風は有利に吹いている【完結】   作:ノノギギ騎士団

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ルミナスメイズの森に風が吹く

「ダークライ、右だ!――あ、間違えた、左だ、でも右かもしれないっ!」

 

 アオイ・キリフリ。

 彼はユウリが、かつて経験したことのないほど恐ろしく――バトルの腕前は、素人であった。

 

(よ、読みにくい!)

 

 インテレオンに『ねらいうち』を指示しながら、ユウリは未だ『波』が掴めない状況に苛立ちそうだった。これまでにダークライが使った技は、『れいとうビーム』、『あくのはどう』だった。

 

 トレーナーの指示で動くポケモンは、行動の起点を必ずトレーナーの一声に依存する。そのため、バトルが高度になればなるほど。ポケモンを動かす声を読むトレーナー同士の駆け引きは加速する。

 

 これまでの情報を整理し、インテレオンに『きあいだめ』を指示する。

 ユウリを取り巻く風には、必勝までの道筋が見えていた。

 

(――大丈夫だ。読みにくいだけ。勝てる!)

 

 ダークライが『れいとうビーム』を放つ時、それは『ねらいうち』の直線に静止する。

 その瞬間を狙い撃つ。

 単純な早打ち勝負だ。

 インテレオンならば、できる。

 できるなら、勝てる。

 

 心配事があるとすれば、ただひとつ。

 

「インテレオン、気を付けて! まだ奥の手があるハズだから!」

 

 彼が素人でも余裕をもっていられる理由は、恐らくそれだ。

 ダークライは他にも攻撃の技があって、しかもそれは一撃で勝敗を決してしまうものなのだ。

 

 だから、心配事が起きる前に杞憂にする。

 次の『れいとうビーム』が来たら仕掛ける!

 

「ダークライ、『あくのはどう』! でも『れいとうビーム』でもいいかもしれない……」

 

 ――どっちだ!?

 

 彼の曖昧な指示で自発的に動くダークライを見て、ユウリはインテレオンに指示をしなければならない。そのせいでインテレオンは必ず一拍遅れて次の行動が始まる。

 

 アオイとダークライの性質が悪い点は、彼の指示が曖昧でもダークライには一切不都合が無いことだ。とんでもなく素早いダークライは、どんな指示を受けても攻撃の間合いの融通が利く。距離は安心材料にはならない。インテレオンもそれが分かっているようで、無理に距離を取るのをやめていた。距離が開けば『ねらいうち』の威力も命中率も下がってしまうからだ。

 

 徐々に、けれど確実に追い詰められている。

 

 じわじわと指先が冷たくなっていく。

 負ける、かも、しれない。

 勝てるのに。勝てる勝負なのに。

 負けるかもしれない。

 

 ふと頭に浮かんだ考えが、采配のキレを失わせた。

『負けるかもしれない』

 ユウリは敗北を知らない少女ではなかった。あの都合の良い世界では、確かに、一度負けているのだ。あの時は咄嗟に感じる暇も無かったが、思えば、負けた後の次に何をしていいのかさっぱり分からなくなって立ち尽くす感覚は、不快で怖いものだった気がする。

 

 ――嫌だ。負けたくない。絶対に、負けたくない。

 

 焦れば焦るほど、今下した判断は正しいものだったのか。心がぐらぐらする。

 アオイ・キリフリという青年はバトルに関して素人だったが、少女の分かりやすい隙を突くことに躊躇はしなかった。

 

「いまだ捕らえろ、ダークホール」

 

「っ、左に避けて、インテレオン!」

 

 しなやかに身をくねらせて、インテレオンはふわふわした黒い靄を回避した。

 ギリギリだ。紙一重のギリギリで避けた。これがゴリランダーやエースバーンでは、紙一枚間に合わなかったことだろう。細く身軽なインテレオンだったから成功した。

 

 技の内容なんて知らないが、当たってはマズい技だったような気がする。『はかいこうせん』や『ぜったいれいど』のような大きな破壊力のある技ではないが、もし攻撃を受けたらその勝負が決してしまう――そんな技のように思う。不安は的中するだろう。そして、きっと彼の奥の手はあれなのだ。

 

「防戦一方、それも良いだろう。しかし、『君には逆転確実の一撃があるといいなぁ』と思いながら私は戦っている。無ければ、まぁ、そうだね、ダークライに期待するのも良いかもしれない。いわゆる慈悲というものにね」

 

「もう、ばかにして」

 

「ばかになんて。まさか、まさか。ジムチャレンジ中の若手ホープなどメンタル不安定過ぎて煽る気にもなれないねぇ」

 

「…………」

 

 人の悪い顔をして、彼は笑った。

 

「私が強くて、君が弱かった。単純なことだ。言っただろう? 単純であることは、美しいことだ。覆せない事実は目を見張って直視すべきで、睨んで疎むほどのことではない。ほとんどの人がそう、ポケモンもそうしている。勝つことは難しいことだ。勝ち続けることは、とても難しいことだ。分かるかな?」

 

「……分かる。でも……」

 

 負けたくない。ただ『負けるかもしれない』とは思う。

 勝ちたい。どんな勝負だって負けたくない。

 いつだって負けられない勝負だから。

 

「勝つことが難しくても、わたしは『負けてもいい』とは思わないし、勝ち続けることがとても難しくても『負けても仕方ないな』とも思わない」

 

 ユウリにとって勝ち続けるということは、バトルのなかで呼吸をすること。

 大して違いの無かったそれに、たった今、尊い価値が生まれた。

 

「あなたの言う通り、勝ち続けることはきっと難しい。……でも、負けた後に同じトレーナーに挑むことはもっともっと難しい。勝つのは、もっともっともっと難しい」

 

 触れ難かったホップの心を、ほんのすこしだけ、なぞれたように思えたのだ。

 

「だからこそ、勝負に勝つことは、本当に価値のあることなんだと思える!」

 

「その価値を、君は何とするね」

 

「ジムリーダーのみんながそうであったように、わたしも握手をして、勝者を送り出します。わたしは、わたしのポケモンとわたしに勝つホップを信じている。ホップがわたしにくれた夢を……夢を叶えてほしいから」

 

 ルミナスメイズの森。

 視界を薄く曇らせる霧を手で払い、ユウリは宣言した。

 

 アオイの表情は、硬いものだった。

 そして。

 彼は、突然、どこかの方向を見つめた。その先にあるものをユウリは知っているような気がした。

 

「……君を見ていると『通り越した』彼女を思い出す。痛々しいほど献身的で純粋だ、しかも破滅をもたらすそれを、私は愛とも恋とも名付けられない。学者ならば、分類して防腐剤に漬けておくべきなのだろう。それを分かっていながら、どうして。どうして私は、あの時からずっと」

 

 言葉は徐々に独り言に変わっていく。

 ダークライが様子を窺うようにアオイのそばへ近寄った。ヒトモシの――アオイがミアカシと呼ぶ――彼女も心配そうに寄り添っていた。

 インテレオンが攻撃してもよいものかと迷っている気配を察した。

 

「あなたは、もう森を出たほうが良いと思う。森を出て海を越えて北の大地へ。その人のところに戻るべきだと思う」

 

 アオイの視線の先には、きっと、その人がいる。

 ユウリは、アオイの鞄に入っている写真を思い出していた。

 

 昨今『今どき』ではない写真をわざわざ持ち歩く理由を、ユウリは彼の言う『通り越した』感情以外に見つけられなかった。今ではいくらでもモバイルで電話をかけて、写真や動画を撮ることができるのに。

 

 アオイは、まるで白昼夢から覚めたように瞬きをした後で、ゆっくりとユウリへ顔を向けた。

 

「ありがとう。けれど、未だ結構だ。同じように『通り越した』私が、待つことを決めた君に勝つことには、大いな価値があると判断した。彼女もそれを望むだろう」

 

「…………」

 

 静かに。

 ダークライもインテレオンも間合いを取った。

 ポケモン達だけではなかった。

 ほんの数十秒の会話という中断を挟んだが、ふたりはどちらも勝負を捨てていない。

 

「夢を見ることはよいことだ。人を信じることもよいことだ。けれど、叶わない夢を見る徒労は、心を壊してしまう」

 

「わたし達の夢は壊れない! ホップは必ず、わたしに勝つ! ダンデさんにも勝つ! 信じている! 絶対、くじけたりしない。ずっと、わたしのライバルだ!」

 

 彼は目の色を変えた。

 彼の中に燻る情熱が、今まさに音を立てて燃え盛るように思えた。

 ガツガツと杖を地面に着いた後で、彼は切り揃えられた前髪を掻いた。

 

「潰すぞ、ダークライ! やはり子供はいけない。現実を知らない子供は、特にいけない。人の心を知らない子供は、最もいけない!」

 

「――ッ!」

 

 ユウリの手は、拳を作った。

 ――勝ちたい。すごく勝ちたい。いま、この人に、ものすごく勝ちたい。

 ふたりの心は、同じ熱を持ち、けれど対極を差した。

 

 シン、と薄い霧の中で降り積もる沈黙は、ついに破れた。

 

「――ダークライ! ダークホール!」

 

「っ! インテレオン! 打ち消して、ハイドロカノン!」

 

 眠りを誘う不吉な靄が霧散し、ハイドロカノンの奔流がダークライに直撃した。

 

「ダークライ!? ぐ……っ。態勢を立て直せ! 『かげぶんしん』!」

 

「エアスラッシュ!」

 

 インテレオンが捕捉するには、最速でもあと数秒の時間がかかる。風圧に『かげぶんしん』の幻が次々と消える。当たらなくてもいい。でも、当たってひるんでくれたらラッキーだ。

 ダークライがこれまでに使った技は、『れいとうビーム』、『あくのはどう』、『ダークホール』、『かげぶんしん』だ。技の効果がよく分からない『ダークホール』にだけ気を付ける必要がある。やはり『れいとうビーム』が狙い目。そして、勝機は十分だ。

 

 問題は。

 

「ダークライ!」

 

 まるでアオイの意志に応えるかのように、ダークライは強力な力でインテレオンへ反撃した。

『あくのはどう』を撃たれ、インテレオンが吹き飛んだ。

 

「インテレオンーー!? そう、まだ戦えるねっ」

 

 インテレオンの特性は『げきりゅう』だ。バトル開始時の速さは失われつつあるが、目の輝きも鋭さも増していた。

 対するダークライの動きも鈍い。顔色が分かりにくいポケモンだが、これまでのダメージは確実に蓄積されている。けれど、それはインテレオンも同じだ。わずかに脚が震えている。

 荒い呼吸が、聞こえる。

 ほんの一瞬の隙を生んだのは、ユウリのインテレオンだった。

 

「インテレオン――っ」

 

 インテレオンは長い脚を折り、片膝をついた。

 間髪入れず、アオイが指示を飛ばした。

 

「ダークライ、ダーク――いいや、れいとうビーム!」

 

「そのまま『ねらいうち』!」

 

「ッ! かわせ!」

 

 アオイが指示を言い淀む。その一瞬が、すべての勝負を決した。

『れいとうビーム』は、インテレオンの肩口に確かに触れた。

 

 それでも。

 

「いっけぇぇえーッ!」

 

 拳を突き上げて、ユウリは吠えた。

 氷がインテレオンの身を震わせる。しかし、ダークライを捉えた『ねらいうち』の水流が淀むことはなかった。

 両腕で水流を受けたダークライは押し切られ、地面を蹴って射線上から遠ざかった。

 

「そんな! まだ立ってる!? 完全に『入った』と思ったのに……」

 

 ユウリは、インテレオンの強さを信じている。

 それでも、不安に思ってしまうのだ。

 まだ戦えるのだろうか――?

 

 彼女が勝負の算段を再計算し直そうとしたその時。

 アオイが、杖を鳴らした。

 

「勝負は決した。完全に決したとも。――ダークライ、戻ってくれ。私のワガママに付き合わせたね」

 

 突然の終了宣言に、ユウリは「えっ」と言葉を漏らした。

 それはダークライも同じようで、アオイに詰め寄った。

 ダークライの肩越しに見える彼は、面白いものを見たと目を細めていた。

 

「これ以上の戦いに意味は無い。我々は、バトルをしているのであって、殺し合いをしているワケではないのだ。しかし、ふふふっ、ダークライ、君でも負けることがあるのだな。……見てごらん、ミアカシさんが驚いた顔をしているよ」

 

 アオイの足元で、じっと勝負の行く末を見守っていたミアカシは口を開けたままになっている。

 その様子に毒気が抜かれてしまったのかもしれない。

 ダークライは、低く唸ってアオイの影に身を潜めた。

 

 蒼い焔が、ちろりと怪しく揺れる。

 その光に横顔を照らされて、アオイは薄く微笑んだ。

 

「ユウリさん、君の勝ちだ。あぁ、負けると分かっていても悔しいものだ。実力差があれば、悔しくないんじゃないかと思っていたが、ううん、等しく悔しいものだ」

 

「え……え……どうしてですか。だって! ダークライは、まだ戦えそうでした!」

 

「いいや、負けだよ。彼は、ダークライのことだが、加減を知らないのだ。いや、正直、この場に出すのもすこしヒヤヒヤしたが」

 

 ねぇ、と軽い調子でアオイは足元で彼の影を叩くミアカシに声をかけて無視をされていた。ミアカシは、彼の影にすっこんだダークライにご執心のようだ。

 ンン、とアオイは咳払いをした。

 普段のユウリならば、笑ってしまいそうな光景だったが、今は笑う気分になれなかった。

 

 アオイはユウリの『勝ち』だと言った。

 その結果を彼女自身が受け入れられないのだ。

 

「どうして『ダークホール』を使わなかったんですか? あの技をわたしは見たことがない。でも、怖いくらい強いものなんだって分かります。なのに『れいとうビーム』と言い直した」

 

「私……私はただ普通に舌を噛んだのだ、いえ、本当」

 

 そんなハズはないとユウリは言い募る。しかし、アオイの返答が変わることはなかった。

 

「…………」

 

 アオイは、バトル中に見せた意地悪そうな笑みをひそめていた。

 目が合うと、申し訳なさそうにおどおどした。

 

「もしかして、無理してました?」

 

「私が駆け引き上手に見えるのならば、君の目は残念ながら……んんっ。こういう大人になってはいけない、という態度で臨んだ心算だったが」

 

「ズバズバ言われるのって、けっこう心に来るんですね。ちょっとだけ、ぐらぐらしました。ヒール役、お似合いですよ」

 

「それはガラル地方では誉め言葉なのかい? いや、すこし大人げなかったね。すまない。心にも思っていないことを言ってしまった」

 

「ハハハ、ナイス、シンオウ・ジョーク!」

 

「ガラル地方ほどのキレはないさ」

 

 軽い談笑の後でユウリは、目を伏せた。

 インテレオンが腕を組んでジロジロとアオイを見ていた。

 

「でも『負けるかも』って思いました。わたしは、負けたことがないけれど。……でも、あの世界で『負けたことになった勝負』は、あって……そこで負けたんです。そして、負けてよかったと思ったんです」

 

 ユウリは、ホップと最初にハロンタウンで戦った時のことを詳しく思い出せなかった。初めてのバトルで必死で自分が何を指示したのかよく覚えていないのだ。あの時、勝てたことは今では偶然だと思っている。

 あの勝負だけは、負けてもおかしくなかった。だからこそ、夢の中で『負けた』ことになった勝負として現れた時に違和感が少なかったのかもしれない。

 

「そう、か……」

 

「現実のわたしは、負けたくないと思う。勝ちたいと思う。……でも、負けるのは、もう怖くないです。わたしが負ける時は、きっと昔からの友人に会うように感じられると思うから」

 

 晴れやかな気持ちだった。

 それを伝えるとアオイは、すこしだけ苦しそうな顔をした。

 アオイは、足元で彼の影を小さな手で叩いていたミアカシを抱え上げた。

 

「君の、君たちの夢が叶うことを祈っているよ。願わくば、君の敗北が彼の夢の懸け橋となることを」

 

「ありがとうございます! わたしがチャンピオンになったら、アオイさんのお茶の間にチャンピオン・タイムをお届けしますね、なーんて。あははは……ははは……。あの、これ笑うところなんですけど」

 

「あ、すまない。チャンピオン・タイムってなんだろうな、と思ってね」

 

「何ていうかチャンピオンの……ええと……チャンピオンの! 時間ですよ!」

 

「なる? ほど? うん、分かった」

 

 アオイは大人だった。

 きっと、ユウリの説明では1ミリも理解できていないのに、ひとまず頷くことができるのだ。

 

「……ええと、順序は違ったが……約束だ。あの世界のことを答えよう」

 

 ふたりは、かさのしっかりした大きなキノコに腰かけた。

 ユウリはモンスターボールにインテレオンを戻した。

 ふたりの視界の先には、ルミナスメイズの不思議な霧とそれと戯れるミアカシが炎を揺らしていた。

 

「まずは所感を聞きたい。君が見たあの世界は、何だと思う?」

 

「パラレルっていうか並行世界……みたいな世界でしょうか。みんな同じでわたしだけが違っていて、たまに違うことが起きる感じでした……」

 

 ――というか、ほとんど同じだった。

 ユウリがホップに負けた一件を除けば、記憶にある限りすべて同じだった気がする。お母さんからもらった荷物も全部同じだった。

 

「そうか。ふむ。構築には想像力と記憶力に依存しない可能性があるのか……まあ、私の研究はわきに置いておいて」

 

 アオイは、見えない棚から何かを取り出してわきに置く仕草をした。――ユウリはこの人、意外と面白いな、と思った。

 

「結論から言えば、君はダークライの悪夢を見たのだ」

 

「悪夢……? でも、おかしいじゃないですか。ダークライは、わたしの過去を知らないハズです」

 

「そうとも。便宜上、彼とするが――悪夢は、彼の知る世界を見せるものではない。君の頭の中にある都合の悪い夢を見せたのだ」

 

「都合は……あ、あんまり、悪くはなかったですけど……?」

 

「ダークライは善悪を判断しない。是非も可否も能否も。しかし、現実ではない。君の頭に働きかけて、現実に対し都合の悪い悪夢を作ったのだ」

 

「はぃ……はい?」

 

 ユウリは、一度だけ物分かりの良い子供のフリをしようかどうか迷い、頭の中でピンクの化身ことポプラがちらついた。彼女とはバトル時の問答で全問正解してしまった――くれぐれも『彼女の正答』ではなかった――ユウリは、能力ダウンという憂き目に合ったのだが、その時に学んだのだ。『たとえ対応が間違っていても、正しいことを言おう。知りたいことを聞こう』と。思いやりは、どうやら好奇心と相性が悪いようだから。

 

 ユウリが説明を飲み込めていないことを彼も分かってくれた。

 

「ううん、説明が悪いな。私は、説明が下手でいけない……普段、こういうことは彼女の仕事なんだ……ええと、つまりだ、過去には無かったことが起きただろう。例えば、ホップ君が君に勝つ、なんて夢を見たのでは?」

 

「そ、そうです」

 

「君はホップ君に勝ち続けていることをずいぶん気にしていたようだったから。アタリなのか。彼の勝敗が確定しない未来の情報はさておき、彼の勝利は、過去と明らかに矛盾する夢だ。これを現実に都合の悪い夢と呼ぶ。君が見たのは、そういう類の夢なのだ」

 

「それなら!」

 

 ユウリは、目を輝かせた。

 ――すると、もしも、あの夢を見続けていれば、ホップが夢を叶える瞬間が見えるかもしれない!?

 胸の躍る空想だ。しかし。

 

「見れるかな? そんなものが」

 

 アオイは冷めた目をして、地面の小石を杖で小突いた。

 

「……ダメですよね……卑怯ですよね……ほんとは、ほんとうはね、分かっているんですよ……」

 

 ユウリは肩を落とした。

 

「ああ、違う。すまない。言葉が悪かった。自分の理解のために悪夢を利用しよう、という考えならば問題が無いんだ。問題の焦点は常に過去にあるのだから。だが悪夢のなかで未来を視ようとした場合、どうなるのか私でも見当が付かないのだ」

 

「どういうことですか? 時系列を辿っていけば、自然と未来になるのだとばかり……」

 

「私もそうならばいいと思っている。だが、検証したことはほとんどない。悪夢は、私達が選ばなかった『もしも』の可能性を見せてくれる。『もしも』が発生するのは、常に過去だ。事実が確定しない未来には『もしも』が発生しない」

 

「た、たしかに……! 未来を複数作るとしたら、過去に同じ数の『もしも』が必要になります……そう、なりますよね?」

 

「その通り。ただ、まあ……どこまで時間の針を進めたとしても、そこは夢幻で現実ではない」

 

 ユウリは、未来を見たかった。ホップの夢を叶える『きっかけ』が、夢の世界では『何かの形』で存在しているのではないかと思ったからだ。

 まだ、諦めきれず彼女はアオイの言葉を拾った。

 

「でも、でも、アオイさんは『ほとんど』って言いました。『ちょっと』でも検証、したことがあるんですね?」

 

「私は昔、事故でポケモンを亡くしたことがある」

 

 ユウリは、アオイの答えを黙って聞いていた。

 彼の言葉の着地点がどこにあるのか、分からなかった。

 

 アオイの手からこぼれたミアカシが、とことこ歩いて、光るキノコを揺らした。

 ぼやぼやした光を見つめる彼の心は、この地方のどこにも無いように思えた。

 

「私のことを死ぬまで嫌いで、けれど、同じ境遇だからすこしだけ分かり合えたジュペッタだった。私の過ちで亡くしてしまった。私の目には、何も残らなかったように見えた。永遠に消えてしまった。『通り過ぎてしまった』、『仕方が無かった』。どんな言葉で自分を納得させようとしてもダメだった。私は、過去に戻りたかった。……何としても、何をしても、そうして今の全てをなげうってしまってもいい。心から納得を求めていた。そして、恥ずべきことに許しを欲していた。また何より度し難いことに、探求心があった。『どうすれば救えたのか』知りたかったのだ」

 

 独白のようなそれは続いた。

 彼に対する、同情も、共感も、何もかもが薄っぺらい。

 他意無き侮辱になりそうでユウリは、ただ彼の横顔を見つめていた。

 

「私は、七日のうちに、納得を得た。許しを得た。心も、まあ、満たされた。『ジュペッタが生きている』という現実から乖離した時の果てで私は救うことができた。……そして、現実とは全く違う世界になるという時に悪夢は親友の顔で言った」

 

 

『君は、今この瞬間だけ「選べる」権利を持っている。全部「うまく」いったこの世界でやり直そう。わたしが一緒にいる。君の現実より悪くはならない』

『この可能性にさえたどり着けなかった世界が、今さら君を救うなんてあるものか!』

『世界など主観でしかない。精巧な夢に、現実との違いがあるものか。「自分が何を選択するか」――ただ、それだけなのに』

『見よ、風見の赤いトリが回っている!』

 

 

「……私は、選ばなかった」

 

「どうして残らなかったんですか。きっと夢の中は完璧な世界だったんでしょう? ジュペッタが生きていて……アオイさんの怪我も少なくて」

 

 アオイが、ミアカシを抱えていられなくなった理由。

 しきりに膝を撫でる彼は、その言葉に手を止めた。無意識だったようだ。

 

 うぅん、と唸った後でアオイは霧と戯れるミアカシを見つめた。

 

「私は、あの子と会えた。もう前を向いて明日を目指す時が来たのだと思えた。どれだけ夢の中が幸せで求めたものであっても。……それに、彼女が私の妄執を燃やしてしまった。悪夢を見る前の私は、ポケモンの命という後退るには重い荷を私は持っていた。だが、目が覚めた私には、何も無かった。私はジュペッタについて記憶を無くしてしまったから」

 

「えっ!?」

 

 大丈夫なんですか、と言いかけたユウリに、彼は控えめな口調で答えた。

 

「全部ではないよ。悪夢が存在する理由が私の場合は、ジュペッタとの記憶だった。それが無くなってしまった。だから、ジュペッタのことを語る私の言葉は、記憶ではなく記録だ。悪夢を長く見ると記憶を失う。それは大切な記憶ほど失いやすい。悪夢では、存在の全てに質量がある。現実では形の無い記憶や感情、そういった情報の全てに『重さ』がある。悪夢から目覚める時に、その重りを捨てなければならない」

 

「……じゃあ。あっ。わたしも、何か忘れているのかな……?」

 

「短時間であれば大丈夫。君の場合、恐らく数時間だ。その程度ならば問題が無いよ。私の場合は七日間で何度も『その日』を繰り返したから、対価が必要になっただけだ。深く夢を見るとそうなるらしい」

 

「そう、なんだ。……あぁー、未来を正しく見つめることは難しいことなんですね」

 

 ユウリは、ありきたりで月並みな、つまらないほど単純で平凡なことを言っていることを自覚した。

 

 未来を覗けるかもしれない。そんな夢みたいな方法があるのかも。

 けれど、代償が必要だった。思えば、世の中だいたいそうだ。服を買うのにお金が要るように、悪夢の『世界シミュレーション』には記憶が必要、という簡単な理屈だ。

 

 ジュペッタへの執着のために悪夢に挑んだアオイは、結果として、ジュペッタの記憶を無くした。

『悪夢は後悔を打倒できるのか?』

 彼の研究テーマは、個人差こそあれ恐らく「YES」だ。

 でも、とユウリは考える。

 

(――ジュペッタとの大切な思い出が消えることを知っていても、この人は悪夢に挑んだのだろうか?)

 

 質問はしなかった。答えは既に永遠に失われて久しいことをユウリも分かっている。

 ここにいる彼は、もう『選んでしまった』のだ。

 ジュペッタを『通り過ぎた』彼に、この質問は無意味だった。

 

 ユウリが考えていることを彼も当然、思い至っているのだろう。

 しかし、彼の声は穏やかだった。

 

「そうだね。現実を正しく見ることは難しい。未来も等しく、どちらも難しい。挑む価値があることだ。だからこそ……難しいものだ」

 

「わたしね、わたし達、ホップとわたしが……どうなるのかなって……昨日からずっと考えています。どうなると思いますか?」

 

「助言なら、タクシーで伝えた通りだ。『お互いに、よく話すこと。時間をかけること。分かったフリをしないこと。ワガママは言ってみるもの』さ。どれかひとつでもやってみるといい。未来は、現在の選択を選び続けた先にある。未来を変えることは簡単ではないが、自分を変える時は、心ひとつだ。最近、ホップ君と世間話をしたかい? バトルのことばかり話していないか?」

 

「う……。だ、だって、だって、きっとわたしは次の勝負もホップに勝てる。そんなわたしが、バトル以外のこと話していたら嫌じゃないですか。わたしなら、嫌です。負けた時に『なんでこんなヤツに負けたんだ』って思うようなトレーナーになりたくない。強いなら、その『強さ』には、理由があったほうが良いと思う」

 

「真面目だね。そして、優しいのだね、君は」

 

「ば、ばかにしてます?」

 

 こっちは真剣なんだぞ、と拳を上げるフリをすると彼はユウリと同じくらい真剣に頷いた。

 

「いいや、ちっとも。優れた者が優れているという自覚を持ち、努力をすることは素晴らしいことだ。そこには、敗者に易しい納得がある」

 

「は、はぁ、どうも……」

 

 肯定されたらされたでユウリの心は落ち着かない。けれど、反論されたら抗いたくなる。

 ひょっとしたら、反抗期かもしれない。

 そんなことをアオイに言ったら、君ほど素直でまっすぐな子はそうそういない、と言われた。

 真っ直ぐ、という言葉が、意識の浅いところに触れた。ポプラさんに選ばれなかった理由が、思い当たる。

 

「……でも、最近はホップと会ったらバトルとバッジの話ばかりだ。ああ、そうだ。もうずっと普通の話をしていない気がする。ホップもまっすぐなんですよ。わたしより、ずっとまっすぐで……だから、ぶつかっちゃうのかな」

 

「それは似た者同士というものかな」

 

「ははは……ほんとは、全然、似ていないハズなんですけどね。ホップには夢があって、わたしには、あんまりなかった」

 

「将来の夢か。君は何になりたかったんだい?」

 

「んー……わたしの夢か……ううん。やっぱり、よく、分からないです。でも。だから、ホップに手を引かれた時に同じ夢を見てみたいと思ったんです。チャンピオンのことを話す時のホップは、すごくキラキラしていたから、わたし何だか、それが羨ましくて」

 

 煌々と輝くライトの下、喝采を受ける青年。

 

「でも、最初は違ったんです。――そんなにいいものなんだろうか?って思っていた。ホップが、チャンピオンの弟が言うから、実は、その、お兄さんへの憧れ的なものなのかなー?って」

 

「ふむふむ。兄弟の感覚ってよく分からないよね。君は、一人っ子? そうなのか。私もそうだ」

 

「うん。でも、ダイマックスのバトルはすっごくカッコイイと思ったし……街を出て、いろいろな人やポケモンを見て巡るのもいいかもね、なんて思ったんです。ママにも応援してもらったし自分なりに頑張ろうって」

 

「君は強かったな」

 

「そうみたい、なんですよね。あ、これ、嫌みっぽいですね……すみません……」

 

「いいや、謝るなんてとんでもない。君には、天性の観察力があるということだ。博士なんて向いているかも――いいや、安易な助言はよそう……真に受けないでくれ」

 

「全っ然気にしません。博士か。それもいいかもですね」

 

 にははは、と笑ってみるとアオイは思い直したように考える仕草をした。

 

「でも、君は負けず嫌いだから向いていないかも」

 

「そうですか……」

 

「あ、いや、やはり安易な助言はよそう。私は他人に助言できるような人間ではない。実のところ、私は功名心が強いほうだ」

 

 ユウリは、驚いて(このひと、人のこと言えないやぁん……)とヤドンのような呟きを内心でこぼした。きっと、理想は高く持つタイプなのだろう。……努力(できるだけする)目標(目標とするとは限らない)として。

 

「……ターフスタジアム。最初のジムチャレンジの場所なんですけど。そこで、同じようにチャンピオンに憧れている人とたくさん話して、ホップが特別じゃなくて『みんな、憧れているんだ!』と思ったんです。だから、わたしも憧れてみたいなって」

 

 ダンデ! ダンデ! ダンデ!

 口々に彼らは讃える。

 ガラルの勇者――彼こそ絶対の勝者だ。

 未だ彼のチャンピオンタイムは終わらないのだから。

 遠くを見つめるユウリの目には、輝かしいものが映っていた。

 

「――ホップと同じものを見てみたいなって思ったんです」

 

 ダンデに立ち向かい、そして、勝つ。それが夢。

 隣に座る彼は、フーっとひとつ大きな息を吐いた。それから、ぽつりと羨ましいとも言った。

 

「誰かの夢に憧れるのは、どういう感情なんだい? 私には、よく分からない。私は、ホップ君と同じようにいつも手を引いて歩いてしまうから」

 

「うまく言えないんですけど……。ホップにとって一番価値のあるものを、わたしもこの目で見たいんです」

 

「――ひょっとして君は、ホップ君になりたいのかい?」

 

「そ、そんなこと考えたこともなかったですっ。でも、違う、と思います。ただ、見たいだけなんです」

 

「そう。そういう感情もあるのだね……。私の親友は、私になりたいと言うものだから。君もそうなのかと思ってね」

 

「わたしがホップになったら、きっと、つまらないと思います。駅で見たヤドンみたいな生活しそう……」

 

「えと、ヤドンは、ほら、シッポが……あの……アレだから……おいしぃ……」

 

 アオイは大人だった。

 ユウリがどんなに頭の使わない発言をしてもフォローしようとしてくれた。そのせいで闇の深い発言を聞いてしまったのだが――忘れよう。

 

「アオイさんにも聞きたいことがあるんです。どうして自分の夢なのに、誰かを誘うんですか? チャンピオンみたいに一人しかなれないのなら、競り合って負けるかもしれないのに。研究なら、ええと、研究成果を先に発表されて二番になっちゃうかもしれないじゃないですか。後から『私が先に見つけました』なんて言っても、たぶん誰も信じない。みんな、一番が大切で……二番も三番も頑張ったのに、意外とどうでもいいと思っているみたいだから」

 

「むむ……。たしかに、そういう危険がある。だが、まあ、いいんだ。二番でも三番でもいい。彼女になら裏切られたって構わない。私の手が届かなかった夢を見て、共に憧れた景色の先を見てくれたのなら、それでいい。そして、結果。この世界がすこしでも良いものになればそれでいい。ただ、自分の手で成果を残せなかったことは悔しいだろうな。……あぁ、すこしだけ。きっと、すこしだけ、だが」

 

「アオイさん、ダンデさんみたいなこと言ってる……。ダンデさんは、みんなを強くしたいんだって言ってました。みんなが強くなったら、チャンピオンでも負けちゃうかもしれないのに。どうして、そんなことを言うんだろう? 勝ってこそのチャンピオンで、チャンピオンだから勝たないといけないのに。わたし『勝ち続けていれば分かるかも』って思ったけど、まだ分からないです。アオイさんだってそう。出し抜かれてもいいの? 裏切られてもいいの? 勝負に負けたら悔しいと思えるのに」

 

「それでも。私は、私自身より、あの子と彼女のいる世界を選んだから後悔しないんだ」

 

 アオイは、そう言ってヤバチャにアプローチをしかけるミアカシを見ては、くすくすと小さな笑い声をあげた。

 それから。

 

「……ジュペッタに、いつか会った時に私は……彼に胸を張れる私にならなければ、と思うんだ。そして、我々の生きたこの世界は生きるに値する世界であったと……言ってみたい。私の望みは、ただ、それだけの意地なのだ」

 

「…………」

 

「ミスター・ダンデはどうだろうな。彼自身の喜びよりもガラル地方の繁栄を選んでいるのかもしれない。盟友とか言う、ミスター・ローズについてもそう。ガラル地方、古く大きな世界だ」

 

「……難しいですね」

 

 ユウリは、キノコの上で膝を抱えた。

 ――みんな、望んで大きな荷物を背負っているように見える。

 

 わたしも、そう、なれるだろうか。在れるだろうか。

 

 世界とか。未来とか。栄光とか。

 その価値を正しく見定めて、どう接するのか。

 ユウリには、まだまだ難しいことだった。

 

「もう、考えるのが嫌になるくらい、難しい。……でも、いろんなこと話してくれてありがとうございます。人間関係がうまくいかないことを『そんなちっぽけなこと!』って言わないアオイさんは、とても良い人だと思う」

 

「ありがとう。結局、何の解決にならない話だったことを申し訳ないと思う。話し合え、なんて乱暴な解決法だと自分でも分かっているのだが……」

 

「ううん。そんなことないです。ええと、最近はホップとバトルのことしか話していないのに気付けたし。どこかでカレーを食べながら、ゆっくりすることも必要なのかなって思えました」

 

「『火を囲みながら食事をする』とは、良い考えだ。象徴的な『友好』の物語体系の一派に属する。失礼、シンオウから来たものだからね。『神話に裏付けられた、良い歩み寄りの仕方だと思うよ』ということを伝えたかっただけだ。……翻訳も普段は彼女がするのだが……」

 

「は、はあ。『ヨシ!』ってことですか」

 

 ユウリは、工事現場でよく見かける、ヘルメットをかぶったニャースが人差し指を立てて「ヨシッ!」というポーズを真似した。

 彼は、なぜか曖昧な顔をして「その『ヨシッ!』はいけない気がする」と言った。

 

 彼は杖を頼りに立ち上がると、帽子を被った。

 

「――では、私はフィールドワークを続けるよ。タクシーで出会っただけなのに君には、とても世話になってしまった。しかし『すまない』と言うよりも『ありがとう』と言ってもいいだろうか?」

 

「もちろんです! ありがとうございました。ありがとう、アオイさん」

 

「君の人生がより良いものであるように私も努力しよう。――ミアカシさん、調査を続けよう。さぁ、おいで私の可愛い子。あ、ダークライ、散歩するなら声をかけてから行ってくれ」

 

 相変わらず疲れ、くたびれた顔をしているアオイは一度だけ振り返って控えめに手を振った。

 ユウリも手を振った。

 そして。

 シィ、と。

 口に人差し指を当てた彼が、目を細めた。

 

『このことは、内緒だよ』

 

 声無き声にそう言われた。

 頷いたユウリは、今度こそ彼の背中を見送った。

 深い霧と森の暗がりに彼の姿はすぐに見えなくなった。

 

(行っちゃった。……いろんな人がいるんだな)

 

 ユウリは一度手を握るとポケットからスマホロトムを取り出した。

 

「ホップに電話を……いや、メールのほうが――」

 

 どうして簡単なメールを一文入力するだけなのに、ドキドキしているんだろう。

 

『いま、ルミナスメイズの森にいるんだけど、もし近くにいたら一緒にカレーどう?』

 

 これでヨシ。あいや、よし。

 ユウリは、昨日ホテルを出てから自分を囲っていた薄暗い気分が晴れた気持ちになった。 

 

(来るだろうか……。来るかな。来ないかな……)

 

 暗くなった画面が明るくなる瞬間を待ちわびて、ユウリは画面を見続ける。

 ふいに光の加減が変わり、自分の顔が映った。

 

(……鏡、見てくるの忘れたな)

 

 インタビューでは、結構な笑顔を作ることができるので気にしていなかったけれど。

 

(バトルの時は、どんな顔をしているんだろう?)

 

 ホップが見つめるわたしの顔は、どんな顔だろう。

 

 ユウリは、多くのトレーナーが行っているように自分のバトルを見返す、ということをしたことがなかった。

『いつも勝っているから、その必要が無かったのだ』なんて理由ではなく、恥ずかしかったのだ。母が「今日のトレンドニュースでバトル見たよっ!」と送ってくれるメールに数時間の思考時間を設ける程度に、自分の過去の姿とは恥ずかしいものだ。思い返すと赤面してしまう。きっと、バトル中は必死で見苦しい顔をしているんじゃないかと思う。ジムリーダーはピンチでもカッコイイと思える瞬間が皆それぞれにあったというのに。

 

 ホップが見ている『わたし』は、どんなものだろう。

 

「あ」

 

 ユウリは顔を上げる。霧の向こうに、揺らめく焔を見た。

 たまらず駆け出すユウリは、スマホロトムをキノコの上に置いてしまった。

 その数分後に、ピコンと着信音が鳴ったことは誰も知らない。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 思いついてしまったら、もうダメだった。

 

 一度だけ、夢を見たいと思った。

 本当に、あと一度だけでいいから。

 

 やりたいことがある。

 見たいものがある。

 

 でも、それは後悔があるからじゃなくて。

 思い直したいことがあるからじゃなくて。

 

 どうしても知りたくて。ただ、知りたくて。

 ――ああ、でも、知らなきゃよかったかも。

 知らなかったら、諦める前に、全部終わらせられたかもしれない。

 

 でも、知ってしまった。

 方法があると分かってしまったから、それに手を伸ばさずにはいられない。

 

 人生には、風というものがあるらしい。

 そのことを知ったのは、何度目かのポケモンバトルの時だった。

 

 風を言い換えれば、機運だった。

 巡り巡って舞い込んでくるものだ。待ちぼうけた末に落ちてくる、単純な好機ではない。

 

 その風は、どうやらバトルに関して、いつもわたしに『有利』に吹いているものらしい。

 どんな逆境でも、その風はわたしの味方だ。

 不利を引いても、悪手を重ねても、風はわたしに吹いている。その風のおかげできっと誰もが見つけられない「どこかにあるはずの勝機」を見つけることができるのだ。

 だから。

 わたしは、試してみたいと思った。

 

 ホップの見ているわたしを、わたしは越えてみたい。

 

 それは、現実にいる限りできないことだ。

 だからこそ。

『現実に不都合なことが起きる』悪夢ならば、実現可能ではないか?

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「アオイっさんっ!」

 

「っ! おや、ユウリさん……どうしたんだい?」

 

 驚いたらしい彼は、目を丸くしていた。

 彼は数分前に別れたはずの少女を見る。そして、切り揃えられた前髪の下、眉を寄せた。

 

「お願いがあるんですけど!」

 

 この時点で彼は嫌な予感がしていたのだろう。

「いや、しかし……」と言い、ダークライと目を合わせた。

 

「一時間だけ、夢を見たいです。お願いします!」

 

「――そのような話であれば、断る」

 

 アオイは、快いほどスッパリと答えた。

 

「ワイルドエリアのことは事故だ。……私のそばで君が寝てしまったから、私達が移動するまでの間、君が悪夢の影響を受けてしまっただけで、本当であれば君に見せる予定ではなかった」

 

 彼は、手癖のようにさりげなく鞄に入っているボールを撫でた。

 

「どうしても。どうしても、見たいんです」

 

「未熟な脳と精神にどのような影響があるか私達には計り知れない。君が思い詰めて期待するほど、便利なものでは無いのだ」

 

「わたし大丈夫な気がするので、大丈夫ですっ!」

 

 ピースするとアオイは、苦々しい顔をした。

 

「誰しもそうだ。災いが我が身に起こるとは大事を失うまで信じやしない。……君は、恩がある、礼も欠いた。だからこそ、私は君に傷ついてほしくない」

 

「それでも。わたしは、選んだ道を歩いていきたい。そのために、できることを全てやりたいんです。わたしは、夢の中でわたしに勝つっ!」

 

「絶対ダメだ。夢は鏡だ。自己否定の先に何があるか、分かったものではない」

 

 アオイは頑なだった。

 そりゃそうだ、ユウリも頷く。彼には夢がある。こんなところでお縄になるワケにはいかないだろう。そして、何より命の重さを知っている。

 だから、問いただした。

 

「――アオイさんは、ワイルドエリアからここまでどうやって移動したんですか?」

 

 単純に聞くところ、これは悪夢とは何の関係のない話だ。

 アオイは話題が逸らせるのならば、何でもよかったのだろう。すぐに答えてくれた。

 

「リグレーのテレポートでバトルを回避しながら、ダークライに運んでもらった。私の足は見ての通り不自由で長く歩くことが――、……? 君はっ!?」

 

 彼は、頭の回転が相当速いらしい。

 今さら、ここでこんなことを話す理由に、すぐに思い至った。

 

「なるほど。――それじゃあ、ガーディの鼻だって追いつけませんね」

 

 ユウリが力強く、そして大っぴらに言えない『ダークライが技をかけた後、さっさとこの場を離れてくださいね』と言いたいことも察してしまうのだから。

 説得に時間を割いたアオイは、真面目で誠実な人間だった。

 そのため、決定的な隙をダークライに与えてしまったのだが。

 

「だからといって君の命を危険に――ダークライっ!?」

 

 アオイの声は裏返り、悲鳴を上げた。

 ジッと覗き込むダークライが手を伸ばせば届くところにいる。

 

「リグレー、『さいみんじゅ――!」

 

 彼の声が、遠くに聞こえた。

 視界が暗い。自分の指が遠い。足なんてもっと遠い。

 

 階段を踏み外すように、ユウリの意識は深いところに落ちた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「なんてこと! なんてこと! なんてことを! まずい! まずい……まずいだろう、これは……!」

 

 体勢を崩したユウリを地面にぶつかるすんでのところで抱えて、アオイは膝を着いた。

 アオイは、目を白黒させて同じ言葉を何度も繰り返した。

 顔色は悪く、妙な汗が体中から吹き出している。

 

 ミアカシは『むじゃき』にユウリの頬をつついているが、反応は乏しい。

 

「あ、あ、ミアカシさんは、あの、あっち、あっちで、遊びましょうね?」

 

 魂の拾い食いなんてことはしないと思うのだが、やはり若い命に惹かれることはあるのだろうか、という不安からアオイはミアカシを片手でつまみ上げて、わきにおいた。

 

 混乱の極みにいながら、しかし、元凶の少女を見捨ててトンズラできない理由が彼にはあった。

 

「『波止場の少年は起きなかった』! 若い子は重症化するかもしれない。ワイルドエリアでは、偶然幸運な状況に恵まれただけで今は状況が違うかもしれない……! 待て待て、データも何も足りていないんだ。そもそも観測機材が足りない――」

 

 脈拍は正常、呼吸も正常だ。

 しかし、悪夢による心身のダメージは外目からは分からない。深刻な問題が起きて突然呼吸が止まる、という事態もあり得るのだ。

 

「うぅぅ、アラベスクタウンのポケモンセンターに戻るか。いや、この状態が誰かにバレるワケのはまずい。でも、人命には代えられ……代えられ……」

 

 ユウリを抱えたまま、歩くことは難しい。

 彼女をポケモンセンターに運ぶことは『悪事』の露呈と同義だ。そうなれば、夢を追うことは難しい。

 だが。一方でシンオウ地方、アラモスタウンの例もある。生還例は、あるのだ。可能性の両天秤に現状をかけて迷う。

 

 数秒の思考の後でアオイは、妥協案を選んだ。

 

「ダークライ、言いたいことはやまほどあるが君との話は後回しだ! 君は、今すぐこの場を離れてくれ。森の端へ。私も後で追いつく。一時間、とりあえず、一時間だけ様子を見る。いいかい、君は適切な距離をとってくれ。そして、できれば夢に干渉して彼女に起きるように働きかけてくれ。――君の行いには、君の責任が伴うべきだ」

 

 迷い続ける時間が惜しい。

 何か面白がる気配を感じたが、ダークライが姿を消す。影に紛れて森を抜けるのだろう。

 

「それでいい。結構だ。――ミアカシ、サイコキネシスで彼女を運んでほしい。リグレー、テレポートで周囲を見回ってくれ。何かを見つけたら信号で私に連絡を。……もうすこし、奥へ行こう。この状況がまずいことに何ら変わりはないのだからね」

 

 杖を咥え、荷物とユウリを抱える。

 わずかに息を吐いた瞬間に、肌を刺す熱を感じた。

 

「――おい、何が『まずい』って?」

 

 細かな砂利が靴底にすれる音、そして声。

 外套を翻したアオイには、煌々と燃える火球が見えていた。

 

「ぃひっ!?」

 

 エースバーン、彼の強烈なキックが周囲の木々を揺らした。

 弧を描き木々の隙間を縫った火球がアオイに迫る。

 しかし、わずかな間隙に割り込んだ小さな姿があった。

 

「っ!? ミアカシっ!」

 

 杖が足下にカラコロと音を立てて転がる。

 ヒトモシの特性『もらいび』が、エースバーンの『かえんボール』を吸収した。

 アオイは、チリリと音を立てて焦げる外套の煤を払った。

 

「あ、ありがとう。機転が利いたね、さすがだ」

 

「モシっ!」

 

 グッと手を上げたミアカシに、瞬きほど笑い返して――アオイは現れた少年トレーナーを見据えた。

 

「酷いな。誰かな、こんなこと」

 

「こっちの台詞だ。こんなところで誰と何してるんだ?」

 

 気の強そうな黒い瞳が、ジッとこちらを睨んでいる。

 敵意を向けられることに相棒ほど慣れていないアオイは、すぐに目を逸らした。

 無意識にユウリの顔を鞄で隠してしまうのは、彼の態度に嫌な予感がしたからだ。

 

「――いろいろ事情があるんだよ、少年。邪魔を、しないで、もらえるかな」

 

「これが落ちてた」

 

「あ?」

 

 そろそろ情報と感情がパンクしそうなアオイは、見たくもない光景を直視した。

 シンプルなスマホのケースだ。どこかで見た。

 

「ユウリのスマホロトム。人違いだ、なんて言わせないからな」

 

 バレてる。

 シンプルにまずい。

 

 アオイは、投げ出したくなる現状に片手で顔を覆っていた。

 ダークライを先行させたのは『ちょっと判断ミス』と思わずにはいられない。

 

 しかし。

 

「言う心算など無いとも。それで? 私『を』攻撃した理由は?」

 

 アオイは、内心で彼こそがユウリの言う『ホップ』ではないかと考えていた。彼には、どこかチャンピオン=ダンテの面影がある。

 もし、ホップであれば挑発すべきではない。

 むしろ、助けを求めて、できれば言いくるめられたら最高だ。

 ――だから、私は次の言葉こそ慎重に選ぶべきだ。

 

「怪しいヤツ、ユウリを返してもらうぞ!」

 

 手の平に拳を打ち付けたホップに、アオイは立ち上がった。

 説得は無理だろう。

 完全に頭に血が上っている、という風な顔だ。そこに交渉の付け入る隙は無い。妥協できるという打算があって初めて人間は交渉することができるからだ。

 

 彼は、ユウリの命を望むだろう。何の躊躇いも無く。アオイひとりの人生を踏みにじろうとも。

 ただ、気持ちは分かる。

 

(私にとっての『彼女』が、君にとっての『彼女』なのか)

 

 諦めが、アオイの心の中で生まれた。

 

(私もできるのなら、そうするし、そうしてきた。価値を知りながら、踏みにじって来た。周り巡る順番が、私にやって来ただけと考えれば実に納得できるじゃないか。ああ、そう。そうだ。ならば、逆の道理だってまかり通る)

 

 憧れる夢に、軽重があるものか。

 憧れた夢に、貴賤があるものか。

 ならば。

 私が譲らなければならない道理が、あるものか。

 

(一時間ある)

 

 どうせ、一時間はここに釘付けなのだ。

 待って追って争っても刻まれる間隔は変わらず、一時間だ。

 意地を通すには満ち足りる。八つ当たりならば十分だ。

 

 愛しい焔の名を呼んだ。

 

(あぁ、ユウリさんは起きるだろうか)

 

 彼女の根拠の無い自信と絶対勝者の勘をアオイも信じたい。

 鞄の上に落ちたユウリの頭が年相応の重い音を立てた。

 

「君は、彼女の命が惜しくないと見える。――私よりもね!」

 

 どうやら、私は、ユウリ曰く『ヒール』の役が上手らしい。

 そのことだけに機嫌を良くしながら、ミアカシへ指示を出す。

 怒った顔をしたホップが、応じた。

 

 

 できれば、早く起きてほしい。

 

 

 ホップ君、どんな子かと思ったが、意外と良い子じゃないか。

 君の現状がよく分からなくても。関係ない。

 君が『いなくなれば、負けない』なんて考えつかない。

 

 差し伸べる手を戸惑ったりしない善性は、君が病むほどに良い子だ。

 そんな良い子が、君のために怒っている。

 

(その価値を、ユウリさんは知るべきだ)

 

 さぁ、早く。

 風が淀むルミナスメイズの深い森のなかでは、風見の赤いトリもまわらないだろう。




【あとがき】
 ゲームを小説的描写に落とし込むにあたり、技ステータスに無い説明を加えています。バトルの描写は、とても難しいですね。自分は戦闘メイン作品をあまり書いたことが無いので勉強しつつ書いていました。また、自分がなかなか使わないポケモンは一から勉強していました。むつかしい……。
 内容が予定よりも延びて、あと1話続きますが、もうすこしだけお楽しみいただければ幸いです。

 登場人物アオイが語る内容は拙作『もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】』の内容が含まれています。ちょっと興味が出てきた方は、長い作品なのでお時間ある時にお楽しみいただければ、と思います。※初めて長編書いたので拙い作品で紹介するのもすこし恥ずかしいものですが……。


「どうして風見の赤いトリが回っている間は悪夢なの?」
>元ネタは寺山修司「夢なのだ。さあ、空を見上げろ!風見の赤い雄鶏がまわってるあいだは、夢なのだ。だが、夢でない現実などあるものか!現実でない夢があるものか!」という詩です。
「どうしてポケ作品に出てくるの?」
>筆者の趣味です。はい。ああ、うんうん、その感覚わかる~、とお楽しみいただければと思います。
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