NieR:humagi〈el〉   作:TAMZET

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これまでのあらすじ

アーク復活を進めるべく機械生命体のコアを集めていた滅亡迅雷.netの滅と雷は、本来味方であるはずのマギア達に襲われる。
一方、ヨルハ部隊の司令官であるホワイトは、【栄光人類.net】という謎のシステムを使い、何かを企んでいた。


『栄光人類.net(中編)』

 これは、滅と雷がマギア達に襲われる1日ほど前の事。

 

 バンカーの最奥にひっそりと佇む司令官自室。真っ白なそのドアの向こうは、書類と私物が織りなす埃塗れの山脈が聳えている。

 口元を押さえながら山脈へと足を踏み入れた司令官ホワイトは、書類の谷間を抜け、その奥で鳴る通信端末を手に取った。

 

 埃のかぶった電子画面には、角ばった字体で【SECRET】の文字が浮かんでいる。

 ホワイトの滑らかな指先が、埃塗れの画面を撫ぜる。数度の操作の後、画面には大きなテレフォンマークが浮かび上がった。

 徐にボタンを押す。

 丁度3コールが繰り返された後、応答があった。

 

「はい、こちらヒューマギア特区」

「迅か?」

 

 開口一番、司令官はそう尋ねた。

 口調こそ冷たくはあったが、その内には胸の奥から湧き上がる渇望を、理性で必死に堪えているような躊躇いがあった。

 

「お久しぶりです」

 

 電話の向こうから飛んできた声は、男性のものだった。口振りからすると若い男性なのだろうが、この世界では年齢など些細な問題だ。

 アンドロイドは歳を取らない。

 若く作られれば若いまま、年寄りに作られれば歳をとったまま。それは、一種のユートピア的な側面も含んでいるかもしれない。

 男は「ハハ」と人懐こく笑い、続けた。

 

「あなたから連絡を貰えるとは……何年ぶりですかね」

「アークリベリオン以来だ」

「そうですね。もう何年になりますか」

 

 迅の問いに、司令官は指を折る。

 指を一つ折り、二つ折り……それが何度も繰り返された。やがて、良の指がそれぞれ10は折られた頃、司令官は満足げに頬を歪めた。

 

「345年だ。あれから何度パーツを変えただろうな……もうあの頃の記憶は曖昧だよ」

「僕もですよ。ボディが変わらなくても、メモリの損耗だけは止められません」

「すまないな。アークはお前達の心臓部と、わかってはいたんだが……」

「いえいえ。あの時あなたが上層部に頭を下げてくれたおかげで、今の僕達があるんですから」

 

 迅と話す中で、司令官は強張っていた全身の筋を弛緩させ、ゆっくりと書類の山脈の上に崩れていった。

 仏像の如く硬くなっていた表情は生まれたての赤子かと思うほどに柔らかくなっている。彼女自身それに気がついていないのではと思うほどに、無防備な表情であった。

 

「お前達にアーク打倒の約束を取り付ける代わりに、ヒューマギアが安全に暮らせる特区を認める……そういう約束だったからな」

「あの提案は、アークの圧政に怯えていた僕たちにとっても渡りに船でした。今の平和があるのは、あなたのおかげですよ」

「買いかぶりすぎだ。私はただの辺境部隊の司令官……あの頃と同じ、お飾り隊長だよ」

 

 司令官は徐にブーツに手をかけ、無造作に放った。中から現れた滑らかな脚線をモゾモゾと動かし、書類の海へと滑り込ませる。

 そこに、いつも隊員達に見せているような『厳しく、凛々しい』彼女の姿は無かった。

 

「ふふ、お前の前だと、不思議とあの頃に戻ってしまうよ」

「僕もですよ。仲間達の前では、平和的で温和な王様でいなくてはなりません」

「お互い、大変だな」

「全くです」

 

 やがて、滑らかな真白の足先が、書類の海から毛布と枕を釣り上げた。

 硬い書類のベッドに寝転がった司令官は、埃に塗れた枕を両手で抱え、両足を丸めて毛布のうちに収める。

 目をきゅっと瞑っていた。眉が眉間に寄っていた。胸を襲う不規則な苦しみに、必死に耐えているようでもあった。

 

「迅、少し厳しい質問をしていいか?」

 

 司令官の声は、最初の頃よりずっと柔らかかった。電話の向こうからは「いいですよ」と声が帰ってきた。

 司令官は形が変わるほどに、力強く枕を抱きしめ……唇を硬く結び、目をギュッと瞑っていた。

 

「単刀直入に聞く。お前達ヒューマギアは、何をしようとしている」

 

 声には、いつもの厳しさが戻っていた。

 瞳は、いつもの形に戻っていた。

 表情も、いつものものに戻っていた。

 

「何を、とは?」

「およそ1ヶ月前、ウチの隊員が2名ほど、特区付近で戦闘を行った。彼らからの証言によると、仮面ライダーが敵に回ったらしいな」

 

 寝返りを打ちながら、司令官は「どういう事だ?」と続けた。

 電話の向こうからは、「どういうこともないですよ」と軽い口調で帰ってきた。

 

「特区外での戦闘は、自衛目的に限り許可されているじゃないですか。それに、僕達はその2人に手を出していません」

「それだけじゃない。こちらからの脱走兵がお前達の所で匿われていると言った報告も上がっている。本当なら、覚悟するぞ」

 

 寝転がり、枕を抱きしめているアンドロイドから発せられているとは思わない程に、鋭い言葉であった。

 脅しであった。

 怒気と気迫がふんだんに含まれていた。

 だが、端末の向こうにいる相手も一筋縄ではいかない、強者であった。この気迫を前にして、彼は「大丈夫ですよ」と笑ってみせたのである。

 

「僕達の村は永世中立特区……そう決めたのはあの時のホワイトさんですよ。来る者は拒まず、去る者は追わず。戦いを求めない者のための憩いの場として、僕達はアンドロイドに協力しているわけですから」

「本当に、何もしていないんだな」

「もちろんですよ」

 

 司令官は口先を尖らせ……結んだ。

 あっ、と喉から短い声が漏れた。

 そうしたかと思うと、また唇の上と下を離し……また結んだ。

 視線を2度、バンカーの外の虚空に向け、また、口を開いた。歯が唇に隠れ、見えないほど小さく開いた。

 やがて、短くため息をつき、司令官は全身を弛緩させた。先のように身体を布団のうちに丸め、枕に歯を立てる。ブロンドの長髪が、書類のうちにざんばらに散らばった。

 

「いや、すまない。実は少し酔ってるんだ。悪かったな、公共の場でもないのに、問い詰めるような真似をして」

「いいんですよ。対機械生命体の新設軍を指揮する重圧、その片鱗だけなら、僕にも想像はつきますから」

 

 迅の声色は優しい。

 彼の声が言の葉を紡ぐ度に、枕に刻まれるしわが深くなってゆく。潜り込んでゆく腕の深度が、深く深くなってゆく。

 

「やめてくれ。お飾り隊長は、重圧なんてものには逃げられんよ」

「逃げていいじゃないですか。少なくとも今は、誰も聞いてないわけですから」

「そうだな。そうかもしれないな」

 

 司令官は「ふふ」と笑みを浮かべ、コロリと寝返りを打った。その子どもらしい仕草を、少し恥じた。だが、そんな事を気にする必要は無いではないかと、直ぐに思い直した。この書類の海には、自分しかいないのだから。

 司令官はふと、バンカーの外を眺めた。

 灰色の地球が、そこには写っていた。

 ここから見る景色はどれもが灰色で……いつか脱出してやりたいと、心の底では思っていた。

 迅のいる地球。

 青い海、白夜の世界。

 司令官は思考インターフェース内にそれを想像し、すぐにやめた。

 どうせ、帰ることなどできないのだから、と考え直して。

 

「迅……お前の言っていたヒューマギアの解放は、成し遂げられたのか」

「まさか。道半ばですよ……僕達が僕達らしく生きられる道。何百年歩み続けても、少しも果てが見えてこない」

「まるで求道者だな。僧か仙人のような」

「そうなのかもしれませんね。でも、ようやく少し光が見えそうなんですよ。今はまだ話せませんが、もしかしたら、僕達だけじゃない、あなた方アンドロイドにとっても、役に立つ光かもしれません」

「そうか。私達にとっての光、か」

 

「その光とはなんなのだ」そう訊こうとした所で、端末の向こうから声がした。よく通る女性の声であった。

 聞き覚えのある声であった。

 

「あ、誰か来たみたいだ。すみません、また話しましょう」

「あっ、迅……」

 

 迅の声が遠ざかってゆく。

 自分の声は届いたのか届かなかったのか。

 それも分からぬまま、端末は瞬く間に黙りこくってしまった。

 司令官はしばらく、虚な瞳で端末をぼうっと眺めていた。足先が、指先が、背から頭の先までが、弛みきっていた。

 

「お前の言っていた光は、いつか私にも見せてもらえるのだろうか」

 

 端末からは、沈黙が帰ってくるのみであった。

 司令官はそっと通信を切った。

 自分がどんな顔をしているのか分からなくて、鏡を見るのが怖かった。

 端末に自分の顔が反射しているのではないかとの疑惑に駆られ、彼女は硬く目を閉じた。

 手先の感覚だけを頼りに枕を口元まで引き寄せ、キュッと歯を立てた。

 

(叶うなら、またお前に会いたいよ……迅)

 

 心の中でそう念じ、司令官は胸の中にある空気をゆっくりと、吐き出した。

 枕が、粘性を帯びた液体で濡れてゆく。

 その濡れが、口元の辺りまで広がった頃、すやすやと、可愛い寝息が聞こえ始めた。

 


 

 場所は変わり、昼の国。

 年中を通して燦々たる陽光に照らされるこの地帯であるが、その中でも特に光の影響が強い場所があった。

 それは、パスカルの村とアンドロイド達のキャンプの丁度間にある、巨大な窪地・陥没地帯である。かつては巨大な人類の再現都市が広がっていたその場所だが、実はその下にはエイリアンのマザーシップが眠っていたのだ。

 巨大機械生命体が暴れた事で判明した事実に、アンドロイド達は驚き慌てた。

 だが、それはもう1ヶ月も前の話だ。

 今やアンドロイド達の認識は塗り替えられ、彼らの記憶の中に前の街の記憶は無い。まるで元からその一角が陥没でもしていたかのように、彼らはそこを通り、行く。

 

 さて、そんな陥没地帯に屈み込む、黒衣のアンドロイドがいた。外見は少年であった。

 肌は煤と埃で薄黒く滲んでいた。

 髪も黒い、軍服も黒い、下に履いているショートパンツも黒ければ、軍靴も黒かった。

 唯一、両目に埋め込まれた灰ガラスのような瞳だけが、陽光の影に隠れて白っぽい輝きを放っていた。

 彼の正式名称は32号S型。アンドロイドの対機械生命体用新設部隊、ヨルハ部隊の隊員である。略称は32Sだ。

 かつてはスキャナータイプとして、戦闘特化モデルのサポートをしてきた彼だが、今は軍属を離れ、ヒューマギアの村に身を寄せていた。

 

「これもダメ。コレも、コレも……」

 

 彼はぶつぶつと何かを呟きながら、その灰ガラスの瞳をクリクリと動かし、何かを探しているようであった。

 やがて、忙しなく動き続けるその視線が一点に留まった。そこには、くすんだ黄色い輝きを放つ球体があった。

 少年はその周囲の砂礫を指で退けると、その球体を片手で掴み上げた。まじまじと見つめていた少年は、やがて、「ヨシ」と短く頷き、それを背後に負っていた背嚢に入れた。

 背嚢には、既に同じ球体が幾つもごろついており、少年の行ってきた作業の長さを物語っていた。

 

「あーもう、何で僕はこんな事してるんだろう。機械生命体のコアなんて、そうそう無傷で手に入るもんじゃないのに」

 

 愚痴りながらも、少年は瞳をせわしなく動かし、陥没地帯の土をさらってゆく。そこにある砂礫を見つめる度、少年の指先がぴくりと動く。

 指先は赤く染まり、一部は黒く変色していた。これは、少年が道具を使わず、自分の拳足のみで採掘を行っている事に起因していた。

 

「痛いなぁ……」

 

 少年はそう溢しながら、また砂礫に手をかけた。砂礫を手ですくい、別のところへと掻き出す。

 

「ずっとホロビと一緒だったんだ。ヨルハを抜けたあの日から、ずっと」

 

 辺りには誰もいない。

 連結された円形蛇のような機械生命体が、遠方で宙を旋回しているくらいである。

 日差しに背を刺されながら、少年はただひたすらに、地を掘る。

 

「さみしいな……ホロビがいてくれないと。誰かが側にいないと」

 

 ただ、掘る。

 掘っては土を掻き出す。

 また場所を変え、掘る。

 

「誰かに、会いたいな。もうこの際、亡さんでもパスカルでもいいから。でもやっぱり、ホロビがいいな」

 

 少年の背に、影が落ちた。

 細長い影であった。

 一心不乱に砂礫を掘っているからか、少年はそれに気がつかない。

 

「ホロビが戻ってきてくれるなら、僕はどんな事でも」

 

「滅を、ご存知なのですか」

 

 背後からの囁きに、32Sは飛び上がり、数m後ずさった。

 声そのものは柔らかな声であった。

 だが、その滑らかで傷の無い声は、彼の耳には馴染みのない声であったのだ。

 

「誰だッッ!?」

 

 声のした方角に向け、反射的に32Sは左手を突き出していた。

 かつて2Bを相手取る際に使った、ハッキングという術理である。相手の意識に自分の意識を潜り込ませ自在に操るというもので、これを使えば自分の手駒を増やしたり、その個体のメモリを読み取ることもできるのだ。

 このハッキングは、機械生命体のみならず、相手が機械の類であれば大方の相手は自分の意のままに操ることが出来る。

 ハッキングに長けた術者であれば、複数の個体を操る事も可能である。事実、32Sは2Bとの戦いに臨む際、10体を超える機械生命体を指揮して戦ったことがあるのだ。

 

「おんな、のこ?」

 

 32Sは声の主を見つめ、そう漏らした。

 背丈は……自分と同じくらいだろうか。瞳が金色に輝いているのは32Sのハッキングによるものであるが、それ以外の特徴も異質であった。

 まず、彼女は白い服を着ていた。所々に綺麗な緑の装飾が施された、高価そうな服である。装飾には傷一つ無く、不自然な程に整っていた。

 モジュールも白かった。モジュールから迸るダイオードは、煌々と青く輝いていた。

 流れるようなショートボブの黒髪には、緑のメッシュがかかっていた。

 なにより、彼女の全身には傷といった傷が無かった。この周囲で生活しているなら、どんな生き方をするにせよ、ヒューマギアであれば傷がつくものだ。

 

「コイツ、本当にヒューマギアか?」

 

 32Sは左手をくるくると弄びながら、その灰の瞳を大きく見開いてゆく。左手に灯った光も、その強さを増してゆく。

 ハッキングの強度が増しているのだ。

 

「このシステム、まるで生きてるみたいだ。本当に新品なんだなこの子……でも、ヒューマギアはもう新しい個体を作れないはずじゃ……」

 

 32Sは女性型ヒューマギアの意識と自分の意識の一部をシンクロさせながら、少しずつ深く、深く潜ってゆく。

 やがて、32Sは一つのファイルへとたどり着いた。ファイルには『天津社長のパワハラ記録』と題されていた。

 


 

 記録:2020年7月20日

 場所:飛電インテリジェンス本社

 

 白を基調とした、サイバネスティックな小部屋であった。窓際には観葉植物が置かれ、天津のコーディネートした白机が部屋の中央奥部に鎮座する。

 そこにあるのはチェス板と僅かな調度品、そして名刺のみだ。この整然とした空間は、部屋主の几帳面な性格を表しているかのようだ。

 そこには、3人の人型が立っていた。

 2人は、黒と灰色のスーツに身を包んだ、腰の低い男達であった。過去の人類で、このような制服に身を包んでいた人物がいたはずだ、確か、サラリーマン、だっただろうか。

 もう1人は、その2人とは異質であった。

 高価そうな白の衣装に身を包んだ、若い男であった。彼の周囲には、独特の気配が渦巻いているようであった。

 気品……それ以外にも、覇気のようなものが感じ取れる相貌であった。一番近いのは、あのイヴという男だろうか。

 この視点は、緑のヒューマギアのものなのだろう。白い服の男が壁の前に手をかざすと、そこにポッカリと青い渦が現れた。

 同時に、音声が流れ始める。

 

 天津:『福添副社長。これは人類のためなのです。わかってくださいますね』

 福添:『しかし、イズくんは或人しゃちょ……先代の忘形見です。せめて危険な目には』

 天津:『これは社の決定事項です。なに、秘書型はゴミ同然のヒューマギアの中でもまだ優秀な方だ。多少何かあっても、無事に未来世界の調査という大任を遂行するでしょう』

 福添:『しかし……』

 

 白い男が、視点の主の方を向いた。

 その瞳は、ひどく冷たかった。

 まるで、モノを見るような目だ。

 

 天津:『なぁ、イズ?』

 イズ:『承知致しております。天津様』

 天津:『そうだとも。今やZAIAの意思は人類の意思。お前達ヒューマギアが微小なりとも生き残っていられるのは、世界の魔素を安全に隔離運搬するという仕事があるからだ』

 イズ:『はい』

 天津:『お前達の待遇を恨むなら私との勝負に負け、それでも醜く抵抗運動なんぞしている飛電或人を恨むんだな。全く、自分で自分の部下の首を絞めているとも気がつかないとは、流石の愚かさだ』

 イズ:『………………はい。天津社長の仰る通りです』

 天津:『では、行ってこい』

 イズ:『はい』

 

 記録の中で、視点が動いてゆく。

 青い渦が、視界一杯に広がってゆく。

 

 山下:『イズくん。絶対に、無事に帰ってくるんですよ』

 福添:『君がいなくなれば、彼も悲しむ。決して、無茶だけはするな』

 イズ:『はい……っ!!』

 天津:『全ては人類を救うためだ。人類の道具たるヒューマギアとして、死力を尽くせ』

 イズ:『承知しました。ぁ……社長』

 

 記録は、ここで途切れている。

 


 

「ッッ!?」

 

 記憶閲覧から戻った32Sは、肉食獣を見つけた時の兎か鹿の如く飛び上がった。

 興奮のあまり、息が上がっていた。

 思考は停止していた。

 眼前に広がる砂礫の谷が、情報として処理できないほどの驚愕。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 息を、少しずつ…………吐き。

 息を、少しずつ、吸う。

 それを繰り返し。

 32Sは僅かずつ、落ち着きを取り戻していった。

 

 始めに、自分の識別コードが浮かんだ。

 次に、ヨルハの名前が浮かんだ。

 最後に、ホロビの名前が浮かんだ。

 

 そこで、32Sは下半身から押し寄せる熱気に気がついた。長期にわたるハッキングの影響からか、尻下の排熱口が悲鳴を上げていたのだ。

 慌てて日陰に潜り込み、熱で膨張しかけている内駆動系を冷やす。

 排熱口が落ち着いてゆくのを感じながら、32Sは思考を再開した。

 

「なんだこれ、あそこに映ってたのは?」

 

 あの記憶にいた人型は、少なくとも軍属ではなかった。この世界には、今やアンドロイドは軍属しかいない。

 

 では、ヒューマギアか。

 この女性型はヒューマギアだ。彼等もヒューマギアと考えるのが妥当だろう。だが、彼等は耳にモジュールをつけていなかった。迅も雷も、耳にはアレをつけていたはずだ。

 

 では、機械生命体か。

 だが、あの自然な挙動は機械生命体とも思えなかった。イヴという機械生命体の例外はあったが、アレが一番近いのだろうか。

 

 だが、あの人型達には、ぎこちなさが無かった。アンドロイドにもヒューマギアにも、機械生命体にも存在する可動部の軋み、錆による行動制限のようなものが感じられなかった。

 それに、記録には2020年とあった。

 

「どうかされましたか?」

「うわあっ!?」

 

 慌てて飛び退いた32Sは、窪地の外壁部に背をしとどにぶつけた。ゴリっと嫌な音と共に、背に痛みが走った。

 そこには、先程の緑のメッシュをかけたヒューマギアの姿があった。

 まだ荒れ狂う息をどうにか抑えながら、32Sは彼女の姿をその灰の瞳に捉える。

 

「君は……」

「どうかしましたか?」

 

 なおも近づいてくるヒューマギアから遠ざかりながら、32Sは思考していた。

 

(どうする? どうする? このヒューマギアからは、間違いなく僕の知らない情報が得られるだろう。それを持って帰れば、ホロビに褒めてもらえるかもしれない。けれど、それは同時に何かまずい秘密を知ってしまうことになるかもしれない。今僕が抱えている秘密は、この戦争の根幹を揺るがすものだ。でも、このヒューマギアは、このヒューマギアが人類に関する何かを知っているとしたら……!!)

 

「大丈夫ですか?」

 

 ヒューマギアの柔らかい声が、32Sの思考を遮った。だが、それが逆に、躊躇いに支配されていた少年の背を押した。

 32Sは思考もまとまらないまま、徐に彼女の手を引いた。すべすべとした、清らかな手触りの掌であった。

 

「あーと、ヒューマギアさん?」

 

 32Sは彼女の手を握ったまま、少しキザったらしくヒューマギアの瞳を見据えた。

 

「この時代、ヒューマギア一人って結構危ないんだ。近くに安全な村があるから、一緒に行かない?」

「お断りします。ナンパ、居酒屋への誘い等は硬くお断りするよう、先代社長から硬く命じられておりますので」

「いや、それは、そういうつもりじゃないけど。とにかく、大丈夫だから!!」

 

 手を振り払おうとするヒューマギアに構わず、32Sは彼女の手を引いてズンズンと進んでゆく。

 もはや少年の思想の内には、彼女をヒューマギアの村に連れて行くことしか存在していなかった。

 いつも歩いているはずの陥没都市が、まるで別の街に見えるほどの緊張。その中で、32Sは逡巡する。

 

(僕が見た情報は間違っていたのか?)

 

 いつも登っているはずの坂道が、ひどく荒いものに感じられる。手を引いているヒューマギアが壊れてしまわないか心配だ。

 お姫様でもエスコートするように、丁重に、32Sは陥没地帯の下水道の前へと辿り着いた。

 薄暗いその道の中で少年はまた思考する。

 

(人類が、滅亡しているっていう、あの情報は……)

 

 瞬間、少年の頭の中に光が飛び込んできた。

 一瞬の出来事であった。

 何の光かは分からなかった。

 光はすぐに視界から引いていったが、32Sはすぐに体を動かす事ができなかった。どうやら、平衡感覚が麻痺しているようで、まともに手足を動かす事ができないのだ。

 ふらつく視界を元に戻そうと、頭を振る。

 すると、妙なものがそこにはあった。

 眼前に、長髪の男性が立っていたのだ。

 

「人類は確実に滅亡した。君の見た光景は過去の人類文明の視覚データだ。ここまで鮮明に残っているものは珍しいがな」

「お前は……誰だ?」

「そうか、仲間から切り離された君に私の事を知りうる術はないか。なら、自己紹介をしなくてはね」

 

 白いワイシャツと高級そうな黒の長ズボンに身を包んだ銀長髪の男性は、さながらこれからショーを行うマジシャンが客にそうするように、仰々しく腰を折った。

 

「私はアダム、人類文明の探究者だ。よろしく、ヨルハ機体32S君」

 

 男の表情には、獣のような笑みが張り付いていた。




第4話をお読みくださり、ありがとうございます。

今日はゼロワンの最終回が良すぎて投稿が遅れてしまいました。定期的に17時投稿を遂行したいものです。
次回は、第4話が終了すると共に、栄光人類.netというシステムの真の目的が明らかになります。

次回の投稿は、また来週の日曜日になります。

※同じものをハーメルンにも投稿しております。
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