「そういう訳ですので、しばらくの間一年生は加部さんと黄前さんが見ます。練習計画は桜地君が担ってくれるので、三人の指示に従うこと。後でそれぞれ集まって下さい。また、一年生は悩み事や相談があったら一人で抱え込まないで、まずはパートリーダーや一年生指導係に相談してください」
優子が全体連絡を行っているところに、音楽室の扉が開かれる音がする。視線が一気に彼に注がれ、キャーと言う一年生の黄色い声が響いた。去年のこともあって、滝昇の名前はここいらでは知れ渡っている。周囲の二三年生は苦笑気味な表情を浮かべていた。いずれ一年生もその表情の真意を知ることになるだろう。
「ああ、すみません。少し早かったですか」
「いえ」
一年生からの羨望の眼差しを気にせず、先生は黒板に向かって歩き始める。
「吹奏楽部の顧問を務めています、滝昇です。昨年からこの高校に赴任しました。今年は3年6組の担任をしています。吹奏楽部にはもう一人、松本美知恵先生がいらっしゃいます。また、私の補佐をしてくれる桜地君もいますので、この三人が基本的に指導を行っていきます。どうぞよろしくお願いします」
先生は軽く頭を下げる。そのオーラは最早詐欺に近い気がする。本物に会えてよかったという声があちらこちらから湧き上がっていた。そのうちそんな事思わなくなるか、或いは高坂さんみたいになるかのどっちかだろう。出来れば前者であって欲しい。
「それにしても、随分と集まりましたね。これだけの人数がいれば、きっと、演奏にも厚みが出るでしょう。もっとも人数がいるだけで、まったく結果を出さない無能な集団になるとも限りませんが」
あまりにあまりな物言いに、ゴホンと咳払いをして若干咎める目線を送る。先生はそれに気付きながらガン無視して話を続けた。なんだ喧嘩売ってるのかと少し思いながら、ため息を内心で吐く。もう少し言い方に気を付けないと、そのうち先生の進退が危うくなりそうで少々心配だ。
「去年も同じことをお話しましたが、私は生徒の自主性を重んじることをモットーとしています。自分たちの目標は自分たちで決める。これは、皆さんを甘やかしたり、突き放したい訳ではありません。ただ、これが皆さんにとって最も合理的な方法だと私は考えています」
合理的。高校一年生の彼らにこの言葉はどう映るのだろうか。二年前の自分がどうだったか思い出そうとしたが、考えたことが無かったことに気付いた。
「ここに集まった全員、部活に対する考え方も熱量も一人一人違うことでしょう。ですが吹奏楽は団体で行うものです。ここにいる全員で一つのものを作り上げないといけません。その時に皆の意識がバラバラではきっと軋轢が生まれてしまう。自分の意思で、考えで、この先一年間どうするかを決めて下さい。私は皆さんの決めた目標に従います。本気で高みを目指すならば、勿論練習は厳しくなります。反対に、緩く楽しくやって行こうというつもりなら、ハードな練習は必要ありません。私はどちらも正しい部活の在り方だと思っています」
先生の手は、深緑の黒板に白い線を引いていく。パソコンでタイピングしたみたいに綺麗な字が並ぶ。「全国大会出場」。一年間で見慣れた文言は二年前では決して現実的でない言葉だった。もうこれを嗤う者はいない。戸惑う者はいない。この言葉は既に現実になっていた。おとぎ話は現実となり、空想は既に打ち壊されている。
「これが去年の目標でした。今年の判断は皆さんにお任せします」
今年の一年生は、あの時の北宇治吹奏楽部に来たんじゃない。去年の、強豪である北宇治に来たんだ。それを悟って、時の流れを感じた。
「先生、チョーク借りてもいいですか」
「どうぞ」
優子は先生から受け取ったチョークを持ち、話し始める。
「口先だけのスローガンなら誰でも出来る。だからここではっきり言っておきます」
そう言い放ち、彼女は黒板消しを力強く握って、文字を消し始める。その行動に少し動揺が走る。しかし、彼女のやろうとしていることはある程度予想できた。出場なんかで上級生はもう我慢できない。その先に、去年叶えられなかった頂きに至りたい。それが今の想いだ。
「今年入ってくれたみんなは、もしかするとこの一年の北宇治のイメージしかないかもしれません。滝先生がやって来て、弱小だった北宇治がいきなり強豪校になった。最高峰の奏者を指導役にしている強い部活。そういう風に思えるかもしれない。でも、その中で必死にやってきた私たちに言わせればいきなり何でもかんでも変わるわけじゃなかった。今思えば贅沢な話だけど、反発してばっかりだったし、問題は山ほどあって、それにぶつかるたびに一杯あったし、悔しいことも数えきれない」
消された「出場」の文字。そして書き足された「金賞」の文字。
「だから、やるからには本気でやりたい。ここで決めた目標を本気で最後までやり抜きたい」
本気で上を目指していた人なんて、あの頃一体何人いたのだろう。いつから、何となく掲げられた目標は本当のモノになったのか。意識し始めたのはきっとサンライズフェスティバルの後。目指さないといけなくなったのは、再オーディションの後。
「多数決をとるのでしっかりと手を挙げて下さい。これから一年緩くやるか。それとも!」
バンと片手で黒板を叩きながら言わんとすることを告げる。
「それでは決をとります。全国大会金賞を目標にする人」
誰一人として、挙げない者はいない。それは前から見ていると圧巻の光景でもある。惨状を知る三年も。動乱期に来た二年も。入学したての一年も。誰もがピンと手を伸ばしている。ただ、手の挙げる勢いには差がある。きっと、内心では色々と考えているのだろう。初心者の中には同調圧力的なものに動かされる人もいるはずだ。それを悪いとは言わない。ただし、ここで手を挙げたのは自分の意思であるとみなすしかないのだ。少なくとも、社会においては。
「みんなの気持ちは分かりました。では今年の目標は全国大会金賞とします。これから大変なこともたくさんあると思いますが、きっと乗り越えられると信じています。頑張りましょう!」
「「「はい!」」」
どこまで本気にしている一年生がいるのかはまだ分からない。ただ、室内には明るい熱気があふれている。それは希望の持てる景色だった。或いは、優子の持つキャラクター性が前向きな気持ちにさせているのかもしれない。
来年こそは。来年の大会では。来年の部活をよろしく。そういう言葉に突き動かされるようにしてここまでやって来た。アンコン、ソロコン、定演、合同演奏会。様々なイベントも大会も、全部今年の大会のために積み重ねてきたものだ。今年の大会でも変わらず全国を。そして去年より上を。三年生の人数が圧倒的に少ない中でどこまでやれるかが勝負だった。
しかし負ける気はしない。去年はおとぎ話を少しくらい現実に近付けてみようと思っていた。今は目標を必ず現実にしてみせると思っている。彼らの努力に応えるために。
次の日のHRでは修学旅行の話が出ていた。北宇治は京都府の学校なので、修学旅行は東京方面へ向かう。高校生活最大と言っても過言ではないビックイベントに盛り上がっている。保護者に同意書を描いてもらわないといけなかったり、意外と面倒な部分も多い。東京は何回も行っているけれど観光目的は多分初めてだった。
「修学旅行か……」
「あれ、嫌い?」
三年目に突入した希美は、去年から相も変わらず隣の席にいる。最初の席は初期配置だったのだけれど、去年と変わらなかった私たちの担任はさっさと席替えをしてしまっている。
「いや、嫌いじゃないけど。そもそもどんなものか分からない」
「へ?」
「あれ、言ったことないっけ。私は修学旅行行ったことないんだよ」
「ん? あ、そうかなるほど」
「そういう事。小学校六年生の時は既に日本にいなくて、南中に転校してきたらもう終わってた」
「そうかぁ、そうだよねぇ。じゃあ今回が初めてか」
「割と楽しみではある。あれだろ、日本の修学旅行は枕投げと恋バナで出来てるって滝野が言ってた」
「あ、残念。ここ見てごらん。しおりの注意事項。枕投げは例年やって備品を壊す輩がいるのでダメだって」
「……」
「あと、滝野君がソースなのはどうなの? まぁそんなに凹まないで、ほらほらディズニーにも行けるんだし」
「ディズニーか」
ディズニーランドとシーにクラスごとに分かれていくらしい。ウチのクラスは実行委員がランドの方を引き当ててきた。ミッキーのカチューシャしてる女子の写真は良く見る。東京のは行ったことが無いけれど、ディズニー自体はパリにあるやつに何回か行ったことがある。一回フロリダのにも行った記憶があった。ディズニーミュージックは音楽をやっている者からすれば絶対に無視できない存在だろう。無論、私も多くの曲を演奏した経験があった。
「二日目に国会議事堂かぁ……あんまり興味ないかも」
「そんなに楽しい場所でもないからね。学校の建前からすれば、これが目的なんだろうけど」
修学旅行は三泊四日。一日目は午前に移動。午後はどこかの博物館か国会図書館を見学させられる。二日目は国会議事堂。終われば浅草・上野・銀座・渋谷から選んで東京観光して良いらしい。銀座線沿線で終わらせたいようだ。二日目の終わりに千葉県に移動して、三日目は全部ディズニーランド。近くのホテルに泊まるようで、閉園までいられるように調整してくれたようだ。しかも平日なので、多少は空いているはず。そして四日目に帰宅。結構詰め込んだ日程になっていた。
「そう言えば、ドイツに国会議事堂ってないの?」
「あるよ。えーっと……これ」
「なんかお城か博物館みたいな感じだね」
「帝政時代の遺物だから」
見せた写真に写っているのは私が観光で行ったベルリンで撮った写真。Reichstagsgebäudeという神聖ローマ帝国時代の皇帝臨席会議に由来する名前を持つ議事堂は、帝政ドイツ時代から存在している。
「世界史の授業でもこれ出て来てるよ」
「え、嘘、全然知らない」
「シャイデマンの共和国宣言とか、国会議事堂放火事件とか」
「あー、それここなんだ」
そんな話をしている間にも、説明事項は進んでいく。後ろの方の席は関係ない話をしててもあんまりバレないので結構いい位置だった。
「ディズニーはある程度の人数の班で自由行動だ。同じランドに行くクラスは4、6、7だから、その中で班組んでも構わないぞ。人数は二人以上なら任せる。先生個人としては偶数で行くことをお勧めするぞ。乗り物は大体二人乗りだからな。男女も自由、人数比も自由。お前たちに任せた。じゃ、期間までに決まったら教えてくれ!」
そう言うと、担任はさっさといなくなってしまう。ここからは自由時間だ。他のクラスもそんな感じらしく、携帯で話したり、別のクラスを訪れている人もいる。先生方は相当譲歩しているらしい。これで何かやらかすと一気に締め付けが厳しくなるだろうから、注意しないといけない。
どういう班で行くべきなのか、結構悩ましい。チラリと横を見たら、携帯で連絡を取り合っている。流石、目立つ女子は行動が早い。4組には井上と岸部、6組には大野と加部、滝先生がいる。7組は依然変わらない。吹部だとこれに私と希美を加えたメンバーがランド。それ以外がシーに行くことになる。優子は幹部で一人だけ違うところになり、夏紀に煽られていた。後藤と長瀬が一緒なのは彼らからしたら嬉しい話だろう。後藤は2組、長瀬は1組だ。
「どこ行く?」
「もう私は一緒で決定なの?」
「あ、ごめん、勝手に入れちゃってた……みぞれもそれが良いって言うから。どっか他に約束してた?」
「いや、全然。だからむしろ誘ってくれるのは嬉しいんだけど、逆にそっちはそれで良いのかなって」
「一生の思い出なんだし、折角なら一緒に行きたいじゃん。夏紀も誘ってるから。荷物持ちはお願いね」
「マジかぁ……」
冗談っぽく笑っている彼女はとても嬉しそうにしている。学生生活に残された最後の息抜きの期間が修学旅行だとするのならば、その表情も納得できる。私はそれを見られるのも嬉しかったし、何より誘ってくれたことが嬉しかった。むしろ好きな人と一緒に行きたいと思わない男なんて、この世にいないだろう。
その日の午後には、一年生のオリエンテーションがある。黄前さんは経験者、加部は初心者を見ることになった。これは優子の采配である。最終的な演奏面でのチェックはこちらに回って来て、私が判断して、先生に伝えるという流れだ。なので、一年生との関わりが深いのはあの二人の方だろう。
「黄前さん、定演に引き続きよろしくお願いします。練習計画はこちらで既にある程度作成しているので、数日以内に渡しますから、それを使って練習を進めさせてください。個別で対応も変わって来るので、些細な事でも気付いたことがあれば報告するようにお願いします」
「もう全員分作ったんですか?」
「半分以上は。ソロコンの往復路である程度基礎は出来ていましたから、これから行う面談を反映させてしまえば割とすぐに」
「は、はぁ……」
黄前さんは困惑したような顔でこちらを見てくる。その視線に込められているのは困惑で合っていると思うけれど、何で困惑しているのかはイマイチよく分からない。去年とやっていることはあまり変わらないのだ。当然黄前さんも私の計画にある程度従った計画に基づいて練習していた。低音は田中先輩の裁量が大きかったのであまり感じてないかもしれないが。
「パートリーダーが普段の練習の監督を、黄前さん達は一年生だけの練習の監督をそれぞれしてもらうことになっているので。加部には既に話してありますから、上手く連携を取って行動してください」
「はい」
「ウチの一番弟子をよろしくお願いします」
「ちょっとー、それどういう意味?」
加部は若干不満そうな顔。黄前さんはどういう顔をしたらいいのか分からないという感じだった。加部が北宇治において私に教わった最初の部員であるということは、意外と知られていない事実である。初心者だった彼女の育成担当を当時のポンコツな三年生からもぎ取って教えていた記憶がある。あの頃はトランペットを楽しく吹けるようになって、将来的にちょっと自慢の種にしてくれればいいなぁという程度の想いだった。ある意味、自分の好きな楽器の布教だったのかもしれない。
「まぁあれだね、私も桜地に色々教わったからね。教わったことをそのまま後輩に伝えられるように頑張るよ。一番弟子の名に懸けて」
「期待してる。今年は滝野妹もいるしな」
「そうだね」
同じトランペットの初心者ということで、滝野さんに加部は親近感を抱いているらしい。加部にとっての私になれるように頑張りたいと意気込んでいる。その熱意は頼もしかった。新入生指導係の二人にオリエンテーションは任せているので、私は横で見ているだけになる。扉を開ければ、割り当てられた教室には全員が座っている。椅子の数が足りないので、何人かはパイプ椅子に座ってもらっていた。
「こんにちは!」
加部の言葉に多くの一年生が大きな声で返事をする。経験者が多いので、何となく空気感が違う。元南中の部員は立ち上がりそうになっていて、慌てて座っていた。その景色にウチの妹は頭が痛そうに眉間を抑えている。
「三年生の加部友恵です。部長と同じトランペットパートです。これから初心者の指導は主に私が受け持っていきますので、分からない事とかあればじゃんじゃん言ってください。で、次に二年生の黄前ちゃん」
ほい、とバトンを渡されて黄前さんは慌てて前に出る。あんまり人前で話すのが得意、という感じでは無いのはよく理解している。ただ、みぞれの補佐で経験を積んで、多少は出来るようになった気がした。
「楽器紹介のときにもお話させてもらいましたが、二年生、低音パートユーフォニアム奏者の黄前久美子です。これから一年、皆さんの補佐をさせてもらいます。よろしくお願いします」
「これから皆さんにはプリントを配布します。部内ルール、今後の日程などについてです。こういった書類は一応全て保管するようにしてください。もし紛失した場合は、すぐに申し出るようにお願いします。予備を渡します」
「「「はい」」」
プリントは数枚ある。このプリント作成は私が担当し、春休み中にさっさと終わらせておいた。印刷は夏紀に丸投げしたけれど、取り敢えずしっかり刷ってくれたらしい。企画書などはお手の物だ。伊達に仕事していない。
細かい規則まで一々確認していくと随分と時間がかかる。これでも削った方なのだ。部内ルールは部内の秩序維持だけでなく、公共性を養う意味もあったり、他の部活や生徒に迷惑をかけないようにという配慮からも作成されている。逆に言えば、書いてないルールを勝手に創作しないようにという注意喚起もしないといけない。そうでないと、雁字搦めになってしまう。
「次に予定について話します。その前に、指導員の方から少しお話があるようなので、一回バトンタッチします」
「どうもありがとう。ここからは少し、私から話をさせてもらいます」
加部に代わって前に立ち、一年生を前に話を始める。
「毎年北宇治は、五月に行われるサンライズフェスティバルに参加しています。太陽公園をパレードするイベントです。このマーチングには座奏、つまりは一般的にイメージされる演奏とは違う技量を要求されます。ステップ練習や行進の練習をしないといけません。これは今後、座奏においてそこまで必要とも言えません。単純に最高効率を目指すなら、出ないのも一つの手だと私は思っています。逆に、全員で参加できるイベントはこれの後文化祭まで存在しないので、全員で出るということに重きを置くという考えも出来るでしょう。どちらも一長一短ある考えで、私としてはどちらでも構いません」
去年も思ったサンフェス出る必要ある? という疑問に関する話である。出ないという選択肢も普通にアリだと私は思っていた。一部木管は演奏しないし、初心者も含めてステップ練習よりは普通に座奏の練習だけしている方が効率的なのも事実だ。暑い中練習するのは疲れるし、体力的に厳しいかもしれない。初心者にはいきなりギアを上げるとついてこれない可能性もある。伝統と言えば伝統だろうけれど、変更できない伝統は悪癖と同じだと思っていた。
「上級生には既に同様の質問をしましたが、一年生だけのこの場で、上級生の意見に左右されることなく聞きたいと思います。サンライズフェスティバルに出たいですか。ただし、今すぐに答えを出せとは言いません。この後皆さん一人一人に現在の実力を確認する面談を行います。その際に回答してください。詳しくは後で説明しますが、取り敢えず今はそれを頭に入れておいてください」
この質問は既に二三年生にも聞いている。そもそもこの質問をするかどうかで幹部会で喧々諤々の大激論があった。私は何なら廃止しても良いと思っている派なので、全員で出れる機会を大事にという優子とバトルをしていた。オーボエを吹かないみぞれはどっちでもいい、希美は上手くなった北宇治で出たことが無いので出来れば出たい、夏紀は確かに出ないという意見にも一理あるという感じだった。結局、全員で決めるべきという結論に落ち着き、こうして質問を投げかけている。
二三年生の中にも出なくてもいいのでは? という層はある程度存在はしていた。それよりもさっさと大会の自由曲や課題曲を練習したいという意見である。ただ、多数はやはり可愛い衣装を着てお祭りに参加したいという意見でもある。確かに、大会だけを一心不乱に目指すのもやや狂気的とも言えるかもしれない。そこは私も些か合理的に過ぎたと反省した部分である。とは言え、意見を聞いたこと自体は今後の参考になるであろうし、意味はあったと思っている。
「この話に関しては以上です。何か質問は? 特に無ければ二人にお返しします」
「ありがとうございました。もし出ることになったら、初心者の子はステップ担当になります。ウチが手取り足取り教えてあげるんでよろしく~」
加部の軽口に、芳しい反応を返せるほど一年生は余裕がない。加部の人となりもまだみんなそこまで理解していないのだ。黄前さんは仕切り直しを兼ねて咳払いをして続きを話し始めた。
「サンライズフェスティバル以降の日程としては吹奏楽コンクールの京都府大会が8月5日に、関西大会が8月28日に、全国大会が10月23日にそれぞれ行われます。他にも演奏会やイベントなどがあると思いますが、それはその都度説明します。また、他の中学校や高校との交流を行うこともあります。昨年は南中、清良女子、立華と行いました」
半分以上こっちのコネが大きく作用しているが、それでも部員の実力を伸ばすには役立ったと思う。上手い学校との交流は刺激にもなるし、学びも大きい。伝統の無い北宇治では、伝統を創出していく過程の中で他校の良い部分を吸収し、問題だと思った部分を見習うことが必要なはずだ。
「では後一点。今後についての重要なお話です。初心者の方もいるので、ちょっと詳しく説明させてもらいます。コンクール前に行われるオーディションについての話です」
経験者は一気に目が鋭くなる。ピリっとした緊張が走り、その空気の重さに、黄前さんが一方後ろに下がった。
「吹奏楽コンクールには複数の部門が存在します。京都の場合はA、B、小編成の三つです。そして私たち北宇治高校が参加するのはA部門とB部門です。A編成の規定人数は最大55人。今の北宇治の人数よりも少ないです。つまり、必然的に参加できない人がいます。参加できなかった部員はB編成に回ってもらうことになります。その選別に行われるのがオーディションです。面接のような感じで、一人ずつ演奏します。ソロ奏者もその時に決定します。選考は滝先生、松本先生、桜地先輩の三人が行ってくださいます」
滝先生だけが選考を行わないのは、顧問の独断や偏見を防ぐため。滝先生だけだと贔屓があったと思われかねない。三人で行った去年ですらそんなだったので、もし一人でやったら不信感が出る原因になってしまうだろう。
「では何か質問のある人」
「はい」
最後列に座っていた生徒の手が伸びる。その姿は南中との合同練習で見たモノだった。確か名前は鈴木さん。担当楽器はチューバ。今年のチューバは二人入り、もう一人も鈴木なので名前の呼び方に今から悩んでいる。すらっとした背の高い彼女は、中学時代と同じく真面目そうな眼差しをしていた。
「コンクールメンバーはオーディションで決めると書かれていますが、本当ですか」
「あ、え……本当です」
ちょっと戸惑いながら答える黄前さんをフォローするように、加部が問いかける。
「何か気になる?」
「はい、その、言ったままの意味です……」
質問した彼女自身もどう返したものか詰まっているようだった。そこに横からピンと手が上がる。
「つまり、オーディションにおいて学年や人間関係などの実力以外の要素でメンバーが決まる可能性はあるのかという質問だと思います。もっと言えば上級生が優先される可能性はありますか?という事です」
「……です」
助け船を出した短めの髪に赤いリボンを付けた彼女は、最初の質問者の言いたいことをまるっと要約してくれたようだ。一年生は全員が少し張り詰めた空気の中、視線を黄前さんに集中させる。オーディション。その言葉は二三年生の脳内には深く刻まれている。あのホールでの記憶と共に。かくいう私の心にも残っていた。あそこにいた全員が等しく背負った十字架。それがあの再オーディションだ。答えんとした黄前さんに先んじるように加部ははっきりと答える。
「ないです。実力のある者が学年に関係なく選ばれる。それだけです」
「ありがとうございます」
質問した彼女も納得したようで、腰を下ろした。この状況に妹は仕方ないかという顔になる。言いたいことは察した。この中で自分の特異性に気付いたのだろう。審査する側と審査される側が兄妹というのは普通はあり得ない状況だった。部長までやった聡明な存在がそれの持つ特異性と孕んだ危険性を考えたのはある意味で妥当だろう。彼女はスッと手を挙げた。指名されると少し挑戦的な目でこちらを見据えながら問いかけてくる。
「それは兄弟姉妹であってもですか」
これに加部はこちらに視線を向けてくる。答えろ、という意味だろう。他の一年生、特に南中出身者ではない一年生に訝しむような視線を向けられている彼女に私は答える。
「縁故に頼って大会に出ようとするような存在に当家の敷居は跨がせません。同時に、そのような想いを抱いたならば、私は直ちに楽器を売り払い楽譜を燃やして廃業するでしょう」
「己の実力で這い上がって来いという事でよろしいですね?」
「その通りです。私は吹奏楽部にとって最善の行動を取るだけです。納得していただけましたか? 桜地涼音さん」
「はい、それはもう安堵致しました。私の実兄が身内可愛さに妥協するような人間ではないと信じていましたから」
判明した関係に驚いている生徒も多い。まぁそこら辺の事態の収拾は自分でやってくれと頼むしかないだろう。ただ、あの子の事を慮るならあの子のオーディションの時は席を外したほうがいいかもしれないと思った。そこは先生と相談しないといけない。去年みたいなことには絶対にしたくない。それは、私だけでなく去年あの場にいたすべての部員の共通見解のはずだ。
私がオーディションの審査を行える理由を考えた時に、去年は先生の権威に頼る部分が多かった。今年は、上級生は去年一年の成果を鑑みれば受け入れてくれるだろう。だが一年生にはそれが無い。先生の権威も薄れるし、私の成果も体験はしていない。
私は最善を尽くしているつもりだ。もし感情論で動いているのなら、香織先輩を選んでいたことだろう。そうすることで高坂さんは傷つくが、部活を運営するにはそっちの方が楽だった。しかし、去年の目標と照らし合わせて考えればそれが最善ではないと考えた。或いは、この決断をトランペットパートのメンバーである私がしたことが、今となっては信頼を得る理由になったのかもしれない。
「他に質問はありますか? 無いようなら、最後に連絡です。先ほども少しお話がありましたが明日以降、一年生は順番に桜地先輩が面談を行います。経験者は楽器もセットで行ってください。主な内容は実力の確認です。初心者の方は今後の抱負などを言ってくれれば大丈夫です。そこで知り得た内容は、多くに流布することはありません。また、今後のオーディションなどにおいて一切絡むことはありません。ですので、気兼ねなく何でも話してください」
「皆さんのこと、教えてくださいね」
私が少しだけ笑いかけるけれど、一年生の表情は固い。顧問と部員の中間を漂ってる変な存在に向ける目はそんな感じだろう。去年の一年生ですらそんな感じだった。ここから信頼を得られるように努めていかなくてはならないのだ。