音を愛す君へ   作:tanuu

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第四十四音 夜想曲

「よろしく、お願いします……」

 

 普段の元気溌剌とした声はどこへやら、その声量はとても小さい。他の生徒の家に押し掛けるよりはこっちの方が許可も取りやすいので選んだのだろうけれど、それでもやっぱり同級生の家に泊まるのは少しばかり恥ずかしいモノだろう。なんなら誘っておいてアレだけれど、私も恥ずかしい。

 

 この感情が表に出ないように、私は努めて冷静に頷く。

 

「了解。流石にこの雨の中帰るのはちょっと嫌だし、迎えを呼ぶから少し待ってて」

「分かった」

 

 そう告げつつ携帯を取り出す。連絡先の中から彼女の名前はすぐに見つかった。ウチの家に運転できる人は従姉一人しかいない。電話でお迎えに来て欲しい旨を話すと、すぐに了承してくれた。あと少し遅いと、向こうから電話するところだったらしい。フットワークが軽くて助かった。

 

「ま、少ししたらで来るでしょう。それまで待ってろって」

「いきなり言って来てくれるんだ。うちだったら頑張って帰ってこいって言われそうなのに」

「屋根とシャッター付きのガレージがあるからね。濡れないからパッと来てくれる。これで車が外だったら多分面倒だなぁと思われるだろうけど」

「でも、優しいね」

「まぁ他に頼れる家族がいない者同士だし。もうかれこれ……十年くらいかな。同じ家に住んでるんだから、姉みたいな感じ」

「でも、敬語だよ?」

「元々居候だからね。昔からああいう感じ」

 

 彼女が私の家に住み始めた時は流石に少し緊張した。向こうも自分の両親以外と寝食を共にするのは初めての経験だったので、最初の頃は戸惑っていたのを覚えている。家庭のルールはそれぞれ違うからだ。それでも何年も経て今の環境になっている。もし彼女がいなければ、私たち兄妹は今の家にすら住めていない可能性がある。

 

 チラリと見れば、外の雨は一層激しくなっていた。バケツをひっくり返したような雨だ。風も強くなっている気がする。台風の予想では明日が大荒れの予定だったけれど、少し早まったらしい。

 

「これはお休みだなぁ、明日の練習。さっき先生と話し合っておいて良かった」

「休みになるかなぁ」

「なって欲しいの?」

「小テスト消えるよ?」

「そういうのは大体別の日に回されるじゃん。皆も全国大会も近いのに、あんまり休みたくないでしょ」

「そっか、そうだよね」

「どうあっても私はやる事あるけど。いきなりぽっかり休みが出来ても生活リズム崩れそうで困る。……あ、中学校からメールだ。明日は休校、なるほど」

「南中判断速いね。高校は遅いのに」

「確かに」

 

 校門から昇降口まで続く坂を上って青い車がやって来る。セダンタイプの年代物は雨の中ワイパーを動かしながら、そのライトでこちらを照らして来る。 

 

「来たみたい。じゃ、行こうか」

「あ、うん」

「後ろの席の好きな所に座って」

 

 昇降口の前の階段先に停車してくれた。傘をさして歩いて行く。後ろの席のドアを開けて、彼女が乗り込むときに雨でぬれないように傘を被せた。どこかの御家のお嬢様がお迎えを呼んだみたいになっている。私はさしずめ使用人だろう。 

 

「ありがとね」

「はいはい」

 

 私も助手席に乗り込む。左ハンドルなので、助手席は右側だ。

 

「オッケー出して下さいな」

「分かりました」

「安全運転でね? いつもならともかく、今日は人を乗せてるんだから」

「凛音君に言われずとも、分かってますとも。他所のお嬢様を巻き込めませんので」

「いつもその調子だと嬉しいんですけどね」

 

 彼女の運転は少し荒い。事故を起こしたことは無いけれど、もうゴールド免許じゃない。多分合宿免許とかでスピーディーに取ってしまったのが原因だと思うのだが。或いは生国である福岡の県民性なのかもしれない。

 

「こうしてお話しするのはもしかしたら初めてかもしれませんね。凛音君の従姉の桜地雫です。彼と涼音さんの姉のような事をしています。どうぞよろしくお願い致します」

「あ、お世話になります」

「いいえ。素敵なお客様がいらしてくれるのは数年ぶりですから。大したことはできませんが、歓迎いたします。しかし、一体またどうして泊まるなんてお話に? そういう間柄でしたか?」

「違う違う。家に鍵を忘れて、親もいない上に今日は帰れないから入れないんだって」

「あははは……」

 

 後ろから乾いた笑い声がする。バックミラーで顔を見れば、目を逸らしていた。自分のドジが原因なので、乾いた笑いしか出てこないのだろう。別にそんな恥じる事でもないとは思うけれど、基本的には真面目なタチなので私の家に厄介になるのを迷惑をかけていると思っているのかもしれない。別にそんな事誰も思っていないと思うけれど。

 

「それはなんともまぁ御愁傷様と言いますか」

「一人で放置してくわけにもいかないでしょう? 他のご家庭とは違って、ウチは私が家主ですし。そういう訳でお招きしました」

「まぁ体裁はどうあれ、同級生の女子を連れ込む事に成功したわけですね」

「連れ込むとか言わないでください。不純な目的なんてありませんから。第一、雫さんも涼音もいるのに、何するって言うんですか」

「いなければ何かするんですか?」

「しません」

「それは残念」

「常識的なの……さっきからめっちゃ笑われてるんですけど」

「あら、そうでしたか? 同級生に笑われるとは可哀想に」

「自分が笑われてるという自覚はないと。……いつまで笑ってるの。そんなに面白い?」

「えー、いやだっていつもと全然違うし。ギャップが面白くて」

「だそうですよ。今の流行りはギャップ萌えです。やりましたね」

「そろそろ黙って運転してくれませんか?」

「もう着きますよ」

 

 下らなすぎる会話の間に住宅街を通り抜け、自分の家に着く。

 

「あれ、玄関通りすぎちゃったけど良いの?」

「車の出入り口は玄関の真後ろの方なんだよ」

「知らなかった……。そんな家あるんだ」

「後付けだからね」

 

 住宅街というのは普通家が縦二軒横に五~十軒くらいの家がブロックみたいにたくさんあって、そのブロックとブロックの間に道路がある感じだと思う。実際周りの家はそんな感じだ。けれど我が家はそのブロック数個を一軒で占領してる。なので、家の周りを囲むように道路があるのだ。車はガレージに収まり、裏口から家に入る。

 

「ただいま」

「今戻りました」

「お、お邪魔しま~す」

「はいはいお帰り。凄い雨で、ちょっと参っちゃう。月曜日はお休みってメール来たし。練習できない……先輩? え、何で先輩がここに?」

 

 タオルを持って出てきてくれた妹は滅茶苦茶驚いてる。憧れの先輩が家に来てくれたのは彼女目線だと久しぶりになる。この前南中の関西大会の結果発表時に一度来ているのだけれど、それは彼女には知らせていなかった。あの時はまだ、問題を抱えたままだったので会わせない方が良いという判断をしたのだ。

 

 けれどそれから多少日にちは流れ、この前の合同練習を経てすっかり大丈夫になったので連れてきたという観点もある。もしダメそうなら鎧塚家に頼み込んでどうにかするつもりだった。向こうのお母さんは何回か会ったこともあるし、話も通じるだろうから。

 

 もっとも、最近の妹はなんだか吉川に近づきつつあって別の意味で心配になって来ることもしばしばだ。取り敢えず驚いている妹に先ほどしたようなものと同じ説明を行う。

 

「家に鍵を忘れて、親は帰ってこないから入れないんだそうで。放ってはおけないでしょ?」

「そ、そうなんだ。雨宿り的な……?」

「ご宿泊です」

「よろしくね、涼音ちゃん」

「え、え、え……」

 

 目を白黒させながら、私たちの顔を交互に見てくる。まるで宝くじで一等を当てたか、競馬で万馬券でも引き当てたような顔をしている。憧れの先輩と一つ屋根の下は確かにこんな顔になるかもしれない。それが異性であれ、同性であれ。

 

 合宿などとはわけが違う。修学旅行ともまた別種だろう。まぁ私は修学旅行に行ったことが無いから厳密には分からないけど。自分の住んでる空間にそういう存在が来てくれると言うのは、喜び半分驚き半分みたいな感じになるのも理解できた。私だってパートの先輩とかが来たらこんな顔になる。

 

「悪いけど、客間の用意しておいて」

「ごめんね、涼音ちゃん。急に押し掛けて仕事させちゃって」

「いえいえ、気にしないで下さい! むしろ放置して帰ってきたら二度と口きかないです! 大したおもてなしも出来ませんけど、ゆっくりしていって下さい」

「本当にありがとう。何か手伝うことがあったら遠慮なく言ってね。ちゃんと働くから」

「そんなそんな、お客さんですし。悪いですよ」

 

 じゃあ行ってきます、と言って彼女はパタパタと走り去っていく。顔は喜色満面。全国行きになった時や合同練習の時ですらあんな顔して無かった。遠くから嬉しそうな悲鳴が聞こえてくる。余程ラッキーな出来事だったのだろう。同級生女子を家に泊めるという事態が発生していて、本来は喜ぶべき私より楽しんでいる気がする。

 

「親御さんには私から連絡しておきますね」

「ありがとうございます。これ、電話番号です」

「はい、確かに」

 

 雫さんは自分の携帯を取り出して、電話をかけ始める。その話し声を背景に、私は彼女を案内することにした。

 

「私たちも行こうか」

 

 裏口はあんまり人を案内しない。車で送る時も大体正面玄関から門前に横付けして送ることが多い。迎える時もまた然りだ。靴とかは雫さんが回収してくれる服などは大体が彼女の担当になっている。

 

「なんか、旅館みたいだね。何回か来ても思うけど」

「部屋とかは洋風だけどね。和風は住みにくくて。留学が長かったのもあるけど、基本は母親の趣味なんだ。それでなんだけど、見取り図とか無いから頑張って覚えて欲しい。お手洗いの場所とかは知ってるでしょ?」

「なんとなく」

「良かった。後で部屋にも案内するから。鞄とかはそこに置いておけばいいよ。服は多分涼音の服が入ると思うんだよね、身長的に。で、後は……ご飯とお風呂とどっちが先が良い?」

「えっと……ご飯? 」

「そっか。ウチと同じで良かった」

 

 私はなんとなくご飯食べた後にお風呂の方が楽でいいかなぁと思っている。洗い物とか洗い場の掃除とかをすると手が汚れるし冷える。なのでなんとなくいつもこの順番だ。ダイニングやリビングは何回も連れてきたことがあるので、場所は分かっているだろう。

 

「テレビでも見てて。その間に料理しちゃうから」

「でも、何にもしないのは悪いから手伝うよ。何かできる事、ある?」

「それは助かる。じゃあ冷蔵庫から魚出して。あとボウルに入ってるヤツ」

「はーい。このおっきいボウル?」

「そうそう」

 

 広めのキッチン、普段は私が占領してるが、最後にここで誰かと二人で料理したのはいつの事だろう。あれはまだ、両親が生きていた頃。ふと懐かしさに包まれた。予想以上にテキパキと動いてくれて助かる。これは少し良いものを出さないといけないかもしれない。お客様に平凡な夕食では名折れだ。好物が変わってなければまだ好きなはずと思って冷蔵庫から取り出した。

 

「そ、それは……!」

「たまたま買ってあった。好きでしょ? おくら」

「あぁ、神様仏様凛音様。最近あんまり食べれなかったの……!」

「そんなに好きだったの? ではここではんぺんを出すと……」

「止めて」

「分かってるよ。冗談冗談」

 

 彼女の好きな物は納豆、オクラ、山芋。納豆は大学の友人に食べさせた時、人間の食うものじゃないと言われたが、彼女は大層好きなようだ。山芋も納豆も置いてないけれど、オクラは偶然冷蔵庫に入っていた。数日前の私の好判断を自分で褒め称える。

 

 反対に嫌いな物はカニカマとはんぺん。サラダに便利な前者とおでんによく出てくる後者だが嫌いらしい。練り物が嫌いなのかと言えばそうじゃないらしく、ナルトは普通に食べていた。カマボコは出来れば遠慮したいけれど食べれないことも無いらしい。

 

 誕生日は12月3日。星座は射手座。好きな色は紫とピンクで、趣味は写真を撮ること。特技はダンス。一応昔はピアノを習っていたけれど、中学から吹部に入って今は辞めている。持っているフルートはマイ楽器。南中吹奏楽部の特徴だ。

 

 口も手も動かしながらやると段々出来てきた。いつもより早く食べれそうで助かる。妹は全然出来ないし、雫さんは適当すぎる。まぁ家庭料理なんて多少雑でも出来るのだけれど、その多少の枠を超えて雑なので困ってしまうのだ。

 

「お部屋の準備できました。あと先輩、寝るときの服は私ので良いですか?」

「うん、ありがとう」

「先輩、新婚さんみたいですね」

「ゲホッ!」

 

 妹の発言に、休憩がてらお茶を飲んでいた希美が咳き込む。変なところに入ったみたいで結構激しめに咳き込んでいた。背中をさすりながら、唐突に変な発言をしてくる妹を咎める。 

 

「ちょ、変な事言わないで。手元が狂うし、希美もこんなになっちゃったじゃないか。希美も何か言ったら?」

「新婚……結婚……いやいや付き合ってもないのにそれは早すぎ……」

「おーい、戻ってきてー」

 

 何か上の空で何か小声で言ってて怖い。とは言え咳き込んでいたのは大丈夫になったようなので、気にしないようにして作業に戻った。まだ夏服の制服を着ながら、台所に立っている姿は確かに若奥様でも通用するかもしれない。真面目な横顔が見せる大人っぽさと、それでいてどこかまだ子供っぽいアンバランスな状態は、この時期だからこそ持っている美しさなのかもしれない。

 

「アチッ!」

 

 そんな事を考えていたら、思わずまだ熱いフライパンをちょっとだけ触ってしまう。幸い火傷はしてないようだけれど、水で冷やしておいた。心配そうに冷蔵庫の保冷剤と氷を取り出して来る彼女に曖昧な笑いを返しながら、私は自分の不注意を呪う。大丈夫、の声に大丈夫と返して、また手を動かした。

 

 見惚れていたなんて、簡単には認められない。何故なら、自分の行動の理由をしてしまったら。自覚してしまったら、これまでと同じように接することが出来ない気がしていたから。だから気付かないふりをして、私は意識を違うことに向ける。

 

 そんな私を、テーブルに頬杖をつきながら妹が生ぬるい目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を食べ終わると希美は涼音に風呂に連行されていった。無駄に広い風呂なので女子二人なら余裕だろう。水道代が余計にかかる燃費の悪い仕様だがこういう時には役にたつから良いだろう。ちなみに私の風呂は最後だ。まだ水仕事が終わってない。

 

「ごめん。妹が世話かけた」

「ううん、妹が出来たみたいで楽しかったよ」

「それなら良いんだけど……」

 

 まだ少ししっとりとした水分を含んだ黒髪は艶やかに輝き、健康的な体つきや綺麗な白い肌が魅力を底上げしていた。加えて少し火照った顔が組み合わさると大人な雰囲気を醸し出している。普段がポニーテールな分、下ろした髪はいつもとは違った感覚を私に与えてくる。変な事を考えないように咄嗟に目をそらした。

 

「そうそう、部屋はこっち」

「あ、うん」

 

 妹が準備してくれた客間に案内する。私と妹の部屋の近くなので、何かあっても問題ないだろう。

 

「ここだ。大体の位置関係は把握できた?」

「大丈夫だと思う。多分」

「まぁ迷ったら教えて。本とかはあそこ曲がった先に蔵に繋がる廊下があって、その先に沢山あるから何か暇なら好きに読んで。コンセントはそこで、電気のスイッチはそこね。エアコンのリモコンはこれ。私はあそこの部屋にいるし、涼音もあっちの部屋にいる。雫さんは離れだから少し違うけど。何かあったら遠慮なく声かけてくれ。叩き起こしてくれて構わないから。涼音と遊んでるのは構わないけど、なるべくきちんと寝るように」

「はーい」

「それじゃ私はこれから仕事だから。おやすみ。」

「うん。頑張ってね」

 

 見送られながら自室に戻る。仕事は次から次へと来る。北宇治が全国大会に進んでくれたおかげだろう。そこまで多くなかった日本での市場規模を拡大する機会だ。これを逃す手はない。

 

 それ以外にも自分の練習だって欠かすことは出来なかった。今学校では指導者という立場だけれど、それは永久にそうなっているわけじゃない。いつかはまた奏者として戻ることになるだろう。そうなったときに自分の実力が欠けていては沽券にかかわる。それに、また冬にあるコンクールには例年通り出場する予定だ。自分の実力は全く落ちていないと断言できるようにしておきたい。

 

 練習は二時間程度で切り上げてそっから先はまた別の仕事。いくつか資料を部屋に雑多に置かれた本の中から引っ張り出して広げながら、自分と向き合っていく。作曲にしろ何にしろ、こういうクリエイト系の仕事は誰かに頼れるものじゃない。自分で何とかするしかない以上、全ては自分との戦いだ。甘やかしたら一生でき上らないし、厳しすぎても折れてしまう。

 

 パラパラと何か着想が無いかとページを捲っているときに、遠慮がちな音で扉が叩かれた。

 

「はい」

「お仕事終わってる? なんか寝れなくて……」

「入ってどうぞ。丁度休憩しようとしてた所だし」

「お邪魔します」

 

 扉を開けて、ストレートな髪型の彼女が周りを見ながら入ってくる。

 

「なにか、珍しいものでもあった?」

「うーん。私の部屋とは全然違うから」

「そう? 普通だと思うけどな」

「この本、外国の?」

「あぁ、それは洋書。元々は私の本じゃなくて、母親のだけど」

「凛音のお母さん……。トランペットやってたんだよね?」

「そうそう。でもそれは学生時代の話ね。仕事は全然違うモノだった」

「何してたの?」

「翻訳」

 

 東京にある言語系の大学に通って、そしてその職に就いたらしい。おかげで私も留学するときに助かった側面もある。

 

「凄いなぁ」

「そこに写真あるでしょ、昔のだけど」

 

 私が指差したのはコルク板のフォトフレーム。何枚も写真が貼られている。その中の一枚は私が小学校に入学するときのものだろう。両親の顔も大分若い。

 

「カッコいい感じの人だね」

「自己肯定感が凄く強い人だった。何かあった時もこの私が言うんだから間違いない、って言ってたし。結構気も強かったと思う。部内だと……ちょっと吉川に似てるかも。勢いとか押しの強さは」

「確かに、そんな感じの見た目だね。パッと見だけど」

 

 希美の目線はスライドして、貼られた他の写真に移動する。

 

「あ、これ中学の卒業式の時の写真だ。これは今年の府大会と関西大会のか。こっちのは……私の知らない人だなぁ。友達?」

 

 彼女の差す写真に写る子は笑っている。丁度卒業式の時の希美の写真のように。片方の笑顔はもう見れず、もう片方はまだ見れる。それが何とも言えない悲しさで私の心を満たした。友達か……。確かに友達なのだろう。正確には友達だった、だろうか。

 

「ああ、友達だよ。音大時代のね」

「隣の集合写真は?」

「そっちもそう。私が中央にいるヤツでしょ? 昔の仲間だね」

 

 まだ今より少しだけ身長の低かったころの写真。中央にはドヤ顔しながら私が写ってる。隣にはいなくなってしまったかつての親友。私たちの周りには四人の友人もいる。茶色い髪の気さくな青年、暗いブロンド髪の勝気な子は青年の彼女。そして黒髪によれよれのシャツに無精ひげを生やした青年。流れるような金髪に無表情な子は今回呼びつけた川島さん用の臨時コーチだ。

 

 目を細めて写真を見つめる。様々な思い出が頭を流れていくのを感じた。希美はそれ以上は触れてこず、その目線を本棚に逸らす。変な追及が無いことが今は嬉しかった。

 

「沢山あるね、本」

「まぁね。知識はあって困ることは無いし」

「漫画とか無いの?」

「そんな事無いはずだけど……。下の方にあるはず」

「え、エッチな本とかないよね?」

「ありません。読みたいものがあったら、好きに読んで良いぞ。私は仕事に戻るから」

「うん」

 

 彼女は私のベッドの上に腰かけて、雑誌を読み始める。それは音楽系の雑誌だ。当然吹奏楽系のものもある。色々書いたりもしてるので、その一環で持っていたものだ。ペラペラとページの捲る音と、パソコンのキーボードの音。そして時計の針の音と私たちの呼吸音。これだけが室内に満ちている。外は大きな風と雨がうるさいけれど、どこか規則的なその自然音はBGMのようにもなっていた。

 

「……もうすぐ全国なんだね」

 

 唐突に送られてきたその言葉の真意をはかりかねて曖昧に返す。

 

「そうだなぁ」

「皆、頑張って欲しいよね」

「当然」

「皆、ここまで来たなら金が欲しいって言ってる。そういう目標だし」

「だね」

「金じゃなくても皆は賞を貰える。全国で演奏できたら達成感も感動もある。大会に出てない私達でも今まで支えてきたんだって思うと嬉しくなるし得るものがあって今までって無駄じゃなかったって思える。顧問の滝先生は指揮できる。松本先生もまた全国に来れた」

「そんな列挙して、どうしたの」

 

 私はくるりと向き直って、彼女の方を向く。希美の目線は雑誌を見ていながらも、読んでいるわけじゃないことはその動きから分かった。開いているページには全国出場校の一覧。取材を受けている大坂東照のページが隣にある。

 

「みんな何かを、得てる」

「それが、どうかした?」

「だったら、だったらさ凛音はどうなるの?」

「……え?」

 

 まさかそんな事を言われるとは思わなくて、よく分からない反応を返してしまう。

 

「皆誰しも何かを得られてる。今まで頑張ってきたのが報われてる。なのに、凛音にはそれが無いんじゃないかと思って。演奏できるのでも、指揮するのでもない。凛音は何で教えてるの? 仕事もあって、忙しいのに自分の時間を削ってまで。私は、きちんと凛音にも報われて欲しい。ずっと頑張ってきたんだから。それは、去年からずっと思ってる」

 

 確かにそうだった。彼女は去年、そうして三年生と対峙した。私の努力が報われないのは許せないと。そして、それを軽んじるようなことを言ったのに対し、謝罪するようにと。自分の努力が報われないのを諦めることはできるのに、人のものになると途端に頑固になる。そういうところが彼女にはあった。

 

 結果として一年間の空白があったけれど、私はあの時の真っ直ぐさは嫌いになれないでいた。やり方や言い方に問題があったとしても、その心の中にあった情熱だけはきっと、間違いじゃないと思ってる。

 

 どうすれば報われるのか。それの明確な答えは私には無い。確かに戻るに足る動機はあった。けれどどうすれば報われたと思えるのかは、今になってもまだ分からないままだ。大会に出たいと思わないほど、殊勝な人間じゃない。それでも、それを誰かに言うべきじゃないとは思ってる。私に与えられた、そして自分で選んだ役割に、私の願望は必要ないからだ。

 

 曖昧に誤魔化すことも、綺麗事を言うこともできる。けれど、それをしたくはなかった。

 

「さぁ。どうだろう。どうすれば報われるのか、よく分からない部分が多い。勿論指導者としては教え子が全国出場したのは十分に報われていると思えるだろうね。高坂さんを筆頭に、優秀な後輩も持てた。先輩としても十分だと思う。何で教えてるのかの根本は幾つかあるけど、大きいのは二つかな」

「二つ?」

「そう。一つは自分も昔優秀な先達から教えられてここにいるから。自分が次の世代に自分がされたのと同じような事をしてあげるのが、彼らへの恩返しなんだと思う。そしてもう一つは……」

 

 春の日に見た、あの目の中に灯る炎。それが私の中の消えかけた蝋燭にもう一度火を灯した。

 

「若い情熱の炎を見たからかもしれない」

「そっか。それは高坂さんだよね」

「そうだけど、どうして?」

「う~ん、何となく。でもあの子なんじゃないかって気がする。あの子はきっと、凛音の特別なんだね」

「さぁ、どうだろう。優秀な後輩だし、目をかけてるのは事実だ。期待もしてる。でも特別かと言われると、どうなのかはよく分からないな」

「そうなんだ……」

 

 彼女はパタンと雑誌を閉じて、本棚に戻した。そしてもう一度ベッドに座って、そして今度は仰向けに倒れる。天井を見上げているその顔は、どんな思いが込められているのだろうか。今の私には、察することが出来ないままだった。

 

「まぁだから、こうなれば報われたって言うのはまだちゃんと分かってないかも。だからさ」

 

 私は椅子から立ち上がる。そのまま仰向けの彼女を覗き込むようにした。その綺麗な瞳が私の目を見つめる。

 

「君がそうなってくれると嬉しいんだけど」

「それって、どういう意味?」

「割とそのまんま。君が全国大会の会場で演奏して、後悔なんて無いって笑ってくれれば、きっと報われたと思えるから」

 

 それはきっと私の本心。彼女は少しだけ顔を赤くした後、プイッと顔を横に向ける。私は少しだけ微笑んで、また椅子に戻った。少しだけ経った後、小さな声が聞こえる

 

「分かったよ。じゃあ、もっと練習がんばら、ない、と……」

 

 語尾が段々細くなる。気づけば小さな寝息が聞こえてきた。スース―となっているそれは規則正しいリズムを出している。文化祭で色々動き回って、えんそうもして、きっと疲れていたんだろう。ここが少なくとも落ち着ける場所になっていたからこそ寝てしまったに違いない。信頼されているのか、異性と思われていないのか。前者だと嬉しい。

 

 苦笑しながら起こさないようにゆっくり抱き抱えて、ちゃんとベッドで寝られるように動かした。色々当たってるが無視する。毛布をかけて、電気を消してゆっくりと部屋を出る。流石に同じ部屋で寝るわけにはいかない。

 

 客間が用意されていてよかった。まさか自分がそこを使うことになるとは思わなかったけれど。はらりと額に伝う前髪。流麗なまつげが静かに閉じられていた。白い肌と綺麗な唇。安らかな寝顔に反して、私の心臓は鳴り響いている。快活な笑顔、無防備な寝顔、溌溂とした声、眩しく輝く生き方。

 

 彼女は綺麗だった。心も、容姿も。それは今に始まった話ではなく、これまでもずっと。自覚していなかった、或いは自覚しないようにしていた感情が大きな産声をあげる。暗い廊下を歩いた。外には雨風の音。それに紛れて聞こえないように小さな声で呟く。

 

「ちゃんとした初恋がこの時期に来るなんてね」

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