音を愛す君へ   作:tanuu

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第五音 主導権

 サンフェスに関して、先輩方のためになる提案がありますから。私はこう提案した。勿論、考えなしの行動なんかではない。サンフェスに出場するしないの問題について、先生は特に言及していなかった。あまりにひどい演奏であったので、あの場で生徒のやる気を出させるために仕方なく出した案だと思われる。

 

 ある種の人質だ。下手な演奏でもまぁ、ある程度は許容されるのがサンライズフェスティバルというお祭りの特性である。可愛い衣装を着て、公園を練り歩ければ満足な層にとって演奏の巧拙など二の次三の次であるのは明白だった。

 

 だからこそ不満が出る。あそこでサンフェスの話を出さなければ部員による先生への苛立ちはここまで高まらなかっただろう。部員に、正確には二・三年生にだが、彼らにとっては今回の問題は大きな不満となっている。だからこそこれには十分な利用価値がある。先生が出場させない旨を言ったタイミングで、この構想を思いついた。いやいやであったとしても練習をさせる方法に、一つだけ心当たりがあった。部活というのは年功序列が大きい。ならば、それを利用しない手はない。

 

 明日のパートリーダー会議こそ重要だ。そのための布石を一晩で打たないといけない。気が進まないところはあったが、家に帰ってすぐに携帯の電話帳を開いた。相手は親の知り合いである。もう既に鬼籍に入った私の両親だけれど、その知己はよくしてくれていた。人の好意を利用するようで申し訳ないのだが、それは今更である。

 

「あ、もしもし、お世話になっております。桜地です。……はい、ご無沙汰しております。えぇ、えぇ、こちらこそ。それでですね、本日は少しばかりお願いがありまして……」

 

 これで大体何とかなるだろう。電話相手の様子が好感触であることを感じながら、私はそう思った。後は三年生に対する私の説得力にかかっている。物事を円滑に進めるためには、しくじるわけにはいかないのだ。多少、いやかなり嫌な人間になることも覚悟しなくてはいけない。とはいえ、自分で選んだ道を曲げる気はなかった。私は私なりの最適解を持って行動している。

 

 元より、何の犠牲もなく全国になど行けるはずがないのだから。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 パートリーダー会議とは、文字通り各パートのパートリーダーが集まって行われる話し合いだ。それが有効に機能するかどうかは司会者でもある部長の手腕にかかっている部分が大きい。だが、勿論それだけでなくパートリーダーたちの真剣度によって左右されることも多い。そして、この部活におけるパートリーダー会議とは愚痴大会になりがちな傾向を持っている。今回も例に漏れず、先ほどから話題に上るのは全て堂々巡りだ。同じ内容を異口同音に繰り返し、なんら結論が出る様子はない。

 

 参加メンバーのほとんどは三年生。むしろ、私が異物だった。部長と副部長はそれぞれサックスと低音のパートリーダーを兼ねている。後はフルート&ピッコロの姫神先輩、クラリネットの鳥塚先輩、パーカッションの田邊先輩、トロンボーンの野口先輩、ホルンの沢田先輩、ダブルリードの喜多村先輩、そして我らがトランペットの中世古先輩。以上の9名が本来の面子。そして私は先ほどから小田原評定と化している会議を見守っていた。

 

「やっぱりサンフェスを人質に取るなんて酷いと思う!」

 

 何度も言葉を変えて繰り返されてきた鳥塚先輩の主張。彼女はそれを憤るよりまず演奏すらできていなかった自分のパートについてもう少し反省するべきであるように思う。

 

「ウチラの伝統全部無視じゃん!」

 

 沢田先輩は憤懣やるかたないというように語気を荒げながら告げた。確かに、サンフェス出場は北宇治の伝統である。ただし、まだ北宇治が全国常連校であった頃の伝統である、という部分に留意しないといけない。今の下手な演奏を公衆の面前で垂れ流すことを伝統と呼んでいては、かつて栄光を手にしていた諸先輩方に怒られてしまうだろう。

 

「でも、ここで滝先生に逆らって練習拒否したら、本当に出場できなくなるかもしれないよ。いいの?」

 

 中世古先輩の懸念は尤もだ。実際、そうなる確率が高い。そもそも、顧問に徹底抗戦という選択肢を良くも悪くも中途半端な現状の部活が取れるとは思えない。そこまで団結できるならば、もう少し違うことができると思う。だけれど、顧問に反発するという点ですら団結できないのがなんとも情けない話だった。されても困るのはお前だろうと言われれば、その通りなのだが。

 

「それに、サンフェス出ないのはあくまで一週間後の合奏の内容によっては、という事だし」

 

 田邊先輩のド正論が飛び出す。彼はかなり良識的な人物である、と私の中の人物評は言っている。事実、不満しか言わないメンバーや大欠伸をしている野口先輩、どっちつかずな日和見の副部長に比べればよほどまともな発言をしていた。しかし、不満は収まらない。このままではらちが明かないのは明白。そろそろ介入するべき時だった。

 

 座って聞いていた席から立ち上がり、私は部長の元に向かう。そして、全員の視線が集中しているのを感じながら、彼女の一枚の紙を渡した。

 

「部長、これを」

「なにこれ……サンライズフェスティバル団体参加申込書!?」

「はい。そうです」

 

 にわかに室内がざわめき始める。先ほどから教室外で息をひそめている(つもりの)他部員が驚いている声が漏れていた。驚く部長の手から紙をスッと回収する。

 

「先輩方の目下の不満は居丈高な顧問の物言いと私の存在、ですがそれよりも大きくサンフェスに出場できない可能性が存在すること、ですよね? お間違いありませんか、鳥塚先輩」

「え、あ、そう、だけど」

 

 突然名指しで話を振られて、彼女は少し困惑していた。場の空気がこちらに傾き始める。今まで不満を口にしていても、いざ名指しで意見を求められると急に委縮してしまうタイプとみていたが、あたりだったようだ。会話の主導権は質問によって握ることができる。それを活かせばいい。

 

「では、私はその解決策をお示ししましょう。これが昨日私が申し上げた『サンフェスに関して、先輩方のためになる提案』です。私の提案は一つ。一週間、滝先生と私の言うことに従い必死で練習を行ってください。ただ、私も滝先生がどの水準を求めているのか、完全には分かりません。そして練習を行ってもし許可が出れば何の問題もなく出場できる。けれどもしダメと言われてしまったら。その時は私が、サンフェスに出場させます。顧問の許可は取ってませんが、押し通します。そのためのこの申込書なわけです」

 

 これは部員にとってもこちら側にとっても実は損のない提案である。部員は練習して上手くなればいい演奏を会場で披露できる。上手くならないということは考えたくないが、そうだとしてもサンフェスには出場できる。こちら側はこの一週間部員を黙らせられる。その間に彼らの技術を向上させればいい。ここで失敗していては全国など夢のまた夢なので、失敗する可能性については考えないことにしている。

 

「もし仮にどんな結果であったとしてもサンフェスに出場は出来る。違いますか? 先生が不許可でも、私が押し通します。責任は全て私が背負います。当日に必要な諸々の手続きもこちらが行い、業者と交渉します。運営側には一筆したためれば何とかなる目途がついています。そもそも、この申込書はその運営から特別にもらったものですし」

 

 パートリーダーたちは顔を見合わせ始める。元々練習してもいいと思っていた田邊先輩は乗り気だ。副部長はなんらか抵抗する理由はない。演奏できるという条件は満たしている。下級生の指導があるが、それくらいはしてもらわないと困る。それに、一年生は私の方でも面倒を見るのだから問題ないはずだ。

 

 中世古先輩もこれでいいんじゃないかと思っているようだった。部長もグダグダな会議に疲弊していたようで、目の前に出された選択肢に食いつこうとしている。抵抗勢力は弱っている。もう少しだった。

 

「この一週間、全力で部員を練習させてください。当然、皆さん方も。その結果ダメだったらしょうがない。諦めましょう。逆にもし上手くなったのならそれでいいじゃないですか」

「でも! あの顧問、全国に行くってのを言い訳にして……」

「そうですか。確かに、姫神先輩の仰るようにそれは問題ですね。ではこうしましょう。海兵隊は初歩的な曲。この程度で改善できないようでしたら、確かに全国など夢のまた夢です。ですから、先生からOKがもらえなかった場合は私が先生に訴えて全国大会出場という目標を却下させます。これでどうですか?」

 

 ついに誰も言葉を発しなくなった。

 

「これで皆さんの抱えていた問題はある程度解決したはずです。皆さんはどうあれサンフェスに出場できる権利を手に入れた。そのうえで、上手く行かなくても顧問を黙らせる方法は獲得できる。かつ、上手な奏者になれる機会まで転がり込んできた。どういう道に進んでも、皆さんは練習を必死にやることと部員を宥めすかす以外にデメリットはありません」

「それ、十分デメリット……」

「じゃあパートリーダー辞めてください。どういう理由であれ、リーダーと名の付く役職に就いたのなら、それ相応の責任は取らないといけません。それとも、ボイコットしますか? なお、ボイコットした場合、この申込書の話も目標取り下げの話も無かったことになります。あぁ、それと一応ですが、運営側に先輩方が頼んで独自に申込することはできません。私がそういう風にお願いしておきました。私のサインがない申込書は全て却下してほしいと」

 

 逃げ道は全部封じたはずだ。元々、この会議の行く末はわかりきっている。「取り敢えず先生の方針に従おう」という道でまとまるのは目に見えていた。反抗する勇気はない。そんな団結力も意思も持ち合わせていない。かといって勝手に申請して勝手に出場する度胸もないし、責任は負いたくない。なら辿る道は一つだ。

 

 多分、私が何もしなくても取り敢えず滝先生の言うことに従う方針にはなっただろう。だけれど、それではダメなのだ。私の立場の問題である。私は二年生。つまり、上級生を相手取って面倒な諸々をしないといけない。だけれど当然年下に指導されることに反発する層も出てくる。だからこその私の言うことに従って練習するという条件だった。

 

 この条件を付与すれば、パートリーダーは黙って私の指示に従って練習せざるを得ない。そうなれば、三年生に対して私が対等かあるいはそれ以上の立場になって物を言うことができる。そうなれば指導において今後大いに役立つだろう。三年に対し優位な位置に私が立っていること、それを常態化するための布石として今回の件を利用しているという側面が大きいのだ。

 

 そして肝心のパートリーダーたちにも大きな心理的影響を与えられる。どうせ同じ結論を出すのだとしても、なぁなぁの果てに出されたものと私によって提案されたものを呑んだのとでは天地の差があると踏んでいる。人は提案を呑まされた時、意識的か無意識かはさておき提案者を上位とみなすことがある。それを狙っていた。

 

 パートリーダーたちは皆影響力が大きい。ならば利用するほかに手はない。パートリーダーたちを間に置いて、私が他の三年生の上に立って指示ができる。私>パートリーダーたち>三年生のヒエラルキーを作ってしまうのだ。こうしない限り、染みついた年功序列は消えない。

 

 年功序列が悪いとは言わないが、少なくとも今ここでは邪魔だった。

 

「野口先輩、起きてらっしゃいました? 私の話、聞いててくださいましたかね?」

「んえっ!? あ、あぁ聞いてるぜ、ちゃんと聞いてる」

「そうですか。それは良かった。先ほどからあまり発言なさらないので。それはそうと先輩、困難なことを共に乗り越えた経験というのは、人間関係を深く継続させる一因になったり、新しい刺激をもたらす一因になったりするようですよ。あくまで一般論ですが、思い出の共有は強固な関係性構築には大事だとか」

「ちょ、それ、どういう」

「あくまで一般論です。何か心当たりでも?」

 

 私は目を細めて彼に軽く笑いかける。彼はまぁ、俗物的というか、そういう感じの人だ。悪い人ではない。それは一応知っている。ノリが良いのは決してマイナスポイントではない。ただ少々不真面目なだけ。理想論より現実的な利益の方を重視するタイプ。なら、その彼の求める利益を提示すればいい。半ば詐欺に近いが、間違ったことは言っていないはずだ。彼が自パートの田浦先輩とどういう関係なのかを知った上での発言だった。

 

 元々そんな情報は知らなかったのだが、持つべきものは友人だ。その田浦先輩の仲の良い同級生が女子バスケットボール部に所属しており、その女バスと関係の深い男子バスケ部の柏原に話が回ってきて、それが私に伝わった形だ。偶然ではあるが、使えるものは何でも使う。

 

 これで野口先輩は一応彼なりのメリットを見出したようだ。一週間くらいならまぁいいかと呟いている。これでメンバーの過半数はこちら寄りになった。鳥塚先輩は元々そこまで凄い気の強い人ではない。私の出した案に不賛成という感じではないし、私が視線を向けたら下を向いて逸らす。逆らう気はないとみていいだろう。

 

 喜多村先輩はもうしょうがないと諦めたようだった。そもそもダブルリードは彼女を含めて三人しかいない。その中でみぞれは何も言わなくても黙って練習する。後は岡先輩を宥めるくらいだ。他のパートに比べれば随分楽だろう。友達同士なのだから。それは喜多村先輩も理解してるようで、ここで抵抗する意味はないと見たようだ。

 

 なら最後はホルンの沢田先輩とフルートの姫神先輩だ。二人はまだ納得していない様子だった。理性では受けるべきと分かっているのだろうけれど、感情が納得していない。これでは今ここで収まっても後で何度でも揉める。納得させるなり、心を折るなりしないといけない。

 

 副部長はこの状況を静かに観察している。どういう風に説得するのか興味があるのだろう。部長と中世古先輩は不安げな眼差しだ。ホルンとフルートの両先輩からあまり好かれていないのはわかっている。ではまずはホルンから。

 

「沢田先輩、どうでしょうか?」

「……」

「このままバカにされたままというのは、先輩的にはよろしくないと愚考するのですが」

「バカに? 誰が?」

「先生がです。お気付きじゃなかったら申し訳ありませんが、多くのパートが呆れられていましたよ。先生はこれから基礎練習をやらせるつもりですよ。先輩みたいに、パートで一番上手い生徒にも。これをバカにされていると言わず、何と言えば?」

 

 先輩の顔は一気に赤くなる。彼女は彼女なりに矜持がある。一番上手いから練習しない。そういうタイプの人間だ。それでいて負けず嫌いなところがある。私に言い負かされているのが気に入らない部分が多かったようなので、気に入らない対象をスライドさせる。先生には申し訳ないが、犠牲になってもらおう。

 

「少なくとも、自分たちから練習を始めたのならば多少なりとも見返すことができる……かもしれませんね」

 

 先生に酷評された際の苛立ちが蘇ってきたようだ。これで彼女は良いだろう。最後は多分、お互いに一番相性の悪い先輩だ。フルートとは因縁が深い。去年のごたごた関連で色々あったせいで、向こうもこちらにいい印象を抱いていないだろう。そんなこと言ったらこちらだって良い印象なんか持っているわけがないのだが。

 

 無言のまま目を合わせている私たち。向こうは少し睨みながら、こちらはあくまで温和に。

 

「全員の賛成を得られませんと、上手くいかないと思うのです。今日は折角全学年五限で終わりなのですから、一年生の相手を早くしたいんですよね。こんな会議にいつまでも時間をかけているわけにはいかない。時間まであと10分前後です」

「そもそも!」

 

 彼女は私を睨みながら言う。

 

「必死に練習しないといけないっていう前提がおかしいでしょ!」

「ですが、納得して手を挙げたのでは? 先生は最初に全国行きを目標にしたら、厳しい練習を行うと明言していたそうじゃないですか。反対したのは、斎藤先輩だけだったと聞き及んでいます」

「……」

「まぁ、ですが先輩のお気持ちもわかりますよ、えぇ。面倒なのは事実ですしね。私も色々事情があってここにいますが、正直やりたいかと言われれば……ですから」

「そ、そうよ。みんなで楽しく演奏するのだって、吹奏楽の楽しみでしょ!」

「それは間違いではありませんね。厳しい練習にはストレスが付きまとう。そんな思いを後輩の青春から取り除かせようというのは、後輩想いの先輩だと思います」

 

 意外な言葉に彼女の舌鋒が鈍る。剣呑な雰囲気も少し引っ込んだ。だからこそここで押し込む。

 

「そういう後輩想いの先輩だからこそ、皆で楽しく演奏するという観点で以て、後輩一人をいない者扱いしたわけですものね」

 

 彼女の心が一気にへし折れる音がした。もう何も言えなくなった先輩は黙って下を向く。彼女一人を責めるのは酷であるのはわかっている。けれど、少なくとも当時二年生だったのだから一年生であった私たちの世代よりは上級生に物申せたはずである。それに、どんな理由があれ無視し続けたのは擁護できない。それは、虐めとなんら変わらない。お前は虐めの加担者だったのに何故楽しくと言えるのか。どの口がそれを言うのか。私の突き付けた言葉に、場の空気は凍り付いていた。

 

 誰も言葉を発せない。私が去年の件で傷ついていると多くが勘違いしている。ならその勘違いを使えばいい。真実を知るのは副部長ただ一人。だがその彼女は何も言わない。なら、私の思うように進められる。

 

「さて、賛同していただけますか?」

 

 私は視線を逸らさない。俯いていた姫神先輩は、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 パートリーダー会議は凍った空気を部長が無理やり解凍して終わった。私の提案に従い、とにかく練習をすることでまとまる。少々時間がかかったが、最終的にこちらの言うことを聞く環境を作る努力をパートリーダーがしてくれる。そしてパートリーダーは黙って従う。自主練もするようにパートリーダーが促すだろう。これで練習は捗る様になるはずだ。

 

 16時半きっかりの音楽室。ここに一年生がそろっている。上級生がどういう練習をするのかは滝先生に丸投げしている。パートリーダー会議の結果が発表されてすぐ、先生がやって来たので二・三年生は引き取ってもらった。一年生に関して把握したい部分があるという旨を申告したら、初心者もいるのでその都合もあるのだろうと了承してくれた。無論、その推測は不正解ではない。そういう目的もある。

 

 だが、それだけではない。まだ人間関係の完成しきる前に私という人間を食い込ませるのだ。もっと言えば、私のネガキャンが行われる前に多少なりともいい印象を与える必要があった。練習面ではともかく、人間的な部分では。三年生はパートリーダーを通じて何とかする。二年生は同学年ゆえに押し通せる。問題は人数が多い一年生。影響力は少ないが、今後を考えると最も鍛えないといけないメンバーだ。

 

 正直、全国行きが厳しいことは分かっている。ゆえに、先生には話していないが、今の一年生が三年生になった世代で全国に行ければ御の字と思っている。そして、そのために布石を打っている部分もあった。これはあくまでプランB。先生の望み通り今年行ければ最高だろう。だが、夢ばかり見てもいられない。悲観的なプランも用意する必要があった。

 

 私は「北宇治高校吹奏楽部を全国大会に出場できるようにしたい。そのための手伝いをしてくれ」という依頼を受けてここにいる。だが、この依頼に「いつの世代に」という要素は含まれていない。ならば私のプランBとて問題はないはずである。

 

 壇の上に登り、一年生たちを見下ろす。私がどういう人間なのか、何をする気なのかまったく分かっていない様子で、彼ら彼女らは私を見上げていた。その多くの瞳には不安の色が存在している。

 

 その中で、高坂さんだけはこっちを穴が開きそうなほど真っ直ぐ見つめていた。それはそれで怖いので、もう少し普通にしていて欲しい。事実上のファーストコンタクト。ここが重要ポイントだった。

 

「皆さん、こんにちは。時間通りに集合していただき、ありがとうございます」

 

 最初にまずしっかり挨拶をする。すべての鉄則だ。そして、もう早速染みついているのか大きな声での挨拶が返ってきた。時々運動部と言われてしまうくらい、吹奏楽部は体育会系なノリが存在している。この挨拶だってそうだった。

 

「先日はあまりしっかりご挨拶できなかったので、本日は改めまして一年生の皆さんとお話ししたく、集まっていただきました。そして、今後の皆さんについてもお話しできたらと思います。まず、顔と名前と声を一致させたいので、名前を呼びますから返事をしてください。ではまずクラリネットから、植田日和子さん」

「はいっ!」

 

 次々と名前を呼んでいく。その度に名簿の名前と担当楽器、奏者の顔と声を一致させていく。私はそこまで他人の顔を一気に覚えるのは得意ではないので、声で覚えている部分が大きい。顔という視覚情報よりも、音声という聴覚情報の方が私の記憶とはリンクしているらしい。

 

 クラリネットの植田・高野・高久・松崎の4名。フルートは小田・高橋・中野の3名。ダブルリードは新入生無し。サックスは瀧川と牧の2名。瀧川は数少ない男子だ。少しだけ親近感が沸いてしまう。それぞれ前者がテナー、後者がアルトのサックスだ。

 

「続いてトランペット、高坂麗奈さん」

「はい」

「吉沢秋子さん」

「はい~」

 

 トランペットは高坂・吉沢の2名。一応私の直属の後輩はこの二人になる。高坂さんはシャキッとした返事、吉沢さんはどこか抜けた声だったがそれでも返事はしているのでOKとしよう。そもそもトランペットは大体の場合において我が強いか、一見大人しそうで芯が強いヤツしか来ない。高坂さんは前者、吉沢さんは後者と見た。なお、前者は吉川や私、後者は中世古先輩などが該当するだろう。

 

 次々に名前を呼んでいく。ホルンは瞳・森本の2名。前者は初心者なので要対応。トロンボーンは赤松・塚本・福井の3名。塚本はこちらも数少ない男子部員だった。パーカッションは井上・釜屋・堺の3名。そして最後の低音だった。

 

「チューバ、加藤葉月さん」

「はいっ!」

 

 元気のいい返事だった。この加藤とホルンの瞳、パーカスの釜屋、トロンボーンの福井、以上4名は初心者のはずだ。取り敢えずこの面子の情報だけが届いていた。情報源は部長なので多分合っていると思いたい。尤も抜けがある可能性は否定できないが……。

 

 要対応なので、名簿にはその旨を記載してある。とはいえ、初心者にも色々いて、楽譜を読む所からスタートする子もいれば、そうでない子もいる。そこは本人に聞かないといけない。

 

「コントラバス、川島……りょく、き?さん」

「あの……すみません、サファイアです……。緑が輝くでサファイアです」

「なるほど、失礼しました。以後気を付けます」

 

 サファイアは青いと思うのだが。まぁ日本では緑と青は結構境界線が曖昧なのでそういう所以なのかもしれない。人の名前にとやかく言う権利はないので、私ができるのは間違えないようにすることだけだ。

 

「最後にユーフォニアム、黄前久美子さん」

「はい」

 

 その声にどこかで聞き覚えがあった。そういえば、新入生歓迎の演奏で「ダメだこりゃ」と言っていたような気がする。あの時顔は見えなかったが、声だけは覚えていた。だとすれば触れられたくないだろう。黙っておくことにした。

 

 ただ、もし私の記憶が正しければ彼女はそう言ってこの部活の演奏に落胆しつつ、ここに身を置いた。それは中々興味深いことのように思える。理由を聞いてみたいと思ったが、今は彼女に構っている時間ではない。

 

「ご協力ありがとうございました。これで私の中で皆さんの顔と名前と声を一致させられました。では、次に今後の予定です。最初に経験者の皆さん向けに今からプリントを配りますので、それに従って練習を行ってください。また、経験者の人はこの後から順次私が演奏を聴きます。これは個別に、一対一で行いますからそのつもりでお願いします。ただ、オーディションのようなものではなく、どの程度の実力帯にいるのかを把握するためのものですから、そう緊張なさらずに」

 

 そうは言いつつも、少しだけ緊張しているようだった。

 

「続いて、初心者の皆さんに向けての練習メニューを配布します。これに基づき、先輩方から指導を受けてください。ある程度期日を定めていますので、期限がきたタイミングで私が到達度の確認をします。それに向けて練習をしていただければと思います。まずは楽譜を読めるようになること、指を正しく動かし音を出せることなどを目標に、基礎から固めていきますのでそのつもりで」

 

 今は初心者でも、数年後には後輩を指導する立場につく。その為には今から時間を無駄にできない。ただし最初から追い込んでいては嫌になってしまうかもしれない。そこのバランスは考えながらやっていく必要があった。本来は専用の新入生指導係を作るべきなのだろうが、現状そんなことをやっている余裕はない。ついでに、そういう指導が出来そうな先輩が非常に限られている。

 

「初心者でも経験者でも、まず大事なのは出したいと思った音を出せているか。これが全てです。どの段階、どのレベルの奏者でもこれに苦心しているのです。簡単そうに見えて難しいことですが、基礎的なことでもあります。正確に、指示通りに音を出すこと。これが出来ないうちは表現や演奏での役割などは二の次三の次であり、当然全国大会などは夢のまた夢というわけです。基礎固めは単純な反復練習が多く、大変かもしれませんが精一杯サポートしていく所存ですので、どうぞよろしくお願いします。一緒に頑張っていきましょう!」

 

 私の言葉に元気よく返事が返ってくる。上から一方的に言うのではなく、一緒に頑張るという姿勢は大事なことだと思っている。見ている方向を揃えるためにも、彼らが上級生と同じ色に染まらないようにするためにも、距離を近づける必要がある。

 

「最後になりますが、もし何か困ったことがありましたらいつでも相談してください。部活のこと、人間関係、勉強でも構いません。恋愛相談は……まぁ……彼女いたことありませんがそれでも良ければ」

 

 やっとここで緊張が解けてきたのか、軽い笑いが起きる。そもそも好きな人がいないので彼女なんてできようがないし、そんな時間もないのだからして別に構わないと思っているのだ。けれどこういう話は結構受けがいい。

 

「それでは、各自メニュー通りにお願いします。またこれから先ほどお話しした演奏を聴いていく会を隣の準備室で行いますので、まずはトランペットから来てください。では、解散!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 まずはトランペットからやっていこう。一番楽というのもあるのだが、高坂さんとコミュニケーションを取りつつ、もう一人の直属の後輩である吉沢さんともしっかり話をしないといけない。

 

 音楽室を出る際に、「思ったより優しそうだった」「いい人っぽい」という囁き声が聞こえたことに、取り敢えずファーストコンタクトは狙い通りになったことを確信して安堵した。

 

 校舎の窓からは、必死に校庭を走らされているジャージ姿の上級生が見える。ひえぇと叫んでいる声が聞こえてきそうだった。先ほどまでの会議でカリカリしていた人たちが走っている姿を想像すると、どこか面白く感じて口角が上がる。

 

 四月の終わり。もうすぐ初夏が来る。北宇治の熱はまだ灯り始めたばかりだった。

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