風は有利に吹いている【完結】   作:ノノギギ騎士団

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この物語は5話で完結します。
短い話ですが、お楽しみいただければ幸いです。


チャンピオンタイムには、まだ早い

 人生には、風というものがあるらしい。

 そのことを知ったのは、何度目かのポケモンバトルの時だった。

 

 風を言い換えれば、機運だった。

 巡り巡って舞い込んでくるものだ。待ちぼうけた末に落ちてくる、単純な好機ではない。

 

 その風は、どうやらバトルに関して、いつもわたしに『有利』に吹いているものらしい。

 どんな逆境でも、その風はわたしの味方だ。

 不利を引いても、悪手を重ねても、風はわたしに吹いている。その風のおかげできっと誰もが見つけられない「どこかにあるはずの勝機」を見つけることができるのだ。

 

 ――なぜ、そうと分かるのか?

 

 なぜなら『わたしはバトルで負けたことがない』からだ。

 

 ……なんて。背伸びした子供の過剰な自信と傲慢に思えるかもしれない。けれど、わたしはそう信じているし、そう感じてもいる。自分の感情を抜きにしても、客観的に考えて一度も負けたことがないということは、わたしは強いのだろう。

 

 

 砂漠で叫ぶ今は、その強さが疎ましく思えるほどに。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 今朝のニュースだ。

 順当に進めばアラベスクスタジアムを経過した時点でジムチャレンジの参加者は、すでに過半数を割ったと聞いた。スボミーインを出発してから思考が止むことはなかった。

 

 ジムリーダーに破れた彼らは、それぞれの道を歩み始めている、らしい。

 ファッションへ。ブリーダーへ。他の地方へ。また来年のチャレンジ目指す者もいる。

 

『むかしに選んだ道を進み続けることだけが、幸せじゃないさ』

 

 ――なんて、去ったチャレンジャーもいた。

 

 ユウリはうららか草原を歩きながら、小石を蹴飛ばした。

 

 わたしは、夢へ進んでいる。

 認めてくれる人もいる。

 応援してくれる人もいる。

 未来に進んでいる手応えがある。

 

 だから、彼らを置いていくのはわたしのはずなのに。

 

 どうしてわたしは『置いていかれた』なんて感じてしまったのだろう?

 

 チャレンジャーは皆、同じ夢を見ていたハズだった。

 煌々と輝くライトの下、喝采を受ける青年、ダンデ。

 彼こそ絶対の勝者だ。未だ彼のチャンピオンタイムは終わらない。

 彼に立ち向かい、そして、勝つのだ。それが夢。そのために、今がある。

 

 冷めない熱がないように。

 醒めない夢がないように。

 

 そして、人々は望むだろう。

 彼の無敗伝説が陥落し、新たな歴史が紡がれる瞬間を見たい、と。

 

『今日はいつもと違う何かが見たい』という感性は、ありふれたものだ。だからこそ、残酷だ。彼こそが頂点ともてはやす観客が、彼の敗北を望んでいるなんて。

 

 けれど、その好奇には覚えがある。

 かつての小さな小さな子供は、柵を巡らした街から出たかったのだ。

 その手を引く友人がいれば、その思いは強まった。迷わずに街を出た。

 

 

 

 ――その先に在るものなんて、想像さえしなかったくせに。

 

 

 

 近頃は、ユニフォーム姿でめっきりワイルドエリアに入り浸っている。

 限られた人が、限られた目的で存在するここは、居心地が良い。

 

 今日は久しぶりに、初めてワイルドエリアに足を踏み入れた時のことを思い出した。

 

 見慣れたアーマーガアタクシーを遠目で見たからだった。

 ワイルドエリアを出る用事は無かったが、何となく気になって、木陰で休んでいるらしいタクシーへ駆け寄った。不思議なことに客室だけだ。アーマーガアも運転手もいない。

 

 ひょい、とタクシーの中を覗くと驚くことに人がいた。

 

 街の人は「タクシーなので乗客がいるのは当然」と思うかもしれない。けれど、ここはワイルドエリアだ。天気は変わりやすく、空にも強いポケモンが多い。トレーナー以外の人がいるのは、危ないと思うのだ。

 

 客室のなかでは長い赤髪を背中で結った人が、ぐったりして鉄の客室の壁に寄りかかっていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、っ……あぁ……あと十分ほど待って欲しい……」

 

 小柄な女性かと思ったら、返って来たのは男声だった!

 彼は、すっかりくたびれていた。目を閉じて苦しそうにしている。もしかして、タクシー酔いをしたのだろうか。ともあれ、しきりに小さく頭を振る彼は安静にして放っておいた方がよさそうだ。

 

 タクシーを離れようとしたその時、青年の足下でじっとしていたらしいヒトモシが動き出した。

 

「ん、ヒトモシ……?」

 

 ……ひょっとして、この人の体調が悪そうなのは人の生命を燃やすヒトモシが傍にいるから?

 

「きみ、おいで」

 

 手を広げて声を掛けてみる。

 興味を持ってくれたようでヒトモシはふよふよと歩き出した。

 しかし。

 

「ミアカシ、ここにいなさい(Stay here)。いてくれ……頼むから」

 

 聞きなれない言葉が聞こえた。どうやら、彼は普通のトレーナーではなく、他の地方からの旅行者でもあるらしい。

 ヒトモシのことをミアカシと呼んだ彼は、気怠そうに動いてユウリを見た。

 

「…………」

 

「あ、ごめんなさい。具合が悪いのは、その子がいるからかもって思ったんです」

 

心配ご無用(Don't worry)……少し休めば、良くなるさ。まさか、あんなに揺れるとはね……」

 

「あー……あっ」

 

 余計なことをしちゃったなぁ。

 ユウリは視線を彷徨わせて、さらに余計なことを考えてしまった。

 

「あの! 酔い止めの薬がありますけど要ります?」

 

ぜひ、要りますね(Is required!)

 

 鞄をあさり、分包された薬を取り出すと彼に渡した。

 実は、ユウリが準備したものではなかった。ユウリの母が、旅立つ娘のために準備してくれたものだ。けれど新調した鞄の中で唯一、また幸いなことに、出番が無かった小さな薬箱はこうして役に立った。

 

 すると彼は、薬を飲むのかと思いきや、気怠い目のまま折りたたまれた仕様書を読み込んだ。

 ――ホップなら絶対、ひょいパクするのに! いや、ダンデさんもしそうだな……。

 ユウリは久しぶりに大人の男性に出会ったような気がした。

 

ありがとう(Thanks)……用法よし、効能も、まあ、よしでしょう。あぁ、ありがとう。きっと良くなるだろう。さて、お代はどうしたものだろう」

 

 薬を飲みほしても、まだ痛みがあるのだろう。顔をしかめながらも彼が足元に置いている鞄から何かを取りだしたので、ユウリはぶんぶんと手を振った。

 

「結構です! 結構です! 困っている人を見かけたら、放っておけなかっただけなので……」

 

「情けをかけたのなら、その報いを受けるべきだよ。イッシュの紳士に恥をかかせたまま終わらせないでくれ」

 

「えぇっ!? ……うぅ……あはは、はは……?」

 

 小難しい言い回しと文化の違いを持ち出されて、ユウリは咄嗟に曖昧に笑ってしまった。それを肯定を受け取り、彼も薄い微笑みを浮かべた。愛想笑いができる悪気の無い真面目な人なんだな、とユウリは彼の厚意を受け取った。

 彼は、とびきりのイケメンではなく、眉目秀麗な美男子というわけでもない、ただ笑った時に片方の頬が上がるのでちょっぴり悪だくみをしている人に見える。

 

 そんなことを顔に出さずにしていると、げんきのかたまりを渡された。

 ユウリはフレンドリーショップの値段を思い出し、ドキッとしてしまった。薬の価格は知らないが、どう考えても釣り合わないように感じたのだ。

 

「ええっ!? せ、せめて『げんきのかけら』くらいだと思う……!」

 

「ささやかなものだが、どうかな? それとも若い子だと現金(Cash)のほうが良いのだろうか?」

 

「けけけ、こ、けけ、結構です! あ、ありがとうございます!」

 

「私も助けられた。そうだ、名前を伺っても?」

 

 名前を尋ねられたのは久しぶりだったのでユウリは口ごもってしまった。

 最近は、ジムチャレンジャーが減ったのですっかり名前を覚えられてしまい、誰かに名乗るよりも先に呼び掛けられることの方が多かったのだ。

 

「っは、はい。背番号888、ユウリです」

 

「そうか。私はアオイだ。シンオウから研究、いや、旅行にね。――あの、世間知らずで申し訳ないのだが、君のその服は、何かのイベント中なのかい? ユニフォーム?」

 

「はい、ジムチャレンジと言って――」

 

 簡単な説明をしながら、ユウリは不思議に思うことがあった。

 ――イッシュの紳士を名乗っているのにシンオウからやって来た? この人は旅をしているのだろうか?

 説明が一段落すると、ミアカシが元気を取り戻したアオイの隣にちょこんと座りこみ、彼の袖を引いた。

 

「ああ、すまないね。この通り、元気になったよ。ありがとう、私の可愛い子……」

 

「心配したんですね」と感想を伝えると彼は、すこしだけ困ったように笑った。

 

「――昨日、ガラル地方に着いたばかりだが、ここのところ寝不足が続いていてね。いいや、自分の望んだことだから仕方が無いのだが……思いがけずタクシー酔いが酷くなってしまってね」

 

「タクシー、そうだ、アーマーガアとタクシーの運転手はどうしたんですか?」

 

 ユウリは辺りを見回した。やはりそれらしい影は見えない。

 

「私がすっかり酔ってしまったので一時間ほど休憩と言っていたよ。そろそろ来る時間だが」

 

「えっ。具合の悪いお客さんをほっぽって?」

 

「ああ、どうか彼らを悪く思わないでほしい。私が希望したんだ。酔いなんて、いつ良くなるとも知れないだろう? いざとなれば私達は近くのポケモンセンターにテレポートできるし問題は無かったんだ。ワガママを言ってしまって申し訳ないくらいでね」

 

「そうなんですか。アオイさんは、どこまで行くんですか?」

 

「アラベスクタウンまで行く予定だ。近頃、フェアリータイプというものに興味があってね。ルミナスメイズの森を訪ねてみようかと。――君は、どこに行くのかな?」

 

 彼の質問はありふれていてこれまで何度も聞いた言葉だった。

 

「……わたし、わたしは……」

 

 いつもならば。

 彼ではなかったら。

 きっと何でも言えると思う。

 けれど薄い彼の笑みと同じように、それはどこかご都合主義の嘘めいたものになっただろう。

 

 彼の質問は、ユウリの心の隙間に冷たいものを吹き込んだ。彼の言葉は、単なる目的地を尋ねているのではなくこれからの人生を聞いているように思えて、妙に苦しかったのだ。

 

 彼は、ユウリが挑むチャレンジとはまったく別の世界にいる。

 ユウリが置いていったと思っている人々のなかに、彼もいた。

 

「――あぁ、すまない、チャレンジ中だと言うのならポケモンと訓練するのだろう。つまらないことを聞いたね」

 

 口を開きかけたユウリは、ヒュ、という音で注意を削がれた。

 

「やあ、リグレー。戻って来たのか」

 

 瞬きの間にテレポートでアオイの目の前に現れたのは、リグレーだった。

 手にはたくさんのきのみを持っている。

 アオイがテレポートできる算段があるのは、リグレーがいるからなのだとユウリは納得できた。

 

 彼女にもリグレーはなじみ深い存在だ。自転車でハシノマ原っぱを走っているとよくぶつかる。

 

「ア……」

 

 彼は、受け取ってしまってからギクリと顔を強張らせた。

 

「キーのみがたくさん……」

 

 キーのみは、混乱を回復するのが主な効果だが、その効果のせいか味に刺激的なものが多い。

 つまみ食いしたミアカシは酸っぱい実を齧ってしまったようで「モモモっ」と口を痺れさせている。

 

「あ、ありがとう。非常食にしておくよ……」

 

 アオイはそそくさと鞄のなかにきのみを入れた。

 苦笑いをするユウリは、そろそろここを離れようかと思った。『どこへ行くのか』。理由を探すためだ。そのために、歩みを止めてはいけないと思うのだ。決して。居心地が悪いワケではない。

 

 その時、強い羽ばたきが聞こえた。頭上を見上げればアーマーガアが旋回し、着地するところだった。草むらから遠巻きにこちらを見つめているバルキーと目があった。

 

 アーマーガアの背から降りた運転手が「やあやあ」と言う。ノックをして客室の青年を見た。

 

「おぉーい、お客さん、もう大丈夫かい?」

 

「ええ。そこのお嬢さんが助けてくれました」

 

「そりゃよかった。今日は空の風が強いから、これからも揺れるが大丈夫そうかい?」

 

「ええ、なんとか」

 

 ユウリは空を見上げた。雲の動きが速い。

 上空の風の動きをそれだけで読み切ることはできないが、空の風は複雑にうねるだろう。

 

 アオイの不調は、そもそも寝不足によるものだ。アーマーガアタクシーは速く便利な乗り物だが、速過ぎるため体調不良を起こしやすくもある。経験したことのない乗り物の揺れやスピードがあれば、彼はまた具合を悪くするだろう。

 

 ユウリは挙手した。

 

「わたしも! 一緒に! 行きます!」

 

「えっでも、君は……忙しいのでは?」

 

 アオイは驚いたようだった。

 

「大丈夫です。わたし、強いので。それに、ルミナスメイズの森は暗くてややこしいんですよ。ちゃんと準備しないと迷子になっちゃいますよ?」

 

「そ、そうなのかい? そう、そうか……」

 

「旅は道連れ世は情けってヤツだ。お客さんよ」

 

「む……うむ……」

 

 乗りな、と親指を上げた運転手に諭されてアオイは反論を諦めたらしい。

 客室の扉を開けながら運転手は、偏光ゴーグルの向こう側でウィンクした。そして、小声で言った。

 

「ありがとよ、嬢ちゃん。客室をゲロまみれにされるのはちょっと、いや、だいぶ困る。すこしの間、話し相手がいるだけでも違うと思うからな」

 

「タクシーが揺れないように、頑張ってください」

 

「ははッ、そりゃ腕の見せ所だな」

 

 アーマーガアも一声鳴いた。

 客室に入るとアオイが床に置いていた鞄を引き寄せているところだった。

 

「わ、私の荷物が多いので狭いが……」

 

「大丈夫です。わたし、小さいので」

 

「……ええと、すまない。手間をかけるね。偶然出会っただけなのに」

 

「全っ然、大丈夫です!」

 

 きっとチャレンジャーなら誰でもこうするだろう。

 ユウリの笑顔に、彼は困ったようにミアカシをくすぐった。

 

 アーマーガアが羽ばたきを始めた。ゆっくり上昇していく。

 

「とことん付き合いますよ。あ、窓開けますね。風があれば悪酔いもしないですよ」

 

「あ、ありがとう。でも道案内は、と、途中までで結構だ。君も君の旅があるだろう」

 

「そうですけど、時間には余裕があるんです。だから、すこしの間の寄り道なら大丈夫です。それにわたし、強いので」

 

 身を乗り出し拳を上げると靴のつま先に細い棒が当たった。

 

「あ……すまないね。杖が……」

 

 アオイは杖を拾い上げた。

 

「それは?」

 

「すこしだけ足が悪くてね。まあ、お守りのようなものだ。気にしないでほしい。それよりも、君のチャレンジがどういうものなのか知りたいんだ。優勝者には何があるんだい?」

 

「チャンピオン、ダンデさんとの挑戦権です」

 

「ほう、ほう。リーグとも違うのだな……。ダンデ。ああ、聞いたことがある。リザードンを使うチャンピオンだろう? 無敵だか無敗だか、とても強いと聞いた」

 

「他の地方では、ダンデさんってどういう評判なんですか?」

 

 アオイは、膝の上でミアカシと遊びながら答えてくれた。

 

「ふむ。シンオウ地方では知名度はイマイチかな。なんせガラル地方は遠いからね。派手なパフォーマンスが上手な若手のチャンピオンといったところかな。けれど。ええと、誰だったか。ホウエン出身のジムリーダーがいるらしいね。彼の方が知名度は上かもしれない」

 

「カブさん? そうなんだ。ガラル地方じゃ知らない人の方が珍しいのに」

 

「知名度は単なる情報量の問題だ。要するに時間の問題というものでね」

 

 アオイは鞄から新聞を取り出した。

 彼が指した記事を読むとローズ委員長の会社マクロコスモスがメディア関係で海外の進出を目指している、という話だった。その交流の手始めに『すいせんじょう』の権利を海外のチャンピオンも付与できるようにするという方針を固めたらしい。

 新聞を折りたたみながら、彼は窓を見た。

 

「海外からのスポンサーが付けば、他の地方でもジムチャレンジが放送されるようになる。遊興として確立されているということは、洗練されているということもである。分かりやすいパッケージの番組だ。きっと人気がでるよ。カントー地方でもシンオウ地方でもイッシュ地方でもね」

 

「そうだといいなあ」

 

 何となく呟いたユウリが思い浮かべるのは、スポットライトに登場するダンデが全世界で放映される光景だった。

 花火に彩られ、ダイマックスするポケモン。そして、画面からはみ出てしまうほどの巨体でぶつかり合うのだ。

 

「イイ……! カッコイイ……!」

 

「君は誰と戦いたい?」

 

「ホップです! わたしのライバルで、同じ街から出発して、今もチャレンジをしているんです」

 

「ホップ? 男の子か……。友人? 親友? それとも、好きな人?」

 

 悪戯っぽい彼の語り掛けに、ユウリは思わず顔を赤くして――それから、肩をすくめた。

 

「好敵手と書いてライバルと読む種類の親友です……」

 

 それは面白い関係だ。彼は、カラカラと笑う。

 しかし、やや間があって彼は咳払いをした。

 

「私は、あー……好ましい関係だと思うがね」

 

「アオイさんには、そういう人、いないんですか?」

 

「ライバルではないね。私は研究職だから競い合う環境になり難かったということもある。どちらかといえば、誰かを相手取ってダブルバトルをしているような環境とでもいうべきか……。でも、彼らは私の親しい、恋しい友だ」

 

「もしかして、好きな人?」

 

 ちょっとした意地悪のつもりもでユウリは訊ねた。

 しかし。

 

「そういう感情は、通り越してしまった」

 

 ――好きな人なんて。それを口にできるのは、若さ、というものかもしれない。

 目を伏せて彼は言った。もうずっと、何年も、ひょっとしたら何十年もこの状態だとも言った。

 

 彼のくたびれた雰囲気は、激しい感情の通り過ぎた後の余韻なのだ。

 ユウリは、彼のことを本当の意味で大人だと思った。

 きっと、彼は諦めを知っている。挫折も知っている。失敗もしただろう。それでも諦めないことを選んだ大人だと分かったからだ。

 

「『好きだ』、『愛している』。どちらも使い古された薄っぺらい言葉だ。私達を形容するには安すぎる。そんなことを考え過ぎたら何も言えなくなってしまったし、機会も失ってしまった。だから、ずっと傍にいる。お互いの安寧と祈りを我々は愛と定義した」

 

「はわ……ロマンチックですね……」

 

「そう言ってくれると助かる。中身は、傷つくのが恐いだけの臆病者と頭でっかちな恋の勉強会なんだ。こういう大人になっちゃいけないよ」

 

「ならないように、どうすればいいですか?」

 

「そうだね……。お互いに、よく話すこと。時間をかけること。分かったフリをしないこと。ワガママは言ってみるもの、かな」

 

 アオイは、また薄い笑みを浮かべた。

 どうしてだろうか。ユウリの見るところ彼は――。

 

「でも、アオイさん、ちっとも後悔していないみたい」

 

「ああ、後悔などしないとも。今以上の未来は無いからね。ただ今は良き思い出として在るだけだ。手痛い思い出も焼けた傷跡も過ぎ去ってしまえば旧い友人のようでね」

 

 それは、ユウリの知らない思い出の在り方だった。

 思い出。それは過去だ。

 一秒ごとに死んでいく『今』を惜しむばかりでは、触れるのも痛い思い出ばかりになってしまう。

 それに薄々気付きながら、ユウリは自分を止められない。

 

 だから。同じ風景を見つめながら呟いた。

 

「……良い思い出って、どうやってできるんだろう」

 

 彼は失笑した。

 

「ふふっ。懐古趣味になるには、ちょっと、早いんじゃないかな? チャレンジャーの気持ちに疲れたのかい?」

 

「全っ然! いつもワクワクしてます。だから……だからこそ、わたしは、今を味わっていたいんです」

 

「ほう……」

 

 興味深そうにアオイは小首を傾げる。

 ミアカシも真似をして体を傾けて倒れそうになり、アオイの手に支えられた。

 

「わたしは強いのでバトルは全然、苦ではないんです……でも、最近は……どうしても、考えてしまうことがあって」

 

「悩み事かい? 私でよければ話を聞こう。もっとも私は問題解決のアイディアを提供できた試しがないのだが」

 

 ユウリは、いつの間にか窓を見ていたアオイが自分をまっすぐに見つめていることに気付いた。

 問題解決ができないと言ったことも真実なのだろう。正直に話すという点で彼は誠実だった。

 

 きっと、このままでは心に抱いた苦悩は変わらない。

 ならば、ここで誰かに聞いてもらうことも必要なのではないか。

 

 利害関係と損得勘定の向こう側。

 本来、ここに在るべきではない旅人ならば、打ち明けてみてもいいのではないか。

 

「聞いてくれるだけでいいんです。だって、あなたはわたしのことを知らない。わたしもあなたのことを知らない。他の人なら、きっと、こんなことを言ったらおかしな子って思われるんですが……」

 

「行きずりの旅人に気を遣うものではないよ。まして大人などに」

 

 彼は、紳士然としてさりげなく対話を促した。

 

 ユウリは帽子を取る。 

 何となくギュッと握った。

 

 言葉にすれば、心は形になってしまう。

 でも、気付かないフリは、もうやめだ。

 

 いつか後悔しないために。

 彼と向き合う、その時のために。

 

 今の願いを語るのだ。

 

「――きっと、わたしは、今が一番楽しいんです。『ずっとこの時を過ごしていたい』と心から、そう、思うんです。わたしは、チャンピオンになります。強い人がチャンピオンになるんじゃない。きっと、誰にも負けなかった人がチャンピオンになるんだ。だから、わたしはホップにも、残りのジムリーダーにも、ダンデさんにも負けない。……でも、でも……ホップと競い合えるのは今だけなんだ。わたしは、負けないことが、勝つことが好きなんじゃなくて、本当は、きっと、ホップと競い合えるからバトルが楽しいと思えるんだ……。でも、ジムチャレンジは期間が決まっていて、いつか終わりが来る。全部終わった後で、わたしはどうするんだろうって……不安に思うんです」

 

「今が真の意味で『チャレンジャーでいられる一番大切な時間』というワケだね。いいな。羨ましい。切磋琢磨して鍛え合う。そんな青春、憧れるじゃないか……。んんっ。失礼」

 

 彼が何事か考えている間に、ユウリには羞恥心が追い付いた。

 帽子ですっかり顔を覆った。

 

「わ、忘れてください! やっぱりやめとけばよかった。は、恥ずかしいこと言っちゃいましたね。ダンデさんに勝つなんて、とんでもないことですよね。わわっ……負けちゃったら恥ずかしい……」

 

「夢は大きいほうが齧り付き甲斐があるものだ。まして無敵と呼ばれる英雄を打ち倒すのなら、それは最新の英雄だ。私も言ってみたいものだ。『ダンデに負けない』……実力差で消し炭になりそうだが」

 

「わ・す・れ・て・く・だ・さ・いっ!」

 

「いいや、お嬢さん。聞き届けたとも。いつか来る未来より、辿ってきた過去よりも、今を愛することができるのは幸運なことだ」

 

 アオイは、肯定した。

 きっと、そうしてしまう方が簡単だろうに幼さを揶揄うことをしなかった。ありがちな思春期に貶めることもしなかった。大人が、ただ静かに聞いてくれるだけで、心のしこりがほんのすこし軽くなるような気分になった。

 

「幸運なんて。ただ、苦しいだけです。ジリジリ、焦げるように消費されていく今が……わたしには苦しい。いつか後悔無く思えるように過ごそうと思う毎日が、すこし辛い。わたしが見ているのは、今ではなく未来と思ってしまうから……」

 

「ふむ。つまり、君の話をまとめるとこうかな。『今に夢中になりたいのに、今が幸せ過ぎて、いつか過去として思い出した時に辛い。だから、せめて後悔だけはしないように今を充実させたいが、それ自体が未来の向けての準備なので今を蔑ろにしてしまって辛い』ということだね?」

 

「そうです、それそれ、それ! ――ッ痛ーぃ!」

 

 百点満点の回答を得て、ユウリは目を輝かせた。やはり、この人は「分かる人」だ。

 興奮のあまり勢いあまって立ち上がってしまって、客室の天井に頭をぶつけた。

 

「だ、大丈夫?」

 

「わたし、特性、いしあたまなので……平気……平気……」

 

 涙目で精いっぱいの強がりをしてみる。

 彼はその意を汲んでくれた。

 

 そして。

 

「では。ささやかな助言を伝えよう。君が――」

 

 君が。

 彼は、その後、何と言おうとしたのだろう。

 

 瞬間。客室がぐらりと大きく揺れた。

 

「なにっ――」

 

 突風だ。

 ユウリは目の前の手すりにつかまり、座席から放り出されないようにこらえた。

 窓の外を見れば、砂塵の窪地近くだということが分かる。それはなぜか。激しい砂嵐が同時に客室を吹き付けていたからだ。

 

 アオイは目を白黒させて扉につかまっていた。

 

「これは……」

 

「アオイさん、手を――!」

 

 再び客室が大きく揺れた。

 窓を閉めるために伸ばした手を掻い潜り、衝撃がミアカシを攫った。

 

 アオイの膝の上でくつろいていたミアカシは、一瞬の間に開け放っていた窓から飛び出し、砂嵐に消えた。

 その事実を取り消そうとするかのように、アオイの行動は早かった。

 

「ミアカシッ!」

 

 シートベルトをもどかしそうに外し、アオイが扉を開いた。

 

「ミアカシ! そこを動くな(Stay there)! 必ず迎えに行く、絶対に動くんじゃない!」

 

「アオイさん、ダメ、危ない!」

 

 ユウリは今にも飛び降りそうなアオイの腕をつかんだ。

 砂嵐の切れ目から見えた限りでは、高度は十メートル近くある。

 そこから人間が落ちたとなれば、砂地であっても重傷は避けがたい。まして彼は、足が不自由なのだ。

 

「どけ、私は行かなければ――!」

 

 ユウリはアオイを座席に押さえつけるように、動こうとしてその体をシートベルトに阻まれた。

 

「あぐッ!? ――ま、待って!」

 

 ユウリにわずかな隙ができた。その間隙を縫い、彼は制止を振り切って飛び降りた。

 客室の扉が開いたことで空気抵抗が大きくなり、タクシーの車体の均衡は更に壊滅的なものとなった。

 

「あ、アオイさんっ! くぅ――!」

 

 間に合わなかった。

 ユウリは帽子を被りなおすと備え付けの無線機を取った。

 

『お客さん! 扉が開いてるぞ!』

 

「はい、客室は誰もいなくなりました!」

 

『なんだって――っ!?』

 

 運転手の悲痛な声にユウリは叫び返した。

 

「だから、これからわたしが探す! この風のなか客室を持ったままだとアーマーガアでも飛べない! 今すぐ捨てて、風が緩やかな場所へ逃げてください!」

 

 ユウリはアオイが置いていった鞄を掴むと躊躇わず、扉の外へ身を投じた。

 

「――フライゴン、君に決めた!」

 

 スーパーボールが弾けて、現れたのは緑の竜体をもつフライゴンだ。

 砂嵐に目を細めながら、フライゴンの脚につかまり砂地に着地する。

 

「アオイさーんっ! どこですかーっ! うぅ……」

 

 砂嵐が吹き荒れる中で叫ぶのは、口と喉に砂が入り込んで苦しい。

 気遣わしくそばでフライゴンがそばで風よけをしてくれた。

 

 ――アオイは、ミアカシというヒトモシと合流できただろうか。

 

 ミアカシが落ちてから十秒前後でアオイはタクシーを降りた。

 時間差が命取りだ。その間も、客室は風に流されて動き続けていたからだ。しかも視界は1mがやっとの悪天候。ほんの十秒で引き離された距離は何十メートルだろうか。しかも両者が動いていた場合、ばったり出くわす確率は低い。だからアオイは「その場にいろ」と声をかけたのだ。もっとも、それが功を奏するのはそのアオイも着地が上手くいけば、の話だ。身体を打ち付けて身動きが取れなくなっていれば、事態は更に悪くなる。

 

 ロトム図鑑で時刻を確認する。砂嵐は夜間には、おさまることが多い。日没まであと4時間。

 

 激しい砂嵐でもコートを被ってじっとしていれば、十分に耐えられる時間だ。けれど、砂地の夜は冷える。その間に、彼らは動こうとするだろうか。

 

(ダメだよ。待って。わたしは、まだ、答えを聞いていない!)

 

 ユウリは目を見開いて、歩を進めた。

 

 

 

 

 

 




3話で終わると告知していましたが、1話増えて、4話になりました。さらに1話伸びて5話になりました。もうすこしだけお楽しみいただければ、と思います。
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