この小説はフィクションですが、一部実話を含みます。実話どころか作者の実体験もたくさん含まれてます。町田という街を知る上での参考にしてください。
なお、ここで登場する町田とは、町田駅周辺のことです。駅前から少し離れると穏やかで過ごしやすい自治体のはずです。住んだことないから知らんけど。
2020/11/03 町田の描写を修正。
1
サークル長を務める学部3年生の
友人は「もっと静かな場所でやればいいのに」と常々言ってくるが、少し騒々しいくらいがかえって高尾の想像力を掻き立てた。
……だが、今日はいつも以上にうるさい奴が隣にいる。
「せんぱーい、遊びに行きましょうよ〜!!こんなところでカタカタやってるからサークル内でも根暗って言われるんですよ〜!!」
「うるさい。集中してるんだ。少し静かにしてくれ。それに僕のことを根暗って言うのはお前だけだ。」
「ぶー。」
高尾は自分にまとわりついてくる女を押しのけて、パソコンに向かい直した。女は不満そうに唇を尖らせていたが、高尾にとってはそんなことはどうでもいい。
ボリュームのあるゆるい袖のブラウスに、膝上数センチまでを覆う黒いスカート。薄い茶色で染められた髪の毛は肩より少し下まで伸びていて、メイクもナチュラル。清楚な女に見えるが、こういう奴が一番の地雷だと、高尾は独断と偏見で決めつけていた。
森野がどうして文芸サークルに入部したのかは分からない。高尾の1学年後輩の彼女は、体験入部もなしに唐突に入ってきた。
いつも高尾にダル絡みをしてくる彼女だが、文才は高尾にも負けていない。特に恋愛モノを書かせれば彼女の右に出るものはいないほどだった。それがかえって彼女を退部させる口実を潰しているのだから、高尾にとっては都合が悪い。
こうしている間も、森野は口を開けば「出かけましょうよ〜」と壊れかけのレディオのように繰り返している。甘い声は陽キャとは程遠い高尾にとっては呪詛のようで、脳が腐るんじゃないかと思うくらいだ。
不意に森野がくりくりしたおめめをこちらに向ける。艶やかな唇から、「ところで……」と質問がぬるりと飛び出した。
「先輩ってどこ住みでしたっけ?」
「八王子だけど……」
「八王子駅の近くですか?」
「あぁ。だから大学までは電車で一本だ。お前は確か……」
「町田です!!」
高尾に住んでいる場所を聞かれたのが嬉しいのか、まるで犬が尻尾を振るかのように森野は答えた。彼女がなぜそんなに喜んでいるのか、高尾には理解ができない。JR町田駅の北口改札を出たところでくるくる回り続けているなんだかよく分からないオブジェクト並に謎だった。
二人の大学はJR中央線の国立駅から徒歩数分のところにある。高尾は八王子から電車一本で来られるが、森野はJR町田駅からJR横浜線を使い一度八王子に出て、それから中央線に乗り換えているはずだ。難儀なことだな……と、高尾は
そんな高尾の気持ちを知ってか知らでか、森野は指をピンと立てて得意げに胸を張った。
「じゃあ先輩、週末は町田に来ましょう!」
「は?なんで町田なんかに……」
「いいじゃないですか!!八王子なんて山梨みたいなところに閉じこもってたら、先輩、都民の自覚薄れちゃいますよ〜」
森野はウキウキした様子で「ね、いいでしょ?」と上目遣いでこちらを見てくる。誘惑しているつもりだろうか。しかし、今の高尾にはそんな言葉は耳に入ってこなかった。
震える指でメガネを外す。大きく息を吸うと、普段の根暗な目つきからは想像できない程の眼光の鋭さで森野を睨んだ。
「黙れ神奈川県町田市民!!八王子は断じて山梨では無いッ……!!」
「ヒッ……」
森野が怯えて息を呑む。怒りに震えた誇り高き八王子市民の血が、高尾の中でぐつぐつと煮えくり返っていた。
2
「そもそも八王子は山梨県に面してなどいない。」
「そ、そうなんですか……?」
「あぁ。だから『八王子は山梨』などと言われる筋合いは一切無い。八王子こそ真に東京都を名乗るに相応しい土地なのだ」
「それは言いすぎなんじゃ……」
「なにか言ったか?」
「いえ、何も!!」
ギロリと高尾に睨まれた森野が縮こまる。だが町田市民だって『神奈川県』扱いされたままでは黙っていられない。普段と様子の違う先輩に戸惑いながらも、森野は必死に神奈川県町田市理論に立ち向かった。
「で、でも見てくださいこの写真を!!」
「これは……?」
「町田駅前です!どうですか?立派でしょ??」
森野が見せた写真はJR町田駅の写真だ。中央北口から伸びている歩道橋から撮られた写真だろう。駅の入り口の両脇にはル○ネとマ○イという、前者に関しては駅ビルの代名詞と言っても過言では無い商業施設が威風堂々とそびえ立っている。2つ合わせれば長さはゆうに150メートルを越すだろう。ルミ○に関しては10F、○ルイも6Fまでと、フロア数も申し分ない。
実は町田の駅周辺の商業施設はかなり充実している。前述の2つだけでなく、モ○ィや小○急百貨店、さらには東○ツインズという○急グループの百貨店も存在感たっぷりにJRと小田急両者の駅からほぼゼロ距離のところに構えている。さらに歩けば商店街もあり、全方面に抜かりがない。弱点のないパーフェクトシティ──それが東京都町田市だと、森野は確信していた。
「どうです先輩!これでもまだ町田を小馬鹿にできますか──って、なに気持ち悪い笑い方してるんですか!?」
森野が自信たっぷりに町田の写真を見せていると、高尾がクツクツと笑いを堪えているのが見えた。
「じゃあ森野、この写真はどう説明するんだい……?この──薄っぺらい○ルイと○ミネの写真を!!」
「い、いやぁ……!!」
高尾が見せた写真──それは先程森野が見せた写真をほぼ横から写したものだった。そこには幅およそ20メートル程の、高さに対しては異常なほどに薄い建物があった。
この駅ビル、全長も高さもどこの店舗にも負けないほど大型だが、それを補って有り余るほどに
「いやー、薄っぺらいなぁ。まるで町田という街を表してるみたいだ。」
「そ、そんなことないもん……!」
「そうか?こんなハリボテみたいな建物を自慢して……まるで見栄っ張りの象徴じゃないか!!フハハハハ!!」
「で、でも町田には先輩の大好きなオタクショップがたくさんあるじゃないですか!!」
森野の言う通り、町田はオタクに優しい町田──じゃなくて、町だ。原町田商店街という駅から遠くないところにア○メイトとら○んばん、その隣の建物にはと○のあな*1があり、そこから数十メートル離れた所にゲー○ーズもある。
これらのすぐ側には、4階建てのビルをまるごと占有している大型のブ○クオフもあり、この商店街だけで間違いなく数時間は潰せる。さらに駅を挟んで反対側にはプラモデルなどが充実したヨ○バシカメラもあり、オタクが買い物をする環境としては文句のつけようが無いのは確かだった。
だが高尾はそれを一蹴して
「別にそれ……町田じゃなくてよくない?なんなら
「うっ……確かに……!」
そう、確かに町田はオタクに優しい。だが、それは「絶対に町田で買い物をしなければならない」という決め手にはなり得ないのだ。
「それに町田は映画館が無いよね。町田でできることは他の町でもできるけど、町田じゃ全ては補えない。」
高尾が森野に追い打ちをかける。森野はぐうの音も出ない。高尾の言う通りそこそこの買い物ができるだけの町田に行くくらいなら、アウトレットがある南大沢や、映画館がある新百合ヶ丘、多摩地区最大の都心である立川に行くのは確かに理に適っていた。
「とはいえ、これだけではただの町田disになってしまうな。」
「そ、そうですよ!!東京にだってもっと何も無いところはありますもん!!」
「そうだな。だから地理の面から町田を
「……え?」
ぽかんとする森野を差し置いて、高尾は地図アプリを開いた。森野が見た彼のメガネの奥の瞳は、獲物で遊ぶ獣のようにギラついていた。
3
「さて、これを見てくれ。東京から異常なくらい不自然に飛び出し、神奈川県に完璧にはめ込まれているパズルのピースのような自治体があるな?これが町田市だ。」
「やめてよぅ!!」
高尾の鋭い町田disが森野の心に突き刺さる。確かに、町田が不自然に東京から飛び出していることは否めない。ただ、それを言ってしまえば石川県だって飛び出しているではないか。
石川県を見て、「こんなに飛び出してるやつ日本じゃねえよ。日本海の一部だろ」と思う輩がいるだろうか。否、いるはずが無い。それと同様に、町田市もれっきとした東京都なのだ。
「町田は……東京です!!」
「あぁ、そうだな」
「ふえ?」
高尾にあっさり認められ、森野は拍子抜けする。やはり正義は勝つのだ。町田は東京。きゅーいーでぃー、証明完了。
だが、そんな安心しきった森野を見ながら、高尾は内心ほくそ笑んでいた。
「ところでこんな記事があるんだが……」
「なんですか〜??まさか町田が東京という決定的な証拠でも見つかっちゃいました〜??」
ニコニコ笑顔で高尾のスマホを覗き込む。だが、森野はすぐに顔を青くさせることになった。
高尾のスマホの画面には神奈川県相模原市のホームページが映し出されている。*2
そこには、「境界線変更」の文字が大きく載っていた。森野が震える指先でその文字を指差す。
「こ、これはまさか……!」
「あぁ。ここに書いてある通り──
「嫌あああああ!!!」
森野は耳をふさいでしゃがみ込む。だが、これは割と──いや、マジでネタでは無い。「町田は神奈川」が揶揄でもなんでもない、事実として行政のホームページに載っているのだ。流石にこれには町田民だけでなく、多くの多摩地区民が度肝を抜かれた。
しかし町田市が相模原市に組み込まれるのにはネタではなくきちんとした理由がある。町田駅の近くに
その昔、この川はしょっちゅう氾濫したらしい。それを行政が改修して、市民が暮らしやすい土地を築き上げてきた。ただ、その過程で河川の蛇行していた経路を直線状にしたことが土地の問題を生じさせることになる。
かつて、町田市と相模原市の境界線は蛇行していた境川に沿って定められていた。それを直線上にした結果、市の境界線だけが残り、「川向こうの飛び地」が多数発生したのだ。その境界線を変更して飛び地を無くそう、というのが「町田がマジで神奈川になる」の真相である。
「飛び地をなくして不便を解消するのが目的とはいえ……流石に本当に町田が神奈川になるなんて……」
机に突っ伏しながら、森野が涙を流す。それほどまでに町田市民にとっては事件だったのだろう。いや、森野が少し大袈裟なだけかもしれないが。
どちらにせよ、高尚な八王子市民である高尾には関係のないことだ。どさくさに紛れてこちらにすり寄ろうとする森野を手で押しのけながら、「これで分かっただろ」と言う。
「町田は神奈川だ。駅前を見てみろ?バスにはなんて文字が書いてある?」
「……神奈川中央交通です。お世話になってます」
「フン、弁解のしようも無いな。町田なんて治安の悪い街、行くだけ無駄だ。分かったら離れてくれ。正直暑い。」
「治安が……悪い?」
既に高尾にボロ雑巾にされかけていた森野だったが、その一言が琴線に触れたらしい。がばりと起き上がると、高尾にずいっと顔を近づけた。
「町田は治安が悪いなんて迷信です!!撤回してください……!!」
「ほう……」
町田が神奈川と言われることは10000歩譲って許せる。だが、治安が悪いというのは謂れのない誤解だと森野は信じていた。
町田プライドが目を覚ます。いや、元々プライドだけはギンギンに目覚めていた気がするのだが。しかしそんなことはどうでもいい。
町田の看板を守るため、森野は最後の力を振り絞って、暴虐な八王子市民に立ち向かった。
4
「見てください、これを!!」
そう言って森野が高尾に付き出したのは、警視庁のホームページだった。そこには町田市の刑法犯の推移が示されている。
「確かに昔の町田は治安が悪かったかもしれません。繁華街の側面も強かったですしね。でも!!町田の刑法犯の数は年々減少してます。なんと5年で500件以上も減少してるんですよ!!
*3」
「あ、本当だ。」
「でしょう?それに2018年では東京で起きた刑法犯のうち、町田で発生したのはたったの2.3%しかないんです!!」
森野が鼻息荒く町田の安全性について語っている間、高尾はデータに目を通す。町田の悪評を聞いていると世紀末かの如く治安が悪いイメージがあったのだが、これは流石にイメージが先行しすぎていたのかもしれない。
「町田駅周辺だって日中は小さい子連れの家族だって歩いてます!それに少し郊外に出れば自然が多い住宅街!治安なんて気にしたことがありませんよ!!むしろ町田はユートピア……いえ、ユートピアの正体こそが東京都町田市だったのです!!」
「ちょっと何言ってるかわからない……」
「じゃあ分からせてあげます!!さしあたって町田に永住しましょう!!私と一緒に!!」
森野は興奮しきった様子で高尾に詰め寄る。目がハートになっているのは、いよいよ異常なまでの町田愛が形になって現れたのだろう。早めに病院に行ったほうがいいと思う。
数字で治安の良さを証明し、町田の良さをアピールできたと勘違いしている森野。完全に勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを下から覗き込んでいる。
「どうですか〜先輩、町田に来る気にはなりましたか〜?」
「あぁ。」
「本当!?じゃあ週末は10時によく分からないオブジェの前で待ち合わせ──」
「町田は治安が悪いからパス。」
「えっ……」
森野の手からスマホがゴトリと落ちる。一拍の間があった後で、彼女は高尾の肩をがくがく揺らしながら涙目で訴えてきた。
「ど、どうして!?今一緒にデータを見ましたよね!?町田の治安は間違いなく良くなって……」
「いいか森野、治安の良さは犯罪の数じゃない。」
「どういう……ことですか?」
高尾は再びメガネを押し上げた。確かに町田の刑法犯数は減っているのだろう。だが町田の真の治安の悪さは犯罪数ではないのだ。
「町田は犯罪とかそういう治安の悪さじゃないんだよ。昼間は老人たちが自分の政治主張を押し付けるかのように署名用紙を持って若者を追いかけ回し*4、夜はキャバクラの客引きが『おっぱいどうすか?おっぱい、良い
「なあ゛!?」
次々と暴露される町田の闇の部分を聞いて、森野がガツンと頭を強くぶたれたように仰け反る。だが、高尾は一切手を緩めることなく話を続けた。
「それだけじゃない。最近では胡散臭い宗教勧誘を始める輩まで現れ始めた。それも駅前だけじゃない。奴ら、店の中にいても平気で声をかけてきやがる*6。連中がゴキブリなら巣食われている町田はさしずめゴミ溜めだな。」
「ま、町田ではそんなこと……!!」
「無いと言い切れるか?」
「……無理です。」
「だろ?」
森野は諦めた。どうあがいても町田はクリーンでアーバンな街にはなれないのだ。崇高な東京都の看板を背負えるほどの器は無いのだろう。かといって、ワイルドな部分とスマートな部分を併せ持つ神奈川県に相応しいかと聞かれると、自身を持って頷くことはできない。
町田が地理的に神奈川県に組み込まれているだけなら、「町田は神奈川」はそこまで浸透しなかっただろう。しかし、ハリボテのような建物、町田特有の治安の悪さ、さらに駅周辺を神奈川中央交通のバスが通っているなど、町田にはネタが溢れすぎているのだ。これ以上小馬鹿にするのに適している土地はそう簡単には見つからない。
森野の目から涙が溢れる。自分の中の町田愛を、相手に伝えることができなかったのが、森野にとって悔しくてたまらなかった。
滲んだ視界にハンカチが差し出される。天狗の柄がプリントされたハンカチは、高尾が気に入って使っていたものだった。
「……どうせ先輩は『町田市民の涙は蜜の味』とでも思ってるんでしょう?」
「そこまで外道じゃないけど。」
「いいんです。どうせ私は神奈川県町田市民の憐れな女……南口のホテル街でひっそり生きていくしかないんだ」
「いやいや、そんなに悲観的にならなくてもよくない?」
「いえ、こんなに地元を馬鹿にされたら立ち直れません。次の部誌にあることないこと書いちゃいそうです」
「えっ、それはずるくない!?」
高尾がガタッと椅子を後ろに飛ばすほどの勢いで立ち上がった。しかし森野はそのまましくしくと泣き続ける。
「この傷は町田のス○ーツパラダイスに行けば癒やされるのになぁ……どこかに連れて行ってくれる先輩はいないかなぁ〜」
「森野……!いや、その手には乗らないぞ。」
ここまでくれば高尾にも彼女の涙が演技であることを見抜いていた。だが、町田の女はこんなところで負けはしない。ボソリと「部誌で無理矢理キスされたって書いちゃおっかな〜」と呟くと、再び高尾に歯ぎしりをさせることに成功した。
部長の高尾としても、部誌にそんなことを書かれても困る。だが、森野の作品は人気があるのだ。彼女の文を丸々カットするわけにもいかない。
ここは折れるしかないと判断した高尾は、渋々「分かった」と頷いた。今度は森野が嬉しそうに立ち上がった。
「本当ですか!?やった!言質取りましたからね!録音もしてるんで!!」
「えっ、怖い。なにこの
「思い出は記憶だけじゃなくて記録にも残しておくものですから!」
ふふん、と鼻歌混じりに森野がレコーダーの電源を落とした。そのまま立ち去るようで、小さなバッグを肩にかけている。森野は忘れ物が無いか確かめると、顔同士が触れるか触れないかの距離まで近づき、耳元で吐息たっぷりに囁いた。
「じゃあ先輩、町田で会いましょうね。」
「えぇ……」
ふふっ、と笑い、手をひらひらと振りながら森野は去っていった。甘い残り香にため息を付きながら、高尾は自分のノートパソコンの電源を切る。流石にこれから執筆するほどの気力も集中力も残っていなかった。
「町田の女……恐るべし。」
高尾はメガネを外して呟く。その声は誰にも聞かれることなく、多摩の青く澄み切った空へと溶けていった。
今回の小説を書くにあたって、以下のサイトを参考にしました。
【相模原市 行政境界の変更】https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/seido/1004437.html
【警視庁の統計(平成30年)】
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/smph/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.html