四月二日月曜日
今日から新年度の活動最初! 前に全体にも言ったけど、この部には本当に多くの部員がいると思う。だからこそ、皆がちゃんと同じ方向を向いて進めるようにしたいな。色んな考えの人が自分らしく過ごして、それが尊重されて、同時にちゃんと他の人を尊重できるといいなって思ってます。二人には、色々とお願いすると思うけど、よろしく!
(梨々花)
コメント
部長の忠実なるしもべにお任せくださいな(奏)
堂々と理想を目指してください。足元は何とかします(涼音)
四月がやって来た。それは年度の切り替わりと同時に、私たちの学年の上昇を意味する。遠いはずだった高校三年生という学年は、今私たちの眼前にハッキリと存在していた。泣いても笑ってもこの一年が最後。そう考えている部員はきっと多いのだと思う。
月曜日の朝。今日が一年生の入学式の日だ。この後の時間、一年生たちは期待と希望とわずかな不安に胸を膨らませ、北宇治高校の門をくぐるだろう。それを出迎えるのが、吹奏楽部に任せられた大事な役割だ。既に練習は済ませているし、今は二年生の子たちがセッティングを行ってくれている。その間に、最高学年であり部を引っ張っていかないといけない三年生で今一度意思をはっきりと共有するべくこの時間が設けられていた。
「それじゃあ、三年生のミーティングを始めます」
トレードマークのカーディガンを今日も羽織り、梨々花さんは前に立った。堂々としているけれど、まだ少しどこかぎこちない。一年前の久美子先輩を思い出した。誰しも最初はみんなそんなものだと思う。予定の書かれたプリントを持った奏さんは、その様子を見守っている。二人が部のトップに立ってから数ヶ月が過ぎた。この体制も順調に軌道に乗っているように思う。今のところは、だが。
剣崎梨々花、部長。久石奏、副部長。桜地涼音、ドラムメジャー。部員名簿の上三つにはそう書かれている。ここに名前が載るだろうと、二年前の私は思っていなかった。目の前に座っている四十一人の三年生。この面子を統率していく事が著しく大変だと思っていたから。けれど色々な経験を経て、そして秋子先輩などの言葉を貰い、私はここにいる。兄さんの、そして先代の足跡を感じながら。
「まずは今後の予定をしっかり確認してください。グループLINEのアナウンスにも書いてはあるんだけど、各自カレンダーとかメモ帳とかにもちゃんと記入するようにしてください」
奏さんがプリントを配っていく。抜け目なく、何を考えているのかよく分からない副部長、というのが後輩からの評価のようだ。確かに、仏だった塚本先輩や優子先輩の影響で人格が分かりやすかった夏紀先輩に比べると、後輩目線では分かりにくいのかもしれない。直属の後輩である針谷さんとはそこまで悪い関係ではないようなので、それは良かったが。
「この後のウェルカム演奏と、新入生歓迎会の演奏が直近のメインになります。新歓は一週間後だね。曲は昨日貰った通りにやります。時間がないですけど、急ピッチで仕上げてください。パートリーダー中心にお願いします」
「「「はい」」」
三月末に新しい編曲で発売された曲をやることになったため、高速仕上げをする羽目になった。昨日から早速練習だ。こんなところであの課題曲メドレーやらアクアラークでの演奏に際して作ったぎっちぎちに詰まった練習予定が生きてくるとは。やった意味は大いにあったと思う。事実、習得は確実に早くなっている。
「明日から新入生の部活体験期間が始まります。無理な勧誘はしないでください。吹部だったからって言って、高校でも入りたいとは限りません。でも、興味がありそうな子は経験者・初心者関係なくどんどん迎え入れてください。実力のある子、マイ楽器勢は優先的に振り分けになるので、そこも忘れないでください。楽器紹介をやる子もパートリーダー中心に決めておいてね」
この高校の実力者供給源は南中、次いで北中だ。ここが優秀な奏者を放り込んでくれる。加えて去年は全国金。全国初出場の翌年が私たちの世代と考えると、今年も多くなることが予想された。層が厚いのは良い事だ。それが少々痛みを伴う可能性を秘めていたとしても、選択肢が少ないよりはよほどいい。
「なんだかあっという間だけど、もう本当に私たちが最高学年です。いい部活だな、入ってよかったな。そう思ってもらえるように、一人一人しっかり頑張りましょう! 困ったことはすぐに相談してください」
「「「はい」」」
「じゃあ、ドラムメジャーお願いします」
「はい」
私はピアノの椅子から立ち上がり、梨々花さんと交代して前に立った。練習メニューの作成やサンライズフェスティバル関連の諸々はこちらに任せられている。練習と言う部の根幹に関わる役職であるため、権限は大きい。それを適切に使えば兄さんのように部長を補佐する良い役になる。暴走しかかると去年の夏みたいになる。そこは難しいところだ。
「まず、ウェルカム演奏と新入生歓迎会の演奏指揮はいずれも三木さんに任せます。拙いところはあるかもしれませんが、彼女の経験のためにご協力をお願いします」
「「「はい」」」
「基礎合奏の練習メニュー、各パートの練習メニューに関しては、先代や先生と相談の上既に作成が完了しています。初心者用も当然各パートありますので、参考にしてください。一年生指導係がこの辺りは指揮してくれるはずですので、パートリーダーは上手く連携してください。入部の意思が固く、希望があった場合は初心者・経験者問わず勧誘期間でも練習参加を許可します。その際は部長と私に報告してください」
一年生指導係は鈴木さつきさん。そして義井さんが担当だ。B編成ことチームもなか出身者が三年、上手い二年をその補佐に。この体制は去年から変わっていない。鈴木さんは加藤先輩の後輩だし、その意思を受け継いでくれることだろう。義井さんは事実上の幹部コースだ。
「最後になりますが――」
私はここで言葉を区切った。言うべきか、それとも言わない方がいいか。一瞬だけ逡巡したが、結局言うことにする。これを早い段階から突き付けるのは、決して悪い事ではないと思うからだ。それに、三年生しかいないこの空間だからこそできる事でもある。
「ここには私を含め、四十四人がいます。今セッティングをしてくれている後輩は、全部で二十五人います。一年生が何人入るかはまだ分かりませんが、ともすれば百人を超える大所帯になる可能性も大いにあります。全日本吹奏楽コンクールの出場人数は最大五十五名。ハッキリと最初に申し上げておきます。そうならないことが望ましいとは思いますが、この中の何人か、最後の大会にA編成として出場できないという事があり得ます」
音楽室の中の空気が一気に張り詰めた。どこかぬるま湯みたいだった春の木漏れ日に照らされた穏やかさは一瞬で消え去る。だれだってそうだ。最後の最後に努力が報われて欲しい。大舞台に立ちたい。そんな想いを多くが抱いている。当然の感情だ。だけれどこの事実を無かったことには出来ない。強豪ではどこでもこういう事はある。清良でも、立華でも、どこでも。
北宇治が真に強豪になるには、これが当たり前の認識にならないといけないのだろう。それが正しいのかはともかくとしても。
「私としても同期全員揃って出場し、目指す場所へ行きたい。そのために最善を尽くす所存です。しかし、現実は時に非常に厳しいものになります。それは元初心者・経験者関係ありません。誰でもあり得る未来です。今一度、この事実を胸に刻んでください。そしてその上で三年生として、最上級生として、何より去年までの先輩方の背中を、誇りを、願いや祈り、理想を見続けて来た存在として、相応しい態度で下級生と接することを希望します」
分かってはいる。誰もが気高くはなれない。久美子先輩のようにはなれない。それでも、何度でも伝え続けないといけないのだ。下級生を迫害するような空間にだけはさせない。それは梨々花さんの理想にも反するし、私の倫理観でも到底看過できないものだからだ。
大会に出れずとも、オーディションに落ちるとも、ソロやソリになれずとも、決してその怒りや絶望を後輩に押し付け強いるな。これは非常に厳しい言葉だと思う。それでもやってもらわないといけない。どれだけ苦しくても、辛くても。同時に思う。そうなった部員に私たち幹部は何を提供できるのだろうか、と。その答えはまだ出そうにない。
「無駄に出来る時間はありません。自分の出来る最善を尽くしましょう。いつか、後悔しないように。以上です」
「ありがとう」
梨々花さんは私の言葉を否定もしなかったし、フォローもしなかった。彼女も気付いている。私の言っている可能性は決して低くないのだろうと。今年麗奈先輩やみぞれ先輩のような超絶ルーキーが来るかもしれないし、秋子先輩みたいなまだ見ぬ大器がいるかもしれない。それでも私たちは誇りを、信じたものを貫けるのか。梨々花さんにとってもこれは大きな命題なのだろう。
彼女は厳しい言葉を吐くのに向いていない。これは多分、私の仕事なのだ。
「奏は何かある?」
「大丈夫」
「分かった。それでは、朝のミーティングを終わります。ありがとうございました」
「「「ありがとうございました!」」」
静かな緊張感を孕みつつも、ミーティングは幕を閉じた。何も問題が起きない、などと言うことはあり得ないと初めから分かっている。私は内心で頬をはたいた。麗奈先輩の要望を受け取った日からずっと分かっていた。
今年が多分、分水嶺なのだと。
春爛漫の空の下、ポツリポツリと一年生の姿が見える。春の坂道を上り、北宇治の門をくぐって来る子たちだ。その門出を祝うためにウェルカム演奏は存在している。これは十年の停滞時代にも消える事の無かった伝統だ。多くが廃れる中でこれだけは消えなかったのは、凋落していく中でも藻掻いた人がいた証なのかもしれない。
「準備は大丈夫ですか」
「はい、終わりました」
「分かりました。では間もなく始まりますのでその用意をさせてください」
「はい!」
義井さんがハキハキと二年生を動かしている。二年の中心は彼女と釜屋さんと三木さんだ。また南中組なのかとはちょっと思ったけれど、優秀なのだから構わないだろう。この面子が多分、来年の幹部になる。それを前提に私も他の二人も動いている節があった。
各々が所定の位置に向かうのを確認して、私は指揮棒を持って深呼吸している三木さんのところへ向かった。
「緊張していますか?」
「指揮するのは初めてなので……」
「誰しも最初はそんなものです。これまで部内でも教えて来たとおりにやれば問題ありません。それに、今回はあくまでもウェルカム演奏。気持ちの方が重要です。多少ミスをしてもバレなければ大丈夫。それくらいの心持でやりましょう。三年生がちゃんとフォローしますので」
「頑張ります」
従来ならばこの指揮は幹部がやるものだ。一昨年は兄さんがやっていたけど、それもまぁ幹部の枠に入るだろう。けれど今年は三木さんにお願いしている。彼女は優秀な奏者ではあるけれど、別に指揮が得意と言うわけでも経験があるわけでもない。なので学生指揮をするにあたっての専門的な指導を別個行わないといけなかった。その一環でこの演奏を利用している。
何事も経験を積まないと上手く行かない。来年の練習時に堂々と指揮を振るい、演奏の欠陥や改善点を指摘できるようになってもらうには時間がかかる。その点、どっちも特に引き続きを必要ないと思っていた麗奈先輩と私は双方ともに楽だったのかもしれない。大事なのは全体を見る力、そしてそれでいて細部を見落とさない力だ。
まだまだ発展途上だけれど、まぁそれは当然だ。そこは演奏者側が上手くフォローする。最悪適当な指揮でも演奏自体は成立出来るように練習しているのだから。
「涼音ちゃん、クラス分け分かったよ~」
「どこでした?」
クラス発表を確認しに行っていた成美さんが帰って来た。
「私は五組で、香奈とつみきが六組」
「私は七組、と。なんだかフルートパートは後ろの方のクラスですね」
「ねー」
なんでそんなクラス分けになっているのかは不明だ。奏さんや梨々花さんのクラスも後で確認しておこう。
「私たちはどっちも二年二組でした」
「ね~」
「お、二年二人は一緒かぁ。いいねぇ、私たちも一回でいいから同じクラスになってみたかったなぁ」
二年二人も大分コンビネーションが出来て来たと思う。麗奈先輩と秋子先輩みたいになれとは言わないけど、ああいう風にお互いにリスペクトし合いながら支え合える関係性になってくれればいいと思う。折角二人しかいないのだから、その縁を大事にしてほしい。
「同じクラスで同じパートなんてそうないですから」
「去年の部長と黒江先輩くらいかなぁ」
「あれも珍しいケースだったので」
真由先輩が転校生かつ吹部経験者だったので、吹部の副顧問をしている松本先生が担任で、部長をはじめとする吹部人材の多かったあのクラスに入れたのだろう。なるべく仲良くなって最後の学校生活を楽しんでもらえるようにという学校の配慮を感じる。この学校はそういうところはちゃんと考えてくれていた。二年連続で転校生、というのは流石にないと思うけど。
「全員揃ったので、パートリーダー、一発行きましょう」
「お、そうだね。じゃあ新年度最初の演奏、気張っていきましょう!」
「「「オー!」」」
成美さんもフルートパートのパートリーダーとしての振る舞いと姿が板についてきた。沙里先輩の後任というのは重圧もあるかもしれないけれど、他ならぬ沙里先輩が選んだのだ。その人選に間違いはないと思う。高校から始めたパートリーダーは彼女をおいて他にいないので、そういう意味でも初心者部員の星になれるのではないだろうか。
これまでの二年間は雌伏の時だったけれど、今年はこれまで以上に活躍してくれると思っていた。
「揃ったよー」
梨々花さんが手を振る。私も頷いて列の中に並んだ。いよいよ大事な新年度一発目の演奏が始まる。
「新入生の皆さんの入学を祝して!」
ちょっと堅い声で三木さんが言いつつ指揮棒を構える。北山君は身長が高いので今年もプラカード係だ。北宇治高校吹奏楽部は全国大会金賞の名門部活。そういうイメージは近隣の人にも受験生たちにも根付きつつある。そんな部活が演奏するのならと多くの一年生が期待に満ちた目をしながら足を止めた。
指揮棒が振られ、軽快な音が奏でられる。木管も最初から出番だ。今回選定した曲は人気ロックバンドのAlexandrosが2015年3月にリリースした楽曲である『ワタリドリ』だ。元々は映画の曲だったけれど、2016年には「アサヒ ザ・ドリーム」のCMソングにも抜擢されて知名度を上げている。この吹奏楽版が存在していたので、今回はこれにしている。
ホルンがサビ裏で活発に動いていたり、トランペットがメロディーを先行しそれを追う演奏があったり、結構面白い曲だ。原曲のイメージを尊重し、軽すぎないように少し音が丸くなり過ぎないように調整した。ユーフォもメロディーが多く、奏さんも喜んでいた。
ドラムは砂井田さんが自宅に持っているという事でお願いしていた。ドラムセット自体は軽音から借りている。ベースは揚羽の特訓を受けた月永君が担当し、いいアクセントになっていた。元々ギターがカッコいい曲という事もあり、バンド演奏版を軽音部にお願いして見本として見せてもらった。今年に入って軽音部とも仲良くやっていけたらいいと思う。
満開の桜が舞い散る中、私たちの演奏は大喝采の末に閉幕した。
「いい感じの演奏だったじゃーん」
演奏が終わり、急いで片付けを終えて教室に入る。どうせ七組は今年も面子が同じだ。三年間一緒というのは代り映えがしない。席の配置まで一緒。この後席替えがあるのかもしれないけれど、いずれにしても一年の最初は毎年同じ配置だ。だから、今年も彼女と同じ。
「何とか仕上がったよ。結構ギリギリだったけど……」
「凄いスパンで曲やってっからねぇ。練習してる音聞いてれば大体何の曲か分かるし」
「そうしないとスケジュールがね」
鞄を下ろして席に着く。園崎揚羽は呉服屋の娘であり、私の――親友と言っていいと思う。軽音部に身を置き、彼女の思う音楽活動に邁進している。自由に、楽しく、カッコよく。そういう姿勢で奏でられる演奏は吹奏楽とはまた違う音楽の形であり、一つの完成形なのだろう。
白い肌に綺麗な桃色の爪が映える。黒い猫の髪留めがその派手な色の髪と対比するようなアクセントになっていた。髪に隠れた耳の横からはきらりと輝くイヤリング。どう考えても校則違反な恰好だけれど、これが彼女の特徴だった。着崩された制服も、短すぎるくらいなスカートも、彼女の精神性を示している。
これで成績不良なら今すぐ生徒指導室行きだろうけれど、私に次いで二番目をキープしているために苦い顔で見逃されてきた。式典の時はしっかりしているので、それもあるのかもしれない。
「今年も全国金を狙っちゃう感じ?」
「反対意見が無いならそうするつもり」
「やっぱそうだよねぇ。で、どう? ドラムメジャーとしての所感は」
「一年生の即戦力がどれくらいいるのかが気になる。南中から誰が来るとかの詳細はまだ入ってないし、他校にも即戦力はいる可能性があるし。それでまた考えないといけないかな。ただ……」
「ただ?」
「飛びぬけた個がいない。部全体の演奏を引っ張ってくれるような存在が少ないかな」
世界一の秘密兵器だった麗奈先輩と秋子先輩。三年間叩き込まれた技術で清良に貼り合っていた久美子先輩。母の創り上げた土台で活躍し続けた真由先輩。屋台骨として演奏を支え続けた川島先輩。大人数のクラリネットをリードし続けた高久先輩。パーカスの三人もそうだし、私に一度黒星を付けた沙里先輩もそう。各パート一人くらいは飛びぬけた生徒がいた。今年はそこまでじゃない。
クラリネットは義井さんと北山君が牽引してくれる。ホルンは屋敷さんがいるし、トロンボーンも葉加瀬さんと浅野君がどうにかしてくれるはずだ。反面少人数のところが不安になる。コントラバスに部員が来ないと、初心者を回して月永君にマンツーマン指導をお願いしないといけない。
「特にユーフォがどうなるか……」
「かなぴーいるじゃん」
「彼女一人では限界があるから。優秀な奏者であることは認めるし、真由先輩と久美子先輩の存在の大きさとチューバの人数の問題で落とされただけで、資格は十分にあったと思う。でも、彼女と針谷さんだけじゃ足りない」
これまでの演奏で思った。ユーフォが弱い。チューバはまだいけそうなのに対し、やはりユーフォが足りない。針谷さんが仕上がるのにはもう少し時間がかかりそうだ。奏さんと二人なので、マンツーマン指導をしていたし去年の関西からは練習を見ていたそうだけれど、元初心者が仕上がるのには結構時間がかかるのだ。
「トランペットも落差が大きいから心配だし、悩ましい」
「一年にどんな子が来るか、だね」
「そこなんだよ」
パーカスも今二年生が二人しかいないし、来年以降のことを考えると一年生に最低でも五人ほどいて欲しい。どういう割り振りをするのかは蓋を開けてみないと分からないにしろ、最低限の方針だけは作っておきたかった。
「大変ですなぁ、ドラムメジャーさんって言うのは」
「まぁ、なんだかんだ言いつつ慣れてはいるから。こういうのをやるのは二回目だし」
「難しいこと考えるのはしょーがないとしても、楽しいことも考えないと幸せ逃げちゃうゾ。もうすぐ修学旅行もあるんだし、楽しまなきゃ損っしょ。ウチらの高校っていう青春ど真ん中、今年で終わりなんだよ?」
「確かに」
北宇治高校の修学旅行先は例年東京だ。新幹線で一本なのが大きいんだと思う。ディズニーランドに行けたりするので結構人気のコースになっている。兄さんと希美先輩も「付き合ってないの……これで??」という距離感のツーショットを送りつけてきたことがある。どうやったら付き合ってない男女がシンデレラ城を背景にして、ピースの指が被るんだよ、と当時は思っていた。
小中時代の修学旅行には大した思い出が無い。今回くらいは楽しみたい。一応東京の大学を見学することも出来るようだし。春になって越していった真由先輩にも会えるかもしれない。真由先輩の見送りは京都駅で数日前に行ったばっかりだ。普通に連絡しているので、会おうと思えばいつでも会えるのかもしれない。
「楽しめることは楽しんどかないと。じゃないとしんどいし」
「そうだね……頑張らないと」
「そこで頑張る、になるのはお涼らしいわ」
ケラケラと揚羽は笑った。私もつられて笑ってしまう。リスタートということで頭の中がそれで満たされていたけど、少し余裕が出来たような気がする。それに今年は南中時代とは違う。あんな妄執と呪いで自縄自縛になっていた頃とは精神性も状況も違う。それならきっと大丈夫。揚羽のおかげでポジティブな気持ちになれた。
「あ、そうだ。ちょっと聞いて」
「なになに~?」
「この前兄さんに頼み事されてさ。希美先輩が寝てる間に薬指のサイズ計っておいてって」
「えぇぇ!?」
揚羽は足を組んだまま椅子ごと後ろにひっくり返りそうになっている。慌てて後ろを抑えた。こんな見た目で、と言ったら失礼かもしれないけど相変わらず初心な子だ。こんなんで東京に行って大丈夫なのだろうか。
「え、え、え、それって、そういうコト……?」
「そうだと思う」
「ま、マジかぁ、ついにそこまで……」
目を白黒させながら滅茶苦茶に動揺している。まぁ、冷静に観察している私も頼まれたときはビックリしすぎて使っていた茶釜をひっくり返すところだったし、思うことは同じだ。
「アクアラークで私が希美先輩の理想のプロポーズを聞いて伝えのが原因かなぁ」
「絶対それじゃーん! それで桜地先輩腹括ったんだって。も、もしかして学生結婚?」
「籍だけは入れちゃうかもね。式は大分時間かかるから、来年以降だろうけど」
「そ、そっか、そうだよね」
「なんか兄さん、傘木家のお父さんと仲良くなれてるらしいし」
「もうなんの障害も無いんだ……」
娘をお前にはやらん! というテンプレな展開はないだろう。そういう事をする人じゃなさそうだし。私も傘木家には何度かお邪魔したことがある。厳しそうなお父さんと優しそうなお母さんだった。希美先輩の人格形成にかなり影響を与えていたであろうことは、すぐに分かった。明るさはお母さんから、頑固さはお父さんからだろう。
平成も来年の四月で終わりだ。時代が新しくなる中で新しい夫婦が生まれる。結構いい門出なのかもしれない。
「なんか進展あったら教えて」
「なんで私よりそんな興味津々なの」
「知ってる二人がどうなるのかは気になるもんっしょ」
そういうものだろうか。でも確かに久美子先輩が塚本先輩とどうなるのかは気になるところだ。
「逆にお涼はなんか無いの」
「……あったら苦労してない。受験終わったら覚悟してもらいます」
「あ、逃がすつもりはないんだ」
「それはもちろん」
「さっすが。それで言うとウチも報告あったわ」
「と、言うと?」
「予備校のコースあるじゃん。ちょっと色々迷ったんだけど、コース変更した」
「今は早慶コースでしょ? どこにしたの」
「国公立特進」
元々私立理系に進学するつもりだと言っていた。東京にある大学の理工学部に行きたいと。私は国公立医学部特進コースだ。模試の成績が必要だったのでなんとか時間を捻出して受けたら、このコースを勧められた。医学部のコースはこの下にもいくつかあったのだけれど、流石は京都。中核都市なだけはあって東大や京大の医学部を目指すコースもある。そこに入れる資格があったらしい。
「国公立にするの?」
「ていうか……お涼と同じところ目指してみようかなって。まだちょっと足りないんだけど、今年一年ババーンと頑張ってさ。いや、だった?」
「全然。学部は違うけど、同じ目標の子が傍にいてくれるのは凄く嬉しいし励みになるから」
これは私の素直な気持ちだった。一緒に頑張る仲間というのはいて困ることはない。色々助け合えることもあるし、負けないぞと奮起するための材料にもなる。
「良かった……」
「でも、どうして急に?」
「ウチの親と大喧嘩してさぁ。国公立なら東京行っても良いって」
「なるほど」
「お涼もこっち来てくれる?」
「今のところはそのつもり。なんで?」
「ウチの親、桜地家のお嬢様も一緒なら東京行っても良いとかなんとかごちゃごちゃ言ってて……ごめん、それは何とかするから気にしないで」
「いや、別にいいけど」
私もあの過保護な兄さんを説得しないといけないという難題が待っている。なんか、園崎家のご両親と同じことを言いそうな雰囲気があった。揚羽と一緒なら仕方ない、みたいなことは言いそうだ。そうじゃないととてもじゃないけど一人暮らしなんて許してくれないと思う。自分はしてる癖に。
目玉が飛び出るかと思った予備校の学費を払ってくれているし、面談とかもちゃんとやってくれているのであまり文句は言えない。
「席つけー」
担任の先生が入って来る。進学クラスは担任も三年間同じだ。
「今年一年、青春全開で行こ!」
揚羽の明るい言葉に、私は頷いた。それを見て彼女はニカっと笑う。青春全開がどういう感じなのかは分からない。言った本人もよく分かっていないかもしれない。ただ、その中には楽しい事ばかりではないのだろう。それも青春時代と思えるようになるのに、あと何年かかるのだろうか。
振り返った時に楽しかったと思いたい。それは揚羽や私に限らず、誰でもそう思っているはずだ。