日本に来たからには折角だしと関東にやってきたわけだが、これが中々どこに行けばいいか分からない。
ようやく神奈川に来てそろそろ東京へ、といったところだけどどうにもしっくりこない。
せっかく日本に来たからには好きなものを、好きなだけ食べたい。
いやイギリスでの食事が悪いわけじゃない。嘘じゃない。
ただ、時折無性に日本の料理が食べたくなるんだ。
「このままでは日が暮れてしまう……」
もうじき日暮れだ。
宿自体は別に旅行シーズンという訳でもないし探せば素泊まりくらいできるだろうと踏んでいる。
だが食事はこれから混雑してしまう。
落ち着け。僕はゆっくりと美味しいご飯が食べたいだけなんだ。
どうしたものか。いっそ繁華街に向かって歩いた方が───?
「───ッ」
なんだろう。凄く、嫌な予感がする。
匂いがする。強い感情の匂いが
焦燥 恐怖 警戒 怒気 嘲り……
ッ、こうしてはいられない。急いでこのにおいの元へ───
ジリリリリリリッ!!
「ウワッ!!」
ビックリして周囲に目を配ると、そこには一本の公衆電話がある。どうやら呼び出し音はそこからなっているようだ。この時代に存在するとは……
確か、公衆電話はすべてに番号が当てられていて、そこに電話をかけることが出来るという噂を聞いたことがある。ひょっとしてそれだろうか。
いや、そんなことをして何になる。誰かを意図的に呼び出して受話器を取らせるなんて芸当、余程その手の芸当に慣れていなければ出来はしない。犯罪然り、電子技術しかり……
それが出来る知り合いなんて───
「……一人、いる」
僕は躊躇わず受話器を取った。
『何も聞かずそこから南東に直線距離で600m先の女の子を助けてッ! お願いッ!』
「分かったよ」
『えっ───』
忍べ松の葉 緋色の煙
風よ進め この身を飛ばせ
救いを求める掌に
おまえの風を差し伸ばせ
瞬間、僕は
「ハァッ、ハァッ……っ!」
───逃げなきゃ! 追いつかれちゃう! こ、殺されちゃう!
「見つけた! こっちだ! ガキがいるぞ!」
……見つかった! に、逃げなきゃ!
「……ッ! うぁっ!」
いっ、痛い! 痛いっ! 足がっ!
「ガキがこけた! 今のうちに回り込め!」
動いて、動いてよ! なんで足が動かないのっ!
「ったく手間取らせてくれたわね。このガキ連れてけばいいんでしょ?」
いや、いや! 近づかないでっ!
「ああ、それだけでいい。それだけで俺達は一生遊んで暮らせる」
怖いよ、怖いよぉ……! やだよぉ……!
「篠ノ之束の妹だっけ? それがこんなどんくさいガキだって言うんだからお笑い種よねぇ?」
助けて、助けて、助けて、たすけて……!
「なんでもいい。さっさとずらかるぞ。住宅街に近づきすぎた。すぐにここを離れる」
「ねえさん……助けて……!」
「───よくも、やってくれたな。」
天使の様な、白い人だった。
儚げな蒼を含んだ黒い瞳は沈み掛けの太陽に照らされて
───まるで悪魔のような瞳をしていた。
「よくも、よくもやってくれたな。僕の目の前で、子供を傷つけたな」
眼が、熱い。
「だったらなんだ。正義の味方気取りか? ……今なら見なかったことにしてやる。消えろ」
頭が、熱い
「はぁ!? 目撃者は消した方がいいに決まってるでしょ!?」
身体が 手が 足が 魂が
「どうせ何もできん。それに、こいつ一人に使う弾が勿体ない。立場に甘えて計算もできんお前には分からんだろうがな」
僕を形作る全てが、怒りに震えている。
「……チッ、これだから男は……。どうせ周りを探してるやつらに見つかって死ぬでしょ。さっさと───」
恐怖はあの子、嘲りと怒気、殺意はあの女からか
「……何を勘違いしているんだ」
彼らは、いや───
「はぁ? 勘違いって? 一人でノコノコと出てきた勘違い野郎はあなたでしょ? なに、命乞い?」
「もういい。口を閉ざしてくれ。後は勝手に聞くから」
あれらの手と足がどうなろうとも構わない
「誰に向かって口を───」
後で口が動けばそれでいい
忍べ松の葉 緋色の煙
乱せ荒天 逆巻け嵐
萌芽を荒らす罪人の肢を
その太刀風で刻んで潰せ
「───ッガァ!!」
「ぎゃあああ!!」
身体と首以外なら、どこを刻んでも構いはしないだろう。
「チィッ、一体何が起きた……!? クソッ、手が……!」
「い、痛い痛い痛い痛い! あ、足が! 手が! 痛いいいい!!」
「うるさいよ。言っただろう、口を閉じてくれと。縛れ。」
鋼蔦のロープに魔力を通し、これらを縛る。女の方は猿轡をする。男の方は……比較的静かだ。ロープも多くないし勿体ないから使わない。
「グッ、お前が何をしたのかは正直、全く分からん。分からんが、すぐにここに他の仲間が来る。どうする気だ」
「ご忠告ありがとう。でも期待するだけ無駄だよ」
カツン、と杖で地面を叩き、呪文を放つ。
響け 響け 惑いの歌声
誘え 誘え 手のなる方へ
途端に周辺の空間が一瞬歪む。歪んで、戻る。
「ここには誰も来れない。この空間は既に
「……クソッ、こんな荒唐無稽があり得るのか。魔法使いとでもいうのか」
「僕は魔法使いだ。……まぁ、覚えなくていいよ」
幾分冷静になった頭で考える。僕のやるべきことは何か。
先ほど空を駆けていた時に見た様子では、およそ10人この周辺をうろついていた。
皆武器を持ち、連携を取って行動している様子だった。
僕の姿を視認できたものはいないだろうけど、流石に纏めて相手はできない。
となれば僕がすべきなのは時間稼ぎだ。束から頼まれたこの子を、明け方まで守るのを最優先するべきだ。
そうと決まれば、まずは話を聞かなくては。僕はくるりと振り向き彼女を見る。
「ひっ……!」
……しまった。怒りのあまりこの子がさっきまでの光景を見ていることを忘れていた。
これは非常にまずい。
「ご、ごめんね。その、僕もやり過ぎたと───」
「ひっ、こ、来ないで……!」
……出鼻と、心を挫かれた。泣きそうだ。
「……分かった。これ以上は近づかないよ。君の名前を教えてくれるかな?」
「い、嫌です。知らない人に名前を教えちゃダメだって母さんと父さんが……」
……教育が行き届いているようで何よりだね。とてもつらい。
「……いい、心がけだ。名前は聞かないよ。僕は友人に頼まれて、君を助けに来た。束という人を知ってるかな?」
「ね、姉さんが……?」
「クソッ、筒抜けだったってことじゃないか……」
「……姉? ああなるほど。確かに面影はあるね」
髪色は違うけど、その辺りは複雑なんだろう。あまり深く聞くべきではないかな。
……なるほど。そうか。彼らは。
「僕の知己、その家族に手を出そうとしたのか」
尚更ただで帰す気が無くなった。むしろ、ここで
……冷静になれ、それは干渉しすぎだ。
「待て、待ってくれ。少なくとも俺はその子を害する気はない。クライアントには無傷を依頼されている。破ろうとしたのはあいつだけだ」
「だったらなんだい? 許してくれと? 僕を優しいと思っているなら考えを改めた方がいい。この子が見てさえいなければ、君は今頃穴だらけだということを忘れるなよ」
訂正。僕は極力殺しはするべきではない。それは遵守しよう。
だが、幼子を傷つけて悦に浸るような生き物に容赦する気は微塵もありはしない。
「少なくとも子供の前ではしないだけ良識があると見える。取引をしないか」
「断る。それを判断するのは僕じゃない」
外の気配を感じ取る為に集中する。
……外から感じる気配は一つ。とてつもない怒りの匂いを感じる。
束が到着したのだろう。
周辺から人の気配がその一つを除いてなくなっている。
今ならここを出ても問題ないだろう。
───ああでも、その前に。
───そこの呻いてる方を処分しないと。
「おい、何をする気だ」
「黙っていてくれ。……お嬢さん。目を瞑って、耳をふさいでおくんだ」
僕が普段使う魔法は曇らせ、惑わせるもの。間違っても壊すものではない。
だが今の僕は、苦手な魔法だからと容赦する気はない。
妹さんがあちらを向いたのを確認してから、地面に転がっている女に近づき、その頭に杖を突きつける。
───そして、崩す。
「───ッ!! ギ、ガァ……!」
一瞬苦悶の表情を浮かべ、そのまま白目を剥いて崩れ落ちる。
エインズワース殿の魔法の猿真似だけど、雑な分威力が高いな。
今後の使用はよほどのことがない限り控えよう。
「……死んだのか?」
「いや、ただ記憶や自我を崩しただけだよ。リハビリすればいつかは治るよ。いつかはね」
「……なんなんだお前は。訳が分からなすぎるぞ」
「分からなくていいよ。教える気もない」
「もう、訳が分からん。もう、好きに、してくれ……」
痛みと混乱に耐えられなくなったのか、そう言うと壁に寄りかかり、ガクンと気を失う。
死なれても困るし軽く手当だけしておこう。
少しやり過ぎたかもしれない。
「さて、そろそろここを出よう。どうやら君のお姉さんが来たようだ」
「ひっ、は、はい……!」
「……子供に怖がられるのは、堪えるなぁ……」
「……うん、周囲に人の気配はない。束も少し離れているがすぐこちらに向かってくるだろう。もう大丈夫だよ」
「ありがとう、ヒック、ございます」
「怖かったろう、大丈夫だよ。もう君を怖がらせる人はいない。いても必ず守ると約束する」
「うぅ、グジュッ、こわがったよぉ……」
「大丈夫、後は束が近くに───」
───瞬間、僕の背後が凍る
何か、途方もないほどの何かが近づいている
それはまるで大嵐のような、大荒れのブリザードのような激しさを
人の形に無理やり収めたような
人の気配がしなかったのは、あまりにこの気配が研ぎ澄まされたものだからか───!
「───おい、貴様」
僕の背後から響く声は、あらゆる感情を乗せて僕を貫く。
焦燥 厭悪 憤怒 殺意 嫌忌───
想像しうる限りの悪感情を僕に向けている。
「今すぐその子から離れろ。そして速やかに首を差し出せ。でないと───」
「お前を可能な限り惨たらしく殺すことになる」
───僕が何をしたって言うんだ……!
「ッ、僕は───」
「ああ、もう口を開かなくていい。お前のことは───」
───斬ってから考える
ダンッ、という音が聞こえたか否か。
それが加速の音だと気づいた瞬間
───僕の体は、胴と脚の二つに分かれた