音を愛す君へ   作:tanuu

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第八十一音 進路

 朝、家の門に備え付けられてる郵便受けに一通の封筒がある。こんな朝から来たとは考えにくいし、きっと昨晩来たものを取り忘れたのだろう。宛名を見れば自分の名前が書いてあったので差出人も見ずに鞄に放り込んだ。朝のHRが始まるまでに読めばいいだろう。そう思い、学校へと足を運んだ。

 

「もっとしっかり唇の形を作ろう。後少し力みすぎ。力を入れすぎると却って音が出ないことも多いから、注意して」

「はい」

「それと長く練習し過ぎない。口がぶっ壊れるから」

 

 早めに朝練を始めている部員にはよく指導を頼まれることが多い。高坂さんや吉沢さんのように気合入れて一時間以上付きっ切りで教えられるのは厳しくても、少しくらいなら教えて欲しいという声は多いのだ。今もこうして浅倉さんに指導を行っていた。

 

 ガラガラと音楽室の扉が開かれる。誰か来たのかと思って視線を送れば、そこにいたのは私の担任だった。奇異の目で見られることに若干居心地悪そうにしながらも彼は私の元にやって来る。私に用事があるのは明らかだった。彼のクラスの吹部は私と希美しかいない。

 

「朝練中にすまんな。ちょっと、話がある」

「どれくらいかかりますか?」

「何とも言えん。お前次第だなぁ」

「分かりました。じゃ、ちょっと抜けます。荷物も持っていきますので、もし戻って来なかったらそのまま教室に行ったと思ってください」

 

 後輩に声をかけ、担任の背中に付いて行く。連れていかれたのはいつぞやも来た面談室だった。ここに来たのは半年ぶりくらいだろうか。最後に行ったのは田中先輩の母親を説得する時だったように思う。

 

「座ってくれ」

「失礼します。それで、今日は……?」

「まぁ待て待て。そんなに焦るな。最近、部活頑張ってるみたいだな」

「えぇ、はい。みんな目標に向かって邁進してます」

「どうだ、全国は行けそうか」

「行くのは最低条件です。あくまで目標は金賞ですから」

「ハハハ、そうだったな」

 

 世間話をしてくる担任に訝しげな目線を送ると、彼は少し困ったような顔をしながら一枚の紙を差し出してきた。タイトルは進路希望調査書。中身はタイトル通りだった。

 

「これなんだがな。未定ってのは、どういうことなのか聞きたかった。白紙よりはマシだけど、未定ってのもあんまり変わらんぞ」

「ああ、なるほど……」

 

 呼ばれた意味が分かった。確かに、私は先日配られたこの紙にそう書いて提出したのだった。滝先生に白紙はやめろと言われたので、しっかり未定と書いたつもりだったが、それでは納得してくれないらしい。

 

「俺は未定でも良いと思うんだが、進路主任と学年主任がな……。すまんが、お前の口からどういう意味なのか聞いて、伝えないといけないんだ。悪いが呑み込んでくれ」

「分かりました。意味としては……そのままですかね。あいにくと最終学歴が大学卒業なので……日本でも世界でも、この年齢の就労は難しいので今ここにいますが、実際どうしたものかと。来年以降の話が何も決まってないのが現実です」

「日本の大学に再度進学するっていうのは選択肢にないのか」

「無い訳ではありませんが……そうしてまでしたいことが果たしてあるのかと言われると」

「微妙っていう訳だな」

「申し訳ありません」

「いや、良いさ。お前は優秀だ。だから、どこ行ってもやってけるとは思ってる。こっちも初めてなもんでな。色々手探りなんだ。すまん」

「いえ。こちらがご迷惑をおかけしているので」

「もう少し考えてみてくれ。他の先生方には俺から言っておく。まだ遅くはないし、白紙で出してきた奴もいる。焦らなくてもいいが、決まったら教えてくれ」

「はい」

 

 これに関して完全にこちらの不手際だ。忙しさを言い訳にまともに考えてこなかったツケだろう。一応無職のニートにはならない道があるのだが、それを選ぶべきかも悩んでいる。話が終わったと言う雰囲気を察して立ち上がれば、用件を思い出したかのような声で呼び止められる。

 

「それとだ」

「はい?」

「ちゃんと仲直りできたみたいだな。そうだろう? どっちかって言うと、その先まで行ってそうだがな」

 

 何を言わんとしてるのか完全に察した。絶妙にはぐらかして答えるしかないな。

 

「ありがたいアドバイスを頂けましたので」

「お、そうかそうか。まぁあれだ、狙ったのは早く落とさないと、横から掻っ攫われるぞ。修学旅行は大チャンスだな」

 

 そう言いつつバシバシ背中を叩いてくる。余計なお世話だとも思ったが、言ってることはその通りなので苦笑いするしかない。立ち止まっていても仕方ないのは事実なんだから。

 

「頑張れよ。じゃ、行ってよし!」

「ありがとうございました」

 

 頭を下げながら退室する。希美との関係に関して色々言ってくるのは困ったものだが……あの人が担任でよかったかもしれない。実はひっそりと人気があると言われる理由が理解できた気がした。暫くは未定のままでも誤魔化してくれるだろう。白紙で出してはいないので、と滝先生に内心で言い訳して、時計を見る。時間は既にHRまで十分を切っている。音楽室に行っている暇はないだろうと思い、クラスへ向かった。

 

 教室に戻ると、結構な人数が既に登校していて、思い思いの行動をしている。寝てる人、友人と話している人、本読んでる人、朝ご飯食べてる人等々。いつも通りと言えばいつも通りだ。自分の席に座って朝の封筒を取り出す。表には差出人が書いてない。住所が下手くそな漢字で書いてあるだけ。何だこれと思って透かしてみたがよく分からない。剃刀の刃でも入ってるのだろうか。

 

「おはよう!」

 

 元気よく挨拶されたので顔を上げれば希美が立っている。隣の席なのだから時間的にも来ていておかしくはないだろう。

 

「おはよう」

「聞いたよー、先生に呼ばれたって。何したの? 何したの?」

「なんもしてません。ただの進路面談です」

「なーんだ」

「なーんだとはなんだよ。大事だぞ、進路は」

「どうせ白紙で出したとか言うオチでしょ」

「まっさか。ちゃんと書きましたとも」

「えーほんとかなぁ」

「書いてます。未定って」

「それ白紙とあんまり変わんないじゃん!」

 

 そう言いながら彼女の目線は私の手元に向けられる。どうあがいても正論から逃れられない進路の話より、この手紙の方に興味が向いたのだろう。

 

「それ、何? ラブレターとか!?」

「だと面白いんだけどね……」

「……面白くないし」

 

 希美はちょっと不機嫌な声で言う。感情がジェットコースターみたいだ。冗談として言ってはみたけれど、私は生まれてこのかたラブレターなんて貰ったことは無い。一回くらいは貰ってみたいという気持ちが無いわけでもない。ただ、希美はそう言うのを書いたりしないだろうから、多分貰わないまま終わるんじゃないだろうか。

 

「なにこれ? 英語……じゃないよね」

「ドイツ語だね」

「読めるの?」

「読めなかったらどうやって四年間過ごしたのさ」

「いや、まぁそうなんだけど」

 

 ちゃんと読んだり話したりしてるの見たことなかったし……となかなかに失礼な事を小声で聞こえないように言われてるのを、バッチリ聞きながら目を通す。

 

「で、なんて?」

「どれどれ……えー、親愛なる我が友へ。元気だろうか。この前のコンテストで会ったのが大分昔のことのように思われてならない。お前の教え子が日本のソロコンテストでいい成績を獲得したのは風の噂で聞いている。あのサムライ凛音が弟子を取ったということで、ヨーロッパのトランペット界隈ではちょっとした事件だ。ミス高坂によろしく言っておいてくれ。お前の弟子が活躍すれば、リリーも喜ぶだろう。

 さて、この楽団にもうすぐ欠員が出る。トランペットの奏者が今年で高齢のため引退する。その空いたポストに勝手ながらお前を推薦した。楽団の主催や上層もお前に是非という風に考えている。ただ、もし受けるとしても一応オーディションを受けて欲しい。今度そっちに公演に行く。その時に詳しい話が出来ると良いと考えてる。東京、大阪、福岡と回って最後は京都でやる予定だ。そちらも是非見に来て欲しい。チケットも同封した。家族、友人、先輩後輩、恋人等々と来てくれ。あいにく二枚しか取れなかった。すまない。

 お前がこの提案を前向きに捉えてくれる事を夫婦共々願っている。ディートヘルム・シュミット、エリーゼ・シュミット

 

 追伸、フルートの件は了承してる。そちらのタイミングで始められるように準備しているので、そのつもりで。後、カールはやっとお前に借金を返す準備が出来たようだ」

 

 声に出しながら読んだ手紙は、思った以上に重大な内容だった。内容は把握したけれど、迂闊にどうこうしていい問題ではない。、大したもんじゃないだろうと思っていたらこの有様だ。しかも、思いっきり関係ない希美に聞かせてしまった。どう反応して良いのか分からず困った顔をしている。

 

「スカウト、だよね」

「そういう事になる、と思う」

「ベルリン、行っちゃうの?」

「オーディションに受かって、行くと決めれば、おそらくは」

「そう、なんだ。――凄いじゃん! 胸張りなよ。こんなの滅多にないでしょ?」

「そりゃ、まぁね。この年で実力でここに入ったこの二人がおかしいだけで、ここは中途半端な実力じゃ入れない。喉から手が出るほどこのオーディションの枠が欲しい人は、それこそ山ほどいる」

「どう、するの」

「分からん。まだ全然分かんない。もうちょっと考えてみるさ」

「だよね。そんな大事な事、サッとは決められないよね。ゆっくり考えたらいいと思うよ!」

「あ、ああ」

 

 食い気味で言われ少したじろぎながらも言葉を返す。この友人夫婦からの手紙をどうするか。答えはしばらく出そうになかった。それ以上に、まるで取り繕うような声を出す希美が気になってしまった。向こうに行けば、希美と会うことは出来なくなる。例え、もし仮に凄まじい幸運の末に付き合うことが出来ても、遠距離恋愛になってしまう。それを相手に強いるなんてことはしたくなかった。この恋は、もしかしたら叶わない方が良いのかもしれない。痛む胸を抑えながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「6月の予定組みづらい?」

「割と」

 

 翌朝早く、音楽室内で優子は唸っていた。手元には空欄の予定表。ずっと悩みながらあぁでもないこうでもないと先ほどから悩みの中にいる。

 

「三年は模試が多くって、全員集まれない。去年のあすか先輩のこと考えると、やっぱり最低限親を納得させられるような勉強環境を整備しないと……」

「模試ねぇ……」

「学校で強制のもあるけど、大体は個人で受けに行かないといけないからね。一日潰れるのがキツイ。しかも日曜日が」

 

 夏紀も苦い顔で予定表を眺めている。その苦々しい顔は受験に関することなのか、それとも練習に参加できない事なのか。目を見る感じ、どっちもであるように思える。進学クラスは部活ばっかりやっていると小言を言われることもあるらしい。普通のクラスとは少し空気感が違うのは、そのせいだろう。

 

「その日の練習は私が見るから大丈夫」

「模試受けないの?」

「大卒が模試受けてどうするの」

「あぁ、そう言えばそうだったわね」

 

 じゃあ、ここは丸投げで良しっと、と言いながら優子の視線が別の日に移っていく。センター試験模試なんかは三年生のほぼ全員が受けるけれど、私はスキップできるので助かっている。あんな部屋にガン詰めになって試験を受けるなんて絶対にやりたくない。数年前に泣きそうになりながら言語を極めて良かったとつくづく思っている。

 

「オーディションの日、ズラしてもらうか? 私が滝先生に頼んで」

「うーん……それは出来れば無しにしたい。7月で間に合わないってことも無いと思うけど、出来るだけ早くメンバーを決定して全体練習したいし」

「なるほど」

「去年はもっとゴタゴタしてる中でどうにかしてたんだし、これで何とかするしかない……と思う」

 

 全員でため息を吐く。この日程調整は中々難しく、いつも苦労しながら作成しているのが現状だった。三年生が出れない日でも私が基本いるのでまだどうにかなっているけれど、私だって暇なわけじゃない。仕事がどっかで入る可能性も否めないのが現実だった。

 

「あ、そうだ。オーディション全員でやるパターンはしないんですかっていう意見を貰ったけど、どう?」

 

 音楽室の椅子に浅く腰掛けた希美は恐らくパートの子から聞いたであろう話を出して来る。

 

「それは面倒だからやりたくない。人数構成の調整を全員でやるのは嫌すぎる。しかも今年の曲、特に課題曲は指揮者がどう演奏させるかが大事になって来るから、全員で選ぶとその辺の意思が完全に統一されてないせいでバラバラになる」

「Ok、そういう風に説明する」

「よろしく」

「まぁ今の審査員だから納得してるって人が多いだろうしね」

 

 夏紀の意見はその通りだと思う。滝先生は結果を出している。だからこそ、その審査なら納得せざるを得ないという雰囲気が存在しているのだ。これが全員で選んだ方式だと納得できない人も出てくるだろう。部員の人間関係に拘わらず公平公正に機会が与えられる。それがオーディションの大原則だった。

 

「絶対文句も出てくるわよ、その方式だと。今の三人体制なら文句も出ないでしょ」

「だと良いけど……」

「何? 何か不安要素?」

「不安要素、なのかは分からないけど……」

 

 私の歯切れは悪くなる。思い出すのは、サンフェスで話した、月永先生との会話。月永君のお姉さんが音楽から遠ざかるようになってしまった原因は、身内が審査員にいたことによるやっかみにある。そして奇しくも、それに近い状況に今の北宇治はあるのだった。

 

「涼音ちゃんのことでしょ」

「希美の言う通り」

「……なるほど」

 

 優子も夏紀も難しい顔をした。希美も決して明るい顔ではない。みぞれは淡々と楽譜を読み進めていた。けれど話は聞いているのが分かる。同じ中学の後輩であり、今年の一年生の中心である優秀な奏者に関心を持っているのは当然だろう。

 

「滝先生は私が審査員で良いって言ってる。私だって贔屓をするつもりなんてない。ただ、それはこっち側の論理だ。今年は間違いなく顔見知りと言うかそれ以上の関係だし……」

「あんた、やっぱりちょっと性格悪いわね。私の前でその話するの」

「ごめん。ただ、どうしても思い出すのは、あの時のことだから」

 

 滝先生と高坂さんの言いがかりに近い関係性よりも、私と妹の関係性は圧倒的に近い。実力があればねじ伏せることが出来るという論理もあるけれど、それは理想論だ。実際に月永君のお姉さんはそうならなかったし、去年だって高坂さんが完全に実力でねじ伏せられてないから再オーディションという話になった。

 

「涼音ちゃんのこと信頼してないの? 贔屓なんかしなくても受かるって」

「してる。してるに決まってる。でも、そうであっても変な言いがかりをつけられて欲しくないって思うのは、おかしいか?」

「おかしくは無いけど、ちょっと過保護」

 

 優子は私の少し強い声をバッサリ切り捨てた。そのあまりのバッサリとした態度に少し唖然としてしまう。

 

「……」

「家の事情はちょっとは知ってる。あんたが親代わりに頑張ってることも。でも、涼音ちゃんももう高校生よ。いつまでも守られてばっかりじゃない。もっと信頼しなさい」

「……分かった」

「もし何かあったら、私が絶対に守るから。私のこと、信頼できない?」

「いや、そんなことは無いけど。信頼してるから部長の指示に従ってるわけだし」

 

 絶対に去年のようなことは起こさない。去年の問題に火を付けた彼女が言うからこそ、その言葉には力強さと確固たる意思があるように思われた。私が引き留めても、理性で理解していても、香織先輩への愛だけで突っ走った彼女の意思の強さは、それこそ疑いようがない。

 

「大丈夫だよ。私と調もいるから。私の大事な後輩を傷つけようなんて、そんなの許せないし」

 

 希美は普通のトーンで言う。けれど最後の言葉は少し低い声で語られた。この中で一番怒らせると何をしでかすのか分からないのはみぞれ。ただ、一番怒らせると怖いのは希美だと思う。圧倒的なコミュニケーション能力と顔の広さ、そして普段あんまり怒らない人間性は、本気で怒った時に大きく牙を剥くだろう。

 

「……ありがとう」 

「お礼なんて言われることじゃないわよ。あんたはいつもみたいにどーんと構えてなさい。そもそも、普通に考えてあんたに文句言える人いないから。実績が違いすぎるし、音楽的な事で色々言えるのは先生くらいでしょ」

「だね。じゃ、シスコン指導者の話はそこまでにして、スケジュールに戻るよ。頭のねじをどっかに落っことしてきたみたいなスケジュールしてるし」

「はぁ?」

 

 夏紀は話を変えて軌道修正する。元々はスケジュールの話だったのに、いつの間にか妹の話になってしまっていた。心配だったとはいえ、ちょっと過保護なのは言われた通りだと思う。ただ、私の言い分があるとすれば、もう二人しかいない信頼できる家族で、しかも自分より年下である妹のことが心配でないわけがない。苦しんでいるのを知りながら、南中時代に私は何も出来なかった。だからこそ、次こそは、今度こそは。そういう思いを抱いている。

 

 音楽も、部活も、優先度は家族より下にいる。それは、当たり前のことだと思っていた。例え、他の人には納得してもらえなくても。私がそういう想いを抱いている裏側で、優子と夏紀はいつも通り喧嘩を始めている。

 

「別にこれくらい平気だし。私を何だと思ってるの。部長サマなんですけど」

「はぁ? どの口がそんなこと仰ってるんですかね。取り敢えず合宿には別に係を置きます。全部員をアンタだけでまとめられるわけ無いでしょ」

「これくらいできるし。去年のあすか先輩もやってたし」

「あれはあすか先輩だから出来たんだって、さっきから言ってるじゃん」

「私があすか先輩に劣ってるって?」

「少なくとも脳味噌の容量は半分以下でしょ。大体、アンタは部長であすか先輩は副部長。仕事内容も違うしんだし、アンタが張り合う相手じゃないでしょ」

「別に張り合ってないし」

「じゃあワガママ言ってないで、副部長サマの話を聞きなさいって」

 

 ぐぬぬぬと優子が歯噛みをする。ぐぬぬなんて実際に言う人を初めて見たかもしれない。優子は押しが強いけれど、口喧嘩は弱い。逆に夏紀は押しはそこまでだけれど口は上手かった。

 

「その合宿関連の係、私がやろうか?」 

「それはダメ」

「なんで」

「もうどんだけ仕事抱えてるのか分かってる? 何でもかんでもアンタに任せたら、アンタがいなくなったら何も出来ない組織になっちゃうでしょ。ただでさえ頼ってる部分が多いのに……」

「気にしなくて良いのに、そんなこと」

「気にするわよ。アンタは、来年いないのよ。来年の子が運営しようとしてみたら、アンタが全部やってました、じゃどうしようもないでしょ」

 

 私の提案は一瞬で却下される。出来る事はやってしまった方が効率がいいのと思っている。ただ、それでは後輩のいいモデルケースにならないというのは確かに言う通りだった。今度は私がぐぬぬという番である。

 

「それじゃあ、合宿の係は私がやろうか? 今のところ他にいないなら」

「ホントに? お願いしていい?」

「この後に特に何もないなら、別にやっても良いけど」

「了解、じゃ希美に任せるということでこれは一つ片付いたってことにして……あーあがた祭りかぁ。忙しかったからすっかり忘れてた」

「アンタは一回脳味噌を部活から離しな」

 

 祭りはもうすぐやって来る。それが終わればすぐに修学旅行だ。ぶつぶつと呟く優子は相当重症らしい。

 

「みぞれは予定、どうなの?」

「わ、私は全然予定とか無い」

「じゃ、一緒に行かない?」

 

 希美の誘いに、みぞれは勢いよくコクコクと頷く。こんな感じで後輩に接してあげれば、剣崎さん達ももう少し楽だろうにと思ってしまう。

 

「三人は、予定は?」

「今のところ無いかも」

「コイツと一緒なのは癪だけど、こっちも無い」

「私は先約入ってる。吉沢さんとペットの一年生四人組の引率だ」

 

 一緒に行きましょうとかなり早い段階で誘われてしまい、断る理由も無かったので約束している。希美と行くという選択肢も非常に魅力的だし、普通にそっちを選びたいという感情もあるけれど、後輩との交流も大事だ。去年は吉沢さんだけだったけれど、今年は四人追加されている。

 

 滝野も誘ったのだけれど、彼は既に先約が入っているようだった。ウチの妹が予定を抑えていたらしい。あまりのスピードにちょっと驚いた。

 

「ということで、四人で行って来ればいいんじゃない?」

 

 私の提案はすんなりと受け入れられ、四人は待ち合わせ場所を決めている。希美がスッと席から立ち上がる時、ギシッと音を立てて椅子が鳴る。

 

「みぞれは誰かほかに誘いたい人とかいる?」

「……いない」

 

 みぞれは静かに否定する。そっか、と言う希美の声はどこか複雑な感情が読み取れる。その感情の正体を掴む前に、希美のその表情は霧散してしまった。二人は友達だ。それも親友と言っても良いかもしれない。ただ、どこかでまだ隔たれたものが存在していた。

 

「おはようございます」

「ございます……」

 

 扉を開けて、高坂さんと黄前さんが入って来る。黄前さんは少し眠そうだ。二人の挨拶をするのもそこそこに、優子と夏紀は進路の話で揉めている。同じ大学を志望したことがお互いに気に食わないらしい。個人的には、知っている人が一人いるだけでも大分楽だと思う。

 

 気付けば、本格的にそんな話をする時期になっていた。昨日の手紙はまだ返事が出せないでいる。多分会った時で良いだろうとか、今は世界で公演中なので送っても届くころにはもういないだろうからとか、色々理由は作れるが、実際もっと深くにいるのはどう返事をしていいか分からないからだった。

 

 まだ迷ってると言ったら二人はどんな顔をするのだろうか。そんな考えが頭に浮かんでは消えていく。優柔不断ではないつもりだったが、これでは誰かの優柔さを笑えない。見ないようにしてきたのかもしれない未来を直視することに忌避感を感じている私をよそに、黄前さんは問いたげな顔で希美を見る。ん? と言うように希美は小首をかしげた。

 

「希美先輩たちはもう進路とか決めてるんですか?」 

「私? 私はまだ迷ってるけど、音大に行こうかなと思ってる。まぁ三年からの対策ってめっちゃ遅いってのは分かってるんだけど」

 

 寝耳に水な情報に目を見開く。音大という選択肢が決して不可能だとは言わない。去年の秋から二人で練習してきたことも多いし、私の家で妹と一緒に沢山練習もしている。もうすぐオンライン指導も始まる。確実に実力はついていた。それは誰よりも知っているつもりだ。それこそ、先生よりも。

 

 だがそれでも音大で堂々とやって行けるかは分からなかった。あそこは天才だと思われてた人が現実を知る場だ。ちょっとやそっとの努力じゃ敵わない才能がゴロゴロしてる。楽な道にはならないだろう。チラリとこちらを見るような視線を送った希美の姿を見ながら考える。昔聞いたフルート専攻の演奏が、私の友人の演奏が、記憶の中で明瞭な音を奏でる。あの演奏に、彼女は近付けるのか。それはあまりにも難解で未知数な問いだった。

 

「音大を受けるんですか」

 

 高坂さんは話題に食いつく。彼女は元からそういう風に進路を定めていたのだから、興味もあるのだろう。

 

「まだ確定じゃないけどね」

 

 そう言って一瞬視線を下に落とした希美は、みぞれを指さした。

 

「みぞれも受けるよ。同じとこ」

「えっ、みぞれ先輩がですか?」

 

 黄前さんは驚いてみぞれを見る。なるほどあちらも受けるのかと思う。私は全然二人の進路について知らなかった。もっと見ないといけないモノが多い。忙しさにかまけて、身近な人の進路選択に気付かなかった。みぞれの去年の演奏を聴いている限りでは行ける算段は高いだろう。首肯するみぞれに黄前さんは更に問いかける。

 

「どうしてまた、音大へ?」

「希美が受けるなら、私も」

 

 少し閉口したような顔になった黄前さんが口を開こうとして止める。高坂さんは彼女なりに複雑な顔をしていた。

 

「どうしたの?みぞれのジョークじゃん」

 

 そんな希美の声に誰も答えない。多分、この部屋でそう思ってるのは希美だけだった。優子は二人の間で視線をせわしなく動かしている。そこには不安の色があった。自分の目が細くなっているのに気付いた。同時に眉間に皺が寄っているのにも。

 

「そんな志望動機で受かるようなところでもないけれど」

 

 口をついて出た言葉は我ながら中々に剣呑な声色だった。色んな感情を込めた視線が注がれる。何故こんな事を言ったのか、自分でもはっきりとは分からなかった。或いはみぞれの志望動機はかつての思い出への冒涜のように、心の奥で感じたからだろうか。確かに遊びまくったこともあったし、ふざけたことも沢山あった。けれどもあそこにいた全員がきっと譲れない夢があった。その為に努力していた。

 

 だからあんな風にキツく言ってしまったのだろうか。言い過ぎたと後悔する感情と、友人を咎めたい感情が相反する。

 

「ごめんなさい」

 

 みぞれが絞り出すような声でそう言った。ハッとして顔を見れば、戸惑いと後悔の表情が浮かんでいた。安易な発言を後悔しているのか、それとも。

 

「いや、私も言い過ぎた。すまない」

 

 気にするなと言うように手をひらひらしつつ、心のどこかでもう一人の自分が気にしろ! と騒ぎ立てる。

 

「まぁ音大に進学するって言ってもプロ奏者一択の進路って訳でもないから。我らの顧問みたいな教職や楽器教室の先生、作曲者になることも出来る。文才があれば評論家や音楽系のライターにもなれる。音楽に携わる企業の就職も可能だ。軽く考えてはいけないと思うけど、重く考えすぎるのも良くない。それに、奏者を目指すにしてもあそこは悪いところじゃないよ。努力できる人間なら」

 

 そして、天才に勝とうと奮起出来る人間なら、と言う最後の言葉を呑み込んで私は苦し紛れに笑う。自分が上手く笑えているか、分からなかった。きっと私は問いたいのだろう。二人に向かって。お前たちは努力できるのか、本気なのか、と。見つめてもそこには四つの黒い瞳しかなかった。この話を早く終わりにして欲しいという意図を読み取ってくれたのか、黄前さんは話をずらした。

 

「桜地先輩はどうされるんですか?」

 

 絶妙に離れていない話題だが、重苦しい空気は払拭された。ひとまず感謝する。

 

「私は未定」

「未定って、マズくないですか?」

「マズくはない。一応職の当てはある。あるけどねぇ……」

「この前、スカウト来てたじゃん」

「スカウトじゃないってば。ただのオーディション受けてみない? って言うお誘いだよ」

 

 希美に暴露された話を訂正する。決して秘匿していたわけではなかったが、言いふらすことでもなかったから黙っていた。

 

「スカウトって本当ですか?」

 

 高坂さんは、その言葉に興味津々と言った様子だった。

 

「だからスカウトじゃなくて推薦制のオーディション。上層部は私で良いと思ってるらしいけど、一応形式上は受けないといけないし」

 

 私の出した楽団の名に高坂さんは目を見開く。こんなに目が真ん丸な顔を久方ぶりに見た。彼女でも驚愕とも言うべきこんな顔になるのだと、割とどうでもいいことを思った。

 

「絶対受けるべきです!」

「……」

「先生の音なら世界でも通用します。行かないのは音楽界の損失ですよ!」

「そこまでじゃないよ。そりゃあ何も不安要素がないんだったら二つ返事で行くさ。でも生憎と背負ってるものが幾つかあるもので……」

「あ……すみません。勝手な事ばっかり……」

「謝らなくても良いけど。私は自由にさせてもらってた。その時に、妹の事なんて考えてもいなかった。四年前、あの子は全部を失ったからね。私は、あの子を、あの屋敷でまた一人にさせたくないんだよ。もう、二度と……」

 

 吐き出すように感情が出る。しかし、こんなことをここで話すべきではないだろうと思って無理くり笑顔を作る。

 

「まぁ気にしないでくれ。この件はゆっくり考えるよ」

 

 戸惑いを含んだ視線を無視してスッと背を伸ばす。努めて明るく声を出す。自分の作ってしまった空気は自分で何とかしないといけない。

 

「ああ、そうだ希美」

「な、なに?」

 

 急に明るく話しかけられたのに困惑したのか、少しおっかなびっくり返す希美に問いかける。

 

「6月の最後の日曜日、ご予定は空いてます?」

「空いてるけど……」

「これ、行きません? 運よく練習は早めに終わる日だし」

 

 渡したのはこの前の手紙に同封されていたチケット。大きな会場で行われる演奏会だった。

 

「え、これって……こないだの?」

「そう。この前の。どう?」

「行っていいの? 一緒に」

「だからお誘い申し上げているのです」

「わ、分かった! 行く! 行きます!」

 

 食い気味に来られて少し驚き、やや後ずさりながら頷く。

 

「じゃあ、予定空けておいてね。多分多少はドレスコードに気を遣う必要があるけど……詳しい話はまた今度。修学旅行終わった辺りくらいでするから」

「う、うん」

 

 宝物でも扱うように慎重にチケットを財布の中に仕舞い込んだ希美を見ながらやっとしっかり笑えた気がした。高坂さんはチケットを羨ましそうに見ている。彼女も良い演奏を聞きに行きたかったのかもしれない。彼女の不満そうな表情を紛らわせるべく、手紙に書いてあった内容を話す。

 

「そう言えば高坂さん」

「はい」

「私の友達が言ってたけど、君の名前ヨーロッパで広まりつつあるって」

「……え?」

「私の弟子が日本のソロコンでいい成績だったってことでね。良かったじゃん」

 

 きゅう、という悲鳴じみた声を出して高坂さんが直立のまま後ろにぶっ倒れそうになる。慌てて黄前さんが背中を支えていた。高坂さんに向けられた笑いで、音楽室の空気は良くなる。そんな中にあっても私の悩みは晴れない。将来をどうするべきか。答えは出そうになかった。

 

 私の進路も彼女たちの人生も、そして部活も。全ての行き先は不透明。五月終わりの空は、薄曇りだった。

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