「そんな恰好で寝ないの。花の女子高生なのに」
「うーん……」
「希美は」
「一通り練習してから帰ったよ。兄さんが遅いから」
「しょうがないだろ、いつもの個人レッスンしてるんだから」
「ま、それはそうかもだけど……」
ソファから足をだらりと垂らして、妹は寝っ転がっていた。中学生の時もよく見た構図は、今でも変わらずそのままである。疲れている時や悩んでいる時にいつもこうして寝転んでいた。多分、現在は前者なのだろう。誰でも新学期は疲れるモノだ。新しい環境、新しい人間関係。それに疲労を感じない人の方が少ないと、私は思っている。
「今ご飯用意するから」
「ごゆっくり~」
「どうだ、パートの方は」
朝半分くらい作ってから冷蔵庫に入れている夕飯を取り出す。フライパンに油を入れながら尋ねた。
「まぁ、ぼちぼち」
「何とも気の抜けた返事だな。友達は?」
「友達の定義は?」
「そういう頭でっかちな事言ってるからダメなんじゃないの」
「……」
「普通に話せる相手くらいいるだろ」
「それはいるけど」
「ならそれが友達で良いんじゃないのか」
友達の定義が厳しい子なのかもしれない。友達の定義なんて、私は気にしたことなど無かったけれど、彼女にとってはそうでは無いようだ。それにしたって、そんなに気にするようなことでもないと思う。ちょっと話して、普通に仲良くできるならそれが友達で良いんじゃないだろうか。相手が異性だろうと同性だろうと。
「フルートの一年、みんないい子そうだったけど」
「面談の結果?」
「そう。穏やかだけどある程度しっかり喋れると言うか。少なくとも問題があったり要注意な子たちじゃないと思ったけど、もしかして私が見抜けてないだけ?」
「そんな事無いんじゃない。私だって別に、悪い子じゃないと思うよ。どういう話したら良いのか分からないだけで」
「趣味の話とかすればいいじゃないか」
「南中のパート練でそんな話してなかったし」
「ずっと黙々と練習してたの? ストイックすぎるだろ、南中のフルートパート」
呆れた声が思わず私の口から飛び出して来る。皆あんまり喋らないタイプだったのか、練習中は喋らないようにしていたのか、或いは涼音が話について行けて無かっただけか。なんだか一番最後のヤツな気がしてきた。リーダーシップと交友関係はまた別の話だ。統治が上手くても人付き合いが上手とは限らない。
「そう言えばおめでとう。兄さん、人気だよ」
「誰に」
「一年の子に。イケメンの先生と先輩に教われるパラダイスって言ってた」
「あぁそう」
「うわぁ、興味なさげ」
「そんなことも無いけど。人気は支持基盤になる。不安定すぎる私の立場を今の一年に認めてもらうには、人気だろうと何だろうと使わないといけない」
「面倒な事考えてるね」
「性分だから。面談もそのためにやった部分もあるし」
「その面談、効果あったの?」
「もちろん。じゃないとやってない。去年もやって、得るモノがあったから四十人以上いるけどやる事にしたんだから。相手の人間性を知るのとか、実力把握するためとかでもあるし、一年生の各個人に私を浸透させるという目的もある。要するに、私の指示を聞いてくれる地盤を作りつつある程度の親しみを持ってもらって、問題発生時の解決に繋げたりするんだ。これのおかげで去年は練習計画もしっかり作れたし、人となりが分かってるから問題発生時の対応もしやすかった」
「それ、今年は良いけど来年以降はどうするの」
「多分やらないだろ。普通に出来る人がいないし」
「……なるほど」
味噌を溶きながら私は食器棚から皿を出す。もう三年目に突入してるこの作業も、今ではすっかり慣れてしまった。春休みの間、嫌がる妹に無理やり練習させていたのである程度は出来るようになったと思いたい。じゃないと修学旅行の間中、この家の食生活が終わることになる。
「と言うか、問題発生の可能性が早速あるんだ」
「まぁそれなりには。予兆は感じる部分があったけど」
「それ、低音?」
「なんで?」
「夏紀先輩と久石さんかなぁと思って。後藤先輩と長瀬先輩はどっちも上手いから三年と下級生の間でトラブらないし、川島先輩が脅かされることも無さそうだし。じゃあ消去法かなぁって」
「そう言えば、部長経験者だったな……」
こういう問題の火種になりそうな場所の探知能力は優れているらしい。その能力が欲しいとは別に思わないけれど、あると便利だろうとは思う。尤も、それが開花した原因が責任を顧問が押し付けてくるからというかなり最悪なモノなので、それも加味すればやはり欲しくない能力だ。
「まぁ……火種はあるかもしれないと思ってる。夏紀も上手くなってるんだけど、如何せん経験者には追い付けてないから」
「まぁ、それは私がどうにかするべき問題じゃないから静観しか出来ないけど。そうだ、低音と言えば鈴木さん移らなかったんだなぁ」
「どっちの?」
「同中の方の」
「移るって、何が」
ムクっと起き上がって、彼女はこちらを見てくる。その長い髪がはらりと垂れた。
「鈴木さん、元々中一の時トランペット志望だったし。背が高いからって理由でチューバに回されてたから、もしかしたら移るのかと思ってたけど。高坂先輩とか兄さんに憧れてる部分があったし」
「全然知らなかったんだけど」
「言ってないからね。必要ないと思ってた。でも移らなかったのは……まぁうん、なるほど……今更捨てられないか」
今更捨てられない。それが意味していることはなんとなく分かった。楽器を移ると言うのは珍しいことではない。現に、塚本君もホルンからトロンボーンに移動している。それでしっかり去年は大会に出ているのだから大したものだ。何でも、彼女である黄前さんのお姉さんが元トロンボーンで、前々から憧れていたらしい。黄前さんは田中先輩に拉致られてユーフォになったらしいが、塚本君は見事転進に成功している。
だが、誰しもそうなるとは限らない。特にウチのトランペットは激戦区だ。トップエースにしてソロコン全国の高坂さん。香織先輩がいなくなったとはいえ先輩の威厳は保つと奮戦してる元南中のトランペットエースの優子。高坂さんの自他共にに認めるライバルにして、アンコンで共に関西に行った吉沢さん。そこまで目立たないながらもパートリーダーらしくコンスタントに評価を得ている滝野。私の一番弟子で、今年こそは大会を狙う加部。いずれも一年生からすれば高い壁だ。
それに混じって一から始めるというのは難しい。特に、去年全国金まで取って、今更下積みと言うのも耐えられないのは理解できた。妹はそれに気付いたのだろう。その表情は、何かに納得したようなものだった。まるで昔に戻ったような、細くなった目。そこに込められた感情の種類が決して良いモノと言い切れないことに気付き、少し話題を変えることにする。
「逆にそっちから見て北宇治はどうだ。所属して見て、どういう風に感じる」
「空気は良いよね、割と。私が部長だった時代の南中よりよっぽどいい。優子先輩か夏紀先輩みたいな人、欲しかったな。北山君が悪いわけじゃないけど」
「あの二人は色々特異点だからなぁ。それに、二人セットじゃないと上手く作動しない。歯車がかみ合わないんだろう」
「ちょっと分かるかも。初心者の子も楽しそうに来てるし、練習してるから良いんじゃない。練習計画はしっかりあるけど、いきなりアレもコレもやれって感じじゃないから」
「最初からギアを上げてくと出来るって言う楽しさを覚える前に辛くなるからな。それじゃモチベーションに繋がらない。徐々にエンジンふかして、スピード上げていくくらいが良いんだ。三年生になった時に大会に出られるように、って言うのがコンセプトだし。成長速度に合わせて課題だって変更していくつもりだ。まずは綺麗に音を出せるようになってからだけど」
「希美先輩の逆バージョンになったら困るしね」
「その通り」
希美は端的に言えば、練習しなさすぎる三年生に嫌気がさして辞めた。その逆バージョンということはつまり、練習が厳しすぎてついて行けないから辞めるということになる。それは防ぎたいことだった。去年のケースは割と上手く行ったと思う。初心者の子が演奏と呼べるレベルになったのはサンフェスの後くらい。そこから少しずつレベルを上げて、オーディションに参加した。合格者はいなかったけれど、挑めるレベルにはなっていた。演奏できるようになった時の楽しさは、初心者組でも全員味わっているようだったし、去年を参考にしつつ今年の計画を立てている。
「まぁさ、結局部活で一番立場が弱いのって、初心者の子だし。半端に強豪になりかけの場所だと、初心者不要論とかも出るらしいし。南中でも出かけたから分かるけど」
「出かけた時どうしたのさ」
「そういう言論は許容しない方が良いからね」
「弾圧したと」
「人聞き悪いな兄さん。止めるように言っただけ」
きっとかなり冷たい声と態度で厳しめの口調をしつつ言ったのだろう。そりゃすぐになくなるはずだ。次露見したらどうなるか分からない怖さがある。去年の春頃の彼女ならやりかねない。
「一番立場の弱い子がどういう風に部活を過ごしてるかって言うので、上の方にいる人とかそれを取り巻く空気も変わって来るんじゃないの。私はそう思ってる。だから、今の空気が良いのは、初心者組が楽しくやってるからじゃない? ゆっくりでも成長していくのを許容できる空間があると言うか」
去年、各パートは滝先生の厳しい指導を受けつつも、一応初心者の子が上手くなれるように教えてはいた。滝先生もある程度は配慮していたように思う。パートリーダー会議で私が言ったからかもしれないが、オーディションにも全力で挑むように各パートで促してくれたらしい。もちろん厳しさもあったけれど、それは私や先生が担保し、上手くフォローし合いながら回っていたように思う。
その甲斐あってか、自発的に上を目指すような感じの空気はあった。その後斎藤先輩がB編成組の音頭を取るようになると、成長速度も保ちつつ色々と誘導してくれたおかげかしっかりモチベーションを維持できていた。辛いとか辞めたいという声があったという報告は、最後まで受けていない。斎藤先輩が隠蔽するとは思えないので、恐らく無かったのだろう。もしかしたら見えていない場所での苦労はあったのかもしれないけれど、初心者不要論とかは存在してないと言える。
それは北宇治が一年前まで弱小校だったからかもしれないけれど。出来る事を取り敢えず全力で。目の前の課題に取り組み続けていたら上に来ていた。そういう感覚だったのかもしれない。だから初心者がどうとかこうとか言ってる余裕も、ある意味ではないほどに追われていたとも言える。それが果たして正しいのかの答えは未だに出ていない。
「下部構造が上部構造を規定するっていう感じか」
「『経済学批判』? 唯物史観は今どきそこまで流行らないと思うけど。それにちょっと意味違くない?」
「そう? 意外と今回のパターンにも当てはまってる気がするけど。まぁそれはともかく、初心者だって未来を担う大事な存在だし。大切にするに決まってる」
人は誰だって初心者だった時期がある。私だって、他の誰だって。それを忘れてはいけないと思っていた。初心者を嗤うことは、過去の自分を嗤っているに等しい。努力できる時間も、精神も、人によって全然違う。それを理解しないことには、人の上に立つ資格はないだろう。能力も環境も違う大勢をどう同じ方向に導くかは難しいことであるが、優子はそれが出来ると思っている。
私がやるべきなのは、その違いをどれだけ埋められるか、もっと言えば足りない人を足りている人にするかという作業だ。
「少なくとも、優子の目が黒いうちは今の空気を悪い方向に変えさせたりはしないだろう」
「そうだね。それは安心してる。だから来年以降が怖いけど……」
「……ご飯できたぞ。雫さん呼んできて」
「はーい」
来年以降どうなるか。そればかりは、私にも分からない事だった。今の部活は三年生が持ってる共通のトラウマ。そしてそれに起因する使命感。少数故の連帯感。優子の大きなリーダーシップ。優子、夏紀、加部、その他部員の相互的信頼関係などに基づいて運営されている。たった15人だからできることかもしれない。二年生の22人に出来るか、もっと言えば一年生の44人に出来るかといえば、難しいかもしれない。
未来のことを気にしながら運営はしたい。けれど、今何とかするので精一杯なのも事実だった。一昨年のようなことを、そして去年のようなことをもう二度と繰り返さない。涙を流した希美の顔、夢を諦めた香織先輩の顔がフラッシュバックする。悪い思い出は、いつだって鮮明だった。
八十人近い人数が並ぶと、音楽室は一気に狭くなる。楽器を持っていると、余計に空間体積を占領しているようで、かなり手狭だった。百人を超えたらいよいよ入らなくなってしまうかもしれない。全体練習が始まる前、私は全員の前で話していた。イベント事などの通達は私が行うことになっている。予定確認は部長の職責だが、細かいイベントに関する説明はこっちが担うことも多かった。
「まず全体連絡が一件。サンライズフェスティバルに関してです。一年生も交えて意見を聞きました。真摯な回答ありがとうございます。結果としては、参加希望が多数という結果になりました。これを受けて、三年生は直ちに行動を開始しています。参加申し込みは既に完了し、衣装デザインも完成しています。明日発注のために採寸を行いますので、なるべく欠席を避けて頂けると助かります」
結果がどうなるかは不明だったが、衣装のデザインは美術部と演劇部協力のもと作成していた。ギリギリ感はあるが、去年よりはマシだ。あの状態のあの空気感はもう二度と体験したくない。先輩たちを動かすのに骨が折れた記憶が蘇る。
「今からサンライズフェスティバルで演奏する曲の楽譜を配ります。この後基礎練習をして、その後パート練習となりますが、出場者は各自その曲を練習すること。初心者は別途課題を渡していますので、パートリーダーの指示に従ってください。また、ステップ組やガード担当者も座奏用の課題を用意していますので、それも練習するように」
「「「はい!」」」
一年生が加わり、返事の音圧が強くなった。40人以上もいればそうなるのも妥当かもしれない。去年の三年生が28人だったので、12人も多い計算になる。何なら今の三年生全員分とあまり変わらない人数多いのだ。最初だからだろうけれど、私はその大きな声にやや面食らっていた。返事と同時に先生が入室してくる。
「よろしくお願いします」
「「「よろしくお願いします!」」」
「はい、よろしくお願いします」
部長である優子が立って挨拶をし、他の部員は座って挨拶をする。北宇治では去年から練習のときはそうしていた。部長が入って来る時に全員起立の南中がおかしかっただけで、普通はこうだろう。
「サンフェスの伝達、終わりました。今から楽譜を配ります」
「分かりました」
今年選んだ曲は数原晋作曲の「サンバ・デ・ラヴズ・ユー」だ。このタイトルはスタンダード・ジャズの「Somebody loves you」をもじって付けられている。数原氏はドラマの「必殺シリーズ」や「北の国から」などで演奏を行っているトランぺット奏者でもある。「サクラ大戦」や「ONE PIECE」の演奏、また有名どころでは「天空の城ラピュタ」における「ハトと少年」の演奏も担当していた。私からすれば尊敬する大先輩である。今年の新歓一発目で「ハトと少年」を演奏した経緯もあり、私がこれを選んできたのである。
「参加する以上、少なくとも演奏面においては他校に引けを取るわけにはいきません。マーチングは立華に軍配が上がりますが、演奏において京都府で一番上手いのは現状北宇治です。それを忘れないように。演奏する人は気を引き締めてください」
「「「はい!」」」
私が楽譜を配っている間に先生が話していく。その内容は正しい。実際問題、座奏で関西の立華と全国の北宇治なら、後者に演奏面では軍配が上がる。当然、観客も全国出場の部活としての演奏を期待してくる。何も期待されてなかった去年とは根本的に違うのだ。当然、思ったよりクオリティが低いと、がっかりされてしまうだろう。全国というのは、一つの色眼鏡になるのだ。いい意味でも、悪い意味でも。
楽譜配布が終わった後、基礎練習が行われる。これは基礎こそ演奏の要と考える思想に基づいて行われていた。経験者の一年生は早速合奏に参加しており、逆に初心者の部員は合奏の雰囲気に慣れてもらうために今は参加してもらっていた。流れだけでも掴んで欲しいのである。当然、次回以降は別の場所で練習だ。経験者の部員が全体練習をしている間、暫くは私が初心者組の練習を見ることになるだろう。斎藤先輩、プリーズカムバック。
「平石さん、今何を考えて吹いていましたか」
「えっと……」
「基礎練習は漫然と吹いているだけではいけません。息使い、音の形、周囲の空気。それらを感じ、一つのフレーズとして音楽を作ることを意識しましょう」
「「「はい」」」
「ハーモニーも同じです。今、自分が何の役割を担っているのか、それを意識してください。例えばここは和音になっていますね」
先生は譜面を指で叩く。音楽理論は苦手な人は苦手だと思う。プロの中にも感覚で突破している人はいない訳ではない。厳密な理論に基づいてやっている人ばかりでは無いし、実際そうしなくても上手くなれないわけでは無い。とは言え、効率は悪いだろう。
「まず根音。これが音の積み重ねの基礎、土台となるところです。そしてこの音と完全に響くように意識しながら第五音を奏でます。第三音は根音、第五音の響きに馴染むように注意しながら入らなくてはいけません。同じ音を出すパート以外の音もよく聞いて、まずはしっくりとくる、どこかおかしいと、そう感覚的につかめる耳を目指しましょう」
違和感と言うのは大事だ。それに気付けるか気付けないかで、進度も変わって来る。こればっかりは個人の適正に左右されることも多かった。
「私のようにプロ奏者と呼ばれる存在は、初見の曲だろうと大体ある程度問題ない程度には吹きこなすことが出来ます。ですが、練習を欠かしません。当然オーケストラやブラバンもしっかりと練習を重ねています。どうしてだと思いますか? そうですね……じゃあ高坂さん。分かりますか?」
「他の奏者の音を聞かないと、良い演奏が出来ないからです」
「その通り。私たちは初見でもサッと演奏できますが、それでは合奏とは言えません。それではお金を貰えない。よくピアノなどで早熟の天才とか言ってテレビに出ている子は、それが出来ていません。なのでこっちの界隈ではあれじゃお金もらえないねとか話しているわけですが、それはともかく。合奏をする際には特に他者の音をよく聞くようにしてください。極端な話、聞くこと七割吹くこと三割とも言います。自分がと主張するのではなく、全体の中のパーツとして、一つの絵を作り上げるイメージです」
「「「はい」」」
「先生が仰ったように、自分の役割は必ず意識してください。作曲する側からすれば、配置している楽器には必ず意味があって入れています。分からなければ聞くように。意識して演奏することで、効率が良くなります」
初心者の子にはちょっと難しい話かもしれない。けれど取り敢えず、吹くだけじゃなくてしっかり聞かないといけないんだなということが理解してくれればそれでいい。音楽は聴覚を以て行う芸術だ。演奏することも大事だけれど、それ以上に聞くことが大事でもある。だからこそベートーヴェンが偉大と言われるわけだが。
一年生もドンドン成長していくだろう。四十四人の大戦力が次代を担う主力になってくれるはずだ。
「一年が思ったより微妙かもしれない」
残酷なようで的を射たことを優子は言う。晩春の日差しに照らされた音楽準備室の中で、私たちはため息を吐いていた。一年生はしっかり成長し始めている。まだ入ってから十日程しか経ってない割には、よく頑張っていると言える。だが、スピードとしては期待したより遅いのが現状だった。
「指導員、何か意見は?」
「逆に言えば、二三年生が思ったより音が分厚いのかもしれない。だから一年が目立つのかも。二三年合わせたのと同じくらいいるわけだから。単純計算で言えば、三月までの二倍は出ないといけないわけだし」
「それはアンコンとソロコンのおかげね。定演と合同演奏会もあって結構キツキツの日程だったけど、おかげでクオリティーは伸ばせたと思う。実質大会期間と同じような練習してたから」
「提案しておいて良かった」
「そうね。それは感謝してる。こうやって今の状況を考えると、アンタの言う通りサンフェス出ないのもアリだったかって思い始めてきた」
優子は下を向きながらもう一度ため息を吐く。
「練習を強化しないといけない、か……。ただやりすぎるとダメだし、難しいな」
「今のままで出来てるって思ってる一年が一定数いるのが問題。妥協しないのは旧南中出身者が大半ね。流石涼音ちゃんの下でビシバシやられてただけのことはあると言うか何と言うか……。向上心がありすぎて怖いくらい」
「私は追われてて怖いかな。秋に合同練習した時よりもずっとずっと上手くなってる。受験のブランクとか無いみたい」
「あぁ、春休みずっと練習してたからなぁ」
希美もちょっと顔に焦りを浮かべている。井上も似たようなことを言っていたし、先輩部員にとっては大きな脅威なのだろう。クラリネットの島や高久さんも、南中出身の北山君を褒めていた。
「意識改革、出来る?」
「どうだろう。上手くできるかは分からないけど」
「そこは腕の見せ所なんじゃない。物は言いようが服着て歩いてるみたいなものだし」
割と酷いことをさらりと言う優子。
「誰が」
「誰がって、会話の流れ的に一人じゃろ」
「事実」
夏紀は優子を肯定し、さらっとみぞれにまで裏切られたのは割とショックだった。
「ダブルリードはどう?」
カウンターとして聞いたその問いに、みぞれは露骨に目をそらした。
「先輩なんだから、多少は後輩と意思疎通してあげてね」
「善処する」
政治家の言いそうなセリフを言う彼女にどうしたもんかと頭を掻く。
「話を戻すと、意識改革は頼みたい」
「分かった。何とかしてみる」
「ただ、去年みたいなのはやめなさいよね。アレは去年だけしか通じないわよ」
優子の言葉に軽く頷く。去年のと言うのは、割と初期の頃にやった自尊心を煽るやり方だろう。思春期とは自尊心と自意識で出来ている。それをモットーに、全国を目指すのを諦めるか、と聞いたのだ。初心者の子は外し、敢えて経験者だけで。何かを諦め続けてきたんだから、今回諦めたって良いじゃないか。そういう論調で感情を逆撫でし、先輩たちを動かした。
だが、彼女の言う通り、アレは去年という特殊な状況と環境でこそ通じる。今年はもっと違う方法を考えないといけないだろう。優子と話している私を見て、希美は少し目を伏せる。彼女はその頃の思い出が無い。その事実を認識してしまったのだろう。けれど、すぐに表情を戻した。その時は普段通り明るい彼女に戻っている。
「あ、そうだ。サンフェスのデザイン出来たけど見せてなかったよね」
「そう言えばそうだったかも」
希美が仲のいい美術部にも掛け合って、私の演劇部とのつながりも活かしつつデザインを作ってもらった。その案を見てなかったのを思い出す。
「これこれ」
「え、マジでこれ着るの」
「うん」
「と言うか何だこのへそ出し。ちょ、人の妹に何着せようとしてるんだ! 嫁入り前の子がこんな露出の高い……」
「いいじゃん、可愛いんだから。凛音って時々昭和だよね。特に涼音ちゃんが絡むと。今どき嫁入り前とか言わないよ」
「うむむむ……」
画面を見ながら唸っている私を、希美はおかしそうな目をしながら見ている。
「失礼します。優子先輩、トランペット揃いました」
「あ、はーい。じゃあ行ってくる」
優子を迎えに来た浅倉さんはこちらを凝視したまま動かない。どうしたの? という目線を返すと恐る恐るというような感じで質問された。
「あの……桜地先輩と傘木先輩って、そのお付き合いされてるんですか」
その唐突な発言に、思わず咳き込んでしまう。
「いや、あの、そういうんじゃないからね。勘違いしないように。これはあくまでも……そう! 親友の距離感と言うか、そういうのだよ」
「そ、そうですか、失礼しました」
私の勢いだけはあるガバガバな答えに押されたのか、浅倉さんは優子と共に去って行った。あらぬ誤解をされずに済んだと思って良いのだろうか。そういうのはこんななし崩し的なのじゃ嫌だと思っている。
「ねぇ」
ふと希美から呼びかけられる。
「どうした」
「本当に親友の距離感なの?」
「え?」
「私といて、何も感じなかった?」
そんなわけないと叫びたいが、夏紀とみぞれの前なので我慢する。
「も、もちろん」
「ほんとに?」
蠱惑的に上目遣いをする希美の瞳に呑まれて何も返せない。夏紀はそっぽを向いて見えない聞こえないふりをしているし、みぞれは私を白い目で見ている。部活の行く先もまだ不透明。それと同じくらい、私の恋路も前途多難だった。けれどもうしばらくこのままで。そう思いながら想いを喉の奥に呑み込んだ。彼女の白いシャツが光に照らされていた。まるで、絵画の一幕のように。