音を愛す君へ   作:tanuu

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第五十八音 下駄

 短い秋はそろそろ終わる気配を見せ、季節は少しずつ冬への道を歩んでいく。冬空を窓の外に眺めながら、私は教室の席で唸っていた。

 

 アンコンの曲と編制決定にこちらが設定した期間は一週間。長引かせてもどうしようもないので、早い者勝ちで決まっていくため、色々とコミュニケーション能力などで差が出てくる。曲自体はそれこそ無限大にあり、組み合わせも色々なのだが、だからと言ってすんなりと決まるとは限らない。奏者がイコールで持っている曲の知識が多いわけでもないのだ。

 

「吹部、大会終わったんじゃなかったか?」

「終わった。終わったからと言って部活は終わりじゃないんだよなぁ。来年度に向けて今から動き出さないといけないから」

 

 昼休みの教室で、ペンを回しながら私は思案に耽っている。弁当を広げながら、ああでもない、こうでもないと曲の編成を考えている。アンコン実施が告知されてから既に四日。半分近い面子がどこに入るかを決定していた。意外な組み合わせがあったり、パート内で固まっていたりと本当に様々だ。

 

「あぁもういいや、なるようにしかならない!」

「そんな投げやりで良いのかよ」

 

 柏原がジュースを飲みながら呆れた顔でこちらを見てくる。生駒はずっとさっきから単語帳を捲っていた。五限は英語だったのを思い出す。あの留学してた四年間が日本の高校で活かされる事はあんまりないけれど、英語の時間だけは活かされてると実感する。文法を全くもってやってないせいで時々苦戦しているけれど、それくらいだ。逆に古文は最低限しか分からない。

 

「何してんだ、今」

「アンサンブルコンテストの編成を考えてる」

「吹部ってあれじゃねぇの、全員でバーンって演奏するんじゃないのか?」

「そういうのがメインだけど、今回のはそうじゃない。少人数でやるんだよ。曲なんてのは無限にあるから、楽器の組み合わせ次第で色々出来るわけ」

「ほーん。何と言うか、ゲームみたいだな。キャラクターごとに武器があって、何キャラか組み合わせてバトルするみたいな」

「かもしれない」

 

 ゲームとは言い得て妙かもしれない。確かにゲームのキャラクターのように成長していくし、各員に個性や持ち武器がある。組み合わせればいい効果を発揮するキャラ同士もいれば、悪い効果になる時もある。そう考えると、アンコンの曲はクエストのようなものかもしれない。

 

「ま、ゲームみたいに全部上手く行ったら楽なんだけどな」

 

 実際にはそんなに上手くはいかない。誰にだって調子のいい時と悪い時はあるし、考えとか思いが存在している。それで左右されることも多いのだから、当たり前だけれどコマンド通り、プログラム通りに動くゲームのようにはならないのだ。

 

「失礼します! 部長はいらっしゃいますでしょうか!」

「お前んとこの後輩だぞ」

「お、ちょっくら行ってくるわ」

 

 男子バスケ部部長になった私の友人は、緊張した面持ちで教室の前に直立不動している後輩の所へと向かっていく。上級生のフロアに行くのは慣れてないと緊張するモノだ。現に、あの後輩クンはガチガチになっている。そんな怖がることも無いと思うのだけれど。

 

「アイツ、立派だなぁ」

「お前も副部長だろ」

「まぁな」

「でも次の中間で結果悪いと部停だろ」

「そうなんだ、助けてくれ」

「そうは言ってもなぁ。単語は自分でやるしかないし。問題出すくらいはしてもいいけど」

 

 残されている生駒は大分顔色が悪い。今は真面目にやっているけど、集中力が続かないのかあまりテスト勉強は得意じゃない。そのせいで顧問でもあり、英語の教科を受け持ってもいる担任に部活停止の可能性を示唆されてしまったようだ。副部長が新体制早々にそんな事になっては大問題。だからこうして必死に勉強しているのだった。小テストも積み重なっていくと結構大きい。故に逃せないのだ。

 

 仕事の日程、新体制のスタートの補佐、それ以外にも色々。そういう事を考えているとあっと言う間に時間は過ぎ去ってしまう。お昼休みが間もなく終わる頃、長いこと席を外していた希美が戻って来た。

 

「おかえり」

「ただいま~。優子に出してきたよ、編成表」

「お、見せて見せて」

 

 希美が選択したのは木管三重奏。近代イギリスを代表する作曲家として知られるマルコム・アーノルドの「木管三重奏のためのディベルティメントop.37」だ。グレードは大体4くらいにあるレベルの高い曲と言えるだろう。編成はフルート・オーボエ・クラリネットで構成されている。

 

「やっと交渉成立だよ……ってうわ、生駒君か。大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「英語? 小テストヤバいよね」

「でも傘木さん割と成績良いじゃん……」

「悪いとお父さんに怒られちゃうからさ」

 

 友人同士が話しているのはさして不自然な光景でもない。どちらも社交性は高いし、明るい性格をしている。世間話をしているのもおかしな光景じゃない。けれどどこかでムッとしている自分がいるのが分かった。私は大分、心が狭いらしい。

 

 割り込んだと思われないようなタイミング、話がちょうどよく切れた部分を狙って間に入った。

 

「勝ちに行く編成だね、これ」

「まぁね。折角なら、上に行きたいし」

 

 部内の選考で勝ち残って府大会に出たからと言ってその上に行けるかは分からない。ただし、部員のほぼ全員が行く気満々だった。これは全国大会出場を果たしたことが原因かもしれない。あの結果は部員に自信を与えるのに大きく貢献している。

 

「OK、了解。じゃあ、練習頑張って」

「凛音はホントに出なくて良かったの?」

「私が出てもしょうがないでしょ。来年大会に出る子を強化するためにやってるんだから」

「それはまぁ……そうだけど。高坂さんとかも残念に思ってるんじゃない?」

「さぁ、それは何とも。そんな事より、小テスト大丈夫?」

「うげ、そうだった……」

 

 慌てた様子で、希美は最後の見直しとばかりに単語帳を開いている。彼女が私を気遣ってくれているのは単純に嬉しい。だとしても、その気遣いを受け取ることは出来ない。これは吹奏楽部のためにやっていることだ。私が吹きたいという私利私欲を優先することはできない。

 

 私利私欲と部活のためになることが合致しているならばそれはそれで構わないけれど、ここで私が参加することは余計な混乱を招くだけだろう。この立場は演奏に参加しない、大会に出ないという部分によって公平性を担保している部分が少なからず存在している。そのため、参加は出来ないのだ。

 

 確かに残念であるとは思う。けれど、私の教えていた部員が成長して上手な演奏を行ってくれればそれでいいと言うのも事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ファゴットが欲しいです」

「う~ん、無理かな」

「ですよねぇ……」

 

 優子の言葉に、一年生の子が肩を落として帰っていく。やはり人数が少ないと組める編成にも限りがある。ファゴットはいないし、ホルンは少ないし、サックスもあんまり数がいないしという様相なので、曲選びに難航しているようだった。優秀な奏者は引っ張り合いになっているところもある。

 

「やっぱり数が少ないのが響いてるわね」

「最悪、三年も呼び戻すしかない……と現状考えてる。ファゴットならあの二人に平身低頭でお願いするしかない。何を要求されるか分かったもんじゃないけど」

 

 あのファゴットの二人組は実力も申し分なかったし、留年して欲しい先輩の良い例だ。と言うか先輩全員留年してくれればこんな面倒な事にならなくて済んでいるのに。

 

「それはにっちもさっちも行かなくなってから。出来る限り三年生に迷惑はかけたくない。後は今年の初心者の子たちをどこかで拾える編成にしないと……」

「勝ちに行くのは諦める?」

「諦めないわよ。拾い上げながら勝ちには行く。でも編成組めないであぶれる子が出るのだけは絶対に避けたい。それなら、優先するべきは編成を組む方だと思うから」

「まぁ、そうだな……」

 

 実力向上を企図して、部内に分裂を産んでは元も子もない。あぶれる子が出ないかどうか。それに目を配るのが部長の仕事でもあった。だからこそ他からの誘いも全部断って、状況を見極めている。

 

「現在来てる申請書は?」

「ん」

「はいどうも」

 

 差し出されたのを受け取って確認する。上手い奏者はもうほとんど編成が決まっていた。

 

「なるほど……」

「で、現状まだ申請が来てないのがこの面子。正直、決めかねてる部分が多いって言ってた。こっちで割り振っても良いって」

「なら、金八と管四、管五で割れない?」

「どういう感じ?」

「こことここでセット。で、こっちはここと組ませる」

「あ~、ならいけるかも」

「でしょ。ちょっと話持ちかけてみて。楽譜なら準備室に沢山ストックあるし、私の家にも無限にあるから」

 

 それから、部長副部長のコンビで仕分けを行いつつ、アンサンブルコンテストの編成が全部出揃ったことになる。何とかなった事がまず第一に喜ぶべき事だった。人数が少なく、楽器が限られている環境下でよくまとめられたと思いたい。私もアドバイスはしたけれど、曲を決めたのは部員自身である。それもまた、自主性の発露と言える。

 

 自主性と言いつつ、困ったときに何もしないのでは指導者の意味が無い。手助けが必要な時には介入して手助けを行う。それが真の意味で指導者に求められていることであると、私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、全編成が出揃いました」

「そうですか。予想よりも早かったですね」

「まぁ人数も少ないですし、やる気はありますからね。スムーズに決定されました。これがそのメンバーと曲の一覧です」

 

 夜の職員室で先生に紙を渡す。今回の校内予選に挑むのは七編成だ。

 

 第一編成は木管八重奏で松下倫士作曲「土蜘蛛伝説~能「土蜘蛛」の物語による狂詩曲」。メンバーは植田日和子、高久ちえり、松崎洋子、小田芽衣子、高橋沙里、瀧川ちかお、牧誓、平尾澄子。

 

 第二編成は木管三重奏でマルコム・アーノルド作曲「木管三重奏のためのディベルティメントop.37」。メンバーは傘木希美、鎧塚みぞれ、島りえ。

 

 第三編成は管弦四重奏で宮川成治作曲「ラノベ ファンタジア」。メンバーは高坂麗奈、吉沢秋子、川島緑輝、黄前久美子。

 

 第四編成は打楽器四重奏で山澤洋之作曲「水面に射す紅き影の波紋」。メンバーは大野美代子、井上順菜、釜屋つばめ、堺万紗子。

 

 第五編成は金管八重奏で高橋宏樹作曲「文明開化の鐘」。メンバーは吉川優子、加部友恵、滝野純一、福井さやか、赤松麻紀、瞳ララ、加藤葉月、中川夏紀。

 

 第六編成は管楽五重奏で田嶋勉作曲「リリックピース1番」。メンバーは高野久恵、森田しのぶ、岸部海松、長瀬梨子、岩田慧菜。

 

 第七編成は管楽四重奏で広瀬勇人作曲「3つの手紙」。メンバーは井上調、森本美千代、塚本秀一、後藤卓也。

 

 その中で五~七の編成は私がアドバイスした組み分けに従ってメンバーが振り分けられている。第五には加部や加藤さん、福井さん、瞳さんなど今年B編成だった子が多く配属されており、部長副部長のコンビで面倒を見るという具合なのだと推測できた。

 

 第三編成はもう明らかに勝ちに行くメンバーで構成されている。第一も気合入ってるし、第二も言わずもがな。パーカッションパートは全員で一つの編成を組むことを選んだらしい。ここはここで、同じパートだからこそ分かることを共有し合いながら錬成に務めるのだろうから、実力向上には繋がっているだろう。

 

「良い曲になりましたね」

「はい。もっと人数がいれば出来る曲の幅も広がるでしょうから、もし来年も実施するのならばそれが楽しみになってきました」

 

 この時期は他にすることもあまりないので、毎年の恒例行事になってくれればいいと思っている。今年色々と紛糾しながらもルール設定をしたので、それは来年以降実施する際の参考になるだろう。先例主義は好きではないけれど、先例があるからこそ助かったということもある。参考に出来るようなものを残すことも、先輩の務めだった。

 

「それと、こちらはソロコンの出場者選考オーディションの参加希望者です。現時点ではありますが」

 

 五人の定員のところ、それを遥かに超えるメンバーが参加希望を出している。勿論ここからアンコンの練習をする最中で思ったよりも難しいということで辞退することもあるかもしれないが、おおよその人数はこれで確定だろうと見ていた。

 

 クラリネットから島と高久さん。フルートから希美と井上。オーボエのみぞれ。サックスの瀧川君。トランペットから優子、滝野、高坂さんと吉沢さん。ホルンから岸部と森本さん。トロンボーンから岩田と塚本君と赤松さん。低音から後藤、長瀬、黄前さん、川島さん。パーカッションから堺さん、井上さん。

 

 以上21名が今回のソロコンに参加希望を出していた。出れる実力はあるけれど、それ以外に注力したいという理由で見送った層もいる。とは言えそれでも半分以上、定員の実に四倍近い人数が応募しているというのはそれだけ意欲があるということの表れだった。

 

 この中から楽器の数など関係なく、京都の予選に行けるのは五人だけ。そこから関西に行けるかどうかも全く分からない。不可能では無いと思うけれど、これまでソロコンに参加した人がいないため、全くデータがない状態から始めるしかないのが現状だった。

 

「分かりました。この後、希望者の編成と照らし合わせて、オーディションで吹いてもらう箇所を指定します。明日までには渡せると思いますので、よろしくお願いします」

「了解です」

「新体制はどうですか」

「今のところ割と順調なんじゃないでしょうか。まだ大きな問題に直面したりしてませんので何とも言えませんが、そもそも問題なんて起こらない方が良いですからね。去年の失敗と今年の状況を両方知っていますから、協力していい部活を創りあげていけるはずです」

「それは良かった。何事も、新しく物事を始める時と言うのは色々と難しいモノです。滑り出しが順調であるに越したことはありませんので、私としても一安心です」

 

 先生は穏やか顔で言う。大会が終わって、先生の忙しさも少し減ったような気がしていた。きっと背負っているモノが少しだけ軽くなったのだろう。だけれど、その重荷はまた来年度を迎えるにあたって重くなる。その繰り返しが延々と続けられていくのが、部活の顧問という存在なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「以上、七組の編成で以て、今回のアンサンブルコンテストは実施することになりました。前回部長から説明があったように、ここから約一ヶ月の期間を経て、12月中旬に代表一組を決定します。それまではメンバーと協力し、よりよい演奏が出来るように心がけてください」 

「「「はい!」」」

 

 翌日。私は壇上で全員に向けて話していた。音楽室は三年生がいなくなり、どこか空間が寂しい。いままで毎日いたはずの人がいないというのは、こんなにも空疎な感じを人に与えるのかと、少し驚いてしまった。

 

「そしてソロコンの選考オーディションに参加を表明している皆さんは、この後オーディションの際に演奏してもらう箇所を各自のアンコン演奏曲の中から示します。オーディション方法は六月と同じですので、特段言うことも無いでしょう。ただ、普段は楽器ごとの比較であるのに対し、今回はいわば異種格闘戦。なるべく同レベルの箇所を課題として出しますが、微妙なレベルの差はある事を予め承知しておいてください」

 

 普段のオーディションとはやはり勝手が違う。同じ楽器の中で比較して、バランスを見つつメンバーを選ぶ大会とは違って、今回は全部の楽器がごちゃ混ぜになっている。である以上、全く同じ条件でオーディションを行うことはできないのだ。

 

「最後になりますが、ソロコンに出場した人は予選であろうと北宇治の次代を担うエースとみなされます。当然、他の人よりも高い基準の演奏を今後も要求されることでしょう。それを肝に銘じて、辞退希望は一週間以内に申し出ること。よろしいですね?」

「「「はい!」」」

「では、私からは以上です」

 

 私が一歩下がるのと入れ替わりで、優子は前に立つ。初めて全体の前に立つときはすごく緊張していたのを覚えているが、数週間を経てその姿は実に堂に入ったものになっていた。まるでずっと前からこうでしたけれど? と言わんばかりの堂々とした振る舞いは、部長らしい威厳が備わっていた。

 

「アンサンブルコンテストは今年が初めての取り組みになります。これは来年以降いい結果を残せるようにという想いを込めて始めることにしました。何のためにやるのか、それを意識しながら頑張っていきましょう!」

「「「はい!」」」

 

 部長の音頭により、音楽室の熱は一気に上がる。中々効きにくいエアコンの暖房よりももっとすぐに、もっと勢いよく、空気は確かに熱を孕んだ。まるでそれはあの夏が戻って来たかのように。少し落ち着いた空気になっていた部活には、いよいよもってアンコンの練習が始まる今日、またかつてのエンジン音が響き始めたのだ。

 

 この熱意ならば、どの編成も良い演奏をしてくれるだろう。今後はアンコンの練習が行われるので、それを随時見て回ることになる。やる事はこれまでと大して変わらない。パートごとだったのが各編成ごとになっただけの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 そこからの練習はドンドンと進んでいった。十一月が過ぎるのが非常に早く感じるくらいには、その進行具合はスピーディーと言える。どの編成も苦労しながら、それでも確かに一歩ずつ前に進んでいる。そしてそれは当然、ソロコンの練習においても同じこと。

 

「そこはもっとたっぷりと」

「はい」

 

 大会期間中は毎日のように行われていた個人レッスンもまた復活している。ここのところは隔日などになっていたけれど、ほぼ毎日行う体制に戻っていた。参加希望者である吉沢さんと高坂さんたっての希望でこうしていた。他にも見学していた人は何人もいたけれど、その苛烈さと言うか厳しさと言うかに及び腰になって、結局元の二人に戻っている。

 

 この二人の考えていることは明白だった。負けたくない。その想いをどちらも持っている。だから同じ編成内に入ることを選んだ。そうすれば、課題の箇所は同じになる。他の楽器がどうであっても、二人の条件は対等だ。だからこそこういう風にする選択肢を選んだのだと、すぐに分かる。

 

「先生、その、少しお願いがあるんですが」

 

 その日の練習終わり、高坂さんが遠慮がちにそう切り出してきた。

 

「どうした?」

「来月お暇な日はありますか? 出来れば休日で」

「暇な日、か……。う~ん、来月は私、初旬に一週間くらいいないからなぁ」

 

 高坂さんたちの面倒を見ながら、自分自身の大会の日程も差し迫っていた。そのため毎晩数時間防音室に籠って練習の日々である。腕は落ちていない。自分でそう自覚している。これは自己弁護などでは無く、正しい評価だという自信があった。

 

 部員たちを教えている間に私自身も学んだことが沢山あった。それを活かしながら取り組んでいるので、下手になったつもりはない。けれど同じ実力ではまた同じ結果を得られるかどうか分からない。常に前よりも上手く。それを心掛けている。

 

 そうして磨いた実力を披露する機会は、残り二週間ほどで訪れる。大会の日程は12月の3日。奇しくも希美の誕生日である。今は11月の21日だった。吹奏楽部として大会に出る機会の無い私には、最早唯一残された最後の演奏の場がそこなのだ。

 

「どうして?」

「その、父がお会いしたいと……」

「……へ?」

「麗奈ちゃん、それだと何かそういう挨拶みたいだよ!」

 

 吉沢さんが横からツッコミを入れてくる。そういう挨拶がどういう挨拶なのか、何となく言わんとしていることは理解した。とは言え、高坂さんがそんな感情を私に抱いていないことは当然私も吉沢さんも知っている。と言うか、万が一、億が一そういう感情を持っていても、いきなり親を連れてくるなんてことはしないだろう。ちょっとぶっ飛び過ぎである。

 

「え、あ、いや違うんです、そうでは無くて」

「分かってるから落ち着いて。娘がお世話になっております的なヤツでしょ?」

「はい。一度、お礼をしたいと」

「よくも厳しい指導をしやがってって言うお礼参りじゃなくて?」

「違います」

 

 相手は同業者。会いたいかと言われると、あんまり良い反応は出来ない。高坂さんが優秀な奏者なのは間違いなく彼のおかげなのは事実だ。そのおかげで私たちが全国に駒を進めることが出来たというのも、大きく間違いではないだろう。

 

 とは言え、それとこれとは話が別。私と彼女の父が関係があるというのは、あまり良い評判を生まないだろう。今年そうだったように。あの時は噂でしかなく、普通に事実では無かったので否定できたが、もし会ってしまえば事実性を帯びてしまう。それに、高坂さんの改めるべき部分は大体両親の影響や教育方針に由来しているだろうから、私はそこら辺も含めて微妙な感情なのである。

 

「あの、お忙しいなら本当に断って頂いて構いませんから。父には、私から上手く伝えておきますので」

「そんなに暇じゃないけど……まぁ、う~ん……。お父さん、私の大会来るの?」

「分かりませんけど、もしかしたら行くかもしれません」

「そう。なら、そこでなら会えるかもって言っておいて」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 深々と高坂さんは頭を下げる。その姿を、吉沢さんは少しだけ目を細めて見ていた。スタートラインが違うんだね。彼女の口元が小さくそう動いたような気がする。けれど音となって外に出されたわけでは無い。ただ、唇がそう動いたように見えただけ。数瞬の後、また元通りの柔らかい表情に戻っている。

 

 だからこそ、この時見せた暗い表情は私の心の中に大きく映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来たる12月3日は私の大会の日であり、希美の誕生日である。前者は自分でどうにかするべき案件なので、後者について色々と考えないといけない。この日に向けて、何らかの行動をしなくてはいけないのは理解しているが、どうするべきか。肝心の答えが出でこなかった。

 

 当日はそもそも日本にいないので、前日か後日に渡すしかないだろう。ともすれば、前の方が良いような気がした。後だとなんだか遅れてしまった感じがある。それはなんとなく嫌なのだ。

 

 とは言いつつ、いい案が思い浮かばない。ここはもう背に腹はかえられない。かくなるうえは妹を頼るしか無かろう。そう思って相談しようと思ったが、こういう話は想像以上に言い出しにくい。ソファの上でグデッとしている妹の姿は、威厳と権威に満ち溢れた部長時代の面影は全くない。いまやそこにいるのは融けそうな人間だ。

「どうしたの兄さん。挙動不審で」

「実は一つ相談があるんだが……」

「うん」

「もうすぐ12月3日なんだけど」

「そうだね。希美先輩の誕生日だね」

「……私の大会でもあるんだけど」

「言わないで。今からどうやって数日食事をしようか悩んでるんだから」

「君、受験終わったら料理の練習をしなさい。私も付き合うから。それはともかく、まぁ相談はその誕生日に関してなんだけれど」

「まさかまだなんにも準備してないとかじゃないよね」

「……」

「はぁ!? 本当にまだ用意してないの?」

 

 心底呆れたような顔で、妹は私を見てくる。

「面目ない」

「兄さん、希美先輩のことどう思ってるの? それによって中身も変わってくるけど」

 

 希美をどう思っているのか、その答えは割と明確に出せる。けれどそれを妹の前で出して良いモノかどうか。今私の中ではその葛藤が行われていた。好きだ、と言うのは簡単だけれど、それで余計な気を回されても困る。この想いは秘めておかないといけない。少なくとも、部活が終わる頃かそれに近い頃までは。

 

「兄さん真面目に聞いてる? それによって大分変わるんだよ。まぁとは言え、ちゃんとセンスのあるもので、高すぎず安すぎない物にすれば、後はキチンと選んだものなら喜んでくれるから」

「……何とか思いつきそう。助かった」

「そ。なら良かった」

 

 持つべきものは良き妹だろう。こんな買い物が出来る余裕が生まれたのも、全ては北宇治が全国に行ってくれたからに他ならない。もし私が吹部に戻っていなかったら、きっと今でも祖母との関係は悪いままで、厳しい節約状態を強いられていたはずだ。それが解消できたのは北宇治のおかげであり、希美のおかげでもあるのかもしれない。

 

 どうもあのご老人は希美のことをそれなりに気に入ったようだった。何が刺さったのかはよく分からないが。

 

「そう言えば今日、高坂さんが言ってたんだけど……」

 

 ボーっと聞いている妹に、先ほどあった個人レッスンでの顛末を話した。始めは興味無さそうに聞いていた彼女は、吉沢さんのくだりでソファから起き上がった。制服のスカートがめくれてはしたない姿になっている。それを見て少し眉をひそめたのが分かったのか、面倒そうに彼女は服を直す。そして少し真剣な目で私の方を見た。

 

「スタートラインが違うって言ったの?」

「まぁそういう風に唇が動いた気がしただけだから、もしかしたら違うかもしれないけど」

「……それ、気を付けた方が良いよ」

「吉沢さんに?」

「違う。高坂さん……先輩なのかな? ともかくその人の方に」

「なんで」

「吉沢さんって人は話を聞く限り、結構温厚で我慢強いし空気も読めるけどマイペースを貫ける人。だから多分、努力できる。問題なのは高坂さんの方。努力至上主義みたいな人なんでしょ。これまで兄さんが家で話してきたのを総合すると」

「まぁ、確かにそういうところはあるかもしれない」

「もしかしたら杞憂かもしれない。けど一応言っておく。多分、高坂さんって人は本当に努力してる。実際上手かったし。ただ、その努力は嘘じゃないけど全部本当でもないと思う。下駄履いた状態からスタートしてる。私たちが言えた話じゃないけど、環境は大きいと思う。でもきっと、それに無自覚。だから努力すれば何でも叶うと思ってるかもしれない」

 

 そんなことは無い、と否定するほどの材料を私は持ち合わせていなかった。もし妹の言っていることが真実だったなら。その状態で彼女を私の後任に据えてしまったらきっと部にとってプラスにならない可能性が高い。努力できる量は人によって違う。それは個人の問題では解決できない環境の問題だってある。

 

 普通の人は家に防音室はない。普通の人は、マイ楽器を持っていないことが多い。普通の人は、家にグランドピアノなんかない。普通の人は、海外留学なんて出来ない。普通の人は、ピアノやバイオリンの教室に通えない。私たち兄妹は、育ってきた環境が普通ではない、ハッキリ言って異常だと自覚している。その異常性の上に、私たちの実力は存在している。

 

 けれどもし、彼女がそれに気付いていなかったら? その末に待っているのは努力と実力を至上であり唯一絶対の価値とする世界だ。

 

「気を付けた方が良いよ、兄さん。本当に怖いのは自分の履いてる下駄の高さを知らない人だと思うから。そしてそういう人は、転ばないと自分でそれに気付けない」

 

 妹の目は私の瞳を通して、その奥に高坂さんを見ているかのようだった。その視線の鋭さと、声の淡々とした重苦しさに、私はただ頷くことしかできない。もし、彼女の言っていることが真実ならば。私は、どうするべきなのか。その答えは彼女の父親に会うことで、もしかしたら分かるのかもしれない。

 

 12月3日。カレンダーに付けた赤い丸は、その日付を一層際立たせていた。

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