音を愛す君へ   作:tanuu

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第XLⅤ音 繋ぐ

 兄さんはとうの昔に慌ただしく欧州へと帰還し、私たちの家はまた三人だけになった。炊事担当の希美先輩、洗濯と庭担当の雫さん、そして掃除担当の私で家事を分担しながら日々暮らしている。この家は無駄に広いので、そうやって分業していないと回っていかない。その中で誰が一番大変かと言えば、まず間違いなく炊事担当の希美先輩だった。

 

 毎日朝昼晩の三食を作ってくれている。朝は部活で早いし、昼はお弁当だし、夜は遅くなることもある。それでも欠かさず毎日やってもらっていることには凄く感謝していた。元々親元から少し離れた暮らしをしてみたい、という思いを持っていた希美先輩を兄さんが誘った形ではあるけれど、誘った本人がいないため、実質ただのシェアハウスみたいな状態だった。

 

 私と雫さんはここ以外に住むところが無いけれど、希美先輩は本人の希望とは言え別にここに住む必要性はない。なので、家事をしてくれている事には感謝しかなかった。そういう背景もあったため、今年の大会はより一層負けられない戦いだったのだ。結果は全国大会金賞。これまで応援して支援してくれたことに対して、多少は恩返しになったと思える結果を持ち帰れた。

 

 今日も今日とて家に帰れば美味しそうな匂いがする。先ほどまでファミレスで新幹部の話し合いを行っていたため、少し疲れた。今後新しくなる部活をどう運営していくのか。それは大きな命題でもある。先代との比較は当然受けるだろう。先代よりもより良い形で運営するにはどうしたらいいのか。その悩みは尽きない。

 

「お帰りー、もうすぐ出来るからね」

「ありがとうございます」

「新しい幹部、決まったのかな?」

「はい。新部長は梨々花さんで、副部長は奏……さんです」

「なんか後者の時だけ言いよどんだね? でもそっか、納得って感じの二人だね」

「それは私も思います」

 

 この二人のコンビは部内でも影響力があった。奏さんは情報を結構握っているし、梨々花さんもその穏やかで優しい人柄ゆえに慕う人が多い。一年生からの評判も上々だ。前者は関西大会前のオーディション以後、B編成組のリーダーもしてくれていた。真由先輩と久美子先輩がおかしいだけで、本来は彼女も十分A編成になれる腕前をしている。梨々花さんも新入生指導係として加藤先輩とのコンビで上手く一年生の心を掴んでいる。

 

 部長と副部長は、部内から支持されていることが大前提として必要になる。なにせ、部を統括するのだ。支持されてないと指示を聞いてもらえなかったり、まとまりを欠いてしまうこともある。トラブルの際に毅然とした態度で臨めない可能性も高い。そうならないためには、実務能力や演奏能力だけではない要素も求められる。ドラムメジャーとはまた違った素養が必要なのだ。

 

 その上でどういう統治をするのかは各自に任されている。梨々花さんはどちらかと言えば久美子先輩に近いだろうか。優子先輩のカリスマ型、久美子先輩の人心掌握型、いずれかと言えば間違いなく後者だと思う。私の南中時代はいずれにも該当しない。しいて言えば、前者だろうか。名前を付けるなら絶対王政型になるだろう。まず以て健全な部活動ではないと思うけれど。

 

「良いんじゃないかな、結構バランス取れてると思うし。涼音ちゃんがいるからちょうどいいかもね」

「そうですか?」

「うん。二人だけだと、厳しい事を言える子がいなくなっちゃう気がするから。どっちもいい子だけど、厳しく言える感じじゃないかなって。かといって厳しすぎるのも逆効果だけど……そこら辺のバランスは難しいからね。凛音は上手くやってたと思うよ、今見ても」

「はい。兄さんのバランス感覚はかなり並外れたものだったと思います」

 

 練習中の指示はかなり厳しい。けれど理不尽なことは言わないし、言っている内容も的確だった。それに全体練習中は厳しくても、パート練習や個人練習ではかなり優しく接している。こうしろああしろと言うだけではなく、それを達成するにはどうすればいいのかをちゃんと後でフォローしてくれる。そういう部分が、今の三年生から絶大な支持を得ている理由だと思う。

 

 なにせ、急に全国大会を本気で目指すことになってしまったのだ。マジかよと思った部員も多いだろう。先生はあの通りかなり厳しい。なので、求める水準に届かなくて苦戦していた部員も一定数いたはずだ。そこでちゃんと個別にフォローする兄さんの存在はかなりありがたかったと思う。自分が大会に出ないことがそういうフォローを行えた大きな要因だった。それでも兄さんの能力が高かったことは否定されない。秋子先輩もその一環で兄さんのことが好きになったのだと、前に言っていた。

 

「必要なことを言える存在、ダメなものはダメとか、今するべきことは何かとかそういう感じの事を言える存在ってかなり大事だと思うよ。久美子ちゃんは涼音ちゃんのそういう部分を評価してるんじゃないかな。涼音ちゃんがドラムメジャーは前提だけど、その前提に上手く組み合わせられる人材を選んだんだろうしね」

 

 流石、元部長経験者の見ている視点は他とは違う部分がある。優子先輩も現役時代部長としての振る舞いや心がけのような部分に関しては、結構希美先輩の姿を参考にしていたような気がする。それくらい、南中出身者の脳内にはしっかり刻まれているのだ。あの頃の私たちを率いたカリスマの姿が。

 

「パット見だと、久石さんは涼音ちゃんとバチバチしてるけど、実際はそんなに悪い関係性じゃないしね」

「それは……そうですね。ご存知の通り、中学時代の私には友達と呼べる存在がいませんでしたから。彼女のような存在は貴重な相手だと思っています」

 

 元々人づきあいが凄く得意なわけではなかった。それでも昔はもっと色んな子と交流出来ていた気がする。小学生になって、年を重ねて、少しずつ周囲は私と距離を置き始めた。露骨に避けられていた、と言うよりはガラスの膜が出来てしまったような感じというのが正しい。腫れ物に触るように、壊したら不味い美術品を見るように。その頃は兄さんが家におらず、私も色々と押し付けられたもののせいで心が荒んでいた。そして、だんだんと価値観が合わなくなり、行動が合わなくなり、気付けば私は孤高になっていた。

 

 中学時代でもそれは大きく変化せず。けれど、部活という居場所を得られたのは最良だった。最後には慕ってくれる子も多かった。とは言え、それは尊敬の感情であって、友情とはまた少し違うモノ。そういう意味では、状況はそこまで大きく変わっていない。対等な存在はいなかった。

 

 だからこそ、高校生活で得たものは大きかったと思う。友人と呼べる関係性の人が随分と増えた。私の中に踏み込んでくれる人が多くなった。揚羽はするりするりと入り込んでくれるし、奏さんは何の遠慮もしないでパンチをかましてくれる。まぁ後者にはたまにムカつく事もあるけれど、それでも()()な関係性にはなれたと思えるのだ。それは私が求めていたものに他ならない。

 

「認めるのは癪ですけれど、彼女は私にとってはそれなりに大きい存在です」  

「なんか、優子と夏紀みたいだね」

「あれはああいう形の親愛ですから、私たちとは違いますよ」

「そうかなぁ。私には、おんなじに見えるけど?」

「むぅ……」

 

 優子先輩と夏紀先輩の関係性は有名だった。それこそ、学校中が知っていたと言っても過言ではない。犬猿の仲、と当人たちは言うけれどあそこまでくるともうそういうじゃれ合いにすら見えてくる。私たちと同じとはあまり思えない自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「吹部の幹部決まったんだって?」 

 

 先日のファミレスでの会合の翌日、先代からの継承を二学年の話し合いで決定し、晴れて私たちは幹部になった。二年生だけなのに教室がパンパンになってしまうのは、明らかに人数過剰気味だ。改めてそれを確認出来たのは大きな意味がある。脳内で理解しているのと、感覚で理解しているのではどうしても意識に差が出るからだ。

 

 その話は既に揚羽のところにまで伝わっていたらしい。吹部は北宇治でも最大規模と最大の成果を持っている部活だ。その動向は結構注目の的になっている。だからこそ、部員には節度のある行動が求められていた。

 

「はい、無事に決定しました」

「いいねぇ。軽音なんてその辺相当適当だからさ。君が次の部長だイエーイみたいなノリだし」

「人数が少ない分、個々人同士の信頼関係で決まっているのですから、それはそれでいいと思いますよ。ウチの部活はそうはいきませんけど」

「まぁ何十人もいるんじゃねぇ」

 

 軽音部は二年生が四人、一年生も四人の計八人。全国の軽音部がどの程度の人数を擁しているのかは不明だが、バンド二つ分なら十分な規模と言えるように思う。

 

「しっかし、新部長さんと副部長さんも大変だ」

「まぁ、大所帯ですからね」

「うーんそれもあるけど」

 

 揚羽はメロンパンを吞み込みながら私の顔を見る。

 

「南中の子ばっかっしょ? パートリーダーとかさ」

「それは……まぁ……」

 

 現在のパートリーダーの内、南中出身者は北山君、鈴木美玲さん、屋敷さん、葉加瀬さんの四名。全部で九つあるパートの内の半数弱が南中出身者で固められている。しかも、今年の諸々があった結果風通しを確保する目的で一年生も数名パートリーダー会議に参加することになっている。具体的には一年生の学年リーダーとドラムメジャー補佐の二名だ。前者は義井さんが務めているし、後者は三木さんが務めている。

 

 ダブルリードは人数が少ないので梨々花さんが兼任しているとはいえ、十三人いる会議の参加者の内、私も含めれば七名が南中出身者で占められている。過半数を握っている事実上の最大派閥だった。無論、どんな時でも一致団結と言うわけではないけれど、それでも同期の中では繋がりの強い集団になっている。

 

 それを言ったら先々代は南中出身者が支配する部活だったわけだけれど、あの時は部長も副部長も南中だった。しかし当代はそうではない揚羽の言わんとしていることは、要するにそういう事だろう。

 

「舵取りミスると、お涼の派閥が部活の支配者になっちゃうからねぇ」

「そんな事しませんよ」

「分かってる分かってる。可能性の話と言うか、部長たちはそういう可能性を危惧しないわけにはいかないってコト」

 

 加えて言えば、トランペットのさやかさんとフルートの成美さんは私との関係が濃い。

 

「本人たちがなんとも思ってなくてもさ、周りとか下級生は勝手に色々言うわけよ。だから、出来る限り幹部三人は仲良し! っていう感じにしておくのが吉だと思うけどね、ウチとしては」

「そこは多分大丈夫だと思いますよ。梨々花さんが良いバランス役になってくれていますから」

「ならいいけどね。お涼が幸せに部活やってるのが一番大事だし。今年色々あったんだから、来年くらいは平穏であって欲しいじゃん?」

「それは皆が願っています。今年みたいなことはもうごめんですからね」

 

 今年はとにかく色々あった。私と高坂先輩の関係性も一時期拗れに拗れたし、真由先輩と久美子先輩の関係性も同様にギスギスしていた時期があった。前者に関しては兄さんや希美先輩が間に入ってくれたおかげである程度の解決を見たし、後者に関しても両名の善性に救われた。しかし、今後も同じようになるとは限らないし、ならないと考えた方が建設的だろう。

 

「そういや、高坂センパイには話したの?」

「今日辺りに話をしようと思っています」

「カチコミ行くんだね」

「そんなんじゃありません」

「じゃあ御用改め」

「池田屋事件じゃないんですから。と言うより、当家は御用改めを食らった側ですので」

 

 高坂先輩とは話をする必要がある。彼女は現在受験生ではないので、比較的時間が空いている。もちろん渡欧に向けて色々とやっているようだけれど、本番が差し迫っている受験生と比較すれば余裕があるのも事実だった。兄さんからは了承の返事が来ている。後は本人を口説き落とせるかどうかだ。なんだか、構図が去年と逆になっている。

 

「お涼の中で、高坂センパイとはもう決着ついたん?」

「はい。大会前夜に少しだけ話をしまして、そこで」

「そっか」

「ただ……」

「ただ?」

「なんかあの人、希美先輩に懐いちゃったんですよね」

「……へ?」

 

 揚羽が素っ頓狂な声を挙げた。持っていたメロンパンが落ちそうになっていたのを私がキャッチする。目を白黒させながらお礼を言う彼女は、どこからどう見ても動揺していた。

 

「懐いたって、どういう?」

「割とそのままの意味です。前に話したじゃないですか、夏休み中の色々」

「うん、お涼と高坂センパイが大喧嘩して、お涼がブチ切れた事件っしょ? それで高坂センパイは多分傘木センパイが説得してくれたって話……であってるっけ? 傘木センパイは内緒の一点張りだけど、多分そうだろうって」

「その通りです。その一件が多分原因なんですけど、あれ以来高坂先輩は希美先輩にどういうわけか凄い好意的なんですよね。元々心を開くと凄く距離感詰めてくるタイプではあるんですけど、何というか、私としては複雑と言いますか……」

 

 高坂先輩の対人関係は結構極端だ。久美子先輩や秋子先輩のように完全に心を開いた人とは結構べったりしていることも多い。後、凄く感情が重たい。その代わりそこまで関わりのない人にはドライな対応だ。それは先輩後輩にも同じこと。ただし、前にどういう関係だったのかはそこまで気にしてないらしく、事実優子先輩にも懐いている。

 

「じゃあお涼はそれに嫉妬してるってコトか。お姉ちゃん取られそうになってるみたいな感じで」

「……身も蓋も無い言い方をすれば、多分そういう事なんじゃないかと。あの人、兄さんだけじゃなくて希美先輩まで私から持っていこうとしてるんじゃないかと、最近怖くなってきました」

「彼ピの心配はしないのね」

「あぁ、純一さんは大丈夫です。高坂先輩のタイプは滝先生のようなので。と言うか、仮にそんな仕草をした日には……」

「そ、そっか。まぁお涼の気持ちも分からないでもないけど、多分高坂センパイってそんな事考えてないと思うけど? 考えるタイプでも無さそうっしょ? だからそんなに心配しなくても良いと思うけど」

「私もそうであって欲しいです」

 

 揚羽の言う通り、高坂先輩はそんな事考えてないと思う。ただ、相手が考えていないからと言って私の抱いている感情が消滅するわけではない。高校に入ってから気付いたけれど、私は随分と嫉妬深いようだ。昔はもっと割り切りの良い人間だと自分で思っていたのだけれど、実際には割り切りの良さとは無縁の精神構造をしている。

 

 これまで周りと築いていた関係性がそこまで濃くなかった分、築き上げた関係性にはかなり固執する悪癖が自分の中にあった。だから希美先輩や兄さんとの関係性に高坂先輩が入って来るんじゃないかと恐れてしまう。正確には、二人が高坂先輩に視線を向けて、こちらに向けてくれなくなるんじゃないかという恐れだ。

 

 こんな有様では大人になれる日はまだまだ遠い気がする。来年にはもう十八歳になってしまうというのに、情けない話だった。

 

「言ってみたら、傘木センパイって高坂センパイからしてみれば師匠の奥さんになる人じゃん? それに嫌われたりしたら死活問題だしね」

「確かに、それもそうですね」

「お涼とも仲良くしたいけど、距離感が分からないから困ってるのかもしれないしね」

「そんなことあります?」

「想像だけど、ウチはあると思ってるよ。高坂センパイ、距離感掴むのとかあんまり上手じゃなさそうだし」

 

 揚羽の言う事が真実なのかどうか、私にはわからない。高坂先輩に聞いたところで教えてくれるわけもない。でも、もし仮にそうなのだとしたら歩み寄りの姿勢をこちらも見せるべきなのかもしれない。音楽家の師弟関係は、この後何か拗れたりしない限りは人生単位で続いていく。兄さんと高坂先輩もこれからそれなりに長い付き合いになっていくのだろう。

 

 それは必然、私との付き合いもそれなりに長くなるであろうことを意味していた。そんな相手との距離感が今のまま、というのはこちらとしても些かやりにくいところもある。時間が解決してくれることもあるかもしれないが、それでも何もしないよりは行動する方が良いはずだ。もう少し、高坂先輩との距離感を考えていこう。

 

 部活も新しくなった。なら、私自身も新しくなるべきなのだろう。

 

 

 

 

 

 話をしないといけないという事で向かった三年七組で、高坂先輩は割とすぐに見つかった。三年生は既に部活に来ていない。ちょうど帰ろうとしていたところをキャッチできたという感じだった。秋子先輩や久美子先輩に先に帰るようにメッセージを送ってから、高坂先輩は私に連れられて音楽準備室に来ている。

 

「すみません、ここまで来ていただいて。他に適当な場所が見つからなかったので」

「それは構わないけど」

「ありがとうございます」

 

 相変わらず涼しげな眼をしている。それでいてその目には確かな自信が宿っている。ぴしっと伸びた背筋は彼女の中にある芯の強さを感じさせた。これで滝先生が絡まないと綺麗な美人のままなのに、と思ってしまうのは野暮なのだろうか。とは言え自分もあまり人のことは言えないし、恋している人間なんてそんなものなのかもしれない。

 

 兄さんとの関係性が健全なままなのは、両者それぞれの事情が上手く嚙み合ったからに他ならないだろう。兄さんは年下に興味が無く、高坂先輩は滝先生が好きだった。どちらか一方でも存在しなかったらおかしなことになっていた可能性は否定できない。そうなると、高坂先輩が義姉に? それはちょっと……遠慮したい気分だ。勝手にこんな事を思っているのも大分失礼かもしれないけれど。

 

「今回お呼びだてしたのは、今後のドラムメジャーの指導についてです。現在の北宇治高校吹奏楽部は大幅な戦力減少を受けています。これは去年以上と言っても過言ではないと、私たち幹部は考えています。今年、悲願である全国大会金賞を勝ち取れました。であればこそ、来年以降も同じ結果をもたらしたいと考えています。そのためには、戦力増強が必須。端的に言えば、私たちがより技術力を向上させるしかありません。そのためのご協力をお願いしたいのです」

「具体的には?」

「高坂先輩にはお忙しい中ではありますが、指導を行っていただきたいと思っています。無論全体に関しては私が統括しますが、金管楽器の方の専任兼全体のアドバイザーになって頂ければと」

「なるほど、そういう事ね……」

 

 高坂先輩は思案顔になった。取り敢えず拒否されるという事は無いようで安堵する。多分いきなり拒否はされないだろうと思っていたけれど、彼女も別に暇人というわけではない。忙しいと拒否されたとして、我々が恨んだりするのは筋違いだ。

 

「部長・副部長の了承は得ていますし、パートリーダー会議にも図っています。先生からも、先輩が良いのなら構わないという返事でした。無論、兄さんも。ここから来年の四月までは強化期間です。既存の部員の持っている実力を何とかして引き上げないといけません。それは北宇治の来年の結果のためでもあり、部内の秩序維持のためでもあります。高坂先輩にとっても、それは望むことではないでしょうか。是非、お力添えをお願いします」

 

 今の二三年生を抜かして一年生が大会に出る事を否定するつもりはない。それをしてしまえば、今の自分を否定するのと同じだからだ。しかし、世代が舐められては困る。如何せん、吹部は演奏の実力と部内の立場を同一視するきらいがある。それは本来あまりよろしくないのだが、そんなことを言っても仕方がない。意識は一長一短で変えられないからだ。

 

 強豪から来た生徒の中には、そういう意識が強い生徒もいる。先輩を見下したり、その指示に悪意を持って従わないという事があると、部内の秩序が乱れてしまう。それは梨々花さんの統治に大きな悪影響を及ぼすだろう。彼女の優しさや穏やかさは、規律と自制のある中でこそ輝くもの。秩序が緩んでいる中では逆に崩壊を加速させてしまう。それを防ぐための手段でもあった。

 

「分かった。桜地さんには色々と迷惑をかけてしまったし、その罪滅ぼしじゃないけど、役に立てることがあるなら協力したい」

「ありがとうございます」

「ただ、私も毎日空いているわけじゃないから、そこは調整して」

「はい、もちろんです」

「一応形としては去年の桜地先生と同じ形になる。ただ、あくまでも中心は今の代だから、あまり出しゃばらないようにはしたい」

 

 ちょっと意外だった。やるからには、という風に言われることも覚悟していたけれど、どうやらそういうつもりはないらしい。高坂先輩が実力者なのは間違いないが、あまりにも前面に出ていると我々の代の運営が出来なくなってしまう可能性もある。私は遠慮する気などないが、梨々花さんなどがそうとは限らない。まぁいざとなったら秋子先輩を召喚すればどうにかなるとは思うけれど。

 

「だから、あなた達が前面に出て指示をして。私はそれに合わせて担当の仕事をこなすから」

「ご配慮ありがとうございます」

「私もいつまでもいられるわけではないから。私は、北宇治にずっと強くいて欲しい。滝先生がずっと金賞を獲得できるような実力を持つ部であって欲しい。そのために必要な事は、誰かに依存しないで継承をきちんと出来る部であること。まぁ、桜地さんには釈迦に説法かもしれないけど。とにかく、今の主役は二年生だから、あくまでも私はお手伝い。その上下関係は、きちんとさせておくように」

「分かりました」

「後は……この期間に部員の実力を強化する、それで私と桜地さんとで分担するから負担も半分だし……なら、アレを出してみましょうか」

「アレ?」

「付いてきて」

 

 私は高坂先輩に言われるがままに音楽準備室を出て、後に続いて歩いた。迷いなく進むその足でたどり着いたのは、職員室だった。

 

「失礼します」

 

 戸を開けて、高坂先輩が一路滝先生の席へと向かっていく。運よく先生は在席していた。

 

「すみません、先生」

「あぁ、高坂さんと桜地さん。どうかしましたか?」

「桜地先生の、例のアレを」

「なるほど、そういう事ですか。分かりました。くれぐれも取り扱いは慎重に」

「はい」

 

 何か危険物を渡すみたいな言い方で、滝先生は机の鍵のかかる引き出しから幾つかのファイルを取り出した。

 

「こちらになります」

「ありがとうございます」

「あの、これは何ですか?」

「私の口で説明するよりも、見て見ればわかりますよ」

 

 先生に促されて、私は幾つかある中の一番上にあるファイルを開く。そこには人の名前と顔写真、そしてびっしりと書かれたメモがあった。誕生日や趣味嗜好のようなパーソナルな部分に寄った内容もあれば、音楽面での記載も大量にされている。しかも一人一ページではなく、一人で何ページも存在していた。

 

 その中に私の名前を見つける。桜地涼音、三月十四日生まれ、うお座、O型。好きな曲はハンガリー田園幻想曲、好きなモノは恋愛小説、カボチャ、蒟蒻。趣味は旅行と掃除と音楽に読書。嫌いなものはセロリ、蜘蛛、ゴキブリ。好きな色は藍。そんな風に私に関する情報が幾つも書いてある。何かやたら記述が細かいことから、誰が書いたのかは察せられた。

 

「これって、兄さんの……」

「はい。桜地君が記した各個人の記録です。彼が在籍していた期間と被っている生徒の分は全員分存在しています。ここには各個人のパーソナルデータから、練習の記録まですべてが網羅されています。性格、特徴、練習姿勢、課題点等々、生徒の事を把握するのにここまでわかりやすい材料はそうはありません」

 

 兄さんが細かく生徒の事を把握していたのは知っていた。けれど、ここまでの精度とは思ってもいなかった。私のところには「長所:ストイックに練習に取り組める。また、自身の状態を俯瞰して考えることが出来る。大局観と問題点を把握するのに長けており、同時に信念を曲げない強さもある」と言ったことがつらつらと書かれていた。逆に「短所:融通が利かないところがある。感情を描写するのが苦手なため、表現力にやや難がある。感情論より理性論を好むため、他者との対立を生む可能性がある」などと記されている。

 

 流石は私の実兄だけあって、よく私と言う人間を捉えているとは思う。それはそれとして、そんな事思ってたんだ、という内容も存在した。高坂先輩の分や久美子先輩、秋子先輩、希美先輩などの分も存在している。ページ数は薄いが真由先輩や義井さんのような今年担当しただけの生徒の分もあった。

 

「これを使いましょう。今年は久美子がこれを見ながら部内の問題に対処していた。ただ、これを練習方面に活かせていたかと言うと……桜地先生に怒られそうだけれどあまり頷けないところがある」

「まぁ現に私はこれの存在を今日まで知りませんでしたからね。こういうのがあるっていうのは兄さんから聞いたことありましたけど、内容とかは知らなかったので」

「だからこそこれを使っていく。それで、この後桜地さんがここに新しくページを付け足していく。私と桜地さんで分担しているからこそ、細かく個人個人を見れる余裕が出るでしょう? そこに久美子とか剣崎さんの意見を加えていけば、来年以降に繋げるための材料が出来るはず」

 

 これは兄さんが数年かけて作成してくれた贈り物だ。十分に使わないのは勿体ない。今年、起きた問題に関して久美子先輩が上手く対処できたのは本人の能力もあるけれど、これの力も無視できないと思う。

 

「そうですね。折角兄さんが残してくれた遺産です。大事に継承していきましょう。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

「という事で先生、今後は私がドラムメジャーとして練習に関する指揮をしますが、金管楽器の担当と全体のアドバイザーを高坂先輩にお願いしようと思います」

「分かりました。今年一年やって来ている二人ならば、連携も出来ると思います。三木さんとも協力しながら進めてください」

「「はい」」

 

 高坂先輩とは本当に色々あった関係だ。だとしても彼女の能力は非常に高く、兄さんが後継を託しても大丈夫と判断しているという事実がある。それだけの力を持っているという事だ。そんな力を借りられるというのなら、どんどんと借りていきたい。今後の北宇治が輝けるかどうか、来年も成果を出せるかどうかは実質この数カ月にかかっているだろう。そのためには、あらゆる手段を用いていくべきなのだ。

 

 紡がれてきたものを、次に繋げていくために。




<剣崎政権下北宇治高校吹奏楽部>

剣崎梨々花:部長・ダブルリードパートリーダー
久石奏:副部長
桜地涼音:ドラムメジャー・三学年学年リーダー

以上、幹部三名

北山タイル:クラリネットパートリーダー
平石成美:フルートパートリーダー
鈴木美玲:低音パートリーダー
内田ベイブ:サックスパートリーダー
滝野さやか:トランペットパートリーダー
屋敷さなえ:ホルンパートリーダー
葉加瀬みちる:トロンボーンパートリーダー
東浦心子:パーカッションパートリーダー

義井沙里:二学年学年リーダー
三木美乃:ドラムメジャー補佐
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