関西大会はかくして終了した。全参加校中における最高の結果を迎えて。全国大会出場。この六文字は我々の脳内に燦然と輝いている。北宇治高校吹奏楽部、十数年ぶりの栄誉だ。
先生はどこか放心しているようにも見える。
「先生、先生!」
「あ、あぁすみません」
「しっかりしてください。まぁでも……気持ちはよく分かりますが。達成しちゃいましたね、目標。何と言うか、まだあんまり実感が無いです」
「私も、少し動揺しています。無論、いい意味でですが」
「ありがとうございました。色々ありましたけど、私はこの結果を迎えられて光栄です。この歓喜の中にいられるのは、先生が私を引き戻したからに他なりません。本当に、ありがとうございました」
「お礼を言わなくてはいけないのは、こちらの方です。あなたには随分と助けられました。最後まで、力を貸してください」
「勿論です」
先生を再び強く握手を交わす。松本先生が隣でずっと号泣していた。持っているのも最早ポケットティッシュではなくてボックスティッシュになっている。
「いやぁ、おめでとう。二人とも、全国に導いた名指導者だね。これからはボクも桜地先生と呼ばないとダメかもなぁ」
「いえ。まだ経験不足です。その称号は来年も全国に行ったら、呼んでもらうことにしましょう」
「お、特大ホームラン宣言だねぇ。でもそれでいい! そういうくらい前向きじゃないと。ほら、滝クンはちょっと後ろ向きだろ?」
「余計なことは言わないでください」
橋本先生はまた足を踏まれている。よく考えれば、割とラフな格好をしているのは彼だけ。非常に周りから浮いていた。結果はすぐに速報になって流れている。雫さんからはお祝いメッセージがしつこいくらい来ていた。
何もかもが歓喜に沸いている。集合場所に集まった部員たちの顔は、どれも晴れやかだ。非常に澄んだ顔をしている。心なしか、夕空までも澄み切っているような気がした。世界が色付いたかのように美しく瞳に映る。人間感情は現金だ。上手く行くと途端にこの調子である。でも、今はそれでいいのかもしれない。
「皆さん。お疲れさまでした。この結果になったことは、ひとえに皆さんの努力があったからだと思います」
先生の言葉はいつにもまして柔らかく、そして優しい。
「そんな……先生の指導が無かったら私たちは……」
部長は鼻を啜りながら涙声を出している。その姿に釣られるように、また涙を流している部員たち。まるで全国に行けなかったみたいな感じだが、明るい雰囲気が嬉し涙であることを物語っていた。
「本当にありがとうございました」
「「「ありがとうございました!」」」
先生だけでなく、新山先生や橋本先生、そして私の方に向かって部員一同の挨拶が行われる。お礼を言われる日が来るとは、春の頃の私は思ってもいなかっただろう。そもそも、こんな結果になることを誰が予想できただろうか。或いは、先生すらも予想の範疇を超えていたのかもしれない。
「お礼は嬉しいですが、まだ終わったわけではありません。府大会の時も言いましたが、私たちはたった今から代表です。それも京都だけではない、関西地区全部の吹奏楽部の代表です。同じく代表の大坂東照や明静工科に見劣りしない演奏をしなくてはいけません」
「「「はい!」」」
「ここで終わってしまった学校もあります。彼らに何故あんな高校が代表なのか、と思われない演奏を全国大会で見せましょう。よろしいですね?」
「「「はい!」」」
返事までどこか浮ついている。だがそれを咎める者は誰もいない。全国大会。吹奏楽部における一つの到達点。吹奏楽の甲子園とすら言えるその場所に、名古屋のセンチュリーホールに行けるのだから。彼らの努力が報われて良かった。後は、突っ走るだけ。私はそう思いながら、心の中で再度彼らに向けて拍手を行った。
「さぁ、喜ぶフェーズはこれくらいにしましょう」
帰りのバスは皆興奮しているかそれに気付かないくらい爆睡しているかの二択しかない。そんな中、最前列に座っている私と先生はいつも通りのテンションに戻りつつあった。私の割と剣呑な言葉に、先生は何事かという顔になる。
「随分と手厳しい言葉ですね」
「我々はいつまでも喜んでいられませんからね。全国大会まで約二ヵ月。この期間は勝負の期間でもあります」
「より上の賞を、と言うことでしょうか」
「まぁそれもありますが……来年度に向けた布石を打つという意味での勝負の期間です。全国大会でより良い結果を目指しつつ、来年度に向けた準備期間でもあるわけですから。継続的にこの結果を維持するのならば、一二年生をより強化しないといけない。ここからはある意味でボーナスステージです。どこまでやれるかで来年の結果の成否が大きく変わるでしょう」
特に今年の二年生は数が少ない。一人増えたとはいえ、それでも十六人しか奏者がいないのだ。大会メンバーをフルで採用したとしても30%ほどしか三年生がいない計算になる。普通の学校ならば一番研鑽を積み、一番上手い層が集まっているはずなのだが、この数では心もとない。来年滅茶苦茶上手い一年生が莫大な数入って来るならいざ知らず、それは理想でしかないだろう。
香織先輩や部長、副部長のような主戦力もいない。ファゴットの二人も卒業してしまう。クラリネットやフル―トもドカンと人が減るのは避けられない。少ない三年生でどう頑張るか。それは今からどこまで強化できるかにかかっているだろう。
「普段の演奏練習以外の研鑽を積む、と言うことならば私の方でも少し考えていたことがあります」
先生は自分の携帯を操作し、一つの画面を見せてくる。
「これは……駅ビルコンサートですか?」
「はい。関西大会が終わってから皆さんにはお話ししようと思っていましたが、駅ビルコンサートに参加しようと思います。丁度、参加依頼が来ていたので」
「あぁ、そう言えばそんな話を前に聞きました。ちょっと色々あって忘れてましたけど」
「このコンサートに参加することは一般の方にも演奏を披露するいい機会ですし、文化祭と合わせて一つの試みに出来るのではないかと思います。立華高校も出るようですし、良い勉強にもなるかと」
「駅ビルコンと言えば、私も一つ提案が」
今度は私の携帯の画面を見せる。
「清良女子高等学校吹奏楽部……桜地君、これは?」
「向こうの顧問の先生からです。駅ビルコンに出場依頼が来てるから、そちらに行ったら是非合同練習をしたいというお話ですね」
「なるほど、それは……非常に良い勉強になりそうです。しかし、どうしてこれが?」
「今の顧問の先生が、私の母と同期だったんですよ。なのでその縁で。お受けするなら先生にやり取りの引継ぎをしますが、どうしますか?」
「分かりました。非常にいい機会です。是非ともお受けしたいですね」
「了解です。先方にもその旨伝えて、後で先生のメアドも一緒に送っておきます」
「よろしくお願いします」
全国金の常連と、ポッと出の北宇治では同じ大会に出ると言っても大きく差が存在している。けれど折角の機会なのだ。より上手い演奏を聞いて、何か意見など貰って、自分たちの糧に出来たら良いと思う。折角向こうからお誘いが来ているので断る道理もないだろう。
あと、どうするか迷ってはいたのだがいい加減自分の妹がどんな環境で練習しているのかちょっと心配になっている。向こうもこっちも全国出場。しかも同じ市内だ。これは練習理由をこじつけるいい口実になるのではないだろうか。
「後ですね、これはあくまでも提案なのですが、同じ市内の全国出場校同士ということもあり、来年度の部員確保も見越して南中と一緒に一日くらい交流会をするのも悪くないと思うのですが……どうでしょうか? 向こうの部長はご存知の通り私の妹ですので、話は比較的通しやすいと思います」
「悪くない案ですが、向こうは中学校である以上高校より自由度は下がります。日程の問題もありますが、その辺りはどうでしょうか」
「そうですね……文化祭の一週間前の土曜日。ここはどうでしょう。中学の予定表を見る限り、大丈夫そうなので」
「分かりました。私の方からも先方に交渉を行いますが、そちらも通しつつ二重の交渉をお願いします。顧問の先生が乗り気でも生徒の方がそうではない、と言うこともありますから」
「四月の頃みたいにですね」
「そういう事です」
あの時期をちょっとした笑い話に出来るようになったのは、今こうして結果が付いているからだろう。今行った提案は全部私情なのだが、ここまで一生懸命やってきたと自負している。これくらいは許されるだろう。それに、決して無駄になるとは思えない。
中学とは言え課題曲のリストは同じだ。それに、上手い学校同士なら学べるところは必ずある。来年の部員確保だって戦略としては大事なことだ。北宇治のためになることをしつつ、自分のためになることもできる。これが真の意味でのwin-winだろう。
「ただいま」
関西大会の興奮が冷めないまま家に帰ったが、返事はない。手を洗って夜ご飯の準備をしようと思ったら、ソファで妹が死んでいた。正確には死にそうな顔のまま寝ていた。
「大丈夫?」
「あぁ……兄さん。全国出場なんでしょ、おめでとう……」
「それはありがとうなんだけど、その様子は一体何が?」
「うん? まぁ、ちょっと色々。後輩で揉め事一件。後は部内の空気が死んでる」
「具体的にどう死んでるんだ?」
「何と言うか……殺伐としてる」
「あぁ、そういう感じ」
「もうちょっと、無理かも」
妹は腕を顔の上に乗せた。その口からは深い息が漏れ出ている。やっぱりちょっとこのままだとマズい気がする。
「あのさ、誰も相談できる相手とかいないのか? 顧問とか、副部長とか」
「顧問は無理。報告したら自分らで解決しろって。副部長は……そんな事頼めない。クラだから、激戦区だし。結局部長がどうにかしないといけない」
「……なるほど」
これは結構根深い問題が眠っている気がする。希美の後輩たちなのだし、妹のメンタルもあるしどうにか解決してあげたいのだが、介入できる部分がやはり少ない。
「一応関西終わるまで言わないでおいたんだけど」
「何?」
「この度希美が部に戻ってきました」
「……そう。え……本当にっ!? 嘘じゃない? 本当に戻って来たの!?」
「嘘ついてどうするの。あとあの、普通に色々あったんだけれど多分頼めば普通に家に来てくれます」
「あぁぁ……!」
妹が壊れた。なんか狂気に満ちた目をしている。怖い、本当に怖い。そんな感じじゃなかったはずなのだが、これまでのストレスとそれを吹っ飛ばす情報によっておかしくなってしまった感じはある。だとしたらこれは今迂闊に情報を渡した私のせいなのか……?
「それでなのですけどね、同じ市内の全国出場校同士、交流と称して合同練習でもしない? という話になっているのだけれど、そちらとしてはどう?」
「万難を排してお迎えします」
「あ、あぁそう」
これは、本当にちょっとどうにかしないとマズいと思っている。別に希美を尊敬するのは全然構わないのだが、理想の希美像を勝手に設定しているせいでそれをめがけて終わらないマラソンをやっている可能性は高い。前々からその予兆はあったけれど、いよいよもってそんな感じになっていった。きっと問題が発生するたびにその理想像はどんどん完璧なものになっていき、今ではもう半分くらい聖人君子の出来上がりになりつつある。
こんな状態ではいい結果を招かないだろうし、そもそも部活が空中分解しかねない。新顧問、ちょっと面貸してもらおうかと、そういう案件になってきた。人の妹を都合のいい小隊長か何かだと思っているのだろうか。だとしたら少しばかりお話をしたいところである。
それにしてもだ。現在抱えている問題は特に無し。発生する兆しも特に無し。ならいい加減、家庭に存在している問題を解決しておきたいという気持ちがある。どうしようか迷ったが、それでも言わないよりはいいと思って言うことにした。
「あの、ちょっといい?」
「何」
「気を悪くしないでほしいんだけど、希美ってそんな完璧人間じゃないぞ?」
「……は?」
「いや、普通に問題点もあるし、何でもかんでも出来るわけじゃないし。そんな素晴らしい完璧で究極の存在じゃないでしょ、普通に」
「……てる」
「?」
「分かってるよ、そんなの! でもしょうがないじゃん、私が先輩の夢を継ぐって言ったんだから!」
「全国に行ったんだ、南中の悲願は叶っただろ」
「今更、今更変えられないの。私は他にやり方なんか知らない! 希美先輩を真似しないんだったら、他には兄さんを真似するしかないじゃない! でもそれはやだ!」
「やだってそんな……。まぁ私が嫌いなら、自分のやり方でやりたいようにやればいいだろ」
「無理。そんなの無理。今までずっと、誰かの真似して生きてきたんだから! そうしないといけなかったんだから!」
滅多に出さない大声で、妹は私に向かって叫んでいた。
「桜地家の娘として相応しく、貞淑に、気品と優雅さを身に付けろ、そういう風に教育されてきたんだから。兄さんがヨーロッパで友達と遊んでる間ずっとずっとずっと!」
「父さんはともかく、母さんがそんな事するわけないだろ」
「二人とも拒んでたよ。でもそうしないと周りからずーっとネチネチ言われ続ける。私一人が我慢すれば、ずっと済む話だったんだから。兄さんが向こうに行く前だって、兄さんみたいになれって言われてたのに、その後は今まで兄さんみたいになれって言われたのが全部変えられて、あんな風にはなるな、模範人間になれって言われて……それからずっとそのまま。今更自分らしくなんて振る舞えるわけないでしょ!」
家のガラスがびりびりと震える。彼女は荒い息で、涙を浮かべながら私を睨んでいた。
「だから部長になる時も、モデルケースを見つけてそれを追いかけるしかなかった。希美先輩がそれだったの。だから私は、作られた理想通りにしか生きられない。誰かの、教科書の真似してしか振る舞えない。それ以外に生き方なんて、自分がどうしたいかなんて、分からない……分からないよ……」
嗚咽を漏らしながら、妹はそのまま部屋を出て走り去っていく。私は唖然とした顔でそれを見送るしかない。希美の問題や部内のアレコレよりも、もっと先にもっと早く向き合うべき大問題が、こんなにも近くに横たわっていたなんて。そしてそれに今の今まで気付けなかった私自身に嫌気がさす。
同じ家に住んでいて、同じ両親から産まれて、そんな存在だからこそどこかで甘えていたのかもしれない。今はそこまでスムーズな関係じゃなくてもいつかはきっと元に戻れると。希美との関係が改善してからは一層その想いが強まっていたのだ。だから言ってしまったのだ。彼女の一番触れられたくない部分について。
誰かの真似をしてしか生きられない。教科書通り、理想通り。そしてその理想はきっと、ウチの家にとっての理想だ。世間一般のそれとはまた違う。経営者としての理想像。慕われるより恐れ敬われる、そんな存在。それこそが彼女に押し付けられた理想像。
けれど無意識に抵抗しているから、部長という地位におけるモデルケースは希美を選んだ。だがこれまでの理想と希美の像は相反するもの。だからその矛盾のせいで上手く行かず、修正するやり方を知らないからそのまま突き進むしかない。いや、知らないと言うより出来ないの方が正しいのかもしれない。
まだ彼女は14歳なのだ。それでそんな生き方をしていたら、どこかで壊れてしまう。それがきっと今なのだろう。私という存在が大きな意味での桜地家で否定されていたのだとしたら、希美は誰にも否定されていない、自分と違う生き方をしている存在だった。だから眩しくて、輝いていて、モデルケースにした。でもそれはこれまでの常識と矛盾していた。そして破綻した。そこに全ての原因がある。
つくづく面倒な家だ。なまじ歴史があるせいで色々と拗らせている。結局その日、妹は風呂以外で部屋から出てこなかった。
「と言うことです。妹と喧嘩しました。助けてください」
「なんとなく分かったけど、それ下手に介入したらもっととんでもないことにならない? 今部外者がどうこうするより、涼音ちゃん本人がどうにかしないと、多分何も動かないと思うよ。新しい先生、私はよく知らないし……」
希美は悩んだ様子で私の懇願に答えた。
時間は関西大会の翌日。流石に半日くらい休みをください、ということで午後はお休みになっている。私の家で緑茶を飲みながら、彼女は昨日やこれまでの話を聞いていた。その上で返って来たのが今の答えなのである。
「何とかしてあげたいんだけどね。元はと言えば、私が残した呪いみたいなモノだし……。でも、結局演奏するのも普段の部活生活を送るのも、私じゃなくて涼音ちゃん本人だからなぁ」
「それは重々承知なんだけど、何かアイデアでも良いからください。と言うか君の頃揉め事とか無かったの?」
「普通にあったけど?」
「ですよね……」
まるで何も問題が起きていない空間だったかのように妹は常日頃言っているが、当然そんなわけはない。絶対揉め事の二つ三つ起きているのだ。そもそも、大人数が一緒に行動して何も無いなんてことは無い。クラスの中ですら起きうるのに、部活で起きないなんてことは無いのだ。やはり、神格化されたモデルケースを採用しているせいでこんな事になっているのだろう。
誰かの真似をするのは悪いことじゃない。上手く行ったケースを真似すれば上手く行く可能性があるからだ。けれど何の改良もせずにいてはダメだろう。周りも自分たちの環境も変化しているのだから。これまで曲がりなりにも回っていたのは、きっと彼女自身の優秀さに支えられてのことであると思う。
「自分がどうしたいか分からない、モデルケースを追っているだけ、か……」
希美はアチチと言いながら湯呑からお茶を啜った。
「まぁ言ってることは分かるんだけど、やっぱりモデルケースになってる私が色々言うと、涼音ちゃんの中にあるモノと矛盾してバラバラになって、何も出来なくなっちゃわないかな」
「確かにそうかもしれない」
「それにだけど……そんな風には見えなかったんだけどな」
「何が?」
「涼音ちゃん。自分のやりたいこと、ちゃんとある子だと思ってたんだけど。バイオリンやめてフルート始めたのも、南中の演奏会で小6の時私の演奏見たからって言ってたし。そもそも音楽始めたのも、反対されたけど凛音がやってたから、そんな風になりたかったって言ってたし。それって自分の意思じゃないかなって思う。理想通り、って感じじゃないし……」
音楽を始めた理由は正直初耳だった。近しい間柄だからこそ知らないことがある。それを今更にして思い知らされている。だが普段、つまり希美部長時代は普通にしていた。けれど今はあんな風になっている。そこに存在している違いは……責任と立場だ。
「アレかもしれない。人を導かないといけない立場になってしまったから、トリガーが発動してそういうモードになったのかもしれない。両親が死んでから、親戚とか面倒なこと言ってくる連中との関りはほとんど断ってたし、多分部長職って言う立場が変な引き金引いて、それに自分で宣言した内容が重なって、自縄自縛って感じ」
「じじょう……?」
「自分で縄用意して、自分で縛るってこと」
「あぁ、確かにそうかもね……」
希美は真剣に悩んでいる。正直、もう他人と言えば他人だし自分が崇拝されてるのも普通に迷惑な話だと思うのだが、そういう感じは一切見せることなく、彼女は純粋に私の妹を想って悩んでくれている。きっと、涼音が希美をモデルケースにしたのはこういう部分に惹かれたからなのだろう。そしてその想いはあの夏の事件以来一層強まった。自分の閉ざした心を開けてくれたのだから。
「誰か、他に相談できる相手はいないのかな……。一人で戦うのは辛いよ」
「どうだろう。断片で聞く限り、尊敬はされてるみたいなんだけど、怖がられてもいるみたいなんだよな。花火大会とかも誘われてないのか、断ったのか……。あ、でもなんか一緒に映画観に行った相手はいるっぽい」
「同じ部活の子?」
「分からないんだよなぁ、それが。教えてくれない。その相手なら、何か糸口があるかもしれないけど」
「う~ん……。それ、久御山の映画館?」
「多分」
「そこ、働いてる友達いるよ。バイトの。夏休み中ほとんど出勤してるって言ってたから、ちょっと聞いてみるね」
「流石に覚えてないんじゃないかな」
「まぁでもやらないよりは確率あるじゃん?」
「それもそうか……。じゃあ、お願いできる」
「任せて」
希美は携帯をポチポチと触り始めた。暫くすると返信が来たようである。こういう時彼女の広い交友関係はありがたい。学年でも中心にいるのはその高いコミュニケーション能力に起因しているのだろう。もっともそれは広く浅くであるからして、時々みぞれのような事態を招くのであるが。
「あ、なんか見たことあるって。ウチの学校の男子と一緒だったってよ」
「……え」
「う~んと……あ、吹部で見たことあるみたい」
一瞬で吹部男子の顔が頭に浮かんだ。野口先輩はその日デート、臼井先輩は帰省、田邊先輩も同様。塚本君と瀧川君は遊んでたみたいだし、後藤はそんなことしない。残りは……アイツだけ。そう言えば合宿中になんか言っていた。正直それどころじゃなかったのであんまり覚えてなかったが、今思えば確かにそれっぽいことを言っていたのを覚えている。
「アイツか……」
「誰?」
「滝野」
「滝野君? でもなんか接点あったっけ」
「……花火大会の時、引き籠って練習してるだけだった涼音を無理矢理連れ出した。その時、本当は一緒に行く予定だった滝野と合わせて三人で行動してたんだ」
「なるほどそれで……。じゃあ多分連絡先とかも交換してるんじゃない? 頼んでみたら?」
「こんな根深い問題にいきなり巻き込んで良いモノか迷ってる」
「確かにそうだけど、他にいなそうだし……」
それもそうだ。確かに滝野を巻き込むのは申し訳ない部分もあるが、正直他に打つ手がない。希美は下手に言っても聞き入れてもらえるか不明だし、何より呪いを残した張本人である。私はもう無理だろうし、全く南中ともウチの家とも関係ない人に頼むしかないのだろう。気が引けるのもそうだが、妹の方が大切だ。
それに、私に隠していたことでちょっと問い詰めたい部分もある。
「うい~、おはよう~」
翌日の朝。まだ夏休みがあと数日あるので、今日も今日とて朝練である。そんな中、眠そうな顔で件の彼は登校してきた。
「やぁ滝野君」
「ゲッ」
「げ、とはどういう意味かな?」
「大体お前がそういう口調の時はなんか問題発生した時だろ」
「察しが良くて助かる。今日はパート練からだけど、香織先輩とかに許可は取ってるのでちょっと話をしたい。割と大事な」
そのまま彼を空き教室に連行した。斎藤先輩説得にも使ったある意味で曰く付きの教室である。
「単刀直入に言うけどさ」
「お、おう」
「君、私の妹の連絡先とか持ってるでしょ。久御山の映画館で見かけた人がいるらしいんだよね、君たちを」
「……マジかぁ。誰が言ってた?」
「希美の友達」
「傘木さん交友関係広すぎだろ……。まぁ隠してたのは悪かった。正直すまんと思ってる」
「なんで黙ってた」
「シスコンに殺されそうだったから」
「何だとこの野郎。……まぁイラっとはしたけど殺しはしない。私の人生じゃないし、何より一応信頼はしてるから」
彼と言う人間の事は、曲がりなりにも二年ほど付き合ってそれなりに分かっているつもりだ。時々無神経だし下心がたまに見えるせいで吉川に怒られてるわけだが、それでも悪い人間じゃない。少なくとも、私にはそう思えていた。
「それで、その確認か?」
「いやそれはまぁあくまでも最初の入り口。本題はここからなんだけど……ウチの妹がちょっとヤバいので助けてほしい」
「ヤバいって具体的に何が」
「メンタル」
掻い摘んだあらましを話す。先ほどまでの眠そうな顔は既に無く、彼はかなり真面目な顔で私の話を聞いていた。普段は普通の男なのだが、こういう時に真剣になってくれるのは前から分かっていた。
再オーディションの時も、彼は真剣に自分の行動をどうするべきか悩んでいた。そういう人でなければそもそも相談しない。
「……なんとなく分かった。でもどうにか出来るかは分かんねぇぞ?」
「引き受けてくれるのか? 正直出会ってまだ一ヵ月も経ってない相手に頼むのはどうかと思ってる自分もいるんだけど。そんなに思い入れも無いと思うから」
「前によ、先輩のオーディションの時、話したこと覚えてるか?」
「それはもちろん」
「俺はさ、ずっと何も出来ない自分が嫌だった」
「けど、ちゃんと拍手してたじゃないか。少なくともしてなかった人よりよっぽど……」
「それは嬉しいけど、それじゃダメなんだ。先輩の事も、吉川の事も、傘木さんの事も、全部お前は何とかした」
「それは過大評価だ」
「いや、お前は自分を過小評価してる。何もかもやったわけじゃないだろうけど、それでも多少は関わって良い方向に持っていった。俺はさ多分お前に憧れてた。同じ楽器で同じ年なのにこんな差があるのかって。だからそんなヤツが悩んでるなら、次は俺が何かしないといけないだろ。もし何かできる可能性があるなら」
「そうか……ありがとう」
「上手く行くかの保障は出来ないけどな」
「それでいい。動いてくれるだけで、助かる」
「おう」
それだけ言うと、彼はまた教室に戻っていく。なんかやらかしたんじゃないでしょうね、と吉川に突かれながら、彼はまたいつも通りに笑っていた。私は幸運ばかりの人生とは言えない生涯を送ってきたけれど、少なくとも友達には恵まれていた。それを今、確かに思えたのだ。