新歓も終わり、あの演奏に感銘を受けたのかは分からないが、結構な人数が体験に来ていた。この時期はどの部活も部員勧誘に熱心になる。部費は人数に一定額を掛けた額が基本額になる。そこから追加で助成金が出るのだが、部員が多くないとそもそも必要な基本額を集められない。その為、運動部なんかは熱心だ。廊下にはポスターがたくさん張り出され、放課後になれば勧誘の声があちらこちらで響いている。
新学期のスタートも割と順調に切れていた。授業はまぁそこそこに、三年生は間もなく行われる修学旅行で話題が埋まっていく。行動する班、ホテルの部屋割り、新幹線の席。そんな小さな事項でも、人間関係が結構如実に影響してくる。男子はすんなり決まることが多いけれど、女子は中々難しいのも事実だった。これをあるあると言っている友人に共感できないのが少々残念ではあるけれど、人生最初で最後の修学旅行を楽しみにしている自分がいるのも間違いない。
「はい、注目!」
黒板の前で優子は手を叩く。その腕には入部希望者の名簿が入ったクリアファイルがあった。音楽室の中央には多くの新入部員が立っている。その周りを二三年生が取り囲んでいた。勧誘期間はほとんど終わりに近しい。この間に随分と人が来てくれたようだ。これなら何とか人数も確保できるはず。
「皆さん、こんにちは!」
「こんにちは!」
優子の挨拶に一斉に部員たちが続く。一年生はそれに負けじと大きく返事をした。その中に長い黒髪を棚引かせて存在感を放っている妹を発見する。私の視線に気づいたのか、小さく手を振りながらウインクしてくる。何してるんだかとその余裕さに苦笑しながら手を振り返した。
涼音はごく自然体だが、周りの子たちはそうはいかないようで、皆が黙るのを待っている優子の視線に気圧され、背中を強張らせている。昔から気迫のある奴だったが部長になってからその気迫に一層磨きがかかった。緊張感が室内を満たす。重苦しい顔に、誰かが喉を鳴らした。
「うちの吹奏楽部によく入部を決めてくれました。皆が入部してくれて、私はとても嬉しいです。ありがとう!」
白い歯を見せて、にっこり笑う姿に脱力する一年生。笑顔に若干落ちかかっている男子がいるのだが、この先大丈夫だろうか。上手い手だと思う。下げてから上げるというやり方はインパクトを与えやすい。厳しくも優しい姿勢は緩急を生み、それは尊敬と信頼を勝ち取りやすくなる。意識してやってないなら天才だろう。
「では、まず自己紹介から。北宇治吹奏楽部部長、吉川優子です。担当楽器はトランペット。好きな食べ物はコロッケで、特にサツマイモのが好きです」
「いやいやアンタの好物なんかどうでもいいから」
夏紀による横からのツッコミに三年生からどっと笑いが起きる。この二人は一年生を前にしても通常運行のようだった。何でよ、と頬を膨らませているのを無視して夏紀は語りかける。優子が部長として適度に空気を作り、もし張り詰めるようだったら夏紀が緩和する。そういう役割分担が信頼を基に出来ているのは、運営としては非常にやりやすいだろう。
「副部長の中川夏紀です。担当はユーフォニアム。吹奏楽部は高校から入りました。この部には私みたいなのも多いので、初心者の子も安心してください」
「この部活は私たち二人と、後は別に準幹部が二人、そして指導役の一人がいてその五人で運営しています。時間の都合上、準幹部はこちらからの紹介だけですが、まずあちら、会計の傘木希美。担当はフルートです。部費を出すときは彼女に出してください。続いて演奏会係。あちらの鎧塚みぞれです。演奏会の時は色々と計画したり、指示出しします。今年から演奏会も増えることが予想されるので、その時は指示にしっかり従って下さい」
名前を呼ばれたタイミングで希美とみぞれは頭を下げる。希美の時には南中出身と思われる数人が少し懐かしそうな顔をしていた。妹は喜色満面という顔。香織先輩がいなくなったらその枠に希美が入る可能性が浮上している。少し気が滅入った。
「最後に、全体の指導係の桜地凛音。一応トランペットパート所属ですが、奏者ではなく指導者として皆さんを教えてくれます。また、男子部員の取りまとめも行っているので、男子部員は私たちに相談しにくいことがあったら是非彼に頼ってください」
「ご紹介にあずかった指導員の桜地凛音です。私の役目は皆さんの演奏における指導が主です。細かい仕事としては練習計画の作成、舞台上の配置の確認、演奏曲の編曲、対外折衝、ソロコンの伴奏、演奏会の指揮、先生がいない時の練習主導、先生がいる時は先生の補佐、オーディションの審査など多岐に渡りますが、まぁ要するに何でもやると思ってください。皆さんの部活生活が実りあるものになるよう、部長副部長と共に努めて行きます。どうぞよろしくお願いします」
最後の言葉と共に一礼して締めくくる。今年は男子部員も増えたようだ。もしかしたらトランペットパートにも入ってくれるかもしれない。滝野と二人だけの環境から増えてくれたらこんなに嬉しいことは無いだろう。やはり同性は気が楽なのだ。
「今紹介した以外にもたくさん役職があって、皆何かしらの役職に就いて皆で部活を運営しています。一年生指導専任の先輩もいますし、何か困ったことがあれば一人で抱え込まずに気軽に相談してください」
はい、と元気よく返事をする一年生に満足したように頷いた優子は、リストをペらりとめくった。
「それにしても、今年は44人も部員がいるようで、めっちゃビックリしました。他の学年と比べてもダントツで多いです。大豊作です」
その数字に目を丸くする。どおりで音楽室が狭い訳だ。学年で考えても、大体250人程度一年生はいるので、その中の44人ともなれば6分の1は吹奏楽部という計算になる。クラスに6人いたら1人は吹奏楽部ということだ。中々凄い状況なのではなかろうか。
「では、次に楽器紹介です。初心者の子もいると思うので、一つずつ紹介していきます。この紹介の後に皆には希望楽器を決めてもらいます。最初に言っておくと、楽器の数には制限があります。希望者が殺到した場合はこちらの判断でパートを移ってもらう事もありますので、それは良く覚えておいてください。それじゃまずトランペットから」
その指示に従い、高坂さんが前に出る。美貌を褒めたたえる声があちらこちらから聞こえる。それに動じず、彼女は紹介を始めた。
「二年、高坂麗奈です。今私の持っている楽器、トランペットを担当しています。トランペットは金管楽器の中でも最高音域を受け持っています。華やかなイメージもあると思いますが、音が高いのでミスするととても目立ってしまう楽器でもあります。でも、私は全楽器の中でトランペットが一番カッコいいと思っています。もしも吹きたいと思ってくれた方は、是非うちのパートまで来てください」
澄ました表情のまま彼女が紹介を終えれば、興奮したように一年生は拍手を送り、情報を口々に交換し合う。ああ、これは今年も人が殺到するなぁと察せられた。簡単に予想できる未来に嬉しいやら困ったやらで小さくため息を吐く。
「はいはい。興奮するのも分かるけど、次行きますよ次」
優子の指示に従い、紹介はスムーズに進んだ。ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ。そして木管のコーナーになった。クラリネット、サックス。その次はフルートだ。マイ楽器を手にした希美は、慣れた様子で人前に立つ。高い位置で結われたポニーテールが揺れていた。明るく快活としたオーラが空気を明るくした。流石は元部長と言うべきかもしれない。
「フルートパート、三年の傘木希美です。私が今持っているのがフルートです。この楽器はリードを使わないエアリードの楽器です。原理はリコーダーと同じですね。フルートと言うのは元々横笛と縦笛の両方を指す言葉でした。なので今で言うリコーダーも昔はフルートと呼ばれていました。と言うか、十八世紀半ばまではリコーダーのことをフルートと言っていました。それが区別されて、今の形に落ち着いたという訳です」
繰り出されるうんちくに、一年生のみならず二三年生からもへぇ、と感心する声が聞こえる。相当昔に音大の音楽史の授業かなんかでやった記憶が朧気ながら存在する。この前その音楽史の教科書を貸した記憶があるので、そこから引用したんだろう。
「フルートは聞いているだけでも魅力的ですが、自分で吹けば百倍くらいいいところが分かってくると思います。希望者歓迎なので是非来てみて下さい」
その言葉に一年生女子が盛り上がる。フルートは昔から女子受けがいい。おしとやかに見えるのだろう。身近なフルート吹きの顔を思い浮かべた。希美、井上、妹の3人がパッと浮かんだ。そのラインナップを考えると、おしとやか……ではない気がする。音大時代の友人たちも大人しくはなかった記憶があるが、この辺りには触れないことにした。
「次はオーボエね。みぞれよろしく」
優子の指示にみぞれは無表情のままコクンと頷く。一見自然体だが、仲のいい人が見ればわかるが緊張している。教室の隅で希美が親指を立てる。こちらも負けじとエールを送っておいた。それを見て少し肩の力を抜いたのか、黒板の前に立ってリードを咥えると短いフレーズを吹き上げる。あ、チャルメラの曲だ、と誰かが呟いた。知名度の高いこの曲を選んだのナイスな選択だろう。
ドヤ顔を見せたみぞれは満足そうにリードを口から離す。?マークの浮かんだ部員が彼女を見つめていた。
「……三年の鎧塚みぞれです。オーボエです。オーボエはこれです。よろしくお願いします」
そう言ってとっとと退場しようとするみぞれを慌てて優子は引き留めた。
「ちょ、ちょっと待って。色々突っ込みたいんだけど」
「何?」
心底疑問そうな顔で首をかしげる姿に目頭を抑える。優子の気持ちは痛いほど理解できるけれど、いつも通りで安心した。希美もこっちを見ながら苦笑気味だ。
「いやまず何でこの曲?」
「この曲みんな知ってるかなって」
「いや、確かに知ってるけどさ。ほら、あれでしょ、チャルメラ」
「うん。チャルメラはオーボエの仲間。ダブルリードで、祖先になった楽器が同じ」
その説明に優子は目を丸くする。
「え、チャルメラって楽器の名前なの?」
「そう。昔は屋台でラーメン屋さんがこの音を流してお客さんを呼んでた」
「あーそれでやたらとラーメン屋の印象が強いのか」
「うん。これ、オーボエのトリビア。そういうのもあった方がいいって、希美も言ってた。……面白かった?」
無表情に見える問いかけに一年生は空気を呼んだのかまばらな返事を返す。その様子に脱力しながら苦笑交じりで優子は補足する。
「いやぁ、今年はいい子が多くて良かった。オーボエは今、みぞれ一人しかいません。ぼやっとしているように見えてやる時はやる子なんで、是非よろしく」
その後は先輩がいなくなり、奏者のいないファゴットの紹介をしないといけない。
「この長い楽器がファゴットです。高さは大体135センチくらいあります。長い管を2つに折り畳んだ構造をしていて、伸ばすと260センチもあるらしいです。英語に合わせて『バスーン』と呼ばれることもあります。ファゴットはえーっと……」
「ドイツ語、或いはイタリア語」
「だそうです。低音域を担当していて、キイが多いのも特徴です。渋くて艶っぽい音だと個人的には思います。今は奏者がいないので、出来れば経験者が来てくれると嬉しいです」
優子に助け舟を出しつつ、ファゴットの紹介を終わる。去年の喜多村先輩と岡先輩が卒業して以来、北宇治の演奏にファゴットが入らないまま。艶っぽい色気のあるいい音を出す二人だったので、いなくなったのは大きな損失だと思っている。
その後もパーカッション、コントラバスの紹介とつつがなく進行した。次はいよいよ割り振りへと移る。待ってましたと言わんばかりで一年生の鼻息が荒くなる。なんの楽器にするか相談し合う一年生を見ながら優子は指示を出す。
「先輩たちが分かれてスタンバってくれるので、希望するパートのところにそれぞれ集まって下さい。先ほども言ったように希望者が殺到した場合は別の楽器に移ってもらうのであしからず」
楽器の選択は心理戦だ。希望楽器の倍率を見なければならない。希望を貫くか、変えるか。友人と一緒のところにするか、どうするか。一年生たちの頭にはいま様々な思考が渦巻いていることだろう。二年前を思い出す。あの時は普通に勝ち取ったが、その後まさか色々と面倒な事になるとは予想だにしていなかった。
「もしかしたら希望の楽器になれないかもしれませんが、すべての楽器に魅力があると私は思います。今は気に入らなくても、続けていけばどんどん好きになれるはずです。なので、文句は言いっこなしでお願いします。それでは移動開始!」
用意されたスペースに一年生が移動を始める。我らがトランペットパートは開始の合図から一瞬で人が殺到した。予想通り。揉みくちゃにされかかっている吉沢さんからの救援要請が飛んできたので収拾をつけるために歩き出した。
部長と加部が取りまとめでいないため、この場の指揮をパートリーダーの滝野が執っている。
「ほら、パーリー頑張れ」
「お、おう。えー、一年生の皆。俺がトランペットパートのパートリーダー、滝野純一です、よろしく。皆トランペット志望で大丈夫……だよな?」
「「「はい!」」」
「OK。来てくれたのは嬉しい。ただ、全員受け入れたいところだけど、残念ながら楽器の都合で四人か五人しか取れない。そして、どうしても経験者優先になる。そこは悪いけど、納得してくれ。部長も言ってたけど、楽器ってのはトランペットだけじゃないから。えー、それじゃあ……」
「経験者」
「あぁ、そうそう。経験者は手を挙げて」
スルスルと手が上がる。三人分手が挙がる。ちゃんといることに安堵した。
「よっし、じゃあ手を挙げてくれた子は今から試験していこう。あと、やったことないって子も諦めなくて大丈夫。もし、このマウスピースで音を鳴らせればようこそトランペットパートになるから安心して。それじゃ、始めます!」
滝野の音頭の元、経験者の試験と初心者の登竜門が始まる。これをクリアした数少ない存在が加部なので、そもそもクリアできる人の方が少ない。他のパートはマウスピースを鳴らす練習からスタートするのに対し、トランペットは少数精鋭で最初からある程度才能のある子を持っていく形になっている。そうでもしないと花形故に楽器が足りなくなるからだ。
残念ながら、今年の初心者は殆ど縁が無かったようで、結局トランペットパートに配属されるのは経験者の三人と何とかマウスピースの音を出せた一人になった。経験者三人に初心者一人はなんだか私たちの代を思い出させる。滝野の顔が引きつってるのはきっと彼の妹のさやかさんが初心者枠でトランペットパートの試験に合格したからだろう。腕で小突けば苦々しい顔の口からため息が漏れ出た。
「じゃあ、この4人がトランペットパートのメンバーに決定!」
滝野が頑張ってテンションを挙げている。それに乗っかるように、私も明るく迎え入れた。
「諸君、トランペットパートにようこそ。それでは部長のところに言って報告してきてくれ。部長は分かるね? あのデカリボンの奴だ」
「「「はい」」」
「よろしい。では行ってきて」
四人が移動したことで、滝野がちょっと安堵したような顔になる。高坂さんと吉沢さんも積極的に動いてくれていたので助かった。さもないとあんな大人数を捌けなかっただろう。上手いこと誘導してくれて良かった。高坂さんは特に、一年前のコミュ障に近い感じが多少は改善されているような気がする。ただそれでも初対面相手には距離感に苦戦しているようだった。まぁそこは追々改善して行けば良いだろう。
「大丈夫か、おい」
「なんかやらかしてねぇか、それだけ心配だ」
「大丈夫じゃないか、多分」
「香織先輩みたいには出来ないなぁ……」
「人間の出来が違うからな、あの人と我々は……」
香織先輩の後釜ということは部内の上級生全員が分かっている。当然、香織先輩からその地位を受け継いだということで見る目も厳しくなってしまうだろう。滝野は他のパートに比べればそれなりにハードモードでのスタートだった。頼れる同期のいないみぞれとどっこいどっこいである。
「とは言えまぁ、部長の負担は軽くしないといけねぇし、頑張るっきゃないな」
「香織先輩にはなれなくても、お前の考える理想をやれば良いだろ。香織先輩っていう最高級のモデルケースについて行こうとしてたら死んでしまう」
「確かに」
おっしゃ、と彼は気合を入れ直している。これまでは知っている人しかいなかったトランペットパートに新しい人が来たことで、いよいよもって先輩かつパートリーダーとしての自覚が出てきたということだろう。ファイルにメモ書きをしている優子の下へ向かう。
「どう? 入り具合は」
「中々ね。全楽器に一年生がいる感じ」
「オーボエとかコンバスも?」
「そうよ、ほら」
見せられたファイルには多くの名前。確かに全パートに一年生がいる。しかも全楽器。ファゴットも二人埋まった。演奏の幅、表現の幅も広げることができる。人数が多くとも楽器に偏りが出るのは予想されたが、何とか全枠埋まったようで安心した。
「南中、宣言通り精鋭引き連れて来てくれたみたいね。見て、部長副部長揃って北宇治よ。他にもチューバとかにもいるし、最高のラインナップって感じ。少なくとも信頼できる存在が一年の間に既にいるのはこっちとしても助かるし」
「それは確かに」
部員をまとめる能力、全国まで行ったメンタリティーと腕前、そして真面目さや練習への姿勢などの面で南中メンバーは信頼できる。実績もそうだし、昨年行った合同練習会で触れ合っている相手なので、ある程度は人となりも分かっているだろう。妹と今の幹部は個人的に交友関係が深いし、その妹が信頼して副部長に指名したクラリネットの北山君も能力面では問題ないと思われる。一年生の中心核になってくれるだろう。
チューバの鈴木さんも北宇治を選んでくれたらしい。チューバは今でこそ人数はいるけれど、来年は三年生が加藤さんしかいない。そうなるとそれ以降を考えて二人くらいは入って欲しかったので、そのうちの片方が上手いことが分かってる人材で埋まっているのは楽だった。
今の幹部は全員南中。そして、一年生の中にも南中が何人も。現在の北宇治の中枢には、間違いなく南中勢力が存在していた。それに北宇治にとって南中は大きな名前になっている。全国を目指す部活が、全国金経験のある部員と元幹部を重宝しないはずがない。高校と中学で程度の差は違えど、間違いなく彼らは目指すべき頂きに辿り着いた存在なのだから。
トランペットパートの新入生四人はなかなか面白い人材が集まった。北中出身で、テスト段階ではかなりの技量を誇っていた小日向夢さん。彼女の技量は高坂さんも認めていた。彼女に一歩及ばずだが、こちらもなかなかの浅倉玉里さん。恐らく今年の一年生で一番の高身長女子だ。三人目は滝野の妹の滝野さやかさん。初心者だったが高倍率の試験をくぐって合格した。最後は貴水卓君。彼はこのパート三人目の男子だ。仲間が増えた滝野は嬉しそうな顔をしていた。この四人が次世代の戦力になってくれるだろう。自分たちの代が卒業した後も。
「良い子たちっぽいですね」
「この時期からダメな子だったらそれはそれで凄いと思う」
「まぁそれもそうですけど、でも何と言うか上手くやっていけそうな予感がします」
「じゃあ、そうなる事を祈ろう。存外、そういう予感は当たるモノだし」
楽器決めの後に一度移動し、新入部員にパートのやり方を説明していくことになる。ついでに先輩部員と一年生たちの自己紹介も兼ねていた。その移動中に、吉沢さんは小さな声で囁く。彼女の感想は概ね同意できるところが大きい。まだ分からないけれど、長年の勘が大きく問題児はいないだろうと告げていた。
それにしても、去年はこの辺のイベントを経験しないで終わってしまった。いきなり先生に放り込まれて、こっちも部員側もなし崩し的にスタートしたのだった。なので、こんな風に後輩と自己紹介なんてしてない。強いて言えば、あの面談がそうなるのだろうか。今年もやるつもりではいる。
「ここがトランペットパートの練習教室になるな」
滝野が前に立って司会進行を務める。優子も加部も仕事を一時中断して、現在はこの教室に集まっていた。
「それじゃあ、まずは自己紹介から。俺から行くか。パートリーダーの滝野純一。このパートに関することは基本俺が受け持つことになる。中々相談しづらいかもしれないけど、遠慮なく頼ってくれて構わないから。よろしく。はいじゃあ次は吉川」
「部長の吉川優子です。今回は仕事量の関係でパートリーダーと分けることにしています。自己紹介はさっきしたので、私からは取り敢えず一つだけ。パートの中の練習指示は、彼に従ってください。困り事もまずは滝野に相談するように。じゃあ、次は友恵」
「はーい。私は加部友恵。副部長の夏紀と同じく、元々初心者でした。明石焼きが好きで、たこ焼きが嫌いです。後は何か……そうだ、桜地
「私の紹介もさっきしたので、ここでは軽く。桜地凛音です。全楽器担当の指導員ですが、トランペットが専門なので一番関わる事も多いでしょう。個人レッスンも受け付けてますが、それはとんでもなく厳しいと評判なので注意してくださいね」
三年生の挨拶を終えて、今度は二年生にバトンタッチとなる。
「二年生の高坂麗奈です。ハッキリ言ってアタシは優しくないと思います。ただ、頑張った先には必ずこれまでとは違う景色があると信じています。目指すべき目標に向かって走っていきましょう。後、桜地先生の二番弟子です。よろしくお願いします」
「同じく二年の吉沢秋子です。麗奈ちゃんがちょーっと固いのでアレですけど、根は悪い子じゃないので仲良くしてあげてくださいね。私は皆が上手になっていけるようお手伝いできればと思ってます。あぁ、そうそう、三番弟子でーす。よろしく!」
二年生は二人だけなのだが、非常に個性が出ている。厳担当の高坂さんと、柔担当の吉沢さんという感じだろうか。なんとなく人間関係系の能力におけるパワーバランスが見える挨拶になった。まぁとは言え基本みんな割と仲良くやっているパートなので、一年生も何とかなると思う。去年の優子と高坂さんみたいなことの方が稀だ。あんなのそうそうあってたまるかという思いもあるが。
「じゃ、一年生も自己紹介をしてこうか。はい、君から」
「は、はいっ! 小日向夢です。好きな物は冷凍ミカン、特技は日本の総理大臣全員言えます。あ、あの……先輩方にご迷惑をかけないように頑張りますっ!」
中々最初からキャラクターの濃い子だ。演奏は非常に上手かったけれど、どことなくあがり症という印象を受ける。それに、自信もなさげだ。メンタリティーに少し心配のある雰囲気を感じる。意外とこういう子は加部があっていたりする。私や高坂さん、優子ではやや圧が強いからだ。次に座っている位置から、滝野の妹が立ち上がる。
「滝野さやかです。パートリーダーの妹です。初心者ですけど、何とかマウスピースを吹けました。兄と一緒のパートになれて嬉しいです。先輩方の話はよく聞いているので、既に尊敬してます。よろしくお願いします!」
滝野の口元が小さく嘘吐け、という動きをした。ちょっと笑ってしまう。滝野の妹はどうやら世渡りが上手いタイプのようだ。悪い子では無いと思うけれど、結構あざといところもあるように感じる。末っ子と言うのはこうなるものなのだろうか。ウチの妹とはまたタイプが違うので何とも言えない。
「浅倉玉里です。去年の大会の演奏で高坂先輩に憧れて、同時に世界大会六連覇の桜地先輩に教わりたいと思ってこの部に入りました。一応、音大目指しています。精鋭と聞いているのでどこまでやれるかは分かりませんが、健闘できるように頑張りたいと思います」
浅倉さんは結構上昇志向のようだ。音大目指しているとこの時期からハッキリしているのも、高坂さんを思わせる。腕前は悪くないし、高坂さんが鍛えてあげればそれなりに伸びるんじゃないだろうかと踏んでいる。憧れて、という言葉に高坂さんの機嫌が若干良くなっている。まぁ悪い気はしないだろう。
「貴水卓です。このパートは男子の先輩がいらっしゃって嬉しいです。特技は手芸で、趣味もそれなので休日は大体それで消えてます。カッコいい先輩が多いので、追いつけるようにしますのでお願いします!」
カッコいいという言葉に滝野は嬉しそうに身を震わせる。そう言われて悪い気分はしないものだ。かく言う私も同じだが。パートの男子の後輩となれば、滝野も可愛がることだろう。全員分の自己紹介を終えて、練習に関する説明になる。それも滝野の担当だった。
「練習は、平日は18時まで、六月からは18時半までになる。休日は9時に練習開始だけど、たまに変わるから予定を見逃すなよ。一応LINEとかで注意喚起もするけど。後で招待するから全員連絡先は教えておいてくれると助かる。話を戻すと、一応部活全体としてはこんな感じだ。質問は?」
「はい、自主練はいつから可能なのでしょうか」
浅倉さんが手を挙げて質問する。吹部には自主練が付き物だ。大体の人が朝練しているのが現実だった。帰りは結構人によってまちまちで、塾などがある日は残らないという人もいる。疲れていたりすると帰る人も多かった。私はどんなに疲れていても基本最後までいるので、面倒は見れる。
「授業ある日は朝の7時から朝の予鈴まで。休日も開始はそんな感じ。終わりは20時くらいまでは残れることもあるけど、時と場合によるからそれも要確認だな。夜は桜地が個人レッスンしてくれるけど、現在高坂吉沢コンビしかいない。これは予定が合わないとかじゃなくてマジで鬼厳しいから。ただ実力は多分確実に付くから、興味ある人は体験レッスンだけでも行ってみると良い」
「ありがとうございます」
「待ってまーす」
私がひらひらと手を振る。実際、次回は遠慮しておくという人が圧倒的に多いのが私の個人レッスンだった。夜間なので疲れも増している中、より厳しい練習をしたい人は少ない。しかも私が求めている水準は非常に高いので、それを考えると仕方ないのかもしれない。このキツイ練習をやっているのが二人だけなのもこれが理由。むしろ、高坂さんと吉沢さんはよく頑張っていると思う。お互いに相手の存在が刺激になっているのかもしれない。
もちろんしっかり練習の成果は出ていて、吉沢さんはオーディションに合格し、アンコンでも関西に行き、ソロコンの審査でも健闘した。高坂さんは全国でソロを担当し、アンコン関西、ソロコン全国審査員賞という実績を得ている。どちらも二年生の主戦力として計上されていた。自画自賛する気はないけれど、私だってこの成長に寄与していると思っている。いずれ二人は出藍の誉れとなってくれるだろう。
「他になにかある人は? と言ってもまぁ、まだ分かんないよな。これから追々出てくると思うけど、その時は遠慮しないで先輩に聞いてくれ。大抵のことは答えられるから。じゃあ、マイ楽器じゃない人はこの後自分の相棒を見つけに行こう。三年間一緒に戦う武器を選ぶんだ、慎重にな」
一年生の自己紹介は全部メモに書き留めてある。そしてその人となりも。この後個人面談して、それを練習計画に反映し、そして新入生指導係に渡す。トランペットはいち早くその計画が出来つつあった。まだ前途がどうなるかは分からない。ただ、先輩として誇れる存在でありたいとは思っている。私が入学時の三年に恵まれなかったから、特にその想いは強かった。
優しく、親切に、明るく。そして、何より香織先輩のように。それはトランペットの三年生の間に存在している、共通の誓いなのかもしれない。