音を愛す君へ   作:tanuu

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第八十九音 初恋

「トロンボーン、少し乱れていますね。一人ずつやってもらっても良いですか、塚本君から」 

 

 先生の指がカツカツと楽譜を叩いた。音楽室の中は熱気に満ちながら、それでも止まることは無く練習が行われている。府大会が終わってから数日。関西大会までは一ヶ月をとうに切っていた。この時期の一分一秒を無駄にするわけにはいかない。持っている全てをつぎ込んで、音楽を形作っていた。

 

「そこですね……。次の音符で帳尻を合わせず、最初から適切なリズムで。もう一回……そうです、今のを本番でも。では、今度はトロンボーン全員でもう一度」

 

 先生はトロンボーン畑の出身だ。それ故に、指導にも力が入る。得意な楽器、専門としている時間の長かった楽器は経験もあるため指導しやすく、同時に求めるハードルが高くなる。このバランスを保つためには自分で意識しないといけないし、自分が専門じゃない楽器は専門としている人を呼ぶなどの工夫を随時して行かないといけないのだ。

 

 そうは思いつつも、私もトランペットは気になってしまう。

 

「トランペット、もっと3rdを前に出して。今のままだとベルトーンの三つ目が死んでるので」

「「「はい!」」」

 

 ベルトーンは鐘を鳴らすように別々の楽器で和音や音階を拍をずらしながら一音ずつ演奏する技法である。別人が演奏している音を均質にするには、当然のことながら互いの音を良く聞かないといけない。聞くこと七割、吹くこと三割と言われるのはこういう事があるからだった。

 

 トランペットは一番上の1stを二年生組、真ん中の2ndを三年生組、そして最後の3rdを本人のたっての希望で小日向さんがやっていた。一人でやっているからと言って、妥協はできない。それに、彼女ならもっと音を出せるのは分かっている。ついつい小さくしてしまう悪癖を持っているので、しっかり注意して音を出すように促す必要があった。

 

 演奏とはトライアンドエラー。その地道な繰り返しが大事になって来る。けれどプログラミングなんかとは違って、練習しないと一気に下手になっていく。一日やらないと三日分後退するというのは人口に膾炙した話だが、音楽をやっている人間からすれば偽りなき真実だった。

 

「ホルン、音の処理をもう少し丁寧に。ブツッ、ブツッと音がちぎれているように聞こえます。そうではなく、ボーンと最初からアクセントを置くような感じで。サックスは裏拍の八分音符が間延びしないように気を付けてください。イントネーションを統一しましょう。今のままだとばらついています」

 

 先生の指示は細かく、それでいて適格だ。これがいい加減だったら、北宇治はここまで来れていないだろう。何か良くない、くらいは音楽経験者なら誰でも大体わかる。ただ、どこがどうダメで、どういう風に直すべきなのかを指摘できるのは貴重な才能だった。

 

「井上さん、シンバルもう一回」

 

 編曲した人間は自由曲のことを一番理解してないといけない。なので、指導でも細かい修正は私に投げられていることが多かった。けたたましい音が響く。パーカッションの部員は複数の楽器を担当していることが多く、その分でも結構大変ではある。

 

 シンバルはジャカジャカ鳴らすだけだと思われがちだが、もっと繊細な表現が出来る楽器だ。どんな楽器でも扱い方次第でガラッと色を変えていく。今年もシンバルを担当している井上さんは、去年も同じ担当だった。そしてソロコンの代表選考を勝ち残った部員でもある。パーカスでも一、二を争う実力者なのだ。

 

「右手が力んでいます。もっと左の動きを意識して。シンバルは両方で演奏する楽器ですから、どちらかが弱かったり強すぎたりするとバランスが悪い。同じ音を何度でも出せるように。ぶつけて叩くことに意識を向けがちですが、引き離すことも意識してください」

「はい」

 

 彼女の顔には汗が流れている。北宇治のシンバルは片方で二キロある。手でそれを支えるのだから大変だ。それに加え他の楽器もやらないといけない。体力勝負になりそうだが筋肉任せの演奏ではいけない。繊細さも求められていた。

 

「鎧塚さん。ここはもっと前に出ましょう。ここの部分のメインはオーボエです」

「はい」

 

 先生の指摘にみぞれは無表情のまま頷いた。第三楽章。この楽章をまだ彼女は完全にマスターしていない。正確には、技巧は出来ている。流石と言うべきだし、そこは全く心配してない。トライアンドエラーは彼女の得意とする所のようで、技術面ならすぐに修正をしてくる。

 

 ただ、感情が乗っていない。思い出すのは去年の光景。あの夏の演奏は、確かにこんな感じだった。先生はもどかしそうな表情を一瞬だけ見せる。去年の関西、そして全国。あの演奏を聞いてしまえば、今ので満足できるはずもないだろう。

 

 

 希美とみぞれ。息が合わないのは、お互いのせいだろう。どちらかだけが悪いという訳でもないと思っている。第三楽章では比較的希美の方が私のイメージに近いだろうか。現在のみぞれが機械音みたいになっているというのがその原因に近い気もする。先生は色んな感情が込められた息を吐いて、私に視線を送って来た。どうにかしてくれ、或いは何か思うところはないのか。そういう風に言っているように思えた。

 

「オーボエ。第三楽章は何を考えて吹いてますか?」

「リズの、心」

「そうです。基本この曲はオーボエがリズ、フルートが青い鳥を担当しています。ここではオーボエが青い鳥に別れを告げないといけない。それが端的に出てくるのがこの第三楽章最後のオーボエソロです。何回か言ってるように、ここは三つのライトモチーフで構成されています。最初は『諦め』で二つ目は『青い鳥』、最後は『羽ばたき』です。これは何度も曲中に出てくるので、認識してるとは思いますが」

 

 ここで奏でられているのはリズの視点。つまり、青い鳥を見送る視線が描かれている。諦めは共に暮らすことの諦め。青い鳥は当然飛んでいく鳥。羽ばたきはその鳥の翼だろう。

 

「ここで本来の物語は終わっています。でも、この曲ではまだ続いて行く。つまり、このソロは第三楽章から第四楽章に繋げるように吹かないといけない。第四楽章の場面、船出前の船の中で別れの場面を回想する。そういうイメージだと言いました。今の演奏だと、映画館のスクリーンの前で見ているようにしか聞こえない。自分のことと思って演奏しなくてはいけないのです」

「……はい」

「第四楽章は誰の視点ですか?」 

「……リズ?」

「そう。第四楽章は全部リズの視点です。と言うか、リズが主人公なんだから当たり前ですけど。良いですか、オーボエ以外でも全員しっかり意識してください。第四楽章は、第三楽章を踏まえたうえでリズが行動しているシーンなんです。リズは自分が広い空を飛べる鳥を縛り付けていると思ったから解放した。だからと言って愛が消えたわけではありません。その証拠に、第四楽章の冒頭。ここのライトモチーフは? ほら、君に聞いてるんです」

「『羽ばたき』?」

「正解。ではこの『羽ばたき』の中に入ってるのは?」

「『青い鳥』の変化形」

「そうです。なんで船出するのか、何でリズは旅に出るのか。その答えは全部楽譜に書いてある。心の中にいる青い鳥に、もう一度会いに行くために旅立ってるんです。自分が縛り付けてしまうなら、今度は飛んでいく鳥と同じように自分が自由になればいい。そして希望を持って行進曲になる」

 

 様々な人の手助けを得て作り上げた曲の解釈がこれだった。大事な事は全部楽譜に書いてある。第三楽章で終わっていた原作を、どうして希望を持てる話にしたのか。それはこういう事なんじゃないかと、私は考えている。だから第四楽章を中心に編曲を行うことにしたのだ。

 

 みぞれは少し動揺したように、髪を撫でた。彼女は心が動いたときに髪を触る癖がある。自分が青い鳥を解放できない。彼女はそう思っているのかもしれない。何故なら、彼女はリズに自分を重ねている。そして青い鳥に希美を。だがそれはあくまでも物語の中だけの話。現実でもそうしないといけないなんて決まっていない。

 

 それに、仮に解放しても希望を持つことは出来るはずだ。この曲では、そういう風に描かれているのだから。希美の言葉がここで大きく作用していた。青い鳥は会いたくなったら会いに行けば良い。彼女はそう言った。私はそれを少し変形させて、リズが会いたいから会いに行くのが第四楽章だという風にした。これがきっと、ハッピーエンドだと信じて。

 

「リズはもう一度会いに行くんです。だから船に乗った。住み慣れた町を、家を離れて」

「リズは、青い鳥と、会えるんですか?」

 

 みぞれは小さな声で、私に尋ねてくる。その答えを、私は最初から持っていた。

 

「青い鳥は死んだんですか?」

 

 私の逆質問に、彼女は少し戸惑ったような顔で首を横に振った。私はそれに小さく頷いて、言葉を続ける。

 

「なら会えるでしょ。生きていれば……命さえ、あるのならば。会いたいという想いがある限り、必ず」

 

 事情を知っている三年生がハッとした顔で私を見た。涼音は希美の隣で息を吐き出した。高坂さんと吉沢さんが沈痛な顔をして、先生は目を伏せる。同じ言葉でも、誰が言うのかによって変わって来ることはある。この言葉は、そういうモノだと私は思っていた。

 

 失ったモノが、もう会えない人がいる存在が言うからこそこの言葉は最大の効力を発揮するのだ。生きてさえいるのならば、きっと会えるはずだ。会いたいと思うのならば。この言葉の重みを真に理解できるのは、私の除けば妹と先生、そして月永君だけだろう。少なくとも、私の知る限りでは。失ったモノがある人は、この言葉の意味をよく知っている。

 

 みぞれは目を見開いて私を見ていた。その視線に負けることなく、私は彼女に視線を返す。みぞれの動揺は大きくなり、その手は小さく震えていた。彼女の中には無かった価値観がきっと、今生まれたんじゃないか。私はそういう予感を抱いている。希美の言葉でなくてもきっと、届いているはずだ。私から彼女に向けたメッセージは。会いたいなら、会えばいい。離れても、友達ではいられるはず。死んだ相手とだってそうなれるのだから、生きている相手とならなおのこと。

 

「青い鳥はしっかりリズの心の中に生きています。だから、彼女の視点で語られる第四楽章に青い鳥のモチーフが少し変化させて出てくるんです。もう、場面の中にはいないはずなのに。それは、彼女の心の中に存在しているから。そのまま出てこないのは、青い鳥に対する捉え方が変わっているから」

 

 物語はハッピーエンドにしたい。作曲者はそう言ったと聞いている。私も出来ればそうあって欲しいと願っている。ハッピーエンドばかりではないこの世界の中で、青春のこの一幕だけは、もしくは物語の中だけでも。ハッピーエンドであった方が良いに決まっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました」

 

 真夏の夜はどこか潤んだ空気をしている。湿度の高さがそうさせるのか、或いは生命に満ち溢れた季節がそうさせるのか。他の季節にはない濃密な闇の中で、花火大会は行われる。黒の中に華を咲かせるなら、こういう深い闇の中の方が良いのかもしれない。

 

 浴衣を着た吉沢さんは少し汗の滲んだ額をハンカチで拭いている。高校生活最後の花火大会は、後輩と過ごすことになっていた。去年は妹と滝野が一緒だった。思えば、あの一件があったおかげで妹の件は最終的な解決をみたわけで、そう考えれば割と自分の行動はファインプレーだったんじゃないだろうか。そんな風に思っている。

 

「全然。今来たところだから」

 

 そう言って私は彼女に笑い掛けた。

 

 

 

 

 

「花火大会の日、予定空いてますか?」

 

 そう吉沢さんに尋ねられたのは、合宿前にたった三日間だけ用意されたお休みに入る前だった。もうすぐ行われる合宿では、橋本先生や新山先生を再び招いてみっちり練習を行う。今年はサンフェスの頃から既に動き出して予定を確立していたため、随分とスムーズに進んでいた。

 

 お盆休みの三日間、最終日は既に予定が入っている。一日目は墓参りで潰れるだろう。二日目の夜に行われる花火大会だけ、ピンポイントで空いていた。希美を誘ってみようと思っていた矢先、こうして聞かれたのである。

 

 もう予定が入っているというのは簡単だった。けれど、彼女が手を少し震えながら握りしめているのを見て、嘘を吐くのは止めにした。もとより、あんまり嘘を吐きたいわけでもない。まだ希美を誘っていないのだから、予定が入っていないというのが事実だ。

 

「あぁ、うん。空いてるよ」

「じゃあ、あのもしよかったら、一緒に行きませんか?」

「またパートの子と?」

 

 私の問いに、彼女は小さく首を横に振った。

 

「その……二人で」

「いいよ」

 

 断る理由もなく、私はそう頷く。断ってはいけない気がした。彼女の態度がそうさせたのだろう。だから彼女の願いを聞くことにしたのだ。

 

 祭りの日と言うのは、いつでも喧騒に満ちているモノだ。縁日は混みあっているが、動けないほどではない。提灯の灯り、色んなものの焼ける匂い、雑多な声。祭囃子も聞こえる。夏の音、夏の匂い、夏の景色。いつか儚く消え去ってしまいそうな、幻想じみた光景。その中に私たちはいる。ノスタルジーとも言えそうなそんな感情が私の中にあった。

 

「相変わらずスゴイ人ですね」 

「確かに」

「あの、ホントに良かったんですか? 一緒に来てくださって。嬉しいですけど、妹さんとか希美先輩とかと行かなくて。もしくは滝野先輩とか」

 

 吉沢さんは恐る恐るという感じで私を見上げながら言った。身長が決して高いわけでは無い彼女と私が並ぶと、それなりに身長差がある。

 

「丁度妹と滝野は出かけてる。希美はみぞれとかいるから」

「そうなんですね。って、えぇ!? 滝野先輩って、そういう?」

「さぁ。恋愛感情は無いと思う。少なくとも滝野の方からは」

「じゃ、じゃあ、妹さんの片想い? あの滝野先輩に? あんな美人な子が?」

「そう言うことになるのかな。何か言ってるとちょっと腹立ってきた」

 

 滝野が妹をどう思っているのかは分からない。とは言え、彼はどこかで自分がモテないと思っている節がある。別に間違いと言う訳でもないが、真実と言う訳でもないだろう。加えて言えば、自分の妹と同じ年の子は恋愛対象になりにくい傾向にある。私も年下が対象じゃないのはそういう理由かもしれない。

 

「あ、りんご飴ですよ。あのお店食べやすくて良いんですよね」

「あぁ、切ってくれてるところね。アレいいサービスだよね、確かに。リンゴ丸かじりはちょっと厳しいし」

「ですです。二つ分くださーい」

 

 楽しそうに歩きながら、吉沢さんは買い物をしていく。焼きそば、フランクフルト、たこせんべい、綿あめ。そんな楽しいラインナップ。去年に比べて少しだけ財布にも余裕がある。北宇治が全国に行ってくれたおかげだった。仕事も増えたし、祖母も少しだが支援をくれるようになった。その調子で北宇治にも寄付してほしい。まずは100万から。

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移動して、花火の良く見える場所に来た。去年も来たけれど、相変わらずあんまり人がいない。ここでならよく見えると、昔から親に言われていた。その言葉に嘘はなく、実際綺麗に見える。ウチの家は高さが無いので見ることが出来ないのが難点である。そう言う意味では、自宅から見えるという黄前さんのマンションが少し羨ましくもあるのだ。

 

 少し高台になっているこの場所の手すりを掴みながら彼女は顔を乗り出した。遠くには屋台の列が見える。

 

「こんなところあったんですね」

「穴場だからね。混んでるところで見ると疲れるから」

 

 お面を頭に乗せながら、吉沢さんはかき氷のカップを片手に空を眺めている。その瞳にどんな表情を込めているのか。夜の中ではよく見えなかった。間もなく始まるというアナウンスが流れる。

 

 そして、ドーンと言う大きな音と共に、赤い花が空に咲く。赤以外にも何色もの花が大空に咲き誇る。まばゆい閃光が何度も何度も私の目を刺激する。黒いキャンバスに描かれた光の芸術。一瞬のきらめき。いつか消えてしまう、まるで青春のような存在。光っては消える華を眺めていた。

 

「先輩」

 

 彼女は私の浴衣の袖を少し引っ張って声をかける。彼女の方に顔を向けると、彼女は私のことを見つめていた。その頬は少し紅く、時々遠くで光る花火に照らされている。その目の中にあったのは、覚悟。ごくりと唾を呑み込んで、彼女は意を決したように口を開いた。

 

「あの、良いですか」

「うん」

「言わないと、いけないことがあって。あがた祭りの時とか、ずっと言いたかったんですけど、中々言えなくて。聞いて、くれますか」

「もちろん」

 

 彼女の呼吸が少し早くなる。そして数拍の後、その言葉は紡がれた。

 

「私は、先輩のことが好きです。今日は先輩として来てくれましたけど、私の……私の彼氏になって、一緒に帰ってくれませんか」

 

 その表情は酷く切なげで、その言葉は少し早口で。それでもしっかりと私の耳には届いていた。冗談でもない。からかっているわけでもない。彼女は確かに私に好意を告げてくれた。嬉しくないわけがない。自分が誰かから好かれているというのは、嬉しいことだった。

 

 けれど、彼女の想いに応えることは出来ない。いつか塚本君に話した振る痛みの話を思い出す。まさか自分にあの言葉が返って来るなんて、あの時は思いもしなかった。一年生に地盤を。上級生の誘導を。そう言うことばかりを考えていた。もっとしっかりアドバイスしておけば良かったと、今になって後悔する。自分を助ける道しるべになってくれたかもしれないのに。

 

 吉沢さんはどうして私を好きになってくれたのだろう。それはよく分からない。ただ、偽りではない事だけは分かっていた。私はかつて塚本君の行いを誠実だと言った。私も、そうありたいと思っていた。なら、そうしないといけないのだろう。彼女のことが嫌いなわけじゃない。可愛い後輩だし、女子としても魅力的な存在だとは思う。きっと、楽しい生活になるんじゃないだろうかとも思う。

 

 もし彼女が欲しいとか、そういう理由ならこの告白を受けてしまえばいい。そうすればきっとカップルにはなれる。でもそんな関係はいつか破綻してしまいそうで。そして、それはこんなにも真剣に告白してくれた彼女に失礼なのだ。

 

「ごめんなさい」

 

 一瞬だけ時間が止まったような感覚があった。遠くで花火の音が木霊している。目の前の彼女は、私の言葉にどこか諦めていたような顔をした。

 

「理由を、聞いても良いですか」 

「好きな人が、いるので」

「そうですか。まぁ、知ってましたけど……」

「告白してくれたことは、凄く嬉しかった。でも、私は、自分に嘘は吐けないから……」

「何ですか、それ。慰めてるんだか死体蹴りしたいんだかよく分かりませんよ。ホント、先輩はこういうところだけ無神経ですね。いつもは色んなことにすぐ気づいちゃうのに……こういう、ところだけは……」

 

 彼女の顔が少しずつ歪んでいく。その二つの大きい瞳から、ぽたぽたと大粒の雫が零れていった。それを止める術を、私は知らない。普段なら、彼女が泣いていたらすぐに声をかけるだろう。その後どうするべきかも、すぐに答えが出てくるはずだ。けれどこういう時にどうすればいいかなんて、分かるはずもなかった。

 

「ごめん、なさい。泣かないようにって、どんな結果になっても泣かないようにしようって思ってたのに。すみません、本当に……」

 

 彼女は嗚咽を漏らしながら、泣いている。彼女を泣かせているのは、何をどう取り繕っても自分だ。でも同情で告白を了承することが、誠実な事だとは思えない。これは勝手な想像でしかないけれど、彼女が好きになってくれたのは、誠実であろうとする私のはずだ。

 

 花火が咲いては散っていく。その光と音の波の中に私たちはいた。迷いながらも声をかける。

 

「吉沢さん」

「慰めは、いりませんよ。振った女の子を慰めようなんて最低です」

「……ごめんなさい」

「ホントに、ダメダメなんですから。そんなんじゃ、希美先輩にも愛想尽かされちゃいますよ。希美先輩にフラれたり別れを切り出されても、私に戻ってくればいいとか思わないでくださいね。そんな安っぽい女じゃないので、私」

「それはもちろん。そんな失礼なこと、出来ないよ」

 

 流石にそんな事をするのは最低すぎる。言われなくても出来るはずもなかった。

 

「まぁでも話だけなら聞いてあげなくもないですから」

 

 彼女はそう言うと、浴衣の袖で思いっきり自分の涙を拭った。あまりの勢いの良さに、拭いた後が少し紅くなっている。

 

「先輩」

「うん」

「今日は、ありがとうございました。一緒に来れて、嬉しかったです」

「それは……良かった」

「先輩の人生初告白貰いました。希美先輩に勝ったぞぉ~!」

 

 手すりを掴んで彼女は遠くに向かって大きな声で言う。幸い花火の音で周りにはあまり聞こえていないようだった。

 

「花火、まだ途中ですけど私はここで失礼します」

「……うん」

「また合宿でよろしくお願いします。あ、個人レッスン辞めるつもりは無いのでそれもお願いします。いつも通りで接してください!」

「善処する」

「それでは、また合宿で! ちゃんと希美先輩と幸せになってください。……初恋、だったんですよ」

 

 そう私の耳元で囁くと、彼女は頭を下げて走り去ってしまう。その背中が見えなくなるまで見送っていた。どうすればよかったのか。その答えはきっと一生かかっても出ないのだろう。この痛みを私は、一生涯抱えて生きていくはずだ。あんなに泣いてくれるほど私のことを好きでいてくれた、彼女の想いを壊したという痛みを。

 

 手すりに寄りかかりながら、背後に花火の音を聞く。空を見上げても黒いまま。星も月もありはしない。取れない胸の痛みを抱えながら私も歩き出した。このままここにいても、この感情は消えないだろうから。それでも、合宿で会った時には、或いはこれからの練習でも、私は何事もなかったかのように彼女に接しないといけない。それが、あの子の願いなのだから。

 

 言い訳なんかもう出来ないだろう。私は希美が好きだ。吉沢さんの気持ちを受け入れる事が出来なかったのは、彼女が好きだからだ。他の子じゃなくて、彼女が。受け入れてくれるのかは分からない。振られる痛みを味わう羽目になるかもしれない。それでも、適当な言い訳を用意して踏み出さない理由にしているのは、嫌だった。勇気を出してくれた吉沢さんのように、私だって勇気を出さないといけないのだろう。

 

 提灯の灯りの下を歩きながら、自分の頬を張った。この恋に、決着を付ける覚悟を込めて。どんな結末に終わろうとも、このままでいるのだけは、耐えられないのだ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 走る。走る。少女は走る。足の痛みも、崩れる浴衣も気にしないで。どこまで走ったのだろうか。いつの間にか、家の近くまで来ていた。川にかかった橋の上で、荒い息をしながら空を見上げる。

 

 こうなってしまうことはどこかで分かっていた。自分が好きになった人には、大切な人がいて。それは自分が入り込める隙が無いくらいには大きな感情で。でも、少しくらいチャンスがあるんじゃないかと思っていた。それが例え、幻想だったとしても。

 

 相手の人が性格が悪かったら。そうだったらどんなに良かっただろう。けれど相手もいい人だった。だから余計に恨めない。そして、自分と同じかそれ以上に、彼女も彼を愛していた。でもその感情がLikeからLoveに変わったのはきっと自分よりも後のはず。

 

 思い出すのは遠い日の記憶。彼の中ではきっと、何でもない事なのかもしれないけれど、きっと自分は一生忘れたりしないだろう。躓いてしまったら、引っ張ってあげる。同じパートの子に叶わないと絶望して、諦めかけていた自分を救ってくれたあの言葉に、あの優しさに、恋をしたのだから。好きな人の、好きな人になりたかった。

 

「私の方が先に、好きだったのにな」

 

 小さく呟いた声は夜の闇に消えていく。もしかしたらもっと早くに告白していたら。去年のどこかで想いを伝えていたら。そうしたら、もっと違う今があったのかもしれない。好きだった人の隣で、私が笑っていて。そういう未来が、あって。もう涙なんか出しつくしたと思ったのに、それでも零れてくる。それくらいには、好きだった。本気だった。本気で本当の、初恋だった。

 

 でもしょうがない。彼もきっと自分と同じように本気で恋してるんだから。でももし、相手がその愛を当然と思うようになってしまったりした時は。その時は、容赦なく奪い取ってあげよう。でも多分、そんな事にはならない。あの二人には、あの二人以外の入り込めない大きな信頼関係があるのだから。

 

「新しい恋、見つかるかなぁ」

 

 しばらくは見つけられなそうだ。でも、今はそれで良かった。彼が好きだったことは、しばらくの間大事にしておきたいから。LINEの画面を開いてみる。自分の友達は自分が想いを伝えることを応援してくれた。麗奈ちゃんと書かれている画面にフラれちゃった、と一言だけ送ってみる。彼女は何て返すだろうか。既読は案外すぐに付いた。返信は少し間が空いて、そして返って来る。それを見て、彼女らしいと思った。それでも、何より慰めになった。

 

「告白したの、最高にカッコいいと思う」

 

 その言葉には、確かな温かさがあったから。

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