銀騎士珍道中 作:自称・エリート銀騎士
「オオオオオオオッ!!」
〈
「ぬん!」
鞘から抜き放った両手剣を振り被り、力の限りに天使の一体へ叩き込む。シルエットこそ人型だが、どこか無機質で非人間的な
だが──
(硬い!)
それも物理的な硬さではない。まるで押し返されるような抵抗に刃が通らない。岩石程度なら苦もなく一刀両断するガゼフの剣は、天使の腹の半ばまで食い込みそこで止まった。
ただの物理攻撃では通りが悪い。ガゼフは剣を引き抜き、天使が振るう燃え盛る炎の刃を躱しつつ距離を取った。
「武技〈戦気梱封〉」
武技──戦士に属する者たちが扱う特殊技術を発動する。戦士にとっての魔法とでも言うべきこれは、魔法と同様その効果も多岐に渡る。
今ガゼフが発動した〈戦気梱封〉は、武器に戦気を込めることで一時的に魔法武器と同様の効果を付与する武技である。天使に対して通常の物理攻撃は通用しないようだが、これならば。
「はぁッ!」
戦気が宿り淡く輝く剣を振るう。今度は抵抗されることなく、天使の一体を両断することに成功した。
だが、依然こちらの形勢が不利。ガゼフの他に武器に属性を付与できる武技を扱える者はおらず、なのに天使は倒しても倒しても召喚され補充されていく。
「このままではジリ貧か……ならば、狙うは指揮官!」
敵陣の奥で悠然と佇む人物を睨み、ガゼフは猛然と駆け出した。そうはさせじと天使が徒党を組んで迫るが、ガゼフは立ち止まることなく更なる武技を発動させる。
「邪魔だ──武技〈六光連斬〉!!」
戦気が宿り淡く光っていた刃が、その刹那眩い程の光輝を放つ。
虚空を裂いて奔る剣閃──その数、実に六撃。一撃が鋼をも切り裂く威力を宿し、更に〈戦気梱封〉による属性ダメージも加算される。一拍の刹那に六度振るわれる神速の剣閃は、迫り来る天使を過たず刃の嵐に捉え
その様子を見た部下たちは表情を明るくする。これならばいける。自分たちは無理でも、戦士長の剣ならば天使にも届く。
王国最強ここにあり──だが敵は強大であり、残酷なまでに冷静だった。
「見事だ。それ程の武技を使いこなすとは、周辺国家最強の名は伊達ではないか」
敵の指揮官──頬に大きな傷痕が残るその男は、剃刀のように鋭い目を細め無感動にガゼフを称賛した。
その称賛は本心からのものなのだろう。だが言葉とは裏腹に男の態度は余裕に満ちており、自らの勝利を疑っていないように見えた。
「だが無意味だ。──次の天使を召喚せよ。ストロノーフに集中して魔法を叩き込め!」
それは呆れるほど単純であり、だが憎らしいほど有効な戦術だった。
物量を以て王国最強を押し潰す。彼らはそれを可能としていた。何故なら彼らはスレイン法国が誇る六色聖典が一、光の神アーラ・アラフを奉る亜人殲滅のスペシャリスト。隊員は例外なく第三位階の信仰系魔法を習得しており、何より信仰に篤く肉体・精神共に優れる。全体の練度において、陽光聖典はガゼフ率いる戦士団を大きく上回っていた。
次々と召喚される天使。現れる魔法陣はその全てがガゼフただ一人を照準しており、されど敵首魁は未だ彼方。
苦々しげに歯噛みし、ガゼフは眼光鋭く指揮官を睨んだ。
「うーむ、これはよろしくない」
村から少し離れた所にある高台に立ち、ガレアは全く深刻そうには感じられぬ声音で呟いた。
大弓の射程距離内であれば自在に見通すガレアの目は、遥か遠方で行われる戦いの様子を苦もなく視認する。異形の天使、見慣れぬ魔術、そして武技。それら異世界の技術を僅かも見逃すまいと観察していた。
「むー、見えない……」
「こらネム、騎士様のお邪魔になるでしょ!」
ガレアの傍らから幼子と少女の声が上がる。そこには好奇心に惹かれるまま銀騎士の後をつけてきたネム・エモットと、それを見て慌てて後を追ってきたエンリ・エモットの姿があった。
だがエンリの心配とは裏腹に、ガレアにそれを気にした様子は見られない。彼は大らかに笑うと、懸命にガレアの視線を追って彼方の戦場に目を凝らすネムの頭に手を置いた。
「敏い娘よ。吾輩の傍にいることが最も安全であると本能で悟ったのであろう。
如何にも、吾輩はアノールの城塞と称えられたエリート銀騎士。攻め戦においては我が親友レドに一歩譲るが、こと防衛戦を指揮する手腕にかけては騎士長殿からも認められた実績がある。我が守りは鉄壁。ゆえ、安心して我が盾の内にいるがよい」
「は、はい……」
ガレアが自信満々にそう告げると、何が恥ずかしかったのかエンリは仄かに頬を赤らめ俯く。それを尻目に今一度戦場に視線を戻すと、ガレアは
「戦士長殿はよく戦ったが、敵の方が一枚上手だったようだな。……どれ、少し離れるか耳を塞ぐといい。我が弦音は雷鳴の如しだ」
魂の器から溢れたソウルが結実し、槍の如き大矢が実体化する。とても矢とは思えぬ長大なそれを番え、ガレアは眼下の戦場に照準を合わせた。
戦場までの距離は優に二キロはあろうか。だが、王都において“鷹の目”と“竜狩り”に次ぐ弓の名手であったガレアにとってはどうということもない。二人が律義に耳を塞ぎ距離を取ったのを確認すると、ガレアは大弓のアンカーが地を抉るのとほぼ同時に矢を撃ち放った。
大王グウィンは薪の王としてその身を世界に捧げ、しかし甦った始まりの火は時代が下ると共に再び陰りを見せた。
二度の黄昏を迎えた世界はいよいよ滅びの一途を辿り、陰の太陽を除く神々は王なきアノール・ロンドから続々と姿を消した。かつて神の都として伝説に綴られた王都は、仰ぐ神を失い亡霊のようになった銀騎士と命なき石の傀儡が徘徊するだけの廃都と化したのである。
だが、往時の栄光を失おうとやはりそこは伝説の地。輝きのアノール・ロンドは使命のために訪れた不死の英雄たちに神の都の何たるかを証明し続けた。
中でも一等悪名高く、数多の不死に恐れられたのが亡霊と化した銀騎士たちによる防衛網である。神なき終末の世に抜け殻のように成り果て、それでも失われぬ武の冴えは屋根伝いに神の城を侵す不死たちに牙を剥いた。特に手の届かぬ遠方から一方的に押し寄せる竜狩りの矢衾は、悪辣なセンの古城を乗り越えた不死たちをして震え上がらせたという。
陽光聖典を襲ったのは、まさに王都の侵入者たちに蛇蠍の如く忌み嫌われた銀騎士による矢の歓待だった。
「ぐああああっ!!」
「な、何事だ!」
「どこから撃たれている!?」
しかも射手はただの銀騎士ではない。全盛期のアノール・ロンドにおいて四騎士を除けば最優の射手との呼び声も高かったガレアによる狙撃である。矢を撃ってから次の矢を番えるまでのタイムラグが殆どなく、しかも矢を番えた瞬間には既に照準を終えている始末。結果として、ガレア一人で銀騎士十騎分にも匹敵する矢衾が形成されていた。
瀕死のガゼフに止めを刺さんとした天使が突如飛来した大矢に射貫かれたのを皮切りに、天より飛来した矢の雨が次々と陽光聖典を襲う。ついさっきまで殺されかけていたガゼフですら思わず同情してしまいそうな程の阿鼻叫喚が生まれていた。
陽光聖典を率いるニグン・グリッド・ルーインは、混乱する隊員たちを宥めながら下手人たる敵影を探す。矢の狙いは正確だが、幸いにもこの場は開けた平野。視界を遮るものはなく、よく注意して見れば飛来する矢の軌道を目で追うことはできた。
「……み、見えた! 馬鹿な、あんな遠くからだと!?」
矢の雨を躱しながら射手の姿を発見できたのは奇跡に等しかった。ニグンが常人より
しかし、常人と比べれば桁外れのニグンの視力を以てしても、射手の姿は黒い点のようにしか映らなかった。それを射手と断定できたのは他にそれらしき影が存在しないためである。
(エルフの弓兵ですらこれ程の遠方から矢を届かせるなど不可能! 敵は一体何者なのだ……!?)
そして恐ろしいことに、射手はニグンに気付かれたことを理解したらしい。矢を射掛ける手を止め、今度は何やら黄金に輝く槍のようなものを天に向かって投げ放った。
それは真っ直ぐに天を駆け抜け、暁に染まりゆく空の中心で弾ける。警戒しながら身構えていたニグンは、炸裂し枝分かれしながら自分たちの頭上に降り注ぐものの正体を理解して血相を変え叫んだ。
「雷だ! 総員、〈
法衣が土で汚れるのも構わず地面を転がり、命懸けの全力回避を敢行する。陽光聖典の隊員たちもニグンに倣い身を投げ出すが、今度は矢ではなく雷。さしもの精鋭も文字通り雷鳴の速度で降り注ぐ稲妻の雨を全て避け切ることは難しく、矢衾を生き延びた隊員たちの多くが直撃を許し悲鳴を上げながら倒れ伏した。
「クソッ、我が陽光聖典の精鋭たちが……!」
当初は百名近くいた隊員が、今や半分以下の二十人ほどまで減少してしまった。その残った者たちも到底無事とは言い難い。陽光聖典の隊員は一人一人が選りすぐりの精鋭、替えの利かぬ人類守護の要だというのに──!
任務達成は目前だったというのに、これは一体何者の仕業なのか。突如我が身を襲った理不尽に憤慨するニグンはその時、大地を奔る稲妻を見た。
否。それは稲妻ではなく、総身から雷気を迸らせながら疾走する銀騎士であった。馬よりも速く、まるで“竜狩り”オーンスタインを彷彿とさせる雷鳴の如き韋駄天走りで平原を駆け抜け、銀騎士ガレアは陽光聖典の前に立ちはだかった。
「おお、あなたは……!」
「手酷くやられたな戦士長殿。宣言通り吾輩は貴公らに手を貸すつもりはなかったが、このままではカルネ村の防衛に支障が出そうなのでな。こうして押っ取り刀駆け付けたのだが……ふむ、どうやら
「はは、そうですな。
何と白々しい会話だろうか。ニグンは額に青筋を浮かべて憤激しそうになるが、辛うじて激発することなく堪えることに成功する。
(落ち着け……敵の強さは未知数。迂闊に行動するべきではない)
現れた白銀の全身鎧に身を包んだ騎士をニグンは油断なく観察する。
強い。それはまず間違いない。だがその強さはどの程度だ。あのストロノーフが上位者にするような態度と口調で接している以上、その強さは戦士長より上か。ならば英雄級以上は確実。あるいは漆黒聖典の隊士に匹敵するか……まさか隊長には及ぶまいが、いやしかし──
刹那にニグンの脳裏を様々な憶測が駆け巡る。だが銀騎士の視線がこちらに向けられたことで思考の中断を余儀なくされた。
「貴様、何者だ」
「良かろう、まずは我が名乗りを聞くがいい」
駄目で元々の誰何にまさかの即答での了承。鼻白むニグンに向かって一歩踏み出し、堂々と胸を張ったガレアは銀騎士の剣を掲げながら声高らかに名乗りを上げた。
「遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは輝きのアノール・ロンドにありて歴戦を謳われし古き守護戦士。偉大なる太陽の光の王より銀騎士として召し上げられし我が名はガレア! 銀騎士ガレアとは我のことよ!」
ドン!! という擬音でも聞こえてきそうな大迫力の名乗りに、ニグン及び部下の隊員たちは開いた口が塞がらない。ガゼフも初対面で聞いたものより更にバージョンアップした口上に目が点になっていた。
もしやコイツは馬鹿なのか? 敵前で長々とした名乗りをぶち上げたガレアにニグンは異質なものを見るような視線を向けた。
「フッ、吾輩の素晴らしい口上に声もないようだな。しからばそちらも名乗られよ。名乗り合戦といこうではないか」
「……誰が名乗るか、馬鹿らしい。崇高な任務を邪魔立てする不心得者に聞かせる名などありはせん」
「ふむ、そうか」
すげなく断られたガレアは残念そうに掲げた剣を下ろす。その視線はニグンと彼の傍らに浮かぶ天使を交互に巡り──
「残念だ──せめて、これから死にゆく者の名ぐらいは記憶してやろうと思ったのだが」
その言葉の意味を噛み砕く間もなく。直後、ガレアの姿はニグンの目の前にあった。
「
全身鎧に身を包んだ天使がニグンの叫びに呼応し、手にしたメイスを迫る剣に合わせる。巨大な柄頭のメイスが火花を散らして銀騎士の剣とぶつかり、しかし天使は一瞬の抵抗の後呆気なくメイスごと身体を斬り裂かれて消滅した。
「なッ……!?」
「む、意外と硬いな」
なのに、まさか武技すら発動した様子のない剣の一振りで斬り捨てられるなど。しかもあろうことか出た感想が「意外と硬い」である。
「痛みを感じさせる間もなく殺してやろうと思ったのだが。吾輩の踏み込みに反応するとは、中々どうして大したものよ」
「全天使を突撃させろ!!」
天晴れ見事、などと笑いつつ再び剣を振り上げるガレア。ニグンは半ば転げるようにして間合いから離れつつ、口角泡を飛ばしながら隊員に攻撃を命じた。
呆然としていた隊員たちは慌てて
たったそれだけだ。特に大きく力んだ様子も、ガゼフの〈六光連斬〉ように大それた武技を発動した様子もない。にも拘わらず、十を超える天使はその一閃であっさりと斬断され消滅した。
「案山子を幾ら並べたところで児戯にもならん。せめて今の……プリンスパリシティなんちゃらとかいう奴を用意するがいい。ざっと五百ほど揃えばもう少しマシな勝負になるやもしれんぞ」
「……何者なのだ、貴様は……」
「名乗った通りだ。我が名はガレア、古き銀騎士である」
「……意味が分からん。そんな名は聞いたこともない! 貴様はどこの誰で、何の大義があって我らの任務の邪魔立てをするのだ!?」
「大義。貴様らが大義を説くか」
今度はガレアが詰問する番だった。闘争の興奮に熱を帯びていた声色は急速に醒め、硬く鋭い眼差しでニグンを睨んだ。
「帝国の騎士に扮し自らを偽り、戦士長殿を誘き出すためだけに無辜の村人を虐殺して回るが貴様らの崇高な任務とやらか。
太陽の使徒たるガレアが問う。心して答えよ……その行いに大義はありや?」
「大義ならばある! 我らスレイン法国は徹頭徹尾人類存続のために行動している。種族としての地力で劣る我ら人間種は一丸となって亜人共と戦わねばならんのに、王国は安全圏にいるのを良いことに腐敗した!
分かるか。腐った果実は排除せねばならん。他の果実までも腐らせる前に、腐敗の種は除かねばならんのだ!」
ニグンは弁明するように必死に、だが確かな憎悪を滲ませて叫ぶ。その糾弾と憎しみの凝視を受けたガゼフは、ニグンの視線を直視できず俯いた。
そう、リ・エスティーゼ王国は今や腐敗の温床と化している。立地的に人間の国の中で最も安全で肥沃な土地を有している王国は、その豊かさに甘え堕落した。民は肥えた領主に蔑ろにされ、犯罪組織の跳梁を許し、宮廷は王派閥と貴族派閥に分かれ無益な権力闘争に明け暮れている始末。
スレイン法国は期待していたのだ。豊かな土地では豊かな人材が育つ。法国が人類守護の壁となって亜人種から人類を守っている間に、王国で人類の希望となる勇士たちが育まれるのを。
だがその期待はものの見事に裏切られた。王国の裏社会では今や麻薬生産すら行われており、王国だけで蔓延するならまだしも、周囲の国家にまで堕落の毒は波及しようとしている。
もはや我慢ならぬと、法国は王国を切り捨てることを決定した。ニグンが果実に喩えたように、王国の腐敗が周囲に悪影響を及ぼす前に。幸いにも王国と隣接するバハルス帝国の皇帝は優秀な統治者だ。優れた皇帝の下で目覚ましい発展を遂げている最中の帝国に王国を併呑させることによって、かつて王国に期待した役割を帝国に担ってもらおうと法国は考えていた。
「ふむ、吾輩は王国の内情は知らぬが、その言が正しいならば貴公の言い分にも一定の理があると認めよう。だが、何故それが戦士長殿の抹殺に繋がる? 彼はまさにスレイン法国が期待した通りの勇士ではないか」
「認めよう、ストロノーフは人類の希望足り得る勇者だと。……だがストロノーフ一人の価値では贖えん程に王国の腐敗は酷い。故に殺す。ストロノーフという希望があるから王国は醜く生き足掻いているのだ。この男がいなくなれば王国など帝国に抗う術も持たん弱小国家に成り下がる」
「……成る程な。ふん、人の世界とは何ともままならぬものよ。
だがまだ吾輩の問いに全て答えてはおらぬぞ。戦士長殿を抹殺するためだけに村人に行った蛮行、到底看過できることではないが」
「我らとて好んで同族を殺すものか! これは人類全体を思えばこその致し方ない犠牲だ!」
「それよ」
人類の守護者たるを望み、そのように尽力する姿勢は素晴らしいのだろう。
だが、
「法国には法国が信ずる正義があるのだろう。だが掲げる正義の絶対性を盲信するあまり、それ以外に対する傲慢さが透けて見える。だから斯様な軽挙に走るのだ」
「知ったような口を……! 犠牲なき平和があるものか!」
「愚か者、犠牲とは誰に強制されるものでもないわッ!」
突如声を荒らげたガレアの迫力にニグンは怯んだように後退る。
ガレアの脳裏にあるのは大王グウィンの献身だった。自らのソウルを薪とし、火の時代を永らえさせるための燃料とする。その自己犠牲を、ガレアは最も近いところで目の当たりにしたのだ。
犠牲など本来は美談でも何でもない。だが身を捧ぐ者の願いと祈りが、暗く悲しいだけの犠牲に一握りの輝きを宿すのだろう。
犠牲なき平和など存在しない──王の火継ぎを見届けたガレアはそれを否定しない。
だがその犠牲を他者に求めるのならば、もはやそこに正義はない。他者に強制した犠牲で成り立つ平和に、果たして如何程の価値があろうか。ましてや犠牲となるのが何の罪もなく、覚悟もない無辜の民草ともなれば。
「少なくとも、目の前で行われる正義の名を借りた暴虐を見逃す吾輩ではない。さりとて、法国が行ってきた人類への献身まで否定する資格など吾輩には存在しない。
故にこの場は見逃そう。大人しく国へ帰るならば、吾輩はこれ以上何もせん」
「馬鹿な、神官長より任せられた使命を果たさぬまま帰れるものか!」
「よく吠えた。
種族は違えど、ガレアもニグンも共に信仰の道に生きる者である。秘める祈りと覚悟は断固たるものであり、誰かの言葉で容易く揺らぐようなものではない。
ガレアの言葉は確かに正論だが、所詮は神族の、それも異世界からの来訪者というある意味究極の余所者の言葉である。その程度でニグンの信仰を覆すことはできないだろう。
「言葉では分かり合えぬ。ならば後は刃を以て雌雄を決するよりあるまい。……あるのだろう? 切り札が」
「!」
「我が剣技の冴えを目の当たりにしてなお、貴公の瞳にはまだ絶望の色がない。この銀騎士ガレアを前にまだ勝ちの目を残している……」
「…………」
「さあ、遠慮は要らぬ。使うがいい。貴公の信仰を見せてみよ」
「後悔しても知らんぞ……!」
ニグンは懐から一つのマジックアイテムを取り出す。それは掌に収まらぬ程の大きな水晶の塊であり、内に秘めた輝きはどこか神聖さを感じさせた。
そのアイテムが姿を現した途端、陽光聖典の隊員たちはあからさまに表情を明るくする。身構えるガゼフと悠然と佇むガレアを睨み、ニグンは決然と水晶を掲げた。
「最高位天使を召喚する! 総員、我らの神に祈りを捧げよ!」
マジックアイテムの名は「魔封じの水晶」。その効果は超位魔法を除く一~十位までの全位階のあらゆる魔法を封じ込め、任意で発動することができるという破格のもの。
但し魔封じの水晶は込められた魔法をただ発動することしかできないため、ニグンや隊員たちが幾ら祈りを込めたところで魔法の威力が上がったりはしない。
だが、ガレアは己の信仰を見せろと言った。神の道に生きる法国の人間として、その言葉は無視できるものではない。元より祈りとは見返りを求めて行うものにあらず。
この祈りは、神の使徒たる我らの覚悟を示すためだけに。
「見よ! 最高位天使の輝きを!
──そして、それは地上に降臨した。
それは人の世ではあり得ぬ程に濁りのない、全き純白に輝く翼の集合体だった。それに頭はなく、足もなく、王笏を捧げ持つ両の手以外に人らしき部位が見当たらぬ明確な異形。
されど、それが纏う神聖さは正しく神の威光を体現する天使に相応しいものである。まるで周囲一帯の空気を清浄なものへ作り変えてしまうかのような、圧倒的で絶対的な聖にして正の渦動。これぞ紛れもない最高位天使の威容。
第七位階魔法〈
ニグンの表情は神の威光を目の当たりにした感動で溶け崩れ、隊員たちもまた御伽噺でしか耳にしたことのない法国の祈りの結晶に滂沱の涙を流す。これぞ二百年前に大陸中を荒らし回った魔神の一体を完膚なきまでに滅ぼした天使。スレイン法国が誇る最高位天使である。
ガゼフはその姿を見た瞬間に力なく膝をついた。それまで決して膝をつくことのなかった不屈の男が、神の奇跡の顕現に遂に膝を折ったのだ。
勝てるわけがない。否、あれに挑むということが既に間違っている。あれぞ究極の善。ならば、それと対峙する己は大罪人に違いない──
然もあろう、第七位階など人が到達し得る限界を超えている。逸脱者の一人として名高い帝国の老魔術師でさえ第六位階が限界だというのに、それ以上などもはや伝説を通り越した神の領域である。絶望に闘志が潰えたガゼフを誰が責められよう。
だが──
「ほう! この気配、小さいがこれは紛れもなく神に類する者のみが有する上位者のソウル! 流石は人類の守護者を謳うだけはあるな!」
銀騎士だけは変わらず、依然不敵な態度のまま悠々と最高位天使を眺めていた。
むしろ嬉しそうに笑い、ニグンら法国を褒め称える余裕すら見せるガレアに、ニグンとガゼフはギョッと目を剥いた。
「貴様、何故最高位天使を前にそれ程の余裕を保てる……!?」
「慣れているから、としか言いようがないな。何故ならアノール・ロンドは神々が座す光の都。銀騎士たる吾輩にとって、上位者の特別なソウルは身近にあったゆえ」
「は……? 神々の、都……?」
何でもないことのように告げられたガレアの言葉の内容に、ニグンは束の間己の正気を疑った。
(今この男は何と言った? 神々が座す都だと? 神の気配が身近にあったと言ったのか?)
白痴の戯言と片付けるのは容易いが、目の前の銀騎士に嘘を吐いている気配は見られない。それに先ほど見せた尋常ならざる戦闘力に、最高位天使を前になおも余裕を貫く超然とした佇まい。ハッタリの一言では片付けられない何かがある。
(まさかこの男……いや、このお方は──)
「さあ行くぞ! 竜狩りの雷、見せてやろう!」
叫び、ガレアは勢いよく駆け出した。その声でニグンはハッと我に返る。
そうだ、事ここに至ればもはや戦いは避けられない。互いの主張は交わらず、どちらも退く気がないとあれば後は刃を以て自らの信仰の優れたるを証明するより他あるまい。
「〈
召喚者としてニグンは
それは信仰系の第七位階魔法。天より来たり、悪なるものを滅する光の柱。夕日の赤に染まる雲間を貫き、裁きの光が銀騎士の頭上に降り注いだ。
だが、そんな分かりやすい動作の攻撃を態々喰らってやるガレアではない。天から一直線に大地を貫く光柱を更なる加速で掻い潜り、銀騎士の剣を大きく振り被った。
「太陽の光の王の加護ぞあれ! これぞ古竜のウロコをも(少し)斬り裂いた神鳴りの刃である!」
白銀の刃が光り輝き、やおら雷の力を帯びる。
これぞ太陽の光の長子が振るい、配下の騎士たちに伝えられた奇跡「太陽の光の剣」。武器に太陽の光の力……即ち雷を宿す戦神の御業である。
銀騎士が扱うそれは神の雷光には到底及ばないが、朽ちぬ石のウロコに傷を付ける程度の威力はあった。特に火の時代の黎明より王に仕えてきたガレアに宿る太陽の加護は一際強力である。飛竜のウロコ程度ならば容易く斬り裂く雷の剣は、
「なッ……最高位天使の身体に傷が!?」
絶対の聖性を纏う天使の翼がもがれた事実に動揺するニグン。主天使は銀騎士の剣から逃れるように後退するが、ガレアは更に懐深くに踏み込み刃を振り翳す。
機動力においては騎士の方が上だ。それを悟ったニグンは慌てて魔法を発動しガレアに狙いを定めた。
「各員、天使を援護せよ! ──〈
「〈
「〈
「〈
ニグンに倣い、隊員たちも次々と魔法を発動しガレアに差し向ける。見たことも聞いたこともない異世界の魔法を警戒したガレアは直撃を嫌い、自慢の脚力を駆使してその尽くを回避した。
しかし、それこそがニグンの狙い。元より第七位階に属する最高位天使に傷を負わせるような相手に、自分たちの魔法がまともに通用するなどとは考えていない。だが少しでも注意を逸らし天使が体勢を立て直す時間を稼ぐことができれば──
「今だ! もう一度〈
再び主天使の身体から光輝が放たれ、至高の一撃が繰り出される。
しかも今度はただの〈
ここにニグンの
「む……」
避ける──否、先程のものとは規模が異なる。より威力と効果範囲を増したこれを完全に回避するのは不可能。
中途半端に回避するぐらいならば、万全の態勢で防御するべし。古竜との戦いで幾度も灼熱の
そして、
彼方より大地を貫き、なおも増大していく光の奔流。かつて
──それはもう、神をおいて他にはないだろう。五体満足でその場に立つ銀騎士の姿を、ニグンは愕然と眺めることしかできなかった。
「今のは痛かったぞ。古竜の息吹には及ばずとも、飛竜のそれに匹敵する威力はあった。さしもの吾輩も、今の光をあと三度浴びれば危ういかもしれん」
白銀に煌めく鎧は表面から煙が上がっているものの、融解し形を崩している様子はない。つまりガレアにとってはその程度の熱量でしかなかったということなのだろう。魔神ですら耐えられなかった裁きの光も、古き銀騎士を仕留めるには至らなかった。
「では、次はこちらの番だ」
大技を発動した反動で硬直する主天使を容赦なく雷の剣が襲う。天を舞う純白の翼が次々と斬断され、竜狩りの雷光が聖なる身体を焼き焦がす。弦楽器のようにも聞こえる悲鳴が上がり、遂に天使は地に墜ちた。
大地に臥せった天使の巨体を、ソウルの器より取り出した銀騎士の槍で地に縫い付ける。そして剣を収めたガレアの右手に、眩い程の雷光が溢れ出した。
「刮目せよ、これぞ神々より伝わりし竜狩りの奇跡! 翼をもがれ地に墜ちた竜への手向けたる神の慈悲である!」
火の時代の始まりの伝説、神々による竜狩りの物語。かつて大王グウィン率いる光の軍勢は雷の槍を投げ放ち、天翔ける竜を墜としたという。
しかし竜と同じ地平に立ったのならば、雷を投げてはならぬ。不朽のウロコを貫かんと欲するのならば、その手で直接突き立てるべし──それこそが竜狩りの奇跡の一つ、「雷の杭」である。
かつて太陽の長子が竜狩りの剣槍と共に振るったという奇跡が開帳される。裁きの光柱に勝るとも劣らない圧倒的な光と熱が雷鳴と共に爆発し、太陽の如き灼熱が地上に顕現した。
戦士たちの衝突によって踏み荒らされた地面が捲れ上がる。舞い上がる砂塵は吹き荒れる奇跡の奔流に吹き飛ばされ、見守るニグンとガゼフの肌を叩いた。
「────……一つ、質問をお許し頂きたい」
「許そう」
「あなたは、神なのですか?」
絞り出したようにか細く、許しを請うように弱々しいニグンの声が響く。一瞬の沈黙の後、眩い銀の鎧を纏う騎士は朗々たる声でその問いに答えた。
「否、この身は神に非ず。我は神の僕にして、偉大なる薪の王の忠臣。
銀騎士ガレア。太陽の光の使徒である──」
天使の墜落と共に夜の闇に包まれた平原に、その声は不思議とよく響いた。