NieR:humagi〈el〉   作:TAMZET

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これまでのあらすじ
アークの大掃除に向かった雷は、作戦行動中の64B及び22Bと交戦。ビカリアマギアに変身した64Bを相手取り、善戦する。
一方、2Bの策略により記憶を取り戻した46Bは、何故32Sを殺さなかったのかという彼女の質問に答える。その回答に満足し、ゼツメライザーで変身しようとする彼女を、46Bは力ずくで助けるのだった。


『32S(後編)』

 森の国入り口付近の聖櫃前。

 雷とビカリアマギアの戦いが始まってから、既に15分が経過していた。

 無数の雷撃を打ち込み、ビカリアの体からは既に複数の火花が散っている。右腕のドリルは既に先端が欠け、腹部のゼツメライザーは無惨にも粉々に歪んでいた。

 だが、それは雷も同じ事だ。真紅のスーツはあちこちが損傷し、赤黒く染まっている。アーマーの一部には、ビカリアのドリルが掠った後がいくつもつけられていた。

 

 1対1。

 

 本来ならば、すぐに終わるはずの戦い。

 雷にとって想定外だったのは、ビカリアマギアの耐久力の高さであった。

 

「やるじゃ、ねぇか」

「…………」

 

 両手の帯電甲を擦り合わせ、青白い電撃の束を見せつける雷。だが、挑発じみたその行為にも、マギアは何も返さない。

 ただ無感情に、頭部と左手のドリルを唸らせるのみである。そこにあるのは、敵意すら介在しない、ただ純粋な戦闘人形であった。

 

「ったく、機械には違いねぇんだろうが、ガチの機械と戦ってるようで嫌になるぜ。機械生命体共だってもっと可愛げあるだろうよ」

 

 雷は舌打ちと共に、紅に光る帯電甲をマギアへと向けた。

 瞬間、マギアが駆け出した。

 空を裂かんばかりに、ドリルが唸っている。

 悲鳴を上げて唸っている。

 天を貫く頭頂のドリルが、敵を貫く左腕のドリルが、歪な音を伴って雷へと迫る。

 

「問答は、無用ってか。そろそろ仲間も来る頃だしな、片付けさせてもらうぜ」

 

 雷は右上を高く掲げ、対する左腕を大きく下に下げる形で構えた。

 武道で言うところの、天地上下……敵の攻撃を流し、反撃につなげる姿勢である。

 

「…………!!」

 

 マギアのドリルが、唸りと共に雷の顔面へと迫る。

 瞬間、雷は左腕の帯電甲でそれを払っていた。熱を纏った電撃はドリルへと流れ込み、その回転を若干ながら弱まらせる。

 生まれたわずかな隙に、雷はもう片方の腕をマギアの胸元にたたき込んだ。

 ゴッと鈍い音がした。数瞬遅れて、ズバンと鋭い音と共に電撃が彼の拳の周囲で爆ぜた。

 

「へっ……」

 

 手甲から伝わってくる確かな手応えに、雷は仮面の奥で笑みを溢す。

 だが、その笑みは直後に凍りついた。

 マギアは怯みもせず、頭のドリルを雷の顔面へと突き出してきたのだ。明らかに、ダメージを負っている個体の動きではなかった。

 反射的に上体を逸らした雷は、元々自分の頭部があった空間をドリルが通過していくのを目の当たりにした。

 一瞬遅れていれば、自身の頭部がスイカ割りのスイカの如く砕けていたであろう事に、彼は戦慄した。

 

(コイツ、反応速度がヤベェっ……流石は戦闘特化モデルって事かよ)

 

 間髪入れず放たれる、左腕の捻撃。狙いは雷の腹部、その先にあるフォースライザーだ。

 雷に、最早思考する余裕は残されていなかった。

 

「こなくそッ!!」

 

 背の可動域を固定し、雷はドリルの側面へ向けて頭突きを放った。

 反射的な攻撃であった。

 ゴスッと鈍い音と共に、マギアの身体が数歩後退する。

 電熱を纏った頭突きはドリルの回転を阻害し、赤熱させ、やがて電熱そのものがドリルを完全に停止させる。

 

「電熱を死ぬほど込めた頭突きだ。ドリルってのは元々熱持つモンだ。適度に冷やさねぇと、熱暴走で自壊するぜ」

 

 雷の言葉も聞かず、ドリルを回転させようとするマギア。だが、熱に耐えられなかったのだろう、赤熱した頭部は小さな爆発を伴って粉々に散った。

 そこでようやく、マギアは膝をついた。

 疲れたのではなく、軀体を動かすための命令を何かが阻害したような動きであった。

 

「トドメ、いくぜ」

 

 雷はフォースライザーのスイッチを入れ、両腕の帯電甲に赤い電撃を蓄えた。マギアを破壊する、必殺技の構えである。

 静かに踏み出した一歩を皮切りに……雷は、膝をついたままのマギアへと駆けた。

 対象までの距離、およそ6m……

 

 4m……

 

 2m……

 

 紅の電撃を纏った拳が、大きく振りかぶられた。マギアは最早攻撃を躱そうともしない。ただ項垂れているばかりである。

 

「ッ!!」

 

 刹那、黒い影が彼の前に躍り出た。

 雷は反射的に拳を止めた。

 

「やめて下さいッ!!」

 

 立ちはだかったのは、黒衣のアンドロイドであった。マギアが、変身前に会話をしていたヨルハ機体であった。

 そのまま殴っても良い相手であった。

 だが、その個体が何の武器も持っていない事を、雷の視界は捉えてしまったのだ。

 

 その真白い唇は震えていた。

 ゴーグルの端から、涙が滴っていた。

 拳の電撃を激しく迸らせる雷を前に、彼女はマギアを庇おうと、必死で両腕を広げ雷の前に立ちはだかる。

 

「お願いだから、壊さないで下さい。私ならわどうなってもいいですから」

「あ?」

「64Bは、この人は、私の……」

 

 唸りが聞こえた瞬間、雷は半歩身を引いた。

 直後、彼の予想通りにドリルがその真紅の胸元目掛けて伸びていた。

 破片をいくつも引っ掛けた、赤色液体塗れのドリル。それが、眼前のヨルハ機体の腹から生えていた。

 

「対象、滅亡迅雷.netの雷……破壊する」

「う……そ……」

 

 混乱しているのか、手足をバタつかせるヨルハ機体を放り捨て、マギアは立ち上がった。

 残った左腕のドリルを構え、壊れかけたその頭部で雷を睨み据える。

 ヨルハの胸からは、無惨にも破壊された胸部装甲と、辛うじて無事なブラックボックスが覗いていた。全てが、赤色の液体に塗れていた。

 彼女を一瞥する事もなく、マギアは壊れたドリルを自身のベルトへと伸ばす。

 

「22、B……アタシが……守、る」

 

 凄惨なその情景に、雷は静かに、フォースライザーのスイッチレバーへと手を伸ばした。

 

「クソ……何で、こんなもん見せられなきゃいけねぇんだよ」

 

 一瞬の静寂が、森林地帯に訪れた。

 そして……

 

【ゼツメツノヴァ】

【塵芥雷剛】

 

 紅の電光を纏った剛拳と赤熱し切ったドリルの二つが、聖櫃を前にして交錯した。

 その様子を、ヨルハ機体22Bは虚な瞳で捉えていた。

 

 


 

 昼の国の南部に存在する遊園施設の奥も奥。

 人知れず、暗がりが存在していた。

 広場の喧騒や劇場の狂乱とは一線を画した、静寂たる空間。最低限の照明が視界を闇に閉ざす小道を抜けた先……10畳程の広間に、背部をブラウン管に繋がれた白黒テレビ達が、寄り添い合うように5m程の小山を形成している。

 その上で、32Sは目を覚ました。

 彼はまず己を包む闇を認識した。続けて、背に走るゴツゴツした感覚を認識し、横に目を向ける事でそれの正体が古いテレビである事を認識した。

 そして……眼前のヒューマギアを認識した。紫を基調とした、民族調の衣装に身を包んだヒューマギアであった。

 

「目ぇ覚めたかよ」

 

 ヒューマギアはぶっきらぼうな口調で32Sへと語りかけた。

 聴き慣れた声であった。

 彼は酷く重い身体をゆっくりと起こしながら、ヒューマギア・滅へと語りかける。

 

「ここは……僕は、一体何を……」

 

「俺が知るか。どうせ任務中に寝転がってた所を、アレに連れてかれたんだろうよ」

 

「そんな、ホロビじゃないんだから……」

 

 そこまで言ったところで、32Sはグルンと首を滅の方へと向けた。

 首が取れるのではないかと思う程の、凄まじい速度であった。

 

「というか、ホロビ!! その喋り方してるって事は、メモリが戻ったの!?」

「あー、一応そういう事だ。時間制限付きだがな」

 

 滅……否、46Bの返しに、32Sは口元を震わせた。

 ゴーグルを装着していないので、今にも涙で溢れそうな目元までが露わになっていた。

 抑えても抑えきれない笑みを隠すように、彼は46Bに背を向け、「ハハ……」と震えた声を出してみせた。

 

「じゃあ……まだ、完全復活じゃ……ないんだね。期待して損した」

「このハナタレが。しばらく見ないうちに生意気になったじゃねぇか。一人前のつもりか?」

「そりゃそうでしょ。だって……ホロビがいなくても……何も……困った事……無かったし」

「いなくなった相棒が帰ってきたくらいで泣いちまうハナタレの、どこが一人前だっつんだよ」

 

 46Bの軽口に、32Sは「ぐっ」と声を漏らした。そのまま沈黙する彼を面白がり、46Bは彼に聞こえるレベルの含み笑いを漏らす。

 

「あーもう、どうしてそういう事言うかなぁ」

 

 32Sはゆっくりと振り返ると、テレビの山の上に立ち上がった。息をいっぱいに吸い込み……含み笑いを続ける46Bに、彼は思い切り叫びをぶつけた。

 

「じゃあ言わせてもらうけど!! ホロビがいない間、僕がどれだけ苦労してたと思う!? 地下闘技場で人類軍に喧嘩を売ったり、訳も分からずコア集めさせられたり!!」

「それについては悪かったっつったろ」

 

 全く悪びれている風もない46Bを32Sは殺さんばかりの勢いで睨み据える。

 少しずつテレビの山を掻き分け、32Sは彼の元へと進んでゆく。

 

「嘘つくのやめない? さっきまでホロビ謝罪の言葉一言も発してないよ!?」

「あ? 俺が謝ったっつったら謝ったんだよ。少なくとも心の中で謝ってんだからいいだろ。何ならハッキングでもしてみるか?」

「……もういい、ホロビにまともな謝罪を期待した僕が馬鹿だった」

 

 32Sはため息と共に、46Bの真隣に腰を下ろした。丁度、背中合わせになる形になる。

 32Sは振り返る事なく、眉に込めていた力を抜き、その頬の硬直を緩めた。

 

「でも、良かった。またホロビに会えて」

「……俺もだぜ、サニーズ」

 

 46Bが、Lの字に曲げた右腕を掲げる。その手の甲に、32Sは自身の手の甲をぶつけた。

 カンッと乾いた音が、暗がりに響いた。

 

 ズルリと、音がした。

 46Bは首だけを動かし、32Sは腰元の40式戦術刀を抜き放ち音の方へと向いた。

 

「46B……ッ…………」

 

 彼らの視界の先にいたのは、2Bの姿であった。目覚めたばかりだからか、両眼があちこち泳いでいる。立ち上がる事ができないのか、彼女は上体のみを起こし、テレビの上の2人を見つめていた。

 32Sは反射的に立ち上がり、46Bを庇うように両手を広げた。

 

「ホロビ、下がって!!」

 

 敵だった彼女の姿を、硬く睨み据える32S。

 

「もう誰にも、ホロビに手なんか出させない!!」

 

 だが直後、頭を襲った鈍い衝撃に、彼は頭を抑え蹲ることとなった。46Bの拳骨が、彼の頭頂を強く撃ったのである。

 

「阿呆。重傷者はお前だろう。それに、このカスにはにはもう戦力なんざ残っちゃいねぇ」

 

 言うや否や、46Bはテレビの山を蹴り、鉄板の大地へと降り立った。

 ゼツメライザーのクラッチに腰をやられたのか、2Bは芋虫のように這いずる事しかできない。

 そんな彼女の元に、46Bは膝を曲げてしゃがみ込んだ。

 

「よぉ、自壊未遂犯。ゼツメライザーのトリップは楽しかったかよ」

 

 彼女は全く意に介す事なく、喉を震わせて46Bに問いかける。

 

「どうして、私を助けたの? あなたを、壊そうとまでした私を」

「え、助けたの? コイツ僕を誘拐した犯人だよね。てか、ちょっと待って、さっきまで僕テレビの上に野晒しだったんだけど、それ僕が起きなかったり何か論理ウイルスとか感染してたらどうす……」

 

 捲し立てる32Sを拳骨で黙らせると、46Bはバツが悪そうに顔を背けた。

 

「下らねぇ。ただの気紛れだよ」

 

 そう言い残し、46Bは歩き出す。

 縋るような視線を向ける2Bの横を抜け、彼は暗がりの細道へと歩き出す。

 出口の方へ、薄暗い、光の方へ。

 

「壊して、欲しかった!!」

 

 46Bに縋るように、2Bは叫んだ。

 彼は出口へと征く足を止めた。

 

「あなたをここに呼んだのは、E型としてのあなたの考えを聞くためだけじゃない……あなたなら、きっと私を壊してくれると思ったから……だから……」

「あ?」

 

 振り返った46Bの目に映ったのは、灰の瞳は、透明な液体でいっぱいになっていた。

 まぶたの瓶から溢れた涙が、頬の坂を通って鉄の地へと流れ落ちてゆく。

 

「9Sにゼツメライザーを着けさせたのは、私……そうしたら自我が崩壊するって……分かってはずなのに。彼が壊れるのも……リアルタイムで観測してた。今回の彼は……何も……悪い事……してないのに」

 

 時にしゃくりながら、時に蒸気が出そうな程に荒い息を吐きながら、彼女は嗚咽した。

 灰の瞳から滝のように流れ落ちる液体を拭おうとする事もなく、彼女は続ける。

 

「それだけじゃない。私はE型として……何度も何度も……彼を殺した。それが……人類のためだから……任務だからって」

 

 動かない下半身を腕で無理やり引きずり、2Bは46Bの元へと擦り寄る。涙で地面を濡らしながら、その細い指で、地面を掴みながら。

 46Bはそんな彼女の様子をただ見下ろしていた。瞳は、驚くほどに冷たかった。

 

「もう、9Sと一緒に……一緒にいたいなんて……望まない。全て忘れられればそれでいい……新しい彼には……新しい私があてがわれる……これまでも……そう……してきた……からっ!!」

 

 彼の冷たい視線とは対照的に、2Bの言葉からは、熱が漏れ出てくるようであった。生を燃やした事により生み出される熱が、それを燃やし尽くそうと火照らせる体の熱が。

 彼女の身体は叫んでいるようであった。熱い、熱い、この熱を吐き出したいと。

 そうせんとばかりに、2Bは叫ぶ。

 

「だから壊して!! 私を……私の記録を!!」

 

 涙も出尽くした彼女は、すうっと大きく息を吸った。その表情は、何処か清々しくすらあり、ひどく、美しいと呼べるものであった。

 46Bは、ゆっくりと、彼女へ向けて歩き出した。

 彼女は、軍刀に手をかけた彼を見て、大輪の向日葵が咲くように頬を綻ばせた。

 

「もし叶うなら、9Sに……」

 

 46Bの手が動き、刹那、2Bの首が揺れた。

 

「ホロビ!?」

 

 その場で起こった事象を確かめるべく、32Sは彼のもとへ駆け寄った。

 2Bの首は両断されて……いなかった。

 その代わり、彼女の頬は真っ赤に腫れ上がっていた。眼前で起こっている事が信じられないかのように、彼女は放心していた。

 

「ホロビ、何したの?」

「腹が立ったから殴った」

「……………………?」

「俺は牧師じゃねぇんだ。丁度そこにテレビもある。砂嵐にでも懺悔すりゃいいじゃねぇか」

 

 淡白にそう言い残し、46Bは彼女に背を向ける。それに続かんと、32Sも駆け出した。

 2人は今度こそ、並び立って歩き出す。

 光に満ちた、出口へと。

 目に光を取り戻した2Bは、擦れた腕を動かし、動かない喉を動かし、必死で2人の方へと這い寄ろうと身体を動かす。

 

「……て」

「そういえばホロビ、懺悔する相手は牧師じゃなかったらしいよ」

 

 彼女の声は届かない。距離ゆえに。

 

「……って」

「懺悔のシステムはカトリックにしかないから、懺悔を聞くのはカトリック系の聖職者を指す神父だったんだって。

 

 彼女の声は届かない。32Sの言葉故に。

 

「まって……」

「ホロビよく間違って使ってたから指摘する機か……」

 

 ゴウッと何かが空を切る音が2人の集音フィルタを揺らした。

 

「待ってッッ!!」

 

 2人は、足を止めた。

 2Bの消え入りそうな言葉にではない。

 彼女が構えた機械生命体の武装。軽機関砲から放たれたイクラ型の砲弾が、彼らの付近の壁をうがったのだ。

 

「……ッッ!!」

 

 上体だけを起こし、2Bは再び砲を構える。

 だが、刹那、その砲は斬撃により両断された。

 中に溜まっていたエネルギーは行き場を失い、暴走したそれは彼女の体を細道の壁に叩きつけた。

 呻き声と共に起き上がろうとする彼女の喉元へ刃が突きつけられる。その刀の柄を握るのは、32Sであった。

 

「死にたいなら勝手にすればいい。高い所から落ちでもすれば死ねるだろ。でも、ホロビに手を出すのは、僕が許さない」

「あなたが、私を壊してくれるの?」

 

 2Bはその刃に己の首筋を押し付けた。

 さあ引いてくれとでも、言わんばかりに。

 32Sは何やら気持ちの悪いものでも見るように、彼女へと視線を送り。刀を己の背に格納した。

 

 32Sは汚れた軍靴で2Bの肩を踏みつけ、壁へと押しつける。彼女が「うぅ……」と短い悲鳴を漏らすのにも構わず、彼はそのまま足にかける力を強める。

 

「どう言い訳しようが、9Sを殺したのは君だ。僕を殺そうとしたのもね。何度壊れても、その事実は消えない」

「……」

「消えた仲間を生かすには、君が覚えてるしかないんだ。死ぬよりも辛い記憶を背負って、それでも生き続けるしかない。呪われてるんだよ、僕も君も」

「ずいぶん、詩的」

 

 2Bの指摘に、32Sは照れたように「劇場の真下にいたからね」と溢した。足にこめていた力を抜き、彼はエレベーターを待つ46Bの元へと去ってゆく。

 丁度エレベーターが着いたのか、46Bの姿が壁の向こうへと消えた。

 

「けど、安心してよ。僕達が直ぐに、君達をを呪いから解き放ってあげるから」

 

 去り際にそう言い残し、32Sもまた、壁の向こうへと消えていった。

 

 


 

 エレベーターの中、落下防止用の鉄柵から覗く景色が、次々と移り変わってゆく。

 

「そういえば、現状報告なんだけど」

 

 32Sはやたら上機嫌に、それこそ口ずさむように語り出した。

 

「あと数日で、アークが復活するらしいんだ。君の予想通り、宇宙に打ち上げるみたい」

 

 46Bは静かに、口元を歪ませた。

 

「例のものは隠してあるか」

「それはもう、バッチリ」

「よし」

 

 言うや否や、46Bは軍刀を抜き放ち、エレベーターの鉄鎖を斬りつけた。その剣撃の凄まじさに、乗客の安全を守る鉄の柵は千切れ、黒い奈落の世界が露わになる。

 

「俺に残された時間は少ない。あのセンチメンタリストがこの身体の意識を掌握すれば、俺は消えちまうからな」

 

 酷く不安を唆られるその情景に、だが46Bはさもおかしげに口角を上げてみせる。

 

「周回軌道に乗ったアークを乗っ取り、隠し入れておいた飛行ユニットで月面までたどり着けば、俺達の勝ちだ」

「そうだね。僕達が、ヨルハを呪いから解放するんだ」

「人類を殺す、そのために俺達は滅亡迅雷.netになったんだ」

「……そうだ!! そういえば、一つだけ気になる事があるんだ。僕がここに連れてこられる少し前に、変なヒューマギアがいてさ……」

 

 やがて、エレベーターは地上へと辿り着いた。眩しいばかりの劇場のライトが、2人を包み込んだ。

 彼等はそれに僅かばかり目を覆い……すぐにその光の中へ一歩を踏み出した。

 

 


 

 何時間、そうしていただろう。

 何分、あるいは何日なのかもしれない。

 誰も来ない暗闇の中で、2Bはただ項垂れていた。

 細道を埋め尽くす機械生命体達の群れと同じように、ただひたすらに動かなかった。

 下半身は治っていたが、上半身は問題なく動かせるはずだった。機械生命体の持つ機関砲を使い、自身を壊すこともできるはずだった。

 それをしなかったのは、なぜだろう。

 彼女はずっと、それを考えていた。

 

「2B!!」

 

 名を呼ぶ声に、2Bは力なくそちらを見やった。視界の中では、白銀短髪のウィッグをつけたS型のヨルハがこちらに駆け寄ってくるところであった。

 

「9S……どうしてここが」

「ポッドの追従記録を辿ったんです。遊園施設全部を回ったから、相当骨が折れましたけど」

「それにしても、何でまたこんな所に。見たところ、随行支援ユニットも武器も無いみたいですけど」

 

 9Sはテレビだらけの部屋の探索を終えると、壊れかけのポッド042を持って現れた。

 それを背中に格納し、彼は2Bの方へと手を差し出した。小さく、それでいて自分の首を殺せるのには十分な手だと、彼女は思った。

 その手をすっと取り……彼女は、引き込むようにして9Sの肩へと腕を回した。

 

「わ、2B!?」

 

 9Sはバランスを取らんと幾度かよたよたと歩き回り、やがて、臀部を支えるようにして彼女を抱き上げた。

 まるで親が赤ん坊を抱くような体制であり、事実2Bは彼の首に手を回していた。

 9Sは体温を上昇させながら、「何してるんです」と上ずった口調で問いかける。

 2Bはしばらく黙っていたが、やがて軽く息を吐くと共に、照れたような口調で口を開いた。

 

「敵に襲われて、逃げ込んだ。腰から下の可動部が大きく損傷してる。歩けないから、近くの転送装置まで運んで、欲しい」

「り、了解!! けど、これ、この体勢じゃなきゃダメですか? 僕は良いですけど、2Bはその、恥ずかしいとか」

「感情を持つ事は、禁止されている」

「でも……」

「いいから、転送装置まで急ぐ!!」

 

 顔を赤くしながら、2Bはそう叫んだ。

 

「は、はいっ!!」

 

 9Sは2Bを抱き抱えたまま、急いでエレベーターへと向かった。

 少しして到着したエレベーターには、落下防止用の鉄柵が無かった。9Sは首を傾げながらも、その内へと身を滑らせる。

 

「ごめんね、9S。私もすぐ、そっちに行くから」

「2B、何か言いました?」

「何も、言ってない。何も……何も……」

「わっ……ちょっと2B、痛いですよ。心配しなくても、落としませんから」

 

 2人を乗せたエレベーターは上層へと去っていった。その場には、無数の機械生命体達の死体が残されているのみであった。

 

 ______________________

 

 衛星軌道上に浮かぶ白と黒の基地……バンカー、ここはその作戦司令室である。

 通常は、この指令室に常駐するヨルハはO型と司令官のみで、他は暇な隊員が駄弁っているのが関の山である。

 だが、この日は違っていた。

 定員が精々30といった具合の広さの司令室には、50を超える数の隊員が所狭しと詰めかけていた。常駐するO型を含めると、その数は70を優に越すだろう。

 

 彼女達は映像を見ていた。

 映像の中には、滅亡迅雷.netの雷が栄光マギアにトドメを刺す様子……そして、雷を始めとする複数のヒューマギアがアークへと乗り込んでゆく様子が映し出されていた。

 映像は、茂みの影から撮影されているようで、彼等はその映像が外部に出力されている事に気がついていないようであった。

 

「映像は、以上になります。ごめんなさい。これ以上は、もう、私の体が……」

 

 映像の向こうから聞こえてくる雑音混じりの音声に、司令官ホワイトは「ご苦労だった」と返した。

 

「転送装置付近にH型を待機させておく。このまま帰還し、しばらく休め」

「了解、っ」

 

 その言葉を最後に、通信は途絶した。

 真白になった司令室のスクリーン。

 そこには、すぐさま三叉の槍を象ったヨルハ部隊の印が映し出される。

 

 司令官は大きく息を吸い込み、肩を上げると、総勢70名を超える隊員達へ目をやった。

 

「諸君、ついにこの日が来てしまった!!」

 

 圧を伴うホワイトの檄に、隊員達は身を正した。足を鳴らし、一糸乱れぬ黒の隊列が、作戦司令室にそろっていた。

 司令官はそれを見渡し、「休め」と告げた。

 隊員達が足を開いたのを確認し、彼女は語気を弱めて語り出す。

 

「件の映像を見ても明らかな通り、ヒューマギアがかつて提唱した完全自衛不戦不介入の原則が、他ならぬヒューマギアの長が1人、滅亡迅雷.netの雷によって打ち破られた」

 

 司令官は手に持った指示棒で、スクリーンを軽く指した。ヨルハ部隊の印が映し出されていた画面がパッと切り替わり、巨大な浮遊物体が映し出される。

 それは、かつて人類がアークと呼び恐れていた人工衛星であった。

 司令官は声のトーンをさらに落とし、続ける。

 

「我々はかつて人類を滅亡に追い込まんとしたヒューマギアを、だが慈愛を持って迎え入れた。何故か……それは、己が帝国を作り上げ、世界を我がものとしようとした衛星アークを倒すという我々と同じ志があったからである」

 

 司令官はそこで、スクリーンをさらに二度指示棒で指した。画面が切り替わり、ヒューマギアの集落が映し出される。

 

「私は彼等を信用していた。ヒューマギアはアンドロイドと友好関係を築ける存在、我々の友であるとする思った」

 

 そこで司令官は、言葉を切った。

 その表情は憂に沈んでいた。どこか後悔すら感じさせるような、切なげな。

 チラリと最後を振り返り、それを目の当たりにした隊員の幾らかは、そこで緊張の糸が解けたようだった。「はあ」と嘆息を漏らす者、頬を赤く染める者、対応は様々である。

 彼女は声高に「だが」と叫んだ。

 隊の列が、再びピシリと整った。

 

「長い年月は彼等を変えた!! 我等が同胞を殺し、アークを目覚めさせようとすらている。現場に偶然居合わせた隊員がこれを目撃したのは、幸運という他ないだろう!! この討伐令は月面人類会議のによる厳命である!! このまま奴等を放っておく事は、即ち人類に対する反逆と思え!!」

 

 月面人類会議による厳命……その言葉の羅列に、隊員達の間にどよめきが走った。

 会議中の私語は厳禁、その規律が体に染みついた彼女達を驚かせる程に、その言葉は強力なのである。

 無理もない、月面人類会議とは即ち、彼女達の神である人類の最高意思決定会議。神の最高意思による命令は、即ち彼女達にとって聖言と違わないのだ。

 司令官はどよめきを無理に抑えようとはせず、声をさらに大きくして続けた。

 

「3日後、ヒトヨンマルマル、当該地区ヒューマギア殲滅作戦を開始する。攻撃目標は、ヒューマギア特区中枢及び衛星アーク内に存在する全てのヒューマギア。……筆頭討伐対象は、この5機だ」

 

 司令官が指示棒を動かすと、5つの顔写真が浮かび上がった。

 ヨルハ達の内何人かから、悲鳴にも似た声が漏れた。そこには、彼女達のよく知る2人の顔が写っていたのだ。

 そのうち3つは、滅亡迅雷のヒューマギア達を映し出したものである。

 ヒューマギア……亡、迅、雷。

 しかし、問題は残りの二機であった。

 

 アンドロイド……ヨルハ機体46B、同32S。

 

 この二機は彼らにとって戦友だった存在であった。

 この前まで背中を預けていた彼等に、本当に武器を向けられるのか。一抹の不安が、ほぼ全ての隊員達の心をよぎっただろう。

 だが、彼女達はその不安を一瞬で払拭した。

 

 これが月面人類会議からの勅令であったからだ。

 

 人類の命令であれば、彼女達は喜んで自死もするし、特攻とて志願するだろう。

 それが、彼女達の存在意義だからである。

 ヨルハ部隊員達の動揺が落ち着いてゆく様を眺め、ホワイトは指示棒で手すりをトンとついた。

 画面には、部隊表らしき組織図が浮かび上がっている。

 

「作戦はB型30機、S型15機、D型5機の計50機で行う。各自現地に出立!! 到着し次第、次の指示を待て。以上!!」

 

 ホワイトは左肘を曲げ、左手を肺の中央に当てるように構えた。隊員達も、すぐさまそれに倣う。

 

「人類に、栄光あれ!!」

 

 ホワイトの宣誓に続き、ヨルハ機体の全員がその文言を口にした。一人一人が口にした宣誓はまるで生き物の如くバンカー全体を這い回り、月面の小さな衛星基地を轟と震わせたのである。

 かくして、第244次降下作戦が開始された。

 目標は、ヒューマギアの村及びアークに潜伏するヒューマギアの……【殲滅】である。

 

 


 

 時を同じくして、聖櫃前。

 通信を切った後、22Bは聖櫃に身を立てかけるようにして、力なく倒れた。

 彼女の胸には、拳大の穴が開いていた。

 穴からは今にも輝きを失いそうなブラックボックスが顔を覗かせていた。それは即ち、彼女の機能停止まで残された猶予が後わずかである事を示していた。

 先の報告は、彼女が最後の力を振り絞って遂行した、命がけの任務だったのである。

 

 22Bは空を見上げた。

 霞む視界は、煙でさらに曇っていた。

 聖櫃からは何やら煙が上がり、それが木々の端から見える青空を汚している。

 それでも、命を終える彼女にとって、それは綺麗な青空だったのだ。

 

「このまま、壊れれば……64Bに、会えるんですよね。また……えへへ」

 

 隊長の8Bと盟友の64B、3人で笑い合う想像に、22Bは頬を綻ばせる。

 彼女の想像の中の64Bは、屈託なく笑っている。彼女の笑顔に、22Bは胸を襲う傷の痛みが和らいでゆくのを感じていた。

 

「私を守って……本当に、優しい先輩……」

 

 そんな中、思考の中の64Bが途端に苦しみ出した。22Bが駆け寄ろうとすると、64Bは喉から黒い液体を吐き出した。

 液体は滝のように次々と彼女の口から流れ落ち、瞬く間に黒の水たまりを作る。

 

「な、なに……これ……」

 

 水たまりを覗き込む22B……彼女はその内に数字が紛れていることに気がついた。滝の正体は、情報の塊であったのだ。

 22Bの意識は、彼女自身気がつかない内にその情報の渦の内へと巻き込まれていった。

 

「これは、配属転換前の記録? それだけじゃない、64Bの記録も……」

 

 そこには、これまで64Bが司令部からこなすよう指示されてきた、様々な汚れ仕事のリストが掲載されていた。

 機械生命体への情報のリーク、機密情報を漏洩したヨルハ部隊の処分。そして、22Bの警戒と監視。

 

「やだ……私も、私は……私……」

 

 数多広がる汚い情報の群から目を背け、22Bは頭を抱えた。見たくなくて、目を閉じた。

 そして、そんな彼女の前に、人影が姿を現した。

 黒いドレスに身を包み、これまた綺麗な黒い髪を腰元まで長く伸ばした女性であった。黒髪の一端からは、真っ赤なメッシュが縦に入っていた。耳には、ヒューマギア特有のモジュールが装着されていた。

 

「誰? あなた……」

『はじめまして。私はアズ。アーク様の秘書をしております』

「アズ……アーク!? アークは起動してない、はず……!?」

 

 思考の内に現れた赤いメッシュの女性・アズは、22Bへと手をかざす。

 アズの手からは無数の赤いツタが伸び、それらはさながら茨冠の如く22Bの頭に巻きついた。

 茨は、悪意を孕んだ情報の群である。

 そこから流れ出る負の感情は、さながら論理ウイルスの如く、22Bの論理構成プログラムを侵食していった。

 

『悪意・恐怖・憤怒』

 

「ゼツメライザーをつけたら、64B……自我がなくなる。私の、ために。彼女は、嫌がってたのに、断ったら私の生産を止めるって、司令部が、無理やり」

 

『憎悪・絶望』

「私が、64Bを……殺した?」

 

 無限の情報の奔流が記録回路を埋め尽くす中で、22Bはとある感情が自分の中に膨れ上がってゆくのを感じていた。

 生暖かくどろりとした、気持ち悪い感情。

 真っ黒なそれが、頭の中に広がってゆくのだ。

 

『悪意のラーニング、完了。アークシステム、インストール開始』

 

 無限の情報の渦が、彼女の記憶回路へと流れ込んでくる。本来なら、とっくに何度も自我が崩壊しているはずの強大なデータは、まるで容器の底が抜けたように、彼女の頭から腰元へと流れ落ちてゆく。

 

「う、うううぅ……ウウウウウウウゥゥゥゥッッッ………………!!」

 

 現実の彼女は悲鳴を上げていた。

 想像の彼女も悲鳴を上げていた。

 ただ一つ、記録の中の64Bだけが、彼女に笑いかけていた。

 

『アタシが、お前を守ってやる』

 

 彼女は決意した。

 今度は自分が彼女を守ると。

 守れるくらいに強くなると。

 この力で、彼女を脅かす全てを……

 

「ワアアアアアアアアアアァァァァァァッ!!!?」

 

 壊してみせる。

 

【アークライズ オール・ゼロ】

 

 目を開けると、先程までと変わらない青空が広がっていた。

 あれほどまで命を蝕んでいた身体の怠さは、綺麗さっぱり消え去っていた。

 胸に手をあてがうと、既にそこに穴は無かった。代わりに、腰元には真黒いベルトが巻き付けられていた。

 彼女は立ち上がった。

 身体が、数段軽くなっているように感じた。

 

「全部、分かった。司令部がやりたい事、滅亡迅雷がやりたい事、機械生命体がやりたい事」

 

 彼女は壊れた瞳で、聖櫃を見遣る。

 聖櫃はもう、なにも返さない。

 ただそこに佇む抜け殻となってしまった。

 

「ありがとう、アーク」

 

 かつて22Bだったアンドロイドは歩き出す。

 転送装置へ向けて。

 彼女の、家……バンカーへ向けて。

 

「司令部、機械生命体、アンドロイド、ヒューマギア」

 

 彼女は水に映る己の姿を一瞥した。

 隊服は、今まで纏っていたヨルハのものと変わらなかった。

 だが、ただ一つ……その顔には、半分に割れた白い仮面がかかっていた。何の特徴も無い、真っ白な仮面。

 だが、それだけで。

 彼女は自分という存在が生まれ変わったように感じていた。

 

「悪い奴は、みんなまとめて、壊してやる」

 

 アーク・0B。

 それが彼女の新しい名であった。




●次回予告
ついに始まった第244次降下作戦。
ヒューマギアの街を攻撃するヨルハ達と、防衛を行う滅亡迅雷。そんな中、46Bと32Sはヨルハを呪いから解放するため、アークの内へと忍び込む。また、転送装置経由でバンカーへと忍び込んだ0Bは、製造されたばかりの64Bと出会う。
そんな中、ついに機械生命体の2人が動き出す。

●あとがき
第5話をお読み下さり、ありがとうございます。
この話で、ようやく第一章を盛り上げる準備が完了しました。
次回は、とにかく全面戦争編です。機械生命体も滅亡迅雷もヨルハも盛り上がっていきます。
お楽しみに。

次回の更新は、来週の日曜日を予定しております。

※pixivにも同じものを投稿しております。

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