる事の出来たその決断は、かつての勝者に襲い掛かる。私の知らない()()()の清算を求めて。そして、高坂先輩は顔を上げる。

 

「一番、です」

「そうか。先生、集計が終わりました」

「分かりました。では、一番の方は前へ」

 

 多分こうだろうという予想は全員ある程度出来ている。その予想を裏付けるように、あるいは分かってない一二年生の心をざわつかせるように、真由先輩は一歩前に出る。ざわめきの中で、兄さんは静かに後ろへと戻って行った。

 

「では、全国大会のソリは、黒江真由さんに決定します!」

 

 立ち上がった久石さんが声にならない嗚咽を漏らす。もしかしたら、彼女は信じていたのかもしれない。高坂先輩が、部長を選んでくれると。それでも高坂先輩は信じたモノを裏切ることが出来なかった。かつての兄さんがそうだったように。高坂先輩は真由先輩の方が上手いと思い、そして彼女を選んだのだ。それが高坂麗奈という奏者であり、そして彼女はどうしようもなく、桜地凛音の弟子だった。

 

 部長の瞳が揺れている。言葉にならない多くの感情が、このホールの中に渦巻いていた。真由先輩の手が静かに震える。その瞳は、諦めるように目を閉じた。部長の瞳がそれを捉える。そして、彼女は顔を上げた。そして、前に踏み出す。

 

「私は、この決定を誇りに思います。皆が、ちゃんと選んでくれた。誰も欠けることなく、今回は、全員が。みんなが北宇治を、そして自分を好きになれる部活を作る事が私の目標です。私は、ここで選んでくれる皆が好きです。だからどうか、この決断を悔やまないで! 皆それぞれが最善だと思う道を選んだ。その結果がこれです。そして、これが! 今の北宇治のベストメンバーです。ここにいる全員で決めた、言い逃れの出来ない最強メンバーです。これで全国に行きましょう! そして、一致団結して、必ず金を、全国大会金賞を獲りましょう!」

 

 私は、思わず手を叩く。それにつられるように、拍手が会場中に響き渡った。彼女は()()だった。この北宇治高校吹奏楽部の、誇るべき部長だった。他にもっと相応しい人はいるのかもしれない。かつて彼女はそう言った。何を言うのだろうか全く、と今になって思う。彼女以外に、一体誰がこの務めを全うできただろう。確かに完璧では無かったのかもしれない。けれど、完璧な存在なんているはずがない。最善を探し、藻掻き、そして走り抜けた。彼女は間違いなく、私の尊敬するべき人だった。

 

 最初は随分と頼りない存在だと思った。私にたじろいで、兄さんにペコペコして。それはきっと、私の不明だったのだ。だって、目の前の彼女はスポットライトに照らされて、あんなにも堂々と胸を張っているのだから。私に手を差し伸べた希美先輩の姿、前を向けと拳を突き上げた優子先輩の姿。それらは私の中に深く息づいている。そして今日、黄前先輩の姿がそこに加わった。私は未来永劫、彼女の姿を忘れないだろう。

 

 鳴り響く拍手の中、彼女は誇らしげに胸を張っている。真由先輩の瞼から雫が滴り落ちた。黄前先輩は、今この瞬間に自分の理想を叶えたのだろう。彼女が愛したこの場所を、勝者と横並びに敗者が進み出せる場所にしたのだ。

 

 希美先輩が言っていたことを思い出す。今この瞬間、間違いなく彼女はこの部活の中の誰よりも強く、そして気高い。それを讃える手段を、私は拍手以外に知らなかった。

 

 

 

 

 

 

「兄さん」

 

 練習へと移行する中、私は兄さんに話しかける。どうしても知りたかったことを聞くために。

 

「もうすぐ練習、始まるけど」

「知ってる。でも、どうしても聞きたかった」

「そう。何を?」

 

 兄さんは静かに私に目を合わせた。そこへ黄前先輩と高坂先輩もやって来る。多分、聞こうとしていることは同じだろう。私と黄前先輩の目線が合う。アイコンタクトで、お互いの言いたいことは分かった。その上で、先に来た私が質問する。

 

「兄さんは、高坂先輩に自分と同じ痛みを感じさせて、決断をさせて、選ばせるために、二番を選んだの?」

 

 兄さんはすぐには応えず、静かに息を吐いた。黄前先輩もきっと同じことを聞きたかったのだろう。彼女の目は泳いでいる。この答えがどういう答えかで、きっと全ての価値は大きく変わってしまうだろうから。

 

「桜地、先生……」

 

 高坂先輩が辛そうに声を出す。それを見た兄さんは、少しだけ微笑んだ。

 

「信用無いな。そんなことしない」

「ホントに?」

「あそこで高坂さんが悩んでいることも、手を挙げていないことも知っていた。容易に決断できないでいる事も。それでも私が問いかけた時に選べるのなら、それはそれで良かった。けれど、高坂さんはすぐには選べなかった。まぁ無理もない話だろうけれど。私があの場で投票しなくても、高坂さんが二番を選んだなら同数になる。だから、私が二番を選んで決着になる。高坂さんが一番を選べば、高坂さんの言葉で決着だ。私を含めるまでも無い。つまり、私はどう転んでも二番に入れるつもりだった」

 

 明かされるのは、兄さんの決断。兄さんは分かっていたはずだ。どちらが黄前先輩で、どちらが真由先輩なのかを。それでも兄さんは前者を選んだ。本音から黄前先輩を選んだのだろうけれど、そこにどういう理由があるのかは分からない。もしかしたら、案外単純なモノなのかもしれない。

 

「けれど最初に問いかけた時、高坂さんは選べなかった。だから私は、自分の選択に従って二番を選んだ。もし私が仮に一番を選ぶつもりだったら、高坂さんに何としてでも投票するよう促しただろうね。けれど、そうしなかったのは私が二番だったから。まぁ要するに、高坂さんに最後の決断を委ねることになったのは結果論ではある。けれどそういう図式になった時にすぐ気付いた。これはあの時の再演だとね。そこからは、涼音の思う通りだろう」

「そう。それなら……良かった」

 

 兄さんが黄前先輩を高坂先輩育成のために使ったのではないと分かったのは安心した。ただ、そういう図式になった以上はそれを最大限活用しただけの事。

 

「高坂さん」

「すみませんでした、私は……」

「いや、謝ることはない。君は自分自身に最後の決断が出来るのに、それでも最後に自分の信念を貫き通した。一部員、一生徒の立場で、友人を選ばずに、音楽に従った。私と同じような痛みと涼音は言うけれど、正確には少し違う。私は指導者だった。選ぶ権利があるし、それが仕事だ。けれど君には指導者という立場も無い。三年間苦楽を共にした相棒と転校生の二択は、私の頃よりも遥かに難しい二択になっている」

「せん、せい」

「後悔も、懺悔もある。それでも音楽だけは裏切れない。そうだったんだろう? それでいい。私よりも難しい決断を、私とは違う立場、一部員としてやってのけた。あの時確かに君は、私に勝っていた」

 

 その言葉は、間違いなく兄さんの敗北宣言だった。けれどその顔は、とても晴れ晴れとしている。

 

「あの日、君が私の門を叩いてくれて良かった」

「はい、はい……」

 

 高坂先輩は必死に涙を堪えようとしているけれど、もうその涙腺も決壊寸前だった。

 

「泣くのは全国で金を獲ってからにしなさい。黄前さんも、よく頑張った。君の三年間を見守り続けた先輩として、あんなに誇らしいことはない。部長になったな、立派な部長に。この代の北宇治の部長が君で良かった。私は、そう思うよ」

「ありがとう、ございます」

 

 黄前先輩は頭を下げる。兄さんの眼差しは優しい。それは、全力で戦い抜いた生徒へ向ける目線だった。高坂先輩と秋子先輩が目立つけれど、黄前先輩だって兄さんの教え子の一人。三年間を見続けてきた、生徒なのだ。そして、兄さんは立ち上がる。そしてその温かさを含んだ瞳のまま、黄前先輩を讃える。最後まで己を貫いた、後輩の決断とその勇気を。

 

「私は掛け値なしに、他の何かしらの意図はなく、本当に君の演奏が良いと思った。君の方が上手いと思った。私個人の感覚として、間違いなくね。それはどうか、疑わないで欲しい。私の心には、ちゃんと君のユーフォニアムの音が響いていたのだから」

 

 黄前先輩は静かにもう一度頭を下げる。その顔は、秋の空よりもずっと清々しかった。




北宇治高等学校吹奏楽部2017年度全国大会メンバー
◎はソロ

<トランペット>
三年:高坂麗奈
   吉沢秋子◎
二年:浅倉玉里
   小日向夢
   貴水卓
   滝野さやか 計6名

<トロンボーン>
三年:赤松麻紀
   塚本秀一
   福井さやか
一年:浅野勇高 計4名

<ホルン>
三年:森本美千代   
   瞳ララ
二年:屋敷さなえ
一年:三木美乃 計4名

<低音>
三年:黄前久美子
   加藤葉月
   川島緑輝◎
   黒江真由◎
二年:鈴木美玲
   鈴木さつき
   月永求
一年:釜屋すずめ 計8名

<サックス>
三年:瀧川ちかお
   牧誓◎
二年:内田ベイブ
   遠藤正
   鈴木靖也
   細野暖奈 計6名

<パーカッション>
三年:井上順菜 
   釜屋つばめ◎
   堺万紗子
二年:北田畝
   林来理
   前田颯介
   前田蒼太 計7名

<クラリネット>   
三年:植田日和子
   高野久恵
   高久ちえり◎
   松崎洋子
二年:芦田聖子
   井村たく
   北山タイル
   端田麻椰
   平沼詩織
   坂崎彩子
一年:義井沙里 計11名

<ダブルリード>
二年:兜谷える
   剣崎梨々花
   籠手山駿河
一年:加千須みく 計4名

<フルート>   
三年:小田芽衣子
   高橋沙里
   中野蕾美
二年:桜地涼音◎
   山根つみき 計5名 以上55名
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