「……んぁ?なんだぁ今の」
「どうしたんですか?」
「いやね、今なんか呼ばれた気がするんですわ。しかし、なんだかなァ……」
「気がする?」
「いえね、呼ばれてるはずなんですがね。なんつーのかな。こう、遠いっつーか。壁越しに話しかけられてるっつーか……」
「何かの間違いということは?」
「いやぁ間違いありませんぜ。ハシバミの枝で12回、確かに呼ばれてるんですが……参ったな、とんと場所が分からねぇ」
「今までにもそういうことは?」
「いやぁ!こんなことは生まれて初めてでさぁ!しっかしどうしたもんかなァ。場所が分かんねぇんじゃにっちもさっちもいかねぇ」
「うーん……。私にはわかりませんが、エリアスなら何か知ってるかも」
「おぉ、確かに。旦那さまなら何かわかるかもしれねぇ。俺は次の配達がてらさっきのも調べてみまさァ。それじゃあまた!」
「……そう、だよな。来るはずが、ないよな」
「父さま、わたしがいるからな。だからお願いだ、そんな顔をしないでくれ……」
「ああ、大丈夫だよ。そうさ、最初から、やる前から分かっていたことじゃあないか……」
「……父さま」
.
.
「さぁラウラ。教えたとおりにやってみて」
「う、うむ! 目を瞑って、この結晶に念じればいいんだな?」
机の上には簡易な陣が敷かれ、その上に一つの水晶が置かれている。
僕が座っている向こう側ではラウラが肩を強張らせ、緊張した面持ちで対峙している。
今僕がラウラに教えているのは魔力の手繰り方、その初歩の初歩。
作中で羽鳥さんが、アンジェリカ殿に手渡された石で行った練習だ。
「うん、その通り。ちゃんと覚えているようだね」
「頑張るぞ父様。だからちゃんとできたらいっぱい褒めてくれると嬉しい」
「だから父……もうそれでいいよ……」
「自分が何を考えているかが分からないんだ。どんな形になってしまうのかと思うと……うう、少し怖いぞ」
「大丈夫、そのために僕がいるんだからね。心配はいらないよ」
さて、どのような形を取るのか。
羽鳥さんはその魔力の量、スレイ・ベガの特性から水妖ヴォジャノーイを惹きつけてしまい、床一面を水晶の花で埋め尽くしてしまった。
ラウラはどうだろうか。
「僕が同じことをした時は桜の花弁を散らせたんだ。両親は言ったこともない国の花を浮かべたことに疑問を持って、そこから前世がバレてしまったんだよねぇ」
「私には聞かれて困るような過去しかないが……。考えても仕方ないか、やるぞ」
力まない力まない、と落ち着かせて石を握ってもらう。
どんなものであれ、彼女の在り方が変わるわけではないのだ。
「……」
目を瞑り、集中させる。
自分では理解できない精神の深層へ
深く、深く、自分の精神の中に深く潜らせる。
「──────」
すると周囲に穏やかに魔力が集まる。
蒼く、白く、ぼんやりと。その体を包む。
やがて石が形を作り始める。
時を進めるゼンマイ
結び繋ぐアンクル
Ⅻを示す円盤
時を示す針
針を動かす無数の歯車
ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけてそれらが出来上がる。
一つ一つがじわりじわりと形を成す。
石からは蔓の様に魔力の糸が伸び、折り重なって部品となる。
やがてそれは形作る。
「……時計、かな?」
魔力の塊でできた時計は、その秒針が動くことはない。
それは時計の形をしたただの石でしかないのだから当然だ。
作り終えたところでラウラが目を開き、少し疲労が見える顔色で掌のそれをじっと見つめている。
「……なるほど、確かに。これは私らしい」
コトン、と時計を机に置き、少し物憂げな顔で机の上を眺めている。
「かつて、私を担当した研究者達はことあるごとに時計を見ていた」
「何時に何が起きた。何分に物が壊れた」
「何秒に、何番が動かなくなった」
「私もずっと時計を見ていた。7時だから起きる、19時になれば実験が終わる、22時になれば眠れる。それが終わったら……」
「……何秒後に私は死ぬのか、と」
「軍が施設に突入した時間は今でも覚えてる、10時39分47秒。忘れようもない。この時計が指している時間だ」
「軍に入ってからは勿論、時間厳守だったからな。時計はずっと見ていた」
「だから、時計を見ていると無性に落ち着かなくなる。気づけばあと何秒生きられるかを考えてしまう」
「秒針が進むのが怖くて眠れなくなった。二度と起きることなく、暗闇に囚われるのが怖かった」
「この時計は私自身だ。私の時間はここで進むことなく止まっている」
「……ラウラ。君は───」
「───けれど、今は違う」
カチ、と歯車が噛み合う。
「こうして魔法を学んでいるときはな、私は生きているんだという気分になる」
キリ、と音を立てネジが巻かれる
「明日はどんなことを教えてくれるんだろうとワクワクする」
全ての歯車が噛み合い、廻る。
「いつか父様と行く世界には、どんな未知が溢れているのだろうと胸が躍る」
カチリ、と時間が動き出す。
「朝の目覚めを、夜の帳を愛せるようになった」
「父様に会えたあの日から、私の時間は動き出したんだ」
「ありがとう、父様。あなたのお陰で私は」
かち、かち、かち、と秒針が進む。
時が、進む。
「ようやく人として、生きられる」
花開くような笑顔が僕を照らす。
……あまりに眩しくて、眼が潰れてしまいそうだ。
「父様はこれよりずっと綺麗に作れるのだろう? いつか、いつか見せてほしい! 私はもっともっといろんなことを知りたい!」
「……ああ、勿論。君が見たいなら、いつでも」
「約束だぞ! 私はもっともっと魔法のことを知りたいっ! いつか父様と同じくらい凄い魔法使いになりたい!」
束の気持ちが少し、わかった気がする。
こんなにも愛しいなら成程、溺愛もする。
まったく、年は取りたくない。こんなにも感傷に浸るなんて。
「うん、魔力量や調節に問題ないことは分かった。本格的に勉強を始めよう。覚えることは多いよ。薬草の効能、地域ごとに効果のある薬草、細かな魔力の調節の仕方。覚えることは山積みだ。一朝一夕でどうにかなるものではないから慌てずに、ね」
「うむ、父様。いつか父様の故郷に行ったとき恥ずかしくないように頑張るぞ!」
「まぁ、確かに僕もそうして欲しいとは思ってるけど。でもそれだけじゃないということも忘れずに。こちらに残る選択肢もあるんだからね」
「ここにしか私の故郷はない。父様のいるところが私のいるところだ」
「自分で自分の可能性を狭めてはいけないよ。……と言っても、それ以外の選択肢を取り上げたのは僕だから、あまり強く言えないんだけど」
この世界で教えられることは少ない。慣れている僕はともかく、ラウラが家以外で魔法を使うのは難しいだろう。出来て調合や失せ物探しといったところ。本領発揮には程遠いだろう。
「さぁ、さっそく始めるよ。日が長くなってきたとはいえ、時間は有限だからね」
「その前に父様、約束しただろう」
席を立ち、ムフー! と言わんばかりに両手を広げて僕を待つ。その姿のなんと可愛らしいことか。
「さぁ、褒めてくれ!」
かわいい。もう僕がこの子の父親ってことでいいんじゃないだろうか。
だってこんなにも可愛い生き物いやいや待て待て。僕は先生だ、親ではない。
「……(ワクワク)」
しかし、彼女の笑顔を曇らせるのか? あんなにもよしを待つ子犬のようなラウラを?
……ええいままよ。褒めるときは全力で褒めるのが教育だろう!
「……よく、頑張ったね。初めての魔法でここまでできるなんて凄いよ。僕が作った桜よりずっと精巧で複雑、しかも時計を動かすなんて簡単にできることじゃないよ。ラウラは凄いね!」
ラウラの頭を抱えるようにハグしつつ、褒める。こんな感じでいいのかな。
すると僕の背中に手を回し、ぎゅっと抱き着いてくる。
それこそが使命、それこそが生きる意味と言わんばかりに。
「……むふふ、父様がいっぱい褒めてくれて私は嬉しいぞ。これからも頑張るぞ」
温かい。子供の、とりわけ家族の体温は無柳すら無いものにしてしまうらしい。
「……父様。あったかいな」
「そうだね。あったかいよ、ラウラ」
出来ることならずっとこうしていたい。この温さは僕の心を溶かす。葛藤も、哀愁も、後悔も一緒くたにして。
「さぁ、続きをするよ。日が長くなってきたとはいえ時間は有限。調合は前に手伝ってもらったから、次は実際に魔力を込める訓練をするよ」
「ああ、分かった! 任せてくれ、父様!」
父様と呼ばれるのには慣れない、というか慣れてはいけないんだけど。
それでもこの生活がずっと続けばいいなと思える。
それくらいに今の僕は満たされている。
いやしかし、片や実質70歳、外見20歳未満のお爺さん。
片や外見10そこら、実年齢……は詳しく知らないが3、4歳くらいの少女。
それが親子と呼び合っている。
事案だ。これは間違いなく事案。
アンジェリカ殿、ごめん。僕にはエリアス殿を悪し様には言えません。
コンプレックス的なそれではないんだよ。幼子のような弟子なんだよ。
本当なんだ、信じてほしい。
待ってくれ、それは花崗岩をあしらったグローブじゃないか。やめてくれ、そんなことしちゃいけない!
「? どうしたんだ父様。虚空を眺めているように見えるぞ」
「はっ! ……ごめん、少し考え事をしていたよ。今から準備をしてくるね」
いけない、ぼーっとしてないで薬の準備をしないと。さぁ、忙しくなるぞ。ラウラが一人前の魔法使いになれるようにサポートしてあげないと。
時刻は夜。夕食も二人で済ませ、風呂も済ませたし後は日課の読書を済ませて寝るだけ。
ベッドのヘッドボード(背もたれみたいな壁)にクッションを挟んで寄りかかり本を読む。
この家はこちら世界に来てから作ったものだから当然蔵書もこちら側の物。
魔法的な本は自分で纏めているものを除いて存在しない。
今読んでいるのはこちら側の世界史を綴った物。
一先ず数十年前までの歴史に大きな差はないことを確認し、いつごろから世界が科学技術に傾倒していったのかを調べている。
民謡の本も集めてはいたが、酷く集まりが悪かった。
如何にこの世界では文化や伝統は軽んじられているのがよくわかる。
悲しい限りだ。
しばし読み進めているとドアの外、廊下から音が聞こえてくる。
ひた……ひた……
その足音はゆっくり、ゆっくりと僕の部屋に向かって進み───
ひた……ひた……
───やがて僕の部屋の前で止まった。
「うぅ来てしまった。しかし、今からでも戻るか。でも……」
僕の部屋とは別にラウラの部屋は用意してある。
元々何かに使うかと思って空き部屋を作っておいてよかった。
使われなければ素材置きか実験場だったし、これ幸いと思って寝室に改装した部屋。
しかしお気に召さなかったらしい。
ドアの前でウロウロしているようだ。
やれ、声をかけてあげないと廊下で寝てしまいそうだね。
「ラウラ」
「ヒャッ! ……と、父様」
「入っておいで。夏前とはいえ、夜の廊下は冷えてしまう」
ドアがギィ、と音を立て開かれる。
そこからドアに身を隠しながらラウラがこちらの様子を伺っている。
パジャマ姿で枕を抱え、よく見ると半泣きなのが分かる。
「……父様が、あまり私に触れたがらないのは知っている。勿論、汚いからとかそういうことじゃない。多分、やったらダメなことなんだろう」
「でも、その。もし父様さえよければ、あぁ無理にとは言わない! だから、あの……」
……これは、気を使ったつもりが悪いことをしたらしい。
適切な距離をと思うあまり、距離を取りすぎてしまったらしい。
この子はまだ10にもなっていないのに。
子供が遠慮なんてする必要はないんだけど、仕方ない。
「……ねぇ、ラウラ」
「っ! な、なんだ……?」
「今日は、とても寒いね。まるで冬のようだ」
「そ、そうだろうか……? そこまで寒くは……」
「いいや、とっても寒いよ。しかし暖炉をつけようにもこの部屋にはない。もしあったとしても、使えば窒息してしまうだろう」
「……う、うむ。あまり考えたくないな」
「だろう? ……ああ困ったな、今から湯たんぽを作ろうにも、薪から火を起こすのも年老いた僕にはとても手間だ。どこかに温かいものはないかな……」
「ッ! 父様! 私は暖かいぞっ! 一緒に寝よう! な!」
途端に顔を明るくして笑顔になるラウラ。うん、ちゃんと言いたいことに気づけたようで何より。ラウラは僕なんかよりもとっても頭がいい。
「あぁ、そこまで言われては仕方ないな。そろそろ寝ようとも思っていた頃合いだ」
ランプを消して手招きする。
「おいで、ラウラ」
「うん!」
するとラウラはすかさず布団の中に潜り込んで丸くなる。
こうしてみると本当に子犬のようだ。
温かい所を求めて丸くなる当たりなんかそっくり。
「……父様、ありがとう」
「さて、僕は寒かったから仕方なくそうしたんだ。君が礼を言うことではないさ」
「……うん、そうだな」
「それに、どうにも寒くて震えが止まらない。これからしばらくこんな時期が続くと思うと、年寄りには困ってしまうよ。参ったなぁ、薪だってタダじゃないんだ。使いすぎるのもよくないよねぇ……」
「ふふっ、それなら私がしばらくの間、寒がりな父様のカイロになってあげるぞ!」
うんうん、それがいい! と胸を張るラウラのなんと頼もしいことか。お言葉に甘えて、しばらくは湯たんぽ代わりにさせてもらおう。
「それは名案だね。それならきっと、寒くなくなるよ」
「そうだろうそうだろう。私はなんて賢いんだろう!」
「フフッ……」
「アハハ……」
どこか芝居がかったお互いの口調に、どちらともなく笑ってしまう。
「さぁ、明日も早いからね。寝なさい」
ゆったりとしたペースで背中を、ポン、ポンと叩いてやる。
子供の時分、これを親にやられると、とてつもない眠りに誘われる。
布団の中が温かいのは勿論、誰かが傍にいるという安心感がそうさせるのかもしれない。
ラウラが目を細めて気持ちよさそうにしている。眠るのも時間の問題だろう。
「ふわぁ……ん、父様」
「どうしたんだい、ラウラ」
ラウラは口元をへにゃり、と曲げて幸せそうに呟く。
「……一人で寝るのは、寂しかった。ありがとう、父様」
そう告げるとスゥ……スゥ……と寝息を零し始める。眠ったようだ。
「……こちらこそ、ありがとうラウラ。君のお陰で僕は、寂しくないよ」
この子の寝顔を見ていると、寂しさと虚しさで埋められた胸の内が、熱い何かで満たされるような気がする。
それは例えるなら秋の木漏れ日の様な、いや。長い冬が明けて春になり、命が芽吹くように、僕の心の根に水をやる。
今の僕はこの子に生かされている。ここまで僕の心が傾くとは僕自身思わなかった。
「おやすみ。良い夢を」
僕も目を瞑り、深い眠りへと自分を誘う。きっと今日は、いい夢が見れる。そんな確信があった。
「実は木を見れば分かる」
「子は親に似る」