音を愛す君へ   作:tanuu

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第七十九音 ハッピーエンド

 時計の時間は定刻を示している。前の学校が出発してから時間通りに、アナウンスが入った。

 

『続きまして、北宇治高校吹奏楽部です』

 

 蒼天の下、部員たちは本番を迎える。この景色を見るのも今年が最後になるだろう。来年からは、もう私はここにはいない。

 

「演奏では北宇治が一番。そう言ってもらえるように手を尽くしてきたつもりです。その成果を出し切って来てください!」

「「「はい!」」」

 

 私の発破に、大きな返事。出発場所に向かう彼らを、手を振りながら見送った。この調子ならばしっかりと演奏して戻ってきてくれるだろう。それを確信して、まずは安堵する。ここは一種の登竜門。ここで上手く行かないようなら、この後の練習計画も大分変更しないといけない。取り敢えずその必要性は無さそうだ。

 

 ドラムメジャーの合図で行進が始まる。今年は去年とは違って最初から注目の的。目立つオレンジと白の衣装に身を包み、軽快な音楽を鳴らしながら彼らは行進を始めた。ホルンやトランペットがなじみ深いメロディーを奏で、パーカッションが揃った動きでリズムを作り出す。

 

 演奏に瑕疵はない。それはこちらから聞いていても実感するし、恐らく観客もレベルが高いと思ってくれているだろう。他校の生徒も注目している様子がうかがえる。きっと、新入生も称賛と歓喜に包まれる空気を多少なりとも味わって、今後へのモチベーションに繋げられるんじゃないだろうか。

 

 立派に行進していく彼らを誇らしく見送りながらも、同時に思う。あの衣装を着るのはちょっと恥ずかしいので、今回ばっかりは出なくて良かった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 初夏と言っても過言ではない晴天の下にいると暑い。教職員や関係者などが待機するようのテントの下に入って、パイプ椅子に座る。動いてないのにもう暑いのは、この日差しのせいだろう。思わずため息を吐きながら座った。

 

 北宇治はもう遠くに行ってしまった。そのため、ずっと待っていてもしょうがないのでこうしてテントの下にいることにする。私はまだ自由曲の編曲が終わっていないのだから、出来ればそっちに集中したい。胸ポケットに刺したペンを取り出して、くるくる回しながら楽譜とにらめっこする。遠くからは他校の演奏がBGMのように聞こえていた。

 

「隣、よろしいですか」

「あぁ、はいどうぞ」

 

 どれほど時間が経っただろうか、隣から年老いた声が聞こえる。生返事をしてから顔を上げた。その相貌を確認して、慌てて立ち上がってしまったために楽譜がバサバサと地面に落ちた。

 

「あぁ、大丈夫ですか」

「はい、すみません。お見苦しいところをお見せしてしまいました、申し訳ありません」

 

 隣に腰を下ろした彼とは対照的に、私は立ち上がって相対する。別にそうしなさいと言うルールがあるわけでは無いけれど、私だって先人に対する敬意くらいはしっかり持ち合わせているのだ。

 

「お初にお目にかかります。月永源一郎先生でいらっしゃいますよね」

「えぇ。いかにも、私が月永源一郎です。こちらこそ、お初ですね。桜地先生」

「先生などと、恐れ多い。私は一介の学生に過ぎません」

 

 私の隣に座ったのは、月永源一郎。月永君の祖父であり、現在龍聖学園高等部の吹奏楽部で特別顧問をしている人だった。去年までは関西三強に数えられる明静工科の顧問をしており、今年から龍聖に転任したのだった。彼は音楽教師ではなく、大学も音楽系の大学ではない。文学部出身の社会科教師だったのだが、ある日突然吹奏楽部の顧問をやれと言われ、右も左も分からない中生徒と共に勉強し、その情熱で以て関西吹奏楽界に君臨した存在である。

 

 吹奏楽の指導をしている人間からすれば、尊敬するべき人であった。同時に同業の大先輩でもある。

 

「私はただの元社会科教師に過ぎません。音楽の勉強を体系的にしたわけではありませんから。どうぞ座って頂いて」

「それではお言葉に甘えて……失礼します。私とて吹奏楽の指導を始めてまだ二年目の若輩です。昨年の全国大会はおめでとうございます。圧巻の演奏、現地で拝聴していましたが、壁は分厚いと驚嘆したもので。勉強させていただきました」

「あれは、私が担当した最後の年でしたから。本当は残って欲しいと言われていたのですが、私のワガママでそうなってしまいましたので、せめてもの置き土産をと思っていましたから、あのような結果になって本当に良かったと思っています」

 

 老いた深みのある声で、彼は語る。凄まじく情熱的と言うわけでは無いけれど、冷淡という訳でもない。人生を長く過ごしてきた人間が持つ、特有の空気感のようなモノを身にまとっていた。それは、一つのことに一生をささげたからこそ出せるものなのではないだろうか。どことなく、私の大学時代の先生を思い出した。

 

 あの先生はもっと口が悪いし、うるさい人だったけれど、一つのことを極めようと走っていたという点では似通っているのかもしれない。少しだけ、懐かしい気分になった。

 

「龍聖は、今年全国を狙いますか」

「中々、踏み込んだことを聞きますね」

「ダークホースの情報は、少しでも手に入れておきたいもので」 

「気持ちは分かります。明静にいた頃、北宇治高校に対して私が抱いたのはきっと、今のあなたと同じ気持ちだったことでしょう。昨年の関西大会で演奏を聞いたとき、凄い高校が出てきた、新時代が始まったと思い、年甲斐もなく焦ったものです。これは今年は全国に行けないのではないか。そういう焦りを覚えました」

「恐縮です」

「関西三強などと言われていますが、いつも固定メンバーなのも些か面白くないと思っていました。ですので北宇治高校の台頭は歓迎するべきところでしたが、時期が時期でしたので……。とは言え三出制度も嫌いでしたが」

 

 ハハハ、と彼は小さく灰色の頭を掻く。最後の意見に関しては私も同じような事を思っている。実力者ほど、あの制度は嫌いだろう。自分が栄光を掴む機会が減るのを許容できる人はそう多くない。それが自分が原因ではなく、制度のせいであればなおのこと。

 

「さて、質問に答えると……部員は狙うつもりでいます。もちろん、私もそれに合わせた指導を行いたいと思います。龍聖のサウンドは大きく変化していくでしょう」

「えぇ、それは先ほどの演奏で実感しました」

 

 今年のダークホースはどう考えても龍聖だった。その演奏は確かに今までの龍聖に比べて上手かったし、その色は明らかに変化している。顧問一人でここまで変わるのか、という言葉が盛大なブーメランであることを北宇治の生徒はよく知っているだろう。

 

 歓声を浴びるその姿は、去年の北宇治に似たモノを感じさせた。ピリッと鋭い痛みにも似た警戒心が私の中に沸き起こったのは、あの歓声を聞いたからだろう。彼らは間違いなく、去年の我々だった。歴史は繰り返す。同じ場所ではなくても。

 

「龍聖は良い演奏をするようになりました。何と言いますか、音楽を楽しんでいるように思います」

「彼らも喜ぶでしょう。北宇治躍進の影にいたブレーンにそう言われては」

「そんな存在ではありませんよ」

「それこそ謙遜。私は関西で、そして全国大会で北宇治高校の演奏を聞きました。『三日月の舞』のトランペットソロ。あれはあなたの弟子ですね?」

「……驚いた。見抜かれてしまうモノなのですね」

「非常に分かりやすい。あの子の演奏はあなたに似ている。音色や吹き方などの詳しい部分は門外漢ですが、持っている魂が。今のあなたというより、最初に世界大会で優勝した時の演奏に近いかもしれませんね。ともあれ、あのような奏者を生み出したのは間違いなくあなたの功績だ。北宇治高校躍進の影で滝先生を支えていたのはあなたでしょう」

「滝先生ともお知り合いでしたか」

「昇君よりも透さんの方と縁が深いもので。幾度となく全国で競い合ったものです」

 

 滝透。滝先生の父親にして、北宇治の元顧問。そして、先生をここの吹奏楽部の顧問にした立役者。年代的にも近いので、確かに関係性があってもおかしくはないだろう。

 

「桜地先生、このような事を頼むのは大変心苦しいのですが……」

「求君のことですね。私に出来る事はさして多くありませんが、良い先輩にも巡り合っていますし、きっと充実した部活生活を送れるのではないでしょうか。流石に普段の学校生活に関しては関知出来ませんが……それでもある程度交友関係はあるようです」

 

 ウチのパートの貴水君は彼と同じクラスだ。いつも軽くあしらわれていると言っていたが、それは多分貴水君がずっと優子の話をしてるからだと思う。アレは半分Loveが入っているんじゃないだろうかと思えていた。月永君がいかにいい人だったとしても、ずっと同じ人を称賛する言葉を聞かされたら塩対応にもなるだろうと思う。

 

 ともあれ、何だかんだで交友関係が無いわけじゃない。彼は彼なりに、今のコミュニティの中に自分の収まるべき場所を用意していた。月永先生は露骨にホッとしたような表情を見せる。それは吹奏楽部の指導者と言うより、一人の祖父の顔であるように思えた。

 

「良かった……安心しました。孫が心配で少しでも見守れるように龍聖の特別顧問を引き受けたのですが、逃げるように北宇治高校に行かれてしまい……嫌われているようです」 

「みたいですね。心配な気持ちは分かりますが、下手に干渉し過ぎると却って逆効果かもしれませんよ。差し出がましいようですが」

「……かもしれません」

「求君はしっかり北宇治で居場所を見つけていますよ。コントラバスの良い師匠を見つけたようなので」

「あの、全国大会で演奏していた奏者ですか。少し背の小さい」

「えぇ、その彼女です」

「そうですか……」

「求君は彼女に師事しながら頑張っていますよ。癖が強かった弾き方も大分良くなりましたし。期待できる奏者の一人です。お姉様に触発されてそれから続けていると言っていましたが、よく頑張って来たんだと思います。あの指の分厚さはそうでないとおかしい厚さですから」

 

 私の言葉に、月永先生は少し黙りこくる。その憂いに満ちた表情は、私の発言を受けてのモノだろうことはすぐに分かる。

 

「何か、気に障るようなことを言ってしまいましたでしょうか」

「いえ、そういう訳では。ただ……そうですか、姉にと」

「……失礼ながら、求君とお姉様の間に何か?」

「求の姉は、満は……二年前に他界しました」

 

 私たちの間にやけに冷たい風が吹きつける。一瞬だけ全ての音が遠くになり、私たちの間の呼吸音だけが耳に残る。しまったと思ったが後の祭り。喧嘩でもしたのだろうかと思っていたが、問題はもっと根深かった。どうして分からなかったのか。私のセンサーも鈍っていたらしい。彼のあの鈍痛を抱えたような最初の頃の顔。それは、数年前の私と同じであったのに。

 

「申し訳ありません。不躾な事を聞いてしまいました。本当に申し訳ないです」

「気にしないでください。お願いすると言っているのに、事情を話さないのもよくありませでした。それに、桜地先生も同じような境遇と聞いていますから」

「両親と、何かご関係が?」

「いえ特段。ただ、娘がそちらのご一族が経営する私立中学で勤務していますから、その関係で少し」

「なるほど、そういう……」

「満が他界してから、求はずっと塞ぎ込んだままで。それが心配で、私が助けになれればと思ったのですが、逆効果だったようです。その原因はきっと、私でしょう」

「月永先生が求君のお姉様と何か」

「満は、私の下で吹奏楽をしていました。ですが指導者の孫と言うことでやっかみを受けたようで。無論、オーディションなどでは公平に審査しました。ですが、それは余計にあの子が周りとの軋轢を生む原因になってしまいました。やがて満の心は音楽から離れ、病にかかり、そして……。もしかしたら、音楽と言う支えがあれば満は回復したかもしれません。だとしたならば、私があの子を殺したようなものです」

 

 冷たい空気が流れる。私はただ、それを聞くしか出来なかった。指導者の孫と言う言葉に、一瞬妹の顔が浮かぶ。指導者の妹。それは、果たして彼女にとってプラスに働くのだろうか。きっとそうはならない。私の心の中で、不安が増えていく。

 

「求が私を嫌うのは、そういう理由なのでしょう」 

「求君は、月永先生を受け入れられないでいるようですけれど、心の底から全部が嫌いと言う訳でもないと思います」

「それは、どうして」

「難しいですが……嫌いなら、音楽をしなくなると思うのです。それに、求君は先生よりも先生の周りにいる大人が好きではないのでしょう。名声の周りにたかる、蠅のような存在が。だからこそ、月永と呼ばれるのを忌避している。先生がいれば、先生の孫と言う肩書がついて回る。けれどそれは月永というフィルターを通して彼を見ているに他ならない。だから、自分を見てくれる場所に来たかったのでしょう。龍聖では、どうしてもフィルターがかかってしまいますから。それが同級生や仲間であったとしても。もちろん、お姉様の件も許せないでいるのだとは思いますが。もっと言えば、自分がお姉様と同じ立場になりたくなかったのかもしれません。音楽から心が離れてしまった姿を、見ていたからこそ、そうはなりたくなかった」

 

 彼と話をすることはたまにある。同じ男子なので、行動を共にすることもあった。その中で会話をし、そして最初の面談で見せた表情を見て、そして今の会話などから推察したのがこの結論だ。もしかしたら、違うかもしれない。ただ、全部間違いでは無いと思う。彼は今後の北宇治に必要だ。川島さんの技術を継承して、次代の北宇治を担ってもらわないといけない。だからこんな風に、彼の手助けをしている。

 

 それに、家族を亡くし、家名を重荷に感じる姿は、放っておくには過去の自分に似すぎていた。もしかしたら、彼は涼音がいなくて希美にも出会わなかった私なのかもしれない。

 

「反抗している子供は、相手が悪くない場合、それをしっかり理解しているモノです。けれど素直になれないまま、納得できないモノがあるまま相手に接して、反抗しての繰り返し。その苛立ちが、思春期を加速させている。いつの日か、求君が月永という姓を受け入れた時が、彼が本当の意味で自分を見つけた時だと思います。月永という名字と言うフィルターで見られても、それでもなお貫ける自分を見つけた時こそが」

「それまでに、私が生きていられれば良いのですが」

「そうですね……。北宇治での三年間で彼がそうなれる、或いはそうなるスタートを切れるようになればいいと、私は思っています」

 

 色眼鏡はどこでもついて回る。どんな社会でも、どんな場所でも。むしろ存在しない方がおかしい。性別、人種、宗教、経歴、容姿。どんなフィルターかは分からないけれど、人間は多少なりとも何かしらの色眼鏡で社会を見ている。ありのままの自分とは何か。それはきっと、誰も他に存在しない宇宙の中でこそ見つかるのだろう。そうでなければ、人は大抵取り繕って生きている。

 

 月永君の気持ちも理解は出来た。月永という姓、桜地という姓。どちらも重たいモノに縛られている。彼と同じように、私の周りにも家に取り入りたい人は大勢いた。私も涼音もそれに慣れてしまったし、世の中そんなもんだろうと思うことにしていた。だけれどきっと、彼は綺麗すぎたのだ。だからそれを受け入れられなかった。

 

 別に受け入れるのが正しいとは思わないし、そうするべきとも思わない。ただ、名字に縛られない自分を見てくれる存在を欲する気持ちはどういう道を選んでも存在しているのだろう。彼は、それを北宇治に求めた。私は海外ではそうだったし、日本では……。最初に出会った時、名字ではなく名前に注目した変な人。家のことを知っても、そうなんだで終わらせた人。瞼の裏で長いポニーテールが揺れる。記憶の中の太陽のような笑顔が、私を照らしていた。

 

「彼は、川島さん――コントラバスの先輩ですが――と私や他の部員で見守ります。滝先生もいますし、男子部員の結束は固いですから。月永先生は、どうか安心して、見守っていてください。彼が帰りたいときに、帰れる場所を用意して」

「ありがとうございます。心強い言葉です」

 

 月永先生は大きく嘆息しながら、少し安心したような顔をする。そして、視線を私の持っている楽譜に向けた。

 

「自由曲ですか」

「はい。北宇治はⅣ番に『リズと青い鳥』でいきます。龍聖のラインナップは何でしょうか?」

「龍聖はⅠ番に『白磁の月の輝宮夜』にしました。しかしなるほど、『リズと青い鳥』とは……。長い曲ですからね、編曲作業ということですか」

「そういう事です。まぁ行き詰っておりますが……」

 

 私は小さく頭を掻いた。月永先生は目を細めて楽譜を見ている。

 

「Ⅳ番は良い選択だと思います。特に自由曲がこれならば」

「と、言うと?」

「うろ覚えではありますが、リズと青い鳥の物語において、リズが別れを決意するのは朝の草原の上を飛ぶ青い鳥の仲間を見たからだったと記憶しています」

「はい、大体そんな感じです」

「ならば、クローバーグラウンド、緑の大地を謳った曲ならば、その時の印象的な情景を示しているようにも思えるではありませんか。少し雰囲気は異なりますが、関連性は大いにあると考えます。安易にスカイブルーだからと言ってⅠ番にするよりも、個人的にはストーリーを読み込んでいるように感じます」

「は、はぁ……」

 

 そこまで考えてないんだけどなぁ、とは言わないでおく。まぁ音楽や芸術系はそこまで考えないで適当に作ったら意外といい感じにはまり、色んな解釈をされることがある。私の曲も「これはこういう解釈だ!」と書かれ、作曲したのは自分なのに「そうなんだ」と思ったこともある。

 

「私はこの第四楽章が好きなんですよ」

「そうなんですか。注目されがちなのは第三楽章だと思いますが」

「確かにそこも良い場面だとは思いますがね。ただ、物語は実質第三楽章で終わりで、第四楽章こそ作曲者の意図が込められていると思うのです。遠き空へ。この文言に込められたメッセージを解読することが、この曲の真髄ではないかと。桜地先生はこの最初のチャイムをどう解釈しましたか」

「別れを告げる惜別の鐘と思いましたが。或いは教会の鐘かと」

「なるほど。それもまた正解でしょう。ただ、私は船の鐘に思えました。出航するときに鳴らしたという、船の鐘。そしてこの章全体に流れる清廉な雰囲気と、風を感じるようなメロディー。そんな風に思いました。しっかり向き合ったわけでは無いので、あくまでも第一印象のイメージですが」

「鐘、船の……遠き空へ、飛んでいくのは……」

「作曲者の卯田百合子さんには一度お会いしたことがあります。卯田さんはこういう物語に着想を得た音楽をよくお書きになっていますが、それについて少し伺ったことがありまして」

 

 月永先生は真っ直ぐ前を向きながら言った。この曲を読み解く上で、もしかしたら一番重要だったかもしれない要素を。けれど楽譜には一文字も書いていなかった要素を。

 

「その時にこう仰っていました。『現実は多くが幸せなだけでは終わらない。だからこそ、物語はハッピーエンドが良いのです』と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サンライズフェスティバルは無事に終了した。歓声を浴びた部員たちは皆誇らしそうに胸を張っている。これから行われる大会に向けての練習でも、自信を持って取り組んでくれるはずだ。そして初心者の子たちも、自分もこうなりたいと憧憬を抱いてくれたことだろう。

 

 この結果に満足しながら、私は今自宅で楽譜と向き合っていた。月永先生との対話の結果、得るモノはあった。それをどう反映するべきか。今はそれに注力している。本当は自由曲だけで演奏していたいのだけれど、そう言う訳にもいかない。なので、物語の根幹を残しつつ、一番大事な部分を長くしてメッセージを押し出すしかない。そうすることで、審査員にもいい印象を与えられるはずだ。

 

 審査員は当然どの曲をやるかは知っているし、知らない曲の場合は事前にどういう曲かを調べているはずだ。じゃないと審査できないのだし。リズと青い鳥は有名だし、数年前にも大会で演奏された過去がある。あの時は第三楽章を押し出して、確か関西でダメ金だったように記憶している。

 

 防音室の中、目の前では希美がフルートを奏でている。今日も今日とてここで練習していた。大会の曲が本格的にスタートすれば、前に話したオンライン指導を頼むことになるだろうけれど、それはもう少し先の話だと思う。

 

 リズと青い鳥のフルートは最初青い鳥を示す楽器として描かれている。何回も出てくる同じようなフレーズは青い鳥のテーマなのだろう。これはいわゆるライトモチーフ。音楽の中で特定の人物や情景を表現するために使われる短いメロディーを示す。私の好きなワーグナーもよく使っている。

 

 演奏が第三楽章の部分に突入した。第三楽章の特徴は、教会旋法だと思う。これはグレゴリオ聖歌の分類に用いられる旋法、つまりは旋律の背後に働く音の力学だ。これは元々のストーリーがキリスト教の影響を受けているからこういう風に作曲したのだろう。今ではあんまり使われない技術である。少し回顧的なメロディー。

 

 流される希美の音色を背景に考える。どうして第三楽章だけ過去を想起させるメロディーなのか。それを考えて、第四楽章の譜面を広げた。もし、第四楽章が月永先生の言うように出航なのだとしたら、第三楽章の対話は回顧。つまりは、青い鳥と話していた思い出。ならば第一から第二と続いた物語は大きく飛んで場面が第四楽章に移ることになる。その出航の中で、リズは過去の対話を回想していた。そこに出航の鐘が鳴る。回想は終わり、前に進んでいく。

 

 第三楽章の最後のオーボエソロでは、青い鳥のライトモチーフが出てくる。途中で青い鳥とリズは役割を交代している。そして繋がる第四楽章。ここは原作にはない。つまり、卯田氏の二次創作とも言える。物語の続き、こうなって欲しいという願い。それがここにあるのだとしたら、物語がハッピーエンドになるようにという作曲者の意図があるはずだ。

 

 何かが繋がりかける。その最後の一欠片まであと少しだった。そのあと少しが読み取れない。いつの間にか希美の演奏は終わっていた。

 

「大丈夫?」

「まぁ、何とか」

 

 私の顔を覗き込む彼女に、私は何とも言えない表情をしながら答えた。

 

「難しい? 私は作曲のこととかはよく分かんないけど」

「難しい。去年みたいな割と単純な曲ならやりやすいんだけど、メッセージ性が強すぎて。取り敢えずハッピーエンドに持って行こうとしてるのは理解できたんだけどね」

「ハッピーエンド? でもお話はちょっと切ない感じで終わらない?」

「原作の要素は基本第三楽章で終わりなんだよ。第四楽章は作者のオリジナルと言うか書下ろしと言うか二次創作に近いと言うか。だから、原作のそのまま演奏すればいいってわけじゃないはず」

「なるほど~。私は、リズが逃がした青い鳥って、会いたくなったらまた会いにくればいいと思うんだよね。リズの決心は台無しだけど、それでもたまに会うくらいなら別に良いんじゃないかなぁって」

「また、会いに来る……また、会いに行く……出航、だから船出? 今はまだ追い付けないから、会いに行くために……」

「えっと、あの……」

「あぁ、あぁぁ!」

 

 いきなり叫んで立ち上がった私に、希美がビックリしたという目線を向けてくる。大きなグランドピアノの上に楽譜を広げた。

 

「まったくてこずらせてくれやがって。やっと繋がったぞ」

 

 楽曲の理解は恐らく、ほぼ完全に出来たと思う。だからこそさっきまで靄がかかったようだった譜面が、今は晴れやかになっている。削るべき場所、カットして良い部分が鮮明に分かる。ペンが譜面の上を縦横無尽に走る。どれくらいの間そうしていただろうか、頭の中で編曲は完成した。

 

「あの、大丈夫、かな? ずっと血走った目でやってたけど……」

「あ、あぁゴメン。急にいきなり叫んで、無視したりして」

「いやまぁそれは別に良いんだけど、それあんまり他の人の前でやらない方が良いと思うよ。控えめに言ってちょっと怖いし」

「……了解」

「それはともかく、出来た感じ?」

「恐らくこれで完璧のはずだ。これから大会用の譜面にしないと……。明日までに終わらせる。今日は夜通し作業だね、これは」

「が、頑張ってね……」

  

 何とも言えない表情で私を応援する希美。彼女のおかげで最後のピースが埋まったので感謝してもしきれない。青い鳥がリズに会いに行けば良い。彼女はそう言った。だが物語では逆の方向で話を進めている。リズが青い鳥に会いに行く。だからリズは住み慣れた町を離れている。過去の象徴、幸せだった日々の思い出を置いてでも前に進みたかったのは、会いたい人がいたから。

 

 でも決して過去を捨てたわけでは無い。だから、船出前の海の上で、彼女は過去を想起した。分かれた時の、痛く悲しいけれど前に進むきっかけになった記憶を。思い出はいつだって綺麗だ。けれど、その先には進めない。

 

 これはある意味で、人生を示した曲なのかもしれない。出会いと別れを繰り返しながらも、前に進んでいきなさい。思い出は大切に、でもそれに囚われないで未来へ羽ばたきなさい。そういうメッセージ。だから単に別れの部分をクローズアップして演奏しても最高評価にはならない。世間の関心に惑わされてはいけないのだ。この曲の真髄は第四楽章。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌日。朝早くの職員室に駆け込む。先生は一番乗りしているので、どうせいるに決まっている。黒くなった目の下の隈を無視して、一睡もしてない身体を動かしながら先生の元へ駆け寄った。

 

「おはようございます!」

「おはようございます。随分と早いですね」

「えぇ、出来ましたよ、編曲」

「お疲れ様です」

「これがその譜面です」

「ありがとうございます」

 

 先生は受け取った後、その楽譜をじっと眺めた。紙をめくる音と呼吸音だけが職員室に響く。そして数分後、先生は譜面を閉じた。そして深い息を吐く。

 

「こう来ましたか。正直、予想外です」

「予想通りでは上には行けませんから」

「確かにその通りですね。非常に良いと思います。第三楽章を前面に押し出すことが多い曲ですが、敢えて第四楽章を押し出していきますか」

「はい。第一から第三までは、全部第四のメッセージを伝えるために必要なバックグラウンド、意見を伝えるための理由付けに過ぎないと考えました。リズと青い鳥という物語を使って作曲者が示したかったものは、第四楽章にこそあるのではないかと。つまり、物語に囚われてはいけないのです。大事なのは、物語を受けてのお話でありメッセージだと私は思います」

「なるほど……」

「物語をハッピーエンドに持って行く。そういう理解でこの曲を演奏することで、作曲者のメッセージを完全に再現することが出来るのではないでしょうか。第四楽章「遠き空へ」。これは、曲を演奏する、或いは聞く全ての人への、前へ進めと言うメッセージに思えるのです」

 

 眼鏡の奥にある先生の目が鋭く光る。

 

「確かに新しい解釈、と言うよりは今までやられていない解釈かもしれません。有名故に、演奏パターンはワンパターンになりがちです。一石を投じるには、十分でしょう。私が選んでおいて言うのも変ですが、ここまで化けるとは思いませんでした。やはり、あなたに頼んでよかった」

「光栄です。では、この譜面で行くので大丈夫ですか?」

「はい。早速、本日配布しましょう」

「分かりました」

 

 先生も私も、今抱いている想いは同じのはずだ。それはすなわち、この曲ならいけるというモノ。未来は明るい。何故だか、そんな根拠のない感情を抱いた。それは或いは、曲に触発されたからかもしれない。私の頭の中では、理想のメロディーが奏でられていた。

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