音を愛す君へ   作:tanuu

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第三十八音 関西大会

 バスに揺られること数時間。高速道路を降りて、会場近くにあるバスの駐車場で私たちは降り立つ。太陽の日差しは真夏ということもあり、一層燦々と降り注いでいる。見覚えのある制服が幾つも点在していた。いずれも関西では名を知られた強豪ぞろい。何度も取材を受けている学校もある。

 

 携帯には妹からのメッセージ。昨日の疲れのせいかさっき起きたらしい。随分と不健康な生活リズム、と思ったがあんまり人の事は言えない。「頑張れ」とだけシンプルに書かれている。了解とだけ返事をして、携帯はしまった。

 

 胸の中には銀のロザリオが今日も静かに存在している。きっと、今日の結果がどうなるかを見守ってくれるだろう。

 

 大阪東照のバスが近くに止まっている。そこにはテレビクルーも一緒にいた。真っ白なブレザーは彼らの特徴である。そして今日、破らなくてはいけない相手でもある。

 

「ウチも全国行ったら、来年くらいから付いてくるかもしれませんよ?」

「かもしれませんね。私は必ずしも取材を受けることが良いこととは思わないですが」

 

 先生はあまり興味なさげである。彼の理想は別に高校が有名になる事でも、自分の名が売れる事でもないだろう。そういう意味ではかなりストイックと言えた。

 

「とはいえ先生。ウチみたいな公立校は、私立と違って狭い範囲からしか生徒を吸えませんから、有名になって少しでも他校に流れるのを阻止しないと人材確保が出来ませんよ?」

「……なるほど。その時の対応はお任せしますね」

「えー」

「慣れているのでしょう?」

「ま、多少はですが」

 

 他の高校の女子生徒の黄色い声が先生に向けて刺さっている。

 

「あの人めっちゃカッコいい」

「えー、あれもしかして顧問? 嘘でしょ、若っ!」

「いいなぁ、アレどこの高校?」

「北宇治だって」

「北宇治? 京都? 十円玉の裏に書いてるヤツ?」

「何それ、法隆寺?」

「アンタたち忘れたの? ウチの顧問が言ってたじゃん。世界大会五連続優勝のプロに指導任せてるトコがあるって。それが北宇治だよ」

「あぁ、こないだテレビ出てた人?」

「そう!」

 

 話題がこっちの方にシフトしてるのが分かった。まだまだ無名、と言うことなのだろう。そもそも法隆寺は奈良県だ。我らが宇治にあるのは平等院。共通点が世界遺産の寺院という所しかない。

 

「あの……なんかごめんね。桜地君普通に凄い人だったんだ……」

「うん……」 

「いや別に良いですよ今更。自慢するようなことでもないですし」

 

 色んなパートの先輩や同期がバツの悪そうな顔をしている。まぁ春頃自分たちが言っていた内容を考えればちょっとくらい反省してもらっても構わないが、本番前にそんな落ち込まれても困るのでフォローしておく。それに、私は別に自分の経歴を自慢するためにここにいるんじゃない。例え過去にどんな経歴を辿っていようとも、今は北宇治高校吹奏楽部の指導者の一人である。それ以上でも、それ以下でもない。

 

 だから高坂さんはそのドヤ顔を止めて欲しい。自分が才能を見出した若い芸術家が大成した時のパトロンみたいな顔をしてる。普通逆だと思うのだが……。そんなことをしている間に、先生がパンと手を叩く。

 

「皆さん。ついに本番ですね」

 

 関西と言う会場の熱気により浮ついていた空気は、ピシッと締められた。

 

「北宇治高校が関西大会に来たのはかれこれ十年ぶりの事となります。昔は関西大会の常連だったという話をよく教頭から聞かされてきましたが……正直な話、そんな過去の話をされてもピンときませんよね。」

 

 まだ私が七歳の頃である。ピアノ教室をやめた年だった。大人の十年と、子供の十年には大きな隔たりがある。先生だって実感が無いだろう。その頃はまだ、二十代だったはずだ。

 

「私は皆さんがそんな過去を気にする必要は無いと思っています。関西大会初出場。そう思って、今日の本番に挑んで下さい」

「「「はい!」」」

「確かに周りはどこも強豪ぞろいです。何年もこの舞台に立って、全国大会に進んできた強者ぞろいです。しかし、私たちがそれを気にする必要はありません。私たちは私たちの演奏をする。それだけです。評価は気になると思いますが、それに固執する必要はありません。もしもこの大会でいい結果が残せなくても、それは皆さんの音楽が劣っていたというわけでは無くて、単に他の学校の方が審査員の評価が高かったというだけです。逆に優れた結果であっても、驕ったりすることの無いように」

「「「はい!」」」

 

 その言葉は、決して耳当たりの良いことではなかった。先生も覚悟している。ここを突破できない可能性を。それくらい、この舞台は厳しい。だからこそ敢えてああいう事を言った。万が一に際しても、彼らが少しでも落ち込まないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「立華が、銀賞……!?」

 

 その言葉があっという間に全員の中を駆け巡った。午前の部の結果発表でそれが分かったらしい。北宇治は午後の部なので演奏もまだだ。部活がスタートした時には到底敵わないと思っていた相手。サンフェスでもその実力を見せつけられた同じ京都のライバル。そんな立華の結果に動揺している。

 

 控え室での最後の練習。その報せが確実に影響してるのか、演奏はどことなく不安気だった。先生もそれを察したのだろう。手を叩いて注目させる。

 

「はい、止めて。では、一回だけ深呼吸しましょうか? 大きく息を吸って……吐いて……、吐いて、吐いて……。気持ちを楽にして、笑顔で!」

 

 その笑顔はどことなく引き攣っている。このタイミングでそれを言われても困るだろう。

 

「私からは以上です。次、お願いします」

「はい」

 

 今日この場で何を言うべきか、色々考えてきた。だがさっきの先生の発言で、方向性が決まる。

 

「先ほど先生がやや悲観的なことを仰ってくれたので、私は思いっきり楽観的な話をしようと思います。皆さんは、どこかで思っているかもしれません。或いはご家族、友人、そう言った人に言われたかもしれません。関西なんてすごい。ここまでよく頑張った」

 

 実際にそういう声は存在していた。職員室の中に、吹部じゃない友人たちの間に、私の知り合いの人たちの中に。その度に思った。私たちの目指す場所はそこじゃない、と。もっと上を目指してきた。

 

「でも目指してるのはここじゃない。春の北宇治の状況から比べれば、全国出場なんて奇跡に等しいのかもしれません。ですが、奇跡は努力の先にしか存在しない。私はそう思っています。そしてその奇跡を掴むのに相応しい努力を、皆さんは行ってきた。だからどうか、誰かの決めた限界じゃなくて、もっと先を。常識なんかで縛らないで、目指したい場所に手を伸ばして」

 

 もうここまで来たら、やりたいようにやるしかないだろう。そうすることが、きっとどんな結果になっても後悔しないことに繋がるはずだ。

 

「秋。名古屋で待ってるまだ見ぬライバルに聞かせてあげるつもりで、演奏してきてください。最後に。本番は?」

「「「楽観的に!」」」

「その通り。以上です」

 

 私の言葉に拍手が起きる。そんな風に手を叩いてもらえるようになったことは、これまでやって来たことが報われた証でもあるように思える。

 

「ありがとうございました。最後に部長、何かありますか?」

「先生。部長の前に少しだけ」

「はい。田中さん、どうぞ」

「……去年の今頃、私たちが今日この場所にいることを想像できた人は一人もいないと思う。二年と三年は色々あったから特にね。それが半年足らずでここまで来ることが出来た。それは紛れもなく身を粉にしてくれた二人の指導のお陰です。その二人への感謝の気持ちも込めて、今日の演奏は精一杯全員で楽しもう」

「「「はい!」」」

「……それから、今の私の気持ちを正直に言うと、私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、何としてでも次へ進んで北宇治の音を全国に響かせたい! だから皆、今日はこれまでの練習の成果を全部出し切って!」

 

 その言葉と表情は、普段は見えにくい副部長の珍しい本心であるように思えた。冷めているような態度を取ることが多いけれど、きっと彼女だって熱くなっている。冷静などではいられないのだろう。それはそうだ。この場所で、本当に冷静な人なんて誰もいない。

 

「「「はい!」」」

「じゃあ部長、例のやつを」

「え、あ、はい。では、皆さん。ご唱和下さい。北宇治、ふぁいとぉ……」

「「「おー!!」」」

 

 この謎のイントネーションで行われる掛け声は来年からも伝統になりそう。

 

「北宇治高校の皆さん、お時間です」

 

 スタッフの人が呼びに来る。ここからはもう音出しは厳禁だ。

 

 

 

 

 演奏しない組はまた舞台袖で待機だ。この時間も結構苦しい。もどかしいというか、じれったいというか、ともあれかなり苦しい時間なのだ。

 

「みぞれ。ソロ、頑張って」

「……うん。私、希美のために吹く。だから聞いてて」

「分かってるよ。ちゃんと聞いてる。だから、最高の演奏してね?」

 

 そう希美が言うとみぞれは何度もコクコクと頷いた。

 

「よし、良い顔だね。頑張って! ここで二人できちんと聞いてるから」

「うん。頑張る」

 

 みぞれは明るく笑っているのでそれは喜ばしいのだが、一個前の明静工科の演奏がかなり上手い。自由曲は『ダフニスとクロエ』。モーリス・ラヴェル作曲のバレエ音楽で、かなりレベルの高い曲だ。顧問が変わったから下手になった説が流布されていたが、やはりあてにならない。私立校が変な顧問を後任に呼ぶわけないのだ。

 

「……優子ちゃん」

 

ふと香織先輩の声が聞こえてきた。会話の減った待機場所に、その声はよく響く。

 

「何ですか?香織先輩」

「これからも、部のことよろしくね? 皆も、今までこんな私に付いてきて――」

 

 それは、まるでこの大会が最後かのような言葉だった。

 

「香織先輩。違います」

「え?」

「ここで終わりじゃありません。私たちが目指しているのは全国です。私たちは香織先輩と一緒に、全国に行くんです!」

 

 そして、彼女はその指をピンと上げる。それに合わせるように、笠野先輩や滝野、吉沢さんが指を上げる。部長も副部長も低音三人娘も高坂さんも、みぞれや希美も。そして、私や、それ以外の多くのメンバーも。中世古先輩以外の全員が指を上げる。皆、その行為の意味は多分分からない。それでも不思議な一体感が場を包んでいた。

 

「ほら、香織」

 

 笠野先輩に促されるように彼女はゆっくりと指を上げる。

 

「行きましょう。皆で、全国へ!」

 

 

 

 

 希美が開け放った暗幕から、部員たちは舞台へ向かっていく。その出口の横に立って、一人一人に激励を送っていく。なんだか気分は受験生を送り出す塾の先生みたいだ。返って来る反応は十人十色。だがその目にもう不安はない。ここまで来たらやるしかないのだ。皆、そう覚悟を決めている。

 

「プログラム十六番。北宇治高等学校吹奏楽。課題曲Ⅳ、自由曲は堀川奈美恵作曲

『三日月の舞。指揮は滝昇です』」

 

 眩しい景色だろう。私はよく知っている。あそこだけ暑いのだ。クーラーは効いてるはずなのに、あそこだけ夏の中にいるような気がするのだ。観客席から幾つも拍手が飛んでくる。でもそれは、前の学校のモノより薄い。誰もまだ知らないのだ。これからどういう演奏が来るのかを。

 

 あの熱の中。そこにいられたらどれだけ。何回もそう思った。けれど今はもう、私はあそこに立てない。きっと彼らより上手く、二つの曲を吹けないだろう。先生の腕が上がり、楽器が構えられた。そして、演奏が始まる。

 

 課題曲は問題ない。スペインからフランス、そしてスペインへ。楽譜通りの丁寧な演奏と丁寧な表現。府大会からの期間は自由曲の方を優先して練習した。それは自由曲の方が単純に難しいというのもあるが、表現と言う意味でまだまだ府大会の自由曲は未熟だったからと言うのも大きい。

 

 課題曲が終わり僅かな静寂。それを切り裂いて、トランペットが大きく音を響かせる。息の揃った音の粒がそのベルから一斉に吐き出されている。完璧に揃った。その演奏を聞いた瞬間に分かる。この楽器に向き合い続けて今年で十三年目になる。その経験値がこの演奏が瑕疵の無い事を証明していた。

 

 華々しいメロディーはパーカッション、低音、ホルンなどで彩られる。そこに木管が入り音の層が一気に分厚くなる。星空がそこにある。脳内に描き出される楽譜はどこもズレが無いと示すようにキラキラと光っている。

 

 クラリネットの浮遊感は空にいるように。木管のうねる連符は空を踊る星のように。そして最初のファンファーレに戻り、やがて全合奏のフォルテッシモを迎えると静かに収まっていく。

 

 始まるトランペットの高音は闇夜を切り裂く一筋の月光。中盤部分を少しゆっくりにする作戦は見事にはまっていた。その音色は強く明るくも、どこか切なくしっとりと。切なさと明るさを融合させた難しい表現であるが、見事にこなしている。流石は私の弟子。優秀だ。

 

 オーボエやユーフォニアムの演奏はその後に続く舞を示す部分になる。オーボエの抒情性たっぷりな音色は先ほどのトランペットソロにも負けないクオリティーで会場に響き渡っていた。甘く切なく、しっとりと。鮮やかに、美しく、光るようでどこか寂しい。彼女だけが世界を作れる。

 

 演奏と言うのは難しい。どんなプロフェッショナルでも完璧に揃えるのは大変だ。一音一音を丁寧に処理する。そういう指導を行ってきた。そして今、それはきちんと実行されている。楽譜を追うだけで精一杯にならない。そう告げた部分で、皆は先生に視線を送っている。

 

 演奏と言うのは100回やれば99回はどこかでミスがあるものだ。その大小は様々だろうけれど、無いということはほとんどない。けれど100回に1回だけ。そういうミスが無い時がある。普段はミスがあっても良いのだ。勿論無い方がいいけれど、それはあくまでも理想論。極論、その100回の内の1回が、今であれば良いのだから。

 

 三強の演奏と対決すれば、100回やって99回は北宇治が多分負ける。だけれど、その1回を、今日引きずり出す。それは努力によって形作られた奇跡として。

 

 そして演奏は最後のパートに入る。一気にまた曲調が変わる部分だ。スネアドラムとティンパニ、それに先導されるように木管楽器とグロッケンが明るいフレーズを奏でる。楽器はみな踊るように高音から低音まで飛び跳ねていく。終幕へ向かい出した演奏は華々しい。チャイムと一緒に突如現れたホルンがテンポのさらなる巻き上がりを行い、クレッシェンドを目指して曲が突き進む。

 

 そして、最後は重厚なスフォルツァティッシモのもとに終わりを告げた。

 

 演奏は終わってしまえばあっという間だった。誰一人としてミスはない。努力と汗の結晶はスポットライトに照らされ、燦然と眩く煌めいている。音符一つ一つが宝石のように思えて、とても美しく感じられた。

 

 その一瞬なる永遠を終えると会場は万雷の喝采に包まれた。それは、観客たちが送る、真に上手い人達への称賛だけで出来た喝采だった。斯くして彼らの実力は観客の心に届いたのだ。この拍手を貰えることが、演奏者の生き甲斐でもある。この魔力は、コンクールをやめられない理由かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「まずは皆さん、お疲れさまでした」

 

 先生の言葉に、部員は頭を下げる。

 

「皆さんの演奏はとても素晴らしかったです。悔いの残らない全力の演奏だったと思います。結果がどうあれ、皆さんが築き上げてきたものに変わりはありません。今日は胸を張って帰りましょう」

「「「はい!」」」

「では、これからについての指示を出します。まず結果発表までは自由行動です。各自自由に鑑賞して構いません。ただし、発表時は必ず大ホールに集合するように。混雑すると思いますが出来るだけ北口付近の席に集まるように。桜地君がずっとそこにいるとのことですので、迷ったら彼を見つけてください。一二年生は来年のコンクールもあります。他校の演奏を聞いて、良いところを沢山吸収しましょう」

「「「はい!」」」

「お前たちの着ている制服でどこの高校かすぐ分かる。北宇治の代表として、決して学校の名前を汚すようなことはするな。分かったか」

「「「はい!」」」

 

 松本先生の厳しい言葉に姿勢を正しながら、部員たちは返事をした。

 

 そうして今は他校の演奏を聞いている。仮にも関西まで来た猛者達だ。見習うべきところもある。メモを走らせながら聞き続ける。今は全国選出候補の一角、秀塔大附属の演奏を聞いている。

 

 やはり上手い。安定感、音色、表現力。素晴らしいに尽きる。が、一瞬だけ違和感。クラリネットのソロがミスをした。会場も少しざわめく。目立つからソロのミスは致命的だ。だが、それでも流石強豪。そんなもの無かったかのようにペースを取り戻した。このカバーは流石だが、如何せん今のは少し不味いかもしれない。

 

 とはいえ、この曲のソロは難しいことで有名だ。彼女を責めるのも筋違いだろう。曲と曲の合間はいつも少し時間がある。その時間は話し声もあちこちから聞こえるものだ。先生に言われた通り、北口付近の席を確保してそこでずっと聞いている。近くには黄前さんや高坂さん達もいるが、少し離れていた。

 

 どの学校も上手い。研究するには良い材料ばかりだ。来年の参考になる部分が無いかを探しながら、メモを続けていく。演奏曲は事前に全て公表されているので、楽譜は全部頭に叩き込んでいた。ペンを滑らせていると、横から声をかけられる。

 

「あ、あの……」

「はい」

 

 顔を上げれば白いブレザーの男女が数名。先ほど見かけた大阪東照の部員たちだ。

 

「えっと、何か?」

「桜地凛音さんですよね? 大阪東照高校トランペットパートです。あの、練習の時いつもCDとか参考にしてます。よかったらサインください!」

「え?」

 

 自前と思われるCDを差し出して来られては断るわけにはいかない。どういう顔をしたらいいのか分からないまま、名前を書く。嬉しそうにお辞儀をして去っていく彼らを、どういう顔をしたらいいのか分からないまま見送るしかなかった。

 

「有名人だねぇ」

「からかわないで」

 

 隣から肘でツンツンしてくる希美がケラケラと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 結果発表は直ぐだった。読み上げられるのを今か今かと皆待っている。関西大会の発表は府大会とは違う。ホール内にいるのは観客ではなく、ほとんどは学校関係者。後はマスコミとかそういう人々だ。ぎゅうぎゅう詰めになっていながらも、北宇治のメンバーは北口付近に固まっている。

 

 部長と副部長は学校代表者としてステージの上だ。午後に行われた演奏の結果が今、発表されようとしていた。

 

「プログラム十二番、滋賀県代表日出沢高等学校、銅賞」

「プログラム十三番、大阪府代表一ノ瀬高等学校、銀賞」

「プログラム十四番。花咲女子高等学校、銀賞」

 

 各発表の合間に漏れ出る落胆の声。それを気にしている余裕はあまりなかった。午後の部は十二番から。ここまでまだ、金賞はない。

 

「プログラム十五番。大阪府代表明静工科高等学校、ゴールド金賞!」

 

 拍手が起きる。あの演奏ならば妥当だ。それは向こうも同じ事を考えているようで、特に特別な反応は見当たらない。これが強豪校の余裕というモノなのだろう。ここはあくまで通過点。そういう反応だ。

 

 次。次だ。ここで金で無かった場合、全国は夢と潰える。握る手に力がこもる。府大会以上に緊張してきた。決して明静にも劣らない演奏を出来たと思っている。きっと金だ。私の贔屓無しの耳はそう告げていた。

 

「プログラム十六番。京都府代表北宇治高等学校。ゴールド金賞!」

 

 耳は確かにその言葉を捉えた。十人十色の喜び方が見える。弱小だった我々に余裕綽綽としている余裕などない。一先ず安心だ。ここもあくまで通過点に過ぎない。大切なのはこの後、全国大会出場校の発表。やっと、やっと夢に手が届くのだ。栄光への舞台に片足がかかった。

 

 他校の結果発表は粛々と進む。喜ぶ者、悲しむ者、諦めていたようにため息をつく者。だがしかし、それに注意を割く事など出来ない。

「続きまして、全国大会に進む関西代表三校を発表します。プログラム三番。大阪府代表、大阪東照高等学校」

 

 安定の関西三強。いつも通りの強さだった。午前中だったので演奏は聞けていないが、先生がCDを買うらしいのでそれで確認できる。どんな演奏だったのか、個人的に興味はあった。強豪校らしく悲鳴や歓声はなく、割と静かな喜びが白いブレザーの集団から巻き起こっている。

 

「プログラム十五番。大阪府代表、明静工科高等学校」

 

 また強豪の名前が呼ばれる。残る枠は後一つだ。こっちは泣きながら叫んでいる子もいる。同じ強豪でも、やはり違いはあるのかもしれない。向こうは顧問が変わったらしいので、そういう不安もあっただろう。

 

「そして三校目。これが最後の高校です」

 

 自分の結果発表でここまで緊張したことがあっただろうか。いつも余裕な顔をして座っていた記憶しかない。自分の演奏でなくて、他人の演奏でどうしてここまで緊張するのか。それはきっと、彼らと共に私も歩んできたという自負があるからだろう。

 

「最後に。プログラム十六番。京都府代表、北宇治高等学校」

 

 吠える。誰かがあるいは誰もが。吠える。叫ぶ。跳び跳ねる。抱き合い、ガッツポーズをする。

 

 夢の舞台への扉は開かれた。最初不可能と思われた目標は確かな形で以て達成されている。おとぎ話だと思っていた。けれど今、おとぎ話は現実になっている。あの時引き受けて良かった。心の底から思いながら、安堵の息を漏らす。

 

 努力は報われる。そう信じた者たちが、それを綺麗ごとで終わらせなかった瞬間だった。その姿に涙が零れてくる。それは今まで過ごした時間に対するモノであり、舞台に挑んだ彼らへの敬意であり、そしてもはや自分でもなんだかよく分からないモノに対して流しているのだろう。

 

 これで、彼らをくだらないと言い放ち、不可能と言った人間にその言葉を撤回させられる。腹立たしい祖母の顔が浮かんできたのでそれを脳内で拭い消した。結局、あの人は私の音楽家としての才能を信じていなかったのだろう。だからこそ、こういう結果になると思いもしなかった。ざまぁみろ。私は世界一だぞ。そういう言葉が心の中に漏れ出た。

 

 歓声が轟く中、隣は少し複雑な表情だった。自分がこの栄光の完全なる当事者でないことへの悲しみか、辞めた部活がここまで行った事への複雑な思いか。それは分からない。けれど一つだけ分かるのは、そんな思いを抱いたまま卒業させるわけにはいかないということだ。

 

「希美」

「なに」

「なんでそんな顔してるのさ。この歓喜の中に自分が完全には入れないなぁとか思ってるの?」

「それは……まぁね」

「確かに、今年はそうかもしれない。でも来年は違う」

「え?」

「私が、君を来年あそこに、いいやその先に連れていく。名古屋の会場で、全国から集まった選りすぐりの奏者の前で、演奏させる。必ずだ。だから今はそんな顔しないで。自分の辿る道なんだから」

「! ……うん。分かった。約束だよ」

「勿論」

 

 私は彼女に右手の小指を差し出す。恐る恐ると言うように、けれど確かに彼女は自分の小指をそれに巻き付けた。小さくも、大切な約束。去年、戦い続けて、そして傷ついて、敗れた彼女。もう一度夢を見たいと思えた彼女。そんな希美を、私は必ず全国大会に連れていく。来年、この手で。

 

 熱気の中で、私たちは静かにその指を切る。胸の中で、銀のロザリオが揺れていた。これまでの全てに喝采を送るように。

 

――――――――――――――――――

 

「プログラム十六番。京都府代表、北宇治高等学校」

 

 その言葉が発せられた時、もちろん嬉しかった。みぞれや凛音や優子たちが全国大会に行ける。香織先輩やあすか先輩のような真面目にやって来た人も、これで報われる。それは嬉しいことだと思ってる。でも、綺麗に笑うことは出来なかった。

 

 隣では、ハンカチで目元を抑えながら、彼が堪えられないという様子で涙を流している。夏紀から全部話を聞いていた。これまで、私が戻るまでの間どれほど頑張って来たのか。私が戻ろうとしている間の苦労は優子からも聞いている。先生と同じくらい、もしかしたらもっと多くのものを背負いながら、彼はここまで来ていた。部員かというと微妙で、先生ともまた違う。そんな間に挟まれた位置にいて、きっとその大変さは想像を超えているのだろう。

 

 だからこそ、その涙は彼の努力の象徴だった。もっと泣いていても良いのに、優しいから私の顔に気付いてしまう。咄嗟に隠そうとしたけれど、きっとバレていたのだろう。声をかけられた。

 

「希美」

「なに」

「なんでそんな顔してるのさ。この歓喜の中に自分が完全には入れないなぁとか思ってるの?」

「それは……まぁね」

 

 そう思うことがきっと正しくないのはよく理解している。でも、どうしても思わずにはいられなかった。今更と分かっていても。何もかも全部、完璧に笑うことはできない。私の答えに対して、彼は静かに笑顔を浮かべた。

 

「確かに、今年はそうかもしれない。でも来年は違う」

「え?」

「私が、君を来年あそこに、いいやその先に連れていく。名古屋の会場で、全国から集まった選りすぐりの奏者の前で、演奏させる。必ずだ。だから今はそんな顔しないで。自分の辿る道なんだから」

「! ……うん。分かった。約束だよ」

「勿論」

 

 彼は私の前に小指を差し出す。指きりなんて、何年やっていないだろう。それでも自然と手は伸びていた。静かに小指は切られる。

 

 彼が私を全国大会に連れていく。それが厳しい約束だということは分かってる。来年上手くいくかなんて分からない。それはきっと、向こうも分かってる。それでもやると言ってくれた。今度は吹奏楽部のためでも、他の誰のためでもない、私のために。

 

 今度こそ、私はしっかり心の底から笑えているのだろう。約束。その言葉を心の中で何度も何度も反芻する。笑顔で私を見つめる、その綺麗な瞳が目に入った。約束。もう一度、そう胸の中で呟く。その顔に、その言葉に、その瞳を、その姿に。

 

 心臓の鼓動がドン、と爆発するように飛び跳ねた。

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