大相撲九月場所【十三日目】〇刃皇晃─金鎧山隼人● 作:へるしぃーぼでぃ
十三日の結び、今場所十一勝一敗の東の正横綱・刃皇晃は、目の前の相手に久しぶりの高揚感を抱いていた。
向かいで塩を撒いているのは東の大関、金鎧山関。ベテラン勢でも数少ない己に土をつけたことのある力士なのだが、そんな彼の雰囲気が前場所とはかなり変化しているのだ。
(ようやく肝が据わったか。金関)
フッと笑う刃皇。長く大関の地位に座る彼とは幾度となく取組を行ってきた。だがいつしか彼との戦いは『真剣』ではなく、まるで木刀で叩き合うような生温い感覚を味わっていた。
きっかけは彼に子どもが出来てからだろうか。本人は無意識だろうが、一度負け越したら進退極まる『横綱』という地位を恐れ、『大関』という安定の地位に身を委ねてしまったのだ。
無論、安定を求めるのは悪いことではないし、大関の地位を守ることも並大抵ではない。それに見合う実力があるのは誰もが認めるところだろう。
ただ関取の最高峰『横綱』である刃皇にとって、それはあまりにも退屈であった。安定という泥濘に浸かった相手との勝負ほどつまらないものは無い。
だから今見える大関の変化に、刃皇は内心歓喜していた。長い泥濘から抜け出し、再び横綱を目指そうとする彼の眼差しは火傷しそうな程に熱い。
その目に炎が灯ったのは、幕内最小の平幕──鬼丸国綱との取組を経てからだ。
(鬼関には感謝せねばな)
小兵の力士に想いを馳せる。彼は二日目の自分との取組で心折れた様子だったが、見事に持ち直し今や連勝の山を築いている。
その山の一部となった金関だが、そんな彼との取組で『愛』の何たるかを再確認出来たようだった。
(鬼関を焚き付けたのは私……。つまり彼に影響された金関も、私のお陰という事だな!)
やはり自分には指導の才があるんだなぁ、と妄想を膨らませる刃皇に、対する金鎧山は心静かに燃えていた。
(刃皇、貴方にはまず謝罪をせねばならない)
東の大関・金鎧山隼人。今場所六勝六敗の彼は、ここ数年の取組を思い出しては自戒していた。
(ここ数年、私は不甲斐なかった事でしょう。『家族の為に』と体のいい言い訳をして、私は貴方から……勝負から逃げてしまっていた。それは貴方を始め、家族にも相撲にも失礼なものだった)
トン、と金鎧山の手が土俵に置かれる。横綱を迎え撃つという姿勢が如実に表され、観客たちが期待の声を上げた。
「金鎧山ー!横綱を止めてくれー!」
「金関ー!」
長いこと大関に君臨する金鎧山。その人柄は穏やかで誠実、加えて家族愛に溢れるという彼のファンは多い。あとは目の前の横綱を超えることが出来れば、同大関・童子関、草薙関と並ぶ時期横綱と名高いのが金鎧山隼人だ。
そんな待ち構える金鎧山を見て、刃皇の眉がピクリと動いた。
(ほう、生意気に……)
コチラを見据える金鎧山の鋭い眼差し。横綱を前に先に構える胆力。かつての三横綱に割って入ってきた時と同等、いやそれ以上の気迫が肌を伝ってきた。
刃皇がゆっくりと手をつく。
(私に見せてくれよ、矜恃を!!)
刃皇の動きを見ていた行司が次の瞬間、鋭い声を上げた。
「はっきよい!!」
瞬間、ブチ当たる両者。小細工無しの激突。
もろ差しの型を作ろうとする金鎧山に、刃皇は素早く巻き返して防ぐ。
廻しを取られまいと差した腕を戻し距離を空け、細かい突っ張りを仕掛ける金鎧山。
負けじと張り返す刃皇。
──の腕をハタき、前のめった顔面を肩でかち上げる。
よろめく刃皇。すかさず前進する金鎧山にギロリ、と重瞳が動いた。
攻め気で甘くなった金関の右脇に腕が差され、一瞬遅れて金鎧山が右上手を掴むが、腕を返され外される。
そしてそのまま寄る刃皇。が、その一歩目の着地点を金鎧山の足が払う。
「むっ」
「っあぁあ!!」
強引な足払いで両者バランスが崩れる。が、互いに廻しを引いて堪えた。
土俵中央、大関と横綱のがっぷり四つに歓声が上がる。
『恐ろしく速い攻防!魅せます大関!真向かいます横綱!!』
『今場所積極的な相撲が目立つ金鎧山、横綱相手でも一歩も引けを取りません。これは期待が高まりますね』
解説からも金鎧山を褒める言葉が出てくる。それだけ今の彼に気迫が漲っているのだ。
(そうだ、それでいい)
土俵で胸を合わせる刃皇も、金鎧山のその気迫に心地良さを感じていた。
真剣勝負でしか味わえないこの緊張感。強者との対峙。これこそ刃皇の求めていたものだ。
(どれ、久しぶりに金関の心の内を聞いてみるか)
直に触れ合う肌や呼吸、目線など、ありとあらゆる肉体の機微から刃皇は巧みに相手の心情を読み取る事が出来る。
しかもその器量は相手にも伝播し、刃皇と闘ったものは皆、口を揃えてこう例える。まるで『裁判』だったと──……
カンカン!と木槌の甲高い音が聞こえた気がした。
金鎧山は落ち着いた様子で法壇を見上げると、そこには品定めするような刃皇がコチラを見下ろしていた。
「さて、金関よ。単刀直入に言おう。君は今、なんの為に相撲を取っているんだい?」
「……久しぶりだな、コレは」
金鎧山は刃皇の質問をそっちのけで、一人笑みを浮かべた。刃皇が眉を顰める。
「お前があまりにも不甲斐ないから見定める気にもならんかったのだ、金鎧山」
「ええ、分かっていますとも。それについては謝罪しますよ、刃皇」
ペコリと頭を下げる金鎧山。しかし次に頭を上げた彼の目は、真っ直ぐに刃皇を射抜いた。
「『家族の為に』。この言葉の本当の意味を理解した私が、誠意を持って貴方と相対しましょう」
「ッ!?」
ぐぐ、と刃皇の体が引き寄せられる。裁判中だったとはいえ、そこで生まれた僅かな隙を突かれた形だ。
『体勢が良くなったのは金鎧山!得意のもろ差しではないとはいえ、これは大きなアドバンテージです!』
「ッナメるなァ!」
しかし即座に対応する刃皇。四十四度の優勝を誇る勝負勘を持ってして金鎧山の形を崩す。
(貴方こそっ、私をナメてもらっては困る!!)
動いた刃皇に合わせ、型を作らせないよう、かつ自身が攻めやすいように刹那の判断で動く金鎧山。
互いが技の出始め、動き出しを封じる。傍目からでは変わらず四つの状態が続いているようにしか見えないが、その膠着の裏では数多の攻防が繰り広げられていた。
『両者、土俵中央で動きません!いや動けないのか!?』
『恐らく、刃皇が攻めあぐねているのでしょう。今の金鎧山は相当手強いですよ』
解説の言う通り、刃皇の勝負勘を持ってしても決定打を与えられずにいた。
刃皇の手を尽く潰し、勝負の行方を制しているのは金鎧山。
差し手に拘らない判断の速さ。相手の相撲に付き合わない冷静さ。心・技・体を最高レベルで供え、それに愛を乗せた相撲が大関・金鎧山の刷新された相撲。
「ッ金関ィ……!!」
そんな思い通りに動けない刃皇が、その雰囲気に怒気を孕ませてきた。ミシミシと血管が浮き出る。
──【憤懣の相】
(出てきたな、刃皇の数多ある顔のひとつが!)
刃皇には幾つもの顔がある。気分屋と言えばムラがあるように聞こえるが、いざ相撲となるとその多彩さは脅威となる。
顕現した粗暴な刃皇が、泰然な金鎧山に猛威を振るう。
「うるぁあ゛あ!!」
「ッッ゛!!」
突如荒れる刃皇に、歯を食いしばり耐える金鎧山。
右に振られ、体が開いたところに張り手を見舞われる。
外掛けの後に力任せな捻り。
突っ張りの如く強烈な喉輪。
刃皇のあまりの暴虐ぶりに振り回され後手に回る金鎧山だが、しかし──……
『き、決まらない!暴れる刃皇を前にしても、金鎧山土俵の上で見事な粘りを見せます!!』
ドワアア、と客席が沸く。
膠着から一転、激しい動きを見せる展開に国技館中が熱が帯びる。
「今更本気出すだァ?遅せぇんだよ!俺の興味はもう国宝連中に向いてんだよ!!」
刃皇の荒々しい攻めからそんな言葉が感じ取れるようだ。それでも金鎧山は受け止め抗い、こう返した。
「……私も、貴方の事なんか知ったことではない」
「ああ゛!?」
怒りのままに繰り出した張りを受け流された時、垣間見えた金鎧山の目。その奥に、遥か故郷モンゴルの大草原が広がる大地を刃皇は確かに見た。
「もう迷わない。私は……、横綱になるんだ!!!」
強烈な突っ張りが刃皇を逆襲する。その威力は刃皇の上半身が吹き飛ぶほどで、その顔は何が起きたのか分からないように呆けていた。
──『大関』とは。
大相撲の格付け『番付』において『横綱』に次ぐ地位。関脇・小結に在位し、化物の蔓延る幕内にて連勝しなければ辿り着けぬ境地。
上にあるのはただひとつ、横綱のみ。
頂に迫りし者、それが『大関』という位──。
『大関、横綱を土俵際にまで追い詰めたー!』
渾身の突っ張りからの息付く暇もない押しと、怒涛の攻めを見せる金鎧山。
あと少しで土俵を割る横綱に観客のボルテージが一気に上がる。今場所の横綱に土をつけることは、この場にいる全ての者の悲願なのだ。
──……唯一人を除いて。
「俺の愛をッッ」
いつの間に引いていたのか、金鎧山の廻しを掴んだ刃皇が叫ぶ。
「越えられると思うなァ!!」
ぶわり、と音が聞こえるようだった。
櫓投げ──『蒼天』
突如として浮かぶ金鎧山の体。場内から絶望の声が上がるが、金鎧山が吼える。
「お゛ぉう!!」
櫓投げの出鼻、持ち上がる足を踏み締めて耐える。だが着地の瞬間に張りを見舞われ、今度は大関が仰け反った。
「しつけ〜んだよ大関如きがァ!!」
退いた金鎧山へ即座に追撃する刃皇。金鎧山は不利になると後退する悪癖がある。それを見越しての追撃だったが、その前にのめった刃皇の首に素首落としが落とされた。
「がっ!?ッ金関ィ〜!!」
ダン!と踏ん張る刃皇、すかさずその脇に金鎧山の両腕が差し込まれる。
『劣勢から一転、金鎧山の二本差しだー!』
過去、この形で刃皇に土につけた事を知る観客が昂る。ここから相手の反撃を許さず、一気に土俵の外へと押し出すのだ。
「おぉおお!!」
(刃皇、貴方ほど賜杯の重さを知る者は居ないでしょう)
これまで幾度となく刃皇の優勝を見てきた。その圧倒的な強さに打ちのめされ力士は数知れず、自身も戦績は黒星で塗れている。
だがそんなものは関係ない。優勝した時より、前場所より、昨日よりも今の自分の方が強い。
家族の為に。愛を力に。
今場所のこの取組だけは、史上最強の横綱から『金星』を──……
「【調子に乗るなよ】〖大したものだな、金関〗」
【憤懣】が金関の首裏を、〖静謐〗は素早く巻き替えからの下手を引く。そして俵に足が掛かった瞬間、体を入れ替えるようにして投げが放たれた。
首投げと下手投げの合わせ技──『
──「まったく、ヒヤヒヤしたよ。えらい強くなってるじゃないか金関」
法廷で刃皇が独り言る。
気付きを得た金鎧山の家族を想う相撲。その愛は自身に迫るほど凄まじいものだった。
これなら土俵を去っても大相撲は安泰……、と勝利を確信した刃皇が気を弛めた、その時。
「これからでしょう、大相撲が面白くなるのは……!」
巻き返された金鎧山の腕、それが上手を掴み上げる。さらに差した腕に万力の如く力が込められ、投げる刃皇の体勢が崩れた。
死に体の金鎧山の、最後の足掻きだ。
「お゛ぉおっ!!!」
「〜〜゛このッ潔く散れぃ!!」
咄嗟の反応。ガッ!と内掛けが掛けられ、二人の身体が大きく崩れた。
土俵から転がるように落ちる。
舞う蛇の目の砂。
場内が異様なほどの静けさに包まれる中、皆の視線は一人土俵に残された行司へと向く。
金鎧山が顔だけ向けた時、バッ、と軍配団扇が掲げられた。
「東の勝ち!」
途端、歓声、喝采、落胆と様々な声色が上がる。その雑多な声に、魅入っていた解説が思い出したように口を開いた。
『ッ、いやー大接戦でしたね!一体いくつの技が飛び交ったことでしょうか!特に最後の混戦は怒涛の展開でした!決まり手はなんでしょうか』
『恐らく刃皇の河津掛けでしょう。投げの時点で勝負は決まっていましたが、金鎧山の執念に当てられて咄嗟に内掛けをしていました。あの刃皇が相当焦ったことが窺えます』
刃皇の合わせ技に合わせて前進した金鎧山。その勢いは確実に刃皇を呑んでいたのだ。
現に立ち上がる刃皇の顔は歪んでいる。
「……ッ」
ムスッとしかめっ面の刃皇が金鎧山に一瞥もなく土俵に戻る。強い金関と戦えたことは良かったが、ここまでの接戦になった事に憤慨しているようだ。
その後を、俯く金鎧山がゆっくりと続いた。
(……結局、格好悪いところを見せてしまったな)
鬼丸関との取組で改めた『横綱になる』という想い。家族の為に錦上に花を添えようと決意した今場所だったが、結果は伴わなかった。
これでは家族に顔向け出来ないな、と沈む金鎧山だが、そんな彼にその声は届いた。
「お父さーん!」
ハッとなって顔を上げる。観客席の向こうで手を振っているのは息子だ。それを皮切りに、周りからも明るい声が上がる。
「金鎧山ー!」
「いい相撲だったぞー!」
負けはしたが、その熱い相撲は人々の心を大きく動かした。それを証拠に、国技館が万雷の拍手に包まれる。
その歓声を受けて涙ぐむ金鎧山。
手刀を切っていた刃皇がひとり、フンと鼻を鳴らした。
「なんだい。随分な“顔”じゃないか、金関」
──『横綱』とは。
大相撲の格付け『番付』における最高位。その地位に相応しい品格と抜群の力量を求められる存在。
その頂きに迫らんとする今の大関の姿は、敗北を経てもなお熱く燃え盛り、そして気高い。