結論から言えば、日没までふたりが見つかることはなかった。
彼女にとって風は、いつも有利に吹いている。
尤も、バトルの時は、という条件がつくものだった。
日常の彼女についてラッキーな出来事というのは実に少ない。毎日、ポケモンセンターでロトムのクジを引いているが、一年に一度当たるか当たらないかという具合だ。1桁くらい当たってもいいじゃないか。……でも、とことん、ツイていない時がある。それが今だった。
ひとまず、巨人の帽子にある大岩の近くでユウリはキャンプを開いた。
火の明かりを察して、腰高まである草木で草ポケモンがじっとしている気配がした。
「よいしょ、と……」
明るい場所で、アオイの鞄を置いた。
砂嵐が止んだ今ならば、荷物が開ける。彼のモバイルの情報があるかもしれない。
アオイの鞄は、数日分の着替えと歯ブラシ等の旅行道具で占められていた。旅行者の鞄は似たり寄ったりなものなんだな、とユウリは妙な感想を抱いた。さらに探ると側面の薄いポケットには、写真が入っていた。
「アオイさんと……友達、かな」
けれど、隣り合う女性がアオイの言う「そういう感情は、通り越してしまった」人なのかもしれない、なんて思った。写真のなかで寄り添う、つかず離れずの距離感がもどかしい。ユウリは、その写真を見なかったことにして元の場所へ納めた。どうやら手帳などはアオイが肌身離さず持っているようだ。連絡先の手がかりは無かった。
はぁ、とため息をついてみる。
その時、一緒に探していたフライゴンがのっそりと顔を近づけていた。
「フライゴン、どうしたの?」
彼は一声鳴くと頭を下げた。乗れ、という合図であることをユウリは知っている。
野生のポケモンに盗まれないようにアオイの鞄を閉じるとフライゴンに跨った。
「でも、キャンプ設営したままだから、必ずここに戻ってくるよ」
了解を伝えるように彼は、また一声鳴いた。そして、上昇する。
「いったい何が……」
ユウリは辺りを見回しながら、呟いた。
フライゴンはどこかへ飛び立とうとする様子がなく、滞空している。
ならば目の見えるところに、フライゴンが気がかりな異常があるのだ。
ワイルドエリアの景色は、変わらない。
嵐のおさまった砂塵の窪地の向こう、巨人の鏡池には遠くに赤い光の柱が見えた。ポケモンの巣から放たれる光だ。
それ以外に不思議なものは、無い、ハズなのだが。
「あ」
赤い光が、大きく膨らみ弾けた。
ダイマックスするポケモンが現れる前兆だ。
「――フライゴン、全速力でまっすぐ進んで! 誰か戦っている!」
その声に応じ、フライゴンは飛んだ。
砂地に浅い波紋を残し、地面のすれすれを飛行する。
不思議な雲が天空に渦を巻いた。巨体を揺らす。
肌がぴりぴりと電気を感じた。
ポケモンの巣から現れたのは、ワンパチだった。
「――ワンパチだ! 大きいなぁ、サイズ更新だ……!」
ワンパチの上空でスマホトロムでパチパチと写真を撮る。
ワンパチが吠えた。けれど『わざ』ではない。大きな顔にぶつかった火花が散った。
暗い水面に鮮やかに光った火花がある。その光源が、青年の姿を照らした。
身を乗り出してユウリは声を上げた。
「アオイさんだ。いたっ! 下ろして、フライゴン!」
フライゴンは地上ぎりぎりを滑空し、ユウリは彼の背から飛び降りた。
受け身を取って地面を転がった後で、声を張り上げた。
「的は大きい、必ず当たる! 『だいちのちから』! いっけーッ!」
ワンパチがスパークを放つ、それを急旋回で避けたフライゴンがだいちのちからを使った。
異変を覚えたワンパチが飛び上がる。しかし、地面を突き破って現れた石がワンパチに追い打ちをかけた。
「続けて、フライゴン! 『りゅうのいぶき』!」
勢いに押され、クルルルぅ、と鳴いてワンパチは小さくなった。
上空の赤い雲も散っていく。
「よし! フライゴン!」
周辺を旋回するフライゴンは見回りしているようだった。
足音が聞こえてユウリは振り返った。腕にミアカシを抱えた彼が信じられないものをみたような顔でそっと近づいてくる。
「君――ユウリさん?」
「アオイさん! よかった! 探しても探してもいなくて心配したんです……! ああ、よかった」
「心配をかけてすまない。あの後、幸いなことにミアカシを見つけることができてね」
「わたし、ずっと砂地を探していて。だからすれ違いもしなかったのだと思います。怪我はないですか? ワンパチを相手にしたのならマヒとか。大丈夫ですか?」
「ああ、何とも無いよ。先ほどのポケモンは、ワンパチというのか。……悪いことをしてしまったな。この子は、ちょっと無邪気が過ぎることがあってね。どうやら巣穴を触ってしまったようなんだ」
やれやれ、とアオイは疲れた顔をした。
「あー……光っていたら触りたくもなりますから仕方ないですよ。それより、よくここまで移動できましたね。リグレーのテレポートですか?」
「いや……そういう、わけでは……」
アオイは口ごもった。
しどろもどろになった彼は、何かを振り切ったように頷いた。
「と、ともかく、君も無事でよかった。アーマーガアと運転手もきっと無事だろう。――あそこに見えるのが、ナックルシティだろう? 私達があそこまで歩くのは、三日ほどかかりそうだと思ってね。すこし休憩していた」
「アオイさん、杖を忘れていきましたよ、あと荷物」
「ああ……気がかりだった。君が持っていてくれたのか、ありがとう」
鞄と杖を渡すと彼はホッとした顔をした。
「アオイさん、ここにいてくださいね。わたし、自分の荷物を持って来ます!」
ユウリはフライゴンに跨り夜を駆けた。
三十分もかからずに戻ってくるとアオイは、火をつけた薪のそばで座っていた。
その横顔は目を閉じたら眠ってしまいそうだった。
「あ……ああ、君か……」
「アオイさん、眠っていたらよかったのに。お疲れですよ、顔」
「そうかな……そうかもね……。眠ってはいけないと思うと眠くなるものだ」
「どうして眠ってはいけないんですか?」
キャンプを張って野宿も珍しくない生活をしているユウリは、不思議なことだった。彼は考え込むように靴先を見ていた。
「……。神経質でね。枕が変わると眠れない、というものだ」
「そう、ですか……」
ユウリは、察した。――彼は嘘を吐いている。
けれど、今はその嘘が必要なのだろう。何のためか分からないが。
パチ、と焔が爆ぜる音が聞こえている。
どう話を切り出したものか。
ユウリは言葉を探した。
しかし。
「君は、私への相談の返答を聞きに来たのだろう。……約束だ。答えよう」
疲労の色が濃い横顔が、薄っすら橙色の炎に照らされて血色がよく見えた。
ユウリは背筋をただして彼の言葉を聞いた。
「最初に、話すべきことは……そうだな……単純であることは美しいことだと知ってほしい。けれど、複雑であることは難解であっても悪いことではないと覚えておいてほしい」
「はい?」
彼の言葉は、理解できた。
けれど、ユウリは単純の美しさに出会ったことがなく、難解の好ましさを感じたことは無かった。だから、素っ頓狂な返事をしてしまった。
それを軽く笑い、彼は言った。
「――君は、何が欲しい?」
「え」
「何が一番欲しい?」
「……え」
「君は今が大切だ。今を大切にしたい。けれど、君が大切にしたいのは、単純に『時間』ではないだろう。同じ時間にいる『人』だ。それはホップ君であるかもしれない。それ以外の友人であるかもしれない。けれど、それも単純に『人』がいればいいという話ではない。彼らと何をするか。彼らに何をするか。何をしたいのか。君自身が混乱している。だから、優先順位が必要だ」
淡々とアオイは言う。
「悩んだらこうするんだ。人の欲は際限が無いが、時間は有限だ。……間違った努力をする時間は、意外と無いハズだからね」
時間。人。何をしたいのか。
ずっと言葉にできなかった事柄が、いくつかの単語に分解された。
考えてみれば単純なことだった。たぶん言葉にすれば、ほんの数十秒の会話に落ち着いてしまう。
ユウリは運動靴の底で小石を転がした。
「わたし、あの、客室で、ホップのこと、すこし話しましたよね」
「ああ。君の良き人、そしてライバルだと」
「……彼、一度もわたしに勝ったことが無いんです」
「そうなのか。君が強いから?」
「たぶんそう。……今のチャンピオンの名前、知ってますよね」
「え? ミスター・ダンデだろう」
「彼の弟なんです」
「そう……か。ああ、そうか。だから君は今が最高に楽しくて、苦しいのか」
衆目の圧力。
プレッシャー。
矜持。
彼も想像が及んだのだろう。
短く言葉を切った。
何もかもを望んだわけでは無い。
全てがホップにのしかかり、押しつぶそうとしている。
だから、せめて自分だけはホップの味方になりたい。
そう思うのに。
「わたしは、負けたくない」
ユウリのなかで『味方であること』と『肯定すること』は、同じではない。だから『君は、そのままでいいよ』とも『頑張ろう』とも言えない。
ホップと戦って勝つとは、彼の夢を最前線で壊し続けること。
誰にも負けたくない。
全力でぶつかり合いの勝負ができるから、ライバルだと思っている。
ユウリは顔を伏せた。
「わたしは、勝ちたい。勝ち続けたい。だから、決して諦めずにホップはわたしに挑んでほしい。でも。いつか、わたしを超えてほしい。わたしを倒して、ダンテさんと――チャンピオンと戦ってほしい。そして、勝ってほしい。一緒にチャンピオンを目指そうと言ったことを思い出にしないでほしい。わたしを思い出にするのなら踏み越えて行って、と思う。だって、わたしは、ホップがいたから、今ここにいるんだから」
「……複雑だが……そうか……君は。驚いたな」
一息に打ち明けてしまえば、気が楽になった。
高ぶった感情は収まらない。涙を浮かべたままユウリは彼を見た。
彼は長い木の棒で燃える小枝を寄せていた。その作業が終わった後で。
「――君は、次の勝負で『まさか自分が負けるかも』なんて、すこしも想像していないのだね」
「ポケモンバトルだけは、わたし、強いので」
「そして、君の気がかりは『ホップ少年が夢を諦めてしまうかも』という心配に占められている……」
「だって! わたしが一度も負けなかったことが原因でホップが夢を諦めるなんて嫌!」
ユウリが思わず立ち上がる。
アオイはドゥドゥと両手を上げて制した。
「確かに嫌だな。彼自身、チャンピオンの弟なんて肩書を望んだわけではないだろうから……」
彼は口元を押さえて何事か考える顔になった。
「譲れないものが誰にでもあるものだ」
あぁ、あぁぁ、と。
うっすら開けたユウリの唇からは、溜息のような嗚咽が零れた。
目を閉じたまま、膝をつく。
眼を開いたら、もうダメだ。
涙が零れてしまいそうだ。
「わたしは、ただのユウリとホップで良かった……。それ以外の何かなんて望んでいなかった。でも。どうしてこんなことになっちゃたんだろう……。わたしは本当に『ホップの夢が叶うといいな』って思っていたのに。気付いたら、わたしがホップの夢の一番大きな邪魔者だ」
「……私は、君を慰める言葉を持たない」
「いいえ、いいえ、こうして、話せる、だけで、満足です、けど、考えてしまう」
「何を、かな?」
「『もし、ホップが勝っていたら今とは違う世界があるのか』……なんて、どうしようもないこと、なんですけど」
ユウリは、笑ってみた。
アオイが大きく目を見開いて、見つめ返していた。
闇夜のなかでも分かってしまったのは、彼の腕のなかにいるミアカシが明るい焔を点し続けていたからだ。
「思えば、最初からです。うまくいかなかったのは。……わたしが最初に選んだポケモンって、メッソンって言う、あ、ご存じですか? 水ポケモンなんですけど。もちろん、メッソンを選んだことは後悔していないんですけど。ホップは、ほのおポケモンを選んで……。ダンデさんがリザードンだし、きっとほのおポケモンが似合うなぁって思っていたんですけど……わたしに不利なタイプだし……。うまく、いかない。はは、笑っちゃいますよね……もう、どうしようもないのに」
「……。そう、どうしようもない。でも、ここではない未来を夢見ることは悪いことではない。憧れる想像ではあるから、君の気持ちが分かるよ」
ユウリは、彼を見つめた。
口先では諦めているのに、深く考え込む目をしている。
焔の中で、木が燃えて折れた。
「あの時、別の選択をしたならば――と私も同じ夢を見た。その末路は、何とも悲惨なものだったがね」
「大人になるって、こういうことなんでしょうか……」
ユウリは地面に敷いたシートの上で膝を抱えた。
沈黙が訪れる。チリチリと木が焦げる音だけが響き、白い煙を上げていた。
「現実との付き合い方を知る、という点では『そうだ』と言える」
大人が肯定したのでユウリは肩を落とした。
「しかし、子どもでは受け入れることしかできなかった出来事でも大人になれば抗えることもある。……後悔の克服は、人の夢だ」
「夢……。そう……そんな夢が叶ったら――」
ユウリは、膝に頭を置いて目を閉じた。
――きっと迷いなく進んでいけるんだろうなぁ。
心に思う。
時計は、二十二時を指していた。良い子は寝る時間だった。
■ ■ ■
……。
……君か。今は、酷く眠いんだ。おかげさまで不眠でね。それに、この子もいるし……どうか、控えてくれないか。
……、……。
彼女はすこし迷っているだけだ。……私と違ってね。過去の忘れ物を処分しなければ生きていけない人とは違う。彼女はまだ終わっていない。事態は、好転もするし悪化もするだろう。けれど、だからこそ正しい道を歩める余地がある。
……、……。……、……。
断言してもいいが、君の力を彼女は必要としないよ。なぜかって? 負けず嫌いのくせに、自分の中で解決を望んでいないからだ。ホップとの仲にしてもそう。彼女は常に利他的だ。彼の意志が伴っていなければ、この世界の何もかもに価値など無いのだろう。――しかし、羨ましいことだ。私も、まるで恋をするような好敵手と会ってみたかった。え? もう会ってる? 火傷も凍傷もこりごりだよ。
……。……。
まあ、いいだろう。いいや、良くはないが。こんな話の後だ。似通った夢を見るくらい、偶然の範疇としてありうることだろう。どのみち私の脚で君の悪夢からは逃げられまい。
では、どうか。
――息の根が止まるほど都合の良い夢を君に。
■ ■ ■
「勝負、そこまで!」
声が聞こえて、ユウリはハッと息を呑みこんだ。
足元には、メッソンが目を回して転がっている。
「――やったぞ! ヒバニー! オレ達、最高のパートナーだ!」
聞きなれた声が、頭に響いた。視界が、チカチカと光ってぐらつく。
どうしてだろうか。
目にしてはいけないと思える光景が目の前に広がっていた。
「え……」
思わず、こぼれた声が自分のなかに響いた。
ヒバニーがジャンプしてホップとハイタッチを交わした。
ふたりの健闘を讃えたダンデが、茫然と立ち尽くしているユウリに声をかけた。
「どうした、ユウリ」
「わたしが……負けた?」
負ける。そう思ったことは何度もある。けれど『負けた』のは初めてだ。最初のバトル以来、わたしは誰にも負けたことが無い。そうだ。わたしを初めて倒すのは、ホップであるべきで。だから、わたしは負けたことは無いハズで――。
目の前の光景と記憶の辻褄が合わない。
「……?、???」
ユウリは何となく、帽子に触れた。困った時の癖だった。
『負けると思ったことがある』?
『誰にも負けたことが無い』?
ちょっと待って?
わたしが、ホップと戦ったのは今日が初めてのハズだ。
ハロンタウンでダンデさんからポケモンをもらって、そこでホップと勝負して、わたしが――。
「ユウリ?」
ホップに名前を呼ばれて、ユウリはビクッと肩を震わせた。
「あ、あははは、わたし、はじめて、負けたから、ビックリして……それだけ! ホップ、強いね!?」
「アニキのバトルをたくさん見たからな! でも、ユウリとメッソンも強かったぞ!」
「ありがとう! でも、見てて。絶対、次は勝つから!」
「次だって負けないぜ!」
ダンデが興奮したホップと話している。
その間に、メッソンをモンスターボールに戻した。
ユウリはポケットの中まで確認した。――他のポケモンが入っているモンスターボールを持っていない。
手の中にある、真新しいモンスターボールの輝き。
初夏の風が鼻先をかすめた。
間違いない。
なぜかよく分からないが、ここはハロンタウンで、今は旅立ちの日だ。
見慣れた自宅の屋根を見つめながら、ユウリは考えた。
どうしてだろう?
時間が巻き戻った? まさか。そんな都合の良いことがあるだろうか? それとも、これはただの夢?
記憶を辿っていると、ワイルドエリアのことを想いだした。
蒼い焔に照らされた青年の顔がチラつく。
ヒトモシに憑かれた、あの人が関係しているのだろうか。でも、ヒトモシには夢に干渉する能力は確認されていないハズ。でも、『過去に戻ってみたい』なんて望みを知っているのは、あの人だけだ。何か関係が――どうしてか分からないが、きっと、関係しているのだろう。
――ワイルドエリアに行かなければ!
どこかに進もうとした足が、止まった。
(ああ、でも……見たかった光景だ)
ニッと笑った顔がふたつ並ぶ。年が離れていても、そっくりのふたりがハイタッチを交わし、拳を突き合わせる。
これまでユウリと戦ったホップは悔しそうな顔や自信を無くしたような顔をすることが多かった。それが今はどうだろう。彼は、自信と憧れに溢れて輝いていた。
(――これで、いいんだ。そうだ。これで、よかったんだ)
ホッと安堵する。
子供の頃のパズルを思い出した。ずっと行方不明になっていたピースが手元に戻ってきたような安定感があった。
風が、汗で張り付いた髪を乱していく。
大きく息を吸った後で、ユウリは目を閉じた。
(どうして、こうならなかったんだろう?)
■ ■ ■
夢か現か分からない、けれど、現実とよく似た世界でホップに負けたのは、ハロンタウンの出来事の時、つまり一度だけだった。
『前回』には無かったタイミングで勝負をしても、いつも通りにユウリは勝った。悔しそうに頭を掻いたホップを見ると申し訳ない気持ちになり、勝利の喜びは萎んでいった。
メッソンの入ったボールをジョーイさんから受け取り、ユウリは考えた。
(ホップは『前回』と変わらないんだ。変わったのは、わたしだけ)
確かめたいことがある。
早くワイルドエリアに行きたい。ブラッシー駅へ急がなければ。
慌ただしくショップできずぐすりを買い込むユウリを傍目に、ホップはニコニコしていた。
「? どうしたの、ホップ」
「旅の準備はバッチリなんだな」
「もちろん。ホップは?」
「ここだけの話、アニキからいいきずぐすりをもらったんだ。それを使い切ったら、またここに来るだろうな」
「そっか。ねぇ、ホップ、これからとても重大なことを聞くんだけど」
ショップの店員から受け取った荷物を鞄に詰め込んだ。
背負いなおした後で、ユウリはまっすぐにホップを見つめた。
――こんなことを聞くのは卑怯だろうか。
ちらりと過ぎる考えを振り切り、ユウリは温めていた質問を声に、形にしようと思う。
――だって、今だ、今しかない。
『過去のように見える』世界にいる理由は何か。
それは、きっと、この質問をするために在るんだ。
「――――」
「ユウリ?」
何も話さないユウリを不思議に思ったホップが、ほんのすこし佇まいを直した。
「ホップは……さ。わ、わたしに勝つまで、挑んでくれる?」
ユウリは、これがずっと知りたかった。
彼の言葉次第で、これからも戦える。勝てる。勝ち続けて見せる。
不思議と、そう思えるのだ。
ホップが口を開くまでの数秒が永遠にも感じられる長さだった。
その間に、言葉にしてしまった後悔と高揚。訪れる未来を思うと小さな心が軋みそうなほど震えた。
「――なんだそんなこと。もちろんだ! ライバル、なんだからな!」
ホップは気持ちよく笑って腕を掲げた。
真新しいダイマックスバンドが輝いていた。
コツリ、とバンドを交わしてユウリは久しぶりに心の底から笑うことができた。
「そっか。そうだよね。ありがと! よーし、元気出てきたっ!」
「ユウリ、次は絶対、オレが勝つからな!」
「うん、待ってるよ。――ずっと待ってる」
ユウリは頷いた。
『ちょっと先の未来で、待っているね』とは、言えなかったけれど。
もう大丈夫だ。知りたいことは知った。……何となくだけど、この世界はずっといるべきではないと思うのだ。
ワイルドエリアに行こう。きっと、あの人もそこにいる。
店を出ようとした先で、ホップはユウリの肩を小さく小突いて笑った。
「『ずっと』だって? そんなに待たせないぞ! すぐに追いつくからな!」
「! ……うん! 早く来てね!」
ユウリは振り返り、頷いた。
嬉しくて笑った後で、すこしだけ泣いた。
■ ■ ■
最低限のポケモンでワイルドエリアを駆ける。駆ける。駆ける。
ポケモンを避け、見晴らしの良いルートを選び、ただひたすらに走った。
息が切れる。視界が赤い。チリチリとみぞれがぶつかる頬が熱かった。
痛くても苦しくても、まるで困難ではなかった。
未来に追いつけ! 現在を追い越せ!
自分を励まし、過去の泥濘に足をすくわれないように、走った。
新品のシューズがボロボロになる頃、遠くにひとつの焔を見つけた。
キャンプの明かりではない。生木を燃やしている。遠目からは、細い糸のような煙が立ち上るのが見えた。
そこに近付く。闇に溶けるようにぼんやりしていた影は、人の形を作った。
アオイだった。
「見つけ、ました……っ!」
「遅かったね。いいや、早かったのかな? 少なくとも、私より速い。『ずっと』ね」
ワイルドエリア。
巨人の鏡池、湖面の見える巨石の陰に彼はいた。
怒鳴りつけたい。けれど、感謝もしたい。
混沌とするユウリの胸の内を察するように、彼は隣に座るように促した。
薪の炎が、わずかに勢いを増した。
だが、足りないものがある。
「……? ヒトモシはどこに? あなたが、ミアカシさんと呼んでいた子は……?」
キョロキョロと辺りを見回すと彼はクスクスと小さく笑った。
疲れ切った顔しか見たことがなかったユウリは、意外にも軽い反応を苦々しく思った。
「あの子がここに至るのは、魂を分ける時だけだ。彼女が見えていないのなら、君は大丈夫だ」
「?……よく、分かりません……」
「それは幸いだ。カラクリが分かっては手品も興ざめというもの。事態の裏側をめくらなければ、何も知らないままでいられる」
ユウリは、酸欠気味の胸を押さえる。彼の言葉は、よく吟味しなければならなかった。
『カラクリ』は、この夢のような世界のこと。彼は『手品』とも言った。やはり作り物なのだ。『事態の裏側』は、ユウリが知りたかったことだ。ホップの信条を知りたかった。いいや、もう知ってしまった。
彼へ向けたかった感情が、一息に萎み、ユウリは目を伏せた。
「わたしは、裏側をめくってしまった。……もう何もかも知らないままではいられないです。卑怯な……きっと、卑怯なことをしてしまった。こんなことでホップの心を知るなんて、しては、いけなかったのに……」
ユウリの想像では、彼は『そうだね』とか『仕方ないね』と形ばかりの同情をするか、『君が前を向くには、必要なことだったじゃないか』と妥当性の強調すると思っていた。
しかし、それは違った。彼は「いいえ」と言ったのだ。
「君は、新しいことを何一つ学んでいない。なぜか? ここは君の頭の中だ。私が話すことの何もかも普遍的で妥当なことだ。分かるかな。君の知る『あたりまえで当然のこと』を話している。ただ、日常では深く考えないことがあるだろう。ここは、そうした知識の日陰まで照らし出す場所なのだ」
「…………」
「ピンと来ていないようだね」
「す、すみませんね? えぇ……?」
ユウリは、驚きを顔には出さなかった。しかし、内心では彼の言葉に動揺していた。
もし、彼の言葉が本当なのだとしたら、わたし、こんなに難しいことを考えられるんだ……。
「この世界の特性上、君の想像できないことは起こりえない。君は、何か不思議なことに遭遇したハズだ。理解ができても解明ができないこと/ものに」
ほんのすこし理解が、追いついた。
「あ。そうか……だから、ホップがわたしに勝つ光景を思い浮かべられないんだ」
奇しくも、この世界の外で彼が言った通りだ。
『――君は、次の勝負で「まさか自分が負けるかも」なんて、すこしも想像していないのだね』
ほとんど正鵠を射ている。けれど、ほんのすこし彼も見誤った。
「わたしは。うん。想像していない。……ううん、想像できないんだ。だって、わたしは、ずっとホップにライバルでいてほしいから。戦ってほしいから。チャンピオンになるまで、なっても、挑んでほしいから……」
「最初の勝負は負けただろう? ハロンタウンでの勝負のことだ」
アオイがその場にいなかった時の話をされても、ユウリは驚かなかった。この世界で目が覚めてから、彼はこの世界の出来事を全て知っているような気がしていたからだ。
「あれは……きっと『わたしの考えるホップの一番勝率の高い勝負』が、あの時だったのだと思います。でも、それも完全じゃなかった。わたしには、ポケモンバトルである限りホップに勝ってしまう。だから、『勝つ』経過をすっ飛ばして『負けた』という結果だけが出てきた……」
「ほう。自信もそこまで徹底すると相当なものだ」
「――ポケモンバトルだけは、わたし、強いので」
「ホゥ。いいね。……さて、この世界でやるべきことは果たしたかな」
「はい。もう、結構です。わたしは現実を歩いていきます」
「そうすべきだ、お嬢さん。よろしい。ああ、素晴らしい成果だ」
「…………。どうやって、元の世界に帰るんですか? そもそも、この世界はどうやってできているんですか? 頭の中って……どういう……?」
「もうすぐ夜が明ける。すでに風見鶏は止まった。そして、朝日は悪夢を焼き尽くすものだ。起きると良い。新しい朝が来る」
彼は小枝で暖をとっていた火を掻きまわした。
小枝に着いた火は散り散りとなり、やがて小さな焔も順に消えていった。
「アオイさん……!? どこに」
真っ暗闇になった世界に、小さな白い光が生まれた。
――朝日だ。
それに気付く頃、ユウリは目を覚ました。
■ ■ ■
「――さん、お客さん!」
「あっ! はい!?」
ユウリは驚いて座っていた石から転がり落ちた。
ぐるぐる回る天地は、やがて安定した。
驚いた顔をしたアーマーガアタクシーの運転手が見えた。
「よかった。いやぁ、昨日途中で降りた時にはどうなることかと……」
「ここは――!? 朝!?」
地面から土を払い立ち上がると、今まさに山際から太陽が昇ってくる瞬間だった。
ひんやりする空気が心地いい。
「アオイさん!?」
同じように石に腰かけていた彼は――というと、姿を消していた。
彼の座っていた地面には、メッセージがあった。
『君の人生が良い旅であることを祈っているよ。Best Wish!』
「昨日の旅人さんも一緒だったのかい?」
「はい。みんな無事でした……あれ、タクシーさんはどうしてここに?」
「砂嵐が止むまで他所で退避していたんだよ。朝になって探していたら嬢ちゃんを見つけてな」
「そう、ですか……。あの、空から見たらアオイさん見えるかも」
「アオイ? 杖を持った旅人さんのことかい? いいや、ナックルシティの方向から来たが、誰も歩いていなかったよ」
「そうですか」
おかしい。
彼の足では、きっともっと時間がかかるはずだ。
服の隙間から見えた細い足首を思い出す。
――今の季節は夏だから、日が出る前でも歩ける程度には明るい。アーマーガアの目がハッキリと見える前に移動したとして? ダメだ、どうしても真っ暗闇の夜を歩く時間が長い。それに遅い時間まで会話をしていた。わたしが寝て、すぐに歩き始めた? それとも、テレポートでほかの町に? ダメだ。距離が遠すぎる。いくらリグレーがテレポートを上手に使えても、慣れない遠方地で正確に跳べるとは思えない……。
おかしい。
ユウリは、遠くに見える砂漠の砂嵐を見つめた。
思えば最初から、おかしかった。
歩くことに杖を必要とする彼が、砂嵐吹き荒れる砂塵の窪地で迷子を捜し当て、安全な巨人の鏡池地帯まで歩いてくることができるだろうか? 独りの力で?
ヒトモシやリグレーのほかに、別のポケモンがいるはずだ。
――夢のような不思議な世界もそのポケモンの仕業なのではないか。
すべての謎が解決できるような感覚があり、ユウリはフライゴンをボールから出した。
「タクシーのおじさん、起こしてくれてありがとうございます! わたし、先を急ぐのでごめんなさい!」
「おう、気を付けてな! 旅人さんに会ったらよろしくなー!」
「はーい!」
ユウリは、フライゴンに跨り空を飛んだ。
転がるようにアラベスクタウンのポケモンセンターに駆け込んだ。
「――今日、杖を持った男の人、ええと、若い、若い感じの、ちょっとくたびれた感じの人、来ませんでしたか!?」
ジョーイに詰め寄ると彼女は考える仕草をして「来ていませんよ」と答えた。
「ありがとうございます!」
ユウリは颯爽とルミナスメイズの森に突撃した。
■ ■ ■
森は、生命力に溢れている。
朝も夜でも変わらない明るさの不思議なキノコを揺らし、ユウリは道なりに進んだ。
もう一度、彼に合いたい。
過去を夢に見ることはないけれど、あの世界が何だったのか知りたい。
その一心でギモーを蹴散らし続けるユウリは、とうとう目的の人を見つけた。
「モシ、モシモシ?」
「……、…………!」
「モシ……、モ、モ、シ、モシ?」
「ミアカシ、かれはお茶を譲りたくないそうだ。私も興味があるが……仕方ない、諦めなさいねー。ほら、リグレーのきのみがあるから、ね? え、やだ? 私ひとりで食べる羽目になるんだが……」
彼は野生のヤバチャとヒトモシのミアカシが何やら会話している様子を眺めていた。
キーのみ片手に交渉をしていたミアカシがすっかり気落ちした様子で、きのみをアオイに返した。
「うーん、酸っぱいからね。眠気覚ましにはいいが……うぅうう、すっぱ」
顔を顰めるアオイを見て、ヤバチャは味の想像が容易にできてしまったのだろう。『どうしてそんなもので交渉しようとしたんだろう』という不思議そうな顔をしている。ヤバチャにそんな顔をさせるのは、至難の業だ。
「アオイさん」
「おぉぉおぉぉう!? な、なんだ!? 誰だ!? き、君は……!」
「おはようございます。き、来ちゃいました……はは、へへ……」
アオイは、心臓が止まるほど驚いたのかもしれない。ミアカシの頭上の焔は激しく揺れている。彼にとっては、おばけに思えたのかもしれない。
「おばけじゃないですよ。ちゃんと足だってあります」
「……。早かったね。いいや、遅くとも困るが……ここに来て出会うとは思っていなかった」
「ルミナスメイズの森を目指すと言っていたので、会いに来ました」
「……そうかい。いや、すまない。夜中に寝ている女性を外に置いておくのは主義に反するのだが、私にも仕方のない事情があるものだ」
「わたし、普段からキャンプしているので大丈夫です。ところで、あなたにポケモンバトルを挑みます」
「唐突だね」
穏やかに談笑さえできそうだった彼の表情が硬くなった。
しかし、ユウリはモンスターボールを握り、まっすぐに突き出した。
どうやら引かないらしい。それを悟った彼は、挑戦者を前に、きのみを齧った時のように苦しい顔をした。
「断りたいのだが。……。私は君に勝てない。食費も宿泊費も切り詰めての研究旅行中だ。帰りのチケットを買う金がなくなってしまう」
彼の言葉は、もっともらしく聞こえる真実らしきものだった。けれど、嘘も多分に含まれていた。彼が嘘を吐く時、差し込まれるわずかな沈黙がある。自分を落ち着かせる時間のようなそれをユウリは敏感に察知できた。
「勝利金は結構です。あなたには、いくつかの質問。それから、わたしが変わったのか、変わっていないのか、確かめたいから戦いたい。そして、勝ちたい。――ですから、勝負を望みます!」
正面から、まっすぐに。ユウリは感情をぶつけた。
彼は、もう避けることをしなかった。
アオイの薄灰の瞳のなかで複雑な感情の変化が起きた。かつて煮えたぎる憎しみがあったのだろう。肌を刺す強い感情だった。
「…………。羨ましい子。そして、賢い子だ。私に責任の一端があることを理解しているのだね。まぁ、疑われても無理のない立場にいることを我々は知っている。そして、君の疑念が真実であることも肯定せねば紳士が廃れるというものだ」
「やっぱり、あの世界はあなたの仕業? でもどうやって?」
「それは勝負が終わってから、答えよう。私が君にあげられるものは、それしかないからね。――ミアカシ。君は下がっていなさい。彼女のポケモンは、恐らく、少しばかり強すぎる」
「では、リグレー?」
「あの子もその子とそう変わらなくてね。君のポケモンの相手をするには、向かないだろう」
「じゃあ、何の、ポケモンを?」
「この地方のトレーナーには、誰にも見せたことがない。彼は、わたしの研究テーマそのものだ。切り札といっても良いだろう。とっておきの大切なポケモンだ。――さあ起きて、ダークライ。仕事の時間だ」
彼は、杖で自分の影を小突いた。
煙のように身を揺らしながら、そのポケモンは現れた。
背は、大きくない。
けれど見たことが無いポケモンだ。
タイプは何だろう。
むし? あく? ゴースト? いや、ギモーを考えるとフェアリーもありうる?
ユウリは、ポケモンを探りながら続く彼の言葉を聞いた。
「私の研究に幾何かの貢献をしてほしいので職業を明かそう。名刺代わりに聞いてほしい。私は、アオイ。アオイ・キリフリ。悪夢について研究している。人間とポケモンのより良い形、より良い未来のために研究している。ダークライのナイトメアという特性は、人やポケモンに害を及ぼす。だが、転じて薬として使えないかと研究を続けている。――さぁ、私は問いを与え、式を書いた。君には解法も見えただろう。あとは証明するまでのこと」
タイプ不明。
ならば。
ユウリはポケモンを決めて、ボールを投げる。
「インテレオン、君に決めたっ!」
「ふぅん、いい育ちだ。目が違う。――さて、ミアカシさん、どちらが勝つと思う?」
ユウリは肩透かしのような気持ちを味わい、しかし、気を引き締めた。彼の軽口は、ひょっとしたら作戦かもしれない。心理戦に持ち込まれてなるものか。ユウリは気を強く持った。
アオイの足元でポポポと焔を揺らしていたミアカシは、インテレオンを不思議そうに見上げた後で元気いっぱいにダークライを指さした。
「くふふっ、ダークライ、彼女の期待がかかってしまった。君、負けられないぜ!」
再びユウリは気持ちが上滑りそうになった。こちらにプレッシャーをかけているのかと思ったが、違った。彼はダークライに発破をかけているのだ。目論見は成功したようだ。
総身にやる気を漲らせたダークライが腕を広げた。
ユウリは、知っている。総じてやる気があって勝気なポケモンは、諦めないから手強いのだ。
「インテレオン、わたし達は負けない、絶対、勝つ!」
「良い心意気だ。さて、未来のチャンピオン、ぜひ教えてほしい。――『悪夢は後悔を打倒できるのか?』 それとも、君の絶対の自信をすり潰してしまう方が早いかな?」
「わたしが、勝ったら、教えてあげますっ!」
啖呵を切る。それを聞いて、くるりと杖を回したアオイは笑った。
いつもの愛想笑いは消えて、もっとも自然に笑った。
ヒール役が似合う不敵な笑みだ。けれど、負けず嫌いが見せる顔だとユウリは、よく知っていた。
風は向かい風だった。
逆境だ。心の底から湧き上がる高揚感がある。
――最高だ。
ピンチをひっくり返すのがバトルの醍醐味だ。
似たようなことをホップが言っていたように思う。
逆境なんて苦しいだけだと思っていた。
ポケモンのタイプ不明、力量もトレーナーの腕前も何もかも不明だ。
でも、勝てると思う。
彼には無くて、自分には有るものがある。
ユウリは拳を握る。
腕には輝くダイマックスバンドがあった。
わたしは、勝てる。
わたしは、負けない。
だって。
風は、わたしに吹いている。