死神幻想奇譚 作:16
そこにはちゃぶ台と煎餅がある。
彼女は誰かを待っていたようで、その『誰か』が彼女に近付いたのと同時に、誰かに向き直る。
『彼の名は.....ラグナ=ザ=ブラッドエッジ』
「...........ラグナ=ザ=ブラッドエッジ、ですか?」
「ええ。彼が来てしまった」
マヨヒガの奥のさらに奥、狐の式と賢者が館の中の草葉の上で、神妙な顔つきで見合っていた。賢者の口から出た名を反芻する狐の式。それに続くように『来てしまった』と。
「ですが、幻想郷は全てを受け入れる。その筈です」
「ええ。全てを受け入れるのは事実よ。...........ただ、受け入れたそれがここにとって良いものとは限らない。それは決して愚かではない貴女ならわかる筈よ」
受け入れたものは例えどのようなものであれ、受け入れられる。それは概念でさえ例外ではない。賢者が危惧しているのはその『ラグナ』とやらが入ってきた際に同時に入ってきた概念だろう。
概念とは厄介な代物である。それが、まるで当たり前であったかのように機能し、それまでの当たり前は、新たな概念の前に死ぬのである。
「......悪い方向に傾くと。では、彼をどうするのです?」
「いえ───彼には独自に動いてもらうわ」
「なぜです?下手を打てば幻想郷の概念は乱れる。そうなってしまえば『忘れられた楽園』は壊れてしまう」
それに......と、続けようとした妖狐を、賢者は止めた。そして何故『彼』が独自に動かねばならないのかを説明した。
「彼が元の世界ではどのような存在であったか。それを推し量る事は難しい。例え私の力でも、ね」
彼女の力でも、そう聞いた妖狐は黙ってしまった。彼女の従者である妖狐は、彼女のその能力が如何に凄まじい物かよくわかっているからだ。そんな彼女の力でもどうしようもないなら、その従者である妖狐にだってどうにも出来ない。
「それに、彼が握っている気がするのよ」
「...........何を、ですか?」
「『何もかも』よ。彼の存在はこの幻想郷にとって『キー』であり、また同時に『錠』でもある」
「鍵にして錠?......訳がわかりません...........」
「まだ知る時ではないわ。彼の選択次第で未来は変わる」
そう言うと賢者は扇を開き、自身を扇ぐ。
そのまま口元を隠し、しかしその目つきは笑っていた。
「......ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。どうするのかしらね?」
一言呟いた後、賢者は隙間を作り、そこに入っていった。その隙間は閉じてしまい、そこには深緑が見えるのみであった。これに続いて妖狐も身を翻し、高く跳躍し、次の仕事を終わらせに行った。後には月夜に輝く緑の草葉が、風に揺られているだけだった。