音を愛す君へ   作:tanuu

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第XLⅧ音 危機感

 あちらこちらから聞こえてくるのは、アンサンブルコンテストの練習。冬も遂に始まった十二月の初頭。希美先輩の盛大な誕生日パーティーは終わり、残すイベントはアンサンブルコンテスト本番とその後にやって来るクリスマスくらいになった。私のドラムメジャーとしての生活が本格的に始まって一カ月以上が経過し、一日一日課題と向き合いながらの日々が続いている。

 

 他のグループの練習に顔を出したいところではあるけれど、そればかりをしているわけにもいかない。小走りで廊下を駆け、私は定められた教室のドアを開けた。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 私には私のグループがあり、ここの練習にもしっかりと参加しないといけない。元初心者が多いグループではあるけれど、やるからには本気で勝利を目指していく。そうでなければ、士気を維持するのは難しいと踏んでいた。

 

 メンバーは私を筆頭にバスクラリネットの中田いちごさん、オーボエの加千須みくさん、アルトサックスの真島真白さん、テナーサックスの河口純夏、同じくテナーサックスの奈良町子、バリトンサックスの梶原支音さん、コントラバスの月永求君。この八名だ。演奏する曲は八木澤教司作曲「風の戯れII」である。私が集めた面子かつ、この中では私が一番実力があると自負しているので、フルートが肝になる曲を選定した。

 

 この中で加千須さんと月永君はすべての大会に、中田さんは関西大会に出場している。決してメンバーで負けているわけではない。ただ、それでもまだまだ一年生と言うことで加千須さんも中田さんも経験不足なところがある。そこを補い、未来の優秀な奏者にしたいという狙いもあった。月永君は単純にコントラバスを入れた編成があまりないため、参加しやすくなるよう引き入れている。

 

 教室の扉を開ければ、女子陣はおらず、月永君が一人で弦の調整をしていた。私を視認したらすぐに視線を落としている。挨拶くらいあってもいいじゃないかとは思ったけれど、元々あまり人づきあいを好むタイプには見えないのでスルーすることにした。

 

「他の方はどうしましたか?」

「お手洗いに行ってる」

「あぁ、なるほど。ここの面倒を任せてしまって申し訳ありません。今後はもう少しこちらに労力を割いていきますので」

「別に。ドラムメジャーはドラムメジャーで大変だろうから。こっちはまぁ、それなりに上手くやっておく」

「ありがとうございます」

 

 つっけんどんな口調ではあるけれど、面倒見は悪くない。それが月永君への評判だった。名前呼びを求めてくるのは些か困惑する生徒が多いけれど、それ以外にあまり悪い話を聞かないのは、そういうフォローがあるからだろう。存外、良い先輩になるのかもしれない。彼の直属の先輩がそうであったように。

 

 思えば、私はそこまで彼の事をきちんと知らない。兄さんは知っているのかもしれないけれど、私とはほとんどこれまで話したことも無かった。

 

「なに?」

「いえ、そういえばあまりお話したことも無かったな、と」

「まぁ、パート違うし、男子だし。共通の話題は……滝野先輩くらいしかないから。元気にしてるの、あの人」

「はい、壮健ですよ」

「それなら、良かった」

 

 彼の視線は相変わらずこちらには向かないけれど、その表情だけはこちらからでも垣間見ることが出来る。随分と優しい顔をしていた。一年生の頃はもっとこう、張り詰めた顔をしていたような気がする。瞳の奥にあったあの昏い光は多分、かつての私と同じだった。喪失、絶望、悲嘆。そういう目を、昔の私もしていた。彼の過去に何があったのか聞いたことは無い。兄さんは知っているのかもしれないけれど決して語らない。

 

 だけれど私は、彼と私は似たような存在なのではないかと、勝手にそう思っていた。話なんてほとんどしたことのない相手にそう思うのも少し不思議な話ではあるけれど。

 

「良かったですね」

「?」

「何といえば正確なのでしょうか、言葉選びは難しいですが……あなたも出会うべき人に出会えたのだと思いまして」

「どういう意味?」

「随分と優しい顔をされるようになったため、そう思いました。あなたはここで、色んなものに出会えたのだろうと。そして、暗闇の中へと手を差し伸べてくれる人にも出会えた。それが誰なのかは、あなたが一番知っているとは思いますが」

「……」

 

 川島先輩と言う存在は、きっと私にとっての希美先輩のような存在だったのだろう。二年間と言う時間をかけて、彼女の優しさは凍り付いた彼の心を少しずつ溶かしていったのだと思う。それはまさしく愛ゆえの行動だ。どんな種類の愛なのか、私にはわからない。分かろうとすること自体が無粋なのかもしれない。ただ、そこには間違いなく愛が存在していた。それだけは、確かだった。

 

「どうして……?」

 

 その先に言いたいことは分かった。どうしてそんなことがわかるのか、だろう。

 

「あなたは、私に似ている目をしていましたから。ガランドウの心を抱えながら過ぎ行く日々を過ごすしかない、そんな目。私はそれをよく知っています。鏡を見るたびに、いつも私はそれに出会っていた。もう、何年も前の話ですが」

 

 大事な何かが失われて、それが自分の心の中にどれほど大きな存在だったのかに気付いて。でも気付いた時にはすでにその穴は塞げない。そこにいてくれた存在は、既にいないのだから。私の言葉に月永君は私に視線を向け、少しだけ目を見開いた。心の奥をかき乱されたような表情が私の瞳に映る。

 

「……そうか」

「はい。共感したいとも、同情したいとも思いません。あなたの気持ちがわかる、などと言うつもりはありません。ただ、言わないでおくのも少しだけ違う気がしましたから。折角こうして同じチームになったわけですし」

「もしかして、僕を誘ったのもそういう理由?」

「そうかもしれませんね。自分でも、よく分からないですけれど」

 

 私はそう言って、小さく笑った。理由なんて、自分でもよくわからないものだ。自分はもっと合理的な存在だと思っていたけれど、まったく以てそんなことは無いのだと、最近になって思う。

 

「よく似てる」

「誰にですか?」

「桜地先輩に。そうやって、色んなことにすぐ気付く。人の隠しているところとか、全部」

「私なんてまだまだですよ。たまたま、あなたと私には共通点があった。ただそれだけの話です。そうでなければ、あなたとこうして話をしていなかったかもしれませんね。ただの上手い奏者の一人。そういう認識で終わっていたかもしれません」

「それはこっちも同じだけど」

「これだけの大人数でパートも違うとなればそんなものでしょう。ただ、私はそうかもしれませんが、そういう理由は無しにあなたの事を見てくれる人も、いるとは思いますけどね」

「緑先輩のこと?」

「それ以外にも」

「具体的には?」

「それは、あなた自身で気付かないことには意味が無いと思います。悲しみの中にいる時、心が暗闇の中に沈んでいる時には気付かないものですが、自分の周りには思っているよりもたくさんの愛が満ちていると、私はそう思います」

 

 自分には何も無い。何もかも無くなってしまった。心に穴が開くと、そういう感情が自分を支配する感覚が増していく。自分は孤独で、全てが失われた存在だ。そう、思えてしまうのだ。

 

 けれど実際にはそんなことは無い。自分の視界が涙と理不尽への怒りで歪んでいるだけで、自分の周りには自分を案じ、愛してくれる誰かの声に満ちている。ただ、それに気付けないだけで。昼間も星はそこにあるように、見えないことは無いことを意味しない。

 

 前を向いてと手を差し伸べる人、壊れそうな心を護ろうと立ってくれる人、黙って慈しみと言う名の傘をくれる人、そして甘えるなと背中を押してくれる人。そんな多くの愛が、私の周りにはあった。だからこそ私は今、ここにいる。

 

「川島先輩も、あなたにそういう事を伝えたかったのではないでしょうか。何より、彼女があなたを愛しているからこそ」

「想像だろ、全部」

「それはその通りです。ただ、あながち中らずと雖も遠からずな自信はありますよ。これでもまぁ、経験者ですので」

 

 それに彼は応えなかった。別に、私も返答を求めていたわけではない。同情でもないし、共感しようとしたわけでもないのは本当だ。ただ、私は色々な巡りあわせの末にこういう風に話すことになった機会に、言いたいことを話しただけ。何故言いたいくなったのかの理由はハッキリとはしないけれど、予測は出来る。

 

 多分、彼に過去の自分を重ねたのだ。部屋の隅にうずくまりながら泣いていた、あの日の私に。あの時はまだ、光に満ちるドアの向こうからやって来る存在がいるなんてこと、知りもしなかったのだから。

 

 彼にもいるはずなのだ。ちゃんと愛を向けてくれる人が、周りに沢山。それは川島先輩もそうだし、兄さんや純一さんのような男子の先輩・同期もそうだろう。或いは龍聖の知己かもしれない。家族という事だって大いにあり得る。後は……そう、名前呼びなんて甘ったれんなと切り捨てる同じパートの()()も、ある意味ではそうなのかもしれない。まぁ多分本人は無自覚だろうけれど。

 

 そう思いながら、私は楽器を用意した。廊下からは戻って来る子たちの声が聞こえてくる。少しでも多くの部員が、ここに来て良かったと思えているのならば、それに越したことは無い。彼の心を溶かしたモノも、北宇治の一部であることには違いないのだから。

 

 

 

 

 

 

「音の引き締めが甘い!」

「「「はい!」」」

 

 高坂先輩の鋭い声が響いた。些か態度が変わったとはいえ、一朝一夕で人間は変化しない。それに、今指摘を受けたのはトランペットの子たちだ。兄さんがトランペットには人一倍力を割いていたように、高坂先輩も自分の古巣に力を割いている。それは至極当然のことだろう。自分の楽器であるからこそ、出来ている点も出来ていない点もくっきりと浮かび上がってくる。

 

 今年こそ優勝するぞと意気込む奏さんが集めたメンバー相手だからだろう、この編成には実力者ばかりが揃っていた。この場にいるのは彼女と葉加瀬さん以外全員全国大会に出場したメンバーであるところからも、それが伺える。

 

「浅倉さんは高音の安定感が出てきてる。それはとても前進しているけれど、そこで慢心しない」

「はい」

「小日向さんは最後に気を抜かないで。油断するとすぐにへロっと落下しそうになるのがあなたの欠点。普段はもっと出来ているんだから、私が眼前にいるからと言って気にせずやらないと」

「は、はい」

「滝野さんは正直二年目なら十分だと思う。ただ、それで終わりたくないからここにいる。そうでしょう?」

「はい」

「なら、課題にはすぐに取り組んで。課題に取り組んで、修正して、また課題を発見する。その繰り返しでしか上手くなりません。秋子はずっとひたすらやってた。あなたがあんな風になりたいなら、そうするしかないでしょ」

「はい!」

 

 高坂先輩と秋子先輩が抜けたことで、トランペットパートには大きな穴が開いた。抜けたのはたった二人なのに、その大穴は容易には塞がりそうにない。それほどまでに大きな戦力だったのだ。それを一番実感しているのは、今トランペットパートにいるメンバーたちだろう。輝く双子星の如く天上にあり続けた二人。それに追いつけと各方面から 咤激励されている彼らの内心はきっと穏やかではないはずだ。

 

 しかし、秋子先輩をモデルケースにするのも大分酷な……とは思わないでもない。あの人が特別な才能に満ち溢れていたわけではないのは皆よく知っている。特に三年生は全員それをよく知っていた。曰く、入部したころは普通によくいる部員そのものだったらしい。それが三年の月日を経て、全国金のソロにのし上がった。控えめに言って努力の化け物である。才能ではなく積み上げた執念で上り詰めた存在だ。

 

 それをモデルケースに、というのは中々難儀な話だ。あの人柄からは想像できない鬼気迫る練習量が結果をもたらしている。そこまでのモチベーションが彼らにあるのか。それが一番の課題なような気がした。結局、そこにたどり着くのかもしれない。彼らが努力するモチベーションは何なのか、という問題に。

 

「葉加瀬さんはキレが良くなったし、鈴木さんも変わらず丁寧な処理が出来ています。これを続けてください」

「「はい」」

「今回見つけた課題は必ず修正するように練習を励行してください。特に葉加瀬さんと三木さん、鈴木さん。あなたたちなら一番それが出来ると思っています。他の五人も、三人を見習ってください。南中のメゾットは着実に上手くなるためには有効なモノばかりですので」

「「「はい!」」」

「では、これで今日は終わります。また明日、確認しますので」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 ここは金管八重奏なので、私は静かに聞き役に徹し、指導のコツを掴んでいく。南中時代には付け焼刃でどうにかしていた部分もあったが、専門外とは言え指導が出来るレベルにはなっておきたい。なのでこうして高坂先輩の金管指導にくっついていた。

 

 廊下に出て少し歩いたタイミングで、高坂先輩は大きなため息を吐いた。

 

「トランペットになると、ちょっと厳しくなるわね、どうしても」

「ちょっと……? ま、まぁ自分の専門だと他よりも気付くことも多いですからね。滝先生もトロンボーンではそんな感じみたいですし。それに、大分一二年生からの態度も良くなった気がします。前よりは質問とかしてくれる子も多くなったじゃないですか」

「それはそうね。良い傾向だと思う。ただ……」

「ただ?」

「全体として、緩みがある気がする」

「緩み」

 

 この時期は多少そういうモノがあるのも無理はない。如何せん、今まで必死に練習してきたのが一段落ついたのだから。ただ、高坂先輩の口ぶりからすると単純にそういう意味で言ったわけではなさそうだった。

 

「去年のような勢いが、今年はない気がする」

「それは……そうかもしれませんね。技術的には間違いなく向上傾向にありますし、全体のレベルも個人のレベルも高くなっていますが……」

「それは分かってる。ただ、熱意というか情熱と言うかが、足りない。私にははっきりとした部分は分からないけど。そこは、どう思う?」

「取れてしまいましたからね、金賞が。悲願を成し遂げることが出来たのは喜ばしい事ですが、逆に言えばバネになる悔しさが存在していない。ある意味で宙ぶらりんの状態なのかもしれません。去年はあの「リズと青い鳥」で金が取れないのか、というある種の絶望にも似た奮起がありました。それは当時の一年生、つまりは私たちの代にも強く存在していました」

 

 多分それは、人数の都合でそれなりの数の一年生がメンバーにいたからだろう。だからこそ、一年生の中にも悔しさを持っている人間が多くいた。それに、みぞれ先輩を除けば多くが手の届くところにいる先輩たちだったのかもしれない。努力すればああいう風になれる。そんな風に、皆思っていた。

 

 今年はそうではない。一年生のメンバーはほとんどいないし、先輩たちは上手かった。上手すぎるほどに、上手かった。秋子先輩と高坂先輩の二枚看板もそう、久美子先輩と真由先輩もそう。各パートに一人以上は技巧でも表現でも優れた奏者がいた。手を伸ばしても、努力を続けても、本当にあんな風になれるのか分からない天上の上の存在。努力しても、あんな風にはなれないんじゃないのか。そんな疑念が、今の世代の根底に、本人たちも気付かないような奥底に眠っている可能性はゼロではないだろう。

 

 雲の上の存在が金賞を獲って帰って来た。そんな感覚の生徒も、中にはいるのかもしれない。私が穿った見方をしているだけなのかもしれないが、そんな懸念を抱いた。

 

「今年、金賞を獲れた。それは全員が喜ばしいと思っているはずです。ただ、だからこそ燃え尽きてしまったり、逆に油断している人もいるのでしょう。ゴールテープを切った後、どこへ向かえば良いのかわからないから」

「もう一回、同じ場所にというのはモチベーションにならないの?」

「なる人もいれば、ならない人もいます。後者もいずれはなるのかもしれませんが、如何せん今は休息期間みたいなものですからね」

 

 ここら辺は新体制の方針も関係しているのかもしれない。梨々花さんは優しい。優しくて穏やかだ。だからこそどうしても、それが緩みに繋がることもある。楽しみを持って部活に取り組むのと、緩みながら取り組むのには天地ほどの差があるのだ。

 

「なら、ここで気を引き締めさせたい。大会期間みたいにやれとは言わないにしても、来年への布石っていうのを意識できてない子が多すぎる。このまま放置してもいいけど、それで来年度すぐに切り替えられるかは分からないし、もし切り替えられなかったら、苦しむのは現役世代だから。私たちは、全国大会で金を獲った。来年もそれと同じような結果を持ってくることを期待されている。私は今回の結果を奇跡で終わらせたくない」

「周りからの期待、ですか……」

「保護者も、先生たちも、これから北宇治に入る後輩たちもそういう目でここを見てくるでしょ」

「ですね。逆に言えば、それを客観的に認識できれば、気を引き締めて結果を求める態度が身に付くかもしれないわけですね」

「そうね。具体案はあまりないけど……」

「そこはご安心ください。私が一つ、アイデアを思いつきました」

 

 部活の中にいると、世界はそれだけみたいに思えてしまう。でも実際はそんなことは無い。北宇治が外部からどう見えているのか。それを知るための方法はいくつか存在している。例えば他校との交流会などが代表的だ。他校からはこう見えているのか、こういう風に聞こえているのか。そういう事を認識するのは、観客に自分たちの音が届いているのかを考える指標にもなる。

 

 ただ、それはもう何回かやっている。もっと直接的に世間から期待されているという事実が伝わる手段が存在していた。それを実施するのかどうかは、今後パートリーダー会議に諮ってみないと分からない。独断で決めるのは簡単だけれど、それでは今年の二の舞だ。時間はかかっても、話し合うべきことはある。それが梨々花さんの考えであり、私の考えでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

「と、いう事で現在の状況に鑑みてモチベーション向上のための手段を模索したいと思います」

 

 招集したパートリーダー会議で、私はそう口にした。高坂先輩はここには来ず、他の部員の指導をしてもらっている。アンサンブルコンテストも近い中こうして会議を開催したのは、今だからこそ早急に手を打っておくべきだと判断したからだった。高坂先輩の危機意識は参考になる。無視するのには、私も同意見な部分が多かった。

 

「モチベーション、って言われてもねぇ」

 

 葉加瀬さんが小さく呟いた。

 

「全員、モチベはあるでしょ。来年も全国行きたいし、金は獲りたい」

「それは私もそうだと思うな。ただ、涼音ちゃんの言いたいところはそういうところじゃなくて、もっと違うところなんじゃないかと思う。上手くは言えないけど……全国金を目指すなら、私たちがまず上手くないといけないし」

「それはそうだけど……」

 

 葉加瀬さんは少し不満げな顔で鼻を鳴らした。

 

「逆に厳しくし過ぎてもしょうがないと思うけど。飛ばし過ぎても意味ないっていうか。今はそういう感じじゃないじゃん? ぶちょ、じゃなかった桜地さんがそういうのを言い始めるって、もしかして高坂先輩になんか言われたんじゃないの? あの人、そういうの言いそうだし」

 

 やや悪感情の籠った声で彼女は言った。夏合宿で呼び出されたりと色々あったせいで、葉加瀬さん的にはあまり高坂先輩の事は好きではないようだ。実力は認めているけれど……というところなのだろう。

 

「確かに、高坂先輩が懸念を示されたのは事実です」

「やっぱり」

「しかし、私も同様の懸念を抱いています。確かに葉加瀬さんのおっしゃる通り、この期間はアンサンブルコンテストなど各種イベントごとを楽しんでいく期間です。音楽をやる楽しみを掴み、吹奏楽部である意味を実感する事の出来る期間です。ですが、同時に来年への布石を置く時間でもあります。金賞を獲れたことをたった一回の奇跡ではなく、私たちの代でも実現するためには、より未来を意識して行動していく必要があると、私は考えました」

 

 葉加瀬さんは少し面食らったような態度を見せた。私が高坂先輩の肩を持ったことに対してなのか、或いはちゃんと意図を説明したことに対してたのかは分からない。南中時代、練習は基本一方的に指示することが多かった。やりなさい、と言えばやってくれたし、目の前の課題に集中していればいつの間にか上手くなっていたという感覚を持っている部員が多いのだろう。

 

 けれど、ここではそのやり方では上手く行かない。自分で考えて行動していくことが練習にも求められるのだ。そうしないと、この大人数の部活は回っていかない。高坂先輩がいなくなった後、来年度を円滑に回すには、上級生の自主性が求められていた。

 

「まぁ、私も今の状態には思うところがありました」

 

 奏さんも淡々とそう言った。

 

「来年度、人数は今年より多くなる可能性が高いですし。上手い奏者もここを希望して入って来るかもしれない。そうなった時、私たちがオーディションに落ちるなんてことがあった日には、統率が取りにくくなってしまいます。それを防ぐためにも、特に二年生は全員がメンバーになる勢いで行く必要はあるかもしれませんね」

 

 葉加瀬さんと東浦さんが苦い顔になる。この二人は、奏さんと同じく全国大会に出れなかった。しかも、関西から全国の間のオーディションで落選した組である。

 

「私たちは、否応なしに結果を求められています。先輩たちからも、先生方からも、地域の方や保護者、或いは世間一般からも。一発屋と呼ばれないように努めることが、来年ここに入って来る後輩たちに対しての義務ではないでしょうか」

「それには大いに賛同します。それで、なにか具体的にモチベーションを上げる方法が?」

 

 北山君が眼鏡をクイっと上げて言った。彼は私と喋る時だけ敬語になる。多分、南中時代の癖が抜けていないのだろう。

 

「客観的に私たちが期待されている。それが事実として部員の感情に伝われば、練習にも身が入ると同時に危機感も生まれてくるはずです。出来ないと恰好がつかないという形ではありますが、少なくともモチベーションにはなるかと。それに、注目されているというのもモチベーションに繋がるかもしれませんね。その具体案ですが……メディア露出はどうかと思いました」

「メディア露出?」

「はい。もっと簡単に言えば、テレビですね。去年も来ましたが、あれは関西ローカルです。もっと大きく、全国区に広まるようになれば、上手い奏者の流入と共にそれくらいに注目されているというモチベーションにもなるかと考えました」

 

 場に集まった全員がなるほど、と思いながらも唸っていた。実際、立華のようにテレビカメラが入っている学校はいくつもある。であれば、私たちだって不可能ではないはずだ。ボロボロの学校が三年で立ち直り全国金を。そんなサクセスストーリーは映えるだろう。それに、そのサクセスストーリーをどこまで継続させられるか。新しい一歩を踏み出していく世代という意味でも映える物語性は演出できるはずだ。

 

「あ、あの……悪くはないと思うんですけど、そんなに簡単に呼べるものなんでしょうか。ああいうのって、詳しくはないですけど向こうからオファーが来るものだと思うんです」

「はい、一般的には今義井さんが仰った通りの流れでしょう」

 

 義井さんは一年生の代表としてここに座っている。普段は聞き役が多いが、今は良い質問を投げかけてくれた。

 

「ただし、今年だけなら何とかなります。芸能界への伝手なんてあまりありませんが、スポンサーではありますからね。兄さんは伝手も多少はあるでしょうし、それと合わせれば企画に口を出すくらいは出来るはずです。それでも最終判断は向こうになりますが」

 

 そして、これが一回上手く行けば、今後も数年おきに取材が入るかもしれない。それは公立校のネックであるどうやって奏者を確保し続けるか、の解決にも貢献するだろうし、出演料がもらえればそれを楽器の購入や修理に回せる。デメリットとしては個人情報の観点や、どうしてもカメラが入る以上それを意識した振る舞いはしないといけない。インターネットである事ない事書かれるリスクもある。

 

 そこを天秤にかけて、どちらを取るかは滝先生たち顧問陣と私たちの判断次第だった。先生に聞く前に、まずはこちらで合意を形成したいと思っている。

 

「まずはあくまでも一案ですが、検討してもらいたいと思い今回はこうしてパートリーダー会議の開催をお願いしました」

 

 梨々花さんの方に視線を向けると、考え込んでいる顔をしていた。彼女はここまで一言も発していない。久美子先輩時代は結構部長も話していたので、あのころとは対照的だった。ドラムメジャーが雄弁なのは変わっていないかもしれないが。ここは少し話を振った方が良いかもしれないと思ったタイミングで、奏さんが口を開いた。

 

「メリットデメリット、色々ありそうですね。部長は、どう思う?」

「うーーん、ちょっとこの場で決めるのは難しいかもしれない。それに、今呼んでもアンコンの練習しかしてないし、大会期間にならないとあんまり盛り上がらないんじゃないかな。その辺も含めて、ちょっと検討する時間があった方が良いかも」

「会議をまたやると、それはそれで時間がかかりますが」

「こういうのは、急いで決めても良いことないんじゃないかな」

「分かりました。別に私も絶対やれとは言っていませんので、そこは皆さんお間違えの無いよう。あくまでも案です。他に何かあれば、是非考えてくださると助かりますね。今回はとにかく、現状の危機意識を共有したかったので」

 

 伝えるべきことは伝えられた。取り敢えずまた後日話し合いをするので、それまでに各自考えをまとめてくるようにという事で今回はこれで解散となった。出来ればもっと踏み込んだ先まで進めたかったが、合議制は難しい。それでも失敗を繰り返さないためにはこの若干のまどろっこしさも大事なモノなのだろう。

 

 伝えたように、高坂先輩とも共有した危機意識を発信できたのには大いに意味があった。これからまた自分のグループに戻って練習をしないといけない。解散する中、席を立とうとした時、奏さんが私に視線を送って来た。同時に携帯の音が鳴る。メッセージが来た時の音だ。開くと、そこには「ちょっと残ってください」という文字。

 

 彼女が何かしら伝えたいことがあるのだろう。そう思い、私は皆を見送って教室の中に彼女と二人きりになった。彼女はイマイチ感情の読み取れない顔をしながら、私を見つめる。

 

「なんでしょうか?」

「最近思うんですよね。あなたは生粋のお嬢様なんだなと」

「……はぁ。何を今さら?」

「人に傅かれるのには慣れているけれど、誰かに傅くのには慣れていない。普通は大なり小なり出来るモノなんですが、あなたは大分差が大きいですね」

「何が言いたいんですか」

「まぁ要するにです。このままじゃ……梨々花がダメになっちゃうってことです」

 

 彼女は静かに、それでいて揶揄うような声音は一切なく、そう告げた。

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