音を愛す君へ   作:tanuu

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断章 さらば宇治市立南中学校吹奏楽部
第Ⅵ音 栄冠


 秋になった中学校は紅葉の樹が鮮やかに彩られている。少し寒くなった風が私の肌を冷やしていた。けれど、もうすぐ本番を迎えるとあって熱くなりすぎている心を適度に冷ますには丁度いいのかもしれない。

 

「おはようございます」

「「「おはようございます!」」」

 

 私が扉を開けると、部員は立ち上がって返事を返す。それに軽く頷いて私は指揮台の上に立った。必要以上に絞め付け過ぎていると感じていた昔に比べて、今はまぁこれでもいいかと思い始めている。別に嫌がられているわけでもないし、部員が勝手に始めたことだし咎める必要もないのだろう。

 

「間もなく全国大会本番となります。最後の最後まで気を抜くことなく、最善の演奏を行えるように努力していきましょう。また、体調管理には気を付けるように」

「「「はい!」」」

「では、本日の練習を開始します」

「「「よろしくお願いします!」」」

 

 何もかも嫌になって引き籠った夏の終わりから一ヶ月以上経過した。部の空気は少し良くなったように感じている。ピリッとしていた雰囲気は少しだけ穏やかになり、闘志のベクトルが変化した感じがあった。揉め事の数も減っている。顧問が大人しくなったこともその一因かもしれない。ストレス源が減れば、当然心穏やかに過ごせるというもの。それは当然、私も同じだ。

 

 練習は至極順調であると思っている。特段瑕疵も無く、ドンドンと上手くなっていた。顧問のことは好きではないけれど、あの人の指導力だけは確かだ。音楽的な指導面においてだけは尊敬できるし、実力もあると思っている。だからこそ、関西大会に出れるか出れないかで燻っていた南中を一気に全国レベルにまで押し上げることが出来た。個人的な性格面を除けば、優秀な先生であるとは思う。

 

「クラリネット、今のところをもう少し丁寧に」

「「「はい!」」」

「ホルン、やや大きいです。行きたくなるのは分かりますが、抑えて」

「「「はい!」」」

「トランペット、パーンと出すように。今のままでは少々弱い」

「「「はい!」」」

 

 キリストの受難は徐々に極まっていた。短くまとめられたからと言って、その物語性を損なうわけにはいかない。短いながらもいかに曲に込められたメッセージを伝えるか。それを考えて表現することが大事なことだと思っていた。部員で話し合いながらも理想の形を追求している。

 

 ある程度場が温まって来た頃に、顧問がやって来る。不承不承という雰囲気ではあったけれど、部員全員に抵抗された顧問は私たち部員と微妙なパワーバランスを保っている。

 

「お願いします」

「「「お願いします!」」」

「……えぇ」

 

 礼節を欠くわけにはいかない。例え多少慇懃であっても、形式上は礼儀を尽くすべきだと思っている。どんなに嫌な相手でも。それに、私たちが目標である全国大会金賞を獲得するのには、この人の指導が欠かせない。なので、しっかりと挨拶はするのだ。

 

 演奏の練習は黙々と進んでいく。課題曲の方も順調に進んでいた。間もなく北宇治高校との交流も兼ねた合同練習がある。それまでに、完璧に近い演奏をしておきたいと思っていた。

 

「フルートソロ、そこで何を表現しようとしてるの」

「生誕の神秘性を示そうとしています」

「まったく神秘性が無い。ただひょろひょろ吹いていれば出るわけじゃないのよ! もっと鳥のさえずりのように細かくもハッキリとした音を出しなさい」 

「はい」

 

 まだ自分に足りないことが沢山あるのは認識している。だからこそ、顧問の指示は私にとってそれを明確に教えてくれる存在だった。言い方はキツイけれど、もう段々慣れていた。私が色々吹っ切れたせいかもしれない。

 

「ヘロデ王の部分、短調だからと言って重く捉え過ぎよ! 何度も言ってるでしょ、軽快に!」

「「「はい」」」

「虐殺シーンも同じ! 大事なのは子供が死んだことじゃない、これからの世界を導くべきキリストが生き残ったということなのよ!」

「「「はい」」」

 

 中々とんでもないことを言っているなぁとは思うけれど、実際楽譜では顧問の言うような感じで演奏することを要求している。

 

「そんな演奏で金なんか取れないわよ!」

「「「はい!」」」

 

 金を獲る。それが目標だった。この目標だけは顧問と私たちの意見が一致している。目指すべき場所が同じだからこそ、利害の一致を見ている。それ故に私たちは顧問の指示に従う。顧問は私たちを使って名声を勝ち取り、功名心を満たす。私たちは顧問を使って栄冠を被りに行く。そういう関係が、今の私たちの間にあるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「本日は北宇治高校との合同練習です。同じ宇治市の学校として全国に挑む存在同士、多くを得られるように努めてください」

「「「はい!」」」

 

 北宇治高校との練習日は綺麗に晴れていた。これなら希美先輩たちも移動がしやすいと思う。こちらは迎え入れる側として準備を終えている。南中の部員たちは既に席に座って待機していた。北宇治の生徒たちが体育館に入って、着席していく。兄は壁際の先生と同じ位置にいる。

 

 滝先生を生で見たのは初めてだった。確かに結構美形だとは思う。ただ、私は兄からその人間性をよくよく聞いていた。粘着イケメン悪魔があだ名らしい。イケメンという要素があるだけまだマシなのか、どうなのか。実際に指導を受けたことが無いので何とも言えない。今は少し所在なさげにしていた。

 

 体育館を床を鳴らしながら、私は前に立つ。その瞬間ガタっという音を立てて部員が起立していた。いつもの行動ではあるけれど、北宇治にしてみれば異常な光景だったらしい。確かにちょっと異常ではあると思う。北宇治の部員たちは皆ちょっと怯えたような目でこちらを見ていた。

 

 ファーストコンタクトがこれは少し失敗したかもしれないと思いながら、眉間を抑えた。若干頭痛がする。座るようにジェスチャーをすればまたスッと座っていく。私は多分、ヤバい人だと思われているのかもしれない。

 

「本日は、貴重なお時間を頂き、お声かけくださいまして誠にありがとうございます。南中学校吹奏楽部部長を務めております、桜地涼音と申します。北宇治高校の皆様におかれましては、兄が常日頃よりお世話になっております」

 

 変な疑問を持たれないように、早めに言っておく。その情報に北宇治の部員の多くはざわめいていた。兄はどうやらほとんど情報を出さないまま合同練習を実行したらしい。身内がいるからと思われるのを嫌ったのだと思う。

 

 兄が部活の中で三年生の先輩にどう思われているのか、何となく聞こえてくる声の内容で察せられた。まぁ確かに性格は良くないと思う。ただ、そこまで言われる謂れも無いと思っていた。

 

「至らない箇所も多々あるかとは存じますが、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」

「あ、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 気が弱そうな北宇治の部長さんが頭を下げている。腰の低い良い人そうな雰囲気を醸し出している。確かに、部長と言うのも色々らしい。とは言え、この部長さんが大変革を遂げている北宇治を崩壊させずに舵取りをしていたというのもまた事実。侮ってはいけない人だと思う。今の北宇治に合った優秀さを持っているはずだ。

 

 「よろしくお願いします!」と大きな声で揃って挨拶をするウチの部員に北宇治の人が引いている。やっぱり良くないのかもしれない。

 

「私たちの先生は現在少し席を外しております。間もなく戻るとは思いますが、申し訳ありませんが滝先生の方で音頭を取って頂きたく思います」

「分かりました。ではまず、北宇治の方から一度演奏を行い、その後南中の方でも演奏を行います。その上で、各パートに別れて一時間ほど練習。その後両校の顧問を交えて再度演奏を行い、教師生徒に関係なく指摘を行うようにします。よろしいですか?」

「承りました」

 

 私は滝先生の頭を下げる。顧問に逃げるつもりはないだろうけど、あまり来るのに気が進まないようだ。だとしても逃がしたりはしない。ちゃんと来てくれないとこちらの面子は丸潰れだ。

 

 北宇治のセットが終わり、演奏が始まる。課題曲は「プロヴァンスの風」で自由曲は「三日月の舞」。どちらも決して簡単な曲ではない。一歩間違えれば破綻してしまう微妙なバランスの上に成り立っている曲だった。特に自由曲の方はそれなりに難易度も高いと思う。トランペットソロは兄が弟子としている人だけあって圧巻の演奏をしている。

 

 それ以外にもレベルの高い奏者が何人も揃っている。トランペット、ユーフォニアム、クラリネット、サックス、トロンボーン等々。全国に行ってるのだから当たり前ではあるのだけれど、逆に言えば滝先生と兄がいなければこんな奏者たちが眠ったままだったかと思うと、その損失の大きさにゾッとする。人は持っている才能に気付けないまま人生を終えてしまう事もある。もしかしたら、北宇治の部員はそう言う運命だったかもしれないのだ。

 

 それよりなによりも、その演奏はとても生き生きとしている。人は変われる。私だってそうだった。それと同じように、きっと場所も変わっていく。滝先生と兄と、そして多くの人の力で北宇治は変わった。だからこそこんなに良い演奏になるのだと思う。

 

 私は北宇治高校吹奏楽部が好きじゃなかった。希美先輩を追い出して、兄に尻拭いをさせて、今年も厚顔無恥にその兄を呼び戻す。そんな場所だと思っていた。だから嫌いですらあったのかもしれない。けれどこの演奏は、その感情を消し去らせるには十分だった。部活の空気や雰囲気は演奏に出る。ならばこの演奏が出来る北宇治はきっと、前を向いて歩み続けている部活なのだろう。

 

 それから合同でパート練習になる。ウチの部員たち、とくにトランペットの子は大喜びだった。ウチの部活は部長たる私がフルート、北山君がクラリネットなので、木管が強い。別に金管を蔑ろにしているわけでは無いのだけれど、専門的な人がいるのは嬉しいのだろう。滝先生もトロンボーンなので、金管強化には今日はうってつけ。

 

 「部長のお兄さんマジイケメンですね」とか「彼女いるんですか?」とか聞いてくる子が多くて困っている。確かに滝先生も美形ではあるけれど、年齢が上すぎる。中学生からすれば兄のような高校生がほどよく大人っぽくて良いのだろいう。普段ガチガチに真面目な部活だからこその反動かもしれない。

 

 そんなことを思いつつ、与えられた教室に向かう。私たちは当然北宇治のフルートパートと合同だ。その前に、少しだけ希美先輩の時間を貰った。北宇治のパートリーダーは何かを察したように行かせてくれたし、ウチの部活の子たちも黙って見送ってくれる。廊下で私と先輩は向かい合っていた。

 

「希美先輩、お久しぶりです」

「うん、元気にしてて良かったよ」

「先輩……私は……」

「ごめんね、私の方が本当は言わないといけないのに。涼音ちゃんの音楽、聞いたよ。凄く綺麗で、何と言うか優雅って感じで、気品と自信に満ち溢れてた。凄く良かった。私も頑張らないといけないなって」

「ありがとう、ございます」

「私たちの夢、叶えてくれてありがとう。関西まで行って、しかも全国進出なんて、私たちの叶えたかった府大会でのリベンジよりもずっと先の、もっと上の場所まで南中を連れて行ってくれて、ありがとう。嬉しかったよ、本当に嬉しかった。涙が出て、止まらなくなっちゃった」

「私は、先輩がいたから、ここまでこれたんです。あの時先輩が連れ出してくれなかったら、きっと今尾頃私は何も成せないままでした」

 

 どんな姿でも、私の中の先輩はずっとカッコいいあの日の先輩だ。それは変わりはしない。私は一生、憧れ、追いかけ、焦がれ続けるのだろう。いつかあんな風に、私も誰かを助けられるようにと思って走り続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 練習終わり、私は帰ろうとしている兄に話しかける。きっと、今の熱に動かされている時に言うのが一番言いやすいと思ったから。

 

「兄さん」

「あぁ、どうした」

「今日、ありがとう。希美先輩と話せてよかった」

「そうか」

 

 兄は静かに、そして優しい声で返事をしてくれる。

 

「うん。私の音、聞いてくれた。私のやりたい音楽を聞いてくれた。それで……凄く良かったって。それと、ありがとうって言われた。私たちの夢を叶えてくれて、ありがとうって。それでもう、なんだか全部報われた気がした」

「なら、よかったな」

 

 もう幻の希美先輩はいない。今日再び会えた。今度はいつでも会える。だから、今度からは本物の希美先輩と向き合っていくのだ。滝野さんに言われたように。

 

「北宇治、いい音出してるね。生き生きしてる」

「それは指導者冥利に尽きるな」

「私、さっき決めた。自分の進路」

「……そうか。どこに行くんだ」

 

 あの演奏を聞いて、迷っていたモノに答えが出た気がした。人は変わる。場所も変わる。なら、今の北宇治は過去の北宇治じゃない。 

 

「私は北宇治高等学校に進学したいと思います」

「後悔しないな? 大学受験を考えると、あんまり有利とは言えないけれど」

「分かってる。それでも、あの中で演奏出来たら楽しいかもしれないって思えたから。確かに私はこれまで、北宇治にあんまりいい印象は無かった。多分、嫌いだった。希美先輩を追い出して、兄さんを追い出して。そういう場所だと思ってたから。でも人が変わるように、場所もきっと変わっていく。少なくとも今の北宇治なら、好きになれるかもしれない」

 

 真剣な目で、兄は聞いている。そして深く頷いた。

 

「自分でそう決めたなら、反対はしない。来年、希美たち一緒に待ってるから。それまでは南中で、あのメンバーと走り抜けること。良いね?」

「はい」

「よろしい」

 

 北宇治に進む。私の未来はきっとそこにある。吹奏楽を続けたい。立華でもいいけれど、私はどっちかと言うとマーチングより座奏がしたい。きっと北宇治なら、兄や希美先輩や滝野さん、優子先輩、みぞれ先輩もいる北宇治でなら、また輝かしい結果を得られる。誇れる過程を辿れる。そう信じている。だって、兄さんも希美先輩も、あんなに輝いているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十月末日の名古屋は少し肌寒い。全国大会の会場に私たちは来ていた。これまで積み上げてきた全てをここで出しきらないといけない。私の母は昔この全国大会の会場に部員を導いた。同じ部長と言う立場にある私が、その道と同じものを辿れるのだろうか。それは分からないけれど、きっと悪い結果にはならないだろうと思えていた。

 

 今回の演奏は十七番目。関西と同じで午後の部。朝早い午前の部の一番手よりは全然いいだろう。今日の演奏を聞きに、雫さんも来ている。多分、祖母も来ている。兄は北宇治を率いて、今頃最後の調整に入っているはずだ。明日が北宇治の本番でもある。

 

 名古屋の地に降り立てば、いよいよもって私の中に実感が湧き上がって来る。私たちはここまで来たんだ。この大地、全国大会の地まで。全吹奏楽部生の憧れの地、それがここだ。そこに立てていることは、とてつもない幸運だと言えるかもしれない。私は恵まれている。家族に恵まれて、部員に恵まれた。彼らがいなければ、私一人ではここに来ることが出来なかっただろう。

 

「勝って帰るのよ、金、金を獲る! それが今日やる事。それだけ目指していきなさい!」

「「「はい」」」

 

 顧問は大きな声で言っている。多分、ちょっと興奮しているのだろう。でも、その気持ちはよく分かった。きっと誰も冷静ではいられない。だからと言って流石に顧問ほど興奮してはいないと思うけれど。顧問の激励にも似た言葉が終わる。多くの部員の視線を集めながら、最後の通し練習を終え、私は前に立った。そして全員の顔を一通り確認した後、口を開く。

 

「いよいよ本日が本番となります。皆さん、準備はよろしいでしょうか。どのような結末になろうとも、再戦の機会はありません。この代で挑む最後の演奏、気を引き締めてください」

「「「はい!」」」

「副部長、何かありますか」

「はい」

 

 彼は真っ直ぐな目で立ち上がる。彼もよく私を助けてくれた。もっと早くから頼っていれば良かったと、今になれば思う。わたしはきっと、私以上に部員のことを信じることが出来ていなかったのだろう。だからこそ何でもかんでも自分でやろうとして、そして最後破綻しかかった。破綻しなかったのは多くの協力と、滝野先輩の説得と、兄の優しさがあったからこそ。

 

「このメンバーでここに来れて良かった。今この場に立って思うことは、それだけだ。いつも通りにやって、金獲って帰ろう!」

「「「はい!」」」

 

 短くも確かな意思を感じさせる声に、大きな返事が轟いた。

 

「ありがとうございました。皆さん、緊張していますね。ですが自分を信じてください。今までやって来た自分を、信じてあげてください」

 

 私がそう言っても、部員の緊張した面持ちは消えない。それは仕方ないことだろう。この場所で緊張しない人の方が少ないはずだ。その気持ちはよく分かる。私たちはまだ中学生だ。どう大人ぶっても、子供でしかない。大会メンバーの中にはまだ12歳の子もいる。12歳なんて、下手したら小学生と大して変わりはしない。それでもこれまで背負ったことの無いような緊張と重圧を背負って、今ここにいる。だから私は少しだけ微笑みながら、言葉を続けた。

 

「もし、自分を信じることが難しければ、流してきた汗を、過ごした時間を、費やしたモノを、そして噛んだ唇の数を信じなさい。そしてそれも信じられないなら、あなたのことを信じているこの私を信じなさい。この場にいる全員の努力を、私は等しく知っています。だからこそ、私は皆さんのことを信じています。きっと、金を獲るのに相応しい努力をしてきたのだと」

 

 私を信じてついてこい、と私の母は現役時代に言ったらしい。私にそれを言う資格があるのかは分からない。それは今になってもまだ分からない。けれど、だとしても。私は希美先輩の跡を受け継いでこの場所に立ち、普門館に清良を導いた母と甲子園で戦った父の血を受け継ぎ、そして世界に輝く兄の背中を見て育ってきた。私はそういう存在だ。私より先を歩く人たちは大きく見えて、その背中は遠いようにも思えるけれど、絶対に追い付きたい。そう、心の底から思っている。だからこそ、こう告げるのだ。南中吹奏楽部の部長として。前を歩く人たちみたいになれるように。

 

「優雅に、華麗に、そしていつも通り。この会場に私たちの音を響かせましょう。私は皆さんを信じています。だから、私を信じて最後まで付いてきなさい!」

「「「はい!」」」

 

 一番大きな返事が返って来る。顧問は大きく鼻を鳴らした。けれどその音に込められたのは悪意ではないように思えた。きっと、人は変わる。少しずつでも、確かに変わっていくのだ。関西大会の時に、私は前を見れていなかった。前を見るように言いながら、私が見れてないという矛盾を、私は持っていた。けれど今は同じ景色を見られている。私たちの前には、未来しかないのだ。

 

「続いての演奏はプログラム十七番。宇治市立南中学校吹奏楽部の皆さんです」

 

 暗幕の向こうに私たちの舞台がある。母は、どういう気持ちでここに来たのだろう。どうか見守っていて欲しいと、空の上に願った。私は母のようになれない。希美先輩のようにもなれない。でもそれで良いと言ってくれる人がいた。私には私のやり方があって良いのだと。皆の上に立つのではなく、皆と共に歩いて行くやり方があるのだと。だから私は今、私の意思でここにいる。金を獲りたい。このメンバーで、この舞台で。それが私の今一番やりたいことだった。

 

「部長」

「どうしましたか、義井さん」

「私、部長とここにこれて幸せです。去年、辞めたいと思ったこともありましたけど、でも……部長を信じてここまで続けてきて良かったです。最後に、それだけは絶対に伝えたくて」

「ありがとうございます。そう言ってもらえるのなら、私の一年間にも意味があったと思えます。義井さん」

「はい」

「未来の南中をよろしくお願い致します」

「……え?」

「さぁ、行きましょう」

 

 義井さんに少しだけ微笑んで、私は舞台に向かって歩き出した。きっとまだまだこの部活はもっと上手くなれる。彼女を筆頭とした下級生たちが、未来の南中を作っていくのだろう。それを見れないのが少しだけ残念だった。

 

 

 

 

 

 

 全国大会でも関西と同じで、部長と副部長が壇上で表彰を受け取る。また暗い舞台裏の廊下で、私と北山君は待機していた。彼はソワソワしている。私も外から見れば落ち着いて見えるのだろうけれど、内心では心臓の鼓動がうるさく鳴り響いていた。私は期待することに慣れていない。けれど今この時ばかりは、期待していた。演奏は完璧だったように思う。私も、部員も。やりたい音楽を、したい音楽をやりきった。そういう風に自信を持って言うことのできる演奏だったはずだ。

 

「部長は……緊張してないですよね」 

「いえ、そんな事はありません。流石に今日は私も……それなりに緊張しています」

 

 制服の袖口を小さく握る。震える足を誤魔化すようにして、前を向いた。係員の人に案内され、私たちは所定の位置に立つ。もうすぐだ。もうすぐ、全ての結果が分かる。

 

「これより、第六十三回全日本吹奏楽コンクール中学生の部における表彰を行います」

 

 そのアナウンスと共に次々と学校の名前が呼ばれていく。

 

「十六番、徳島市立国府野中学校、銀賞」

 

 一個前の学校が呼ばれた。北山君の顔面はもう今にも倒れそうな色をしている。私の顔も、きっと血の気が無いに違いない。

 

「十七番」

 

 その結果を聞きたいようで、聞きたくない。これを聞けば、もう終わってしまう。私の中学校の、この部活での生活が終わってしまう。けれど聞きたい。どんな結果だったのか知りたい。そんな相反する感情を抱きながら、私の耳は続きを待った。

 

「宇治市立南中学校、ゴールド金賞!」

 

 その時、私はきっと間抜けな顔をしていたと思う。大歓声が響き渡る。涙と喜びが混じった嗚咽にも似た悲鳴が私たちの学校がいる一角から響いている。金賞。金賞だ。私たちは金賞を手にした。ただの金賞じゃない。全国大会の金賞。日本で一番上手い中学校の一角であると確かに認められたのだ。震える手でトロフィーを受け取る。北山君はもう男泣きしていた。

 

 輝く尖塔のようなトロフィーが私の腕の中で、スポットライトの光を反射している。その眩しさに思わず目を細めた。関西のトロフィーを、私が受け取るべきじゃないと思っていた。けれど今は違う。この輝きを持っていたい。手放したくなんてない。ずしりとした重みすら、勲章に思えた。

 

 表彰が終わり、私たちは部員のところに戻るために歩いて行く。北山君は一刻でも早く戻りたいのか、その足は速い。私はその少し後ろを歩いていた。

 

 私たちは金賞を獲得した。目指していたモノ、欲しかった頂き。そこに私たちはいる。あの夏、銀賞だった夏。そこから全ての物語は始まった。いつか希美先輩たちの悔しさを晴らそうと、必死に走り続けてきた。どこまで行けばそう出来るのかなんて分からないまま。でも、この結果なら自信を持って言えるだろう。あの夏の悔しさを乗り越えることは、南中に存在していた悲願は、今完全に叶ったと。これ以上の頂きはない。一番上にいるのだから、リベンジも出来たと思って良いはず。先輩たちにも、胸を張って結果を報告できる。

 

「北山君」

「は、はい!」

「ありがとうございました。沢山助けられました」

「とんでもない……光栄です」

 

 手を握れば、北山君はその眼鏡を外して涙を拭っている。

 

「高校は?」

「北宇治に行こうかと。滝先生と部長のお兄さんに師事したいので」

「そうですか。では、またお願いします」

「っ! はい。また、一緒に全国行きましょう。部長と一緒に、また!」

「えぇ、もちろん」

 

 部員たちの姿が見える。私の姿を視認するや否や、多くの部員が走り寄って来る。

 

「部長!」

「部長~!」

 

 右から左から前から、後輩や同級生たちが抱き着いてくる。それに揉まれて、髪も服もぐちゃぐちゃになってしまう。けれど今はそれすらも愛おしかった。

 

「少し落ち着きなさい。はい、ちょっと離れて。……よろしい。全員整列!」

 

 興奮状態にある部員を落ち着かせて、私は今一度整列させる。

 

「私たちは金賞を獲得することが出来ました。この結果は、ひとえに皆さんの協力があってのモノと心得ています。至らない私にこれまで付いてきてくださり、本当にありがとうございました。皆さんの部長として、この結果を得られたこと。そして、南中初の全国出場、全国金賞という結末を得られたことを誇りに思います」

 

 部員の何人かは涙を流し始めている。その姿を見ながら、私は話を続ける。

 

「私が部長であるのも、今日が最後です。そして三年生が部活に関わるのも。そしてこの後は一二年生の皆さんが中心になって部活を運営して行ってください」

「部長、行かないでください!」

「辞めないで!」

「留年してもう一回一緒に全国行きましょう!」

「付き合ってください!」

「私が言おうと思ってたのに、抜け駆けしないで!」

 

 泣きながら言っているせいで、何を言ってるんだかよく分からない上に、言っている内容もとんでもないモノだった。というか最後の方はもうわけ分からなくなってる。私はこの部活を間違った方向に導いてしまったのではないかと最後の最後でちょっと不安になって来た。このまま卒部しても良いのか、一抹の不安を覚えながらも続ける。

 

「私は卒業します。それは避けられません。と言うより、仮に避けられても私は皆さんに次代を任せるでしょう。最後に私から、これからの部活を担う皆さんに最後の部長命令を出します。絶対に私を真似しようとしないように! 私を追いかけて、或いは私以前のやり方を追いかけて、自分たちの音楽を蔑ろにしないでください。私を最善と思わず、常に自分たちなりの最善を模索してください。思考停止だけは絶対にしないように!」

 

 これは私の経験を通しての戒め。思考停止していた過去の私の反省を込めて、下級生に伝えていく。

 

「そして皆さんのやりたい音楽、聴かせたい音楽を形作ってください。大会に出ずとも構いません。上を目指さずとも構いません。初心者も経験者も関係なく、共に形作られた皆さんの音楽を聞かせてくれるのを楽しみしています。以上、解散!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 この部活にいられて良かった。私は今、心からそう思う。ここにいたからこそ、出来たことがあった。気付けたこともあった。そして私は、希美先輩に誇れる自分になれた。あの日私に手を差し伸べてくれた先輩のようなことを、少しでも出来たんじゃないだろうか。頭を下げる部員たち見る目から、頬に一条涙が伝う。

 

 私の中学における吹部生活はこれで終わり。名残惜しくないと言ったらウソになるし、もっと続けていたいという思いも大いにある。でも、こんな終わり方なら納得できた。トロフィーを抱えて、集合写真を撮る。私たち全員の頭上に、栄冠は輝いていた。

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