ガクンと大きく揺れて、私は目を覚ました。椅子に座ったまま寝ていると首と腰が痛い。飛行機は嫌いじゃないけれど、遠距離に行く時に寝ていると首が痛くなるのが少しだけ億劫だった。窓の外は昼間の空港。滑走路の向こうに何機も飛行機が点在している。冬の関西空港に、私は何とか到着していた。
今は日本時間で12月7日の正午。ここから電車で行けば、多分三時くらいには学校に着けるだろう。多少遅くなってしまっても、部活には参加できるはずだ。今日くらいは休んでも良いと思わないでもないけれど、あまり日を空けたくない。出来るだけ早く、現在の状況を確認したかった。
特急と電車を乗り継いで、京都に着いたのは午後二時半頃。そこから宇治に移動してやっと着いたときにはもう三時を回っていた。時間割ではもう六時間目に入っている。今から授業には間に合わない。しょうがないと思いながら、学校の階段を昇る。校庭からは体育の授業の声。廊下を歩けば、各教室から漏れ出る生徒や先生の声がする。授業中の学校では、自分の足音だけが廊下で響いている。少しだけ非日常の体験だった。
誰も知らないだろう昼間の学校の姿を知っていることに、少しだけ楽しさを覚えた。職員室のドアを開けた時、あまり先生はいない。滝先生もウチの担任も今授業中だろう。この時間は総合か何かなので、恐らくどちらもクラスにいるはずだ。
「おや、桜地君。戻りましたか。今日まで公欠と聞いていましたが」
「練習の様子を確認したかったもので。授業には間に合いませんが、部活には参加しようと思って来てしまいました」
教頭先生は少し曲がった腰をシャキっと伸ばして、にこやかに私の元へ近づいてくる。田中先輩の際に色々と手を回してくれたのはよく知っているので、私たち吹奏楽部は彼に非常にお世話になっている。尤も、それを正しく知っている人は決して多くはないだろう。
「そうですか。鈴本先生にはこちらからお話しておきます」
「ありがとうございます」
「結果をニュースで見ました。おめでとうございます。今回は垂れ幕に結果を書いても良いでしょうか?」
「ちょっと恥ずかしいですね……」
去年は部活に入っていなかったし、別に学校に思い入れも無かったので特段申請することなく勝手に休んで勝手に渡欧していた。とは言え今年は部活に名目上は入っているし、私の結果が北宇治高校の名前を付与して公開されることで来年度の部員獲得に繋がるならば、良いだろうと思って申請を行っている。吹奏楽部の部員として出場していたので、吹奏楽部の功績になるわけだ。
私のこの高校に対する思い入れも大分変化した。元々誘われる形で進学したのにも拘わらず、部活も辞め、委員会をやるわけでもなく、ただなんとなく通っていた。けれど今はそれなりに充実している。だからか分からないけれど、少しは愛着のようなものも沸いている。過ごした時間の密度が違うのかもしれない。小学校から大学まで行ったけれど、大学と高校が一番思い出深い。
「個人名がデカデカと飾られるのは少々気恥ずかしいモノがあります」
「それだけの成果と言うことですよ」
高校生活で別に私の経歴を殊更強調するつもりも無いし、思いっきり目立つつもりも無かった。なので少し恥ずかしいという気持ちはある。とは言え、私の友人の多くはそう言うのを気にしないで普通に話してくれるので、それはありがたいことだった。
「しかし、今日戻ってきてくれてよかった。明日は修学旅行の説明の第一回があるものですので」
「修学旅行……修学旅行?」
「はい、そうですが」
「あ、あぁ、修学旅行。そういうのもありましたね。お恥ずかしながら行ったことが無いもので、失念していました」
小学校六年生は留学中。中三のは終わった後に編入した。高校の修学旅行が実質最初で最後のものになるだろう。全部行っている妹曰く、それなりに楽しいらしいのでかなり期待していた。我々北宇治高校は毎年東京に行っている。南中は長崎、小学校は広島だった。
「そうでしたか。では、是非楽しんでください」
「はい。ありがとうございます」
「音楽室の鍵を渡しておきましょう。あと少しで授業も終わりますから、音楽室で少しの間待っていると良いと思います」
「分かりました」
教頭先生から鍵を受け取り、職員室を後にした。人の気配と声がする通常棟に比べ、特別棟には人の気配が無い。普段は吹部や生物部、美術部などがいるので基本的にどこかで人の気配があるものだけれど、今はシンと静まり返っていた。夜の学校も静かだけれど、明るいからか夜とはまた違った異空間の雰囲気がある。音楽室の鍵を開けて、ピアノの椅子に座った。持っていた大きな鞄や紙袋を横に置く。お土産よろしくと言われたので、しっかり買ってきた。
この渡欧期間は優勝賞金や講演料、取材料などでかなり実入りがある。私としては不可欠なイベントなのだった。おかげさまで、お土産を買ってくるくらいの余裕はある。誰もいない音楽室は普段と違って空気が冷めきっている。人数が減ったとは言え、吹部が集合するとそれだけで熱気がある。冬の空のせいかもしれないけれど、ちょっと寒々しさすらあった。
向こうで買った本やら新聞やらは鞄の中にしまってあった。冬の音楽室で、一人で本を読んでいるのは、どこか不良のようでもあり面白い。ページを捲っていたら、いつの間にかチャイムが鳴り響いた。この後十分もすれば部員がぞろぞろやって来るだろう。朝一番早いのはみぞれ。では放課後は一番最初に誰が来るのだろうと待っていたら、ガラガラと扉が開いた。
「こんにちは~」
「一番乗りおめでとう」
「うわぁ!」
「そんなに驚かないで」
入って来たのは吉沢さん。彼女のクラスの担任は、話が短いことで有名だった。さっさとHRを終わらせてしまうので、そういう意味では人気がある。言葉少ない、世界史の先生だった。私も授業を受けたことがあるのだが、時間ピッタリに終わらせる人だった。
「ちょっとビックリしました。明日から戻るって聞いてたので」
「あぁ、そういう予定だったんだけどね。ちょっと早めに戻れそうだったから。はい、お土産」
「わぁ~ありがとうございます。可愛いですね、これ」
「向こうはクリスマスだったからね。そういうモノは沢山売ってたんだよ」
「クリスマスマーケットってやつですね」
「そうそう、よく知ってるね」
「お母さんが前に話してたので」
嬉しそうにしているので、買ってきてよかったと思う。向こうにいる間も彼女と高坂さんのことを気にしていたので、取り敢えず目に見えて落ち込んでいたりする様子はないので安心した。重苦しく対処するよりは、少し柔らかく対応した方が良いだろう。
「吉沢さん、大丈夫?」
「元気ですよ?」
「そうじゃなくて。ちょっと前にさ、高坂さんの事で……ね?」
「あー、もしかして聞こえちゃいました?」
「声は出てなかったと思うけど、口がそんな風に言ってるように見えたから」
「……」
彼女は何とも言えない顔をした。誤魔化すような作り笑いと、心配させないようにと笑っている顔が混ざっているように見える。
「ごめん。もっと早く話を聞いてあげたかったんだけど、変に動いたら良くない方向に回りそうだったし、こっちもちょっとバタバタしてたから」
「良いんです。そんなに気にしなくても。ホントに、大したことじゃありませんから。確かに……麗奈ちゃんとスタートラインが違うのは意識しちゃいますけど、でもそれを言っててもどうしようもないですから。泣いてても上手くなれませんし、口より手を動かした方が良いかなって、そう思ってますから私は大丈夫です!」
「そっか……吉沢さんは強いね」
「もー、先輩が言ったんじゃないですか、走った長さで勝負しようって。スタートラインが違くても私が長距離ランナーになればいいだけの話ですから。それに、私がコケそうな時でも、助けてくれるんですよね?」
「それはもちろん」
上目遣いで聞いてくる彼女に、私はそう即答する。そこに嘘も偽りも無い。彼女が困っているのなら、悩んでいるのなら助けるのは先輩として当然の事だろう。それに、香織先輩ならそうするはずだ。私に、そうしてくれたように。
まだ今年のオーディションをする前、確かに私はそんな話をした。その時はそれで納得してくれたのを覚えている。けれど今でも彼女がそれをしっかり覚えてくれていたのは、言った側の人間としてはとても嬉しい話だった。私の言葉は確かに届いていた。そして、彼女は時々辛くてもしっかり前を向こうとしてくれている。私の言葉を彼女が信じてくれたのだとしたら、私はその信頼に応えられるような人間にならないといけないだろう。
「麗奈ちゃんにはまだ勝てません。だから、今は何度も挑戦するときだと思ってます。本命は……三年生になった時なので。三年間で追いついて見せますよ~!」
やる気満々と言う顔をしている彼女に、こちらも気分が少しだけ楽になる。
「でももし、悩んだりしたら、すぐに相談して。私でも、他の先輩でも」
「はい。早速なんですけど」
「うん」
「英語の課題がヤバいんです。今回のテストダメだと結構ヤバいので、助けてください」
「……そういう意味じゃないんだけどなぁ。まぁいいや。後で送って。そしたら手伝うから」
「ありがとうございまーす」
人の毒気を抜く笑顔で、彼女はニコニコとしていた。多分、彼女は話題を変えたのだろう。この空間に存在していた少し重たい空気を。こういうことをサラッとしてくれるのが彼女の良いところだった。マイペースに進んでいく子だけれど、周りのことはしっかり見ている。高坂さんが対人関係ポンコツなだけかもしれないけれど、よく手助けしてくれている。
「吉沢さん」
「はい」
「滝野が今のパートリーダーでしょ」
「ですねぇ。来年新入生来てくれるかな……」
「……大丈夫じゃない? ペットに人来ないこと無いし。それはともかく、優子は部長だし加部は新設された新入生指導だしで忙しい。だからパート内で滝野を助けてあげて欲しいんだ」
「麗奈ちゃんは?」
「新入生に高坂さんぶつけたら泣いちゃうよ」
「そこまででは無いと思いますけど、滝野先輩が死んじゃいそうですね。オーラにやられて」
「でしょ?」
「分かりました。先輩の頼みとあれば、滝野先輩をお助けします」
「ありがとう」
これは吉沢さんを次期パートリーダーにするための措置である。トランペットはどんなに多くても五人ほどしか取れない。マイ楽器ならともかく、楽器の数にも限りがあるからだ。パートに入る条件は最初の楽器選びでマウスピースを吹けること。加部はそれをクリアしていた。少数精鋭ではあるからこそ、その少数を真の意味で精鋭にしないといけない。それを行うためにパートリーダーは大事な存在だった。
滝野に不安があるわけでは無いけれど、元々誰かに教えるということが凄く得意なヤツではない。吉沢さんが手伝ってくれれば、彼も心強いだろう。ここで経験を積んでもらい、三年生になった時に高坂さんと渡り合える存在になってもらい、ある種の抑止力になってくれることを期待している。実力を付けないとそうはなれないので、これは彼女のためにもなるはずだ。
「あーアンタ、来るなら連絡しなさいよ」
音楽室のドアが勢いよく開け放たれ、ずんずんといつも通りの大きな存在感で優子がやって来る。その黄色いリボンはよく目立っていた。声もデカいし存在感もデカい。あのリボンが本体なんじゃないかと最近思い始めていた。
「悪い悪い」
「アンタLINEしろって言っておいて、全然見てくれないから電話してやろうかと思ったわよ」
「ごめん寝てた」
「そんなあんまり好きじゃない男子からの連絡無視したの誤魔化す女子じゃないんだから……」
「いない間に何か問題あった?」
「ボーンとのバランスで苦戦してる」
「文明開化?」
「そう」
「OK、後で様子を見に行く」
「お願い」
アンサンブルコンテストの選考会までは後一週間ほど。その間にどこまで仕上げられるか。それが大事な事だった。今回のアンコン企画は全て来年のための布石である。大人数の編成では気付きにくい個々人の実力を測り、来年の自由曲に活かす。また問題点に気付き、改善して来年のオーディションに臨む。或いは、自分の実力の向上を実感し、来年に向けての自信を付ける。何にせよ、無駄になったりはしない。
ただ、やはり人数の少なさがネックになっていた。音の層の話は少人数なのでどうにでもなるが、単純に曲の編成が組みにくいのである。その結果、経験者は優先して確保されてしまい、最終的に部長副部長のコンビで初心者組を回収していくということになっている。そうは言っても初心者組だってこの一年で大分成長している。
楽譜を読むところからスタートだったのが、今では指示を聞いて理解し演奏するということが出来ている。安定感も生まれてきたし、楽譜に置いていかれるということもほとんどない。目覚ましい成長と言えるだろう。もし学校の外だったなら、特技と言っても十分に通用するくらいだ。ホルンやトロンボーンを吹けますは普通にアピールポイントになるだろう。
「タイミングが合わない」
頼まれてやって来た金管八重奏ではそういう話になっていた。メンバーの内、最も上手いのは優子。当たり前と言えば当たり前だ。強豪南中の元部員。ともなればかなりの腕前を持っている。香織先輩がいなくなった今、高坂さんに次いで二番目に上手いのが彼女だろう。次点で滝野と赤松さんが来る。どちらも経験者で、今年の大会にも出ていた奏者だ。と言うか、トランペットパートのパートリーダーが下手でも困るのだが。
逆に言えば、それ以外は今年の大会に出ていない面子で構成されている。初心者組ということだ。加部はそうではないけれど、やはり滝野と比べれば幾分か落ちてしまうのは事実だろう。こればっかりは取り繕ってもしょうがないところはある。
彼らの問題点は恐らく、演奏に参加した経験の少なさからくるタイミングがとれないという問題。指は回っているし音は出ているので、後はそこら辺が問題になって来るのだろう。どういうアプローチでやるのかが腕の見せ所だった。その楽器を演奏するのに必要な基礎的事項は全部斎藤先輩と松本先生がここまでで何とかしてくれている。後は合わせることだった。
「君たち、一回ソロで吹いてみて」
個人個人で指名して一回ずつ担当パートを演奏してもらう。それ自体は出来ていた。指も問題ないし、息だってしっかりできている。これが合わさると出来なくなる理由。それは幾つか考えられるので、取り敢えず一番ありそうなものから試していく。
「分かった。うん、君たちの大きな問題点は一つだと思います。聞きすぎてるか吹くことに集中し過ぎてるか。そのどっちか。まず、聞きすぎてる方から。確かに聞くこと七割、吹くこと三割くらいの勢いでやらないと合奏は上手く行かないとよく言います。ただ、周りの音を聞いてから「はい、吹きます」とやってるとこの間にタイムラグがあるのは理解できますか? 音って光より遅いから、特にこういう指揮者のいない演奏だと自分の耳で聞いてると遅いのです」
私は大抵の曲は初見で吹きこなせる自信がある。と言うか、大体第一線にいる人はそうだろう。でもそういう人だって当然沢山練習している。それはなぜか。ひとえに、合わせるためだ。独奏じゃないのだから、他者に合わせて音楽は作らないといけない。と言うかそれが出来ないと金を貰えない。そのために練習するのだ。他の人の演奏を、或いは録音や音源を使って、どういう風に合わせるかを考えながら。
「逆に吹くことに集中し過ぎてる方は余裕が無い。理由は簡単で、まだ完璧に指とかを動かせてないから。その不安があるから、自分の演奏に集中し過ぎてタイミングを逃してるのです。どっちにしても解決する方法はイメージすることでしょう」
「イメージ?」
「そう。加藤さん、元々テニス部でしたね」
「はい!」
「テニスやる時、どうやって打ったら球がどう飛んでいくかとか、そういうことをイメージしませんか? もしくは筋トレの時とかに何のためにやってるのかとか、そういう話があると思うんですが」
「はい、ありました」
「それと一緒です。聞きすぎているなら基礎練習の際に自分が演奏しながら周りの演奏が行われているとイメージしましょう。休符の時も、その間に流れている音をイメージするんです。もし難しければ、音源を使っても構いませんから。余裕が無い人はまず一回吹いているところを自分でイメージしてください。呼吸、指使い、そして演奏中に考えること。それらを全部イメージしながら、曲を一回やってみる。不安材料の部分は再現度が甘くなるはずです。そこを重点的にやればいい。繰り返し、まずはゆっくり重点的に。そうすれば少しずつ形になっていくと思います」
イメージの力は案外馬鹿に出来ない。筋肉は脳から送られる電気信号で動いている。イメージも同じく脳で生成されている。詳しい原理は知らないけれど、イメージすることで何らかの形で体内運動に変化が現れるらしい。
「基礎練習では何のために、どういう部分を鍛えるためにやっているのか。これを必ず意識すること。漫然と吹いていてはいけないと言われるのは、そういう理由です。そうやって意識しつつ、まずはイメージする。そして実際にやってみる。上手く行かなければ適宜修正する。そうしていく間に、楽器は自分のやりたいことに応えてくれるようになるはずです。決して惰性で筋肉を動かさないように」
「「「はい!」」」
「では、今言ったことを意識して練習してみてください」
細かいところの詰めが甘い部分がまだまだある。その部分を修正していくことが出来れば、彼らの演奏はもっと良いモノになるだろう。そこをしっかりと指摘できる存在は、今後の部活にとって重要な存在になるはずだ。今は私が担っているけれど、いつかはそれを譲らないといけない。高坂さんに後任を任せるつもりではいるけれど、彼女に初心者の悩みに寄り添った指導が出来るかと言うと、まだ難しいだろう。
それからの練習では少しずつ息が合うようになっていった。一段階壁を昇ったような感覚がある。また次の壁はすぐやって来るだろうけれど、それでもまた違った景色が見えているはずだ。楽器は沈黙して何も語ってはくれない。もし饒舌にしたければ、こちらからアプローチするしかないのだ。身体に染みついて、やがて自分の身体と一体化したような感覚を覚えるようになった時、楽器は真の意味で私たちに語りかけてくれるだろう。
「じゃあ、優子のところ何とかなりそうなんだね、よかった。優子と夏紀に、気遣わせちゃったかなって気にしてたんだけど、安心したよ」
「ホントに……」
「あ、それとお帰りなさい」
「はい、ただいま」
帰り道、大きな鞄を抱えながら歩く。一見制服姿に見えるかもしれないけれど、私の今の恰好はワイシャツにスーツのズボンだ。遠目で見ればこの真冬に薄着の高校生に見えることだろう。持っている物がどう考えても旅行帰りなので、そうは見えないかもしれないけれど。
「お土産買ってきたから、渡しとく。はいこれ」
「ありがとう! そう言えば、誕生日プレゼントも開けたよ」
「……そう。まぁ、その、あんまり気に入らなかったら……」
「すんごい嬉しかった。ありがとね」
「喜んでくれたならよかった」
渡すときは恥ずかしかったけれど、後になって考え直すとアレで良かったのかとか、ちょっと重かったんじゃないかとかそんな考えが沢山頭の中にグルグルと渦巻いてしまった。高坂さんと吉沢さんの件を考えることで誤魔化していたけれど、実際のところかなり気になっていたのは事実。喜んでくれたことに一安心する。
「こっちも開けて良い?」
「どうぞ。ちょっと早めのクリスマスプレゼントということで」
「スノードーム? 綺麗……」
「クリスマスマーケットやってたからね」
他の人にはお菓子とかなのだけれど、少しだけ違うモノを買ってきたのは内緒にしておこうと思う。知られてしまうのは気恥ずかしかった。店先でどれがいいかをかなり悩んで、店員に若干呆れられたのを思い出す。どうも、こういう事になると冷静ではいられないようだ。
「嬉しいなぁ。私、12月生まれなせいでいっつも誕生日とクリスマスが一緒に祝われてプレゼントも一個だけだったから」
「あるあるらしいね、それ」
「そうだよ~。12月生まれの悲哀。後、1月の初めの方だね」
「お正月生まれとか、お年玉とセットで何か損した気分らしいし」
「それもあるあるらしいねぇ」
話している内容は決して凄い大事な話でもない。中身があるかと言われたら、そんなに無いのかもしれない。授業の話とか、誰が何をしたとか、そんな些細な話。けれど、真冬の夜の寂しい帰り道に、いつでも灯りが灯っているような気分になる。少し先を歩く彼女の姿は、暗い道筋を照らす太陽のようで。私がそれに手を伸ばしたら焼けてしまいそうに感じた。でも、手を伸ばさずにはいられない。例え翼が融けたイカロスのようになろうとも、太陽に憧れたのだから。
「私もクリスマスに用意してる物あるから、楽しみにしてて!」
「じゃあ、期待して待ってる」
だからもし太陽が曇ってしまうなら、私に何が出来るのだろうか。そんな事を思いながら、そんな事が無ければいいと願い、小雪の舞う家路を歩いた。
そしてあっという間に一週間が過ぎ去り、アンサンブルコンテストの選考日がやって来る。演奏場所は移動が大変なので音楽室内。今日は久しぶりに三年生の先輩も呼んでの選考になる。先輩たちにはこちらから事前に話を通してあり、来年の結果を得るための大事な布石であるから情に流されることなく巧拙を持って判断してほしいと伝えている。
彼らが音楽室に戻ると一気に空気が明るくなったような、そんな雰囲気が漂い始める。ここに三年生が戻るのは、今日を除けば恐らく卒部会の時くらいだろう。卒部会は卒業式の少し前に行われるので、年明けになるまで戻って来ることは無い。先輩たちは久しぶりの音楽室に少し目を細くしていた。
「香織先輩、お久しぶりです」
「少し来なかっただけなのに、全然違う場所みたい。もう、新しい空気が流れてるね。優子ちゃんは大丈夫そう?」
「まったく問題ないです。いい部長になりますよ」
「良かった……。桜地君も問題ない?」
「はい。来年度に向けて動き出していますので、やる事だけは無限にありますからね。バテてる暇はないですから。それより、滝野を励ましてあげてください。香織先輩からパートリーダー引き継いだっていうんで大分ガチガチですから」
「私の励まし、役に立つかな?」
「それはもう。頑張れって一言言ったら、アイツは一年間寝る間も惜しんで働きますよ」
「それ、むしろダメなんじゃ……」
ちょっと困惑しながら、香織先輩は滝野の元に向かった。話している内容は推察できる。ここのところへばっていた滝野が、ビシッと背筋を伸ばしている。流石、北宇治のマドンナ。麻薬みたいな効果がある。そのうち病気も治りそうだ。香織先輩と入れ替わりで、斎藤先輩がやって来る。
「お忙しい中ありがとうございます」
「あの子たちは大丈夫そう?」
「えぇ。むしろ今日は、彼女たちが斎藤先輩に一年間の成長をお見せする機会かもしれません」
実際、B編成組のメンバーはそういう目的を持って今回の選考に挑んでいる。今年一年一番お世話になったのはきっと、斎藤先輩だろう。
「そっか」
少しだけ嬉しそうに、彼女は笑う。そしてサックスの部員に捕まって連行されていった。その先では始まる前からぶちょ、元部長の小笠原先輩が潤んだ目をしている。この調子だと卒部会では号泣して脱水症状になりかねない。救急車を待機させておかないといけないのかも、とそんなくだらないことを考えていた。
田中先輩はどっしり椅子に座って低音の後輩たちを激励しているし、他の先輩もそれぞれ後輩と懐かしそうに話していた。彼らの人生の中で、この一年が実りあって、そして輝いているモノであることを切に願う。燃え尽き症候群なんかになることなく、ここで頑張ったんだからきっと大丈夫。頑張れば夢は叶えられる。そういう希望を持った人生を歩むための材料に、この一年を使ってくれればいいと思った。彼らの人生はここで終わりじゃない。まだまだ続いていく。その一助に部活が、音楽がなったのなら、とても素晴らしいことのはずだ。
挨拶や交流もそこそこに、優子が前に立つ。それに合わせて、部員も席に着いた。三年生たちも空いている席にドンドンと座っていく。端の席では先生と松本先生も着席した。先生の隣に私も座る。今回の選考では一人の持ち票は同じだ。それは先生や松本先生、私でも変わらない。自分への投票は禁止なので、在校生だけだと少ない方が有利になってしまう可能性もあるが、それを防ぐために三年生28人を招集して人数を増やし、票の偏りを防止した形になる。
「三年生の皆さん、本日はお忙しい中ありがとうございます。この選考投票は、間もなく行われるアンサンブルコンテスト京都府大会に出場するメンバーを決める選考でもあります。この企画は来年度の大会を見据えて実施しました。それも意識して、投票してください」
優子が頭を下げると、拍手が起きる。心なしか三年生からの音が大きい。次代の部長を称える、彼らからのエールかもしれない。
「それではまず、一組目から」
発表の順番は抽選だった。選ばれたのは管楽五重奏「リリックピース1番」。焦燥感のある冒頭と終盤、そしてゆったりとした中間部が魅力の曲だ。奏者が前に立ち、自分たちの曲名を告げる。そして、演奏が始まった。