音を愛す君へ   作:tanuu

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第XLII音 あなたに勝利を

 文化祭の少し前、私は幹部陣と話し合った末に仮決定した私の後継となるドラムメジャー人事について、三木さんと話をすることにした。一応後輩とは言え、フルートとホルンの間にはそこまで接点が無かったけれど、幸いにというべきかホルンには同じく南中出身の同期である屋敷さんがいる。彼女を経由して呼び出してもらった。

 

 北宇治高校吹奏楽部のホルン隊は練度が高い。最強集団と呼び声高いトランペット、最大人数で激戦区を誇るクラリネットなどと並び、少数精鋭と謳われるのがホルン隊だ。現在の所属人数は八人。その半分しかA編成に出場できていない。たった四人で大事なホルンパートを支えているのだ。

 

 パートリーダーは森本先輩。茶色みがかったショートヘアが特徴で、面倒見のいいしっかりとした性格をしている。三年連続で全国大会出場の名奏者でもある。もう一人いる三年生は瞳先輩。部内随一の情報通で、久石さんも舌を巻くレベルの情報網を持っている。黄色いリボンとツインテールがトレードマークだ。兄さん曰く、お祭りで会うたびに奢ってくれとせがまれたらしい。元々初心者だったそうだけれど、今では立派な先輩をしている。

 

 この二人の先輩に屋敷さんと三木さんの南中組を加えた四人で今年は大会に出ていた。このパートも三回のオーディションでいずれも編成が変わっていない。それは現在のメンバーに確かな実力があるという事でもある。金管はいずれもそんな感じのパートが多い。先生と兄さんの専門は金管なので、その影響だろうか。

 

「すみません、忙しいのにお呼び立てしてしまって。どうぞ、座ってください」

「し、失礼します!」

 

 彼女は少し緊張した声で、私の前に座った。呼び出した場所は私の普段の練習場。今の時期はまだ寒さの無い涼しい風が吹いている。屋上前の階段脇には椅子が積み重なっておいてあるので、それを勝手に拝借して練習に使っている時がある。その椅子の一つを彼女用に用意した。

 

「ゆっくりお話しするのは、もしかしたら初めてかもしれませんね。中学時代は大体練習の話しか、してきませんでしたので。どうですか、今の部活は。A編成に一年生五人だけ、というのは少し気まずいかもしれませんが」

「全然、そんな事無いです。先輩たちにはいつも良くしてもらっているので」

「ホルンパートは少数精鋭。それ故に団結力も強い。昔からそうだと聞いています。武川さんとも上手くやれているようですし、来年以降もあなたに期待する声は大きいでしょう。重圧もあるかもしれませんが、中学生の頃の具合を見る限り、大丈夫だと勝手ながら思っています」

「そんな……ありがとうございます。ララ先輩や美千代先輩のようになれるよう、頑張ります」

 

 ゆるりと吹く風に、彼女の髪を留めた白いリボンが揺れる。顔の前で手を合わせて嬉しそうにしている姿は、その左目の下の泣き黒子と合わさって随分と異性にも同性にもウケが良いのだろうと思わされる。中学時代にはどこかあどけなさもあったけれど、今はすっかり大人びていた。

 

「確か、あなたの指導は屋敷さんと瞳先輩でしたね」

「はい。さなえ先輩はもちろんですけど、ララ先輩も凄いお上手で。ホルンやってる期間なら私の方が長いはずなんですけど、もう自信なくなりそうです」

「あの方はあの情報収集癖さえなければもっと素直に尊敬できるんですが……」

 

 多分、ウチの家の事情も色々把握しているのだと思う。とは言え、大っぴらにそれを言っているところを聞いたことが無いので、多分黙っていてくれてるのだろう。昔色々あったらしいので、その辺の影響かもしれない。多分、再オーディション関連だとは思うけれど、何があったのかは聞かないことにしていた。

 

 そんな瞳先輩が関西大会でキリッとした顔で舞台に立っているのを見て、兄さんは感動していた。ぽわぽわしている頃から見ている後輩たちが立派な顔で堂々とステージにいるのは、自分の想像以上に感涙物だったらしい。この調子だと全国大会では脱水症になっていそうな勢いだったと希美先輩から聞き及んでいる。

 

「イチゴミルク、まだお好きですか?」

「え、覚えててくださったんですか?」

「はい。ちゃんと覚えていますよ、後輩の好き嫌いも誕生日も」

 

 まだ好みは変わっていなかったことに安堵して、私は買っておいたイチゴミルクのパックを差し出す。私は絶対自分には甘すぎるだろうと思っていたため、ピンク色のパッケージを手に取ったのは今日が初めてだった。

 

「さて……世間話ばかりしていても練習の時間が減ってしまいますからね。そろそろ本題に入りたいと思います。ご承知の通り、間もなく全国大会を迎え、それが終われば三年生の先輩方は引退されます」

「ですね……。寂しいです」

「私もそう思います。月日が経つのはあっという間です。もう一年が過ぎ去ってしまいそうになっていることには驚かされますね。それで、です。三年生が引退すれば二年生がその後を継いで部を運営していく事になるでしょう。部長と副部長がどなたになるのかは知りませんけれど、ドラムメジャーに関しては世襲なので高坂先輩から私が受け継ぎます。そしてそれに関連して、私は私の後を継いでくれる方を探していました」

 

 目の前の少女の目が見開かれた。話の流れから、この後私が何を言うのか。そして同じ中学出身とは言え凄く親しかったわけでも無い先輩がいきなり自分を呼び出したそのわけを、悟ったようだ。

 

「ドラムメジャーに必要なのは自分の練習との両立が出来るだけの基礎力、大会メンバーには何の問題も無く入れる実力、緊張や重圧に負けないメンタル、的確な指揮が出来る指導力。こういうものが必要になります。無論、私が教えていく部分も多分にありはしますが……それを踏まえて、私はあなたを自分の後継に指名したいと考えています」

「えっと、それってつまり、二年後は私が、ってことですよね?」

「そういうことになります」

「で、でもサリーとかの方がこういうには向いてるんじゃ……。ほらあの子部長でしたし、涼音先輩の後継者って言ったらサリーっていうイメージがあります」

「確かに彼女は能力的には十分と思いますが、ただこの地位につけるには些か責任感が強すぎるきらいがあります。もちろんあなたに責任感が無いとは思いませんし、そういう事を言いたいわけではないのですが、何となく分かって頂けますかね、言いたい事」

「まぁ、確かに……」

 

 義井さんの欠点でもあり美点でもある部分を、彼女はちゃんと知っている。別に親友でなくても、同じ空間で過ごしていれば、そして部長という前に出てよく話をする立場であれば、分かる部分はあるだろう。

 

「今でも一年生のまとめ役を担っています。出来ればそのまま三年目に、と思っているところです。なので義井さんを除外して、出来れば今年のA編成メンバーからという高坂先輩の希望を加味すると、あなたが良いと私が判断しました」

「嬉しいですけど、どうしてでしょうか」

「まず基礎力や実力は十分にあります。でないと、この部でメンバーにはなれない。それに、そこは中学時代に鍛えた部分でもあります」

 

 基礎が出来ないと何も出来ない。それをモットーにして練習をしてもらっていた。基礎練習は単調な作業になりがちで、あまり好かれない練習メニューではあるのだけれど、そのおかげというべきか南中部員は基礎が出来ていると褒められることが多い。基礎が出来ずして応用が出来るわけもないというのが私の持論だ。

 

「メンタル的な部分も十分にあると思います。数少ない一年生として大会に出ているのもそうですが、周囲の方の声や先輩方からの声を聴く限りでもそういう感想が出ていました」

 

 ちゃんと彼女を指名する前に事前調査をしている。森本先輩と瞳先輩には内密で、ということで彼女の状態やドラムメジャーの任を託しても大丈夫な存在かを確認している。無論、屋敷さんなど同期にもそれとなく、時にはしっかりと確認を取った。その作業にそれなりに時間がかかったけれど、その分確証を持つことが出来たので結果としては良かったのではないだろうか。

 

「武川さんの面倒を見ている観点からも、指導が全くの初心者というわけではないでしょうし。それにあなたが金管楽器なので、木管畑の私の補佐をやってくださるならば助かるという側面もあります。こちらも受け継いでもらう以上、引継ぎなどはしっかりしますし、一年間かけて実力を磨いてもらうつもりです。決して放り出したりなどしませんから、そこはご安心を。どうでしょうか、私としては是非あなたに引き受けてもらえると嬉しいのですが」

「わ、分かりました。どこまで出来るか分かりませんが、他ならぬ涼音先輩のお頼みとあれば、挑戦してみたいと思います!」

「ありがとうございます。あなたならそう言ってくれると信じていました。これから一緒に頑張っていきましょう」

「はい!」

 

 兄さん、そして高坂先輩。いずれも才人が担っていたこの職務。受け継ぐとなればそれなりの重責となるだろう。学生が学生を指導するという、ある意味では特殊な地位。兄さんにだけ許されたはずの特権は、立華式の人事配置と兄さんの後継を求めていたというこの部の特殊な事情から、兄さんの二番弟子たる高坂先輩へと渡された。そして、初代の妹である私へと託されることになってる。

 

 三木さんは桜地家の系譜から外れた存在としては初めてのドラムメジャーになるだろう。それをどう捉えるかは人それぞれだろうけれど、私は歓迎するべき事態だと思っていた。兄さんはいずれこの部には関わらなくなる。私だって来年卒業だ。特定の系譜だけが受け継げる立場なんていうのは非常に不安定で、かつ非常に属人的だ。それは望ましい状態ではない。ある意味で呪いとなっているこの血脈を変える起爆剤になって欲しい。それが私の願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 十月も半ばを過ぎ、あと一週間もすれば全国大会の本番がやって来る。北宇治の順番は既に発表されており、三番目だった。かなり前の方なので、当然前泊が必要となる。兄さんはまたギリギリのスケジュールで帰国してすぐにとんぼ返りという日程を組んでいるらしい。沖縄でやっているテーマパーク建設の視察をしてから関空へ行くんだそうだ。

 

 秋風が少し冷たく感じるようになってきた今日この頃。寒くなっていく京都の気温とは反対に、練習は一層熱を増している。朗々と謳われている秋子先輩のトランペット。秋の名を冠する彼女が秋の名を持つ楽章を奏でる。そしてその時期は秋。その名に相応しいというか、彼女のために用意されたかのような気すらしてくる演奏箇所を、美麗以外の言葉が無いような音色で紡いでいた。

 

 基本的に秋子先輩も高坂先輩も、微妙な調整以外で何かを指摘されることはない。今も真由先輩とのソリは今回が初めての組み合わせであると言うのがまるで嘘であるかのように、息の合った演奏をしている。お互いに自己主張が無いわけじゃない。むしろ逆に、それぞれが己の歌を奏でている。それなのに、組み合わさって聞こえるのは二人の妙手と言うほかないだろう。調整力の真由先輩と兄さんの下で厳しい修行をしてきた秋子先輩の手にかかれば、難しい敵など無いように思える。

 

「ホルン、もっとください」

「「「はい!」」」

「瀧川君もです」

「はい!」

「チューバ、第四楽章への受け渡しの時の処理を丁寧に。ここの一瞬の沈黙は大事なエッセンスですよ」

「「「はい!」」」

 

 第三楽章が終われば、次は第四楽章。この曲のフルートソロは第一楽章の冒頭と第四楽章の終幕が一番目立つけれど、ソリの部分もところどころに存在する。割と目立つポジションなので、外すわけにはいかない。最初も最後も私が務めるのだという緊張感は、自分を奮い立たせるには丁度良い材料だった。

 

「吉沢さん、気持ち、気持ちで良いのでもう少しだけ大きく出来ますか。表現は大変すばらしい。そのままの表現で、音量だけ調整してください。出来ますか?」

「今、少しだけ出してみても良いですか」

「お願いします」

 

 気持ち大きくしろ、とか小さくしろ、というオーダーは部員なら一度は大体貰ったことがある。ただ、これはかなりアバウトな上に調整が難しい。大きすぎても小さすぎてもバランスを崩してしまう。とは言え、ソリやソロなどの目立つ部分では絶対にこの調整をしないと、ちぐはぐな印象になったりそもそもよく聞こえないという事もある。

 

 その微妙な調整を、秋子先輩は一発で出していた。実力者しかいないA編成でも、軽く感嘆の声が漏れる。多分高坂先輩も同じことが出来るだろうけれど、見事に一発で気持ち大きくなった演奏となっていた。

 

「こんな感じで大丈夫でしょうか」

「今のを維持するようにお願いします」

「分かりました」

 

 何でもないかのように秋子先輩はしれっと言っている。その声の平坦さというか普通さは最早突き抜けている。高坂先輩もこういう時緊張など一切ない平坦な声で返事をするけれど、彼女の場合は少し恋情が混じっているのかいつも少しだけキリッとしている。なので、それすらない秋子先輩のトーンはその実力の証明であるように感じられた。

 

「全国大会前最後の追い込みです。全国大会は実力者揃い。最後の最後に明暗を分けるのは細部への拘りとなるでしょう。練習は悲観的に、というのがこの部の練習におけるスローガンです。まぁいいか、ではなく最後まで拘りぬいてください」

「「「はい!」」」

 

 誰かに見せて良い演奏を、届けたい人に届ける演奏を、そして何より自分自身が後悔しない演奏を。それが今目指すべき場所だった。私も調整していく。最近、自分の相方であるこの子とも上手く波長が合うようになってきた気がする。前よりも思った通りの音がスッと出せるようになった。

 

 それは自分の実力が向上したのか、或いは楽器とシンクロ出来るようになったのか。どちらもかもしれない。フルートパートの練習も佳境だ。沙里先輩は目が見開かれているし、蕾美先輩も芽衣子先輩も気迫が凄い。全国大会は二回目、或いは三回目という人ばかり。それでも余念なく油断なく、調整は進んでいく。

 

「よし……これでどうかな」

「第四楽章だけもう一回確認しておかない? ちょっと気になる」

「分かった。涼音ちゃん、大丈夫だね?」

「勿論です」

 

 パート練習ではドンドンと違和感を指摘していく事になっていた。これがちゃんと出来ている時点で、私たちのパートの良さが分かる。そして、この大会前の時期は大会メンバーではない子の意見も大事だった。彼女たちも何回となく同じ演奏を聴いている。何か違和感があれば、すぐに気付く。

 

 演奏している人よりも観客の方が違和感に気付きやすいところがあった。だからこそ、一年生だろうと指摘してもらって、私たちが調整を加える。どう演奏しているかは主観だけれど、どう聞こえているかは奏者からすれば客観的な意見。大事にするべきモノだ。

 

「今回のでどうかな。聞いてて違和感あった?」

 

 沙里先輩の言葉に、聞いていた組が首を横に振る。観客目線では合格。後は私たち自身が納得できるかどうかだった。

 

「よし、なら大丈夫かな……。まぁとは言え油断は出来ないので、後数回は通すよ」

「「「はい」」」

「二年生は分かってるとは思うけど一応、そして一年生の二人には特に覚えておいてほしい。何をって言うのは難しいけど、ちゃんと言葉にするなら今の北宇治の姿をかな」

 

 沙里先輩は静かに楽譜に何かを書き加えながら、私たち後輩組に向けて話し始めた。

 

「なんかあっという間に全国大会に来たけど、これは全然当たり前の事なんかじゃない。強豪に入ると感覚がちょっとずつマヒしていく人もいるらしいから、念のためね。勝てて当たり前とか、そんな大会は一つも存在しないんだ。どの大会でも全力で挑まないと結果は来ない。だから桜地先輩は練習を悲観的にやれって言ってた。悲観的にやれば、出来なかったところを潰せるから」 

 

 練習とはトライアンドエラーの繰り返しであり、出来ないところを出来るまでやる。そうすれば出来るようになる。兄さんの根底にあるのはこのストイックさに満ちた練習方法だった。それを愚直にやり続けたからこそ、世界一に輝いている。

 

「この先諦めたくなることも、沢山あると思う。努力する意味を見出せない事も。それでもいいんだ。時には下を向いても良いと、私は思う。高坂さんとかはずっと前見て走れって感じだけど、私は自分にそんな事は出来ないから、当然皆にもそんな事は言えない。だから、俯いても良い」

 

 沙里先輩はそこで視線を上げて、私たちの方を見る。その沙里先輩を、芽衣子先輩と蕾美先輩が優しい顔で見つめていた。

 

「そんな時は、この子たちを吹いてあげて。好きな曲で良いし、好き勝手に演奏して良い。そうしたら、多分前を向ける。フルートを愛してあげて。折角出会えたこの子たちを、音楽を愛して。そうやって演奏して、泣いて、そうすればもう一度前を向いていけると思うから。だってそういう子だから、吹奏楽をやってるんだと思うんだ」

 

 音楽を愛していれば、フルートを愛していれば、きっとまた立ち上がれる。それはきっと、真実だろう。音楽が嫌いな人はこの部に入ろうとは思わないのだから。大なり小なり音楽が好きな人だからこそ、ここへ来た。部活が嫌でも、自分が許せなくても、音楽だけは嫌いにならないでほしい。それはこの三年間でどん底の北宇治も栄光の北宇治も見てきたからこそ言える言葉のように思えた。

 

「いつか、苦しい時に、少しでも思い出してくれるといいなと思って、こんな言葉を送ります。半分くらいは先輩たちの受け売りなんだけどね。でも、三年間の中で私がたどり着いた一つの答えだから。ちょっとでもみんなの支えになってくれたら嬉しいなと、非力なパートリーダーとしては思います」

 

 まるで、遺言か何かのように、沙里先輩は微笑んで言う。一年生の二人は泣いていた。成美さんや香奈さんも肩を震わせている。泣くのは全国大会が終わってからだと思っていなければ、私も危なかったかもしれない。何が非力だ、嘘つきと内心で呟く。彼女が非力なら一体誰が力を持っていると言えるのだろうか。後輩を気遣い、幹部と渡り合い、そして何より私をずっと守ってくれていた。

 

「じゃあ、演奏に戻る……前にちょっと違う曲をやらない? 何か、好きな曲を。このメンバーで演奏できるのは、あと少ししかないから」

 

 大会の自由曲でも課題曲でもないメロディーが音楽室の中に満ちていた。剣呑さも真面目さも無い、楽し気な音色。その音を奏でながら、私たちはきっと同じことを考えている。勝たなくてはいけない。自分のために、これまでの先輩の夢のために。そして、私たちを信じ続けてくれたこの人のために。不思議と負ける未来はちっとも見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全国大会まであと二日。明日はバスで名古屋に移動して、前泊する。兄さんたちはそれぞれの手段でやって来ることにしていた。兄さんと希美先輩は、優子先輩たちを拾って深夜に車で移動する。なので、兄さんは夕食を食べないでさっさと寝てしまうそうだ。純一さんは新幹線で移動して前泊。兄さんに頼んで手配してもらった手配した諸々も上手く進んでいると聞いている。随分苦労したと言われたので、平身低頭で感謝するしかない。

 

 私も早く帰って英気を養いたい。事実上の最終日である今日くらいはいつものような練習ではなく最後の確認という意味合いでの練習をして、各々備えて欲しいという伝達を受けている。

 

 いつもよりも大分早い時間の下校。普段は見えている星空も今は見えず、赤々と照る夕陽が街を包んでいる。こういう時、他の部員はどうするのだろうか。普段通りに自主練をしてから帰るというのが高坂先輩や秋子先輩のようなストイック勢。寝る、という人もいる。逆にほどほどで遊ぶという人もいる。神社に行くという人もいた。神頼みなんて普段はしないし、神様なんてあんまり信じてはいない。けれど、折角神社の子が後輩にいるのだからと、五月以来久しぶりに義井さんの実家の神社を訪れた。

 

「涼音先輩!?」

「そんなに大きな声を出さなくても良いじゃありませんか。私だって神社くらい来ますよ」

 

 義井さんはいつも通り? なのであろう巫女服を着ている。制服と巫女服が平常装備なのは、中々彼女らしい。いつもの仲良し四人組で今日も過ごしているようだ。流石に今日は残りの三人は制服のままだけれど。ここは確かに子供が集まるには丁度良い場所だろう。昔からこうやって集まっていたのかもしれない。

 

「どうですか、釜屋さん。緊張していますか?」

「そりゃ緊張しますって。緊張してない方がおかしいですよ」

「川島先輩はいつも緊張されている様子はないですけれど」

「あれは緑先輩がちょっと凄いだけですって」

「確かに、それもそうですね」

 

 言葉とは裏腹にその表情はまだ余裕が見える。緊張していないわけではないだろうけれど、それでもガチガチという感じではない。本番に強いタイプなのだろう。良い傾向だった。

 

「上石さんと針谷さんの方がむしろ緊張していそうですね」

「だって……」

「全国大会、なんて一生縁がないと思ってましたから」

「いざ目の前にすると緊張する、という事ですね。気持ちはわかります。私も昔はそうでしたし、今もあまり変わってはいません。やるべき事をやるだけだと理解はしているのですが、心臓の鼓動は少し早くなっていますから」

 

 ちょっと意外だ、という目をされた。でも、同時に安心したという顔にもなっている。ここで必要なのは共感。全国大会という未知の存在に対して、演奏メンバーでなくても初めて触れたら緊張するに決まってる。逆に、それに対応できた秋子先輩たちがおかしいだけだ。私だって、思い返せば中学時代には緊張があった。行けるとは思ってなかった舞台に立てたのだから。

 

「舞台袖はある意味で特等席です。しかし、ずっとそこに座っているわけにはいきませんね。来年はあそこに座るんだ。あの舞台に立つんだ。そういうつもりで聞いていてください。そう思わせる演奏を、我々演奏組がしてみせますから」

「「はいっ!」」

  

 いい笑顔だ。こういう顔が見られたのなら、この一年間にも意味があったように思う。辛いことも苦しいこともあるけれど、それでも最後にはちゃんとみんなが笑っている。それが、意味のある部活なのだろう。選ぶ道が正解ばかりとは限らないし、選び取った選択肢が正しいとも限らない。けれど不正解は、決して無意味というわけではない。

 

「ここは大海人皇子や坂上田村麻呂が戦勝祈願を行ったとか。勝利を願う我々にはピッタリですね」

「涼音先輩、ご存知だったんですね」

「それはまぁ、地元の神社ですから」

「前に神様は信じないって仰ってたので、てっきり……」

「あまり信じてはいませんし、神に祈るくらいならその時間を別の事に回すべきだ、と思っていました。今でもあまり信じてはいません。ですが、最近思うようになりました。もう後悔は無いと言えるほどやり切った後ならば、祈るのも悪くないのだと」

 

 私は賽銭箱にお金を入れて、柏手を打つ。願うのはただ一つ、我々の演奏になに一つの瑕疵など無く、その末に最も良い結末を手に入れる事のみ。多くの先輩たちが、そして自分たちが積み重ねてきた選択の末に待っている物が、幸福なモノであることを祈った。努力なんてみんなしてる。

 

 全国大会に来るような学校に、努力してない学校なんてないだろう。そんな事は理解している。でも金賞が欲しい。それは上を目指して歩き始めたからこそ出て来る願いなのかもしれない。静かに目を開けた。隣では、同じように義井さんが手を合わせている。残りの三人はいつも通りの、敢えてそうしているのだろう調子で話していた。

 

「また、名古屋ですね」

「はい。三回目です」

「金、銅、そして今回はまだ分からない。あなたにとっては、この順番ですか。私も金、銀と来て次は何になるのか……。でも、戻ってきましたね。一年かけて、あの場所へ」

「はい。今度こそ、今度こそもう一度、あの色を……と思ってしまいます」

「私も同じです。去年までの先輩方の想い、演奏しないメンバーの想い。そして、兄さんの想い。そういう多くのモノが私たちにはのしかかっていますから、余計に」

「苦しいですね」

「苦しいです。でも、やめたいですか?」

 

 彼女は真っ直ぐに拝殿を見ながら首を横に振った。

 

「やめたくないです」

「なら、それで良いのでしょう」

「先輩」

「はい」

「中学の時の全国大会、覚えてますか」

「それはもちろん。忘れる方が難しいですから」

「あの時、自分を信じろ、私の信じた自分を信じろと言ってくれて、あれが力になっていました。私を信じて、最後までついてきなさいっていう言葉に動かされてここまで来ちゃいました。何回出ても慣れないモノは慣れないので、手が震えてるんですけど、それでも誰かが自分を信じてくれてるって思うと、不思議と震えなくなるんです。先輩、まだ私を信じてくれていますか?」

 

 私を信じてついてこい。私は確かにそう言った。言葉とは不思議なモノだ。母親のエピソードを真似して、その力にあやかりたくて、そう言った。それが誰かの助けになっている。彼女の、頑張れる動機になっている。

 

 彼女の手を取った。肌寒さを覚える外気の中で、彼女の手は冷たくなっている。それでも芯の中には温かさがあるように思えた。彼女も激戦区のクラリネットの中で戦ってきた。そこには色々な苦労があったと思う。けれど彼女は苦労によって弱くなるのではなく、強くなってきた。

 

 苦労することが美徳などと言うつもりは無いけれど、それでも彼女にとって意味のある事だったのだとは思う。沙は汀やいさごという意味。理は(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味している。汀の砂は、磨かれて美しくなる。名前通りに彼女は成長していた。

 

「信じていますよ。あなたが、誰にも負けない努力をして、その椅子に座り、そしてスポットライトを浴びて、燦燦と輝くという未来を。ですから、共に行きましょう。あの日、歓喜の渦の中に包まれた、あの場所へもう一度」

「はいっ!」

 

 私たちにとっては、いずれも中高合わせて三回目の全国大会。その全てが栄冠の下にあったわけではない。だからこそ、今度こそもう一度あの栄冠を。そう信じて駆け抜けてきた。もう四十八時間後には結果が出ている。それくらいまでに近付いてきた。もうすぐ、後ほんの少しだ。本当に僅かなその時間を経た後に

 

――私たちの全国がもう一度始まる。




次回、今章完結
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