「次に、三部で行われるパフォーマンスの配役を決めたいと思います。えー、浦島太郎の部分ですね。役としては乙姫、太郎、亀がいます」
部内会議の中で、司会進行をやらされている黄前さんが議題を進めていく。既に何個かの議題は終了し、今は一番の目玉に近い仮装する部分の配役を進めていた。
「まず亀は……」
黄前さんが言い終わる前に、真っ直ぐ手が挙がる。真顔のまま意気揚々とみぞれはその右手を宙に突き出していた。そこまでしてやりたいの……? という顔を、恐らく全員がしていたと思う。
「わ、分かりました。じゃあ亀はお願いします。次に乙姫様は……」
沈黙。ちょっと恥ずかしいというのもあり、演劇部では無いのでそういう経験が無いからちょっと怖いというのもあり、色々な理由から演者として手を挙げる人がいない。なんとなく自信が無かったり、逆に違う部分で忙しかったりと様々だ。
「えっと、候補者がいない場合はこのパフォーマンス出来なくなっちゃうんですけど……そんな顔しないでくださいよ……」
悲しさに満ち溢れた無表情という中々器用な事をしているみぞれに、黄前さんは困った顔をしている。さながら、捨てられて雨に濡れた子犬を前にしているかのように。私がやってあげられれば良いのだけれど、当日はオープニング曲を担当した後指揮だったり背景や照明の管轄だったりと走り回っている。パフォーマンスの練習もしないといけないので、時間的に厳しかった。
「じゃあ、太郎は私がやるわよ」
見かねて手を挙げたのは優子。が、意外な事に阻止される。
「うちがそっちはやるんで、優子は玉手箱とかの仮装をさせとけばいいと思います」
「はぁ?」
「良いんじゃない、似合ってるよ玉手箱」
「バカにしてんでしょ」
「そんなことないですよー」
ギャースカ言い合っているのはいつもの様子。しかし議題はまだたくさんあるし、黄前さんは困り顔。
「あー、もう君らうるさい。そっちが乙姫、そっちが太郎で良いだろもう。ついでに『山の音楽家』は優子がMCで歌うんだから、セットで歌えば良いんじゃない? はい、これで二つ片付いた!」
「いいじゃん、それ」
「二人に歌ってもらおう!」
という具合に、私のそこそこ強引な提案によって二人の配役が決まる。乙姫が優子、太郎が夏紀。良い感じの配役になったと思う。部長副部長のセットでバランスも良いだろう。
結果として優子は薄桃色の衣装を着ることになった。金のティアラまで頭についている。浦島太郎は東洋文化圏の話だったような気がするのだが、細かいことを突っ込んでは負けだろう。衣装や小道具類は全部私が演劇部から借りてきたものだ。交友関係はどんなところで役に立つか分からない。
この会議以来、放課後練習の時間中に二人は喧嘩しながら歌の練習をしている。両者ともにみぞれが亀をやると言わなければ絶対にやらなかったと文句を言いつつもやめる気は無いようだ。そして肝心要の亀は楽しそうに衣装合わせを行っている。
普段よりちょっと早めに練習を切り上げて、私は放課後の街を歩いている。目的地は家ではなく、商店街や近隣のお店。スーパーだったりパン屋だったり、コンビニや本屋、駅など様々だ。普段は持って来ない自転車を転がしながら色々な場所を巡っている。地域探訪がその目的ではなく、やりたいのはポスターを貼ること。定期演奏会の宣伝だった。
一人でも多くの人に来てもらい、満員御礼を実現することが理想である。当然保護者や、ウチの学校の生徒なども来てくれるけれど、それだけではなくもっと広い客層に見てもらうことが目的だ。そうすることで地域に北宇治が浸透し、色んなイベントに呼んでもらえる。それはいい経験になるし、思い出にもなるはずだ。
南中の現役部員も来るらしいので、良いところを見せられるようにしないといけない。
「ありがとうございました」
「いえ、お父様にはお世話になりましたから。これくらいは幾らでもします」
本日十五件目のお店を出て、挨拶する。商店街は受け入れてもらえる可能性が高い。両親が結婚後祖母から離れるために空き家同然だった宇治の別邸に越してきて早十数年。地域の振興に非常に尽力していたらしく、未だにこうして商店街や商工会議所などでは挨拶される。おかげで、ポスターを貼りたいという申し出も全く断られることなく受諾されていく。両親の献身に感謝していた。
「あ、来た来た。やっほ~」
「そっち終わった?」
「終わったよ。どこのお店もビックリするくらいすぐにOK出してくれてちょっと怖いんだけど……」
「前もって今度貼らせてもらいに行きますって言っておいたから」
「久美子ちゃんたちもすんごいスムーズに捌けてビックリしてた」
「伊達に何年も宇治に住んでるわけじゃないのさ」
近隣の小学校に配りに行っていた希美と途中で合流し、私は自転車を押しながら歩いて行く。ポスターを入れていた封筒はもうほとんど空っぽ。それと比例するように、多くの店の軒先に『北宇治高校吹奏楽部』の文字が並んでいる。こんなに大々的に宣伝しても文句など言われない演奏が出来る団体になったのだと思うと、誇らしい。
自転車を押しながら、アーケード街を歩いて行く。向かい合っていて片方にデカい奇妙な鳥のいる餅屋を通り過ぎる。肉屋、花屋、居酒屋など色々な店が軒を連ねていた。産まれてから留学期間を除いて引っ越しなどした事無いのでこの辺は皆知ってる顔や店ばかり。とは言え最近は新しいお店も増えている。古い店と新しい店が融合していく様は時代の進みを感じさせた。
「色んな人が来てくれると良いな」
「入りきらない可能性もあるっぽい」
「そんなに?」
「南中の吹部の現役部員は行くってさ。涼音がお勧めですって言ったからかもしれない」
「恐ろしい影響力だね……」
団子の串を口に咥えながら、彼女は器用に喋っている。
「そっちにしておけば良かったかもしれない」
「今度はそうしなよ。私もそっちの美味しそうって思ったし」
「そうする。次で最後か。えっと……あぁ、ちょっと距離あるか。先に家行って練習してる? チャリでピャーっと行こうと思ってるけど」
「えーどうしようかな。じゃあ、こうする」
そう言うと、彼女は荷台に腰を下ろした。
「……なるほど、そう来るか」
「じゃあ、お願いしまーす」
「仕方ない」
サドルに座ってペダルを漕ぐ。人が一人分後ろに乗ってると、それだけで大分勝手が違う。事故ったりしないように慎重に前に進んでいった。どんなに軽い人でも数十キロはあるわけで、思わず口が滑った。
「……重い」
しまったと思う前に、後ろから背中に無言のパンチが飛んでくる。
「ちょ、痛い、痛いって。ごめん悪かったから、軽いです、十分軽いから!」
「ホントに?」
「ホント、本当ですからパンチしないで。地味に痛いんだからそれ」
「この前体重計見たらちゃんと痩せてたから」
「今まででも十分細かったと思うけど。そんなに痩せたら健康に悪くない?」
「女子高生はそれでも気にするものなの! 涼音ちゃんにそういう事言ってないよね? ぶっ飛ばされちゃうよ」
「……気を付ける」
「前科持ちか、これは……」
お風呂上りに冷蔵庫のアイスを咥えながらソファにだらんとしている姿を見て「太るぞ」と言ったことはある。威嚇してる猫みたいな表情と態度でテレビのリモコンを構え始めたので慌てて逃げたのを思い出した。気にしてるならやらなきゃいいのにと思ってしまうけれど、そこは乙女心というやつなのだろうか。
「意外とお尻痛いね、これ」
「降りる?」
「うーん、このままで」
横向きで座っている彼女の頭が私の背中に寄りかかる。少し寒い風に負けないくらい私の顔はきっと赤いのだろう。彼女がこちらの顔を見れないので、それがバレなくて良かった。そんな事を思いながら、冬の夕陽に向かってペダルを漕いだ。
定期演奏会の日は快晴だった。太陽は煌々と頭上に輝いている。青い空は雲の白さをどこかに置き忘れてきたかのようにまっさらな色をしている。楽器運搬もリハーサルも問題なく進行していた。リハーサルは会場の一番後ろで私が聞く形で行われた。府大会前のホール練習と同じである。ちゃんと音が届いているか、音質に問題はないか、聞こえ方は大丈夫かなどチェックすることは多い。万全を期して、少しでもいい演奏・いいサウンドを届けられるようにするのが私の役目だった。
「良いでしょう、問題ないです!」
私の出したOKサインに先生は頷く。諸々万事問題なく進んでいる。追い風が吹いていると思ったけれど、それは間違いではないようだ。
そうして間もなく開演の時間となる。私は最後まで照明やマイク、音響などの細かい調整だったり進行の確認を先生としたりと忙しい時間を送っている。
「香織先輩! 来てくださったんですね!」
甲高い声が入り口から響く。その声は彼女をエンジェルと謳う人物のそれ。散々聞いた声をまさかここでも聴くことになるとは思わなかった。香織先輩や小笠原先輩の受験はもう終わったらしい。らしいというか本人からそう聞いている。田中先輩はまだ国公立の受験関連で忙しいので、今回は不参加のようだ。
「今日はお手伝いに来たの」
そういう風に頼んでおいたけれど、予定が上手く噛み合ったらしい。受付で微笑んでるだけで客寄せパンダじゃないけれど凄まじい集客効果がありそうだ。その辺の喫茶店とかでも長蛇の列を作れそうな風格さえ感じる。優子はもう大興奮だった。あんな姿を見るのは意外と久しぶりかもしれない。これまでは部長吉川優子の姿だったけれど、今はただの吉川優子に戻ったように感じる。
「どうも、部長お久しぶりです」
「もう部長じゃないけどね」
「いや、私の中ではあなたが最初の部長ですよ。新生北宇治の、誇るべき。香織先輩共々合格おめでとうございます。サックスは、大学でも?」
「まぁ、折角楽器買ったしね」
「そうですか、それは良かった」
「葵も続けるらしいし、香織はまぁ、看護系は忙しいから分かんないけど続ける意思はあるみたい」
香織先輩は看護系の学校に進学した。北宇治のエンジェルは文字通り白衣の天使となるのだろう。先輩に心配されると治らないといけない気分になって来るので、病は気からというし、活力にはなりそうだ。大変な仕事だとは思うけれど、夢を叶えて欲しいと思う。
そして、多くの先輩が楽器をやめないでいてくれることは嬉しいことだった。音楽はいつでも人生の側にいる。自分がそれに気付くか、必要としているかは人それぞれなだけで。音楽を好きでいてくれるというのは、嬉しいことだった。いつの日か、子供や友達の前で自慢できるくらいであればいいと、そう思っている。
「田中先輩は、どうされるんでしょう」
「う~ん、どうだろう。サークルとかで続けるかも。ハッキリとは聞いたこと無いけど。あ、そう言えば例の件はみんなOKだから」
「ありがとうございます」
「そろそろスタンバイ、移動して!」
夏紀の声が響く。部員たちはぞろぞろと移動し始めた。優子はその場で香織先輩に一礼し、名残惜しそうに移動する。私も小笠原先輩に頭を下げた。もう部長は彼女ではない。あのちょっとイントネーションの変なファイトを聞けないのは少し残念でもある。全ては移ろいながら変わっていく。流れ行く時間は、静かに少しずつ世界の形を変えていくのだ。
本番のステージは分厚い幕に覆われている。観客席は満員御礼というに相応しい数の人が座っている。中学生や小学生らしい人も見えるし、反対に年配の人もいる。様々な客層が集まっていた。その目的はひとえに北宇治の演奏を聞くこと。そのためにわざわざこうして足を運んでいる。
「今日は、新体制になってから全員で迎える最初の本番です。今まで頼りにしていた三年生が抜けて、色々と大変なことも多かったと思う。でも、こうして今日という日を迎えられて、本当に嬉しく思っています」
その澄んだ声は、真面目に、そしてしっかりと多くに広がっていく。頼もしい部長だ。半年も経たないうちに、彼女は立派な部長になっている。北宇治高校吹奏楽部を率いる、そのリーダーたるに相応しい姿に。
「去年は色々あったけど、でもそれがあったからこそ今こうして皆とこんな風に音楽が出来ているんだと思います」
彼女の視線は一瞬だけ高坂さんに向けられる。色々どころではない騒ぎだったのを思い出した。あの時は本当にどん底の気分だったけれど、夏が生み出した上昇気流に煽られるように、ここまで駆け抜けてきたのだ。高坂さんは動じることなく優子の顔を見ている。
「今年も、このメンバーに新一年生を加えて、今度こそ全国で金を獲りたいと思っています。最高のメンバーと最強の指導陣で、今度こそ。全国金を絵に描いた餅、ただのスローガンだなんて思わせないように、まず今日ここで来てくれたお客さんに北宇治の本気を見せつけてやりましょう!」
「「「はい!」」」
返って来た返事に大きく頷いた優子の手は、天に伸びる。そのシルエットはかつての部長の姿と一瞬だけ重なった。時は移ろい、全ては変化していく。その中でも、確かに変わらないもの、受け継がれていくものがある。
「それじゃご唱和ください。……北宇治ファイトー!」
「「「オー!」」」
突き挙げられた全員の拳。部員たちの声がステージの上で幾重にも反響する。こだまするその声は幕の向こうにも聞こえたようで、布越しに拍手の音が聞こえて来る。
「じゃあ、オープニングよろしく」
「了解」
指揮者が立つ位置に足を置く。第一部最初の曲は「スター・パズル・マーチ」だ。けれどその前に、みぞれから頼まれたオープニングがある。幕が上がり切ったら一曲やって、その後に開幕宣言をして欲しいらしい。と言うか、奏者としての出番はそれが最初で最後だ。そういう訳で練習をしておいた。何の曲をやるかはみぞれも希美も先生も、他の誰も知らない。それで許されているのは、私が信頼されていると思って良いのだろう。
幕が上がっていく。多くの人の視線がこちらに向けられているのを肌で感じた。スポットライトが私に当たる。まずは一礼して、私の相棒を構えた。そして息を吹き込む。選んだ曲はすぎやまこういち作曲の伝説的名曲。世界に流布されている日本が誇るゲームの一つ。ドラゴンクエストより「序曲」。物語の開幕を告げるのに相応しいと思って選んだ。ついでに知名度と盛り上がりも考えている。多くの子供を、そして大人を勇者に変えるその曲を、高らかに奏でた。
あくまでもオープニングなので、演奏時間は一分にも満たない。元々なんかやってみてよと言われた時用に昔からストックしていた曲ではあるので、もう慣れたもの。練習中は「その程度?」と語って来る私のトランペットも、本番の時だけはしおらしくなって完璧に合わせてくれる。短い演奏は終わった。まず一発目としては十分だったようで、大きな拍手が降り注ぐ。
クリーニングに出すところだったタキシードを引っ張り出してきてこの演奏のためだけに着ていた。その胸元に付けたマイクのスイッチを入れて、オープニングの挨拶を行う。
「Ladies and gentlemen. Welcome to our concert!」
深々と一礼すると、また大きな拍手。そして私の出番はここで終わり。数曲指揮があるだけになった。他は裏方で走り回ることになるだろう。ここからは、部員たちの舞台だ。舞台袖から現れる先生と場所を交代する。みぞれは表情を変えないまま、小さくグッドというサインを送ってきた。それに小さく頷いた後、私は舞台裏に戻る。背後からは「きらきら星」をベースにした音が流れだす。その音を聞きながら、私は口角を上げた。この演奏会が成功することを確信しながら。
定期演奏会も無事に終わった数日後。京都の府立高校の入試日だった。年間の中でも一番寒い時期が続く二月。その中旬に受験日は存在している。私の頃もそうだったけれど、自分の入試がどうだったかなんて全く覚えていなかった。
「おはよう」
「ちゃんと時間通りに起きたな」
「当たり前。受験なんだし」
「それもそうか」
既に制服に着替えている妹は、食卓に座る。普段通りと言うか、何も変わってないように見えるのは自信の表れなのか、それとも隠しているだけなのか。全国大会の会場に比べれば、受験なんて何でも無いのかもしれない。
「まぁ、あれだ。一応私立も受かってるんだし。ダメでも立華と京女と洛秋のどこでも行けば良いから」
「ダメとか滑るとか言わないで欲しいんだけど。……まぁ、分かってはいる」
「と言うか、私立で今のラインナップ受かったなら、北宇治受からないわけないから。別にそんな進学校じゃないし」
「受験は当日まで何があるか分からないから、油断はできない」
「そ、そう……」
かなり重苦しい顔をしている。偏差値的に言えば、北宇治はそんなに上の方じゃない。立華は併願推薦で受かってるし、それ以外の私立校は全部上位の学校ばっかり。良くもまぁ受かったもんだと思う。学校の先生からは進路面談の際に散々色々言われていた。かなり遅れて出したのに第一志望がそれ以外の学校と比べて偏差値的にかなり下だったらそういう反応にもなるのも理解できた。
堀山高校を散々勧めてきた先生を一蹴して、妹は頑なに北宇治進学を選んだ。大学受験は普通にするらしいので、学業を考えれば先生の勧めに従った方が良いと思う。ただ、彼女は吹奏楽に高校生活を捧げる決意をしている。勉強は音楽を妨げられないためにやっているに過ぎないのだろう。そこまで惹きつけられる集団を作れる一助となったことは、私の誇るべき事なのかもしれない。
「受験票は持ったか」
「持ってる」
「財布と携帯は」
「持ってる」
「筆記用具……」
「大丈夫だから。心配しすぎ」
玄関で見送る私に、妹は呆れたと言わんばかりの顔を向けてくる。確かに、ちょっと心配し過ぎなのかもしれない。けれど、ウチの家には本当なら心配してくれるだろう親がいない。私がその代わりにならないといけないと思って、ウザったいくらい聞いていた。第一志望の受験は緊張するのだろう。これまで受けた私立よりもずっと張りつめているような気がした。
「お昼ごはんは渡したよな?」
「貰ってる。大丈夫」
「そうか……」
「じゃあ、行ってきます」
「頑張ってとは言わない。頑張ってるだろうから。だから……無事に帰って来てくれ。待ってるから」
「分かってる」
そう言うと、彼女は玄関のドアを開けて外に出て行った。冬景色の庭と、その先にある雪の被った瓦屋根の門。そこを通って彼女は向かう。私の通う学び舎へ。今日は受験会場となっているので、当然部活もお休みだ。あの校門をくぐる時、彼女は何を思うのだろうか。きっと大丈夫だろうと信じている。だからこそ、ただひたすらに無事に帰ってきて欲しかった。そうしてくれたなら、もう他に願うことなんかないのだから。
「涼音さんは行きましたか」
「雫さんも見送ればいいのに。良かったんですか?」
「私は大したことはしていませんから。それに、きっと実のお兄さんに送られた方が良いと思いますので」
「実のとか、あんまり関係無いと私は思いますけどね。血が繋がってても仲の悪いところはありますし、そうでなくても実の兄弟以上に信頼できる相手だっている。結婚だって究極的に言えばそういうモノですし。だから、そんなに卑下しないでください。私もあの子も、ちゃんと姉のように思ってます。婆さんやら他の親族やらに比べたら、ずっと頼れる大人で、信頼できる大人ですから」
私の進む道は彼女に守られた。北宇治にいられるのも、こうして楽器を続けられるのも。私の言葉に、彼女は曖昧な笑みを浮かべる。今はまだ気恥ずかしいけれど、いつか姉さんと呼べたらいいと、そう思っていた。
「今日、合格発表でしょ?」
昼ごはんを机に広げて希美が聞いてくる。
「そう。後五分くらいで連絡が来るはずだから、待機中」
「受かってると良いね」
「当然受かる……はず。私の妹が落ちる訳ない」
「すごい自信だね……」
あの子の学業成績は私より圧倒的に上だ。学年一位を譲ったことも無ければ、模試の偏差値でもいつも上位にいる。間違いなく受かってる。そう信じてはいる。とは言え、結果が実際に出てくるまでは心配してしまうのが兄心というモノだと思う。
「なになに、そっか今日か」
「私にはわかんないけど、やっぱ兄弟姉妹の受験って気になるもんなのかね」
「そりゃそうでしょ。特にこのシスコンは」
優子と夏紀が勝手な会話を繰り広げる。今日はまだ練習を始めていない。正午に合格発表があり、一時くらいからは練習して良いという許可が出ていた。なので我々はちょっと早めに集まって立華との演奏会や今後の予定を確認していた。
「シスコンじゃないと思うんだけど」
「それはない」
試みた反論はみぞれに一蹴された。すごい真顔で言われると何かこう、言語化しにくいけれど心にくるものがある。
「受かるといいね」
それでもそう言ってくれるのは普通に嬉しいものだ。同窓の後輩のことはやはり気になるのだろう。しかも同じ学校で同じ部活に入ろうとしているのだから。
時計をチラチラ見る。後、三分。数秒後二分になった。それにつられて四人も時計の針を無言で凝視する。一分一秒が長く感じる。一応、昇降口を音楽室から見れるので、発表されてるかは確認できるのだが流石に音楽室から妹を確認できないので大人しく座って待つ。
針が正午になり、12時1分になり、2分になる。3分になりかかろうとした時、ポケットから通知音。震える手で画面を開く。そこにあるのは絵文字が一つ。桜が咲いている絵。古典的な、と思うがその一つの絵文字ですべてが分かった。希美の方にもLINEが飛んできており、画面には「また後輩になります。よろしくお願いします」と書かれている。カッコつけて……と思いながらも椅子から転げ落ちるように立ち上がり、スマホを机にほっぽり出したまま走る。後ろから画面を見たらしき四人が付いて来るのも気にしないで。
外は寒く、風が強い。多くの中学生の中からたった一人の姿を探す。周りの中学生から見ればなぜかいる高校生は不審者だからからか、視線が降り注ぐ。
「兄さん!」
自分を呼ぶ声がする。それに振り向き、姿を認め、駆け寄る。珍しく人前でピースしながら喜ぶ姿に涙がこみ上げる。三年前の夏。両親が死んだあの夏。悲しみに暮れ、部屋でずっと枕を濡らしていたあの子が、ここまで成長したことに嬉しさが満ちる。これで、両親に顔向け出来そうで、心の底から安堵していた。
「良かった、良かった……!」
「うん。やった! 第一志望合格!」
抱き合いながら泣いてる兄妹を周りは生暖かい目で見てくる。それを感じて、慌てて離れる。そして妹は息を切らしながら追いついてきた四人に揉みくちゃにされながら、ひたすらに嬉し泣きしていた。希美に憧れて走り続けた妹は、もう一度その憧れに追い付いたのかもしれない。涙もろい優子はもう釣られて泣いていた。
「希美先輩……」
「ようこそ、北宇治高校に。また一緒に頑張ろう。今度こそ一緒の大会で、全国目指して」
「はい、はい……!」
涙の混じった声で妹は頷く。この学校を選んだことを、後悔させたくはない。立華や他の学校に行けばよかったなんて、思わせたくない。妹だけじゃない。こういう風に吹部に入りたいと思って北宇治を選んだ子を、後悔させたくは無いのだ。そういう部活を、私たちは作っていかないといけない。
書類を受け取って帰って行った妹を見送り、少しだけ潤んだ瞳のまま職員室に行く。妹の卒業式に行くので三月に一日休みますと担任に言いに行くためだ。扉を開ければ、丁度出ていこうとしていた教頭先生と出会う。
「おや、桜地君。おめでとうございます」
「あ、あぁ、ありがとうございます。もう知ってらっしゃるんですか」
「合格者名簿は持っていますからね。桜地と言う名前を見た時に、すぐピンときましたよ。それと、妹さんは春休み期間に何か予定はありますか?」
「いえ、まだ無いと思いますけど……」
「そうですか。後で本人にも直接伝達しますが、進学クラスの入試成績トップには毎年新入生代表をしてもらっていますので。その練習等で一日二日学校に来てもらわないといけないのです。大体引き受けて頂いてるのですが、どうでしょうか」
「それを目標にしていたので、二つ返事で受けると思います」
「それは良かった。改めて、おめでとうございます」
「こちらこそ、春から妹をよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる。偏差値を落としたからにはトップで入りたい。そういう風に宣言して勉強を続けていたので、その成果がしっかり実ったということだろう。進学クラスは毎年1年7組と決まっている。北宇治高校の1年7組に私の妹の名が書かれるのだ。そう考えると、途端に現実感が湧いて来る。私や希美と同じ学校なのは僅か一年だけ。その一年をどう過ごすかは、私たちにも大きく関わって来る。
中学の時は、決して交流が多い兄妹じゃなかった。だから今度こそは、私が愛着を持てるこの場所で、楽しいと思える生活を過ごすことが出来るようにするのだ。それが私の高校最後の年の、もう一つ追加された目標だった。