死神幻想奇譚 作:16
「紫様」
「ああ、来たのね藍」
月夜を眺める麗しい淑女の後ろで、狐の尾、それも一本や二本ではない、所謂伝説に伝わる妖『九尾』の姿を見せる紫の式神は静かに、一言だけ口を開いてから待機していた。
「ラグナ=ザ=ブラッドエッジは天魔の封じた武疾須佐之男命を、天狗達と協力して再度不完全ながら封印に至ったようです...........改めて我らが封印し直した方がよろしいかと」
「いいえ藍。前も言ったけれど、ラグナは鍵なの。現代では複雑な形の鍵が用いられているけれど、それは少しでも形を間違えれば決して錠とは合わなくなってしまうわ。貴女が今提案した事は、それに等しい行為なの。私たちは彼に干渉するべきではないのよ」
「ですが!再度須佐之男の封印が解かれれば、それは間違いなくこの幻想郷にとっての驚異になる!いえ、下手をすれば紫様!貴女様の身の危険すらあるのです!」
それに───と、続けようとした藍の口を、閉じた扇子の先を押し当てて黙らせる。その瞳は憂いを帯びた美しさを備えており、彼女の式である藍でさえときめいてしまいそうになる程のものである。
「あのね、藍。よく聞いて頂戴?」
「......はい。なんなりと」
「幻想郷は、『何者からも忘れられた全てを受け入れる』事はよく知っているわよね?残念だけれど、ラグナは私が境界を開いて連れてきたという訳では無いのよ。つまり、彼は同じく幻想郷のルールに縛られているの。ルール、覚えているかしら?」
「一、人は妖と均衡を保ち、接さぬ。二、妖は里には入らず、理性的で、人を食わぬ。三、これらを破るべからず................彼は、人なのですよね?」
「さあ?ラグナは確かに人間。でも、その身には人ならざる力と精神力を携えて、実際に人ではありえない事を幾度も行なっているようね」
「よう......って、覗いたのですか?あの者の意識の中を?」
そう聞くと、パシッと扇子を開き口元を覆って、クックッと紫は喉を鳴らして笑った。もう一つの手で物をつまむ様な仕草を見せてから「少しだけね」と笑ってみせた。
「まあ、少し程度であらば関わりを持たないのとほぼ変わらないでしょうね。でも、ご注意ください、紫様。下手な接触は御自身で言われたとおり、幻想郷のルールの二つを破ってしまう事にもなりかねません」
「わかっているわ。私達で定めたルールですものね」
そう言って、うふふと口元を隠して笑う紫。藍は、長く従者として彼女に仕えてきたが、笑う意図だけは絶対に掴めなかった。今回も例外は無かった。
「では、これで。引き続き、彼の監視を行います」
「行ってらっしゃーい」
藍は術を唱えた後、一瞬で元いた場所に転身したのだろう。紫が見ていない時に、パッと消えてしまった。八雲紫は、そんな事を気にも留めずに一人呟いた。
「人は、一回だけでも妖とかかわり合いになってしまえば、人と妖という、まみえるはずのない両者の『
そう言うと、紫の頭上に隙間が出現する。その中の空間には無数の目がこちらを睨むような様相を見せ、不気味にも見える。その中に微笑みながら入り込んでいく紫。彼女が消え、隙間もぴったり閉じると、後のマヨヒガには誰も残らなかった。