音を愛す君へ   作:tanuu

23 / 193
第ニ十三音 再オーディション

 学校は既に夏休みに突入している。去年は既に部活を辞め、仕事とバイトに明け暮れていた日々だった。夏は観光客が多い稼ぎ時ということもあって、私のいたお店も連日満員御礼のような状態だったのを思い出す。そんな風にバタバタと走り回ることは無くなったものの、現在の心境を考えればそっちの方がマシだったかもしれない。

 

 真夏の学校は熱気によりサウナのような状態と化している。音楽室では冷房がフル稼働しているが、詰まっている人員の数とそれが放つ熱気に押されて、最低温度なのに室温が26度から下がらない。パート練習の教室でも冷房使用をゴリ押しして許可を取っているので、恐らく部員的にはパート練の方が涼しくて良いのだろう。

 

 その一方で人があんまりいないにも拘わらず職員室は結構涼しい。節電を謳いながらこのダブルスタンダードにはやや憤慨するが、まぁ最終的に吹部にも冷房使用権が付与されたので良かったということにしよう。奥の方に座っている教頭に頼み込んだ甲斐があった。

 

「ホール練習のメニューですが、このようにしたいと思っています」

 

 渡されたプリントには一日の流れが書いてある。丸一日貸切ったはいいものの、それでも時間制限はある。それに再オーディションを行うことを考えれば、それも考慮に入れた時間設定にしないといけない。

 

 当日行うのはほぼ全体合奏だ。ホールを使うということは、普段とは環境が変わることを意味する。実際の本番に近い環境、より音が響かない空間になるわけだ。それを考えれば妥当な選択と言える。

 

「分かりました」

「普段は前に立ってもらっていますが、今回は客席側からの視点をお願いしたいと思います。私よりも、より遠いところから音のバランスを確認してください」

「はい」

「再オーディションに関しては、一番最初に行います。そこで決定したソロ奏者が以後の練習で該当箇所を担当することになりますから」

「それが一番合理的でしょうね」

 

 尤も、奏者本人や周囲がそれにすぐ順応できるかどうかはまた別問題。それでもやるしかない。問題を放置することは出来ないのだから。

 

「私は顧問として、指揮者としてホールに立った経験が非常に浅いです。大ホールでの演奏において、その演奏方法や心構えなどはあなたの方が経験豊富でしょう。その辺りも含めて、頼りにしたいと思っています」

「ご期待に沿えるよう、努めます」

「……中世古さんは、オーディションに不満があるという方に手を挙げなかったと聞きました」

「はい」

「どうしてだったのでしょうか」

「完全には分かりません。ただ推測で良いのなら、恐らく他の人とは不満という言葉の捉え方が違うのです。他の人は、オーディションの過程に何らかの問題があると考えている。その上で結果に納得できないから不満という言葉でまとめています。ですけど先輩は過程に問題があるとは思ってないのでしょう。ただ、結果に納得が出来なかっただけ。だから再オーディションの話が出たら、それを使うことにした。結果だけを覆せるから」

 

 それがきっと、あの時の行動の理由じゃないだろうか。勿論先生への不満が謂われないものであり、それに同調することは正しくないと考えた部分もあるだろう。真実は本人にしか分からないし、本人にも分からないのかもしれない。人間、単一の理由だけで行動することの方が少ないだろう。

 

 色んなものが混ざり合ってその結果行動に結びつく。今回の件もそういうモノじゃないだろうか。ただ一つ、どんな考えをしていたとしても根底に共通しているのは、一つだろう。

 

「先生、中世古先輩は大会に出たことが無いんです」

「そうなのですか?」

「やっぱり、そこからですか」

「トランペットパートの人数から鑑みて、昨年は出場していてもおかしくないと思っていましたが」

「本当はそうだったんですけどね。色々あって、責任を取る形で出場を辞退しました。だから今年が最初で最後。だから皆必死に先輩をソロにしようとしているんです。吉川もそれが行き過ぎてあんなことをしてしまったんでしょう。本人も分かってると思いますよ、無理筋な話をしてるって。でもそれに縋るしかなかったんです」

 

 その証左に、ずっと彼女の顔は暗い。高坂さんに言ったことも、先生に言ったことも、全部後悔しているのだろう。自分が正しくないと思っていない人は、あんな顔をしない。もっと勝ち誇った顔をしているはずだ。

 

「先輩自身も、それは強く意識している。だから納得したいんです。もっと言えば、諦める口実を探しているんでしょう」

「諦める、口実……」

「先生、私は先生の行いが間違っていたとは思いません。ここに来てからの先生の行動は最終的にはきっと正しい。けれどその過程で犠牲になってしまったものもあるはずです。だから私は先生を呪います。全国大会に出るまで、出れたとしたら金を取るまで。決して諦めることは許さない。そういう呪いです。先生は、私にすら呪われた夢を見せた。その代償は、必ず支払わないといけない」

 

 全部丸く収まれば、目標が達成されれば、この話はめでたしめでたしで終わるだろう。だがそれで本当に良いのだろうか。めでたしの前に存在していた、犠牲になった何かに全く意識を向けないことが本当に真の意味でのハッピーエンドと言えるのだろうか。

 

 それに、そんなハッピーエンドが存在するとは思えない。我々の人生は御伽噺じゃない。生きている人間が行う物語だ。その結果に、完璧な大団円などあるはずが無いのだ。それをきっと、先生も私も忘れてはいけないのだろう。

 

「分かりました。必ず、北宇治高校吹奏楽部をもっと高みに連れて行きます」

「お願いします」

 

 そうすることがきっと、先輩の三年間の終わりをこういう形にしてしまったことに対する、せめてもの償いなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 部活も寸余の休憩時間。お昼休みに入る。ここは数少ない自由時間だ。冷房の効いた音楽室でご飯を食べるもよし、外などで食べるもよし、寝てる人やスマホでゲームをしてる人もいる。本当は携帯使用はグレーなのだが、今は監視する人もいない。それくらいは良いだろう。

 

「よっす」

「あぁ、うん」

 

 この前のお祭りのせいであんまりお金が無いので、私の食費は削りに削られている。音楽室の隅っこで開かれた私のお弁当箱には白米と梅干だけが乗っかっている。

 

「……お前、戦時中?」

「私の食費事情はな」

 

 滝野はどっこいしょと腰を下ろすと、菓子パンを取り出す。ザ・男子飯という具合だろう。

 

「弁当作ってもらえなかった。めんどいって」

「まぁいいじゃないか。作る方は結構大変なんだぞ」

「それで?」

「これは私のだけ。妹の分はしっかりしてる」

「あぁ、そういや妹いるって言ってたな」

 

 甘そうな香りが漂ってくる。別に菓子パンは嫌いじゃないけれど、カロリーの暴力みたいな味が時々するのであんまり好きでもない。アメリカの飯に比べればまだヘルシーかもしれないけれど。あのドギツイ色のドーナツはもうあんまり食べたくない。

 

「南中吹奏楽部の部長だ」

「さっすが桜地妹。優秀だな」

「当然だとも」

「はいはいシスコンシスコン」

 

 なんだコイツと思って隣に視線を送ると、いつものふざけた顔ではなくかなり真面目な顔つきになっていた。言っている事と表情が一致してないと思ってしまう。

 

「俺さ、またチキった」

「何が」

「今回のこと。先輩にも高坂にも、どっちにも何も出来ないまま、こんなになってさ」

「別にお前のせいじゃないだろうに」

「ま、そりゃそうなんだけどな。でも……これで何回目か分からないから」

 

 ゴクリと彼は炭酸を飲む。ちょっと温くなっているであろうペットボトルには水滴が幾つも付いている。

 

「去年も何も出来なかったからな。いい加減、ちょっと嫌になった。お前が先輩に絡まれてる時も、加部が小馬鹿にされてる時も、先輩が頭下げてる時も、吉川が悩んでる時も……傘木さんが頑張ってる時も、ずっと」

「それは、仕方ないんじゃないか。別にお前が気に病まないといけないってことは無いし、何かをしないといけないなんて決まってない」

「それはそうなんだけどな。けど……お前は何も出来ないチキンな野郎だって自分が言われてるみたいで、それは嫌だった。て言っても勇気もないし頭もよくないから、結局また何も出来なかったけどな」

「そうか」

 

 外からはジージーとうるさい蝉の合唱が響く。音楽室内には話に興じる女子部員が沢山。その中で、窓辺の隅で語らう我々は少し異質だった。この異質さは、吹奏楽部という集団の中にいる男子部員の存在そのものなのかもしれない。

 

 何かを為す時に、性別が邪魔になることも存在している。特に女子社会の中では、我々は生きにくかった。この小さな箱庭で人権が失われるのはあっという間である。そうならないための方法は大人しくしているか、圧倒的に強くなるかの基本どちらかしかない。

 

 だから彼の悩みも、彼の臆病さに由来しているわけじゃないだろう。実際、彼が動いても何かが変わったとは思えない。彼が余計に睨まれて終わりだ。ウザい、ダルい、キモい、ムカつく。そういう感情を複数人に持たれた時点で、それは伝播する。私だって先生の後ろ盾が無ければきっと今頃有形無形の排斥にあっていただろう。それはどんな社会でも同じだろうけれど。

 

「じゃあ、今回はどっちに拍手するんだ」

「それは今の段階じゃ分かんねぇよ」

「それもそうか」

「でも、またどっちも選べない気がする。でも、今度くらい俺は……」

「……まぁ、あんまり思い詰めるなよ。別にお前は指導者でもないし、立場のある役職でもない。だから自分がどうしたいかで決めれば良いんじゃないのか。吉川を見てみろ。それしかしてない」

「確かに」

 

 そう相槌を打ちながら、滝野は苦笑した。笑い声は夏の空に溶けて消えていく。この日々もきっといつか、記憶の中に溶けてしまうのだろう。それは当然のことだと分かっているけれど、同時に恐ろしいことであるようにも思えた。

 

 それからはずっと違う話をした。どちらも、自分の中にあるモノから逃げたかったから。その声はどこか乾いていて嘘くさい笑いもあったけれど、お互いにそれを指摘することは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして時は流れて再オーディションの日がやって来た。その後の練習で、ホール演奏経験者たる私の出番があるわけだが、正直気分はそれどころじゃない。

 

「準備は良いので、二人はオーディションの用意を」

 

 先生に促され、二人は自分の楽器を持って別々の方向に歩き出す。それは、この後の対決を比喩するかのようであった。その背中を見送りながら、私は楽器の搬送を手伝う。そうして作業している間の方が、気分が紛れる気がしたから。

 

 その背中を暗い表情で見送る吉川。加部に頼まれていたことを思い出す。いい加減、そろそろこの状況も打破しないといけない。

 

「おい、吉川、吉川優子さん」

「……何よ」

 

 その言葉に答えないまま、私は先輩の歩いて行った方を顎で指し示した。

 

「でも、準備が……」

「そんな辛気臭い顔で集中しないままやってると、楽器壊しそうだからな。どっか行ってくれ」

「……あっそ。じゃあ、そうする」

「あぁ、そうしてくれ」

 

 プイと顔を背けて、そのままスタスタと歩いて行く。きっと彼女はこの後の結末をある程度予感している。南中吹奏楽部のトランペット奏者が実力差を分からないはずがない。そんな耳をしているヤツが、あそこで活躍できるとは思えない。

 

 だから全部分かっているのだ。分かっていてなお、諦めきれない。それは優しさなのか執念なのか。なんと表現するかは立場によって変わってけるだろう。けれど間違いでも突き進むその意志の強さは、確かに尊敬するべきなのかもしれない。

 

 不器用な人間だ。去年も今も。それでも、嫌いにはなれそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、これよりトランペットソロパートのオーディションを始めます」

 ホールは我々だけ。壇上には二人の奏者が並んでいる。客席には部員がめいめいに座っていた。最後方には先生二人と私。そのホールに、始まりの声が静かに響く。

 

「両者が吹き終わった後、全員の拍手で決めましょう。いいですね、中世古さん?」

「はい」 

「高坂さん」

「はい」

 

 先生は努めて冷静に話している。その一方で、これだけ距離が離れていても先輩と高坂さんの静かな闘志は伝わって来た。先輩は彼我の実力差を理解している。それでも諦める気は全くない。それをするのは、自分にも相手にも良くないことだと分かっているのだろう。

 

 その目は真剣そのもの。引き締まった顔が、それを一層際立たせている。この緊張感は懐かしいものを思い出させる。毎年出てはいるものの、今年は吹奏楽部の印象が強すぎて少し失念していた。遠い欧州で行われる世界規模のソロコンテスト。私の栄光の象徴。そのステージを、今思い出した。

 

「ではまず、中世古さん。お願いします」

「はい」

 

 その返事から一拍おいて、息が吹かれる。その一瞬に決意や覚悟のようなモノを強く感じた。その演奏は、上手い。楽譜を完璧に再現している。作曲者が聞いても太鼓判を出すだろうと言うくらいには、十分に上手かった。その血の滲むような努力がひしひしと伝わってくる。楽譜に記されたモノを再現するのが音楽なら、完璧と言って過言では無いだろう。

 

 繊細で柔らかい音は、ホール全体に広がっていく。高音部分も申し分ない。キラキラと光るような演奏に、ケチをつけるべきところは見当たらなかった。これを超えるには、完璧に楽譜を再現する以上の何かが必要になって来るだろう。

 

「ありがとうございました」

 

 演奏が終わればすぐに拍手が鳴る。響く音にも称賛の声にも、高坂さんは眉一つ動かさない。

 

「では次に、高坂さん。お願いします」

「はい」

 

 真っ直ぐ伸びた背。そして、音が奏でられる。その調べは聴く者の耳ではなく、頭を心をダイレクトに叩いた。多くの人間が衝撃に動けない。彼らにすれば今まで聴いたこともないモノであったから。それはあまりにも特別で、有り体に言うならあまりにも上手かった。楽譜通りなのが先輩なら、彼女のそれは楽器が歌っている。

 

 心臓を掴む音、思わず私は自分が指導者であることを忘れた。今すぐステージに登って、演奏したい。彼女より上手いと証明してみせたい。自分が世界一であると証明するために、彼女を引きずりおろしてやりたい。そんな獰猛な感情が牙を剥く。

 

 慌ててそれを封じ込めた。彼女は私が教える対象。競い合う相手じゃない。それでもこの一瞬感じた、負けたくないという感情は久々に思い起こされたものだった。これまで、この部活で、もっと言えばこの日本でそんな相手に会ったことは無かった。自分の方が上手いと、自信を持って言えた。それなのにどうしたことだろうか。

 

 この曲においては、私より上手くなれ。そういう目標を彼女に与えた。そしてその実現に、彼女は着実な歩みをしている。彼女は努力をしている。だがそれ以上に、才能がある。間違いなく。

 

 猛る感情を落ち着かせる。私は彼女より上手い人を知っている。正確には知っていた。神にも届く音をかつて聴いた。だからまだ大丈夫。彼女にだってまだ足りないものはある。そう言い聞かせた。

 

「ありがとうございました」

 

 置物となりかけていた部員はその声に現実に呼び戻されたようだ。ホールは密やかな、けれども確かな囁きに満ちる。多くが、結論を出せなかった。それでも幾人かは、決意を固めたようだった。

 

「ではこれより、ソロを決定したいと思います。中世古さんが良いと思う人」

 

 間髪入れず、ガタリと音がする。たった一人の拍手が空しく、けれども確かに響いた。吉川は何があろうとも先輩の味方で居続けた。先輩は一瞬だけ悲しみを浮かべそして、優しく微笑んだ。その顔はあまりにも嬉しそうで、それでいて物悲しい。

 

 その拍手に続くように、何人かが音を鳴らす。その中には滝野や笠野先輩の姿もある。満場一致とはいかない。けれども、確かに実力差を聞いてなお、先輩の音が好きという人もいるのだ。演奏者の冥利とは、相手の心を動かすこと。そういう観点から見れば、先輩は奏者としては万点と言えるかもしれない。

 

「はい。では、高坂さんが良いと思う人」

 

 こちらもすぐに拍手は鳴った。一年生の黄前さん。彼女は高坂さんと親しい彼女は、迷うことなく拍手を送った。それに壇上の彼女は笑みを溢す。少しだけ迷ったようにして、その後吉沢さんが鳴らした。彼女は同じパートとして努力してきた仲間を取ったのだ。

 

 どちらも選べないと彼女は言っていた。けれど、今この瞬間に決めたのだろう。どっちを選ぶのかを。或いは、オーディションの時の私と同じ感情になったのかもしれない。自分の耳は裏切れないと、そういう感情に。

 

 一年生の何人かが続く。人数はほぼ同じ。判断なんてつかなかった。大多数は何もせず、沈黙を保っていた。不満があると手を挙げておきながら、どちらにも拍手できないその態度は私には納得できないものだった。選ばないという選択肢を行使できるのは、あの時手を挙げなかった人だけだろう。

 

「中世古さん。あなたがソロを吹きますか?」

「先生、何を言って……!」

 

 その問いが突如投げ掛けられる。あまりにも残酷な問いだ。思わず先生に向かって抗議の声をあげる。けれど、今度は先生が私を制止していた。その目で、強く、そして確かに。

 

 それを見て気付いた。先生は、私の話を聞いてこの言葉を使ったのだということに。諦める口実を探している。私はそう言った。それを聞いた先生は、だからこそこういう風に問いかけた。自分で納得させるために。自分の言葉で言わせることで、口実を作れるように。

 

 自分の意志でその敗北を認められるようにするために、敢えて泥を被ったのだろう。そこに覚悟を見て取った。だからこそ、それ以上は何も言えなかった。言うべきでもなかっただろう。

 

「吹かないです」

 

 真っ直ぐな瞳がこちらを見る。

 

「吹けないです」

 

 その唇からはっきりと声がする。

 

「ソロは高坂さんが吹くべきだと思います」

 

 人の感情は難しい。時に、大きく矛盾する。何故なら、本心とかけ離れた本心という相反する感情を同時に持たねばならないのだから。この言葉に吉川の泣き崩れる声がする。その声は痛々しいまでに響いていた。

 

「高坂さん。あなたがソロです。中世古さんではなく、あなたがソロを吹く。良いですか?」

「はい!」

 

 先生の問いに、高坂さんはしっかりと力強く確かな返事を返した。

 

「よろしいですね?」

 

 こちらに問いかける。共にこの舞台を作り上げた共犯者への問いかけだった。だが、私は答えない。私にだって、言いたいことくらいあるのだから。

 

「結果に口を挟む気は毛頭ありません。それは、前で正々堂々と戦った二人に失礼だからです。ですが、このまま終わることはできません」

 

 困惑しているのは伝わる。だが、悪いがこのまま綺麗に終わりとはいかない。そうは問屋が卸さない。絶対にそうしてはいけないのだ。この問題で多くが少なからぬ傷を負い、停滞し、時間を浪費した。その責任はしっかりと誰かが背負うべきなのだ。

 

「私は、オーディションに不満があると手を上げたのにも拘わらず、ここで何もしていない人に怒っています。もっと自分の発言に行動に責任を持つべきだった。ここで解答権を放棄できるのは、手を上げなかった人だけです。違いますか? そう言った人の行動が、この場を作るに至った。だったらそれに責任を持たなくてはいけない」

 

 何人かが俯く。私は優しくなど無い。ここでこういうことを言うのは、今後万が一何かを決めなければならないときに責任を持てるようにだ。ここで全員は罪を共有した。この結末という、罪を。

 

「それが今回一番背負うべきものではないでしょうか。私が嫌いでも、大いに結構。それでもこれだけは、言わないといけないと思いました。そして、万が一次があったなら、そのときは自分の行動に責任を持てるように。その点で言えば、私はオーディションに挑んだ二人と空気を無視していの一番に拍手をした二人に最大限の敬意を払います」

「分かりました。私たちは最初に全国に行くと決めました。その一環として今回の再オーディションがあります。皆で決めたものには従わなくてはいけません。それが自分の意思で選んだなら尚更。彼の言ったことをよく覚えておいて下さい。高校生と言ってももうすぐ大人。私も皆さんを子供として扱う気はありません。さぁ、練習に入りましょう」

 

 先生は重苦しい声で告げる。その裏では、吉川の慟哭が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 始めましょうと言ってすぐに始められるものでもない。準備も含めて、十分だけ休憩時間が入る。それは吉川に対する先生なりの配慮であるようにも思えた。舞台裏。その隅っこにある椅子に、高坂さんは座っていた。その表情は固い。確かに再オーディションに受かって、自分の実力は証明できた。けれどどこか浮かない顔をしている。

 

 それは当然だろう。憎むべき相手じゃなかったのだから。そういう相手に対して挑んだ今回の件は、彼女にも思う所があったはずである。

 

「お疲れ様」

「……お疲れ様です」

「吉川のこと、嫌い?」

「……」

「まぁ嫌いだよね。あんなこと言ってくるヤツなんだから。嫌いでもしょうがない。別におかしな話とは思わない。許してやれとは言わないけど……私としてはあんまり嫌いになって欲しくはないかな」

「……善処します」

「無理にとは言わないけどね。アイツも悪いところはあった……というか今回はほぼほぼアイツが悪いし。意固地だけど筋は通す人間だから、多分そのうち謝ってくるだろう。その時は……許してあげて欲しい」

「それは……はい。こっちも、生意気言ったので」

「どんな時も自分の非を認められるのは素晴らしいことだな」

 

 今回の件はほぼほぼ高坂さんが被害者なのだが、言い方が良くなかったという部分は存在している。実際、あんまり他者とコミュニケーションをしない上に吉川に若干睨まれていた彼女が孤立しないでいたのは先輩のおかげが大きいのだし。

 

「今後も、こういう事は増えていくと思うぞ。その覚悟はしておいた方が良い。時に、栄光って言う言葉は、輝きと一緒に使われることが多いよね」

「はい、そうですけど……?」

「どうしてだと思う?」

「どうして……プラスな表現だからじゃないですか? 栄光というもの自体がポジティブなものだから、プラスな表現を当てはめたとか。トロフィーとかを連想させるので、その色かもしれませんけど」

「おぉ、流石進学クラス。良い答えを返してくれる。それは半分正解だし、半分そうじゃない」

 

 いきなりの問いでもスパッと返してくれるのはありがたい。頭のいい人はこちらのこういう質問を変に茶化したりしないで真剣に考えてくれるので、話しやすかった。

 

 なぜこんな質問をしたのかを疑問に思っているだろう視線を感じつつ、私は暗い舞台裏の、どこでもない闇を見つめた。舞台裏はいつも落ち着く場所であり、緊張と高揚が混ざる場所だった。私はこの暗闇がそこまで嫌いじゃない。

 

「そこに至るまでに壊した夢の欠片が、スポットライトの光を反射させてるからだ」

 

 敢えて重苦しくならないように、するりとそう口にする。高坂さんは何も言わない。ただ、ジッとその言葉を噛みしめているように思えた。

 

「私にも指導者はいてね。最初は親だったわけだけど、留学先でもそういう人がいた。口も性格も悪い爺さんでね。あの爺を大学近くの湖にぶち込んでやることが私の密かな夢なんだが、それはともかく。その人から言われた言葉だ」

「夢の、欠片……」

「そう。意識的に、或いは無意識に。我々は栄光を目指して前に進んでいる間に、直接間接の違いはあれど、多くの夢を壊している。全国に行くって言うことだってそう。誰だって努力してるし、間違いなんかない。けれど叶う夢は少ない。その欠片が反射して、我々の輝きを増す」

「それを、覚えていないといけない、って言うことですか?」

「いや、そういう事じゃない。壊した夢のこと全部考えてたら病んでしまう。そうする必要はないけど、ただそういうモノがあった、ということだけは覚えておいて欲しい。それがきっと、自分を戒める道具になるはずだから」

 

 天狗になった途端、その人は最早落ちていくだけになる。頂点にいると思っている間は、一生上達しない。私はまだ、頂点とは思っていない。生きている人の間でそうであっても、私はそれ以上を知っている。だからずっと努力し続ける。例え再戦が叶わない相手であっても。例え、自分を納得させる機会など二度と来なかったとしても。

 

「さっきのは、才能ある人にだけ言っているらしい。そして『お前も才能があると思った若い奏者がいたら言え』と言われた。だから私は今、君に言った。どう受け取るかも、その上でどう解釈するかもどう行動するかも自由だ。取り敢えず、私がこれを伝えたのは君が最初だとは言っておく」

「それって……!」

「さぁ戻るぞ。君がいないとソロを含めた練習ができない」

「はい! あの、先輩」

「どうした?」

「先生って、呼んでいいですか」

「お好きにどうぞ」

 

 きっといつか、彼女は私を倒しに来るだろう。そうなった時、彼女が今日の事を思い出してくれることを願っている。彼女が意識的に壊したであろう、最初の夢のことを。この誰も完全に幸せになれなかった一幕の中で数少ない希望があるとすれば、きっとそうなる事なのだろうから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。