全国大会が無事大団円と言える形で終了した翌週の土曜日の昼下がり。この日は珍しく部活が休みだった。景色はすっかり秋を過ぎ冬になりつつある。大会で演奏してからまだ一週間ほどしか経っていないのに、まるで何ヶ月も前の出来事のように感じている自分がいた。あの時の景色は、全部夢だったのかもしれないとすら感じられる。けれど、準備室にある集合写真に写る大きなトロフィーが、金賞という結果を現実のものだと教えていた。
ファミリーレストランという場所は、私の人生においてあまり縁のない場所だった。揚羽と共に訪れたのが、多分人生で最初の経験だったと思う。高校に入ってからは何回か、それでも指の数で足りてしまうくらいの回数しか訪れていない。
隣に座っている剣崎さんは、不安を隠すように透明なグラスを指でなぞっている。ドリンクバーというのは結構面白いけれど、ミックスさせるという行為には中々慣れない。オレンジジュースとグレープフルーツジュースを混ぜるという発想は、私の頭の中からは出てこないものだった。私の目の前には、その剣崎さんが作ったアイスティーとオレンジジュースが混ざった飲み物が置かれている。これはこれでアリだと思える味だった。
剣崎さんと私と、そして久石さん。奇妙なこの三人の組み合わせが、一堂に会している。前からそういう機会が無かったわけではないが、それでも決してすごく多いわけではない。けれど今日は特別に集まっている。すなわち、先輩たちからの呼び出しを受けての事だった。視線を上げれば、眼前の席に幹部役職の先輩たちが三人座っている。中央に久美子先輩、私から見て左に高坂先輩、右に塚本先輩だ。
用事は、私たち二年生の三人組全員が理解している。我々三人が、次の幹部になるという事だ。
「ごめんね、休みなのに呼び出しちゃって」
私服姿の久美子先輩が僅かに背中を丸める。普段とは違い、今日は一つ結びに髪を束ねている。隣にいる彼氏……なのだろうか? が原因かなぁなどと、少々呑気な感想を抱いていた。高坂先輩はコーヒーを喫している。半面塚本先輩は居心地が悪そうだ。女子五人に男子一人。これは中々居づらいのかもしれない。兄さんは慣れていたけれど、そこは性格とか経験の問題だろう。
「いえー全然大丈夫ですー。むしろ先輩たちに会えてうれしいですー」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。三人とも、今忙しいでしょう?」
「ふふふ。先輩たちの引退式の準備がありますからね」
久石さんの言う通り、間もなく引退式だ。既に受験勉強に追われる一部の三年生は部活に来ていない。二十数名の三年生が抜けたことで、一気に音楽室は広くなった。同時に、音質も音量も大きく目に見えて低下している。最強世代の引退に伴う実力の低下は、北宇治においてこれから解決するべき大きな問題として横たわっていた。
沙里先輩たちもいなくなり、フルートパートの面々も、もちろん私も寂しさを抱えながら日々を送っている。その感傷を飲み込むように、私は紅茶を口にした。袴の袖がひらりと揺れる。久美子先輩は珍しいものを見るような目で、私の姿を見ていた。
「涼音ちゃんは、袴なんだね」
「はい。普段着に和服も選択肢に入れる派なので」
「遊びに行くときも、六対四くらいの割合で和服だよねー」
「昔からこんな感じですので。それに、他の町ならまだしも京都なら、それなりに違和感なく溶け込めますので」
揚羽と付き合うようになってから着る機会が増えた気がする。園崎呉服店は売上が出て嬉しい、私もデート用の服があって嬉しいとどちらもハッピーな状態だった。
「女性陣お二人も、成人式にどうですか? 高坂先輩も海外に行かれるなら、和服は持っておいて損はないと思います。園崎呉服店、私がいると良いもの出してくれるかもしれないですので、是非ご検討を」
友人のためにセールスをしておいた。実際のところ、老舗は一見さんには紹介しない商品が裏にあったりする。久美子先輩はともかく、高坂先輩はそれなりに値が張ってもいいものを手に入れた方が大学生活やその先で役立つだろう。
「成人式なんて、随分先だけどねぇ」
「そうでもないでしょ、後二年なんだし」
「そう考えると短い……のかなぁ」
久美子先輩はまだ見ぬ遠い未来に想いを馳せているようだった。成人なんて、まだ私には想像がつかない。20歳になった自分が何をしているのかなんて、分からなかった。兄さんと希美先輩が来年成人するというのも、どこか信じられない。こちらはもう既に大人じゃないの? と思ってしまう機会が多いからなのだけれど。
「とはいえまだ先の話なのは事実ね。それよりも、もっと近い将来の話をしないと」
「次期役職の話、という事ですね?」
私の問いに、高坂先輩は淡々と頷いた。剣崎さんはごくりと喉を鳴らしている。久石さんは余裕そうに見えるけれど、それでも少し緊張しているような感じがあった。無理もない話だと思う。私がドラムメジャーなのは既定路線なので、必然的に二人には部長か副部長のどちらかの役職が回ってくる。これまでの部長・副部長の姿を見ていた二人からすれば、その重責は計り知れないものがあるだろう。
部内でも関心の的になっている。フルートパートでもそういう話は出ていたし、さやかさんとも話をしたことがある。パートリーダーを誰にするのかはパート内で決めればいいのだが、全体を統括する役職となるとそう簡単には決められない。
中学時代は部員からの推薦制に先代からの指名が加えられる形だった。各パートでこの人が幹部になったら良いんじゃないかという人を一人選んで出し、その中から先代幹部が選ぶ方式だった。とは言え、実際はほぼ既定路線があり、パートから選出されるのも、幹部が選ぶのもその路線に沿った流れになっている。私はその流れの中で選ばれた。先代幹部から聞いた話によれば、全パートから私の名前が部長という役職まで指定して出されたという。
この部活は先代からの指名制オンリーになっている。先代の優子先輩たちもそうだったし、目の前にいる幹部三人もその優子先輩たちから指名されている。ドラムメジャーだけは少々特殊で、高坂先輩から私という流れで、しかも一年前に選出される形式が取られていた。元々兄さんの後釜として作られた役職だけあって、少し特殊な立場になっている。
選挙は色々と面倒なので、指名制度はその辺を考えずに済むのは楽だ。ただし、先代の考える幹部候補が必ずしもその地位を望んでいるとは限らない。その場合、説得するなりなんなりしないといけないのが難点だろう。
「ある程度は知ってると思うけど、私たちが一年生の時は部長と副部長だけ、去年は部長と副部長を中心にしつつ五人組でやってたよね。今年は桜地先輩の後継としてドラムメジャーが作られて、二年生の間から経験をっていうことで涼音ちゃんには麗奈の補佐をしてもらってた。来年どういう風に運営するのかは任せるけど、部長・副部長・ドラムメジャーの三役を中心にするのは負担的にも良いと思うから、出来れば続けてほしい」
久美子先輩も随分緊張しているようで、話しながらカーディガンの袖をしきりに触っている。
「誰に任せるのかは凄く悩んだんだけど、最終的にこの三人が適任かなって思って今日は呼び出したんだ」
「さすがは久美子先輩。人を見る目がおありで」
久石さんが目を細めている。久美子先輩には適当にあしらわれているけれど、これがユーフォニアムパートなりのコミュニケーションなのかもしれない。どちらが部長になるのか。それは非常に重大な問題だ。私にだって、今後一年間支える相手が誰なのかは活動方針を左右することに繋がるため無関係などではない。私の感覚が正しいのであれば、大体予想は付いていた。
「それでなんだけど、次の部長は梨々花ちゃんにお願いしようと思ってて」
「へっ?」
当人には予想外の言葉だったのか、剣崎さんはグラスの中身をかき混ぜていたストローを落としそうになっていた。カラン、と氷が大きく音を立てる。目を白黒させている姿は、非常に珍しいながらも彼女が動揺していることを示していた。ワタワタしている様子には、狼狽えているという言葉がぴったりと当てはまっている。
「わ、わわ私ですか?」
「ダメかな?」
「ダメっていうか、なんで私なんだーって感じで……。私、てっきり副部長を任されると思ってたんですけど、奏が部長の方がよくないですか? それか、今からでも涼音ちゃんを部長にした方が」
「あらあら。せっかくのご指名を袖にするなんて勿体ないですよ、新部長さん」
久石さんの揶揄うような声に対し、普段なら軽く返しているけれど、まったくそうする様子は見えない。オロオロしている、とまではいかずとも困惑しているのがダイレクトに伝わって来た。こんなに余裕がない中で久石さんに同調する気になど、流石になれない。
ちらりと久美子先輩の視線がこちらに向く。助け舟を出してくれ、という意味だと理解した。同時に私がどう思うかも気にしているのだろう。久美子先輩にとって、もっと言えば今の幹部を含めた三年生にとって尊敬するべき桜地凛音の妹兼後継者である私。そして、元南中吹奏楽部部長としての私。両方の視点から、この判断が妥当かどうかを気にしているのだろう。この問いへの答えは一つだった。紅茶を一口飲んでから、私も口を開く。
「私も妥当な選択だと思います」
「えぇー! 涼音ちゃん、なんでそう思うの? 今までこんなリーダーとかやったことないし……」
「経験がない、という点なら久美子先輩だってそうだと思います。ですから、経験の有無は問題ではないです。木管の部長と金管の副部長でバランスが取れ、かつ技術もあり、人格的に問題なく、話しやすい相手であり、他者を気遣える優しさもある。中々心を開いてくださらないみぞれ先輩を攻略した実績、今年一年新入生指導をした下積み経験。そう言った要素は部長として任命されるのに十分なものと言えるでしょう。それと」
「それと?」
「私の勘が妥当と告げています」
「えぇ……?」
「桜地家の勘はそれなりにあたりますよ。特に人を見る目に関しては。そうやって何年もやってきましたからね。私とて、人を見る目はあるつもりです」
商人が人を見る目が無いとどうしようもない。逆に言えば、人を見る目があればそれに全財産をつぎ込むこともできる。奇貨居くべし、とは呂不韋の言葉だが、彼も元商人だった。適材適所、という部分に関しては私も兄さんもそれなりに見る目があると自負している。兄さんが最終的に久美子先輩を部長にすることに合意したのも、結果論としてみれば非常に良い形に収まった。他の人事も大体上手くいっている。
「私は支持しますよ、剣崎部長を」
「涼音ちゃん……」
「まぁそんなに嫌だって言うのなら、私が代わってあげるけど? これからは奏部長って呼ぶ?」
「いや、向いていないと思いますよ。あなたは特に」
「失礼ですねぇ。私に部長は無理だと?」
「というより、あなたの才能が輝くのはそこではないと思います。あなたは裏方で動き回っている縁の下の力持ちの方が、きっと上手くいく。剣崎部長を支えるなら、あなたしかいません。それを理解しているからこその人事なのでしょうし」
でしょう? という意味を込めて久美子先輩に視線を送ると、彼女はそれを理解したのか大きく頷いた。
「奏ちゃんには梨々花ちゃんを支えてあげて欲しい。部長って言うのは、凄く孤独な時もあるから、そういう時に支えてあげられるのはここにいる二人だけかなって、私はそう思ってる。梨々花ちゃんに近しい奏ちゃんと、部長の孤独とか痛みを知ってる涼音ちゃん。この二人が両輪になってくれれば、梨々花ちゃんの体制はきっと上手くいくと思う」
「久美子先輩がそこまで仰ってくださるのならば、聞いて差し上げましょう。私、とっても可愛い後輩なので」
塚本先輩が気圧されている。普通の反応だろう。ガン無視できる兄さんがちょっと変なだけで。そういう部分があるから、久石さんは兄さんが少し苦手なのかもしれない。尊敬はしているらしいのだけれど。
「私も異論はありません。この身に懸けて精一杯、剣崎部長のために粉骨砕身する所存です」
「そ、そう言われてもなぁ……」
「新部長、頑張って」
なんとも頼りにならない激励を高坂先輩が放っている。
「大変だと思うけど、困ったら久美子に相談したらいいし」
「うわ彼氏面……」
「いやいや、どこがだよ」
「しかも無自覚」
「普通の助言してただけだろ」
高坂先輩と塚本先輩が言い合っているのを、久美子先輩がなだめている。これもある意味いつもの光景だった。いつでもどこでも仲良しこよし、というのが幹部ではない。時にはぶつかることだってある。今年だってそうだったし、去年だって兄さんと優子先輩の間に意見の対立が生まれることだってあった。それでも同じ方向に進めたのは、目標が同じだったからだろう。そして、信頼関係が存在していたからだ。そんな風になれるのか、少しだけ不安はある。多分それを一番感じているのは剣崎さんだった。
「梨々花ちゃんなら上手くやれるよ」
久美子先輩が静かに言う。相変わらず、この人は必要な時に必要なことを言うのが上手い。それは天性の才能なのか、或いは誰かを真似たのか。それでも今大事なのは、それが剣崎さんに響いているかどうかだ。
「一年生指導係の仕事もバッチリだったし。この前の打ち上げで、こっそり相談したら桜地先輩もゴーサインを出してくれた。事情を知っている人はみんな、梨々花ちゃんが良いと思ってる」
少しの間、剣崎さんは迷いを見せた。そして、数瞬だけ下を向く。勢いよく顔を上げた時、迷いの色はもうなかった。
「うー、分かりました。ここまで来たら私、覚悟を決めます」
ジュースを一気に飲み干す。先ほどまで無かった光のようなものが、彼女の瞳の中に灯っているのが見えた。この光があることが部長の条件なのだとしたら、確かに彼女は相応しい。やはり、私の見立ては間違っていなかった。高揚に滾る自分を抑えるように彼女は大きく深呼吸をして、まっすぐ前を見据える。
「私、剣崎梨々花……北宇治高校吹奏楽部部長をお引き受けします!」
久美子先輩が右手を差し出す。迷いなく、剣崎さんはその手を取った。
「感動の瞬間ですね」
茶化すように言う久石さんの顔には優しい笑みがある。私は静かに手を叩いた。剣崎さんは優しいだけの人ではない。決して単純な人ではなく、むしろしたたかさを持っている。それでも多くと友好的に接することが出来るのは、間違いなく彼女の美徳であり、優しさでもあった。それに、そういう人間でなければみぞれ先輩は心を開かない。
これから剣崎部長がどういう部の運営を行っていくのかは想像が難しいところもある。きっと、今年以上に困難な事もあるのだろう。随分と支え甲斐はありそうだ。それに、担ぐ神輿が彼女ならば悪い気分ではない。彼女を全国大会の表彰台に立たせ、金賞の賞状を持たせる。それがこれからの一年をかけて私がするべきことになった。
初冬の空はまだ秋の香りを残している。真っ青に晴れ渡った蒼穹のように明るい未来が待っている事を願った。
久美子先輩たちは先に三人で帰っていった。三人分の代金は私が預かっている。グループ企業の経営するファミリーレストランなので、割引がきくため私が支払い関連の担当だった。
「改めまして、これから三人でこの部活を運営していくことになったわけですが……先に大事な話をしておいた方がいいかと思いまして。私が抱いている感覚と、お二人の感覚が違うと後々困ってしまいそうですから」
先ほどまで三年生が座っていた場所に私が座り、二人に相対している。
「感覚?」
「懸念、と言い換えてもいいかもしれません。いずれにしても、今後の運営で必ず重要になってくる部分です。それは何かといえば、今の二年生が多いという問題ですね」
言いたいことは大体伝わったらしい。剣崎さんは眉をひそめているし、久石さんはそれか、と言わんばかりの顔でため息を吐いた。
「今の二年生だけで四十人以上。一年生を加えればそれだけで六十人以上います。今年の三年生は幸いにして全員大会に出場することが出来ました。それ故に、禍根はあれでも最小限だったと思います。久美子先輩と真由先輩、高坂先輩と秋子先輩。この軸だけを気にしていればよかったのですからね。しかし、来年はそうはいかない可能性が高い。この危機感を認識している人もいれば、していない人もいます。どちらにしても、この話はいずれどこかでしないといけないでしょう。ですから先んじてお二人には、という意図です」
理論上はもちろん不可能ではない。五十五人の大会メンバーのうち四十人強ならば全員出場だって可能だ。しかし、それが現実的かと言われると話は変わる。一年生にだって有望株は何人もいる。義井さんを筆頭に、今年の大会メンバーに食い込んでいる子たちもいる。来年はもっと多くの一年生が実力を伸ばしオーディションに挑むだろう。
もしオーディション三回制を続けるならば、関西大会や全国大会の頃には三年生を追い抜かす子がいてもおかしくはない。それに、高坂先輩やみぞれ先輩のような才人が新一年生にいない保証などどこにもないのだ。三年連続の全国出場、そして今年の金賞。それにより北宇治は京都吹奏楽界では押しも押されぬ強豪の名を手に入れた。我こそは、と思う生徒はここへやって来るだろう。
「まぁ、分かってはいましたけど、いざ言葉にされると中々苦しいものがありますね」
「久石さんにもそんなものがあるんですね」
「ありますよ。私を何だと思ってるんですか?」
「……ぶりっ子?」
「表に出ましょう、お嬢様。あなたとはここで一回白黒つけないといけないようですから」
少し暗い顔になっていた久石さんだが、私に煽られたためか青筋を浮かべていつも通りの慇懃無礼な笑みに戻っている。狙い通りの反応をしてくれて助かった。剣崎さんはいつもの事なので特段気にせず聞き流している。
「二人のじゃれ合いはともかく、考えないといけないよねー。新一年生はどうなるかなぁ。捕らぬ狸の、とは言うけど気にはなるし。涼音ちゃんとこの子たちはどう?」
「南中ですか? 新一年生、という事は……あぁ、あの世代ですね……。問題児が多い世代です。腕は保証しますが。多少揉まれて丸くなっていることを期待しているんですが、まだ分かりませんね。何人が北宇治に来るのかも情報が揃っていないので。多くても十人はいないと思いますが」
中々に尖った子が多い世代だった。私の言う事はきいていたので、決して悪い子たちではないはずなのだけど、剣崎さんや久石さんに従ってくれるかはまだ分からない。彼女たちならば、生半可な部員にいう事を聞かせられる技量はあると思う。ただ、はっきりとしたことは言えないのが現状だった。
現在の私は、望む望まないに拘わらず最大派閥の統領になってしまった。トロンボーン・ホルン・低音・クラリネットは南中出身者がパートリーダーだし、フルートは私の地盤、トランペットもパートリーダーのさやかさんは私との関係性が深い。特に南中出身者は私の大きな地盤であり、問題になる可能性を秘めていた。今の一二年生は問題なくても、来年の新一年生がどうかは分からない。
「それでも確実に五人くらいは全国級の腕の子がいるってことは変わらないなー。ホントは良いことなんだけどね、上手い子がたくさん来てくれるのは。うーん、どうしよう」
「道は二つしかないんじゃない? 三年生は全員大会に出られるように今から鍛えていくか、例年通りにして完全に実力次第にするか」
「何もしないってのもよくないとは思うし、最強世代抜けちゃったから、来年も金を取るなら絶対に何か鍛えていかないといけないとは思う」
剣崎さんの危機感は正しかった。最強世代はもういない。下支えにおいて無敵だったユーフォのコンビも、ド派手に全国を席巻したトランペットのライバル組も、アンコンで全国を勝ち取ったクラリネット班も、みんなみんないなくなってしまった。正確無比な演奏を叩き出していたパーカス組、息の合った演奏は他の追随を許さないフルート組も、もういない。いなくなって本当の意味での喪失感を味わわされている。
特に久美子先輩と真由先輩、そして高坂先輩と秋子先輩。このダブルコンビや川島先輩など超高校級の奏者の喪失は痛すぎる。兄さんに三年間鍛えられた精鋭集団は、まぎれもなく日本で一番上手い高校生の集まりだった。清良にも龍聖にも勝っていると自負できるくらいには素晴らしい技術と経験を持っている。それがいなくなった今、今年と同じ結果を得たいのならば、並大抵の苦労では難しいだろう。
「策は……無いわけではないです。採用するかはともかく」
「具体的には?」
「来年の課題曲は既に発表されています。自由曲を決めるのも、別に不可能ではない。つまり、現段階で先んじて両曲を決定し、既存の部員で来年への練習を始めてしまうという案です。無論、オーディションは来年度になってから行いますが、それならば三年生に時間的猶予が与えられる。その間に何とかして三年生全員が出場できるように鍛える。これも一つの方法ではあると思います」
「「……」」
剣崎さんと久石さんは沈黙した。別に間違いではないと思う。ただ、それで良いのかという想いもある。吹奏楽部は大会で金賞を取ることだけが目標ではない。この策では金賞を取ることだけに注力した部活になってしまうだろう。ただ、全体の平穏を優先するのならば、それもやむ無しではあるとも思う。どうするのかは、新部長の方針次第だ。
「ごめんね、涼音ちゃん。折角の提案だけど、それは受け入れたくない」
「理由をお聞きしても?」
「確かにその提案なら、三年生は全員大会に出られるかもしれないけど……でも新しく入ってくる一年生が絶対に不利になっちゃう。技術とか経験の差とかは仕方ないけど、でもこれは私たちが作った不公平だから……。せめて、スタートラインだけは同じにしたいかな」
「私も梨々花の意見に賛成ですね。金賞を獲るだけが部活ではないと、あなたが一番そう思っているはずでは?」
「分かりました。あくまでもこういう案もあるというだけです。私自身、提案しておいてなんですがあまり気乗りはしない案でしたし」
二人が拒否するだろうとは、なんとなく思っていた。私が思っていた通りの二人であったことが、少し嬉しい。ここでそれが一番だと安易に飛びつくような人でないことは、私にとって幸運なことだろう。周りに恵まれている。それは、高校に入ってから実感することだった。そして、今もそれを実感している。
「他に何かありますか? ドラムメジャーとして」
「そうですね……。ソロコンとアンコン、そして定演は既定路線です。これは去年もやっていましたし、今年何か新しく追加するとなると中々……いや、待ってくださいね。イベントなら一つ、大きなものを入れられるかもしれません」
「当てがあるの?」
「はい。アクアラークってご存知ですか?」
「えっとーなんだっけ、CMでよく見かけるやつ~?」
「沖縄県に出来るやつでしたっけ。桜地観光の経営で」
「それです。その開園が三月に予定されていますが、開園に際しセレモニーやパレードなどを企画しています。場合によっては、そこに私たちをねじ込めるかもしれません。向こうとしてもプロを呼ぶよりは安上がりで済みますし。来賓も、一般のお客さんも多くいらっしゃいます。非常にフォーマルな場ですし、緊張感を持って演奏出来るという意味では良いと思います」
兄さんもそういう感じの話をしていた。どこかの高校に依頼する予定だと話していたし、当然母校である北宇治も選択肢に入っているのだろう。全国金の強豪校なら問題ないはずだ。今から頼めば、兄さんも許可してくれると思う。そうすれば後は兄さんから現場に話が下りていく。この前高坂先輩と秋子先輩の審査をしてくれるようお願いしたばかりなので気が引けるが、この際そんなことは言っていられない。
「いいね~、楽しそうだし」
「演奏の機会が増えることは、一二年の大会に出てないメンバーにもいい経験になるだろうし」
二人は乗り気のようだった。ちょうど先輩たちの卒業旅行か何かと被せることが出来れば、サプライズプレゼントも行える。秋子先輩や真由先輩たちも喜んでくれると嬉しいし、私の趣味は旅行なので、これを機に沖縄に行けるのは楽しみだった。
「では、こちらは前向きに検討する方向で。後は何かあるとすれば……指導者を増やして、実力アップを図るとかでしょうか。私一人では見切れないですし、三木さんにいきなりやらせるのは酷です。ただ、今年に限っては比較的暇な実力者が一名いらっしゃいますので、その方に卒業まで臨時で来ていただくというのもアリかと」
「そんな人いたっけ?」
「高坂先輩ですよ」
「「あー」」
疑問符を浮かべていた二人だったが、納得したという顔になる。高坂先輩の音大受験は来年の六月頃。入学は九月だ。卒業したらヨーロッパに来なさいとこの前兄さんに言われていたけれど、逆に言えばそれまではしばらく日本にいる。一般の大学受験はしないので、受験勉強も他の三年生と違いあまりない。強いて言えば言語面の勉強だろう。
間もなく行われるウィーンの世界大会を兄さんの関係者枠で観覧しなさいと言われていたため、今度渡欧するとは聞いているけれど、何もない十二月や一月なんかは空いているはずだ。金管において実力がぴか一であることは間違いない。そんな高坂先輩が金管の指導を見てくれるのなら、私は木管に専念できる。パーカスは……橋本先生に頼めないかを滝先生に打診しよう。
「逆に涼音ちゃんは良いの?」
「私がむしろお願いしたいくらいです。何しろ、彼女は兄さんの認めた教え子ですから。もしそれで構わないなら、先生には相談したうえで高坂先輩とは私が交渉しますが」
「梨々花、どうする?」
「うーん。OGに頼っちゃうってのはあるけど……でも桜地先輩も限界までいてくれたし……。分かった。涼音ちゃんの判断を信じる!」
「ありがとうございます」
梨々花がそれでいいなら構わない、と久石さんも同意してくれた。多分高坂先輩も断らないだろう。滝先生に来年も栄光を、と言えば頷いてくれるはずだ。兄さんが難色を示すかもしれないけれど、高坂先輩の指導経験を受け継ぎたいと言えば大丈夫のはず。それに、元々兄さんは今の世代で決めるべきと思っている人だ。滅多なことが無い限り介入はしない。
「何とか希望が見えてきたねー」
「はい、パートリーダー会議の前にある程度指針は立てないですし。後、剣崎さんは毎年恒例のどんな部活にしたいか、という所信表明をしないといけないらしいので、考えておいた方がいいですね」
「了解でーす。それでー、私からも提案なんだけど」
「はい」
「これから私たち三人が幹部でやっていくんだし、もっと親睦を深めないといけないと思うんだよ~。だから、涼音ちゃんは剣崎さんとか堅苦しいのはやめて、梨々花と奏って呼ぶのはどうかなーって。丁寧語なのは涼音ちゃんのキャラだからそれで良いと思うけど、名字だとちょっと距離感あるみたいだし。ね、奏?」
「私は別に……」
「えー、そんなこと言ってちょっと寂しいくせに~」
「寂しくない!」
久石さんが剣崎さんに揶揄われている展開は結構レアだった。名前で呼ぶ、というのは確かにあまりしていない。幹部がそれでは些か距離があるように見えてしまう。幹部の間でホウレンソウが上手くできていないとか、方針や意見に食い違いがあるとか、それを話し合えないとかの関係性は問題の温床になる。呼び方ひとつでも距離感を変えられるなら、するべきだと私も思った。
呼び捨てなのは揚羽だけ。名前にさんを付けているのはフルート組や将来の義妹になる予定のさやかさんくらいだ。呼び捨てを揚羽以外にするのは結構ハードルが高い。今はまず、さん付けで行こう。
「分かりました、梨々花さんと……奏さん」
「なんで私の時だけ間があるんですか?」
「気のせいでは?」
「誤魔化せてないですよ、箱入り娘さん」
「自意識過剰ですよ、腹黒娘さん」
「うーん、まぁここはこれでいいかぁ」
剣崎さん……梨々花さんはにこやかに言葉の応酬をする私たちを見て、これはこれでいいやとなっている。彼女は我々の関係性に関してだけは結構ぞんざいだ。優子先輩と夏紀先輩を相手にする希美先輩みたいになっている。もしかして、あんなふうに見えているのだろうか。そうだとしたら、真剣に私の態度を見直さないといけないかもしれない。それでも、こんな風に言い合える関係性があるというのも、人生において初めてだった。だから、感謝はしているのだ。言わないけれど。
いつの日か揚羽のように呼び捨てに出来る日が来るのだろうか。そういえば、彼女は軽音部。折角音楽系の部活同士なのだから交流するのも悪くないかもしれない。
「まぁ取り敢えず! 今日から2018年度北宇治高校吹奏楽部幹部がスタートしまーす。頑張りまっしょー!!」
「「オー」」
梨々花さんの声に応えるように、私たちも拳を天に突き上げる。これから多くの問題が私たちの前にやってくるだろうし、私たちの関係性も平穏無事ではないかもしれない。それでもこれまでの全ての想いを背負っているというのは同じだ。それならば、向いている方向と背負っているモノが同じならば、きっと大丈夫。
楽観的過ぎるのかもしれない。でも、この楽観を今は信じてみたかった。
今年もご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。三年生編を完結させられたことは、私にとっても非常に大きな区切りとなりました。2020年から連載を始め、一度の大幅リメイクを挟んでのこの年でしたが、皆様のご期待に沿える作品を描けていたのならば幸いです。
さて、来年もユーフォはまだまだ終わりません。劇場版も控えていますし、演奏会もあります。そういう部分で栄養素を摂取しながら、今後もこの物語を紡いでいこうと思います。既に自由曲は決定し、課題曲の選定を行っています。また、新一年生たち(全員オリキャラ)の設定も完成していますので、お楽しみにしてくださればと思います!
では、2025年もありがとうございました。2026年も引き続きよろしくお願いいたします!