風は有利に吹いている【完結】   作:ノノギギ騎士団

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※全5話となりました。最終話の予定でしたが、長くなり過ぎたので「最終話・前半」として投稿いたします。


予約済みのチャンピオンタイムを君に(上)

 スタジアムに向かう道は歩く度に距離が変わっている、とユウリは思っている。

 各地にあるスタジアムは、ダイマックスに対応するためにローズ委員長が規格を定めたスタジアムだ。だから、外装の差こそあれ、ガラル地方のスタジアムは全て同じ形をしている。

 

 頭では分かっているが、感覚は慣れない。

 

 感じた距離は「わたしの心の問題だ」と思うことにしている。

 

 今日のスタジアムに向かう道は、長い。しかも、細くも広くも感じられる。

 不思議な感覚に足をすくわれないように歩く。足取りは、確実だ。これまでのどのスタジアムへの道程よりも恐れなく歩いていた。

 

 白と黒の境界線。

 強すぎる照明は床に明暗を刻んでいた。

 明るい白へ足を踏み出そうとした瞬間のことだ。

 後方に気配を感じて、振り返った。

 

「っアオイさん!」

 

 そこにいたのは誰であろう、シンオウ地方からの旅人でユウリに思いがけない幸運を運んでくれた青年であった。

 彼は、疲労のうえ気怠い雰囲気でユウリを見た。

 

「私に気付くとは……はぁ……君は、あんなことをしでかしておいて罪の意識が、多少、あるのだね」

 

 言葉にのせるには過剰なほど感情を加えて、彼は「多少」を強調した。

 

「あっ。あはは。えへへ」

 

 笑ってごまかそうと思った5秒後に、ユウリは頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

「まったく。……しかし、別に、構いはしないさ。どうせ私は、君の罪悪感が形作ったもので厳密には彼ではない。君の謝罪を受けるために、最も相応しい形として現れたに過ぎない」

 

「でも、謝るべきでしょう? それはそれとして、チャンスは逃さないですけど」

 

「……かつての私もそうだった。変わってしまうことを恐れなかった。選んだのなら最後まで進むといい。私は、その光の先に行けなかったが……」

 

 ユウリの背後に広がる眩い光を見て、彼は身震いして腕をさすった。

 この時にユウリは気付いたのだが、彼は右手が無かった。見間違えや影の加減ではない。まるで空間から切り取られたようにそこが無かったのだ。

 彼は、見つめられていることに気付くと袖をひらひらと動かした。

 

「私の悪夢では、ミアカシが私の魂を燃やしたのだ。ジュペッタの愛憎を……怨念ごと燃やし尽くした。あぁ。『手を切った』。私は、手を切ってしまったのだ。文字通りに。だから、光の先へ行けなかった」

 

 淡々と彼は言った。語る言葉には本来あるべき感情が欠落しているように感じた。これも彼にとって記憶ではなく記録なのだろう。

 ユウリは、そう思った。

 彼には見えていてユウリには見えない世界が、ここにはある。

 ユウリは、スタジアムへ続く廊下の先――照明の白い光を振り返った。

 

「……あなたは、あそこへ行きたかったんですか?」

 

 彼は苦しそうに顔を歪めた。

 

「分からない。今の私には、もう何も分からなくなってしまった。けれど、そこへ至ったのなら私は、どこにもいないだろう。悪夢の底とは、そういうところだ。ここではないどこか。現実ではない其処へ行ってしまうのだ。きっと、帰ってくることはできないのだろう」

 

 そこへ落ちた彼は語る。

 だからこそ。

 ユウリは、アオイへ歩いた。

 

「あなたは、アオイさんだ。わたしの罪悪感じゃない」

 

「さ、さあね――」

 

 そっぽを向いてとぼけようとした彼へ一歩近づく。

 彼は後退りしようとして足を止めた。

 

「悪夢の仕組みを知るアオイさんなら、ここに来ることができる。こうして話すことができる。だから、わたしの知らないことばかり話せるんだ。あなたが眠れなかったのは、枕が変わったからじゃない。ダークライの悪夢を見ないように眠らないようにしていたからでしょう?」

 

 昨日の夜の時点で彼は、かなり限界だったように見える。

 座って目を閉じれば、すぐに眠ってしまいかねない状態だった。

 今の彼なら、立った状態でも眠れるだろう。

 

「先のバトルで肝心なところでダークライへの指示を『噛んでしまった』ことも、そう。あなたは、わたしを悪夢に近付けさせたくなかった。でも、わたしは追いついた。だから、あなたは来た。わたしへの忠告のために」

 

 アオイは、怒りのような感情を短い間だけ瞳に浮かべた。

 しかも、その顔は「アタリ」と書いてあった。

 

「君はつくづく……。いいや、時間が無い。これは、助言だ。助言止まりの確証の無いことばかり言うことを許してほしいが。『悪夢のなかでは未来が見られない』と言っただろう。それでも未来を作り出そうとするとどうなるか?」

 

「それっぽい未来ができる?」

 

「そうだ。君の想像する未来ができる。または、象徴的な存在が代替する。代替だ。辻褄を合わせるためだけに、既知の何かが現れるのだ。そして、この世界は既に形を持っている。恐らく確度の高い未来のひとつだ。だが当事者の認知によってもたらされた世界は、現実の一側面の枠を決して超過しない。現実は、峻厳で多彩多様な要素により、常に影響し合って存在する。だから逆説的に『現在の事象を起こす因果の全てを把握・解析できたら未来を確定的に認知しうるか』という試みがあった。それはかつてラプラスの魔とも呼ばれ、今なお挑戦する研究者がいる。未来が情報として世界に存在するかという、およそ量子学的思考の――」

 

「あ、すみません。よく理解できませんでした。逆説的の説明を、もう一回お願いします」

 

「……私は説明がへたくそなんだ。ええと、つまりだね。ここでは、君の知らないことは起きない。想像できないことも起こらない。もし、起きるとしたら、それっぽい形で起こるだけだ。おかしなことが起きたら、それは現在の君が知りえないことだと分かってほしい。探求してはいけない」

 

「分かりました、うん、何となく分かった……」

 

 アオイは「ホントかなぁ?」という顔を隠しもしなかったが、目に浮かぶ焦りと早口がユウリの心を揺さぶっていた。

 

「ありがとう、アオイさん。わたし、頑張って早く起きるね」

 

「ああ、ぜひそうしてくれ。蒼い焔が見えないうちに花を摘むといい。魂を焦がされては、君の大事を失ってしまう。ホップ君のこと、忘れたくはないだろう?」

 

「ええ、はいっ!」

 

「では、頑張っておいで。ダークライの悪夢が君の迷いを晴らしますように」

 

「ありがとう、アオイさん」

 

「……礼など君が生きて帰ってきてくれたのなら何も要らないよ」

 

 アオイは、暗い廊下の先を歩き出した。

 別れを告げるように手を振っていた左手は、その後、焼失した右手を探して宙を掻いた。

 

「選ばなかった未来は、想像する余白の限り広がり続けるものだ。それを知っていた。知っていた。それでも、会いたかったんだ。もう一度、生きて動く彼を見られたら、と全てを引き換えにして惜しくなかった。夢幻と知っていても、二度失うと知っていても、私は、私は……あぁ、それでも私は」

 

 足音が消えた。声が途絶えた。

 瞬きした後は、何も無い廊下が広がっている。

 彼のいた廊下を見れば、やはり距離が変わっているように思えた。

 

 両手で頬を叩き、ユウリはひとこと自分へ呟いた。

 

「行くぞ、わたし」

 

 迷わずスタジアムに足を踏み入れる。

 この先にいる人物を、ユウリは知っている。

 

 視界を真っ白に埋めたスタジアムの光に、わずかに目を細めた。

 薄い身体を貫く音。拍手は割れ、歓声はさざめきのように会場を揺らした。

 

「あ」

 

 この光景を、ユウリはテレビで見たことがある。

 歓喜と興奮の坩堝と化した、この時間は過去のものだ。

 

「――去年のジムチャレンジ最終戦。チャンピオンとファイナルトーナメント優勝者が戦う、最初で最後の戦い。頂点という最強へ原点の最強が挑むバトル。……去年の今ごろは、ホップと椅子を並べてテレビに釘付けだったっけ。もう懐かしいね」

 

 歓声に打ち消されることない、凛とした声がユウリの耳に届く。

 身の丈に合わない深紅の長いマントを翻した少女の姿が、スポットライトに照らされた。

 

 彼女は、わたしそっくりだった。

 まるで鏡合わせの写し絵だ。

 大歓声は、リピート音声のように続いていた。

 

「驚いた。わたし、まるでチャンピオンみたい。マント、カッコイイ……!」

 

「えへへ……。何も驚くようなことは起きなかったよ」

 

 彼女は笑った。

 鏡でよく見る、困った時の顔をして髪を撫でた。

 

「何も。何もね。何も起きやしなかったんだ。わたしは強かった。負けなかった。相手が誰であろうと勝ったよ。いつも通りだった。つまらない話だね」

 

「あなたは、未来のわたしなの? アオイさんは、未来は見えないと言ったのに……」

 

 あっさり未来を見つけてしまってユウリは、すこしだけアオイのことを恨めしく思った。

 けれど「うん。ま、ちょっとは合っているんじゃないかな」という彼女の言葉に、驚いた。

 

「ここは現実と地続きではないから、アオイさんの言う通り『夢幻』そのものだ。彼風に言えば、そうだね……『確度の高い未来のひとつ』が、わたし。スタジアムを出ても明日の新聞が読めるなんてことはないし、剣と盾の英雄の正体も分からない。それに、ほら、わたしって想像力がイマイチだから――」

 

 そう言って彼女はくるりと一回転した。

 彼女が纏うマントには、何かが不足していた。

 間違い探しのようなそれに首を傾げて、ユウリは思いついて手を叩いた。

 

「……? あ! スポンサー企業の広告が無いっ!」

 

「あと、ここのスタジアムも、ちょっと、いや、だーいぶ、ひどい」

 

 彼女が指さす先は、スタジアム広告だ。

 スタジアムをよく見れば、これが現実にはあり得ない世界であることがよく分かった。

 

 壁面広告にカブの髭剃りがあり、また一方には、ターフタウンの農園紹介がある。頭上の巨大な液晶モニターには、ルリナがおいしい水を飲むCMとキバナがプロテインを宣伝するCMが交互に流れ続けており、鼻先をふわりとかすめていくのはポプラ監修というフレグランスだ。さらに良く見れば観客が振っているのは、ペンライトではなくメロンがイメージキャラクターを務めているアウローラアイスだ。

 

 一言にいえば、混沌だった。ローズ委員長が見たら統一感の無さに卒倒するかもしれない。

 

「これはひどい。ごっちゃごっちゃだ。あの、なんか、ごめんね?」

 

「えっ? あ、謝られても困るっていうか、ええとね、この世界は、ほんのさっき5分前にできた程度のものだし……」

 

 お互いに気まずい顔で笑い合った後で、ふたりは顔を見合わせて小さく息を吐いた。

 

「わたし達、双子だったら良かったかもね」

 

 わたし達は、これからバトルをする。

 どちらの色であれ勝敗は決まる。

 

 彼女もそれが分かっているので、穏やかだった。

 

 何のためにユウリがいるのか。

 何のための世界なのか。

 彼女は知っていた。

 

 スタンドをぐるりと一周見回した後で彼女は目を細めた。

 

「そうかもね。きっと負けるってことを自然と学べたと思う。負けないでここまで来たなんて残酷だったよ。誰にとってもね。いろんな人の夢を壊してしまった」

 

 例えば、だが。

 十年間、無敵のチャンピオン=ダンデが倒れたら――なんて。ユウリは、影響を上手く想像できない。

 想像できないことが起きた末のユウリが(わたし)が言うのだ。大変だったのだろう。

 

「うん。知っている。そうなることも、すこし、分かる。……わたしに勝ったホップは嬉しそうだった。あの光景を見たかったんだと心から思った。でも、もうちょっとだけ、わたしは知らないフリをする」

 

 ユウリは、モンスターボールを掴み、手を突き出した。

 

「わたしは、いつだってホップにとって最高のライバルでありたい。だから、あなたに勝つ。わたしは、わたしを越えていく。『わたしの考えた最強のわたし』を越えるんだ」

 

 ユウリの強い光の宿る瞳を見て、彼女は微笑んだ。

 諦めのような、悲しみのような、憧れのような――さまざまな感情が混ざる笑顔だった。

 

 アオイに言われた言葉が、不意に耳の奥で再生された。

『複雑であることは難解であっても悪いことではない』

 今ならば、彼の言葉が理解できた。

 

 ユウリにとってこれは、夢の中の出来事だ。

 でも、素直に喜べない、純粋にバトルを楽しめない――夢の中で対峙している、もうひとりのユウリにも人生があり時間の積み重ねがあったのだ。たとえ、それが5分前にできたものだとしても。彼女の瞳の奥には、きっと蓄積された出会いがある。

 

 どれほど姿形が似ていても。

 同じ過去を持っていても。

 名前を持っていても。

 わたし達は絶対的に違う存在だ。すこしだけ悲しい事実に気付く。

 

 独りきりが平気に思えるほどユウリは強くなかった。

 モンスターボールが、震える。

 ボールが震えているのか、握る手が震えているのか、ユウリには分からなかった。

 

 しかし、それを見て彼女は笑った。

 

「君は『通り越していない』わたし。きっと今が一番幸せな時のわたし。最も可能性があった時分のわたし。だからこそ『チャンピオンタイムには、まだ早い』。でも、わたしの考えることだからね……」

 

 仕方が無い、と彼女は言う。

 ほんの数秒だけ彼女は目を伏せて、そして目を開いた。

 

「――うん、分かるよ! ホップのライバルだもんね? 手を抜きたくないよね? 全力で戦わないのなら、わたしがトレーナーである意味なんて何も無いよね? だから幸運(ラッキー)だった!」

 

 どうして、幸運なのか。

 悪夢のなかに存在するユウリが歓喜する理由を――恐らく、自分は知っているような気がする。

 

 耳鳴りのように響いていた歓声が、呼吸の音ひとつ聞き逃せないほどシンと静まり返る。お互いを丸く照らす一条のスポットライトだけが、うるさいほど眩しかった。

 

「挑めるなら、戦いたい! 戦うなら、勝ちたい! 勝てるなら、徹底的に! わたしも同じ気持ちなんだ」

 

 スタジアムの天井が割れる。

 可動式の天井が開いたのだ。

 新月の夜の色は、ダークライに似ている。

 

 しかし。

 

 星が浮かんでいた。

 空が廻ろうと決して位相を変えることのない極星の下、両手を広げて彼女は言った。

 

「ここは悪夢で! ただの幻で! どこにも繋がらない世界だけど! わたしがいる! このわたしが『息が止まるほど都合の良い夢』で終わらせないんだからっ!」

 

 大きく目を見開いた彼女はボールを握る。

 その瞬間、ユウリは宣言した。

 

「わたしはジムチャレンジャー! 背番号888(トリプルエイト)! ハロンタウンのユウリ! わたしは、あなたに勝負を挑むっ!」

 

「その勝負、ガラルの頂点が受けて立つ!」

 

 マントを掴む――白い手首にあるダイマックスバンドが、いつか見た星のように輝いていた。

 

「背番号を越えて、わたしは輝き続けるっ! わたしは、チャンピオン=ユウリ!」

 

 マントが音を立てて翻る。

 三方向から赤、緑、青の照明が小さな体を照らした。

 途端、場を呑みこむほどの歓声だ。

 

「頂点は、過去に! 未来に! 現在に! ただひとり! 喝采を、ここに!」

 

 チャンピオンの人差し指が、新月に浮かぶ星を指す。

 声! 声! 声!

 口々に何かを叫び、空気を震わせた。

 

「――あぁ、わたしの名を呼んで」

 

 歓声にかき消されそうな声で、彼女は言う。

 かつて「ダンデ!」と呼んだ口で今は「ユウリ!」と叫ぶ観客を、チャンピオンは誰一人として見なかった。

 眩い輝きを放つチャンピオンの瞳は、まっすぐに過去を映していた。

 

「予約済みのチャンピオンタイムを君に見せてあげる! さぁ、無限大に輝いて! レッツ・チャンピオンタイムッ!」

 

 わたしは挑む。

 彼に「待っている」と言えず『通り越した』チャンピオンの悲鳴をすくいあげ、ボールを投げた。

 

 

 

 チャンピオンの ユウリが

 しょうぶを しかけてきた!

 

 

 

「行こう! アーマーガア!」

 

 チャンピオンの初手は、アーマーガアだった。

 彼は、古株だ。アオガラスの時にヤローのワタシラガを何とか倒すことができたのも、彼のおかげだった。アーマーガアになった今では、練度が高い。

 ユウリの手持ちにのなかで倒された回数は一番多いが、相手を倒した数が最も多いのも彼だった。

 アーマーガアの役割は、まず先勝することだ。相手トレーナーの出鼻を挫く勝利をつかむこと。たとえ倒されてしまっても手堅くダメージを与えてくれる。また彼自身、そんな自分の役割をよく知っているポケモンだった。

 

 だから、ユウリのアーマーガアは、とても暴れる。決して諦めない。……この点、何だかトレーナーによく似ている。

 

「マルヤクデ、君に決めた!」

 

 ユウリの初手は、マルヤクデだった。

 ジムチャレンジを始めたばかりの頃、3番道路でばったり出くわして慌ててボールを投げたらあっさり捕まえてしまった。その後、何となく意気投合して現在に至るポケモンだ。

 好戦的な気質の彼が、なぜあっさり捕まってくれたのか。ユウリは最近まで分からなかったのだが、戦う者同士が惹かれ合う運命にあったのだと思うことにした。彼もヤロー戦では活躍した。そして、これから控えるメロン戦にも大活躍するだろう。

 彼は確実に攻め立てられるポケモンだった。特性『しろいけむり』の影響が大きい。相手のポケモンはマルヤクデの体から吹き出す白い煙に惑わされて能力が下がらないのだ。しかし、アーマーガアとの相性は良いとも悪いとも言えない。

 

 アーマーガアは、ひこう・はがねタイプ。マルヤクデは、ほのお・むしタイプだ。

 

「相性の有利と不利がひとつずつ、ね」

 

「バトルは、相性だけじゃ分からないよ」

 

 ユウリは、自分に言い聞かせる。

 ……大丈夫。風はわたしに吹いている。

 チャンピオンは、不敵に笑った。

 

「うん。分かってる。だから。――アーマーガア、『はかいこうせん』!」

 

「っ! マルヤクデ、『えんまく』! 『とぐろをまく!』」

 

 立て続けの指示にマルヤクデは、よく反応した。

 噴き出した煙幕がマルヤクデの巨体を隠す。マルヤクデの『かえんほうしゃ』ならば、対峙するアーマーガアに届くだろう。しかし、その後の手が無い。真正面から『はかいこうせん』を受けては、さすがのマルヤクデもひとたまりもない。

 マルヤクデは3メートル近い巨体であるが、煙幕に紛れて『はかいこうせん』をやり過ごすしかない。そして、やり過ごせるのであれば、その間にすこしでも力を蓄えておくべきだった。

 

 果たして『はかいこうせん』は放たれた。

 衝撃波で煙幕は消し飛ぶが、その先にマルヤクデはいない。

 

「『かえんほうしゃ』!」

 

 攻撃の反動で動けないアーマーガアに向かって、薄煙になる煙幕から炎が噴き出した。

 熱いだろうにアーマーガアは声を上げなかった。こうしたピンチの時のアーマーガアは、覚悟が決まっている。

 

「アーマーガア、『はがねのつばさ』!」

 

 鋼の翼が風を叩く重い音が聞こえる。

 ――技だけじゃない。飛ぶつもりだ。

 

「させないっ! マルヤクデ!」

 

 長い身体をバネのように使い、マルヤクデはアーマーガアにとびかかった。鋼鉄で覆われた身体に長身を巻き付け、首に噛みつく。マルヤクデの身体は、触覚の炎を見れば察するように発熱器官そのものだ。抜けだそうともがくアーマーガアは、しきりに暴れた。マルヤクデも次の攻撃に移る。ただ噛みつくだけではなかった。

 

「『かみなりのキバ』!」

 

 マルヤクデとアーマーガアの姿は、スタジアムの光に負けないほど眩い閃光を放った。アーマーガアは、とうとう大きな声を上げた。

 ひこうタイプのポケモン対策として覚えている『かみなりのキバ』は、接近戦でも有効だ。たとえ鎧がどれほど硬くとも、電気攻撃は妨げられない。

 

「いいよ、マルヤクデ、このまま抑え込んで!」

 

「アーマーガア! 『エアスラッシュ』!」

 

 アーマーガアが必死に暴れた成果は、右の翼が自由になったことだった。

 しまった、と思った時には遅かった。

 

「マルヤクデ!?」

 

 至近距離で受けたひこうタイプの技にマルヤクデが飛ばされた。

 すぐに態勢を立て直したが、アーマーガアの速さが勝った。

 

「もう一度『エアスラッシュ』!」

 

「『かえんほうしゃ』!」

 

 技同士が激突し小規模な爆発が起きた。

 速さでマルヤクデに勝るアーマーガアに先手を取ることは、難しい。

 けれど、勝てる。煙幕で攪乱して乱戦に持ち込む。『かみなりのキバ』をもう一撃当てればアーマーガアは倒せる。

 

「マルヤクデ! 『えんま――」

 

「アーマーガア、『ちょうはつ』して!」

 

「っ!」

 

 挑発に乗ったマルヤクデが、アーマーガアに挑んだ。

 マルヤクデが選べる技は『かえんほうしゃ』か『かみなりのキバ』だ。

 中途半端に距離を取って『はかいこうせん』が飛んでくる事態は避けたい。

 ならば!

 

「『かみなりのキバ』!」

 

「『エアスラッシュ』!」

 

 ほとんど同時の指示だった。そして、技が交錯する。

 ポケモン同士が激突し閃光が散り、音が響いた。

 

 白煙が薄れる。

 最後まで立っていたのはアーマーガアだった。

 鎧足の下で目を回しているのは、マルヤクデだ。

 

 ワァッと歓声に涌いた観客だったが、その声はグラグラとふらついた。

 

「むぅっ……!?」

 

 ぐらり、と姿勢が傾ぐ。『かみなりのキバ』は、確かにアーマーガアに届いたようだ。

 マルヤクデに一拍も二拍も遅れて、アーマーガアは目を回して倒れた。

 

 場外スピーカーまで音が割れるほど大きな音が、客席から湧きたった。

 

「戻って、マルヤクデ。ありがとうね」

 

「アーマーガア、お疲れさま。十分だったよ」

 

 一体目のポケモンは、相打ちだった。

 

「いいね、強い。強いよ、チャレンジャー」

 

「ありがとう、チャンピオン。あなたも、わたしと同じくらい強いかも」

 

 肌がピリピリとした緊張感を感じている。身体が妙に強張った。

 チャンピオンには、余裕がある。しかも、初手の初手に『はかいこうせん』という大技を放ってきた。

 ――その理由は何か。

 逆の立場であったら、ユウリはアーマーガアに使わせない。

 

「パフォーマンス?」

 

「チャンピオンだからね。塩試合なんてできないよ。それでも、勝つことに問題はないし難しくもないけれど」

 

「言うね、言うね。言ってみたいや、そんなこと」

 

「ははは。わたしに勝てたのなら、誰にだって言えるよ」

 

「それは冗談?」

 

「どうかな。勝ってみたら分かるんじゃない? 君は、わたしと同じくらい強いかもだからね」

 

 チャンピオンが次のポケモンを繰り出す。

 ユウリもボールを投げた。

 

「さあ、行こう。ワタシラガ!」

 

「おいで、フォクスライ!」

 

 ワタシラガ!

 ユウリは、懐かしいターフスタジアムのことを思い、驚きに目を瞠った。ワタシラガといえば一般的な印象では、ジムリーダーのヤローが使うポケモンというものだ。

 けれど、ユウリにとっては二番目のジムリーダー、ルリナのカジリガメを破った思い出深いポケモンだ。

 

 ハッと。ユウリは息を呑みこんだ。

 アーマーガアは、ヤローの最後のポケモンを破ったポケモンだった。

 ワタシラガは、ルリナの最後のポケモンを破ったポケモンだった。

 

 チャンピオンの持つポケモンには、法則性があるのではないか。

 すると、この先は――。

 

「ハイパーボイス!」

 

「っフォクスライ、避けて!」

 

 指示が遅れたツケは大きかった。

 見えない波動に弾かれたフォクスライがフィールドに叩きつけられた。すぐさま頭を振って復帰した。

 

「ごめんね、大丈夫、一緒に立て直そう!」

 

「そんな暇、無いんだから! 『マジカルリーフ』!」

 

「突っ込んで! 『とんぼがえり』!」

 

 被ダメージ必至の攻撃だ。けれど、一発逆転を狙える。

 控えで有利を取れるポケモンと交換して、戦う。

 不思議な葉っぱが意志をもつようにフォクスライに襲い掛かる。だが、フォクスライの方がわずかに速い。

 

「『守って』!」

 

「んなっ!?」

 

『とんぼがえり』は、果たして、ワタシラガに届くことはなかった。ワタシラガの『まもる』がフォクスライを弾いた。

『まもる』は、単純な防御だ。けれど、ポケモンの集中力に依存する技は、連続して発動すると成功率は下がると言われている。しかし初回であっても、ポケモンを信頼していても、失敗することはある。だから、運に頼る技を肝心なところで選ぶとは思わなかった。

 

「確率になら勝てるもの。――ぶっとばせ! 『ハイパーボイス』」

 

「近づいて『ふくろだたき』!」

 

『ふくろだたき』は、一緒にいるポケモンの数だけ威力が増す技だ。残りの手持ちは、4体。効果的ではないけれど威力は、十分のはずだ。

 ワタシラガが綿毛を膨らませて空気を取り込む。空気が緊張した。ハイパーボイスが来る。ユウリは手に力が入り、拳を作った。

 フォクスライの方が、やはり、ほんのちょっと早かった。

 中途半端に開いた口から泣き声のような淡いハイパーボイスがこぼれたが、ふくろだたきの勢いに小さくなった。

 

「たたみかける。『ほのおのキバ』!」

 

 フォクスライの口から小さな火花が散った。

 だが、ワタシラガもやられっぱなしではない。

 近接戦に移行した以上、ワタシラガの攻撃は予想できる。 

 

「ワタシラガ、『ギガドレイン』!」

 

「耐えて、フォクスライ! 負けないっ! 君は、負けないんだから!」

 

 ユウリの声に応じて、フォクスライの顎には力が入る。

 ギガドレインは力を吸い上げていたが、吸い上げ切るより先に『ほのおのキバ』の威力が勝った。

 緑色の光が集まり、そして、散った。

 

 きゅぅ、と声を上げたワタシラガが目を回した。

 

「ワタシラガ……」

 

 瞬きひとつで、彼女はチャンピオンの顔になる。

 

「ありがとう。お疲れ様有利だったのは、わたしのハズなのにね」

 

「ははは、フォクスライのほうがすこしだけ無理ができたの。違いなんて、きっとそれだけ」

 

「そうだね。それに、ピンチだから燃える。だって、風はわたしに吹いている」

 

 チャンピオンの言葉に、ユウリは唇を甘く噛む。

 ユウリの目には、既に勝利が見えていた。肌にも感じる。――どんなポケモンが出て来ても勝てる。

 絶対のこの自信を疑ったことは少ないが、いったいどこから来るのか。ひょっとしたら、その答えを彼女は、チャンピオンは知っているだろうか。

 

「チャンピオンの風は、どこから吹いてくるの?」

 

 チャンピオンは、薄く開いた口のままユウリがそうしていたように唇を小さく噛んだ。

『風はわたしに吹いている』

 それを伝えた相手は誰であろう、自分自身なのだ。

 

 ユウリも見つめ返していた。

 答えを知りたい。自問自答だ。

 

「さあ、知らない。知らない。何も。何も知らない。でもね、どうして風が吹いているのか。どこから風が来ているのか。それを知ったら最後で、わたしは誰にも勝てないんじゃないかと思っている」

 

「……そう、なんだ。風のおかげで勝っているワケじゃないのにね。どうして、わたしはそんなことを思うんだろう?」

 

「皆と違うことが『それ』だからだよ。だから、だからね、わたし達が負ける時は、あっさり負けてしまうんだろうね」

 

 ユウリは上手く想像できない未来に思いを馳せた。

 

「もう、どうしたって勝てない。勝てる見込みも道筋も打算も、きっと何も浮かんでこないまま、ワケも分からず押し込められて負ける」

 

 確信めいた言葉にユウリは呪われそうな心地になった。

 しかし、否定できない。

 彼女の未来予想図は容易に想像できてしまった。

 

「何だか、嫌な負け方……。ダンデさんが負ける時は、なんていうかこう、もっと華があると思うんだ。負けるとしてもギリギリで負ける、みたいな」

 

「ダンデさんの引退は、潔かったよ。自分が推薦したトレーナーに倒されるんだもの。コテンパンに負けてもカッコイイんだから、もう何も言うことは無いって感じでね。――わたしは当分、引退する気は無いけど」

 

「十年くらい?」

 

「終身チャンピオンでも構わないくらいだ。さぁ、バトルを続けよう。――君の番だよ、ドラパルト!」

 

 眩い光に照らされて現れたのは、緑と特徴的な細長い頭を持つポケモン、ドラゴン・ゴーストタイプのドラパルトだった。

 

「チャレンジャー、もっと見せて! もっと乗り越えて! わたしに、可能性を見せて!」

 

「いくよ、フォクスライ。『かみなりのキバ』!」

 

「ドラパルト、『かみなり』!」

 

 いけない。そう思った時には遅かった。

『かみなりのキバ』に誘因された『かみなり』は、光ったと思った瞬間にフォクスライに命中した。『かみなり』は『10まんボルト』に比べれば、決して命中率の高くない技だったが、フォクスライに指示した技との相性が良すぎた。

 

「くぅ……戻って、フォクスライ。ごめんね。でも、ありがとう」

 

 ユウリは、モンスターボールをしまい、そして次のポケモンを選んだ。

 

「行くよ、ウオノラゴン! 『げんしのちから』!」

 

「回り込んで『ドラゴンダイブ』!」

 

 地面が砕け、浮き上がった岩がドラパルトを襲う。

 いくつかの欠片のうち、数片が命中したが戦意を挫くほどの威力には至らなかった。

 ウオノラゴンが、ギリギリで飛び込んで来たドラパルトの『ドラゴンダイブ』をかわした。幸運に助けられたが、恐らく二度目は無い。

 

「ウオノラゴン、『りゅうせいぐん』! さあ、いくよ! ドラパルトを落とそう!」

 

「よけて、ドラパルト、『かみなり』を――!」

 

 空を向いたウオノラゴンが『りゅうせいぐん』を放つ。

 チャンピオンの指示はドラパルトに届いたものの『りゅうせいぐん』をかわし続ける今の彼に技を繰り出す余裕はない。しかし『かみなり』を使おうとした数秒動きを止めたドラパルトに『りゅうせんぐん』は、とうとう命中した。

 動きが鈍くなったドラパルトをウオノラゴンが捉えた。

 

「『ねっとう』!」

 

 大量の熱湯を浴びせられたドラパルトがダメージを負いながら、距離を取った。

 チャンピオンは、再び『かみなり』と言いかけて唇を噤んだ。熱湯の水はフィールドとドラパルトに残っている。『かみなり』攻撃の余波を受ける可能性に気づいたのだろう。

 ならば、チャンピオンが選ぶ技は、ひとつだ。

 

「『ドラゴンダイブ』! 全力で!」

 

「ウオノラゴン、『こおりのキバ』で向かいうつ!」

 

 同時に指示が飛んだ。

 ウオノラゴンの『がんじょうあご』が大きく開かれた。 

 それを認めながら、ドラパルトは身を低め、角のなかのドラメシアと共に一直線に飛び込んできた。

 

 激しい衝撃波を起しながら、二体が交錯した。

 どちらも技タイプは『こうかばつぐん!』には違いない。

 すれ違い、再び対峙する。まだ、どちらも立っていた――だが、ギリギリだ。ドラパルトは忙しく浮き沈みを繰り返しており、ウオノラゴンは足が震えていた。

 

 最後の技が来る。チャンピオンの指が天を指した。

 

「ドラパルト、星まで落とせ! 『りゅうせいぐん』!」

 

「ウオノラゴン! 『りゅうせいぐん』!」

 

 ユウリが、そう指示したのはチャンピオンに気を遣ったワケでもバトル演出に思いを馳せたワケでもなかった。

 気力で持ちこたえているウオノラゴンが、素早く動くことができなかったのだ。けれど、ドラパルトもそれは同じようだった。

 天上を埋め尽くす『りゅうせいぐん』の光が、瞬く。

 

 星だ。ああ、流れ星。

 ユウリは見上げた先で目を細める。

 そして。

 

 それは、降り注いだ。

 

「ウオノラゴン、下がって――!」

 

 光弾が次々と着弾し、土煙が上がった。

 結果は。

 

「相打ち……!」

 

 チャンピオンが、ほんのすこし、眉を寄せた。

 ウオノラゴンが低いうなり声を上げてクラクラと目を回した。気力だけで立っていたので無理もないだろう。同じ頃、ドラパルトがひょこひょこと浮いたり沈んだりを繰り返して地面に倒れた。心配するようにツノの空洞に隠れていたドラメシアがドラパルトの頭上を旋回している。

 

「ありがとう。普段、ドラパルトと仲が良いけれど、あの子って敵にするとスゴく恐いんだね。……でも、食い止めた」

 

 観客席が、体が震えるほどの歓声を上げた。

 ドラゴンタイプのバトルは盛り上がると聞いたこともあったが、すごい興奮だ。

 

「まだまだ、いくよ!」

 

 チャンピオンは不敵に笑った。

 ユウリの手持ちポケモンは、あと3体だ。

 チャンピオンのポケモンも、あと3体だ。

 

 この一戦を勝って、数的有利を収めたい。数の有利は、そのまま心の余裕にも繋がる。最後まで焦らないために、この勝負は、何としてでも勝ちたい。

 

 チャンピオンは、モンスターボールを投げた。

 同じように、ユウリもボールを投げた。

 

「パッチラゴン、君に決めたっ!」

 

「ブリムオン、お願いっ!」

 

 パッチラゴン!

 でんきタイプに加え、ドラゴンタイプを併せ持つパッチラゴンだが、対するブリムオンはエスパー/フェアリータイプだ。フェアリータイプには、どういうことか、ドラゴンタイプの技は『効果なし』となる。だからパッチラゴンは攻撃できる技が限られている。

 

 ユウリは『この勝負は取れる』と思った。

 試合の組み立てを終えたユウリが指示を出そうと手を挙げ――止めた。

 

 ブリムオンがチラリと艶やかな瞳を一瞬だけこちらに向けた。ブリムオンの特性は『きけんよち』だ。この特性は、バトルに出た時に、相手が「こうかはばつぐんだ!」になる技か、一撃で「ひんし」状態にする技を持っていると予知できるものだ。

 パッチラゴンは、自分のタイプに一致しない技でもフェアリータイプに有利な『どく』か『ゴースト』か『はがね』タイプの技を覚えているのだ。

 

(『徹底的に勝つ』ってそういうこと……)

 

 チャンピオンは、チャレンジャーの一手を待っている。

 悪夢的なご都合を感じずにはいられないが、決して不可能ではない以上、偶然としてあり得る範疇の展開だ。

 

(――大丈夫だよ、ブリムオン。君の『まもる』で、きっと一回は防げる。恐れずに行こう。そして、君は、この察知したことを相手に知られてはいけない。知らんぷりして立ち向かおう)

 

 ユウリは胸に手を当てて、心の中で呟いた。

 ブリムオンに呟いたうちのいくらかは伝わったのだろう、彼女は『森の魔女』の異名に相応しく怪しげに頭の触手のツメを揺らした。

 

「ブリムオン、『マジカルシャイン』!」

 

 この勝負で最も大切なことは、できるだけパッチラゴンを近付けさせないことだ。ブリムオンが覚えている物理的に攻撃する技は『パワーウィップ』のみだが、パッチラゴンには効果が薄い技だ。

 

 光を収束させて放つ『マジカルシャイン』が放たれたが、パッチラゴンは動かなかった。

 

「パッチラゴン、『じならし』!」

 

 地面が震え、ズレる感覚に襲われて、ブリムオンが態勢を崩す。『マジカルシャイン』の放射確度が変わった。

 

「いけない、ブリムオンっ」

 

「『でんきくちばし』!」

 

 指示と共に、パッチラゴンが矢のように飛び込んでくる。

 ブリムオンには『まもる』の技がある。一撃を受けることはできるだろう。しかし、それでは次が無い。弱点を突く技が『まもる』の次に来たら、それを耐えられるだろうか。これはひとつの賭けだ。できれば、試したくない。

 

「『パワーウィップ』! 近付けさせないで!」

 

『でんきくちばし』はブリムオンの身を掠めた。そして『パワーウィップ』をまとった頭上のツメは、ややカウンター気味にパッチラゴンに直撃し、その後、わずかに怯んだ。

 

「『サイコキネシス』!」

 

 不可視の念力がパッチラゴンを吹き飛ばす。

 態勢を整える暇を与えず、着地を狙った『マジカルシャイン』がパッチラゴンを薙いだ。

 

「ナイス、ブリムオン!」

 

 効果抜群の一撃は、衝撃を逃がせない空中で命中した。急所にも当たっただろう。

 だが、まだパッチラゴンは倒れない。

 チャンピオンは、目を輝かせた。

 

「終わらないよ! まだ! 終わらないんだからっ! 頂点の光を見せてあげる!――パッチラゴン、『ほうでん』!」

 

 眩い光は、全ての人の視界を奪った。

 スタジアムの照明に劣らない強烈な光を放ち、スタジアムの底を青い電撃が奔る。

 

 距離は離れているが、余波の電撃を受けるブリムオンは震えていた。

 やはり、もっと距離が必要だ。

 手をかざして目を細めるユウリは、勝機を探る。

 

(サイコキネシスで、もっと遠ざける? 一か八かで、『マジカルシャイン』を撃ってみる? それとも――)

 

 『ほうでん』がわずかに揺らいだ。

 息を呑む。ユウリは迷わず指示を飛ばした。

 

「『まもって』、ブリムオン!」

 

 急転直下。

『ほうでん』が止み、強烈な明滅の変化に目が眩む。

 直後、『でんきくちばし』がブリムオンに飛び込んできた。

 

「止めた――!」

 

 目くらましの『ほうでん』とパッチラゴンの脚力を活かした電撃攻撃だ。

 一撃を防いだ。

 でも、その後は?

 

「ブリムオン、『パワーウィップ』!」

 

「止めた。止めたね。すごい!」

 

 一度だけ、チャンピオンは手を叩いた。――『うまく罠にかかった』と感心するように。

 

「さぁ、風はどちらに吹いているのかな!? パッチラゴン、『アイアンテール』!」

 

『くさタイプ』と『はがねタイプ』の技が、激突する。

 押し負けたのは、ブリムオンだった。力で負けたのではない。ブリムオンとパッチラゴンの体重の差は100㎏近くある。勢いに加算される『重さ』が小競り合いを制した。

 耐え切れず後退したブリムオンに追加の『アイアンテール』が迫った。

 

「まもって!」

 

 呼吸の間隙を縫うかのような『アイアンテール』の連撃で『まもる』で展開したシールドが割氷の音を立てて割れていく。苦しそうなブリムオンの呻きが聞こえる。

 完全に破壊されるまで、もう数秒とない。

 

(……絶対に、勝たないと、いけないのにっ!)

 

 ユウリの手持ちは、ブリムオンを除き2体だ。そのどちらも『でんきタイプ』の技が弱点で命中すれば効果抜群に間違いなしだ。チャンピオンのパッチラゴンが多少命中率が落ちる特性『はりきり』だとしても『ほうでん』の威力を見る限り、インテレオンでも耐えられるとは思えない。だから、パッチラゴンだけはブリムオンに倒してもらいたい。

 

 

 

 ああ、苦しい。ユウリは、熱のこもる浅い呼吸をした。

 どうしてこんなに苦しいのだろう? いつからバトルをすることが苦しくなったのだろう?

 ほんのすこし熱に浮かされた頭で考えて、答えは出た。

 

(『勝とう』と思うと苦しいんだ。わたしは、これまで『勝てる』から苦しくなかっただけ)

 

 人はプレッシャーと呼ぶだろう。

 だが、彼女は自分より上のトレーナーと戦って初めて分かったのだ。

 

(あぁ……ホップもわたしとのバトルは、こんな気持ちだったんだろうか……?)

 

 ユウリは、ホップとのバトルを最近まで楽しんでいた。

 けれど、彼の手持ちのポケモンからバイウールーがいなくなった時に『何かおかしい』と思い始めたが、違和感の正体が掴めないまま、楽しめなくなっていた。

 

(最初のバトルをした時のわたしは、どんな気持ちだっただろう)

 

 初めて戦ったのはウールーだった。

 どんな技が出てくるのか。どんなことができるのか。どうなるのか。

 見て触れる何もが新しくて、ワクワクして、ハラハラして、ドキドキした。

 

 そうして、ユウリのトレーナー人生は始まった。

 勝利の積み重ねは、素晴らしいことだった。

 その数こそが、チャレンジャーに求められることだろう。

 けれど。

 気持ちを忘れてしまったバトルは、ただの事実で、冷たい数字だ。

 

(この苦しさを忘れてしまえば、チャンピオンの『わたし』のように強くいられるのかもしれないけれど。そんなトレーナーには、なりたく、ないな……)

 

 もし、選べるならばホップとバトルを楽しめる『わたし』が、いい。

 そんな『わたし』をわたしは、大切にしたい。好きでいたい。できれば、愛していたい。

 そして、こうも思う。

 この『わたし』のまま、チャンピオンに勝ちたい、と。

 

 チャンピオンは問うた。

『風は、誰に吹いている?』

 ユウリは胸を張って「わたし」と答えたい。

 

 目を閉じる。

 そして、ひとつ呼吸をして。

 目を開いた。 

 

 不利な技があるのは、どちらも同じなんだ。

 

 ――冷静に考えるんだ。自分の中身を覗くように。

 ――事実を数えるんだ。短い言葉で分けるように。

 

「迎え撃つよ、ブリムオン!」

 

 ユウリは決断した。

 よって、事態は急変する。

 最後のアイアンテールが半壊した『まもる』を突破し、ブリムオンは勢いよく宙に打ち上げられた。

 

「追って! パッチラゴン! 『でんきくちばし』!」

 

 フィールドを蹴ったパッチラゴンがブリムオンに迫る。

 

「でも、そこでいい。そこがいい。そうだね? ブリムオン」

 

 ブリムオンは、器用だった。そして、勇敢だった。

『破られると知らず防御が失敗すること』

『破られるタイミングを自分で選ぶこと』

 両者の違いを理解し、迎え撃つことを選んだからだ。

 

『まもる』で防げないのなら、受けてしまえ。受けた後で確実な一撃を与えよう。ただし、受ける攻撃は半壊の『まもる』で半減だ。

 

 打ち上げられた瞬間から、技の準備がはじめられた『マジカルシャイン』は既にパッチラゴンの眼前にある。

 

「『マジカルシャイン』! いっけぇぇぇッ!」

 

 電気が通じるより速く、その光は到達した。

 ゼロ距離にて放たれた『マジカルシャイン』の威力は、パッチラゴンが目を回すには充分だった。

 

「勝負ありだよ、チャンピオン」

 

「……参ったな。わたしが負け越すなんて」

 

 ふわりとフィールドに着地したブリムオンが頭の触手を揺らした。

 それに手を振り返したユウリは、チャンピオンを見つめた。

 

「でもね、楽しくなってきたよ。あぁ――」

 

 彼女は負けそうだ。不利でもある。

 それでも、チャンピオンはユウリにも見慣れたモンスターボールを見て微笑んだ。

 

「そうだった。ドキドキしてハラハラして、ワクワクする。こういうバトルがわたしは好きで……大好きだったんだ」

 

「…………」

 

「君は、バトルの途中でボウっとして、さては、このことに気付いた?」

 

 悪戯っぽく笑うチャンピオンに、ユウリは見抜かれていたことに内心で驚いた。

 

「……ホップと最初にバトルした時のことを思い出していた。ほんの数か月前の出来事なのに、これまでうまく思い出せなくて……。ハロンタウンはずいぶん遠くになってしまった気がする」

 

「そうだね。遠い……あまりに遠いよ。今のわたしには、君さえ見ていられないのに」

 

「え?」

 

「わたしは、もう『なれるもの』にしかなれないけれど、君は違う。『最も可能性があった時分のわたし』は違う。何にでもなれる。何にもならなくていい。続けてもいい。やめてもいい。はじめてもいい。終わらせてもいい。何だってやれる。どこにも行ける――」

 

 チャンピオンは言った。

 

「羨ましくないよ。なんて言っても何だか負け惜しみ、負けてないけど、それっぽく聞こえるかな。わたしの言いたいこと分かる? 『何でもできる』ってスゴいことなんだ」

 

「分かるよ」

 

 ユウリは、昨日の朝、原っぱを歩いていた時のことを思い出していた。

 あの時、ジムチャレンジで敗退した選手達のことを考えていた。置いていくのはわたしなのに、どうして彼らに置いて行かれたと思ってしまうのか。あの時、分からなかったことが今になって分かる。

 

「負けていった選手に、選ばなかった未来の自分を見た」

 

 ほんのすこし選択が違った場合、ユウリも群集のなかにいただろう。

 自分の限界に悩んでたくさん泣いた後で、手に汗を握り客席からホップを応援する未来もあった『かも』しれない。

 

 チャンピオンの顔にわずかに陰が差す。

「なら」と続く次の言葉をユウリは、待たなかった。

 

「だからこそ、わたしは選んだ。『何でもできる』から、わたしはここにいる」

 

 ユウリは胸に手を当てた。

 腕には輝かしいダイマックスバンドがあった。

『選ばなかった未来は、想像する余白の限り広がり続ける』

 アオイの言葉を思い出した。こういう意味だったのか。ユウリの理解は追いついた。

 

「わたしは、ユウリ。ホップのライバルだ」

 

「…………」

 

 チャンピオンと見つめ合う。

 ホップの名前を聞いた彼女が、わずかに身を強張らせた理由をユウリは知らない。

 だから、踏み入った。

 

「もし、別の未来を選べたとしても、何度だって、この世界を選ぶよ。ホップの夢は、わたしの夢だから」

 

「…………」

 

 口を閉ざしたチャンピオンに、ユウリは焦れる。

 彼女にもバトルを楽しめる記憶があるようだ。ならば、ホップとライバルである道を選んだはずだ。そして、ホップを乗り越えてチャンピオンになったのだろう。

 栄光は彼女に傾き、賞賛を受けたはずだ。それなのに、彼女は、とても傷ついた顔をしていた。

 

「チャンピオン、君は、もうライバルをやめてしまったの?」

 

「…………ぃ」

 

「え?」

 

 ――ポケモンの卵が割れる瞬間を見たことがあるだろうか。

 出会った時から今までチャンピオンの感情の発露は、どこか薄く余裕を感じるものだった。

 たぶん場慣れしているかどうかの違いだろう。ユウリの想像はまったくの見当違いであったことが分かった。

 チャンピオンの感情は、ぶ厚い殻を破るように割れ、砕け、剥がれて、現れた。

 

「わたしも……わたし、わたしだって! わたしが、ライバルだっ! 終わってない! 何も、何も終わっていない! ホップは必ず来る! わたしを呼ぶ! そして、勝つ! 絶対に、絶対に、夢を諦めたりしないんだからっ!」

 

 うっすら涙を浮かべた彼女は、叫んだ。

 

「わたしも夢を見たかった! 同じ夢を見た……憧れた! ただ、ホップと同じ夢を見たかった。それだけでよかったのに。ホップの夢を壊したくなかっただけなのに。負けないように勝つことなんてできないなら、どうすればよかったの?」

 

 チャンピオンがホップとのバトルで何をしたのか。

 ユウリには全てわかってしまった。それは、ユウリだってやろうと思ったことがあったからだ。

 チャンピオンは、泣いていた。

 

『ホップのライバルだもんね? 手を抜きたくないよね? 全力で戦わないのなら、わたしがトレーナーである意味なんて何も無いよね?』

『だから、幸運だった』

 

 彼女は、ホップとのバトルで手加減をしたのだ。しかも彼にそれを見抜かれたのに勝ってしまった。

 

「全力でバトルするのは久しぶり。それが『わたし』ならなおのことだよ。わたしは、っ、全力で、君を越えるんだ! 『最も可能性があった時分のわたし』を越える、いつかホップがわたしの前に立つ時に最高のライバルでいるためにッ!」

 

 歯を食いしばり、チャンピオンはモンスターボールを握った。

 

「さぁ、バトルを続けよう……っ! よりよい未来を迎えるために! わたし達の夢を正しく終わらせるために! 君の全力を見せてっ!」

 

「望むところ! チャンピオン、いいえ、ユウリ!」

 

「――インテレオン、君に決めたっ!」

 

 チャンピオンの5体目のポケモン。

 現れたのは、ああ、やはりインテレオンだった。

 しかし、では別の疑問が発生する。

 

(彼女の6体目は誰?)

 

 6体目のポケモンは特別だ。多少の不利をものともしないポケモンが選ばれる。そのためユウリの6体目はインテレオンだ。最も長い付き合いで信じられる、切り札だと思っている。

 だが、チャンピオンは『とっておき』の切り札を今、切った。しかも『くさタイプ』技を持っているブリムオン相手にインテレオンをぶつける心算だ。

 

 そこから導かれる事実は何か。

 

(チャンピオンの他のポケモンだと更に相性が悪い? ドラゴンタイプ? リザードン? フライゴンという手もあるけど……)

 

 ――でも、今はこの一戦を乗り切らなければ。

 

「ブリムオン、頑張ろう」

 

 彼女は長身を折りたたむように大きく頷いた。

 ブリムオンは、インテレオンに有利な『くさタイプ』の技を持っている。

 だが、インテレオンは素早いうえに距離を取ろうとするだろう。

 

 チャンピオンの指示が飛んだ。

 

「インテレオン、『ねらいうち』!」

 

「『サイコキネシス』!」

 

 ブリムオンが自分の目の前に発生させた『サイコキネシス』で景色が歪む。マッハ3の『ねらいうち』はブリムオンに到達するまでに留められた。そして『サイコキネシス』の逆襲。大玉の水が、ベクトルを反転させてインテレオンに襲い掛かる。

 

「『エラスラッシュ』!」

 

 水玉は鏡のような断面をのぞかせてフィールドに落ちた。

 

「『マジカルシャイン』っ!」

 

「『れいとうビーム』!」

 

 技の応酬が、フィールドを揺るがす。指示が飛び交った。

 

 ――楽しい。

 

 ユウリは、不意に心の中に浮かんだ言葉に驚いた。

 チャンピオンが何を繰り出してくるか分からない。それが、とてもワクワクする。

 

 予想がつかないことは、悪いことではない。――ユウリは、呼吸が早くなる感覚を初めて楽しんでいた。

 

 チャンピオンだけが持つ過去を、その価値を、ユウリは分からない。でも、知らなくていいと思える。

 分からなくても知らなくともバトルで繋がっていると感じられる。

 

『れいとうビーム』を『パワーウィップ』で砕いたブリムオンが『マジカルシャイン』を放った。よし、と手を握るユウリの予想は覆された。

『マジカルシャイン』は、たしかにインテレオンに命中した。

 

 だが。

 

「そのまま『ねらいうち』!」

 

 奇しくもユウリがダークライにとった戦術と同じだった。

『マジカルシャイン』を放つブリムオンは、必ず『ねらいうち』の射線上に位置する。そして技の切れ目に『ねらいうち』という、マッハ3に匹敵する水流を防ぐことは、難しい。

 ブリムオンは、よろよろと後退して倒れた。

 

「ブリムオン……ありがとう。いつも危ないバトルで助けられているね。ゆっくり休んで……あとは」

 

 ユウリはブリムオンをモンスターボールに戻した。

 そして、残りふたつのボールを、すこしだけ迷ってから手になじんだ方を手に取った。

 

「――インテレオン、君に決めたっ!」

 

「っ……そう……応えてくれるんだ、君も」

 

 チャンピオンが、驚いたように目を瞬かせる。

 薄く浮かんだ涙を切って、チャンピオンは腕をかざした。

 

「インテレオン、『ダイマックス』!」

 

 宣言が轟いた。

 チャンピオンはインテレオンをボールに戻す。フィールドの磁場を受けて巨大化したボールを自分の後方へ投げる。

 

 あっ、とユウリは言葉をこぼす。

 

 割れたボールから、ダイマックス状態のインテレオンが現れた。

 巨大な姿に、ユウリのインテレオンが目を細めて――頷く。

 

 取るべき戦法は、決まっている。その場合、一撃で明暗が分かれるだろう。

 

「勝負はここからだ! タイム・オーバーなんて言わせないんだからっ!」

 

 地ならしとは比べ物にならない揺らぎが、フィールドを襲う。

 完全無欠かつ無敗で無敵のチャンピオンは腕を組み、不敵に笑った。

 

 




【あとがき】
 最終話の予定でしたが、長くなり過ぎたので8月上旬に「最終話・後半」を投稿いたします。後半は前半より先に書き上げたのでそれほど時間はかからない予定です。
 もうすこし短い話だと思って読んだ方、ごめんね。もうすこしお楽しみいただけたら幸いです。

【感謝】
 ここまでお読みいただいて嬉しい! ありがとう!
 オリジナル展開で、何かもう、言葉が出にくいところだと思いますが、感想・ここすき・マシュマロ等、気軽に送ってくれたら嬉しいです!
 ※ここすき機能はハーメルン様の新機能です。みんなもっと使っていいんだぜ(誤タップしながら)
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