音を愛す君へ   作:tanuu

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第六十一話 初めて

「……」

「そんなに落ち込まなくても……」

 

 帰り道、私の隣を歩く彼女はずっとしょぼんとした顔をしていた。その原因は明白。先ほど行われていたアンサンブルコンテスト出場編成の選考だろう。と言うか、それ以外に考えられない。ほぼ確実にその結果が原因だった。

 

 編成の数は全部で七つ。現役部員と先生、そして三年生が投票を行う形で、選考は実施された。どの編成も限られた時間ではあったけれどよく仕上げていたと思う。今回の目的であった個人の実力向上による部全体の実力向上はしっかりと達成されていると言える。

 

 第一編成の「土蜘蛛伝説」は能の作品を基にしている。場面の変化が激しく、その切り替えが大事な曲だった。フルート・クラリネット・サックスの一年生を中心にした編成であり、上級向けの曲であったために苦戦した部分もあったようだが、見事にストーリー性の高い曲を表現しきっていた。

 

 第二編成、希美たちの「木管三重奏のためのディベルティメントop.37」は六つの小品で構成されている。エネルギッシュさ、不穏さ、幻想性、軽快、悲哀、勇壮、牧歌など様々な景色を展開するため、高い表現力を要求される。みぞれ・希美は言わずもがな、クラリネットパートリーダーになった島も高い実力の持ち主。まさに少数精鋭という勢いで挑んでいた。

 

 第三編成の「ラノベ ファンタジア」は何かのお話と言うよりは、ストーリーという概念そのものを演奏している曲だ。起承転結と表現するのが一番相応しいであろう曲の展開は個性を出すことが出来る。この話がどのような物語なのかは作りて次第。高坂さんたちはそこを詰めていく形で演奏を実行していた。

 

 第四編成の「水面に射す紅き影の波紋」は湖に映った影と、それを揺らす波紋を表しているというのが作者のコメントである。打楽器四重奏だが、恐らくティンパニが一番難しいだろう。パーカッションパートだけで構成されていた編成であり、連携と言う点では一番上手くできていたかもしれない。

 

 第五編成の「文明開化の鐘」は6/8拍子の前進するリズムを常に続ける曲だ。まさに文明開化と言わんばかりの華やかさが特徴で、朝の昇り行く太陽を示したような希望を持てる構成になっている。初心者組が多い編成になっていたので、練習は優子を中心にまとまっていた。部長副部長を含めた編成なので、注目度も高い。

 

 第六編成の「リリックピース1番」は焦燥感のある冒頭と終盤、そしてゆったりとした中間部が魅力である。反復進行の中にどういう表現をして演奏するか。それが腕の見せ所でもあった。金管のコンスタントな実力者が加わっており、トロンボーンとホルンのパートリーダーもいたことからこちらも注目されていた。

 

 第七編成の「3つの手紙」は架空の主人公がお世話になった人・大切な人への気持ちを手紙につづるというストーリーになっており、タイトルから察せられる通り三つのパートで構成されている。込める気持ちをパートごとに変えていくことが大事になる曲だ。井上・後藤の二年生組と塚本君・森本さんの一年生組の組み合わせだ。普段はそこまで絡みが無いそうだけれど、皆上手い奏者で構成されていた。

 

 以上七つが今回の編成であり、当然と言うべきか、この中で一つ選ぶというのは難しい。どの編成も非常にレベルの高い仕上げをしていた。先輩方も先生も、かなり長考していたのが印象深い。勿論私もかなり悩んだ末に投票したのを覚えている。そんな多くの人の悩みの末に、今回の府大会に出場する編成が決定された。

 

「でもさぁ、二番目って一番悔しいじゃん」

「僅差だったからなぁ、全体的に」

 

 希美たちの第二編成は僅差での二位を獲得している。二位なだけでも十分凄いことではあるのだけれど、それでも一位が欲しいというのが人情だろう。みぞれも珍しくムスッとしていたし、島も悔しそうな顔をしていた。

 

「完成度高かったからなぁ、高坂さんたち」

「分かってるよ~。でも悔しいものは悔しいし」

 

 僅差の大勝負になった選考で晴れて一位となったのは第三編成。高坂さん・吉沢さん・黄前さん・川島さんの四名で構成されていた編成。私が一年かけてみっちり育てた二人に、元々エース級の川島さん。それに田中先輩の愛弟子とも言える黄前さんが組んだとなれば非常にレベルが高くなるのも納得だった。

 

 三位の第一編成も健闘していたし、全体的にレベルが高い中で行われていた選考だった。他の学校なら、どの編成でも恐らく大会に出れるくらいには高レベルな水準を保っていたのだ。

 

「頑張ったんだけどなぁ」

「そのフラストレーションはソロコンのオーディションで発散してくれ」

「はーい」

 

 希美の不満とは裏腹に、私は非常に満足している。これまで長いこと全員の実力の推移などを記録して、先生に報告していた。その記録に新しいモノを加えることが出来たし、成果の確認も出来た。同時に先輩方に来年も大丈夫ですということを伝えられたし、B編成組の育成でお世話になった斎藤先輩にも一つのけじめを付けられたと思う。

 

「ねぇ」

「どうした?」

「……何でもない」

「そっか」

 

 もしかしたら、彼女は私がどこに投票したのかを知りたいのかもしれない。それを聞くのは自由だった。ただし言わない自由もある。正直に伝えてしまいたいという思いもある。けれど、これは吹奏楽部の指導者として選んだわけだからして、教えるべきではないというのも事実だ。特に、先生や私の投票先が何らかの形で漏れてしまったら、余計な忖度や憶測を与えかねない。それは絶対に避けたいことだった。だからこそ投票には当然無記名だし、選択肢にチェックを入れるだけだから個性的な筆跡なども出ないようにしている。

 

 ここでその感情に流されて教えてしまうことを彼女が望んでいるわけじゃないだろう。私は指導者として吹奏楽部に携わっている。それを無視するわけにはいかない。そんな事をしては、私は彼女の前に誇りを持って立てなくなってしまう。

 

 お互いのために、この方が良いのだ。それが例え、私が第二編成に投票していたのだとしても。ちなみに、先生は第一編成、松本先生は第七編成だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、お願いがあるんだけど……良いかな」

「良いけど、どんなこと? 私に出来ることならいいけど」

「……今回の練習中に思ったんだ。みぞれ、すんごい上手くなってる。それこそ中学校の時とか、高一の時とかなんて比べ物にならないくらい。側で練習してるとそれが凄いよく分かった」

「ずっと練習してたからね。朝早くから、夜遅くまで、文句も言わないで淡々と」

「だよね。私が腐ってる時も、吹部から離れてた時も、ずっと。差が開いちゃうのも当然。だけど……私はそれがちょっと、何と言うか、悔しかった。フルートなら、調にだって今度は負けるつもりない。でも、みぞれには勝てなかった。演奏聴いて、凄い上手いなぁって思って、綺麗で感情豊かで……。私も頑張らないといけないなぁって」

「そっか。それで?」

「これからもっと練習したいんだけど、どうしたら良いかなぁっていう相談したくて。それがお願い」

「分かった。そうか、そう言うことならそうだなぁ……」

 

 彼女のフルートをみぞれと同じ技量に持っていくというのは、私では不可能だろう。それは彼女の技量が足りないとか成長速度が遅いとかそういう話ではなく、どちらかと言えばこちらの問題。私はフルートの専門家ではないし、フルートに関する練習も他の楽器と共通する部分しか詳しく役立つアドバイスはできないだろう。もちろん、表現の話ならいくらでも付き合えるけれど、そういう話だけでは無いと思う。

 

 金管なら余裕なのだけれど、この時ばかりは己の専門分野を呪った。フルートなら妹の方が詳しいまである。練習場所を確保したいということなら、幾らでもアテはあるのだけれど、闇雲にやっていてもしょうがないだろう。そこで思い出したのは、晩餐会での会話。私の頼みを断らないと彼は言った。コンバスの時のように来てもらうのは難しくても、今どき文明の利器を使えば幾らでも遠隔地とやり取りは出来る。

 

 もし上達したいと部員が望むなら、それを叶えるのが私たちの仕事だ。特に、彼女は上手くなるための方法を探している。高坂さんや吉沢さんと同じように。ならば、それに応えてあげるのが私のやるべき事だろう。自分で教えるのが上手く行かないなら、もっと適した人を使う。新山先生がやってくれればいいのだけれど、個人にそこまで時間を使えないだろうし、そもそも向こうだって仕事がある。その無理を押し通せるだけの関係を、私と新山先生は構築していない。

 

「方法はある事にはある」

「ホント!?」

 

 私が長いこと考え込んでいたからか、少し不安そうな顔をしていた彼女は、目に見えて明るい表情になる。

 

「もちろん。そこで嘘ついてどうするのさ。まず、単純に今のままじゃ練習時間が足りない。高坂さんも吉沢さんも、当然みぞれもおかしくなるくらいの量を練習してる。誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰るくらいの量をやらないと追い付けない。あんまり好きじゃないだろうけど、朝もっと早く起きよう」

「うっ……」

「こっちが努力しても、相手もサボってるわけじゃないから。どんどん先に進んで、差は開かないけど縮まないみたいな感じがずっと続くことになるよ。それは嫌だろうし、差を詰めたいなら相手を超える行動をしないと」

「……頑張る」

 

 何とも不安を感じさせる声だった。若干震えているのも、意思が揺らぎ始めているのを感じる。まぁ確かに一日のルーティーンを変えるのは結構ストレスになるし、朝早く起きるのは誰だってそんなに好きじゃない。勿論、勧めておいて言うのもアレだけれど私だって好きじゃない。ただ必要だから起きているだけで、寝ていていいならもっと遅くまで寝ているだろう。

 

「幸先不安だなぁ……。まぁ無理そうなら起こしてあげるから」

「どうやって?」

「モーニングコールでもしようか? 私は四時半に起きてるから、それ以降ならいくらでもかけられる」

「それなら起きれるかも」

「それは良かった。これでも起きないと家の前で「傘木さ~ん、学校行くよ~!」って呼びかけないといけないから」

「ちょっと、と言うか大分嫌かも」

「でしょ」

 

 まずは一つ。だけれどこれだけで追いつけるなら、きっと今頃私はあっという間に高坂さんに負けているだろう。

 

「次に、休日とか練習後とか、ここから新学期までは割と余裕を持って練習が終わるから、その後も練習すること。場所が無いなら私の家を貸してあげるから。隣の家まで遠いしまぁどこで吹いても怒られないと思うけど、一応仕事してる人がいるから防音室でなら練習しても良い」

 

 これで場所の問題もある程度クリア。家で練習できない環境の人が多い中、これはアドバンテージになるだろう。みぞれだって家に防音室は無かったはずだし、基本学校でしか練習してないと言っていた。そこで差をつけることが出来るかもしれない

 

「ただ、一応家に受験生がいるので注意してくれると助かる」

「涼音ちゃん、北宇治受けるんだよね?」

「そうみたい。まぁ成績はあんまり心配して無いけど、本人はガリガリやってる。なんかどうせなら進学クラスに主席入学してやるって息巻いてて」

「凄いなぁ」

 

 この前行われた中三最後のテストも一位だった。公立の中学校が必ず行わされてる模試も、北宇治はA判定だったらしい。敗北を知りたいとか、冗談を言っていたのを覚えている。井の中の蛙と言ったら鶏口牛後と返されてしまい、それ以上何も言えないまま引き下がる羽目になった。妹に論破されてる情けない兄である。

 

「そして最後に。もし本当に上手くなりたいなら、優秀な奏者に頼るしかない。まぁこれは向こうがどう出るかにもよるけど」

「フルートのプロ呼べるの?」

「呼ぶのは無理でも、今は色々出来るからね。新山先生も担当楽器はフルートらしいんだけど、専任で頼めるほど関係性が深くないから。申し訳ないけど、私の友達で我慢してほしい」

「我慢なんてそんな事無いよ。教えてもらえるだけで、凄く助かるし」

「それは良かった」

「あと、一応調にも声かけて良い? 私だけなのも何か……あんまり良くないだろうし。スタートラインの話こないだしたばっかりだしさ」

「それはもちろん」

 

 希美と井上の間にはライバル意識にも似た奇妙な友情とも言える関係が存在している。この前話した高坂さんの話も彼女の心の中に存在しているのだろう。

 

「じゃあ、取り敢えず最後のはこっちから頼んでみる。ただちょっと時間はかかるかもしれない。けど、それ以外は明日からできるからやって行こう。出来る事は全部する。それが上手くなる一番の近道だと思うから」

「頑張ってみる」

 

 私に出来る手伝いは、この辺りが限界だろう。あとは教えてもらったことを練習している間に躓いた小さな部分を、私がフォローして練習に付き合うくらいになると思う。高坂さんたちのレッスンも終われないし、さらに一人追加となると結構大変な事は予想される。とは言え、頑張ろうとしている人を助けるのが私の仕事である以上、出来る限りの事はしたい。この行動は私個人の感情ではなく、どちらかと言えば指導者としての責務に基づいたものに近い。仮に他の人に相談されても、同じような事を言っただろう。

 

「ただし、無理はしないこと」

「了解です」

 

 ホントに分かってるのかは不安になる。まぁ来年は三年生。流石に自己管理くらいはできるはずだ。彼女は今、スパートをかけ始めた。これがどこまで、どれくらい続くのか、どの程度のスピードを出せるのかは分からない。ただ、きっと彼女にとってこの先の努力は実になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 希美の決意は良いことなのだが、それよりも先にやるべきこと、待っていることがある。それはソロコンテストの選考オーディションだ。今度は私と先生、そして松本先生の三人が行う。日付はアンコン選考の三日後。アンコンの選考を終わらせた後に行うことにしていた。そして、それが今日である。

 

 希望を出している人はアンコンの選考が終わっても休めない。むしろ、自分に与えられている課題の箇所を必死にこなしていた。無論、アンコンで選ばれた第三編成の四人も全員希望を出している。あの編成はどっちも手を抜けない状況になったので、より一層大変なことだろう。とは言え、それも織り込み済みで希望を出しているのだから、自分で選んだ道と言うことになる。

 

 かつて六月にそうしたように、私たち指導陣は机を並べて、希望者の選考を行う態勢を作っていた。

 

「異なる楽器を跨いだオーディションは初めてだ……五人とは難しいな」

「昔の北宇治ではソロコンに出てなかったんですか?」

「私が知っている限りでは無かったはずだ。ソロコン自体は存在していたはずだが、話には出てなかったな」

 

 松本先生はかつてを知っている数少ない生き字引だ。滝先生の父親である滝透氏。彼が北宇治で指揮棒を振るっていたのは十年前。公立高校の先生は移動があり、松本先生も八年ほど前に一度移動したらしい。そして二年ほど前に戻ってきたら、かつての強豪校は見る影もなくという感じであったらしい。そのせいもあってか、去年の顧問とは仲が悪かったと聞いている。

 

「新しい取り組みですが、何事も最初はそういうモノです。私たちが行ったことが良い先例として残るようにしたいですね」

 

 滝先生は眼鏡を拭きながら、そう告げる。それは当然、私たちも思っている事だった。オーディションというのは気が重い。誰しも頑張っているのは事実なのだ。それを私たちで区切って優劣をつける。それが正しい行いなのかは分からない。無論プロの世界ならば正しいことだし、そうでなければ区別も付けられないが、果たして部活動でするのが正しいのかは分からないとしか言えない。

 

 上に行くため、結果を出すためと言い訳しつつ行うのは、あまり気が進まない事だった。滝先生がどう思っているのかは分からない。松本先生も。ただ、二人は二人なりに納得して、或いは折り合いをつけてオーディションに臨んでいるはずだ。というよりそうでないと困る。

 

 そしてオーディションは始まった。それ自体はそこまで時間もかからない。六十人近くを審査する普通のオーディションとは違い、人数は三分の一ほどだ。しかし、全部の審査が終わった後、五人を選ぶ段階で我々三人は大紛糾していた。三人全員、選んでいる人が少しずつ違うのである。

 

「取り敢えず、一致している生徒は合格ということにしましょう」

 

 松本先生が眉間を抑えながら言う。一応三人とも合格に〇をつけている生徒はいた。

 

「では、川島さんと鎧塚さんは決定とします。とは言え、そこから三人が大変なわけですが……」

 

 残りの三枠をどうするか。我々は見事に食い違っていた。私は高坂さん、高久さん、井上さん。先生は堺さん、希美、高坂さん。松本先生は黄前さん、森本さん、瀧川君を選んでいた。ここまで来ると、おそらく議論は平行線になってしまうだろう。選んだ理由は全部同じで、実力上位だと自分が思っている人になる。私と松本先生は一年生に偏っている部分が多い。と言うより、二年生で食い込んでいるのが希美くらいなのが、現在の二年生の層がまだまだ薄いということを示している。

 

「やはり五人と言うのは厳しいな」

「とはいえ、そういうルールになっていますから……」

「分かってはいるが、難しい」

 

 松本先生は腕を組んだまま上を見上げている。確かに難しい。どうやって決めればいいのか、考えていなかったのが悪かったのかもしれない。こんなにも実力差が狭まっているとは思わなかった。

 

「取り敢えず高坂さんは良いんじゃないですか? 私と滝先生のどっちも書いてるわけですし。と言うより、松本先生は何でお選びにならなかったのか、それをちょっとお聞きしたいです」

「高坂はアンコンにも出ているからな。出来る限り多くの生徒に機会を与えるべきと考えた。勿論、実力的にも高坂に迫っていると言える人を選んだが……」

「なるほど……確かに、どっちも出ているとなると、高坂さんに一極集中してしまう可能性があります。しかし、それを理由に弾いては高坂さんが報われません。と言うより、このソロコンはエースを作って特に強い楽器を作り出して、その結果として自由曲や課題曲の選定に活かすためのものです。高坂さんがエースなら、それでいいと思いますが」

「……分かった。それでいいだろう」

 

 これで高坂さんが追加になる。松本先生が言っていることも間違ってはいないと思う。しかしながら、ここではしっかり実力で選ばないといけない。でないと、基準がブレてしまう。そのブレはひいては不信感に繋がってしまうだろう。だから今回は高坂さんを選ぶべきだった。吉沢さんや優子、滝野もかなり善戦していたけれど、いかんせん今年香織先輩とソロパートを争った高坂には及ばなかった。或いは、香織先輩がこの選考に参加していたら高坂さんも危なかったかもしれない。特に吉沢さんが迫っていたのが印象深い。ただ、同じ曲だったことが今回は不利に働いた部分もあった。

 

「高坂さんは追加とします」

 

 先生は疲労の滲む声で言った。オーディションの演奏が終わってから一時間。かれこれずっと話し合いを続けている。それだけ真剣と言う話でもあるが、やはり疲れるのも事実だ。本当は終わった後今日中に発表してしまおうということになっていたのだが、ちょっと無理そうである。

 

 そこから更に話し合いを重ねること三十分以上。総計で一時間半以上の長考と激論の末、何とか今回ソロコンテストの予選に出場させるメンバー五人が決定したのだった。終わった頃には既に学校は真っ暗になっており、我々三人の顔には深い疲労が刻まれていたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 そして翌日、部活の始まりと共に松本先生が選ばれた五人の書かれた紙を持って音楽室にやって来た。音楽室の中は少しソワソワしている。無論、オーディションを受けていない人もいるけれど、そういう人でも結果は気になっている事だろう。この部活の最高戦力が誰であるかという発表でもあるわけだからして、気になるのも道理だった。全員の視線が、六月の時のような緊張感を孕んで松本先生に向けられる。

 

 そして、先生は少しだけ咳払いをして口を開いた。滝先生も様子を見てはいるが、こういう発表はいつも松本先生の役目だった。そちらの方がパリッとした空気になって良いのかもしれない。

 

「これより、北宇治高校吹奏楽部の代表としてソロコンテストの予選に参加する五名を発表する。名前を呼ばれた者は大きく返事をするように」

 

 自分の結果はどうだったか。友達の結果はどうだったか。ソワソワした空気の中、松本先生が名前を読み上げていく。

 

「オーボエ、鎧塚みぞれ」

「はい」

「コントラバス、川島緑輝」

「はい!」

「トランペット、高坂麗奈」

「はい!」

 

 ここまででおぉ……というざわめきが聞こえる。とは言え、これは予想していた人が多い。今年香織先輩に勝ってソロになった高坂さんは妥当だろうし、みぞれが恐らく部内で最上級に上手いということは、特に木管の部員にはよく知られていた。川島さんも低音パートからは特に納得の声が上がっている。彼女がずっと上手いのも有名だった。

 

 では残り二名が誰になったのか。長時間の会議の末に決まったメンバーの名前が発表される。

 

「パーカッション、井上順菜」

「はい!」

 

 選ばれた片方はパーカッションの井上さん。これは堺さんを推す先生と激論の末に私が競り勝った形になる。パーカッションのメンバーの中でも飛びぬけて上手いのが堺さんと井上さんであり、そのどっちを選ぶかとなった際に揉めるのは、ある意味妥当でもあるわけだが、その結果として井上さんが選ばれた。

 

 恐らく、ほとんど実力差はない。けれど最後に井上さんが選ばれたのは今回の課題における完成度の問題だった。多分違う曲にすればまた違った結果が出てくるだろう。逆に言えばそれくらい両者の実力は肉薄しているということでもある。パーカッションは全体の演奏を支える大事なパート。来年・再来年の活躍も期待できる。そして、最後の一人になった。

 

「最後にフルート、傘木希美」

「はい!」

 

 そして最後の名前で、またざわめきが起きる。ここもまた紛糾した場所だった。最後に一人絞るとなった時、滝先生は希美をプッシュした。私は高久さんを押していた。希美も当然上手い奏者であることには変わりないのだが、課題曲が違った以上、私としては高久さんの方が上手く思えたのだ。逆に、先生は希美の方が上手いと思ったらしい。どうやら、希美とみぞれのコンビが黄金編成だということに気付いたらしい。

 

 激論の末、高久さんは親しくしていた同じクラリネットの先輩がいなくなってしまったことに少しメンタルをやられているようで、その不調具合の話をされてしまった。私がそういう報告を上げていたことが仇になり……というと少し語弊があるけれど、ともあれメンタル面では希美の方が強かろうということで選ばれたのである。確かに、ソロで演奏するとなるとかなりメンタルは大事になってくる。選ばれたのは基本割とメンタル強めのメンバーだった。みぞれも意外と普段は動じない。大きく悪い方向に動じるのは希美が絡んだ時だけである。

 

 周りの反応はまちまちだ。二年生の中には、少し曇った表情をする人もいる。希美は余所者。田中先輩の言葉が思い起こされた。そんな考えを頭の中から振り払って、前を向く。

 

「松本先生、ありがとうございました。今名前を呼ばれた人、そして先日の投票の結果選ばれたアンサンブルコンテスト出場編成の人はいずれも北宇治の代表です。学校の名前を背負っていると思い、大会まで今以上に練習に励んでください」

「「「はい!」」」

 

 ここから一般部員は定期演奏会関連の練習が始まることになる。当然、アンコン組・ソロコン組・どっちも組もだ。どっちも組はかなり大変ではあるけれど、高坂さんと川島さんはやる気十分という具合である。元々音楽面では体力もあるので心配はしていない。

 

「今回落選してしまった編成の人やソロコン出場希望の人も、決して落胆することはありません。アンコンの投票はいずれも非常に僅差でした。また、ソロコンのオーディションもかなり紛糾しています。私たち三人は最終決定まで二時間近くを費やしました。それだけ希望した皆さんの実力が高かったからです。この挑戦は決して無駄ではありません。来年度も行うかは不明ですが、もし行うのでしたら今回は希望を出さなかった人も是非、希望してみてください」

「「「はい!」」」

 

 しっかりとフォローを入れる。とは言えこれは別に嘘でも何でもなく、かなり激論になったのは事実だ。そもそも、私たち個々人で五人に絞り込むまでにもかなり時間を要している。それくらいには難しい選考だったのだ。もし仮に全員出れるなら出しても遜色ないと、私は考えている。

 

 結果発表の後、色々な反応があちらこちらから見えた。

 

「おめでとう麗奈ちゃん。アンコンは一緒だけど、ソロコン頑張って」

「ありがとう」

「お礼はいいよ。次は私が貰うから」

「次も一番弟子たる私が出るから、お礼は今のうちに言っておきたいと思って」

「そっか、あはは」

「ふふふ」

 

 目が全く笑ってない二人がバチバチ火花を散らしている。負けた吉沢さんは、それ自体は悔いていないような顔をしている。意識は次の戦いに向いているのだろう。それに、アンコンでは仲間なのだからいがみ合っているわけにもいかないのかもしれない。

 

「はいはい、そこまでそこまで。後、高坂さん残念! 一番弟子は私なんだなぁ」

「……確かにそうでした」

 

 加部が少し強引に間に入って空気を変える。普段はゆるふわな吉沢さんの静かな熱意と高坂さんのマグマみたいな赤い炎に滝野がちょっと怯えている。確かに少し怖いのは分かるかもしれない。そして、その裏で静かにガッツポーズをしている希美の姿が目に入っていた。思えば、大会らしい大会に、たとえそれが予選であっても出場したのはこれが初めてだろう。かくして、彼女は記念すべき高校初めての大会に選ばれたのであった。




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