『かんぱーい!』
どこかしこからそんな声がよく上がる。
時は夕刻、場は酒場。
一日の仕事を終えた者や迷宮の探索を終えた者たちで溢れかり、耳が痛くなるほどにうるさく、鼻が曲がりそうなくらいには酒の匂いや食べ物の匂いが入り交じる空間になっていた。
書く言う俺も、そんな喧騒の中に身を紛れ込ませ、祝いの酒を最高の友とともに浴びるように飲んでは頼み、肉を食らっていた。
「いやはや、いやはやいやはや」
「もうそればっかしですねー」
言葉にならない達成感に俺の語彙力はついて来ず、酔っぱらい言葉に笑顔で律儀に反応をしてくれるのは我が戦友だった。
金糸のような髪、大人と子供の境界線上の中性的な顔は、ありがちではあるが美少年のそれだ。酒の入っているジョッキを握る細い指から見ても想像できる程の華奢な身体なのに、椅子の横に携えるこの場に異端で異様な大きさの斧を見れば、この都市において彼をただの少年と侮る人間は居ないだろう。
「念願だった、からなあ……」
急に居なくなった師匠を探して、苦節十五年ばかり。
この都市──交易迷宮都市と呼ばれる場所に辿り着いたことまでは、足取りを追うことは叶ったが、この都市で探索者として活動した後にどこへ向かったのか、足跡が不自然なぐらいに消えてしまった。
『迷宮を踏破せし者は願いが叶う』
誰が言い始めたのかそんなありふれた噂、いわゆる都市伝説と呼ばれるものがこの迷宮にはあった。
当時の俺は師匠を追うこと自体が半ば目的となっており、次の目星が見つけられない中で、藁にすがるような気持ちでその噂に飛びついた。
なんとも珍しさの欠片もないありふれた話である。
一年も探索活動を続ければ、多少は冷静になって己の馬鹿らしさにため息もつけるようになった。
しかし、師匠の足取りはあいも変わらず分からずじまいでもあった。探索をする以外の師匠の行方を探す方法の目星もない。
取れる手段は一つだけ。
彼と出会ったのはそんな時だった。
「三年、ですね。貴方じゃないですけど、いやはやです」
「早いのか遅いのかはわからないけどな」
初めて見たときの彼の容姿は今よりももっと幼かった。
男の俺でも綺麗な物だ、と物体的な美しさを感じるほどなのだから、女であれば一目惚れも仕方ないだろう。
そんな彼が探索者の集うこの酒場に初めて現れたときに、周囲の動揺を無視して俺の元へとやってきた。それからあれよあれよと彼に言い含められて、早三年である。
その可憐な見た目に騙されることなかれ。街を歩く姿は舞う蝶のようであったが、迷宮を歩く姿は獲物を求める獣である。細い腕のどこに筋肉があるのかわからないが、自分の背丈以上の斧を振り回して、モンスターを屠る姿こそ、俺は男惚れしそうになった。
『男は強くなければ、守りたいものも守れませんから』という彼の言葉もまた男らしさ満点であった。是非、見た目だけで彼に惚れてる酒場の女子共に聞かせてやりたい。
「以前の方は十五年ほど前で、たった一年で踏破したみたいですよ。異例の速さ、とは聞いています」
迷宮は定期的にまことしやかに踏破される。
踏破した者が出てもおおっぴらに公表される、ということはない。踏破自体に賞金が付いてるということもなければ、迷宮が消えたりすることもない。踏破されてもそれを知らせる機構が存在しないからだ。
酒場には『踏破したら』に因む噂が数多くある。
その最たるものは俺も縋った『願いが叶う』であるが、踏破した今、それが叶っていないのだから、やはり眉唾ものだったのだろうか。
それとも時間差があるのか……
他にも踏破してもその事柄が広がらないことから、ここの領主の一族が暗躍しているだとか、別の世界に連れて行かれるだとか、根も葉もない噂はそれこそ星の数ほどある。
踏破しても賞金もない迷宮に挑む探索者が減らないのは、そんな噂を立証しようとするロマンチックな人間たち。探索に伴って手に入る形のないものやあるものの力を求めて止まない者が多く居るからだろう。
「一年で異例なら遅くはないか。まあ速さを競うもんじゃないなー」
報酬もない探索業なのだ。皆、命を投げ捨てない程度のペースで攻略を進めるものがほとんどだ。命を大事に、である。
「そうですね。ですが、これは一つの区切りでもあります」
「うーん、区切りって言ってもなあ。これでこの迷宮もおしまいって、言うのは寂しさもあるけど」
「寂しさ、ですか?」
「ああ。この都市でやることもなくなっちゃったわけだし。そうなるとおまえとも解散だろ? それも寂しいなって」
元々は師匠を探してやってきた都市だ。アテがないから、いつまでも迷宮探索をしていたが、深奥まで辿り着いても結局新しい情報も見つかっていない。てんてこ舞いである。これ以上の情報は見つかる気もしないし、立ち去り時というやつではないのだろうか。
そうなれば三年間も共にしたペアも栄光の解散になるだろう。
「そう思ってくれるなら僕としては嬉しいやら、悲しいやらなんですけど」
「悲しいとまで思ってくれるなんて、男冥利に尽きるねえ」
俺が女なら惚れてしまいそうな言葉だ。
生憎、俺も彼も男同士で、いくら彼が綺麗とはいえ抱きついたとしてもむさ苦しさしかないだろうが。
「残ってはいただけないんですか?」
「残る理由がないんだ。お前も事情は知っているだろ?」
三年も共にすれば俺の事情は彼には十分に伝わっているだろう。
半分形骸化してることもおそらくは。
それでも他に生きる理由もなければ目的もない俺は、師匠のことを追うのは止めないつもりだった。
「なるほど……それは、残る理由があればいいんですね?」
「うん? まあ……」
歯切れも悪くなるというものだ。
師匠をほっぽり出せるかといえばそうでもなく、だからといって半ば諦めてもいるのだから。
何か理由があれば、俺は……流されてしまうだろう。
「それが僕では駄目ですか?」
「おいおい、いや、おいおい」
何を言うんだこいつは。まるでプロポーズみたいじゃないか!
彼の青い瞳には真剣味が増し、浴びるほどに酒を飲んだというのに、それが全て飛んでしまうような爆弾発言だ。
実際に真剣なのだろう。
彼とのペアでの迷宮探索は楽しい日々だったし、忘れ去ることのできない思い出に溢れた冒険だった。
俺も彼以上のパートーナーが今後現れるとも思えないし、彼も同じように思っているのだと伝わってくる。
でも、彼が残る理由になるかと問われるとなんとも言えない。
血を分けた本当の家族というわけではもちろんないし、時間に対しては濃密な時間を過ごしてきたが、お互いにどこか境界線を作って踏み入れない領域があった。
それは俺にとっては彼の容姿や仕草から見える貴族らしさとも言うべき、身分の差を自覚していたからだろうし、彼からすれば俺の師匠関連に対しての遠慮であったのだろう。
俺は彼が貴族であると内心では確信していたのだ。
この都市を出ていくことになれば、迷宮の深奥でも師匠への足掛かりを得られなければ、彼とは別れであるとずっと考えてきた。
何かを理由にして残るという考えをしたことがなかった。
いっそ頑ななまでに師匠に理由をこじつけて、現実から目を逸らしてきた部分は大きい。
酒をちまちま呑みつつ、答えあぐねていると彼は真剣な表情のままに告げた。
「今夜、宿に伺います。寝ててもいいですが、決して逃げないように」
テーブルに金貨を一枚置き、彼は酒場を後にした。
その姿は迷宮で獲物を追う時の姿とどこか重なって見えた。
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「あ、起きました?」
「ん……ああ、そういえば宿に来るって言ってたな……ん?」
結構な量の酒を呑んでたせいもあり、宿に戻ってきたときには彼の言葉を忘れてすっかり眠りについてしまったようだった。
にしても、喉の調子がおかしい。アルコール焼けするほどいい酒を呑んだ記憶はないのに、声を出すのに突っかかるというのだろうか。音を出すのに違和感を感じる。それに、聞こえてくる自分の声音もどこか高い気がする。
目を開けようと目の周りを擦ろうとすると、前髪が邪魔をしてくる。
「いやいやいや、それはおかしい!」
「どうしました? 可愛い声をあげちゃって」
「はあ!?」
俺の髪は戦闘の邪魔にならないように短く適当に切ってある。特に前髪が邪魔になると生死を分けるから、目に掛かるなんてことはありえない。
あとなんだよ、可愛い声って。そこはかとなく、女子のような声を上げちまったとは思ったけど。
「おまえ、何かしただろ!」
「何か、とは?」
キョトンとした表情に、コテンと首を傾げる女子力の高い仕草をした。
あざとく可愛らしい。
「いや、だからおかしい。おかしいって」
「もう、なんですか。さっきからおかしいおかしいって」
「おかしいからおかしいって言ってるだけだろ! なんでお前が可愛く見えるんだ!」
綺麗だなとか、女子ウケしそうとか思って、女に困らなさそうで羨ましく思うことはあっても、それは嫉妬の感情であって──決して、今感じてる、この、なんとも度し難い感情とは別物のはずだった。
そう、今、俺は絶対的におかしい。
「大丈夫です。今は貴女のほうが可愛いです」
「はあ!? なに言ってるの!?」
鏡見たほうがいいですよ、と彼は鏡を持ち出し、俺を映す。
そこに居たのは、慣れ親しんできた野暮ったい男の顔ではなく、貴族の令嬢と言われたほうがしっくりくる美少女だった。
思わず下を向き、圧倒的な存在感を放つ場所に手をやり確かめてしまう。
ぽわんともぷるんとも言い難き形状のそれは言い知れぬ感触と少々の心地よさを感じてしまう。
まごうことなき女子にのみ存在が許される胸だった。
「確認は済みました?」
「うるさいわ!」
もうなんなんだよ……弱気を吐きたくなるほど心が参ってるのは性別が変わったせいなのか、理解し難い現状のせいなのか、わからない。
「お気に召しませんでした?」
「どこに気に召す部分があったんだよ」
不満だらけだよ。今すぐ外に飛び出して、叫びたいくらいだ。
しかし、そんなことをすればこの姿を衆目に晒すことになる。取り返しがつかない自体になる、そんな予感がする。
こんな華奢な腕と足で走り回れるかも甚だ疑問だが。
気持ちをぐっと堪えて、ため息のみでなんとか気持ちを抑えようと努力する。
鏡に映る美少女が憂い顔で息を吐いた。
「おかしいですね。確か何度か貴女は『俺が女ならお前に惚れてるよ』なんて言ってたから、てっきり女になりたいのかと」
「なーにが『てっきり』だよ。……言った記憶はあるけど、あれは例え話であって誰が実践しろなんて言ったかよ」
不思議そうな顔をする彼にちょっと可愛いなと思ってしまう自分が怖い。
有言実行をするやつではあったが、こんなところで長所を生かさなくてもいいだろうに。
「そもそもこんな事ができるのはマジックアイテムだろ?」
理を超えた業は人の魔法では再現は不可能と言われている。
人の性別は超えられざる理だ。それを可能とするのは人智を測れないマジックアイテムより他にはない。
「そうですよ。領主の一族に伝わる古のマジックアイテムです」
「りょ、領主……そんなあっさり言っていいのか、それ」
「今更です。それにこれを使った以上は、僕たちの秘密を明かさないといけませんから」
和やかな雰囲気が嘘のように消え去り真剣な物へと変わる。
彼は語る。一族の秘密を。
交易迷宮都市には様々な都市、領地、国から人々が集まる。ましてや迷宮目当てとなれば、腕に自信ありな猛者たちが集い、彼らが手に入れた素材を目当てに豪商が目を光らせ、素材を活かすために職人が育つ。
言わば世界の縮図といっても過言ではない。
その事情を踏まえれば、ここを治める領主にはかなりの度量や知識、なによりも力を求められる。
彼らの一族は市井に紛れ、共に迷宮を制覇してこそ、一族の一員として真に認められるという。
そして時には。
「伴侶を得ます」
「……ん?」
「結婚相手を見つけます。性別は問いません」
「んー?」
「マジックアイテムがあれば、自分でも相手でも性別は自在ですから」
「……」
「察しの悪い貴女に言います。つまり」
「言わなくていい。分からないから唸ってるんじゃない。分かってるから唸ってるんだぞ?」
子供を諭すように、優しく言ってやった。
自分でも想像以上に声色が優しくなってビビった。
聖女の声かと思った。自分で言うのもおかしいけど。
そういうことなんだろう。あれは。酒場での彼の言葉は正真正銘にプロポーズだった。
そういうこと、だったんだろう。
言葉の意味に気付いて、知って、気持ちが伝わってきて。
どうしようもなく、嬉しい自分を見つけてしまって。
この気持がマジックアイテムによるものだとしたら、あんまりにも残酷ではないだろうか?
俺が複雑な感情に向き合っていると、彼は急に思い出したかのような声を上げた。
「あっ! このマジックアイテムは性別を変えるものですが、心の支配とかそういうことは出来ません。なんなら元に戻ることも出来ます」
「そういうのは早く言え! ばか!」
でも、そうするとこの感情の出所は一体どこからだろう。
恋も愛も正直分からない俺だが、こんな親愛とも言えるような感情を彼に抱いたことは少なくとも男の時にはなかった。
寝食を共にもしたことがある友としての友情、背を預けられる戦友としての信頼は確かにあったが、彼の顔を見て少し幸せな気分になったり、彼のことを考えて少し楽しくなったり、なんてことはなかったのに。
「やっぱり僕じゃ駄目ですか? 残りたい理由にはなりませんか?」
しゅんとした顔をされると、そんな顔をしてほしくはないと思ってしまう。
「男に戻りたいなら、戻しましょうか。僕もあなたを諦めます」
「それはだめ!」
戻ることへの否定なのか、彼に諦めさせてしまうことへの抵抗の言葉なのかわからない。
「い、今すぐ戻す必要はない。そ、そうだな。別に急ぐ旅じゃないんだ。もう少しぐらいここに居よう……と思う」
正直、慣れない体になり、知らない感情に振り回されるのは簡便だと思う気持ちある。
だけれど……
「はい!」
花咲く笑顔の彼の顔は、性別に関係なく魅力だと昔から感じてたもので。それが失われないなら、まあ別にいいかなと思わなくもない。
▼
後日のことである。
『お嫁さん候補として僕の両親に会ってもらいたいです』と行った彼に従って、初めて領主の住まう城へとやってきた。
遠目には何度も見たことがあったが、実際に間近で見るとなると迷宮とは違う威圧感を放っていた。如何ともし難い近寄り難さである。
ちょっとだけ、将来ここで住むことになったら、なんて妄想すると顔がにやけそうになるので、顔には憂いをもたせみる。
鏡で自分の顔を確認していると、この憂いのある表情がすごくお嬢様っぽく見えるので、密かにお気に入りだったりする。
こんな身体になったが不思議なことに身体能力は変わらないので、以前と同じように戦えるのだ。
お嬢様顔で大きな武器を振り回すのだから、我ながらトンチンカンだと笑ってしまう。もう彼のことを笑えないな。
粛々と彼に従って歩いていくと、一つの扉の前で歩が止まった。
彼と二人揃って深呼吸した後、扉を開くと一人の女性が仁王立ちしていた。
「おお! 会いたかったぞ我が弟子よ!」
「…………いやはや、いやはやいやはや」
横の彼がドヤ顔をする。
つまりはそういうことであったのだ。