「と、言う事で二年七組の文化祭はお化け屋敷に決定しまーす」
実行委員の言葉にパチパチと持ち上がっているクラスをよそに、私の心は沈んでいた。多分、顔の表情もひきつっている。
「お涼、顔ヤバいよ」
「そんなにですか」
「青白い顔になってる。元々白いんだから、あんまり真っ青だとお涼が幽霊になったみたい」
「やめてください、縁起でもない……」
ホラーはどうしても苦手だ。どういう理由なのか、自分でもよく分からない。昔から何となく苦手だった。血が苦手というわけではないし、ゾンビ系やスプラッター系は大丈夫なので、多分幽霊とかが苦手なのだと自己分析している。実体がない上に捉えどころがなく、倒す手段が無いのがダメなのだろう。
「そんなに幽霊ダメ?」
「ダメです」
「バイオハザードは大丈夫だったじゃん、この前ウチの家でやった時」
「ゾンビは撃てば倒れるじゃないですか。幽霊は斬っても倒れないので」
「幽霊を斬ろうと思うのも大分アレだけど……」
兄さんはホラーが得意だった。お化け屋敷も平気そうだし、ホラー映画も普通に見ている。BGMの勉強になるからと言って割とよく見ているので、私としては大変やめてほしいと思っていた。兄さんがヨーロッパへ行った事の数少ない利点はこれかもしれない。希美先輩も苦手な方なので、兄さんの味方はいないのだ。
「でもよりにもよって和風のお屋敷設定でホラーなんてねぇ」
「本当ですよ、まったく」
「まぁ病院学校と並んであるあるなテーマだからさ。仕方ない仕方ない。作り物だから、ね?」
「それは分かってますけど」
自分で作るのなら多少はマシかもしれないけれど、そういう事を考えるのもあまり気が進まない。クラスに協力するのはもちろん、クラスメイトとして当たり前の事ではあるけれど憂鬱であるのも事実だった。吹部は全国大会前ということで、多くのクラスで準備段階の仕事を免除されている。その代わり、本番はシフトに多めに入るのが暗黙の了解となっていた。
「桜地さん、当日幽霊役出来る?」
「……分かりました。準備はお任せしてしまいますから、お引き受けします」
「ありがとう!」
実行委員の人は私が引き受けたことにホッとした顔をしている。そんなにとっつきにくい態度で普段過ごしているつもりはないのだけれど、私と話すと緊張してしまう人が多いのも事実だった。ちゃんと笑ってはいるが、言葉遣いのせいかもしれない。
「美少女幽霊が襲ってくれるって評判になりそう」
「揚羽」
「ゴメンて」
私と揚羽の二人は家にあるいらない和服を提供することになっている。正直もうボロボロになってしまって処分に困っている和服もあるので、そこは喜んで提供するつもりでいる。それと、我が家の外観を参考にしたいという声もある。私にできる事ならば喜んでやるつもりだが、家に帰ってからお化け屋敷と自宅を重ねて怖くなってしまいそうなのが今から不安だった。
「当日さ、呼び込み係の時間あるじゃん。そこで今年も一緒にやらない?」
「いいですね」
「お涼バイオリン弾けるっしょ? ウチがギター持ってくから、セッションしながら練り歩けばそれなりに人来ると思うんだ」
「化け物二人のバンド、ある意味では一番ホラーかもしれませんね……」
「着物の幽霊がバイオリン奏でて歩いてるインパクトは凄そうじゃん」
「色物枠の間違いかもしれません」
去年もメイド服にバイオリンで呼び込みしていたのを思い出す。小学校高学年の時に希美先輩の演奏を見るまではずっとバイオリンを習っていた。多分、希美先輩に出会わなければその先も続けていて、恐らく北宇治には来なかったんじゃないだろうか。少なくともフルートをやることは無かったはずだ。部活も入っていないと思う。なにせ、管弦楽部は全部関東に集中している。関西に管弦楽部のある学校はない。
一応油小路に音楽高等学校が存在してはいるけれど、プロになる気はなかったのでそこに入ることも無かったはずだ。そう考えれば、希美先輩に出会ったのもある意味運命かもしれない。あそこで希美先輩に出会わずフルートをしていなければ、部活に入らず、兄さんが希美先輩を頼ることも無くなる。……つまりは、私が二人のキューピッドということになるのだろうか。それなら光栄なことだ。
「軽音さぁ、先輩たち引退しちゃって」
「そういう時期ですからね」
「たまに顔出してはくれるんだけど、どうしても受験でね……。後一年って考えるとさ、短くない?」
「短いですね、本当に」
「親から言われた。進路考えろって」
「東京に行くんでしょう?」
「そう言ってんだけどね。全然聞いてくんない。お前は京都でいいだろーって」
園崎家は歴史の長い老舗の呉服店だ。桜地家とはまた違った部分で色々としがらみもあるのだろう。一人娘の安否を気にする親の気持ちも分からないではないけれど、それを言うと彼女はむくれるので言わないことにした。
「東京、か……」
「お涼も興味あるの? 東京」
「もし兄さんたちが本当に籍を入れるなら、それも検討しようかと。その時はあなたと出来れば一緒に住めると、私としては安心ですね」
「あのお涼が……遂にデレた……。口説き続けて幾星霜、やっと思いに応えてくれたんだね」
「いや、そういうのじゃないでしょう」
「真面目な話をすると、私と同棲だと彼ピを連れ込めないゾ」
「……やっぱり一度検討し直すという形で」
「うわ、掌ドリル大回転」
全国大会まであと一ヶ月も無い。その短い期間が終われば、先輩たちは引退してしまう。残された時間は、そう多くは無かった。
吹奏楽部は順調に練習を進めている。全国大会の曲だけではなく文化祭の曲の演奏も同時並行で行っていた。今年の曲は三年生を中心にして決定されている。去年までは兄さんが最終決定を行っていたけれど、その権限が一般部員に戻って来た形だった。
クラスの方は割と片が付いたので、私は部活へ向かう。細かい準備は実行委員や揚羽のようにイベント事を盛り上げるのが好きな生徒が担ってくれるだろう。私も一回くらいはそちらに加わってみたいという想いもあり、若干後ろ髪を引かれる部分はあったけれど、それを振り払って部活に向かった。
三年生の修学旅行と文化祭とは、ドラムメジャーの後継者の練習場。そういう認識がうっすらと部活の中に存在していた。兄さんが両方の期間を高坂先輩に任せたことに起因するのだろう。高坂先輩がその路線を私に継承させようとしていることから、来年以降も恐らくこの形で進んでいくと思われる。そのため、私が現在の練習の指揮をしていた。先生は文化祭の演奏は生徒に投げている。そこは生徒の好きにやりたい音楽を奏でるのが良いと考えているのだろう。
そして、そろそろ私は自分の後継者を選ばないといけない時期であった。高坂先輩は後一ヶ月もすれば引退する。その後、部の運営は二年生を中心に行われ、再来年を見越した一年生の強化も始まる。私のやるべき事は二年生のドラムメジャー補佐の指名だった。
「と、言う事でどうしましょうか」
幹部を前に、私は相談していた。人事に関しては、部長に相談した方が早いという考えである。私よりも多くの部員を見ているだろうし、多くの交流があるだろうから色々な側面を知っているだろう。来年に関することなので、高坂先輩にも話を通す必要があった。男子の事は私にはよく分からないので、もし男子に適任がいるのなら副部長に提案してもらいたいとも思っている。
「まだ少し早いとは思いますが、昨年の高坂先輩はこの頃兄さんから話を受けて、すぐに私にアプローチをかけてくださいましたので、この時期から動いておくことが肝要と思います。どなたか適任の方がいれば、お教えくださると助かります」
「ちゃんと技術のある子にするべきだと、私は思ってる」
高坂先輩はハッキリとそう言い切った。教える能力と演奏能力が一致していない事もあるというのは彼女もよく理解しているとは思うが、それでもやはり上手い方がいいと思っているらしい。確かに、ドラムメジャーを務めたのに大会にも出れませんではあまり好印象ではないだろう。全体の指導をするというのは、時には恨まれる覚悟も必要という事だ。ともすれば、比較的技術力があった方が望ましい。それに、自分の練習時間を割く都合上、余裕がないと厳しい。
「今年の一年生、あんまりA編成には入ってないからなぁ」
「ニ三年が上手いからでしょ」
「それはそうだけど」
副部長の呟きに高坂先輩が返す。この辺はよくみるやり取りだ。幹部内の力関係は年によって全然違う。今年は部長が残りの二人の仲裁をすることが多い。去年は部長と副部長が双方向に叩き合い、優子先輩は時々兄さんとも殴り合い……あぁこれは多分優子先輩がバイオレンスなだけかもしれない。
「今の一年生でAメンバーなのはクラリネット義井さん、オーボエ加千須さん、ホルン三木さん、トロンボーン浅野君、チューバ釜屋さん。以上の五名ですね」
「義井は良いんじゃないか? 桜地さんとも繋がり深いだろうし」
「彼女は確かに私の後輩歴が長い子ですけれど、あまりドラムメジャー向きの性格とは……。責任感が強いですので、職責に圧し潰されてしまう可能性があるかと」
義井さんの性格はあまり向いていない。これは部長も共感してくれているようだ。彼女はやはり、人を見るのに長けている。私が数年かけてたどり着いた結論に、彼女は今年一年でたどり着いていた。義井さんを上に据えるなら、適度にガス抜きをしてくれる補佐役が必要になる。私とマンツーマンで活動していては、彼女にそれをしてくれる存在がいない。
自分が優しい性格だとは思わないし、かなり厳しい事も言ってしまうだろうから、ドラムメジャーではなく違う仕事を担ってもらうのが一番だろうと考えていた。
「すずめちゃんもあんまりドラムメジャーって感じじゃないしなぁ。そもそも今年始めたばっかりだもんね。まだ練習しないといけないことも多いだろうし……逆に、涼音ちゃんは誰か希望はある?」
「私は特には。真面目に取り組んでくれる生徒なら、誰でも構いません。無論、性別も楽器も問わないつもりです」
誰が相手でもやることは変わらない。兄さん、そして高坂先輩と引き継がれて来た地位を継承し、未来の北宇治の演奏がより良いものになるように繋げていく。そして、部長を支え部を運営していく。そのために必要な人材となるよう教育するだけだ。
「
トロンボーンの浅野君は全国大会のオーディションで合格した一年生だ。それも、私の中学時代からの同期である葉加瀬さんを蹴落として。彼女が前にオーディションに落ちたのは、恐らく中学一年生の頃が最後だったはずだ。そのせいか、かなりショックを受けていたのを覚えている。普段は見せない弱った顔をしていたので、何とか励ましはしたけれど、それでも色々思うところは大きそうだ。副部長に憧れていただけに、出来れば一緒に最後の大会へという想いも強かったと思う。
「無理にA編成の子に拘らなくても良いんじゃないかな。例えば、フルートの吉田さんとか、結構上手いと思うけど」
「確かに私としても同じパートであれば教えやすさもありますね」
「後輩と言えば、三木さんも南中じゃなかった?」
「はい。彼女でも良いと思います」
巧美さんは技巧派だ。現在は多分フルートの定員のせいでメンバーに入れていないけれど、来年激烈に上手い後輩でも入ってこない限りは恐らく何とかなるだろうと思う。そう言う意味では先行投資と考える事も出来る。ただし、それは現在の練習量を維持できればの話。個人の練習とはまた別のベクトルの視点を鍛えるのは難しい作業だ。彼女の第一目標はやはりA編成に入る事だろうから、そこに何か追加するというのは本人の負担が大きくなるかもしれない。
三木さん、三木美乃さんは義井さんと同じく私の後輩だ。今年、南中から来てくれたのは義井さんの友達が多い。しかし彼女たちは吹奏楽部員では無かった。部員であった子で北宇治に来てくれた数少ない子が彼女である。ホルンとフルートではあまり接点が多かったわけではないけれど、全オーディションに安定感を持って合格していた。技術面での指導は、同じパートで初心者の武川さんの面倒を見ているシーンをよく見かけるので、比較的慣れてはいるのかもしれない。
義井部長、釜屋副部長、三木ドラムメジャー。悪くない体制だ。全員人柄的にも問題はないし、ちゃらんぽらんな運営はしないだろう。
「ドラムメジャーの仕事にはそれまでの練習とは異なる視座や感覚が求められます。その点、経験値の多い方がやりやすいでしょうから三木さんというのは選択肢として大いにありだと思いますね」
「涼音ちゃんが良いと思うなら、私は構わないかな。一年生に凄く詳しいわけじゃないけど、悪い子はいないって分かってるし。麗奈はどう思う」
「桜地さんの代の話だから、桜地さんが指導できると信頼を持って言えるなら、それで」
「秀一は?」
「ドラムメジャーに同じく」
「と、いう感じなんだけど……大丈夫そう?」
部長の確認に私は頷く。接点が凄く多いわけではないとはいえ、これでも南中時代の二年間と今年一年間は先輩として接してきた。特に前者ではどのパートにも今よりもずっと関わっていたのだから、必然的に能力の把握もしている。どうしようもない顧問のせいでする羽目になった指導役と部員の観察・把握だが、まさかこんなところで生きるとは思わなかった。
「分かりました。では、三木さんには私の方からお願いしておきます。もし断られてしまった場合は、また相談しますので」
「うん、よろしく」
「はい、こちらこそ」
まぁあまり断られるという想定はしていないけれど。取り敢えずこれでひと段落出来たと言えるかもしれない。今の二年生はとにかく数が多い。そして、兄さんにみっちり指導された最後の世代だ。来年の大会メンバーの多くは何事も無ければ今の二年生が占めるだろう。そうなると、一年生で経験を積める子が減る。その状態で再来年がやって来るのだから、そこで上手く指導できるような人材に育てたい。
能力はあるけれど一番ダメな例を中学時代の顧問を見て三木さんも知っているだろうから、それを反面教師にして、自分なりに指導方法を見つけて言ってくれればそれで良い。何も私や高坂先輩のように真面目一辺倒でやれとは全く思っていないのだから。
「後は私が彼女に怖がられていないかどうかですね」
「大丈夫じゃないかなぁ」
「だと良いのですが。私は優しい先輩ではないですから」
後悔も多い。やり直せるのなら、もっと違うやり方で中学時代を過ごすだろう。一歩間違えれば全てがご破算になっていたような、そんな薄氷の上の統治。それをどういう訳か理想化してくれたり褒めてくれる先輩が多いけれど、やっていた本人としては反省点の多い黒歴史だ。結果が出たからよかったが、出なかったらまず間違いなく私は無能の烙印を押されていただろう。
だからこそ、今度は上手くやる。そのつもりでここへ来たけれど、それでもやっぱり上手くいくことよりはいかないことの方が多い。そんなもんだと割り切るには、私の諦めは少し悪すぎた。
「次に演奏する曲は『ディープ・パープル・メドレー』です。ディープ・パープルはイングランド出身のロックバンドで、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフは超有名なんで聞いたことがある人も多いと思います。いやー、ホントに何回聞いても色あせない名曲ですね。エレキ、リフの部分やってみてくれ」
「はい!」
舞台端の副部長が川島先輩に指示を出す。応じた川島先輩の真っ赤なエレキギターがシンプルイズベストを体現したようなフレーズを奏でていた。観客からの反応も上々。今年の演奏曲は先輩たちが選んだけれど、知名度と技巧の練習になる曲を両立させたいという思惑は見事に合致していた。
月日が流れるのはあっという間で、すぐに文化祭がやって来た。私も文化祭の曲の練習指導に追われ、バタバタとしている間に時間が経っている。光陰矢の如し、とはまさにこのことだろう。
「めっちゃカッコいいでしょ? 今からキレキレで演奏しますんで、手拍子よろしくお願いします。それじゃ、行きます。ディープ・パープル・メドレー!」
先生がベストタイミングで指揮棒を振るう。去年までは兄さんが占領していた文化祭の指揮とMCは、今年は先生と副部長が分担して担当している。軽快な音楽に合わせてスタンドプレイをすれば、観客席からは拍手が飛んできた。楽器ごとのベルアップ、軽いスイング、メリハリのあるステップ。いずれも今日のために何か普段はやらないことをやろうと言う事で練習した代物だった。
三年連続全国大会の偉業のおかげか、吹部の演奏は満員御礼。立ち見のお客さんまでいる。恐らく、この時間北宇治に来たお客さんの大半がここへ集結していた。とは言え、一般の生徒もただそれを眺めているわけではない。人が集まるということは、宣伝のチャンスということ。この時間の体育館入り口には各クラスの呼び込み係が列をなしていた。
「楽しい時間だったのですが、遂に最後の曲になってしまいました。曲の紹介をする前に、皆さんに報告があります。今年度、北宇治高校吹奏楽部は昨年、一昨年に続いて無事に全国大会出場を決める事が出来ました。それもこれも、皆さんの応援のおかげです。ありがとうございました」
「「「ありがとうございました!」」」
声を揃えたお礼に、体育館の四方八方から「おめでとう」「頑張れ!」の声が聞こえる。地元の人、他校の生徒、部員の保護者、北宇治の生徒もちらほら。聞こえた声援は去年よりも多い気がする。着実に、北宇治の名前は広まっていた。観客席の中には手を振っている希美先輩の姿もある。わざわざ来てくれたらしい。
「では、最後にカッコいいところを見せてお別れしたいと思います。定番中の定番曲、『アフリカン・シンフォニー』です。どうぞ!」
合奏とは楽しいモノである。そう吹奏楽部員が思う曲は、こういう浮かれた曲を演奏している時だ。全体練習ではないけれど数名で音楽室にいる時、どういう訳かたまたま練習している箇所が被り、自然と合わせている時がある。そういう楽しさが、吹部の持っている魅力なのだろう。辛い事や大変な事も多いけれど、それを上回る喜びもある。だからこそ、多くの人を惹きつける力を持っている。私は、そう思っていた。
演奏が終わると急いで着替えて、クラスのシフトに入る。赤い着物はもう使わなくなって久しい古着だ。幽霊と言えば白い着物だけど、敢えて赤い色にして目立つようにしたらしい。事実、血のりと合わさって結構リアル感が出ていた。鏡で見て自分の顔なのにあまりいい気分で無かったのは、そのリアル感のせいだろう。
「お涼、拗ねないで」
「だって、希美先輩が……」
「はいはい、ホラー苦手なんだから仕方ないじゃんね」
「むぅ……」
希美先輩はみぞれ先輩と来ていたけれど、私のクラスの外観を見て丁重に入場をお断りしてそそくさと別のクラスへ向かってしまった。お化け屋敷とは聞いていたけれど、想像よりヤバそうだと判断してしまったらしい。みぞれ先輩は別に構わなかったようだけれど。そう言えば、昔兄さんと文化祭を回った時も当時の高坂先輩のクラスがやっていたお化け屋敷で震えていたと聞いている。
「それじゃ、取り敢えず行きますか」
「はいはい」
看板を持っている揚羽はギターとセットで歩いている。揚羽の設定は肝試しで近所にある幽霊屋敷に入って惨殺された女子高生というものだ。妙にホラー映画にありそうな設定だと思う。しかもクラスのセットも結構気合が入っている。どうも、クラスメイトにホラー映画好きがいたらしい。なんたる不運と自分を呪った。
私もバイオリンと幽霊服というよく分からない組み合わせ。とは言え、それなりに変な格好をしている生徒の多い文化祭ではこれでもそこまで悪目立ちはしていなかった。
「じゃ、お涼」
「了解です」
人の多い廊下まで来て、私はバイオリンを構える。この子はたまに弾いてあげているけれど、基本はいつも眠っている子だ。今年は忙しくてあまり弾いていない。なので、数カ月ぶりに日の目を見ていた。演奏するのは『情熱大陸』だ。これが一番文化祭などでは目立ちやすい。揚羽のギターがバックサウンドとしてリズムを取ってくれている。
「二年七組、お化け屋敷やってまーす!」
バンドのボーカルだけあってよく通る声をしている彼女と練り歩いていると、それなりの数のお客さんが私たちのクラスの方へ向かっていく。広告や宣伝というのは存外バカにならない効果を持っている。携帯のカメラをこちらへ向ける人も結構な数いる。私はそこまでSNSには興味は無いけれど、揚羽に合わせて視線を送ったりする。
お昼まで宣伝をして、お昼ご飯を経たら私が実働する時間だ。それまでは多少なりとも猶予がある。
「す、涼音ちゃん……?」
「純一さん……?」
宣伝活動中に後ろから声をかけてきたのは、何を隠そう私の恋人だった。大学での友達を連れて来るとは言っていたけれど、変な格好をしているので出来れば仕事中に出会いたかった。真昼間に赤い和服に血のりをつけてバイオリンで情熱大陸を弾いている幽霊役の女子高生。文字にすると情報量が多い。
「お前のカノジョさん、中々その、個性的だな」
「いや今日は文化祭だから、文化祭の時は変な格好もするだろ、な!」
「お、おう。まぁそれもそうか……」
「つか、普段の写真は見たことあるだろお前」
友達に私をどういう風に説明しているのだろう。
「今日は、お二人ですか」
「そうそう。吹部に興味あるって言うから」
「そうでしたか」
女性の影は特に無いようだ。大学の友達というから、もう少し大人数で来る可能性も想定していたし、女性がいる可能性も想定していたけれど、取り敢えずいなくて良かったと思う。にやぁという顔をしている揚羽の足を踏んづけようとして避けられた。
「楽しんで頂けましたか?」
「は、はい」
「それは何よりです。定期演奏会などもございますので、よろしければそちらにも足を運んでくださると大変嬉しいです」
「ぜ、ぜひ……」
「お前何固くなってんだよ」
「いや、だってお前、マジもんのお嬢様とか見た事無かったし……。それに俺の親父、桜地重工で働いてんだよ……」
「あ……」
純一さんが何かを察したような顔になる。別にそんなに畏まらずとも、私にどうこうする権限など何もないし、するつもりもない。自分の彼氏の友人なのだ、親切に対応するのは当たり前だろう。
遠距離恋愛、という言葉を使っては希美先輩に怒られてしまうかもしれないけれど、少なくとも高校時代よりは遠距離恋愛になってから半年以上。それなりに連絡は取っているけれど、やはり高校時代よりは頻度が落ちてしまう。来年は私の受験、それ以降はどうなるか分からない。希美先輩の持っている不安感が私にも少しだけわかるようになってきた。
この話した時は公開オーディションでの結果に感慨深い声を出していた。思えば純一さんも高坂先輩と秋子先輩の戦いを見守って来た人の内の一人だ。あの二人がああいう結末を迎えたことに、感じる所は多かったのだと思う。とは言え、流石に「高坂も秋子ちゃんも立派になって……」と泣き始めた優子先輩ほどではなかったけれど。
「いつも純一さんがお世話になっております」
「これはこれはご丁寧に……」
「どうですか、大学生活は問題なく過ごせていらっしゃるでしょうか」
「それはもう……浮気とかはしてないんで、安心してください」
「まぁ、それは良かったです」
「どういう視点からの会話だよ……」
呆れたというか困った顔の純一さん。私たちの様子を見て揚羽はずっとケラケラ笑っている。
「お昼を過ぎたら、私たちもシフトに入りますので、是非二年七組へいらしてくださいね」
「もちろん行かせて頂きます」
畏まった態度のお友達を引きずって、純一さんは校内を歩いて行った。高坂先輩や秋子先輩にも挨拶しておくらしい。吹部では男子部員の人権が無い、とは人口に膾炙した言葉だけれど、意外とパート内ではそれなりの友情であったり関係性が築かれていることもあるのだ。トランペットは男子が数名いるパートなので、その分安定性はあったのだろう。
自分の彼氏が大学でどういう風に過ごしているのかを知る機会なんてほとんどない。向こうの学祭に行こうにも、こちらが練習三昧なので難しい日々だった。それにしてもあのお友達さん、私と話しながらチラチラと揚羽を見ていた。どうやらああいう感じが好みらしい。確かに、スタイルも良いし顔のお化粧もきつくない。派手さはあるけれど、それも品がある。流石は呉服店の娘という感じは好きな男子も多いと聞いている。主に久石さん辺りから。
「文化祭デート、しなくて良かったの?」
「お友達との時間ですからね。それに、私が純一さんを確保したら彼が可哀想です」
「おぉ、旦那を立てるいい女」
「おだてても何も出ませんよ」
一緒に過ごしたい気持ちはあるけれど、それは少しばかりお預け。もうすぐ全国大会。それが終わると、吹奏楽部にも少しだけ緩くなる期間がある。その時間が、私にとっての数少ない余暇の時間。そこで色々と補充すればいいだけの話だ。それまでは気を引き締めて大会に臨みたいと思っている。
時間は本当に光のように過ぎていく。秋子先輩や真由先輩がシャーロック・ホームズスタイルをしている三年三組を覗き、釜屋さんに頼まれて義井さんにドッキリを仕掛け、クラスへやって来た沙里先輩の悲鳴を聞き、時は流れる。ぽかぽかと叩いて来る沙里先輩をいなしながら、思わず笑ってしまう。廊下の鏡には、満面の笑みをした幽霊が映っていた。
今章完結まであと二話!